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沼垂、懐かしいです。シモマチの実家へ行くとき、よく乗りました。明石通りのバス停から乗ると、栗の木バイパスへ入ってすぐ、何もないところで止まって時間調整するのが蒲原町のバス停でした。そこから万代町通りに入ってわざわざ八千代橋をとおり、往路は西堀、帰路は東堀と違う経路でした。今では西堀も東堀も対面通行なので、一方通行時代を知らない人にとってはナンジャソリャ的な路線ですね。
情報ありがとうございます。そう、蒲原町の時間調整ですが、今あんなところでバスが駐車していたらひんしゅくものです。当時だからできたんでしょうね。
子どもの頃は四ツ屋町に住んでいたので、当時の8系統が懐かしくなりました。行先表示も郊外線だと【新潟(バスセンター)】【古町(三越前)】【【古町(東堀五)】【古町(新津屋小路)】など分散していたのを思い出しました。貴重な動画をありがとうございます。
その通りです!市外からの便は、【新潟(古町のどこか)】なんですよね~!今は、ほとんどが「万代シテイ」行きとなって寂しくなりました。下町の方はなかなかのネタの宝庫なので、レポートをまとめてアップしたいと思っていますので、これからもご視聴のほど、よろしくお願いします!
主に東からの便でしょうけれど、【古町・市役所前】なんて行先もあった気がしますw古町が本当に古い町になりつつあるだけに…なんか物寂しくなっちゃいますね…。
@@kamiruuk ありましたね。幕式の時の表記ですね!松浜線のなまずが思い出されます😊
クセ強ではありませんが、昭和時代に存在していた長距離路線、新潟(バスセンター)〜寺尾〜弥彦線が印象に残ります。幕式の運賃表が整理券なしと1〜41まである中、新潟市中心部では40まで埋まるというインパクトの強いものでした。あと、巻行も曽根経由と間手橋経由がありました。後者は本数がかなり少なかったような。。。
@@boulevard7537 その41番整理券持ってます!弥彦発のバスに古町から乗車した時のものです。あれから40年、インク消えかけです(笑)別動画(どこまで行ってたの?長距離路線ベスト3)で弥彦線に触れてますので、そちらもぜひご覧ください。
@@神宮寺明日香 別動画の方もコメントさせていただきましたが、弥彦行に関しては幕式運賃表の関係で運用に就ける車両が限られていましたね。確か昭和55年式から整理券機がオレンジから銀に変わり、同時に整理券番号のインクが紫から赤に変わっていたはずで、お手持ちの整理券番号は紫色の印字ではありませんか?
@boulevard7537 詳しい!詳しすぎる!素晴らしい知識ですね!そのとおりです。先日整理しましたが、整理券をだいぶコレクションしてたようで、0〜41まで結構順番通り揃えてました。その中には紫と赤のインクがあったり、黄色の紙を使用してたり、番号によっては縞々文字になってたり…。整理券一つとっても色々あったなーと思いました。
とても興味深い動画、ありがとうございます。横浜から新潟行きのバスは1回乗ったことがありますが、あまりの渋滞と腹痛で地獄だったことを思い出しました。下の方のコメントで次第浜行きの件が触れられておりますが、子供の頃、次第浜行きに乗ってみたかったのものの、夢かなわず廃止となりました。大人になってから車で次第浜のバス停に行きましたが、やはりバスと違って味気なかったですね。
@@Alfsiron こちらこそ、コメントまでくださってありがとうございます✨ 渋滞の中の腹痛は考えたくもないですね、恐怖すら感じます💦自分は横浜→新潟の2回いずれも元日昼便乗車だったのですが、どちらも満席、帰省ラッシュの名残り混みだったのかもしれませんが、需要はあったのかなぁと思ってました。でも短命に終わったのは、やはり渋滞が要因にあったのではと思ってしまいますね。自分も大人になってクルマで過去の気になる土地へ向かうことがありますが、バスで行くのとは違うと感じます。運転士さんが大きなバスで目的地まで連れて行ってくれるのが醍醐味なんですね😊
松浜は、循環山ノ下ホームページのリンクにありましたね。
@@待ち受けライティ さま今でも見れますか? 教えてもらって見に行きましたが、リンク切れてたような…😥
@神宮寺明日香 さん、今では検索しても出てきませんね。
@@待ち受けライティ 以前楽しませてもらったサイトだけに残念です😥
西部営業所(現在のイオン新潟青山SC)付近から大野方面に向かって市内線方面に入る変態路線もありませんでしたか?
@@crayon_1116 様。おそらく、西部営業所〜帝石橋〜笹出線〜バスセンター線だと思います。1979年時点で存在してました!
新潟駅発〜明田(みょうでん)行き、あったのわかりますか?1980年代後半、母親の実家に行くのによく使ってました。まだ新潟西バイパスが開通してない時代で、市役所、関屋、国道8号(西大通り)を通り、曽和の交差点まできたら、西川沿いの市道を通るルートです。とにかく1時間近くかかっていました。2000年以前に廃止になっていると思います。追記、失礼しました。新潟交通のホームページみましたら、赤塚駅行きで明田は1日3、4往復はまだあるんですね。私が子供の頃は明田止まりだったので。
@@ヤサイマーク様。 コメントありがとうございます。はい、明田系統の資料も持ち合わせています😊ただ、どのようにしたら面白く紹介できるか悩んでいまして、明田ゆきを紹介する動画を計画できていません。ただ少し違ったカタチから紹介できないかと思っているので、そこで紹介できたらなと思います。その時はまたぜひ見てください!私も中野小屋集落の狭隘(きょうあい)路線が好きで、区バス扱いになった後の赤塚駅行に乗車したことがあります。とても味わい深い路線でした。明田ゆきと姉妹系統?の赤塚上ゆきの誕生秘話などもお話したい気持ちはあるのですが知りたい人いる?って思って躊躇してました。貴重なコメントありがとうございます✨
厳密に言うと槇尾から先は西区のコミュニティーバス扱いです、直通で走っているので分かりづらいですがバス停表示がオレンジ色になってます。当初は内野四つ角、曽根経由で巻まで走ってました。
横浜線の運行経路が環八経由だったのが驚き。下山営業所は懐かしい。事務所はプレハブだったような。謎系統の新潟空港ー信濃町線も担当していた。
@@にゃん子バス本舗 空港↔信濃町線、確かに謎ですね!下山の5Eを使ってたような…??? うろ覚えです。
最後の番線にある次第浜行きが抜けている。 バスセンターから聖籠の次第浜行きが出ていた
@@政光小山 『最後の番線にある次第浜行が抜けている』がどこを指しているのかわかりませんが、次第浜行が万代のバスセンターから出ていたのは昭和54年の資料から承知しております。最後の番線とは動画のどこを指しているのでしょうか?
14番線とか16番線だったような気がします。
@@政光小山さま。 返信ありがとうございます。ただ、この動画のどの部分に抜け落ちていた所があるのかわかりません。間違えは訂正しなくてはならないですが、動画内の何分あたりとか、何を説明している部分で抜けているとか具体的に指摘してもらえないと、私も訂正できかねます。恐れ入りますが、以上をふまえて、もう一度返信くださいますか?間違えがあれば訂正します。
間違いはないです。次第浜行きを入れて欲しかったな というくらいです。動画は興味深かったです。ありがとうございます。
@政光小山 そうでしたか。間違えなくてホッとしました。バスセンター10番線は、次第浜行のほかにも今では無い路線がたくさんあります。太郎代、島見町どまり、ガス化学、新川…。そういった過去の路線を紹介する動画も計画しますので、またぜひご覧になってください!
「急行新発田」 地元民ではないのでよくわからないけどラッシュ時の交通状況が影響したのでしょう。新々バイパス経由が先に廃止になったのもそれが理由ではないかと。日東道経由の高速バスが存在しないのも同じ理由でしょう。「高速横浜」 神奈中だったら復活できそうな気もするが、もっとも高速バス事業からほぼ撤退状況なので厳しいか。
@@コニーデ 高速バス事業も旬を過ぎましたね。高崎線好きだったなぁ😅
高速新飯田行きって無かったでしたっけ?wどこだそれ?っと思った新潟に来たばかりだったあのころ…wあと、バスではないけれど、新潟駅で、「磐越西線まぼろし行きはx番線です。」と聞こえてどこ連れて行かれるんだ?っと思ったあのころ…w馬下がどうしてもまぼろしに聞こえてしまったたたw
@@kamiruuk はい、ありました😄高速乗るより、農道通った方が早そうな高速新飯田線。神路線ですね🤭🤭🤭
高速新飯田行きは存在していましたこれは新潟交通が電車線を経営していたのですが廃止するにあたり沿線の利便性を救済するため電車代替路線として運行していましたそれも程なく廃止になりました
沼垂、懐かしいです。
シモマチの実家へ行くとき、よく乗りました。明石通りのバス停から乗ると、栗の木バイパスへ入ってすぐ、何もないところで止まって時間調整するのが蒲原町のバス停でした。そこから万代町通りに入ってわざわざ八千代橋をとおり、往路は西堀、帰路は東堀と違う経路でした。今では西堀も東堀も対面通行なので、一方通行時代を知らない人にとってはナンジャソリャ的な路線ですね。
情報ありがとうございます。
そう、蒲原町の時間調整ですが、今あんなところでバスが駐車していたらひんしゅくものです。
当時だからできたんでしょうね。
子どもの頃は四ツ屋町に住んでいたので、当時の8系統が懐かしくなりました。行先表示も郊外線だと【新潟(バスセンター)】【古町(三越前)】【【古町(東堀五)】【古町(新津屋小路)】など分散していたのを思い出しました。貴重な動画をありがとうございます。
その通りです!市外からの便は、【新潟(古町のどこか)】なんですよね~!
今は、ほとんどが「万代シテイ」行きとなって寂しくなりました。下町の方はなかなかのネタの宝庫なので、レポートをまとめてアップしたいと思っていますので、これからもご視聴のほど、よろしくお願いします!
主に東からの便でしょうけれど、【古町・市役所前】なんて行先もあった気がしますw
古町が本当に古い町になりつつあるだけに…なんか物寂しくなっちゃいますね…。
@@kamiruuk ありましたね。
幕式の時の表記ですね!
松浜線のなまずが思い出されます😊
クセ強ではありませんが、昭和時代に存在していた長距離路線、新潟(バスセンター)〜寺尾〜弥彦線が印象に残ります。
幕式の運賃表が整理券なしと1〜41まである中、新潟市中心部では40まで埋まるというインパクトの強いものでした。
あと、巻行も曽根経由と間手橋経由がありました。後者は本数がかなり少なかったような。。。
@@boulevard7537 その41番整理券持ってます!弥彦発のバスに古町から乗車した時のものです。あれから40年、インク消えかけです(笑)
別動画(どこまで行ってたの?長距離路線ベスト3)で弥彦線に触れてますので、そちらもぜひご覧ください。
@@神宮寺明日香 別動画の方もコメントさせていただきましたが、弥彦行に関しては幕式運賃表の関係で運用に就ける車両が限られていましたね。確か昭和55年式から整理券機がオレンジから銀に変わり、同時に整理券番号のインクが紫から赤に変わっていたはずで、お手持ちの整理券番号は紫色の印字ではありませんか?
@boulevard7537 詳しい!詳しすぎる!素晴らしい知識ですね!
そのとおりです。
先日整理しましたが、整理券をだいぶコレクションしてたようで、0〜41まで結構順番通り揃えてました。
その中には紫と赤のインクがあったり、黄色の紙を使用してたり、番号によっては縞々文字になってたり…。
整理券一つとっても色々あったなーと思いました。
とても興味深い動画、ありがとうございます。
横浜から新潟行きのバスは1回乗ったことがありますが、あまりの渋滞と腹痛で地獄だったことを思い出しました。
下の方のコメントで次第浜行きの件が触れられておりますが、子供の頃、次第浜行きに乗ってみたかったのものの、夢かなわず廃止となりました。大人になってから車で次第浜のバス停に行きましたが、やはりバスと違って味気なかったですね。
@@Alfsiron こちらこそ、コメントまでくださってありがとうございます✨
渋滞の中の腹痛は考えたくもないですね、恐怖すら感じます💦
自分は横浜→新潟の2回いずれも元日昼便乗車だったのですが、どちらも満席、帰省ラッシュの名残り混みだったのかもしれませんが、需要はあったのかなぁと思ってました。でも短命に終わったのは、やはり渋滞が要因にあったのではと思ってしまいますね。
自分も大人になってクルマで過去の気になる土地へ向かうことがありますが、バスで行くのとは違うと感じます。
運転士さんが大きなバスで目的地まで連れて行ってくれるのが醍醐味なんですね😊
松浜は、循環山ノ下ホームページのリンクにありましたね。
@@待ち受けライティ さま
今でも見れますか? 教えてもらって見に行きましたが、リンク切れてたような…😥
@神宮寺明日香 さん、今では検索しても出てきませんね。
@@待ち受けライティ 以前楽しませてもらったサイトだけに残念です😥
西部営業所(現在のイオン新潟青山SC)付近から大野方面に向かって
市内線方面に入る変態路線もありませんでしたか?
@@crayon_1116 様。
おそらく、西部営業所〜帝石橋〜笹出線〜バスセンター線だと思います。
1979年時点で存在してました!
新潟駅発〜明田(みょうでん)行き、あったのわかりますか?
1980年代後半、母親の実家に行くのによく使ってました。
まだ新潟西バイパスが開通してない時代で、市役所、関屋、国道8号(西大通り)を通り、曽和の交差点まできたら、西川沿いの市道を通るルートです。
とにかく1時間近くかかっていました。
2000年以前に廃止になっていると思います。
追記、失礼しました。
新潟交通のホームページみましたら、赤塚駅行きで明田は1日3、4往復はまだあるんですね。
私が子供の頃は明田止まりだったので。
@@ヤサイマーク様。
コメントありがとうございます。はい、明田系統の資料も持ち合わせています😊
ただ、どのようにしたら面白く紹介できるか悩んでいまして、明田ゆきを紹介する動画を計画できていません。
ただ少し違ったカタチから紹介できないかと思っているので、そこで紹介できたらなと思います。その時はまたぜひ見てください!
私も中野小屋集落の狭隘(きょうあい)路線が好きで、区バス扱いになった後の赤塚駅行に乗車したことがあります。
とても味わい深い路線でした。明田ゆきと姉妹系統?の赤塚上ゆきの誕生秘話などもお話したい気持ちはあるのですが知りたい人いる?って思って躊躇してました。
貴重なコメントありがとうございます✨
厳密に言うと槇尾から先は西区のコミュニティーバス扱いです、直通で走っているので分かりづらいですがバス停表示がオレンジ色になってます。
当初は内野四つ角、曽根経由で巻まで走ってました。
横浜線の運行経路が環八経由だったのが驚き。
下山営業所は懐かしい。事務所はプレハブだったような。謎系統の新潟空港ー信濃町線も担当していた。
@@にゃん子バス本舗 空港↔信濃町線、確かに謎ですね!
下山の5Eを使ってたような…??? うろ覚えです。
最後の番線にある次第浜行きが抜けている。 バスセンターから聖籠の次第浜行きが出ていた
@@政光小山 『最後の番線にある次第浜行が抜けている』がどこを指しているのかわかりませんが、次第浜行が万代のバスセンターから出ていたのは昭和54年の資料から承知しております。最後の番線とは動画のどこを指しているのでしょうか?
14番線とか16番線だったような気がします。
@@政光小山さま。
返信ありがとうございます。
ただ、この動画のどの部分に抜け落ちていた所があるのかわかりません。
間違えは訂正しなくてはならないですが、動画内の何分あたりとか、何を説明している部分で抜けているとか具体的に指摘してもらえないと、私も訂正できかねます。
恐れ入りますが、以上をふまえて、もう一度返信くださいますか?
間違えがあれば訂正します。
間違いはないです。
次第浜行きを入れて欲しかったな というくらいです。動画は興味深かったです。
ありがとうございます。
@政光小山 そうでしたか。間違えなくてホッとしました。
バスセンター10番線は、次第浜行のほかにも今では無い路線がたくさんあります。
太郎代、島見町どまり、ガス化学、新川…。
そういった過去の路線を紹介する動画も計画しますので、またぜひご覧になってください!
「急行新発田」 地元民ではないのでよくわからないけどラッシュ時の交通状況が影響したのでしょう。新々バイパス経由が先に廃止になったのもそれが理由ではないかと。日東道経由の高速バスが存在しないのも同じ理由でしょう。
「高速横浜」 神奈中だったら復活できそうな気もするが、もっとも高速バス事業からほぼ撤退状況なので厳しいか。
@@コニーデ 高速バス事業も旬を過ぎましたね。高崎線好きだったなぁ😅
高速新飯田行きって無かったでしたっけ?w
どこだそれ?っと思った新潟に来たばかりだったあのころ…w
あと、バスではないけれど、新潟駅で、「磐越西線まぼろし行きはx番線です。」と聞こえてどこ連れて行かれるんだ?っと思ったあのころ…w
馬下がどうしてもまぼろしに聞こえてしまったたたw
@@kamiruuk はい、ありました😄
高速乗るより、農道通った方が早そうな高速新飯田線。神路線ですね🤭🤭🤭
高速新飯田行きは存在していました
これは新潟交通が電車線を経営していたのですが
廃止するにあたり沿線の利便性を救済するため
電車代替路線として運行していました
それも程なく廃止になりました