ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
ありがとうございます。大真唯唯南無阿弥陀仏。
井口好一様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌高科修
本日「、ただならぬ出会い」をさせていただきました。ありがとうございます。
奥村智明様ご視聴、コメントありがとうございます。ただならぬ出会いは、私も同じです。コメントを下さる方と私の出会いも……それは『ただならぬ出会い』なのですから…ありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科様、返信ありがとうございます。以前、金沢に住んでいたこともあり、高科さんの使われる言葉やイントネーションに懐かしさを感じながら日々『小話(法話)』を拝聴しております。これからも《気づく》ヒントを頂けますように、『小話(法話)』をお願い致します。今日も一日ありがとうございました。 南無阿弥陀仏
今日も ありがとうございました。私も父を亡くしてから直ぐに母の胸部大動脈瘤がみつかり手術をしその事も有り 仏間のとなりが母の部屋ですので見守りのいみもかね昼間は仏間におりますそうするくちに目のまえの お仏壇を毎日眺めていますとだんだんと いろいろな思いや感情が静かに収まっていくのが分かるようになりある住職さんのお話しを聞いてもっと勉強してみたい 誰かのお約にたちたい 大切なことを家族周りに教えてあげたいたと思うようになりそんな時に お坊さんの小話がいきなり飛び込んでまいりました一番 心を打たれ 一番馴染みやすく 一番 心から受け入れられました。一期一会に感謝いたしますありがとうございました。
恵 船本様ご視聴、コメントありがとうございます。恵 船本様の、その一期一会は、恵 船本様が求めた一期一会であります。私も…恵 船本様との一期一会に有ること難しの『有り難し』と、恵 船本様のコメントのお言葉に、数多くの南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏を受けております。ありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌高科修
有難い お話 ありがとうございます。私も 嫁に なり 姑に なり 考えさせられました。必然と 受け入れ 家族を 大事に して 感謝して 学んで生きます。
桂子 橋口様ご視聴、コメントありがとうございます。桂子 橋口様との出会い。私にとっても…『一期一会』で御座います。南無阿弥陀仏合掌高科修
御丁寧な 返信 ありがとうございます。感激しました。これからも 生き方の 指針に させてもらいます。幸せです➰🍀
住職様へ私事ですが、この2か月前に父を、自死でなくしました。このチャンネルを、最近知りました。父を助けられなかったもっと優しくしとけばと思いながらこのチャンネル見てます。いつもお話しを聴いて考えさせられ振り返る事ができます。ありがとうございます。感謝します。これからもTH-cam応援しています、お体お大事になさってくださいませ。
中島ひと様ご視聴、コメントありがとうございます。軽々しくご推察致しますなどと言えないほどの…おもんぱかることさえ失礼にあたるほどの…悲しみ、辛さ、悔しさの思いの中で生活されておられると深く感じています。「たいへん、お寂しいことでございます」メールでたいへんご無礼でございますがお参りの言葉を申させて頂きます。「助けられなかったもっと優しくしとけばよかった」その思いは日に日に強くなってより深く深く心に染み込んでいかれているのではないでしょうか。私に言えるのはどうぞお父様を「堪忍」してあげて下さいと!そして中島ひと様ご自身もご自分を「堪忍」してあげてくださいと!この「堪忍」の一言につきます。「堪忍」とは納得出来ない!承知出来ない!我慢ならん!理不尽だ!道理に合わない!だけど、しかし、それでも、それらの思いを「うん(わかった)」とうなずいて、またはその思いを飲み込んで、すべてを背負って生きていくという意味の言葉です。お父様の詳しい事情も、中島ひと様の事も、何もわからずにただただ悲しく辛く苦しい思いでおられるのではないかと深く感じてこの返信を書かせて頂いております。どうか、この、あきらめるのでもなく、ゆるすのでもなく、責めるのでもない「堪忍」という思いをどうか頭の隅に少しでも置いて頂いて生活されていただけたらと願っております。合掌 高科 修
ありがとうございます。その通りでございます。旦那のお母さんを意味もわからず責めてしまった事私の悪い心です。教えて頂いてありがとうございます。ありがとうございます。
中村友子様返信のご返信ありがとうございます。「私の悪い心」とのお言葉ですが、「悪い心」ではないのですよ。私たちは、私を含めて、出会う出来事・物事に、様々な感情を抱き、またわき出るものなのです。ただ、そのわき出る心が自分本意の…自分の都合の…自分の身勝手な…「こころ」なのか、相手を思いやった…相手の立場に立った…相手の気持ちを汲んだ…「こころ」なのかの違いなのです。嘘つく・嘘をついて人を騙すことは「悪い心」と言えます。しかし、時として、場合によってはその嘘は「良い心」なることもあるはずです。相手を思いやった…相手の立場に立った…相手の気持ちを汲んだ…「嘘」もあるはずです。悪い心・良い心の区別ではなく、今の自分の心は、言葉は、行動は、自分本意の自分勝手なものなのか、それとも相手を思いやった、相手の気持ちを汲んだものなのか、それを毎回、面倒でも、邪魔臭くても自問自答することが大切なことなのだと思います。どうか「反省」することに押し潰されないで欲しいのです。「反省」は必要です。けれど私たちは人間です。ほぼ自分勝手で自分本意の「心」が「私」を支配しています。それが人間なのです。だからまず、自分勝手な自分本意の「私」を認め、だからこそ毎回自問自答していこうと、その事を忘れずにいて頂ければ良いのです。どうか無理をなさらずに、どうか良い心にならなければならないと頑張らずに、ありのままの中村友子様で、そして「自問自答」を繰り返す中村友子様でおいでくださりますよう深く願っております。合掌 高科 修
一期一会、考えさせられました。
とし爺様とし爺様が、この動画をご覧になり、コメントをしてくださる。これも間違いなく、私にとって「一期一会」なのです。そして、とし爺様が、動画のお話から何かを感じて頂けているように 私も、とし爺様のコメントから「励み」と「精進」という二つの言葉を頂いております。まさに「一期一会」です。合掌 高科 修
本日も有り難うこざいます。「ただ事ではない」=「自分が産まれてきてきたこと」=「これ以上の幸せはない」が等式として歳を重ねる度に思える私がいます。幼少より仏縁に恵まれてはおりましたが、やはり思春期の頃には「いずれ死ぬのに何故生きる、生きて行かねばならぬのか?」などと悩み、時には刹那的になったものでした。特に、闘病の末力尽きた友との別れは、若き日の私には耐え難い衝撃でありましたが、後に自分の人生を変えるご縁となりました。良かったこと、辛かったこと、悔しかったこと、無明の中でもがき苦しんだこと…その全ての出来事は、偶然でなく、「何故?」「そうだったのか!」と繰り返し繰り返し、産まれ生きて行く私に差し向けられた「生きて行く意味、いずれ死ぬのに何故生きる?」答えの道標だったのだと、つくづく有り難く感じています。その有り難みも、そもそも受け難い人身を受けられたこと、仏縁に恵まれたことと捉えております。色々な考え方、感じ方はあるでしょうが、「バラバラで一緒」の私達。その私達が必然的に集い、それぞれ思い、考え方、感じ方をセッションし、自分へ還元出来る…これってすごい有難いことだと感じます。
ご視聴、コメントありがとうございます。コメントを敬意をこめて真摯に拝読させて頂きました。思春期の頃のちゃんぴー様の悩みは、同様に私の悩みでもありました。20代での友の自らの死は、私自身の生き方・考え方を大きく変える出来事でした。年代も住んでいる地域も性別も違う、ちゃんぴー様と私。その二人が、「生きる」ということについて、同じように考え・悩み、同じような経験を積み重ねている。そして、その二人が、こうやってメールではありますが出会い、語り合う。正に「一期一会」‼!合掌と手を合わせる以外ありません。合掌 高科 修
@@buddhism_japan ちゃんぴー様お久しぶりです。😊お元気でしょうか? 川口です(^_^)ちゃんぴーさんも様々な経験をされてこられたのですね〜やはり、真に迫ったコメントはあらゆる経験の賜物だったのですね〜生きる。生きていく。ということを悩み苦しみ、その結果から今日(こんにち)の自分の姿を醸し出したのですね〜 これからも、色々な出来事があるとは思いますが、お互い向き合って頑張っていきましょう👍🙏
@@kawaguchi4519 川口様、こちらこそご無沙汰しております。お陰様で、元気にしています😊今更ながら、仏教は亡くなった人の為のものでなく、今生きている、生かされている私達の為のものなんだなぁ…改めて感じますね✨若い頃は夢中で、駆け足で過ぎてしまったけれど、そのどれ一つ欠けても、今の私にはならなかったんですよね😊さぁ、これからどんなことが待ち受けているか?お互い楽しみですね😉🙏
ちゃんぴーさんへ突然ですが、もし……ですが、いつの日にか、能登輪島の高科住職さまのお寺さんへ私とご一緒にお参りに行きませんか❓面識もなく、お互いどのような環境や立場も分からないのに、何故か、貴女とはこれ以上のご縁があるような気がしてなりません。本当にリアルに会って色々とお話がしたいです♪(^_^)(言っておきますが、私は多分貴女よりだいぶ年配のおばさんですよヽ(´o`;)😅ご存知かと思いますが、先日の高科住職様よりの「其の十五:生きる」を読ませて頂き、その後、住職さまと2〜3回メールでのお話をさせて頂いて、その度、感無量になりこの方と是非一度はお会いしたい!と思いまして。今はコロナ禍ですが、落ち着いたら、遠方でもないので是非にと勝手に決めているのですが………。そして、ちゃんぴーさんともお会いしたくて………😘突然、何を言い出すのやら〜💦 と驚かれたとは思いますが、いかがでしょうか?と言っても、私は母のお世話もあり、急に思い立ったからとすぐに行けるわけではないので。そちらも、勿論 都合もおありでしょうし……。ただ、ほんの少し考えておいて下さいませんか?宜しくお願いします🙏あっそうそう、私は富山県在住です。
@@kawaguchi4519 様ご無沙汰しております。お返事気付かず、今に至りました!ごめんなさいね。川口様とは、私もご縁を感じています。本当に、不思議なご縁ですよね😉多生の縁って、こういうことなんでしょうか😊私も、川口様にお会いしてみたいですね✨とはいえ、コロナ禍、お互い母親のこともありますし…実現出来ましたら嬉しいです。私は、埼玉県在住です。姉兄とは歳も離れていて、その上には、親子ほど歳の離れた、赤ちゃんの時に亡くなった兄もいて。ほぼほぼ一人っ子のように育った私ですが、何故か幼い頃より、自分はなぜ生まれ、生きて行くのか…?なんて、きっと端からみたら「不思議ちゃん」だったんでしょうね(笑)そんな私をいつも救ってくれたのは、お手次寺の先生とのご縁でした😊今では、ご高齢となられましたが、常に研鑽されているお姿に頭が下がる思いです。人生の師として仰いでいます✨そして、巡り巡って、高科先生の童画と川口様にご縁を頂き、本当に嬉しく思っています✨いつか、お会いできることを念じて…😊
暖かいお言葉ありがとうございます。父に寄り添って頂きとても感謝しております。私のコメントにお返事頂けるなんて思っていませんでした。本当に胸がいっぱいにです。感謝しかないです。有り難うございました。
中島ひと様感謝などとんでもないことです。もっとお力になれるような言葉をお掛けすることが出来なかったのかと、自分の不甲斐なさを反省しております。どうか中島ひと様のこれからの人生。「諦めず、投げ出さず、クサらず」歩んで行かれることを切に願っております。合掌 高科 修
お話の全てが、納得です、有り難いことと、ただただ感謝🙏
pole les様私の方こそ、毎回動画をご覧いただき、ただただ感謝です。合掌 高科 修
こんばんは!早速、中村元先生の新・佛教辞典で、一期を調べてみました。[一期とは一生涯のことであるが、また、修行のために一時期を限るときにも用いる。比叡山では12年間、山にこもることを一期とし、高野山では6年を一期とした。またある特定の修行、例えば常行三昧の実修には、7日から90日を一期とするなど、種々に用いられる]と、記載されておりますが、何だか難解で、高科様の話が、大変解り易く納得致しました。今回も有難うございました。
加藤真理様ご視聴、コメントありがとうございます。「大変解り易く納得致しました」のコメント。大変ありがたく、嬉しく拝読いたしました。ありがとうございます。合掌 高科 修
@@buddhism_japan 様こちらこそ、有難うございました。次回も楽しみにしております。
南無阿弥陀仏 合掌
cyonnmageomuretu様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌 高科 修
こんばんわ^^いつも、ありがとうございます。「ただ事ではない」生きていると、これは、ただ事ではないぞ!ということが多々あります。しかし、このように感じるのは、一瞬のことが多いように思います。私だけかも?色んな出来事が起こり、偶然が偶然を呼び、最悪な結果に終わることもあります。反対に思いがけず、良いことが重なり良い結果になることもあります。これらは、偶然ではなくて、必然的になった結果ということ。私は、いかなる結果もなるべくしてなった結果。全てはなるがまま。という風に受け止めています。偶然ではなく、自らが導いた結果だと。これ=必然的な結果だと。改めて、ただ事ではないという事を感じたならば、多くの出会いや別れであろうが、多くの様々な感情(喜び、悲しみ、苦しみ、恨み、妬みなど)であろうが、それらは全て偶然を必然として受け止めて学ぶことこそ、一期一会ということの本当の意味。という風に理解させて頂いても宜しいでしょうか?いつも生きるすべを教えて頂きありがとうございます🙏
M Kwaguchi様ご視聴、コメントありがとうございます。一瞬でも、生きていて出会う出来事のただ一つでも、また毎回でなくても、それらの事を……「ただ事でない」と感じれる心があることが、人が人生を生きていく上で、自分の一生を有意義に過ごしていく教え・軸(じく)だと思うのです。それこそ、だれでもない「自分の人生」を!種をまかれ種をまく。その種もただ事でない一期一会なのです。M Kwaguchi様のコメントにある「~という風に理解させて頂いても宜しいでしょうか?」という問いには、「はい、そうご理解い下さい」と敬意を持ってお答えさせて頂きます。合掌 高科 修
私には「おかあさん」がいます。生母はすでに30年以上前に亡くなっています。そのおかあさんは、元カレの母です。元カレと別れる際には、本当にみんなを巻き込んで大事になりました。おかあさんには迷惑をかけ、心配させ、その上に3ヶ月も家に住まわせてくれた人です。それなのに「今度はいつ来る?」と言ってもらえ今でも、年に数回おかあさんの家に泊まりに行って、おかあさんの作った野菜だの焼き芋だのと、色んなものをもたせてもらっています。こんな話、知ってる人は皆、聞くとびっくりします(笑)ですよね〜😅おかあさんには元カレとその兄と2人の息子がいます。元カレは私とのすったもんだの後、家に寄り付かなくなりました。元カレの兄からは「なんで別れた彼女がおふくろの家に来るの?」と言われたそうです。その時おかあさんは「友達だから!」と言ってくれたそうです。これがただごとで無くてなんでしょうか。ありがくてありがたくて感謝しかないです。今日のお話を聞いて改めて「ああ、おかあさんとの出会いと、今の関係は、私に『お前、気づけよ』と言ってくれている」と感じました。おかあさんは、若い頃、旦那さんを労災で亡くし、2人の子供を抱え、人に言えない苦労をしてきた人です。その人の懐の深さに甘えさせて頂いている自分。たまの会話で愚痴を聴いたりすることくらいしか、私にはできませんが私自分はおかあさんに必要だから、こうやって呼んでもらえているんだなと、思っています。おかあさんは近所の知り合いに「うちのお嫁さん」と言っているそうです。ありがくて感謝しかないです。今日のお話しっかり心にとどめておきます❤良いお話をありがとうございました。
あきら様ご視聴、そして…これこそ『一期一会』という、大切で大事な あきら様ご自身の一期一会をお話を下さり、ありがとうございます。頷きながら、また心を暖かくしながら、また人と人との出会いの有ること難しの『ありがとう』を感じながら、お話を聞かせていただきました。ありがとうございます。あきら様にとっての、『おかあさん』との一期一会は、それはまた、『おかあさん』にとっての一期一会でもあります。お互いの一期一会が、一期一会を真の一期一会にしていきます。大切で大事な方と出会われました。『友達だから!』『うちのお嫁さん』と言ってもらっている。ならば、あきら様も…『うん、友達だから!』『うん、おかあさんだから』と言い切れる『私 (あきら様)』でいなければなりませんね(微笑み)私こそ、良きお話をありがとうございます。南無阿彌陀仏合掌高科修
全ては一期一会ですね🙏
pole les様ご視聴、コメントありがとうございます。まさに、その通りだと思います。このコメントのやり取りも一期一会だと感じています。合掌 高科 修
きようもひとことひとことべんきよさせていただいていまずありがとうございます
佐藤和子様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿彌陀仏合掌高科修
私は結婚して一度も旦那のお母さんに会った事がありません。旦那の両親は離婚していてお母さんは再婚しています。お父さんからはLINEで時々お願い事をされて実家に行ったり旦那の愚痴を言ったり親しみがありますがお母さんは旦那が時々私が用意したお土産を持たせてお母さんに会いに行きます。するとお母さんはお金をぽんと旦那に渡します。普通なら一度連れてきなさいとか、会わせるとかないのでしょうか?私は嫁としてきっと認められてない気持ちでいっぱいになります。確かに年上の子持ちで再婚でした。器量もよくなくじまんではないかもしれませんが、たまにはお母さんに会いたいだろうと気を遣ってわざと用事を作りお土産を用意して旦那を出します。もう何もしなくていいのでしょうか?私なりに頑張っていますがお母さんとは一期一会にはなれないのでしょうか?
中村友子様旦那様のお母様はご自分のお立場をしっかりと自覚されている方ではないかとお見受けいたします。なぜなら、旦那様のお母様は、我が子を自分の手元には置かず離婚したのですから。様々な事情・複雑な思い・どうしようもない現実…その事は十二分に推察できます。その事を責めているのではありません。母親ならば血の涙を流しての決断であったと思います。旦那様のお母様自身には、誰にも話すことの出来ない懺悔の気持ち。後悔。辛さや悲しみがそれこそ渦巻いていることと思います。その方が今、なぜ、ある意味母親であることを前面にだして、我が子と接する事ができるでしょうか!そこに、ある程度の距離を置き、ある程度の節度をもって接して行くのは至極当然の事だと思います。私(旦那様のお母様)に会いに来てくれるのは嬉しい、けれど…そこには母親としての後ろめたさ、再婚しているという事実からくる様々な人に対する遠慮。それは自分の息子さんの奥様でもある中村友子様ご自身にも及んでいると思います。言葉は汚くなりますが、一番分かりやい表現で言うなら「どの面さげて、お嫁さんを見せて下さいって言えるのか」その思いがお母様にあっても不思議ではないのではないのでしょうか。中村友子様が、年上の子持ちだとか…再婚だとか…器量がどうとか…自慢がどうとか…などは一切関係のないことだと思います。このことは、ある意味、中村友子様なら一番お母様の心を汲み取ることが出来るのではないでしょうか。なぜなら、貴女様も再婚だからです。そして幸いな事に中村友子様、貴女は我が子を手元に置いたままの再婚です。どうかご想像してみて下さい。中村友子様が我が子を手元に置かず、手放して再婚したことを!複雑で複雑でどうすることも出来ない感情にさいなまれるのではないでしょうか。旦那様のお母様は、今、絶妙なバランスの中で旦那様と、そして会ったこともないと貴女様が言われる貴女(中村友子)様と、実はお付き合いをしておられるのです。そう言う意味で、旦那様のお母様は「自分の立番を理解している」とお話いたしました。どうぞ、中村友子様はそのままで、何かをしなければならないとか、何かをするべきだとかに囚われず、旦那様の実母(生んでくれた母親)として、するべきことを、相手立場を考えながら行っていけば良いと思います。一期一会は、仲良くしようね!仲良くなりたい!という教え、考え方ではありません。出会いが「ただ事でない」という、その出会いから様々な事を自分自身が気づかせてもらうという教えです。今、正に、中村友子様と旦那様のお母様は「一期一会」真っ只中だと私は感じています。合掌 高科 修
ありがとうございます。大真唯唯南無阿弥陀仏。
井口好一様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
本日「、ただならぬ出会い」をさせていただきました。ありがとうございます。
奥村智明様
ご視聴、コメントありがとうございます。
ただならぬ出会いは、私も同じです。
コメントを下さる方と私の出会いも……
それは『ただならぬ出会い』なのですから…
ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科様、返信ありがとうございます。
以前、金沢に住んでいたこともあり、高科さんの使われる言葉やイントネーションに懐かしさを感じながら日々『小話(法話)』を拝聴しております。
これからも《気づく》ヒントを頂けますように、『小話(法話)』をお願い致します。
今日も一日ありがとうございました。 南無阿弥陀仏
今日も ありがとうございました。
私も父を亡くしてから直ぐに母の胸部大動脈瘤がみつかり手術をし
その事も有り 仏間のとなりが母の部屋ですので見守りのいみもかね
昼間は仏間におります
そうするくちに目のまえの お仏壇を毎日眺めていますと
だんだんと いろいろな思いや感情が静かに収まっていくのが分かるようになり
ある住職さんのお話しを聞いて
もっと勉強してみたい 誰かのお約にたちたい 大切なことを家族周りに教えてあげたいたと思うようになり
そんな時に お坊さんの小話が
いきなり飛び込んでまいりました
一番 心を打たれ 一番馴染みやすく 一番 心から受け入れられました。
一期一会に感謝いたします
ありがとうございました。
恵 船本様
ご視聴、コメントありがとうございます。
恵 船本様の、その一期一会は、恵 船本様が求めた一期一会であります。
私も…
恵 船本様との一期一会に有ること難しの『有り難し』と、恵 船本様のコメントのお言葉に、数多くの南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏を受けております。
ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
有難い お話 ありがとうございます。
私も 嫁に なり 姑に なり 考えさせられました。必然と 受け入れ 家族
を 大事に して 感謝して 学んで
生きます。
桂子 橋口様
ご視聴、コメントありがとうございます。
桂子 橋口様との出会い。
私にとっても…
『一期一会』で御座います。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
御丁寧な 返信 ありがとうございます。
感激しました。
これからも 生き方の 指針に させて
もらいます。幸せです➰🍀
住職様へ
私事ですが、この2か月前に父を、自死でなくしました。このチャンネルを、最近知りました。父を助けられなかったもっと優しくしとけばと思いながらこのチャンネル見てます。いつもお話しを聴いて考えさせられ振り返る事ができます。ありがとうございます。感謝します。これからもTH-cam応援しています、お体お大事になさってくださいませ。
中島ひと様
ご視聴、コメントありがとうございます。
軽々しくご推察致しますなどと言えないほどの…
おもんぱかることさえ失礼にあたるほどの…
悲しみ、辛さ、悔しさの思いの中で生活されておられると深く感じています。
「たいへん、お寂しいことでございます」
メールでたいへんご無礼でございますがお参りの言葉を申させて頂きます。
「助けられなかったもっと優しくしとけばよかった」
その思いは日に日に強くなってより深く深く心に染み込んでいかれているのではないでしょうか。
私に言えるのは
どうぞお父様を「堪忍」してあげて下さいと!
そして
中島ひと様ご自身もご自分を「堪忍」してあげてくださいと!
この「堪忍」の一言につきます。
「堪忍」とは
納得出来ない!
承知出来ない!
我慢ならん!
理不尽だ!
道理に合わない!
だけど、しかし、それでも、それらの思いを「うん(わかった)」とうなずいて、またはその思いを飲み込んで、すべてを背負って生きていくという意味の言葉です。
お父様の詳しい事情も、中島ひと様の事も、何もわからずにただただ悲しく辛く苦しい思いでおられるのではないかと深く感じてこの返信を書かせて頂いております。
どうか、この、
あきらめるのでもなく、
ゆるすのでもなく、
責めるのでもない
「堪忍」という思いをどうか頭の隅に少しでも置いて頂いて生活されていただけたらと願っております。
合掌
高科 修
ありがとうございます。その通りでございます。
旦那のお母さんを意味もわからず責めてしまった事私の悪い心です。
教えて頂いてありがとうございます。
ありがとうございます。
中村友子様
返信のご返信ありがとうございます。
「私の悪い心」とのお言葉ですが、「悪い心」ではないのですよ。
私たちは、私を含めて、出会う出来事・物事に、様々な感情を抱き、またわき出るものなのです。
ただ、そのわき出る心が
自分本意の…
自分の都合の…
自分の身勝手な…
「こころ」
なのか、
相手を思いやった…
相手の立場に立った…
相手の気持ちを汲んだ…
「こころ」
なのかの違いなのです。
嘘つく・嘘をついて人を騙すことは「悪い心」と言えます。
しかし、時として、場合によってはその嘘は「良い心」なることもあるはずです。
相手を思いやった…
相手の立場に立った…
相手の気持ちを汲んだ…
「嘘」もあるはずです。
悪い心・良い心の区別ではなく、
今の自分の心は、
言葉は、
行動は、
自分本意の自分勝手なものなのか、
それとも相手を思いやった、
相手の気持ちを汲んだものなのか、
それを毎回、面倒でも、邪魔臭くても自問自答することが大切なことなのだと思います。
どうか「反省」することに押し潰されないで欲しいのです。
「反省」は必要です。
けれど私たちは人間です。ほぼ自分勝手で自分本意の「心」が「私」を支配しています。
それが人間なのです。
だからまず、自分勝手な自分本意の「私」を認め、だからこそ毎回自問自答していこうと、その事を忘れずにいて頂ければ良いのです。
どうか無理をなさらずに、どうか良い心にならなければならないと頑張らずに、ありのままの中村友子様で、そして「自問自答」を繰り返す中村友子様でおいでくださりますよう深く願っております。
合掌
高科 修
一期一会、考えさせられました。
とし爺様
とし爺様が、この動画をご覧になり、コメントをしてくださる。
これも間違いなく、私にとって「一期一会」なのです。
そして、とし爺様が、動画のお話から何かを感じて頂けているように 私も、とし爺様のコメントから「励み」と「精進」という二つの言葉を頂いております。
まさに「一期一会」です。
合掌
高科 修
本日も有り難うこざいます。
「ただ事ではない」=「自分が産まれてきてきたこと」=「これ以上の幸せはない」が等式として歳を重ねる度に思える私がいます。
幼少より仏縁に恵まれてはおりましたが、やはり思春期の頃には「いずれ死ぬのに何故生きる、生きて行かねばならぬのか?」などと悩み、時には刹那的になったものでした。特に、闘病の末力尽きた友との別れは、若き日の私には耐え難い衝撃でありましたが、後に自分の人生を変えるご縁となりました。
良かったこと、辛かったこと、悔しかったこと、無明の中でもがき苦しんだこと…その全ての出来事は、偶然でなく、「何故?」「そうだったのか!」と繰り返し繰り返し、産まれ生きて行く私に差し向けられた「生きて行く意味、いずれ死ぬのに何故生きる?」答えの道標だったのだと、つくづく有り難く感じています。その有り難みも、そもそも受け難い人身を受けられたこと、仏縁に恵まれたことと捉えております。
色々な考え方、感じ方はあるでしょうが、「バラバラで一緒」の私達。その私達が必然的に集い、それぞれ思い、考え方、感じ方をセッションし、自分へ還元出来る…これってすごい有難いことだと感じます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
コメントを敬意をこめて真摯に拝読させて頂きました。
思春期の頃のちゃんぴー様の悩みは、同様に私の悩みでもありました。
20代での友の自らの死は、私自身の生き方・考え方を大きく変える出来事でした。
年代も住んでいる地域も性別も違う、ちゃんぴー様と私。
その二人が、「生きる」ということについて、同じように考え・悩み、同じような経験を積み重ねている。
そして、その二人が、こうやってメールではありますが出会い、語り合う。
正に「一期一会」‼!
合掌と手を合わせる以外ありません。
合掌
高科 修
@@buddhism_japan
ちゃんぴー様
お久しぶりです。😊
お元気でしょうか? 川口です(^_^)
ちゃんぴーさんも様々な経験をされてこられたのですね〜
やはり、真に迫ったコメントはあらゆる経験の賜物だったのですね〜
生きる。生きていく。ということを悩み苦しみ、その結果から今日(こんにち)の自分の姿を醸し出したのですね〜 これからも、色々な出来事があるとは思いますが、お互い向き合って頑張っていきましょう👍🙏
@@kawaguchi4519
川口様、こちらこそご無沙汰しております。
お陰様で、元気にしています😊
今更ながら、仏教は亡くなった人の為のものでなく、今生きている、生かされている私達の為のものなんだなぁ…改めて感じますね✨
若い頃は夢中で、駆け足で過ぎてしまったけれど、そのどれ一つ欠けても、今の私にはならなかったんですよね😊
さぁ、これからどんなことが待ち受けているか?
お互い楽しみですね😉🙏
ちゃんぴーさんへ
突然ですが、もし……ですが、いつの日にか、能登輪島の高科住職さまのお寺さんへ私とご一緒にお参りに行きませんか❓面識もなく、お互いどのような環境や立場も分からないのに、何故か、貴女とはこれ以上のご縁があるような気がしてなりません。本当にリアルに会って色々とお話がしたいです♪(^_^)
(言っておきますが、私は多分貴女よりだいぶ年配のおばさんですよヽ(´o`;)😅
ご存知かと思いますが、先日の高科住職様よりの「其の十五:生きる」を読ませて頂き、その後、住職さまと2〜3回メールでのお話をさせて頂いて、その度、感無量になりこの方と是非一度はお会いしたい!と思いまして。今はコロナ禍ですが、落ち着いたら、遠方でもないので是非にと勝手に決めているのですが………。そして、ちゃんぴーさんともお会いしたくて………😘
突然、何を言い出すのやら〜💦 と驚かれたとは思いますが、いかがでしょうか?
と言っても、私は母のお世話もあり、急に思い立ったからとすぐに行けるわけではないので。
そちらも、勿論 都合もおありでしょうし……。
ただ、ほんの少し考えておいて下さいませんか?宜しくお願いします🙏
あっそうそう、私は富山県在住です。
@@kawaguchi4519 様
ご無沙汰しております。
お返事気付かず、今に至りました!
ごめんなさいね。
川口様とは、私もご縁を感じています。
本当に、不思議なご縁ですよね😉
多生の縁って、こういうことなんでしょうか😊
私も、川口様にお会いしてみたいですね✨
とはいえ、コロナ禍、お互い母親のこともありますし…実現出来ましたら嬉しいです。
私は、埼玉県在住です。
姉兄とは歳も離れていて、その上には、親子ほど歳の離れた、赤ちゃんの時に亡くなった兄もいて。ほぼほぼ一人っ子のように育った私ですが、何故か幼い頃より、自分はなぜ生まれ、生きて行くのか…?なんて、きっと端からみたら「不思議ちゃん」だったんでしょうね(笑)
そんな私をいつも救ってくれたのは、お手次寺の先生とのご縁でした😊
今では、ご高齢となられましたが、常に研鑽されているお姿に頭が下がる思いです。人生の師として仰いでいます✨
そして、巡り巡って、高科先生の童画と川口様にご縁を頂き、本当に嬉しく思っています✨
いつか、お会いできることを念じて…😊
暖かいお言葉ありがとうございます。父に寄り添って頂きとても感謝しております。
私のコメントにお返事頂けるなんて思っていませんでした。本当に胸がいっぱいにです。感謝しかないです。有り難うございました。
中島ひと様
感謝などとんでもないことです。
もっとお力になれるような言葉をお掛けすることが出来なかったのかと、自分の不甲斐なさを反省しております。
どうか中島ひと様のこれからの人生。
「諦めず、投げ出さず、クサらず」歩んで行かれることを切に願っております。
合掌
高科 修
お話の全てが、納得です、有り難いことと、ただただ感謝🙏
pole les様
私の方こそ、毎回動画をご覧いただき、ただただ感謝です。
合掌
高科 修
こんばんは!
早速、中村元先生の新・佛教辞典で、一期を調べてみました。
[一期とは一生涯のことであるが、また、修行のために一時期を限るときにも用いる。比叡山では12年間、山にこもることを一期とし、高野山では6年を一期とした。またある特定の修行、例えば常行三昧の実修には、7日から90日を一期とするなど、種々に用いられる]と、記載されておりますが、何だか難解で、高科様の話が、大変解り易く納得致しました。
今回も有難うございました。
加藤真理様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「大変解り易く納得致しました」のコメント。
大変ありがたく、嬉しく拝読いたしました。
ありがとうございます。
合掌
高科 修
@@buddhism_japan 様
こちらこそ、有難うございました。
次回も楽しみにしております。
南無阿弥陀仏 合掌
cyonnmageomuretu様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科 修
こんばんわ^^
いつも、ありがとうございます。
「ただ事ではない」生きていると、これは、ただ事ではないぞ!ということが多々あります。しかし、このように感じるのは、一瞬のことが多いように思います。私だけかも?
色んな出来事が起こり、偶然が偶然を呼び、最悪な結果に終わることもあります。反対に思いがけず、良いことが重なり良い結果になることもあります。
これらは、偶然ではなくて、必然的になった結果ということ。
私は、いかなる結果もなるべくしてなった結果。全てはなるがまま。という風に受け止めています。偶然ではなく、自らが導いた結果だと。これ=必然的な結果だと。
改めて、ただ事ではないという事を感じたならば、多くの出会いや別れであろうが、多くの様々な感情(喜び、悲しみ、苦しみ、恨み、妬みなど)であろうが、それらは全て偶然を必然として受け止めて学ぶことこそ、一期一会ということの本当の意味。という風に理解させて頂いても宜しいでしょうか?
いつも生きるすべを教えて頂きありがとうございます🙏
M Kwaguchi様
ご視聴、コメントありがとうございます。
一瞬でも、
生きていて出会う出来事のただ一つでも、
また毎回でなくても、
それらの事を……
「ただ事でない」と感じれる心があることが、人が人生を生きていく上で、自分の一生を有意義に過ごしていく教え・軸(じく)だと思うのです。
それこそ、だれでもない「自分の人生」を!
種をまかれ種をまく。
その種もただ事でない一期一会なのです。
M Kwaguchi様のコメントにある「~という風に理解させて頂いても宜しいでしょうか?」という問いには、「はい、そうご理解い下さい」と敬意を持ってお答えさせて頂きます。
合掌
高科 修
私には「おかあさん」がいます。
生母はすでに30年以上前に亡くなっています。
そのおかあさんは、元カレの母です。
元カレと別れる際には、本当にみんなを巻き込んで大事になりました。おかあさんには迷惑をかけ、心配させ、その上に3ヶ月も家に住まわせてくれた人です。
それなのに
「今度はいつ来る?」と言ってもらえ
今でも、年に数回おかあさんの家に泊まりに行って、おかあさんの作った野菜だの焼き芋だのと、色んなものをもたせてもらっています。
こんな話、知ってる人は皆、聞くとびっくりします(笑)
ですよね〜😅
おかあさんには元カレとその兄と2人の息子がいます。
元カレは私とのすったもんだの後、家に寄り付かなくなりました。
元カレの兄からは
「なんで別れた彼女がおふくろの家に来るの?」と言われたそうです。
その時おかあさんは
「友達だから!」と言ってくれたそうです。
これがただごとで無くてなんでしょうか。
ありがくてありがたくて
感謝しかないです。
今日のお話を聞いて
改めて
「ああ、おかあさんとの出会いと、今の関係は、私に『お前、気づけよ』と言ってくれている」と感じました。
おかあさんは、若い頃、旦那さんを労災で亡くし、2人の子供を抱え、人に言えない苦労をしてきた人です。
その人の
懐の深さに甘えさせて頂いている自分。
たまの会話で愚痴を聴いたりすることくらいしか、私にはできませんが
私
自分はおかあさんに必要だから、こうやって呼んでもらえているんだな
と、思っています。
おかあさんは近所の知り合いに
「うちのお嫁さん」と言っているそうです。
ありがくて感謝しかないです。
今日のお話
しっかり心にとどめておきます❤
良いお話をありがとうございました。
あきら様
ご視聴、そして…これこそ『一期一会』という、大切で大事な あきら様ご自身の一期一会をお話を下さり、ありがとうございます。
頷きながら、また心を暖かくしながら、また人と人との出会いの有ること難しの『ありがとう』を感じながら、お話を聞かせていただきました。
ありがとうございます。
あきら様にとっての、
『おかあさん』との一期一会は、それはまた、『おかあさん』にとっての一期一会でもあります。
お互いの一期一会が、一期一会を真の一期一会にしていきます。
大切で大事な方と出会われました。
『友達だから!』
『うちのお嫁さん』
と言ってもらっている。
ならば、あきら様も…
『うん、友達だから!』
『うん、おかあさんだから』と言い切れる『私 (あきら様)』でいなければなりませんね(微笑み)
私こそ、良きお話をありがとうございます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
全ては一期一会ですね🙏
pole les様
ご視聴、コメントありがとうございます。
まさに、その通りだと思います。
このコメントのやり取りも一期一会だと感じています。
合掌
高科 修
きようもひとことひとことべんきよさせていただいていまずありがとうございます
佐藤和子様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
私は結婚して一度も旦那のお母さんに会った事がありません。旦那の両親は離婚していてお母さんは再婚しています。お父さんからはLINEで時々お願い事をされて実家に行ったり旦那の愚痴を言ったり親しみがありますがお母さんは旦那が時々私が用意したお土産を持たせてお母さんに会いに行きます。するとお母さんはお金をぽんと旦那に渡します。普通なら一度連れてきなさいとか、会わせるとかないのでしょうか?私は嫁としてきっと認められてない気持ちでいっぱいになります。確かに年上の子持ちで再婚でした。器量もよくなくじまんではないかもしれませんが、たまにはお母さんに会いたいだろうと気を遣ってわざと用事を作りお土産を用意して旦那を出します。もう何もしなくていいのでしょうか?私なりに頑張っていますがお母さんとは一期一会にはなれないのでしょうか?
中村友子様
旦那様のお母様はご自分のお立場をしっかりと自覚されている方ではないかとお見受けいたします。
なぜなら、旦那様のお母様は、我が子を自分の手元には置かず離婚したのですから。
様々な事情・複雑な思い・どうしようもない現実…その事は十二分に推察できます。
その事を責めているのではありません。
母親ならば血の涙を流しての決断であったと思います。
旦那様のお母様自身には、誰にも話すことの出来ない懺悔の気持ち。後悔。辛さや悲しみがそれこそ渦巻いていることと思います。
その方が今、なぜ、ある意味母親であることを前面にだして、我が子と接する事ができるでしょうか!
そこに、ある程度の距離を置き、ある程度の節度をもって接して行くのは至極当然の事だと思います。
私(旦那様のお母様)に会いに来てくれるのは嬉しい、けれど…
そこには母親としての後ろめたさ、再婚しているという事実からくる様々な人に対する遠慮。
それは自分の息子さんの奥様でもある中村友子様ご自身にも及んでいると思います。
言葉は汚くなりますが、一番分かりやい表現で言うなら
「どの面さげて、お嫁さんを見せて下さいって言えるのか」
その思いがお母様にあっても不思議ではないのではないのでしょうか。
中村友子様が、年上の子持ちだとか…再婚だとか
…器量がどうとか…自慢がどうとか…などは一切関係のないことだと思います。
このことは、ある意味、中村友子様なら一番お母様の心を汲み取ることが出来るのではないでしょうか。
なぜなら、貴女様も再婚だからです。そして幸いな事に中村友子様、貴女は我が子を手元に置いたままの再婚です。
どうかご想像してみて下さい。
中村友子様が我が子を手元に置かず、手放して再婚したことを!
複雑で複雑でどうすることも出来ない感情にさいなまれるのではないでしょうか。
旦那様のお母様は、今、絶妙なバランスの中で旦那様と、そして会ったこともないと貴女様が言われる貴女(中村友子)様と、実はお付き合いをしておられるのです。
そう言う意味で、旦那様のお母様は「自分の立番を理解している」とお話いたしました。
どうぞ、中村友子様はそのままで、何かをしなければならないとか、何かをするべきだとかに囚われず、旦那様の実母(生んでくれた母親)として、するべきことを、相手立場を考えながら行っていけば良いと思います。
一期一会は、仲良くしようね!仲良くなりたい!という教え、考え方ではありません。
出会いが「ただ事でない」という、その出会いから様々な事を自分自身が気づかせてもらうという教えです。
今、正に、中村友子様と旦那様のお母様は「一期一会」真っ只中だと私は感じています。
合掌
高科 修