ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
東北の歴史を取り上げて頂いてありがとうございます。このアテルイの物語は本当に面白いので、もっとクローズアップされて欲しいですね。
ホントですね。掘り下げて行くと実は、アテルイの祖先が天皇の正統な継承者だったとかにたどり着いたりします、よね❗、よね⁉️、、、まだ真実をおおやけにするのは早いかもですが、いずれにしろこれから正しい歴史が解明される公開されるのが楽しいですね❗
阿弖流為を取り上げた動画があっただなんて!とても嬉しいです♪
40年程前、小学校の時に今の奥州市に母体(モタイ)と姉体(アネタイ)と言う地名があり先生が『遥か昔の朝廷と戦ったこの土地の英雄の母と姉の身体を埋葬した場所だと思う』との趣旨の話しをしてたな
姉帯さんってお名前の方もいらっしゃいますものね
通説では母体と姉体はそれぞれアイヌ語のmo-tay(静かな林)、ane-tay(細い林)で解釈されてますね。地名はそのほとんどが地形に由来するそうです。
あねたい地区はメジャーリーガーの大谷が生まれた場所では😊?。
このような素敵な動画を作成してくれる方、日本人が出てくるのを待ち望んでいました。ありがとうございます。
現場の人間の想いを上の人間が知ろうともせずに踏みにじるのは今も昔も変わらんね
征服者視点となりがちな歴史紹介ですが、フェアな視点で新鮮でした。
奥州平泉から少し行くと鬼の岩屋がありまして、中々に素晴らしいですからお近くに行かれたら寄って見学されるといいですね。
コロナ収束したら行ってみたいですね。
阿弖流為を取り上げてくれるなんて地元民としては嬉しい限りです。
戦前は、阿弖流為は反逆者扱いだったそうで。大和朝廷の方が侵略者だったのに酷い扱いですよね。
@@pontarou01 だって殆どが大和朝廷に従って居たのに協力してくれないから…
@@pontarou01 実際大和朝廷からしたらそうだから間違えていない
@@得川康勝 大和朝廷が侵略者って言うけど、冷静に考えれば、現在の一つの国家としての日本を否定してるのと同じなんだよなw
@@yskztkhs7986 元々東北は日本じゃなかったんだけど?
最近読んだ小説で阿弖流為や母礼の事を知りました。これまで全く聞いたことのなかった名前で興味があったので、助かります。
東北地方では、今も英雄として有名です。
歴史の動画は数多くありますが、中でもわかりやすく、急がせない点を評価させていただきます。昔、アテルイの一代記を読みましたので、懐かしく拝見しました。最終的に処刑されてしまうことは覚えてましたが、公卿たちに反対されてのことだったとはこちらの動画で再認識しました。現代を顧みれば、活性化しない一部地方の頭の固いお偉いさん達が、結局その地方を衰退させてしまっていることに気付かない、ということを連想してしまいました。一つだけリクエストさせて下さい。文章の背景を、その部分だけ文字とは色の違う細長い帯を作っていただければより読みやすくなるでしょう。音声よりも文字で理解する方ですので、ぜひご検討下されば幸いです。ありがとうございました。
東北蝦夷を原始的な生活をしていたと勘違いをしている人もいるが、蝦夷は文明人。弥生時代には青森県まで稲作が伝わっていたし、蝦夷は馬を乗りこなしていた。それに、日本刀の原型になった蕨手刀という馬上で使う鉄器(刀)を使っていた。蝦夷は可哀想な先住民ではなく、東北で独自の文化を発展させたれっきとした日本人であり、武士に大きな影響を与えた。
蝦夷は日本人じゃなくて東北人…
@@電卓-q4u東北人は日本人やないて???
@@居合あんチベット族は中国人?
誇り高き蝦夷
F県には“田村”市があり、坂上田村麻呂伝説も各地にあります。白鳥に導かれた…白鳥神社、怪我人を運んだ船引、鏑を荒った大鏑矢神社。坂上田村麻呂自身も、大和と蝦夷の混血で非常に体格がよく(2mとも)戦争にはもってこいのシンボル的存在だったようです。でも、半分は東北の血が入っている自分の手で、その東北の地を征圧殺りくしていくのは…辛かったのだろうと思います。
混血児の辛いところは、そこだろうね。どちらも肩を持ちたいのが本音でしょう。ところで、坂上田村麻呂の子孫が田母神俊雄閣下だと聞いたことがあります。閣下は身長低いように見えますけどね😅田村麻呂時代と、食べてるものが違うからでしょう。福島県出身の有名人には、田村麻呂さんの子孫がいるかもですね〜
道路の発展とともに守りやすく攻めにくい点と、大陸よりは寒くないけど大体寒冷地かつ湿地帯という特徴が薄れていった。東北は米が作りにくい土地なのに、実質的な米本位制が長い上に主食が米というハードモード、芋煮や濃い漬物の発展してたとはいえメイン作物には出来なかった。昭和時代まで飢饉が起こるほど開発も後回しで遅れてしまった…。
私の母方の曾祖母が産まれた時が飢饉で、危うく間引かれるとこだったそうです。南会津のお話
江戸時代は米石経済でお米がお金に相当でした。東北各藩が換金作物の単作の稲作を奨励して気候変動に左右されて飢饉を招いておりましたね! 雑穀や芋類の栽培と稲作を組み合わせたら、飢饉を避けられと思います。 太宰治の作品津軽に飢饉のことが記されております。 行政と農政の失政🤣
自分はこの碑の前にお酒とお水を供えてきました。そして無念な思いで散った御霊に手を合わせて来ました🙏
ありがとう
もののけ姫のバックボーンにも深くかかわっている人ですね
枚方市の阿弖流為の首塚もお忘れなく。
もっと早く清水寺にあるって知ってたら中学生の時の修学旅行で見たのになぁ
勝てば官軍 これは本当に切ない事ですね、歴史の改ざん 真実は何処に…
賛同致します🙏 歴史学は未熟と思量致します😭
勝者の特権だからね仕方ないね言葉の語源である明治政府の末路が勝てば官軍判定の東京裁判で断罪されるのが歴史の皮肉
@@司偲 明治では正式に南朝が負けて官軍(正統)にしたりしてるけど。日本は世界一?負け犬に優しいじゃないかな。源義経、楠木正成、西郷隆盛とか負けた癖に日本最強クラスの英雄になっている。神話でいえばオオクニヌシもそうだね。
書いたあとに気づいたけど義経、正成、西郷に対した、源頼朝、足利尊氏、大久保利通は勝ったくせにクソ人気なくて笑った(笑)やっぱり日本人は敗者に優しいね。
@@bigshot088尊氏ニキはあれはよくわからん。。なんかいろいろメンヘラすぎて。。
命の保証を約束されて都に連れ行かれたのに処刑された阿弖流為と母礼の無念と恨みは、想像を絶します!阿弖流為達とは直接血縁ではないかもしれませんが、奥州藤原氏の大ファンの私は、田村磨呂ゆかりの清水寺に阿弖流為の碑が建立された時は、とても嬉しかったです。
朝廷の官僚達は、アテルイの処刑を激しく非難したそうです。降伏した者を処刑したので。桓武天皇も心が狭いですね。
@昆布 私が昔読んだ本にはそう書いてあったんですがねー。アテルイ扱ったTVドラマでも、そうでしたよ。
@@pontarou01 だって生かしといたら東北で連合王権作られて脅威になったらとんでもないですよ…
@@黒狐-t8l 今からでも遅くないから東北は日本から独立しよう!。
@@電卓-q4u そんなの無理だよ…ただでさえ北海道にロシアの脅威があるのに…
枚方市の阿弖流為の首塚にお参り致しました。東北出身ですが、関西のタブー的事情をお聞きして、日本はどこも同じでない事を認識いたました。DNA解析で、アイヌ系・縄文系・ヤマト系・オキナワ系の4グループの現存が報告されてますので、日本史の強い偏りは修正が必要だと思っております。
最近のDNA解析では、「1 縄文人」「2 弥生時代に渡来してきた人(中国南部系)」「3 古墳時代〜奈良時代に渡来してきた人(中国北部、朝鮮系)」「4 アイヌ人」「5 沖縄人」の5パターンに分けられるみたいです。今まで本土日本人は縄文系と弥生系のミックスだと考えられてきましたが、最新の研究では縄文系、弥生系、渡来系の三重構造みたいです。
それも違う。。もっと家伝とか分類するとガチガチに権力闘争入るから、系統もっとわかられる。。。なんなら、皇家でさえ、ニギハヤヒとニニギにわかれてまう。。
感謝致します。
蝦夷は歴史でもあんまり語られない存在だよねまあ朝廷に取り込まれて蝦夷の民族性や文化はほとんど残らなかったのかなアテルイとモレを生かそうとした田村麻呂は素敵
沙織ちゃん ♡、日本史の時間では坂上田村麻呂の蝦夷討伐はあっさり終わってしまいますが、この様な経緯が合ったとは知りませんでした。そして碑については、清水寺には何度も行きますが知りませんでした。素晴らしい動画ありがとうございます。
悪路王伝説がありますね 清水さんの滝のすぐ近くに阿弖流爲と母礼の碑があります 建立されたのは比較的最近です
2:28のカイ・クイって…ユパ様が連れていた鳥の乗り物では、ナウシカがユパ様を助けた時に「カイにクイ、私を覚えてる?」って台詞があった
アシタカてエミシ村の生まれなんだ知らなかった
わからなかった部分が理解できました。ありがとう。
中々そこまでは授業にはなかったですね。興味深いですよね。
本で読み、なんて東北の歴史は悲しいのだろうと思いました。その後の藤原三代もそう悲しい結末。東北の歴史は美しくも悲しい物語が多い…
勉強に成りました
「有史」以降、常に関東~東北の地は都から見下されてきました。時代は下って明治維新の時にも東北の地は「官軍」によって蹂躙され、多くの無益な血が流れました。平和で実り多き豊かな東北の地は、関西から見ればいつも収奪すべき未開の地と映っているのでしょうかね?現代でも尚、東北の地は政治の中心地から一段低く評価されているようで、悔しいです。
明治維新以前の戦国末期にも、秀吉に弓引いたと言われる武将が居ますよね。今の岩手県の九戸(くのへ)地方の領主だった「九戸政実(くのへまさざね)」と言う武将。元は、三戸南部家の後を継いだ「南部信直」との争いだったのだが。その三戸南部氏と同格で、精鋭部隊だった九戸政実公率いる「九戸党」や諸将を抑えきれず、秀吉に援軍を要請。そして秀吉が秀次を総大将とし、欧州仕置き軍を派遣。その数は六万とも言われる。片や九戸勢は九戸政実以下、五千の兵が九戸城に籠城。天然の要害と組み合わせられているため、仕置き軍の攻略を次々と打ち破るも和睦と見せかけた計略にかかり敗れる。なんか阿弖流為と同じく、中央政権に屈した感じですね。
東北って昔から見下されて悔しいよね
随分前ですが、サントリーの会長さんが、熊襲、蝦夷発言して大騒ぎになりましたね。九州の人は謝ったら許してくれたけど、今でも東北地方ではサントリーのお酒はあんまり売れないそうです。関西の方では今でも東北地方をバカにしてるそうです。
@@ノンアルコール-j8h まぁっ、西国の人々が、それを望まず潰してきたと言うのも在りますね。阿弖流為の件も、坂上田村麻呂は共生を望んで連れて来たと言われています。しかし、時の朝廷の側近達は、それに反対したとされる。そして坂上田村麻呂の想いも空しく、阿弖流為もモレも処刑されてしまった。その後、坂上田村麻呂は役職を退いたとされてます。ちなみに、これ以後の時代は、西国や関東方面から東北に所領を得た武家達が来てます。それこそ、甲信越地方からも南部氏や安東氏の祖となる武将が下向してます。かの九戸政実の九戸党の一人で、我が出身地の領主の「小軽米(こがるまい)氏」、元は武田姓との事です。つまり、関東地方の出と言う事。
関西から見れば、あまりにも遠すぎてどうでも良い存在。方角を変えれば東北より外国の方が全然近い。
最近封印された歴史を調べています。欧米が原住民を殺したり奴隷にしたりとむごいものだと思っていましたが、日本でも同じような事があったと知ると涙がでます。
ともちがうね。むしろ、東北は東北で東北安倍家(アテルイ系の直系庶流)なんか藤原氏などに影響力もって出てきた総理が安倍晋三。千年単位で、宗家なんかは九州とかの方とも権力闘争してるからな。。わいの家は逆に東北の方に嵌められて一族郎党500年間くらい山に隠れてたからな。中央にいても負ける時は負けるんよ。
でも、内容がやはり違うと思います。(欧米のそれとは、)我が生まれし地東北の歴史の一端と、田村麻呂の心有る対応、そして今に続く想いが清水寺の石碑として有ると言う事。すごい気づきと前向きな歴史解釈と情報をありがとうございましたm(__)m。
非常に悲しい話ですが、まだ日本列島全体が支配されていない時代。武力による領土拡大は当たり前だったと思います。私は今の時代の尺度で物事を見ないので。ただそれぞれの正義の元、戦った者の気持ちは年齢を重ねる度に解るようになりました。アテルイと坂上田村麻呂の友情秘話は漢の詩です。
坂上田村麻呂って もっと冷酷な人かと思ってた! 敵も哀れむことができる武人だったんだね! さおりさん、いつもお話ありがとう!
坂上田村麻呂はとても心の優しい人だったそうです。中国の王族の子孫だそうで。
@昆布 桓武天皇の子孫の平将門や、平清盛はとても心が優しい人でしたからね(それが原因で滅びちゃったけど。)先祖の桓武天皇もきっと優しい人だったんでしょうね。
坂上田村麿は蝦夷とのハーフだと聞いたことがあります。母親が福島県田村市あたりの蝦夷。大和朝廷は蝦夷の血を引く田村麿を蝦夷と戦わせ、自分の手は汚さずに、降伏してきた阿弖流為とモネを晒し首に。その頃の朝廷は縄文系ではない、野蛮な大陸系の影響が強かったのかもしれませんね。
@@sanaesato-b3x 日本書記や古事記の12代景行天皇から14代仲哀天皇の后の神功皇后までの九州の歴史を読み直すことをお勧めする。ヤマト王権に従わなかったり、反乱したり、税を納めない勢力は基本的に誅殺。
@@yo2trader539 当たり前ですが
チャンネル登録させてもらいました。声もおちついて綺麗で聴きやすいです。声の仕事をされているからなのかな?
宮城県の多賀城市辺りは日高見国と言って、イザナギの代までは大和の首都のようなところでした。だから蝦夷は異民族などではなく、熊襲と同じように中央政府に税を納めなくなった豪族でしょう。
多賀城跡付近が古代大和の首都で御座いますか❗️ 地理的にはさもありなんでしょうね🎵 蝦夷も熊襲隼も異民族では御座いません。 縄文人の本流で御座います🙏
記紀では天孫ニニキネが初めてこの世に降臨し、そこが高千穂ということになっています。日高見国はそれよりずっと前のことです。即ち記紀でいう高天原のことです。
信じるかどうかは個人の自由ですが、これはホツマツタエという古書に書いてあることです。
@ぶりぶりうんち ホツマツタエが偽書なら、それを書いた人は神です。あれだけの内容を創作できる人なんかいる訳がありません。
@ぶりぶりうんち 日高見国については大和(畿内)を治めてた第12代景行天皇が武内宿禰(たけのうちのすくね)っていう人物に東国(関東~東北)を視察させた際に武内宿禰が、「東に日高見国という国がありました」って報告した話が有名(日本書紀の記述)だから日高見国=大和(畿内)とはならないんだよなぁ…。
蝦夷は縄文より前から住んでる思いっきり東北人と北海道人ですが、アイヌは鎌倉時代頃に北海道の山奥に住み着き出した北方民族なので、部族としては全く別です。アイヌは鎌倉時代からなので先住民族でもありません。その辺の認識が無い政治家がごちゃごちゃにかき混ぜてるのが現代の問題です。
アイヌ民族が先住民族説あるが、アイヌ民族って、先住のコロポックルに「呪われろ!トカップチ!(今で言う十勝)」って言われたらしいから、先住民族のことを言うならコロポックルの方が先なんだよね。呪いをかけ、恨み節をたれる、感情的にキレやすい背の小さな人が先にいたわけです😅ただ、アイヌ民族は穏やかな性格してるから、親しみやすいと思う。
宮沢賢治もアテルイについての詩を残している。東北の英雄。敗者の魂を慰め、その碑を建てるのは日本の美風であり、大陸シナと大きく異るところ。向こうは墓を暴き敗者を無に帰させる。
ところが坂上田村麻呂は後漢の皇帝の子孫なんですよー。応神天皇の時代に帰化した一族であることは坂上田村麻呂の父自身が語っている通りです。
@@いいいん どこの出典ですか?
清水寺にある阿弖流為・母禮の石碑は日本人というより岩手県胆沢周辺出身の人達が作ったものだけどね。
蝦夷エミシは宮城福島秋田青森岩手エミシ言う
東北人、口悪すぎだろw
コメント欄が現在のアイヌ問題までに発展しちゃいましたね。歴史問題は難しいです。
問題は全く関係ない在21らなどが自称アイヌを騙り、この連中らが認めた者らがアイヌ民族末裔を自称し、様々な利権を得てる事ですね。強制送還も出来ない状況では、やがて阿弖流為もおなじような事がおきるでしょう。
ナレーションの声がとても聴きやすくうまいと思いました。アテルイとモレについて知ることができました。つくづく時の権力者はくそだなと思います。大和だけの征服で満足したらいいのに、大仏の金のためとかしょうもなさすぎる理由で東北何度も何度も攻めてきて。ひどすぎると思う。現在の東大寺の大仏の見物人にみんなに知っても欲しいと思う。
大仏建立の為の金の他に、馬(現在の自動車・軍需産業)、蕨手刀(日本刀の原型で鍛冶の技量が秀逸、現在の軍需産業)についても東北はずば抜けており、朝廷はこれらが欲しかったそうですね。
"しょうもない"というのは、今の我々の価値観であって、当時の"信仰"としては重要だったでしょうし、今よりも神仏が重要視されていたと考えれば分からんでもないなぁと。ただ、「金がないなら奪えばタダやん!」ってお上の考えはクソですが。
アテルイなどの東北の歴史は学校の教科書でもっと大きく扱うべきだと思う。西日本でのアテルイの知名度が低すぎる。
アテルイや平将門、西郷隆盛のように、政府に弓引いた逆賊が後の世に英雄として評価されるのはよくあること。現代の世で悪人とされている者が、もしかしたら後の世で再評価されるかもしれない。
その通り。田中角栄がそうなりつつあります。
本吉覚 田中角栄は今結構評価されとるからな
視聴率が取れるかは怪しいけど、こういう話こそ大河ドラマあたりで取り上げてくれれば認知度は格段に上がるんだけどね。
1993年の大河ドラマ『炎立つ』。当時は不人気だったようですが、同名の高橋克彦さん原作の歴史小説は三部作となっており、読みごたえもありとても面白いので、機会があれば是非。
@@kotobuki6620さん それ、覚えてますよ。東北新幹線開業記念で制作されたと記憶しています。渡辺謙さんと、村上弘明さんが主人公でしたね。確か3部作になっていて、1,3部が渡辺謙さん、2部が村上弘明さんだった筈。小説も、当時読みました。
@@kotobuki6620さま ありましたね‼️クリームシチューが前の名前で出ていた様な私の父の出身地の多賀城市が出てきます☺️
はじめの方にあるエミシとアイヌの関係部分は不要でしたね。アイヌとは13世紀(鎌倉時代)ごろにシベリア東部から樺太経由で戦乱などから逃れてきた、現代の言い方だといわゆる『難民』です。自分も最近までアイヌとはエミシが北海道まで逃れてその生活様式を引き継いだ部族だと思っていましたが、その考えは間違っていました。一方、アテルイたちエミシはまごうことなき縄文時代から生き続けた「日本人」でした。
この説にはDNAの鑑定結果の証明はあるのですか?
北に追いやられた縄文人が生きてゆくために必死で他国と国交を続け、移民と交わる中で彼らのDNAが入ったのです。なぜ親類を区別したがるのでしょう。
DNAではアイヌにオホーツク民族の血は大して入っていないのでは?特に、本州アイヌには全くDNAが混じっていないとか。そもそもオホーツク民族(ギリヤーク)は歴史的に好戦的な民族であまり交易なく、奥尻島で阿倍比羅夫と戦闘になったりしてました。まあ、それでもアイヌはイヨマンテなどの風習を彼らから取り入れていましたが。というか、アイヌ人や蝦夷は母系家族で、基本的に通い婚だったから(これは平安時代の日本人の貴族階級すらそうだった)血が混じりやすいんだよね。奥州藤原氏なんて父系が日本人で母系が蝦夷なら葬送の風習がアイヌ的であっても矛盾はないし。いいとこ取り。
福島県でも「桜本」とか「北原」とか、アイヌ語で読み解くと「崖っぷち」等、地形と地名が一致する場所がたくさんあると聞いています。アイヌ語の「カムイ」は日本語の「カミ」だし、アイヌの方々は北方から来た方々との混血もあったかと思いますが、縄文人を色濃く残す、平和と大自然を愛する尊敬すべき方々だと私は考えています。オノマトペもアイヌ語からきてるかも。「ピカピカ」と「ピリカ」(美しい)、つながり、あると思います!
@@sanaesato-b3x 猪苗代、信夫、五十嵐、安達太良もアイヌ語だそうです。
東北新幹線建設する時に、東京の人達が反対してて「東北なんかに、新幹線通す事ねえ!」って言ってたのが忘れられません。言うに事欠いて、東北なんかに〜だもんね
その様な発言は、東北地方育ちのかたの故郷を卑下するかたの感情移入と思量致します❗️ 日本地図を一見しますと、東海道新幹線の次は東北新幹線の敷設が自明の理と言えます。 明治の御代の鉄道敷設でも東海道線の敷設の1年後の1891年に東北本線の敷設でしたね✌️ 東北地方は重要視されてまいりましたね🎵 何かしら、ひねくれておりますね😄
@@中野善行-h6t 会津の方は東北新幹線出来たおかげで逆に不便になりました、出来る前は直通の急行、特急が1日に何本も出てたんですよ。今は浅草駅発の私鉄が会津若松迄出てるんで便利になりました。
@@pontarou01 交通網の革命は時間軸の日本地図を激変させておりますね❗️ 国家経済に莫大利益をもたらしてながら、部分的には凋落をもたらしてがっかり😥 インテリを売り物にするとある県の知事さんは、世界的な革命の交通体系の敷設を妨害しておりますね。 明治の御代にも蒸気機関車は火事🔥をおこすと大反対がありました😭 日本人は土人でございます。🙏👋
@あ 「東北特権~」とかいう奴コメント消して逃げてて草。
@@中野善行-h6t 東北の事そんなに重要視されてないでしょ。
蝦夷とアイヌの両者は同一ではないと考えられるが、擦文文化や続縄文文化の時代に東北地方あるいは関東まで南下していた可能性は大いにあり、地名や防人の方言などから言語的な共通点はある。また江戸時代まで津軽に少数の本州アイヌ民族が存在した。上古の東国あるいは東北に住んでいた人たちは渡島と大和の境界の民であり、バイリンガル的な存在と考えられる。蝦夷をはじめとして記紀や風土記に出てくる辺境の民を縄文人の末裔として解釈している人がいるが、おそらくもうこの頃には弥生人とほとんど同化しているとみられる。(奥州藤原氏のミイラ、あるいは古代の記録では獰猛で肉を好み穴で暮らしていたなどと記載されているが、華夷思想に影響を受けたものである)面白いのが、日本海側に住むものを北の異民族にあてはめ蝦狄、太平洋側にすむものを東の異民族にあてはめ蝦夷と呼んでいた。あらえみし、にきえみし、都加留、みしはせ。
朝廷側が優位になったのは荘園制度で、そこに八幡神社を建立し、徐々に農耕生活へと移行させたのと、戦いの度に戦いに関係のない民家を焼き討ちにしていったため、阿弖流為とモレは民のことを想い自ら首を差し出したのです。けっして負けていたからではないはずです。荘園と八幡神社の流れを追うと面白いことが分かってきますので、ヒマになったら戦地に近い八幡神社を訪れてはいかがでしょうか。いずれ、この戦いは、大陸系の弥生系の民族が縄文系の民族を圧していくという流れだったようです。また、坂上田村麻呂の母は福島県田村郡の縄文系の流れだそうです。彼が北の地に深い繋がりがあったからこそ、阿弖流為らの想いに感銘し、処刑をしないよう嘆願したのではないかと考えてます。
先住民という呼称は適格性を描いていると思う。”先住民族”と混同して紛らわしい。始めから部族として表現することが適当では?
宮城県には戦いの地名が今も残っていますよね!
NHKのドラマでも放送していた。首塚が 枚方市にあるので 身近に感じた。坂上田村麻呂も 偉い 約束通りに 守る所もいい。
当時のヤマト朝廷にとっての敵対した北天の雄「阿弖流為」と「モレ」は「蝦夷」連盟軍として当時の朝廷軍は大将坂ノ上田村麿(この当時では有史初の征夷大将軍と言われている)ら戦った
日本版『ブレイブハート』ですね👊
坂上田村麻呂 良いリーダーだったんだなぁ。
とても聞きやすいよいナレーションですね。勉強になりました。興味深かったです。蝦夷とアイヌは同じかと思ってましたが違うのですね…アイヌ語の地名が九州にまであるとか…
天文シュミレーションのスパコンの名前がアテルイです!アテルイって歴史的人物だったんですね、知りませんでした。未来のアテルイが宇宙を解き明かしてほしいですね!
私は出羽国羽黒山麓の村の出身でチャシと同じ形態のの史跡がある地域がルーツ。このような久々のヒット動画が登場したことに明るい未来を感じます。最近ではアイヌ民族は北海道の先住民族でないなどというカルトなグループが跋扈するようになりました。
北東北にはチャシと似た形態の史跡がいっぱいありますね。江戸時代の菅江真澄(この人は北海道に実際に行った)が既に指摘しています。「先住民族」云々はそう思いますね。ネットで論争しても、論理的な会話にならず強弁ばかりになるし…
この情報どこから入手してるのかな?凄すぎ!!
北は蝦夷氏南は南は薩摩隼人が猛威奮っていた!更に鎌倉時代まで東北地方は動乱状態だった
解説ありがとうございます。日本には標高3000m内外の峻険な山々。深い峡谷で削られた谷が構成するフォッサマグナが存在します。近畿地方から簡単に移動出来たのでしょうか?私は無理だと思います。以前親不知海岸を徒歩で歩いたからです。ほかにも安房峠、野麦峠などがありますが大軍が移動するのはまず無理です。日本はフォッサマグナの東と西で別の国家が存在したと考えられませんか?日本海沿いに船で出るのは可能ですが大軍勢を派兵するのはまず困難かと考えます。東海道が整備されたのは江戸時代末期。西と東が決戦を行う可能性は低いと感じます。東国は日高見国であり首都は会津若松であったと推測されます。結局明治維新でも東北は抵抗し完全に制圧出来ていません、
アテルイねこの話をきくと心が揺さぶられたかな! その頃の過去にかつていきていたかもしれないね朝廷側か蝦夷側かはわから無いけどね。
いつの時代も敗者側の人間に哀愁を抱くのは私だけでしょうか
歴史認識が間違いです。東北地方は大和朝廷(大和王朝)とは全く異なる「日ノ本の国」で違う国。首都は「日本中央」と呼ばれた津軽。十三湊はトミ湊が元来の読みで、出雲王国と先行大和王朝(大彦)の流れを汲む(直系)安東氏が大王家。「日ノ本国」は緩やかな大王家の安東氏一強の専制ではなく、各地の首長による合議制。それゆえに1000年?も存続できたそ大和王朝側は日ノ本国を自分たちの意に沿わない塞外の勢力として、蝦夷(エミシ)と呼んだ。実のところは同じルーツの同族同士。
のちに奥州平泉とかに発展して、源義経を迎え入れるんでしょうか?あの話、義経がいきなり東北目指すのがよくわからなかったのですよ。
阿弖流為らの抵抗があったおかげで、その後、奥州は税さえ納めれば自治を認めるという措置が取られたんですよ。朝廷の出先機関の役人とはうまくやりながら、力を蓄えることが可能だった。藤原氏などは、産出する金のおかげで財力があり、公家などにも金を配って懐柔し、都でも政治力を発揮していた。当時の奥州は半独立国のような状態だったので、中央政府と対峙するとしたら、むしろ奥州以外に選択肢はなかったかも。奥州藤原氏は外国とも取引があったので、或いはその力をあてにすることも考えたのかもしれません。
義経のお母さんの常盤御前が、奥州藤原氏と縁があったからと言われています。
もののけ姫の時代考証を解説してみたら面白いかも
東北線の快速アテルイに乗りますか。
朝廷軍はひ弱な農民軍しかいなかった?坂之上田村麿になった時から豪族から兵員導入したりあらゆる策を巡らし弱体化させた❗
読み手の方が美人さん😌チャンネル登録しました!
英雄は英雄を知る
「蝦夷エミシ」は大和朝廷側からみた東北地方北海道の日本先住民の呼び名である。
@あ どういう事ですか?。
蝦夷って意味は、昔は尊かった者という意味だって研究者から聞いた。
最期の「塚」は大阪の枚方(ひらかた)にある首塚と言われている画像ですね?処刑されたのがこの辺りだったという言い伝えから建てられたとも聞きますが、これがちょっと神がかってまして、1970年代の話なんだそうで、とある女性から夢で北の人が苦しんでいる。きっと浮かばれないんだろう。昔この辺りでなにかあったのか?という電話がかかって来たそうです。受けた職員が本気にせず「昔、エゾの酋長が斬られた話がありますから、そんな関係でしょうか。」と言ったところ、きっとそれだろう、ちゃんと供養してあげて欲しいと。その場所は昔、神社の境内だったそうで、代々宮司から口伝で伝わっていた話だったんだそうで、文献等が無い限り日本の考古学では認められませんので、未だに「伝」とあるそうです。
まじか!
心霊系のネタに出来ますね。
坂之上田村麿もお願い致します🙇
東北地方の雄アテルイ、それを滅ぼした坂上田村麻呂をたたえ祭る(たしかその様に聞いたような)「ねぶた」・・・えーーっ!!そんなの青森でやってていいの?。※間違った情報だったらごめんなさい。
朝廷は、朝鮮からやってきたから、朝の漢字を使います。
その頃は朝鮮は無い!!
って事はアシタカはアテルイの子孫なのかな?
せやで
武士の起源は俘囚ともいわれますね。
アイヌは13世紀頃に元寇に攻められ、樺太から流入してきた人々で、蝦夷とは関係ありません。私のご先祖は蝦夷で、800年ほど前に現在の地(鶴岡市)に定住したと口伝が残されています。ちなみに私の守護霊も1200~1300年前の蝦夷の女性だそうです。(友人の霊能力者に教えられた)
清水寺を建てたのは阿弖流為と共に連れてこられた500人の技術集団。
清水寺って阿弖流為が降伏する前から建ってなかった?。
田村麻呂は東北の方を睨んで立ったまま埋葬されてるんだってね、なんかなあしんどそう。
では家康と逆ですね
「アテルイ」を平坦な名前で呼ぶのではなく、きちんとした発音で紹介した方が良いです。アテ⤴ルイが発音です。とても良い動画でMCのかたも感じが良いので平坦な呼び方をされてしまうと歴史をきちんと説明されても受け入れられない場合があります。私たちは古来からきちんとした発音で学んできたはずなんですよね。発音までと言われてしまいますが、私の父系は蝦夷の家系ですのでキチンと伝えてほしいのが実情です。すみません、よろしくお願いいたします
大変、勉強になりました😆👍✨‼️沙織さん、とっても美人ですね(*^ー^)ノ♪
エミシ勢力にはモレって何人いるんだろ?モレって人の名前?
今の大河は、秀吉や家康、信長と知り尽くされてる話ばかり❣❣もう、見るきも無いです!!こういった知られざる話を題材にすればきっと大河の視聴率も伸びると思うんだけな~
アイヌ人は今の研究では大陸からの渡来人が定説に成りそうです。
エミシが、自分達のことや我々をカイと呼んでいた。アイヌも我々と言う時、カイと言います。順って、同じ言語を使っていた同じ民族であると言える。
モンゴル帝国はアイヌ人を苦夷(クイ)と呼んだ。ロシア人はアイヌ人をクリルと呼んだ。(だから千島列島=クリル諸島は、ロシア的には「アイヌ人の島々」)まあ、何か関係あるんでしょうね。多分「か」と「く」の中間あたりの発音だったと思う。
36 Ti 私はモンゴル帝国の言葉のことを初めて聞きました。カイとクイは同意語でしょうね。単に鈍っただけと思われます。アイヌの言葉の意味は人とか人間だと聞きました。アイヌは文字を持たなかったと言いますが、私は違うと考えている。アイヌ人でも一部の人々は文字を使っていた。それはほんの一握りのアイヌしか読んで理解することができなかったのではないか?北海道の手宮洞窟などで象形文字らしきモノが見つかっている。私はアイヌ人が明らかに北海道の先住民族だと確信しています。
古代の東北地方の部族は蝦夷と呼ばれていました。彼らは毛人と云われ、身体的に毛深い特徴が指摘されているので、縄文系の集団と思われます。東京にいた頃、青森県出身の同僚がいまして、彼は彫りの深い顔で色白でありましたが、彼の腕の剛毛さに驚きました。彼と同郷の友人は普通でした。大和朝廷の東北征伐から800年以上過ぎた現代に於いても、縄文人の体質を強く受けついでいる人の存在に驚きました。彼のような特徴は沖縄人にも見られます。縄文系の血が濃いと云われる沖縄県民との共通性が伺われます。
私は阿弖流為はアイヌ民族ではないと思う。岩手県民は県内地域の多くがアイヌ語由来だというのをおかしいと思わないのでしょうか。
おかしいかな?
最近の研究だと更に細分化されてて別らしいですね山の民みたいな感じですかね?アイヌ語由来の可能性ありな地名も、沢山残ってる北東北全域と、南東北から東日本にかけて南下するごとに少なくなるが点在化
坂上田村麻呂も蝦夷の説もあるみたいですね!
大毘盧遮那仏だいびるしゃなぶつと読むんですよ~!
次は「熊襲くまそ」「隼人はやと」お願いします(*゚▽゚)ノ
蘇我蝦夷と言う人物がいる事は多くの人が習っただろう、弥生時代、物部、大友、中臣、蘇我氏等神武天皇以前、紀元前に移住してきた渡来系民族が東西に分かれて戦ったが、「カムイ」などはヘブライ語で「神」と意味が通じる、安土桃山時代に多く移入したアイヌは東北北海道の豪族の言葉を継承。なのでアイヌは先住民ではない
KamuiKami
3分15秒あたりの写真に向って右から3人目の男性は体格、顔立ちなどが典型的な縄文人だね!たぶんオホーツクの血も混ざってない100%縄文人DNAだと思う。まだ交通の便が未発達だった50年前の北東北[青森 秋田 岩手]の片田舎に行くとこういう顔立ちの人が沢山居ましたよ。
我が東北の雄、阿弖流為殿
Oh!さおりさんから「先住民族」なんて言葉が出るなんて(涙)王権に属していなかっただけで「異民族」みたいな扱いに。哀しいです。
まぁ、まぁ、そこはおおらかに構えて差し上げましょう。
東北出身ですが、先住民族という言葉、私は好きです^_^
@@caoruosanaimdayurveda4988 元々そこに住んでた人たちって意味だからね。
俺はアテルイ派。なんで税金を払わなきゃならんのだ。
本動画の蝦夷は、縄文人の末裔であり、日本の先住民ですが、アイヌとは全く関係ありません。アイヌは、アムール川河口付近に住み、狩猟・採集を営んでいたオホーツク文化圏に属する民族で、1264年にモンゴル帝国(元)からの攻撃を受けて、以降樺太を経由して北海道に逃げて来た民族で、北海道の縄文人の末裔の居住地を侵略し、交配して繁栄した新参者の民族です。これは、DNA研究、言語学、文化人類学の各方面から、既に明らかになっていることです。
平安時代迄は東北地方にもアイヌ民族いたそうで。
元軍に追われ南下して北海道入りしたことが支那の文献に書かれており、他に明確な証拠がない以上、前述したあらすじを一応史実として推定しておくのが妥当です。平安時代までにはいたとするのは、文献はさることながら、何らの科学的根拠もない絵空事です。
東北弁のめんこいは、アイヌ語の赤ちゃんの意味
全く逆です。北海道から逃げたのは北方民族で、樺太に攻め込み、住み着いたのがアイヌ人です。 先史時代から北海道には縄文人が住んでおりましたが、農業をして弥生人になることを拒否した続縄文人の末裔がアイヌ人です。しかし、古墳時代あたりから北方民族のニブフ人が北海道に侵入し、北海道の半分以上を占領します。その後、続縄文人はニブフと混血してアイヌ人になりましたが、アイヌとニブフは相性が悪く、やがてアイヌはニブフを北海道から追い出し、さらに樺太に攻め入り、大陸の沿海州にまで到達しますが、そこでモンゴル軍と戦い敗北しますが、30年以上にわたり、アイヌはニブフやモンゴルと戦い、樺太の南半分を手に入れ、住み着きます。ニブフは北海道のアイヌの事を「クイ」と呼んでいたので誤解が生じましたが、モンゴルが戦かった相手は実はアイヌ人だったのです。
突っ込み所満載です。まず農業は、少なく見積もっても、16,500年前の縄文時代から始まっており、弥生時代に始まったものではなく(そもそも弥生時代という時代区分は実際には存在しない。)、縄文人=弥生人(続縄文人)なのであり、「拒否する」といった感情論は非科学的であり、観念し得ないです。また、アイヌは竪穴式住居に見られるような生活文化を持っておらず、明らかに縄文人とは異質な文化様式の民族です。さらに、アイヌがモンゴル帝国に追われ、樺太を経由して北海道に侵入したことは、支那の文献に実際に書かれていることで、アイヌが元々はオホーツク文化圏に属する民族であることは、多くの学者が認めているところです。また、古代史を語る際、「30年間」などと、西暦を割り出せる情報を持ち出すには、相当な証拠が必要であるところ、そのような証拠は皆無であろうから、具体的年数を持ち出すことで、自身の空論に数字的説得力を加えたいという意図がうかがえます。なお、アイヌに限らず、オホーツク文化圏に属する少数民族が、北海道に侵入した事実は、それを否定する証拠がない以上、あったのかもしれません。
暖かさを求めて、朝鮮半島北西部の民族が朝鮮半島に、さらに北部のシベリア韃靼人あたりが樺太経由で日本東北地方へというのは地政学的にはアリかも。
坂上田村麻呂を大河で見たいね 主演はタモリさん
Takahiko Kawakami 坂上田森丸なんてねw
😂
少数派を虐殺するのは今も昔も変わらず愚かだわ
大和朝廷=弥生人 エミシ=縄文人
阿弖流為の発音が違う気がする
アテルイ→↑→↓?
タルタリアの王
東北の歴史を取り上げて頂いてありがとうございます。このアテルイの物語は本当に面白いので、もっとクローズアップされて欲しいですね。
ホントですね。掘り下げて行くと実は、アテルイの祖先が天皇の正統な継承者だったとかにたどり着いたりします、よね❗、よね⁉️、、、まだ真実をおおやけにするのは早いかもですが、いずれにしろこれから正しい歴史が解明される公開されるのが楽しいですね❗
阿弖流為を取り上げた動画があっただなんて!とても嬉しいです♪
40年程前、小学校の時に今の奥州市に母体(モタイ)と姉体(アネタイ)と言う地名があり
先生が『遥か昔の朝廷と戦ったこの土地の英雄の母と姉の身体を埋葬した場所だと思う』との趣旨の話しをしてたな
姉帯さんってお名前の方もいらっしゃいますものね
通説では母体と姉体はそれぞれアイヌ語のmo-tay(静かな林)、ane-tay(細い林)で解釈されてますね。地名はそのほとんどが地形に由来するそうです。
あねたい地区はメジャーリーガーの大谷が生まれた場所では😊?。
このような素敵な動画を作成してくれる方、日本人が出てくるのを待ち望んでいました。ありがとうございます。
現場の人間の想いを上の人間が知ろうともせずに踏みにじるのは今も昔も変わらんね
征服者視点となりがちな歴史紹介ですが、フェアな視点で新鮮でした。
奥州平泉から少し行くと
鬼の岩屋がありまして、中々に素晴らしいですから
お近くに行かれたら寄って見学されるといいですね。
コロナ収束したら行ってみたいですね。
阿弖流為を取り上げてくれるなんて地元民としては嬉しい限りです。
戦前は、阿弖流為は反逆者扱いだったそうで。大和朝廷の方が侵略者だったのに酷い扱いですよね。
@@pontarou01 だって殆どが大和朝廷に従って居たのに協力してくれないから…
@@pontarou01
実際大和朝廷からしたらそうだから間違えていない
@@得川康勝 大和朝廷が侵略者って言うけど、冷静に考えれば、現在の一つの国家としての日本を否定してるのと同じなんだよなw
@@yskztkhs7986
元々東北は日本じゃなかったんだけど?
最近読んだ小説で阿弖流為や母礼の事を知りました。これまで全く聞いたことのなかった名前で興味があったので、助かります。
東北地方では、今も英雄として有名です。
歴史の動画は数多くありますが、中でもわかりやすく、急がせない点を評価させていただきます。
昔、アテルイの一代記を読みましたので、懐かしく拝見しました。
最終的に処刑されてしまうことは覚えてましたが、公卿たちに反対されてのことだったとは
こちらの動画で再認識しました。
現代を顧みれば、活性化しない一部地方の頭の固いお偉いさん達が、結局その地方を衰退させて
しまっていることに気付かない、ということを連想してしまいました。
一つだけリクエストさせて下さい。
文章の背景を、その部分だけ文字とは色の違う細長い帯を作っていただければ
より読みやすくなるでしょう。
音声よりも文字で理解する方ですので、ぜひご検討下されば幸いです。
ありがとうございました。
東北蝦夷を原始的な生活をしていたと勘違いをしている人もいるが、蝦夷は文明人。
弥生時代には青森県まで稲作が伝わっていたし、蝦夷は馬を乗りこなしていた。それに、日本刀の原型になった蕨手刀という馬上で使う鉄器(刀)を使っていた。
蝦夷は可哀想な先住民ではなく、東北で独自の文化を発展させたれっきとした日本人であり、武士に大きな影響を与えた。
蝦夷は日本人じゃなくて東北人…
@@電卓-q4u
東北人は日本人やないて???
@@居合あんチベット族は中国人?
誇り高き蝦夷
F県には“田村”市があり、坂上田村麻呂伝説も各地にあります。白鳥に導かれた…白鳥神社、怪我人を運んだ船引、鏑を荒った大鏑矢神社。
坂上田村麻呂自身も、大和と蝦夷の混血で非常に体格がよく(2mとも)戦争にはもってこいのシンボル的存在だったようです。でも、半分は東北の血が入っている自分の手で、その東北の地を征圧殺りくしていくのは…辛かったのだろうと思います。
混血児の辛いところは、そこだろうね。
どちらも肩を持ちたいのが本音でしょう。
ところで、坂上田村麻呂の子孫が田母神俊雄閣下だと聞いたことがあります。
閣下は身長低いように見えますけどね😅
田村麻呂時代と、食べてるものが違うからでしょう。
福島県出身の有名人には、田村麻呂さんの子孫がいるかもですね〜
道路の発展とともに守りやすく攻めにくい点と、大陸よりは寒くないけど大体寒冷地かつ湿地帯という特徴が薄れていった。東北は米が作りにくい土地なのに、実質的な米本位制が長い上に主食が米というハードモード、芋煮や濃い漬物の発展してたとはいえメイン作物には出来なかった。昭和時代まで飢饉が起こるほど開発も後回しで遅れてしまった…。
私の母方の曾祖母が産まれた時が飢饉で、危うく間引かれるとこだったそうです。南会津のお話
江戸時代は米石経済でお米がお金に相当でした。東北各藩が換金作物の単作の稲作を奨励して気候変動に左右されて飢饉を招いておりましたね! 雑穀や芋類の栽培と稲作を組み合わせたら、飢饉を避けられと思います。 太宰治の作品津軽に飢饉のことが記されております。 行政と農政の失政🤣
自分はこの碑の前にお酒とお水を供えてきました。
そして無念な思いで散った御霊に手を合わせて来ました🙏
ありがとう
もののけ姫のバックボーンにも深くかかわっている人ですね
枚方市の阿弖流為の首塚もお忘れなく。
もっと早く清水寺にあるって知ってたら中学生の時の修学旅行で見たのになぁ
勝てば官軍 これは本当に切ない事ですね、歴史の改ざん 真実は何処に…
賛同致します🙏 歴史学は未熟と思量致します😭
勝者の特権だからね仕方ないね
言葉の語源である明治政府の末路が勝てば官軍判定の東京裁判で断罪されるのが歴史の皮肉
@@司偲 明治では正式に南朝が負けて官軍(正統)にしたりしてるけど。
日本は世界一?負け犬に優しいじゃないかな。
源義経、楠木正成、西郷隆盛とか負けた癖に日本最強クラスの英雄になっている。
神話でいえばオオクニヌシもそうだね。
書いたあとに気づいたけど義経、正成、西郷に対した、
源頼朝、足利尊氏、大久保利通は勝ったくせにクソ人気なくて笑った(笑)
やっぱり日本人は敗者に優しいね。
@@bigshot088
尊氏ニキはあれはよくわからん。。なんかいろいろメンヘラすぎて。。
命の保証を約束されて都に連れ行かれたのに処刑された阿弖流為と母礼の無念と恨みは、想像を絶します!
阿弖流為達とは直接血縁ではないかもしれませんが、奥州藤原氏の大ファンの私は、田村磨呂ゆかりの清水寺に阿弖流為の碑が建立された時は、とても嬉しかったです。
朝廷の官僚達は、アテルイの処刑を激しく非難したそうです。
降伏した者を処刑したので。
桓武天皇も心が狭いですね。
@昆布
私が昔読んだ本にはそう書いてあったんですがねー。
アテルイ扱ったTVドラマでも、そうでしたよ。
@@pontarou01 だって生かしといたら東北で連合王権作られて脅威になったらとんでもないですよ…
@@黒狐-t8l
今からでも遅くないから東北は日本から独立しよう!。
@@電卓-q4u そんなの無理だよ…ただでさえ北海道にロシアの脅威があるのに…
枚方市の阿弖流為の首塚にお参り致しました。東北出身ですが、関西のタブー的事情をお聞きして、日本はどこも同じでない事を認識いたました。DNA解析で、アイヌ系・縄文系・ヤマト系・オキナワ系の4グループの現存が報告されてますので、日本史の強い偏りは修正が必要だと思っております。
最近のDNA解析では、「1 縄文人」「2 弥生時代に渡来してきた人(中国南部系)」「3 古墳時代〜奈良時代に渡来してきた人(中国北部、朝鮮系)」「4 アイヌ人」「5 沖縄人」の5パターンに分けられるみたいです。
今まで本土日本人は縄文系と弥生系のミックスだと考えられてきましたが、最新の研究では縄文系、弥生系、渡来系の三重構造みたいです。
それも違う。。
もっと家伝とか分類するとガチガチに権力闘争入るから、系統もっとわかられる。。。なんなら、皇家でさえ、ニギハヤヒとニニギにわかれてまう。。
感謝致します。
蝦夷は歴史でもあんまり語られない存在だよね
まあ朝廷に取り込まれて蝦夷の民族性や文化はほとんど残らなかったのかな
アテルイとモレを生かそうとした田村麻呂は素敵
沙織ちゃん ♡、日本史の時間では坂上田村麻呂の蝦夷討伐はあっさり終わってしまいますが、この様な経緯が合ったとは知りませんでした。そして碑については、清水寺には何度も行きますが知りませんでした。素晴らしい動画ありがとうございます。
悪路王伝説がありますね 清水さんの滝のすぐ近くに阿弖流爲と母礼の碑があります 建立されたのは比較的最近です
2:28のカイ・クイって…ユパ様が連れていた鳥の乗り物では、ナウシカがユパ様を助けた時に「カイにクイ、私を覚えてる?」って台詞があった
アシタカてエミシ村の生まれなんだ知らなかった
わからなかった部分が理解できました。ありがとう。
中々そこまでは授業にはなかったですね。興味深いですよね。
本で読み、なんて東北の歴史は悲しいのだろうと思いました。その後の藤原三代もそう悲しい結末。東北の歴史は美しくも悲しい物語が多い…
勉強に成りました
「有史」以降、常に関東~東北の地は都から見下されてきました。時代は下って明治維新の時にも東北の地は「官軍」によって蹂躙され、多くの無益な血が
流れました。平和で実り多き豊かな東北の地は、関西から見ればいつも収奪すべき未開の地と映っているのでしょうかね?
現代でも尚、東北の地は政治の中心地から一段低く評価されているようで、悔しいです。
明治維新以前の戦国末期にも、秀吉に弓引いたと言われる武将が居ますよね。
今の岩手県の九戸(くのへ)地方の領主だった「九戸政実(くのへまさざね)」と言う武将。
元は、三戸南部家の後を継いだ「南部信直」との争いだったのだが。
その三戸南部氏と同格で、精鋭部隊だった九戸政実公率いる「九戸党」や諸将を抑えきれず、秀吉に援軍を要請。
そして秀吉が秀次を総大将とし、欧州仕置き軍を派遣。その数は六万とも言われる。
片や九戸勢は九戸政実以下、五千の兵が九戸城に籠城。天然の要害と組み合わせられているため、仕置き軍の攻略を次々と打ち破るも和睦と見せかけた計略にかかり敗れる。
なんか阿弖流為と同じく、中央政権に屈した感じですね。
東北って昔から見下されて悔しいよね
随分前ですが、サントリーの会長さんが、熊襲、蝦夷発言して大騒ぎになりましたね。
九州の人は謝ったら許してくれたけど、今でも東北地方ではサントリーのお酒はあんまり売れないそうです。
関西の方では今でも東北地方をバカにしてるそうです。
@@ノンアルコール-j8h
まぁっ、西国の人々が、それを望まず潰してきたと言うのも在りますね。
阿弖流為の件も、坂上田村麻呂は共生を望んで連れて来たと言われています。
しかし、時の朝廷の側近達は、それに反対したとされる。
そして坂上田村麻呂の想いも空しく、阿弖流為もモレも処刑されてしまった。
その後、坂上田村麻呂は役職を退いたとされてます。
ちなみに、これ以後の時代は、西国や関東方面から東北に所領を得た武家達が来てます。
それこそ、甲信越地方からも南部氏や安東氏の祖となる武将が下向してます。
かの九戸政実の九戸党の一人で、我が出身地の領主の「小軽米(こがるまい)氏」、元は武田姓との事です。
つまり、関東地方の出と言う事。
関西から見れば、あまりにも遠すぎてどうでも良い存在。方角を変えれば東北より外国の方が全然近い。
最近封印された歴史を調べています。欧米が原住民を殺したり奴隷にしたりとむごいものだと思っていましたが、日本でも同じような事があったと知ると涙がでます。
ともちがうね。
むしろ、東北は東北で東北安倍家(アテルイ系の直系庶流)なんか藤原氏などに影響力もって出てきた総理が安倍晋三。
千年単位で、宗家なんかは九州とかの方とも権力闘争してるからな。。
わいの家は逆に東北の方に嵌められて一族郎党500年間くらい山に隠れてたからな。中央にいても負ける時は負けるんよ。
でも、内容がやはり違うと思います。(欧米のそれとは、)
我が生まれし地東北の歴史の一端と、田村麻呂の心有る対応、そして今に続く想いが清水寺の石碑として有ると言う事。
すごい気づきと前向きな歴史解釈と情報をありがとうございましたm(__)m。
非常に悲しい話ですが、まだ日本列島全体が支配されていない時代。武力による領土拡大は当たり前だったと思います。私は今の時代の尺度で物事を見ないので。ただそれぞれの正義の元、戦った者の気持ちは年齢を重ねる度に解るようになりました。
アテルイと坂上田村麻呂の友情秘話は
漢の詩です。
坂上田村麻呂って もっと冷酷な人かと思ってた! 敵も哀れむことができる武人だったんだね! さおりさん、いつもお話ありがとう!
坂上田村麻呂はとても心の優しい人だったそうです。中国の王族の子孫だそうで。
@昆布
桓武天皇の子孫の平将門や、平清盛はとても心が優しい人でしたからね(それが原因で滅びちゃったけど。)先祖の桓武天皇もきっと優しい人だったんでしょうね。
坂上田村麿は蝦夷とのハーフだと聞いたことがあります。母親が福島県田村市あたりの蝦夷。
大和朝廷は蝦夷の血を引く田村麿を蝦夷と戦わせ、自分の手は汚さずに、降伏してきた阿弖流為とモネを晒し首に。その頃の朝廷は縄文系ではない、野蛮な大陸系の影響が強かったのかもしれませんね。
@@sanaesato-b3x 日本書記や古事記の12代景行天皇から14代仲哀天皇の后の神功皇后までの九州の歴史を読み直すことをお勧めする。ヤマト王権に従わなかったり、反乱したり、税を納めない勢力は基本的に誅殺。
@@yo2trader539 当たり前ですが
チャンネル登録させてもらいました。声もおちついて綺麗で聴きやすいです。声の仕事をされているからなのかな?
宮城県の多賀城市辺りは日高見国と言って、イザナギの代までは大和の首都のようなところでした。だから蝦夷は異民族などではなく、熊襲と同じように中央政府に税を納めなくなった豪族でしょう。
多賀城跡付近が古代大和の首都で御座いますか❗️ 地理的にはさもありなんでしょうね🎵 蝦夷も熊襲隼も異民族では御座いません。 縄文人の本流で御座います🙏
記紀では天孫ニニキネが初めてこの世に降臨し、そこが高千穂ということになっています。日高見国はそれよりずっと前のことです。即ち記紀でいう高天原のことです。
信じるかどうかは個人の自由ですが、これはホツマツタエという古書に書いてあることです。
@ぶりぶりうんち ホツマツタエが偽書なら、それを書いた人は神です。あれだけの内容を創作できる人なんかいる訳がありません。
@ぶりぶりうんち
日高見国については大和(畿内)を治めてた第12代景行天皇が武内宿禰(たけのうちのすくね)っていう人物に東国(関東~東北)を視察させた際に武内宿禰が、
「東に日高見国という国がありました」
って報告した話が有名(日本書紀の記述)だから日高見国=大和(畿内)とはならないんだよなぁ…。
蝦夷は縄文より前から住んでる思いっきり東北人と北海道人ですが、アイヌは鎌倉時代頃に北海道の山奥に住み着き出した北方民族なので、部族としては全く別です。アイヌは鎌倉時代からなので先住民族でもありません。その辺の認識が無い政治家がごちゃごちゃにかき混ぜてるのが現代の問題です。
アイヌ民族が先住民族説あるが、アイヌ民族って、先住のコロポックルに「呪われろ!トカップチ!(今で言う十勝)」って言われたらしいから、先住民族のことを言うならコロポックルの方が先なんだよね。呪いをかけ、恨み節をたれる、感情的にキレやすい背の小さな人が先にいたわけです😅
ただ、アイヌ民族は穏やかな性格してるから、親しみやすいと思う。
宮沢賢治もアテルイについての詩を残している。東北の英雄。敗者の魂を慰め、その碑を建てるのは日本の美風であり、大陸シナと大きく異るところ。向こうは墓を暴き敗者を無に帰させる。
ところが坂上田村麻呂は後漢の皇帝の子孫なんですよー。応神天皇の時代に帰化した一族であることは坂上田村麻呂の父自身が語っている通りです。
@@いいいん どこの出典ですか?
清水寺にある阿弖流為・母禮の石碑は日本人というより岩手県胆沢周辺出身の人達が作ったものだけどね。
蝦夷エミシは宮城福島秋田青森岩手エミシ言う
東北人、口悪すぎだろw
コメント欄が現在のアイヌ問題までに発展しちゃいましたね。
歴史問題は難しいです。
問題は全く関係ない在21らなどが自称アイヌを騙り、この連中らが認めた者らがアイヌ民族末裔を自称し、様々な利権を得てる事ですね。
強制送還も出来ない状況では、やがて阿弖流為もおなじような事がおきるでしょう。
ナレーションの声がとても聴きやすくうまいと思いました。
アテルイとモレについて知ることができました。
つくづく時の権力者はくそだなと思います。
大和だけの征服で満足したらいいのに、大仏の金のためとかしょうもなさすぎる理由で東北何度も何度も攻めてきて。
ひどすぎると思う。現在の東大寺の大仏の見物人にみんなに知っても欲しいと思う。
大仏建立の為の金の他に、馬(現在の自動車・軍需産業)、蕨手刀(日本刀の原型で鍛冶の技量が秀逸、現在の軍需産業)についても東北はずば抜けており、朝廷はこれらが欲しかったそうですね。
"しょうもない"というのは、今の我々の価値観であって、当時の"信仰"としては重要だったでしょうし、今よりも神仏が重要視されていたと考えれば分からんでもないなぁと。
ただ、「金がないなら奪えばタダやん!」ってお上の考えはクソですが。
アテルイなどの東北の歴史は学校の教科書でもっと大きく扱うべきだと思う。
西日本でのアテルイの知名度が低すぎる。
アテルイや平将門、西郷隆盛のように、
政府に弓引いた逆賊が後の世に英雄として評価されるのはよくあること。
現代の世で悪人とされている者が、
もしかしたら後の世で再評価されるかもしれない。
その通り。田中角栄がそうなりつつあります。
本吉覚 田中角栄は今結構評価されとるからな
視聴率が取れるかは怪しいけど、こういう話こそ大河ドラマあたりで取り上げてくれれば認知度は格段に上がるんだけどね。
1993年の大河ドラマ『炎立つ』。当時は不人気だったようですが、同名の高橋克彦さん原作の歴史小説は三部作となっており、読みごたえもありとても面白いので、機会があれば是非。
@@kotobuki6620さん それ、覚えてますよ。東北新幹線開業記念で制作されたと記憶しています。渡辺謙さんと、村上弘明さんが主人公でしたね。確か3部作になっていて、1,3部が渡辺謙さん、2部が村上弘明さんだった筈。小説も、当時読みました。
@@kotobuki6620さま ありましたね‼️
クリームシチューが前の名前で出ていた様な
私の父の出身地の多賀城市が出てきます☺️
はじめの方にあるエミシとアイヌの関係部分は不要でしたね。アイヌとは13世紀(鎌倉時代)ごろにシベリア東部から樺太経由で戦乱などから逃れてきた、現代の言い方だといわゆる『難民』です。自分も最近までアイヌとはエミシが北海道まで逃れてその生活様式を引き継いだ部族だと思っていましたが、その考えは間違っていました。
一方、アテルイたちエミシはまごうことなき縄文時代から生き続けた「日本人」でした。
この説にはDNAの鑑定結果の証明はあるのですか?
北に追いやられた縄文人が生きてゆくために必死で他国と国交を続け、移民と交わる中で彼らのDNAが入ったのです。なぜ親類を区別したがるのでしょう。
DNAではアイヌにオホーツク民族の血は大して入っていないのでは?特に、本州アイヌには全くDNAが混じっていないとか。
そもそもオホーツク民族(ギリヤーク)は歴史的に好戦的な民族であまり交易なく、奥尻島で阿倍比羅夫と戦闘になったりしてました。まあ、それでもアイヌはイヨマンテなどの風習を彼らから取り入れていましたが。
というか、アイヌ人や蝦夷は母系家族で、基本的に通い婚だったから(これは平安時代の日本人の貴族階級すらそうだった)血が混じりやすいんだよね。奥州藤原氏なんて父系が日本人で母系が蝦夷なら葬送の風習がアイヌ的であっても矛盾はないし。いいとこ取り。
福島県でも「桜本」とか「北原」とか、アイヌ語で読み解くと「崖っぷち」等、地形と地名が一致する場所がたくさんあると聞いています。
アイヌ語の「カムイ」は日本語の「カミ」だし、アイヌの方々は北方から来た方々との混血もあったかと思いますが、縄文人を色濃く残す、平和と大自然を愛する尊敬すべき方々だと私は考えています。
オノマトペもアイヌ語からきてるかも。「ピカピカ」と「ピリカ」(美しい)、つながり、あると思います!
@@sanaesato-b3x
猪苗代、信夫、五十嵐、安達太良もアイヌ語だそうです。
東北新幹線建設する時に、東京の人達が反対してて「東北なんかに、新幹線通す事ねえ!」って言ってたのが忘れられません。
言うに事欠いて、東北なんかに〜だもんね
その様な発言は、東北地方育ちのかたの故郷を卑下するかたの感情移入と思量致します❗️ 日本地図を一見しますと、東海道新幹線の次は東北新幹線の敷設が自明の理と言えます。 明治の御代の鉄道敷設でも東海道線の敷設の1年後の1891年に東北本線の敷設でしたね✌️ 東北地方は重要視されてまいりましたね🎵 何かしら、ひねくれておりますね😄
@@中野善行-h6t
会津の方は東北新幹線出来たおかげで逆に不便になりました、出来る前は直通の急行、特急が1日に何本も出てたんですよ。
今は浅草駅発の私鉄が会津若松迄出てるんで便利になりました。
@@pontarou01
交通網の革命は時間軸の日本地図を激変させておりますね❗️ 国家経済に莫大利益をもたらしてながら、部分的には凋落をもたらしてがっかり😥 インテリを売り物にするとある県の知事さんは、世界的な革命の交通体系の敷設を妨害しておりますね。 明治の御代にも蒸気機関車は火事🔥をおこすと大反対がありました😭 日本人は土人でございます。🙏👋
@あ
「東北特権~」とかいう奴コメント消して逃げてて草。
@@中野善行-h6t
東北の事そんなに重要視されてないでしょ。
蝦夷とアイヌの両者は同一ではないと考えられるが、擦文文化や続縄文文化の時代に東北地方あるいは関東まで南下していた可能性は大いにあり、地名や防人の方言などから言語的な共通点はある。また江戸時代まで津軽に少数の本州アイヌ民族が存在した。上古の東国あるいは東北に住んでいた人たちは渡島と大和の境界の民であり、バイリンガル的な存在と考えられる。
蝦夷をはじめとして記紀や風土記に出てくる辺境の民を縄文人の末裔として解釈している人がいるが、おそらくもうこの頃には弥生人とほとんど同化しているとみられる。(奥州藤原氏のミイラ、あるいは古代の記録では獰猛で肉を好み穴で暮らしていたなどと記載されているが、華夷思想に影響を受けたものである)
面白いのが、日本海側に住むものを北の異民族にあてはめ蝦狄、太平洋側にすむものを東の異民族にあてはめ蝦夷と呼んでいた。あらえみし、にきえみし、都加留、みしはせ。
朝廷側が優位になったのは荘園制度で、そこに八幡神社を建立し、徐々に農耕生活へと移行させたのと、戦いの度に戦いに関係のない民家を焼き討ちにしていったため、阿弖流為とモレは民のことを想い自ら首を差し出したのです。けっして負けていたからではないはずです。荘園と八幡神社の流れを追うと面白いことが分かってきますので、ヒマになったら戦地に近い八幡神社を訪れてはいかがでしょうか。
いずれ、この戦いは、大陸系の弥生系の民族が縄文系の民族を圧していくという流れだったようです。
また、坂上田村麻呂の母は福島県田村郡の縄文系の流れだそうです。
彼が北の地に深い繋がりがあったからこそ、阿弖流為らの想いに感銘し、処刑をしないよう嘆願したのではないかと考えてます。
先住民という呼称は適格性を描いていると思う。”先住民族”と混同して紛らわしい。始めから部族として表現することが適当では?
宮城県には戦いの地名が今も残っていますよね!
NHKのドラマでも放送していた。
首塚が 枚方市にあるので 身近に感じた。
坂上田村麻呂も 偉い 約束通りに 守る所もいい。
当時のヤマト朝廷にとっての敵対した北天の雄「阿弖流為」と「モレ」は「蝦夷」連盟軍として当時の朝廷軍は大将坂ノ上田村麿(この当時では有史初の征夷大将軍と言われている)ら戦った
日本版『ブレイブハート』ですね👊
坂上田村麻呂 良いリーダーだったんだなぁ。
とても聞きやすいよいナレーションですね。勉強になりました。興味深かったです。蝦夷とアイヌは同じかと思ってましたが違うのですね…アイヌ語の地名が九州にまであるとか…
天文シュミレーションのスパコンの名前がアテルイです!
アテルイって歴史的人物だったんですね、知りませんでした。
未来のアテルイが宇宙を解き明かしてほしいですね!
私は出羽国羽黒山麓の村の出身でチャシと同じ形態のの史跡がある地域がルーツ。このような久々のヒット動画が登場したことに明るい未来を感じます。
最近ではアイヌ民族は北海道の先住民族でないなどというカルトなグループが跋扈するようになりました。
北東北にはチャシと似た形態の史跡がいっぱいありますね。江戸時代の菅江真澄(この人は北海道に実際に行った)が既に指摘しています。
「先住民族」云々はそう思いますね。ネットで論争しても、論理的な会話にならず強弁ばかりになるし…
この情報どこから入手してるのかな?凄すぎ!!
北は蝦夷氏南は南は薩摩隼人が猛威奮っていた!更に鎌倉時代まで東北地方は動乱状態だった
解説ありがとうございます。日本には標高3000m内外の峻険な山々。深い峡谷で削られた谷が構成するフォッサマグナが存在します。近畿地方から簡単に移動出来たのでしょうか?私は無理だと思います。以前親不知海岸を徒歩で歩いたからです。ほかにも安房峠、野麦峠などがありますが大軍が移動するのはまず無理です。日本はフォッサマグナの東と西で別の国家が存在したと考えられませんか?日本海沿いに船で出るのは可能ですが大軍勢を派兵するのはまず困難かと考えます。東海道が整備されたのは江戸時代末期。西と東が決戦を行う可能性は低いと感じます。東国は日高見国であり首都は会津若松であったと推測されます。結局明治維新でも東北は抵抗し完全に制圧出来ていません、
アテルイねこの話をきくと心が揺さぶられたかな!
その頃の過去にかつていきていたかもしれないね朝廷側か蝦夷側かはわから無いけどね。
いつの時代も敗者側の人間に哀愁を抱くのは私だけでしょうか
歴史認識が間違いです。
東北地方は大和朝廷(大和王朝)とは全く異なる「日ノ本の国」で
違う国。
首都は「日本中央」と呼ばれた津軽。十三湊はトミ湊が元来の読みで、
出雲王国と先行大和王朝(大彦)の流れを汲む(直系)安東氏が大王家。
「日ノ本国」は緩やかな大王家の安東氏一強の専制ではなく、各地の首長による合議制。
それゆえに1000年?も存続できた
そ大和王朝側は日ノ本国を自分たちの意に沿わない塞外の勢力として、蝦夷(エミシ)と呼んだ。
実のところは同じルーツの同族同士。
のちに奥州平泉とかに発展して、源義経を迎え入れるんでしょうか?
あの話、義経がいきなり東北目指すのがよくわからなかったのですよ。
阿弖流為らの抵抗があったおかげで、その後、奥州は税さえ納めれば自治を認めるという措置が取られたんですよ。朝廷の出先機関の役人とはうまくやりながら、力を蓄えることが可能だった。藤原氏などは、産出する金のおかげで財力があり、公家などにも金を配って懐柔し、都でも政治力を発揮していた。当時の奥州は半独立国のような状態だったので、中央政府と対峙するとしたら、むしろ奥州以外に選択肢はなかったかも。奥州藤原氏は外国とも取引があったので、或いはその力をあてにすることも考えたのかもしれません。
義経のお母さんの常盤御前が、奥州藤原氏と縁があったからと言われています。
もののけ姫の時代考証を解説してみたら面白いかも
東北線の快速アテルイに乗りますか。
朝廷軍はひ弱な農民軍しかいなかった?坂之上田村麿になった時から豪族から兵員導入したりあらゆる策を巡らし弱体化させた❗
読み手の方が美人さん😌
チャンネル登録しました!
英雄は英雄を知る
「蝦夷エミシ」は大和朝廷側からみた東北地方北海道の日本先住民の呼び名である。
@あ
どういう事ですか?。
蝦夷って意味は、昔は尊かった者という意味だって研究者から聞いた。
最期の「塚」は大阪の枚方(ひらかた)にある首塚と言われている画像ですね?処刑されたのがこの辺りだったという言い伝えから建てられたとも聞きますが、これがちょっと神がかってまして、1970年代の話なんだそうで、とある女性から夢で北の人が苦しんでいる。きっと浮かばれないんだろう。昔この辺りでなにかあったのか?という電話がかかって来たそうです。受けた職員が本気にせず「昔、エゾの酋長が斬られた話がありますから、そんな関係でしょうか。」と言ったところ、きっとそれだろう、ちゃんと供養してあげて欲しいと。その場所は昔、神社の境内だったそうで、代々宮司から口伝で伝わっていた話だったんだそうで、文献等が無い限り日本の考古学では認められませんので、未だに「伝」とあるそうです。
まじか!
心霊系のネタに出来ますね。
坂之上田村麿もお願い致します🙇
東北地方の雄アテルイ、それを滅ぼした坂上田村麻呂をたたえ祭る(たしかその様に聞いたような)「ねぶた」・・・えーーっ!!そんなの青森でやってていいの?。※間違った情報だったらごめんなさい。
朝廷は、朝鮮からやってきたから、朝の漢字を使います。
その頃は朝鮮は無い!!
って事はアシタカはアテルイの子孫なのかな?
せやで
武士の起源は俘囚ともいわれますね。
アイヌは13世紀頃に元寇に攻められ、樺太から流入してきた人々で、蝦夷とは関係ありません。
私のご先祖は蝦夷で、800年ほど前に現在の地(鶴岡市)に定住したと口伝が残されています。
ちなみに私の守護霊も1200~1300年前の蝦夷の女性だそうです。(友人の霊能力者に教えられた)
清水寺を建てたのは阿弖流為と共に連れてこられた500人の技術集団。
清水寺って阿弖流為が降伏する前から建ってなかった?。
田村麻呂は東北の方を睨んで立ったまま埋葬されてるんだってね、なんかなあしんどそう。
では家康と逆ですね
「アテルイ」を平坦な名前で呼ぶのではなく、きちんとした発音で紹介した方が良いです。アテ⤴ルイが発音です。とても良い動画でMCのかたも感じが良いので平坦な呼び方をされてしまうと歴史をきちんと説明されても受け入れられない場合があります。私たちは古来からきちんとした発音で学んできたはずなんですよね。発音までと言われてしまいますが、私の父系は蝦夷の家系ですのでキチンと伝えてほしいのが実情です。すみません、よろしくお願いいたします
大変、勉強になりました😆👍✨‼️
沙織さん、とっても美人ですね(*^ー^)ノ♪
エミシ勢力にはモレって何人いるんだろ?モレって人の名前?
今の大河は、秀吉や家康、信長と知り尽くされてる話ばかり❣❣
もう、見るきも無いです!!こういった知られざる話を題材にすれば
きっと大河の視聴率も伸びると思うんだけな~
アイヌ人は今の研究では大陸からの渡来人が定説に成りそうです。
エミシが、自分達のことや我々をカイと呼んでいた。
アイヌも我々と言う時、カイと言います。
順って、同じ言語を使っていた同じ民族であると言える。
モンゴル帝国はアイヌ人を苦夷(クイ)と呼んだ。ロシア人はアイヌ人をクリルと呼んだ。(だから千島列島=クリル諸島は、ロシア的には「アイヌ人の島々」)まあ、何か関係あるんでしょうね。多分「か」と「く」の中間あたりの発音だったと思う。
36 Ti 私はモンゴル帝国の言葉のことを初めて聞きました。カイとクイは同意語でしょうね。単に鈍っただけと思われます。
アイヌの言葉の意味は人とか人間だと聞きました。
アイヌは文字を持たなかったと言いますが、私は違うと考えている。
アイヌ人でも一部の人々は文字を使っていた。それはほんの一握りのアイヌしか読んで理解することができなかったのではないか?
北海道の手宮洞窟などで象形文字らしきモノが見つかっている。
私はアイヌ人が明らかに北海道の先住民族だと確信しています。
古代の東北地方の部族は蝦夷と呼ばれていました。彼らは毛人と云われ、身体的に毛深い特徴が指摘されているので、縄文系の集団と思われます。東京にいた頃、青森県出身の同僚がいまして、彼は彫りの深い顔で色白でありましたが、彼の腕の剛毛さに驚きました。彼と同郷の友人は普通でした。大和朝廷の東北征伐から800年以上過ぎた現代に於いても、縄文人の体質を強く受けついでいる人の存在に驚きました。彼のような特徴は沖縄人にも見られます。縄文系の血が濃いと云われる沖縄県民との共通性が伺われます。
私は阿弖流為はアイヌ民族ではないと思う。
岩手県民は県内地域の多くがアイヌ語由来だというのをおかしいと思わないのでしょうか。
おかしいかな?
最近の研究だと更に細分化されてて別らしいですね
山の民みたいな感じですかね?
アイヌ語由来の可能性ありな地名も、沢山残ってる北東北全域と、南東北から東日本にかけて南下するごとに少なくなるが点在化
坂上田村麻呂も蝦夷の説もあるみたいですね!
大毘盧遮那仏
だいびるしゃなぶつ
と読むんですよ~!
次は「熊襲くまそ」「隼人はやと」
お願いします(*゚▽゚)ノ
蘇我蝦夷と言う人物がいる事は多くの人が習っただろう、弥生時代、物部、大友、中臣、蘇我氏等神武天皇以前、紀元前に移住してきた渡来系民族が東西に分かれて
戦ったが、「カムイ」などはヘブライ語で「神」と意味が通じる、安土桃山時代に多く移入したアイヌは東北北海道の豪族の言葉を継承。なのでアイヌは先住民ではない
Kamui
Kami
3分15秒あたりの写真に向って右から3人目の男性は体格、顔立ちなどが
典型的な縄文人だね!たぶんオホーツクの血も混ざってない100%縄文人DNAだと思う。
まだ交通の便が未発達だった50年前の北東北[青森 秋田 岩手]の片田舎に行くと
こういう顔立ちの人が沢山居ましたよ。
我が東北の雄、阿弖流為殿
Oh!さおりさんから「先住民族」なんて言葉が出るなんて(涙)王権に属していなかっただけで「異民族」みたいな扱いに。哀しいです。
まぁ、まぁ、そこはおおらかに構えて差し上げましょう。
東北出身ですが、先住民族という言葉、私は好きです^_^
@@caoruosanaimdayurveda4988
元々そこに住んでた人たちって意味だからね。
俺はアテルイ派。なんで税金を払わなきゃならんのだ。
本動画の蝦夷は、縄文人の末裔であり、日本の先住民ですが、アイヌとは全く関係ありません。
アイヌは、アムール川河口付近に住み、狩猟・採集を営んでいたオホーツク文化圏に属する民族で、1264年にモンゴル帝国(元)からの攻撃を受けて、以降樺太を経由して北海道に逃げて来た民族で、北海道の縄文人の末裔の居住地を侵略し、交配して繁栄した新参者の民族です。
これは、DNA研究、言語学、文化人類学の各方面から、既に明らかになっていることです。
平安時代迄は東北地方にもアイヌ民族いたそうで。
元軍に追われ南下して北海道入りしたことが支那の文献に書かれており、他に明確な証拠がない以上、前述したあらすじを一応史実として推定しておくのが妥当です。
平安時代までにはいたとするのは、文献はさることながら、何らの科学的根拠もない絵空事です。
東北弁のめんこいは、アイヌ語の赤ちゃんの意味
全く逆です。北海道から逃げたのは北方民族で、樺太に攻め込み、住み着いたのがアイヌ人です。 先史時代から北海道には縄文人が住んでおりましたが、農業をして弥生人になることを拒否した続縄文人の末裔がアイヌ人です。しかし、古墳時代あたりから北方民族のニブフ人が北海道に侵入し、北海道の半分以上を占領します。その後、続縄文人はニブフと混血してアイヌ人になりましたが、アイヌとニブフは相性が悪く、やがてアイヌはニブフを北海道から追い出し、さらに樺太に攻め入り、大陸の沿海州にまで到達しますが、そこでモンゴル軍と戦い敗北しますが、30年以上にわたり、アイヌはニブフやモンゴルと戦い、樺太の南半分を手に入れ、住み着きます。ニブフは北海道のアイヌの事を「クイ」と呼んでいたので誤解が生じましたが、モンゴルが戦かった相手は実はアイヌ人だったのです。
突っ込み所満載です。
まず農業は、少なく見積もっても、16,500年前の縄文時代から始まっており、弥生時代に始まったものではなく(そもそも弥生時代という時代区分は実際には存在しない。)、縄文人=弥生人(続縄文人)なのであり、「拒否する」といった感情論は非科学的であり、観念し得ないです。
また、アイヌは竪穴式住居に見られるような生活文化を持っておらず、明らかに縄文人とは異質な文化様式の民族です。
さらに、アイヌがモンゴル帝国に追われ、樺太を経由して北海道に侵入したことは、支那の文献に実際に書かれていることで、アイヌが元々はオホーツク文化圏に属する民族であることは、多くの学者が認めているところです。
また、古代史を語る際、「30年間」などと、西暦を割り出せる情報を持ち出すには、相当な証拠が必要であるところ、そのような証拠は皆無であろうから、具体的年数を持ち出すことで、自身の空論に数字的説得力を加えたいという意図がうかがえます。
なお、アイヌに限らず、オホーツク文化圏に属する少数民族が、北海道に侵入した事実は、それを否定する証拠がない以上、あったのかもしれません。
暖かさを求めて、朝鮮半島北西部の民族が朝鮮半島に、さらに北部のシベリア韃靼人あたりが
樺太経由で日本東北地方へというのは地政学的にはアリかも。
坂上田村麻呂を大河で見たいね 主演はタモリさん
Takahiko Kawakami 坂上田森丸なんてねw
😂
少数派を虐殺するのは
今も昔も変わらず
愚かだわ
大和朝廷=弥生人 エミシ=縄文人
阿弖流為の発音が違う気がする
アテルイ
→↑→↓?
タルタリアの王