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前編後編共に視聴いたしました。私の祖父母が箸別に住んでいて、両親の仕事の関係で夏休み等1人で旭川15時発増毛行きの列車に乗って祖父母に会いに行ってました。当時は20年くらい前でしたが、その頃から自分以外の客は殆ど乗っていませんでした。自分が免許を取得する頃には祖父母共に亡くなったので、それ以降JRに乗る機会は無かったのですが、この映像を見て祖父母が箸別駅まで迎えにきてくれていたこと、駅の近くにあった商店での買い物等、当時の楽しかった記憶を思い出し、懐かしさに浸る事ができました。素晴らしい動画を撮影・アップロード頂き感謝いたします。
鉄橋での事故は知りませんでした。埋もれそうな過去の悲しい歴史にも光を当てる素晴らしい動画です。
まずは、素敵な映像をありがとうございます。信砂川橋梁の前後で少しカーブしていた記憶が正しかったことが空撮で見てわかりました。記憶では、列車のスピードが橋梁前で落ちたのできついカーブだったと思ったのでしょうね。コンクリート橋に架け替える以前の鉄橋時代の事故は知りませんでした。戦後混乱期の疲弊したインフラが原因かといえばそうかもしれませんが、画像中の増毛駅の説明文を読むと物言わぬ慰霊碑が事件を伝えてくれる気迫を感じました。せっかく戦争を生き抜いたのに・・・、という無念さと、救助にかかわった人の思いも感じました。増毛駅の背中に立つ低い灯台は、初めて見たときこんなところにあったと感じたことは今も覚えています。増毛港の空撮もすごいの一言です。港は見たことがなかったので。静かな港町ですね。私が増毛駅まで旅をした当時は、デジカメではなくフィルムカメラでしたので現像代のこともあり、あまり撮っていなかったのですが、実家の屋根裏に眠る北海道時刻表、切符とともにこの時の写真もあるはずなので、何とか発掘して、旅の記憶を嫁さんや今小学生の娘に伝えたい。2人をきっといつかこの地に連れていきたいと思いました。
最近こちらのチャンネルを見つけました。小樽生まれで20年前から京都に住んでいますが、小樽絡みの動画が沢山あって(しかも洞窟とかレアな物ばかり)非常に嬉しいです、これからも貴重な動画を宜しくお願いします。
沿線住民が全員で乗車しても、廃線は免れなかったんでしょうなぁ…。高評価👍✨
無事、終点の増毛駅到着お疲れさまでした赤字線ですから廃止は止むを得ませんが、こんなに美しい景色の中を走る鉄道が消えてしまうのは淋しい事です最期のホイッスルが郷愁と旅情を誘いますね!ステキで美しい映像をありがとうございました
後編の最後の発車音がウルってきて素晴らしかったです。高倉健さんの映画STATIONを観ると当時の増毛の賑わいが伝わって来ますね
今回も美しい動画をありがとうございます!なぜか涙があふれてきました。特に地元というわけではないのですがある思い入れがあって感慨深く拝見しました。廃線はさみしいものですね、やはり。
父の故郷が増毛で、ほぼ毎年訪れていますが鉄道に乗る機会がなく廃線になってしまいました。留萌増毛間の年間利用客は2000年代は約500人程まで減り、営業収益約700万円対して路線の年間維持費は約2億円。山際を通っていたので急斜面からの土砂崩れやその対策、冬は斜面からの雪崩や路線の除雪等の防災経費がかさんでいたようです。かつてはニシン漁で賑わっていたので大正時代には鉄道敷設法により増毛から日本海沿岸を南下して札幌まで鉄道を敷く計画もたちましたが沿岸部の地形に阻まれたようです。
何時の素晴らしい動画,ありがとうございます。増毛に初めて行った時のメモを探してみました。当時撮り鉄(当時はそんな言葉なかったけど)だった私,上目名へC62(ツバメマークの2など)の重連を撮りに行ったり,鬼鹿へD61の撮影に行った帰り,70年12月留萌発10:00の743D,増毛着10:29,増毛に何しに行ったんだろう?きっと,単に列車に乗るためだったはず。そんな,昔の記憶が思い出されます。
いい映像ですね。今から3年前、バイクツーリングで、増毛駅跡を訪れました。懐かしいです。廃線跡は、往時を偲ぶ、古代遺跡の様な気がして、気持ちが落ち着きます。改めて、旧国鉄沿線は、風光明媚だったんだなあ…と感動しました。
昭和39年父親の転勤で留萌市に。初めて留萌から増毛へ、キハ03の単行でしたね。懐かしいです、毎回素敵な映像ありがとうございます。留萌市在住時、明元町に住んでいて列車が見えましだが、臨港南支線と分岐手前。夏は、旭川からの海水浴臨時列車が。準急ましけの姿が目に浮かびます。
鉄道の事故なんてあったんですね、通学時の生徒さんがそんな目に遭ってなければ今は90歳近くだったのに…ほんとに昔は悲惨な事故が多かったんですね・・・
見事な映像でした! 留萌地方の景色って晴れて草木が青々としてても少しセンチメンタルなイメージがありますが、そんな空気感を感じました! 駅も橋も撤去されてあっという間に過去になるんですねぇ。
あんな何の変哲もない橋梁から車両が転落したとは・・。初めて北海道に行ったときにはこの線路の上を通って増毛まで行き、更に当時まだ道路が無かった雄冬を定期船で訪ねました。思いの外沿線に寂れた感はありませんね。道が札幌直通になったおかげかしら。
山口さんへ6月23日の21時台に、全編拝見しました。廃止された区間で、終戦の翌る年に信砂川に架かっていた鉄橋で最後尾の車輌が脱線し路盤から転落し十数人もの学生達が犠牲になったという惨事が起こった事を初めて知り、自然災害等四六時中事故に注意を払うべきなんだなと考えさせられましたね。旧増毛駅の手前で鉄橋が撤去されたり、当該の路盤も草生す等自然回帰が進みそうな北海道の将来を暗示している気がしました。山口さんも、元気で過ごされますように。
増毛駅は当時僕が中学1年生の時にお出かけで行きました行った時には廃線になった後なので、ワンマン列車も通ってなかったので見れなかったり、乗れなかったりしたのがとても残念でした、でもその時は初めて廃線後の跡地などを見れて楽しかったことを思い出しました
鉄道の廃線跡をドローンで空撮した動画ってあまり見かけないので、新鮮ですね。信砂川鉄橋の事故は知りませんでした。
なんだか寂しくて、ドローンを追ってる(?)大きな鳥さんや、港に入るガット船など脇見をしつつ見ていましたが、最後の発車のアナウンスと汽笛で泣きました。
留萌工業高校まで通ってました。小樽行き4両編成6時40分頃かな増毛発 朝が辛かった懐かしいです。未だに町民です。是非是非、皆さん遊びに来てください。
(前編に引き続き、)後編も拝見させて頂きました。切ないの一言ですね…貴方がこの様に綺麗な映像として記録を残すことで、「歴史的に価値のある資料」として後世に伝わるかと存じます。長旅、お疲れ様でした。
以前増毛駅を訪れた際、あまりにストレートな車止めが印象的だったので最後に出てきて「そう、これこれ」と嬉しくなりました。折り返しの列車の発車時刻まで町を散策しました。漁港には元気な子猫たちが跳ね回っていました。もっとゆっくり歩きたかった。また行きたいなあ。そんな気持ちにになりました。素敵な動画をどうもありがとうございました。
海と鉄道って最高の組み合わせだと思うのですが…私は好きですが行けなかったのが本当にくやまれます。
自然に還りつつありますね。
2008年からフェリー&マイカーで、秋に北海道をドライブするようになって沿線を何回か走りました。増毛駅が現役のころ、留萌までが廃止された後、そして増毛駅が現在のように観光施設化されてからと都合4回くらい行ったと思います。増毛駅のホームは当時の姿を残していますね。確か駅にはお蕎麦屋さんが入っていましたが、時間が合わず食べられませんでした。今から考えると是非乗っておきたかった路線でしたね。
初めてコメントをさせていただきます。前後編見させていただきましたが、現在の様子が分かりやすく見ごたえがありました。撤去された駅の内、阿分、信砂、主紋別、箸別は元々簡易駅(地域部門が作った駅)だったのでホームも板張りだけの簡易的なものばかりで早々に撤去されたものと思われます。
増毛駅跡がしっかり整備されていて雑草がないのに驚きですほとんどの駅は線路もプラットホームも待合室も撤去されてますねそして線路が残っている区間でも葛などの雑草や伸びた樹木によりだいぶ自然に還りつつありますね・・・95年間本当にお疲れ様でした
地元の景色を動画に残してくれてありがとうございます。人口も4000人を割ったか... かくいう私も町を出た一人ですが。この夏は帰ってみようと思います。
44ヤマグチさん、こんにちは!人工物を撤去すると自然に還るの早いですね〜。増毛…鬼ごろし…国稀…酔っ払い🥴最後の汽笛がさびしさを物語りますね。
後編も素晴らしかったです。それにしても、国鉄からJRに代わってからもう幾つ廃線になったんでしょう・・・正直、毎年あれだけ国費を投入しているのならいっその事国鉄に戻してよと思ってしまいます。汽車から見る増毛への風景は動画の様にこの時季本当に美しいんですよね。あ、”美しかった”んですよね・・・
北海道、四国、九州は国の援助がなければとっくに破産してますからねただ国鉄に戻すと、沢山ある観光列車が一切合切無くなる気がしますね。
観光列車が無くなるのは嫌ですねぇ。。。特に今は九州は頑張ってますし。個人的には上下分割で、保線業務を国に任せて、車両運営はJR及び私鉄が運営するのはどうかなと思うんですがね、「国道」みたいな感じで。廃道・廃線は魅力を感じますが、現役の鉄路が少しでも多く残って欲しいです。
編集お疲れ様です。前編と合わせて拝見したんですが、留萌~増毛の区間廃止の背景として、並行する国道の道路改良が順調だったこと、沿岸バスの企画周遊券「萌えっこフリーきっぷ」の販売が順調なことが要因とみられます。その区間を以前利用したんですが、旭川運転所もちに加え、釧路運輸車両所のタラコカラーを加えた計3両で旭川と増毛の直通運転はレアでした。廃止後の利活用としては自転車・歩行者併用の歩行者道として整備したほうが良いかと思います。まずは留萌駅隣接の鉄橋をどうするかですね。
箸別-増毛間の跨線橋で写真撮っていたのを思い出しました。あの時ドローンがあればもっと印象的な映像が撮れていたかも…
ヤマグチさんこんにちは!海の見える廃線跡、素晴らしい😭ポツンと残った標識にもノスタルを感じます🚏私も今度北海道ツーリングに行ったら旧士幌線の幌加駅と旧白糠線上茶路駅に行ってみたいと思います( •̀ •́ゞ)
現役の時に乗ってみたかった
この路線も現役だった頃に1回は乗って見たかったですが残念ながら、その前に廃線になってしまいました。😭 この動画を見て地元岩内から最寄りの鉄道路線である函館本線山線も数年後に廃線になるので廃線になる前に出来るだけ乗っておこうと思いました~。と同時に鉄道路線が走っている有り難みも分かった気がします。😣
線路と民家がとても近い距離と思いますが、現役の時は、ガタンゴトンと聞こえたのかな~
母方の実家が舎熊なので、舎熊駅はお盆時期には良く利用してました。線路の向こう側の畑にスイカの収穫に行ったのを未だに覚えています。
あのできたらいいんですが 国道231号の天狗トンネルの現役時の写真ありますか?
ほんの数年で路盤跡は自然に還りつつありますね(¯―¯٥) 橋やレールを剥がしたりホームすらないと寂しい気持ちになりますが、このように動画で残しておくといいですね(^^)
今度羽幌線巡ってくださいね(。・ω・。)
自衛隊に居たときに増毛の海で泳いだことがあるから懐かしいな
本に載ってる古い写真を見ると(国鉄時代)どの駅も今より民家が有り人も多かった....。
増毛駅には、廃止になった年(2016年)の夏に行きましたが、駅舎も旧状が回復され、キチンと管理されているようですね。機会があればまた寄ってみたいです!2016年夏の映像→ th-cam.com/video/mok8CA2KjDM/w-d-xo.html
意外とまだ廃線跡は残ってますね。橋脚が取っ払われてますが…それにしても、増毛から先、石狩を経て札幌に鉄道敷設の計画があったようだが、そこまで繋がってりゃまだなんとかなっていたかもしれない。言い方は悪いが人がロクにいない増毛なんかで止めちまったからダメやったんやと思う。とは言え、同じように、広尾線を様似までつなげたとしても、日高エリアはダメだっただろうけど。
こうして北海道の廃線跡を見てると、なぜこんな辺鄙なところに、こんなにも多くの鉄道を敷設したんだろうと思ってしまいます。海沿いの路線は、ニシン漁華やかなりし頃の漁港と都市部を結ぶため、内陸部は炭鉱と石炭の積み出し港を結ぶためだったんだろうなと勝手に推察しています。それにしても驚くのは、北海道の何もない土地の広さ。九州と四国を合わせたよりも広い大地に、福岡県と同じくらいの人口しか住んでいないんだからまあ、仕方がないですね。一体、北海道の人口の何割が札幌都市圏に集中しているんだろうな。
今回の列車事故ですがバカな事を言います。理由はあると思いますが何故わざわざ川の上で事故は起きたのだろう。川以外であれば、犠牲者の数はもっと少なかったはずなのに。こんな事を考えてもキリが無いのはわかっているつもりですが……
前編後編共に視聴いたしました。
私の祖父母が箸別に住んでいて、両親の仕事の関係で夏休み等1人で旭川15時発増毛行きの列車に乗って祖父母に会いに行ってました。
当時は20年くらい前でしたが、その頃から自分以外の客は殆ど乗っていませんでした。
自分が免許を取得する頃には祖父母共に亡くなったので、それ以降JRに乗る機会は無かったのですが、この映像を見て祖父母が箸別駅まで迎えにきてくれていたこと、駅の近くにあった商店での買い物等、当時の楽しかった記憶を思い出し、懐かしさに浸る事ができました。
素晴らしい動画を撮影・アップロード頂き感謝いたします。
鉄橋での事故は知りませんでした。埋もれそうな過去の悲しい歴史にも光を当てる素晴らしい動画です。
まずは、素敵な映像をありがとうございます。
信砂川橋梁の前後で少しカーブしていた記憶が正しかったことが空撮で見てわかりました。
記憶では、列車のスピードが橋梁前で落ちたのできついカーブだったと思ったのでしょうね。
コンクリート橋に架け替える以前の鉄橋時代の事故は知りませんでした。
戦後混乱期の疲弊したインフラが原因かといえばそうかもしれませんが、画像中の増毛駅の説明文を読むと物言わぬ慰霊碑が事件を伝えてくれる気迫を感じました。せっかく戦争を生き抜いたのに・・・、という無念さと、救助にかかわった人の思いも感じました。
増毛駅の背中に立つ低い灯台は、初めて見たときこんなところにあったと感じたことは今も覚えています。
増毛港の空撮もすごいの一言です。港は見たことがなかったので。静かな港町ですね。
私が増毛駅まで旅をした当時は、デジカメではなくフィルムカメラでしたので現像代のこともあり、あまり撮っていなかったのですが、実家の屋根裏に眠る北海道時刻表、切符とともにこの時の写真もあるはずなので、何とか発掘して、旅の記憶を嫁さんや今小学生の娘に伝えたい。2人をきっといつかこの地に連れていきたいと思いました。
最近こちらのチャンネルを見つけました。
小樽生まれで20年前から京都に住んでいますが、小樽絡みの動画が沢山あって(しかも洞窟とかレアな物ばかり)非常に嬉しいです、これからも貴重な動画を宜しくお願いします。
沿線住民が全員で乗車しても、廃線は免れなかったんでしょうなぁ…。
高評価👍✨
無事、終点の増毛駅到着お疲れさまでした
赤字線ですから廃止は止むを得ませんが、こんなに美しい景色の中を走る鉄道が消えてしまうのは淋しい事です
最期のホイッスルが郷愁と旅情を誘いますね!
ステキで美しい映像をありがとうございました
後編の最後の発車音がウルってきて素晴らしかったです。
高倉健さんの映画STATIONを観ると当時の増毛の賑わいが伝わって来ますね
今回も美しい動画をありがとうございます!
なぜか涙があふれてきました。
特に地元というわけではないのですが
ある思い入れがあって感慨深く拝見しました。
廃線はさみしいものですね、やはり。
父の故郷が増毛で、ほぼ毎年訪れていますが鉄道に乗る機会がなく廃線になってしまいました。
留萌増毛間の年間利用客は2000年代は約500人程まで減り、営業収益約700万円対して路線の年間維持費は約2億円。山際を通っていたので急斜面からの土砂崩れやその対策、冬は斜面からの雪崩や路線の除雪等の防災経費がかさんでいたようです。
かつてはニシン漁で賑わっていたので大正時代には鉄道敷設法により増毛から日本海沿岸を南下して札幌まで鉄道を敷く計画もたちましたが沿岸部の地形に阻まれたようです。
何時の素晴らしい動画,ありがとうございます。
増毛に初めて行った時のメモを探してみました。当時撮り鉄(当時はそんな言葉なかったけど)だった私,上目名へC62(ツバメマークの2など)の重連を撮りに行ったり,鬼鹿へD61の撮影に行った帰り,70年12月留萌発10:00の743D,増毛着10:29,増毛に何しに行ったんだろう?きっと,単に列車に乗るためだったはず。そんな,昔の記憶が思い出されます。
いい映像ですね。
今から3年前、バイクツーリングで、増毛駅跡を訪れました。
懐かしいです。
廃線跡は、往時を偲ぶ、古代遺跡の様な気がして、気持ちが落ち着きます。
改めて、旧国鉄沿線は、風光明媚だったんだなあ…と
感動しました。
昭和39年父親の転勤で留萌市に。初めて留萌から増毛へ、キハ03の単行でしたね。懐かしいです、毎回素敵な映像ありがとうございます。留萌市在住時、明元町に住んでいて列車が見えましだが、臨港南支線と分岐手前。夏は、旭川からの海水浴臨時列車が。準急ましけの姿が目に浮かびます。
鉄道の事故なんてあったんですね、通学時の生徒さんがそんな目に遭ってなければ今は90歳近くだったのに…ほんとに昔は悲惨な事故が多かったんですね・・・
見事な映像でした! 留萌地方の景色って晴れて草木が青々としてても少しセンチメンタルなイメージがありますが、そんな空気感を感じました! 駅も橋も撤去されてあっという間に過去になるんですねぇ。
あんな何の変哲もない橋梁から車両が転落したとは・・。
初めて北海道に行ったときにはこの線路の上を通って増毛まで行き、更に当時まだ道路が無かった雄冬を定期船で訪ねました。
思いの外沿線に寂れた感はありませんね。道が札幌直通になったおかげかしら。
山口さんへ
6月23日の21時台に、全編拝見しました。廃止された区間で、終戦の翌る年に信砂川に架かっていた鉄橋で最後尾の車輌が脱線し路盤から転落し十数人もの学生達が犠牲になったという惨事が起こった事を初めて知り、自然災害等四六時中事故に注意を払うべきなんだなと考えさせられましたね。旧増毛駅の手前で鉄橋が撤去されたり、当該の路盤も草生す等自然回帰が進みそうな北海道の将来を暗示している気がしました。山口さんも、元気で過ごされますように。
増毛駅は当時僕が中学1年生の時にお出かけで行きました
行った時には廃線になった後なので、ワンマン列車も通ってなかったので見れなかったり、乗れなかったりしたのがとても残念でした、でもその時は初めて廃線後の跡地などを見れて楽しかったことを思い出しました
鉄道の廃線跡をドローンで空撮した動画ってあまり見かけないので、新鮮ですね。
信砂川鉄橋の事故は知りませんでした。
なんだか寂しくて、ドローンを追ってる(?)大きな鳥さんや、港に入るガット船など脇見をしつつ見ていましたが、最後の発車のアナウンスと汽笛で泣きました。
留萌工業高校まで通ってました。
小樽行き4両編成6時40分頃かな
増毛発 朝が辛かった
懐かしいです。未だに町民です。
是非是非、皆さん遊びに来てください。
(前編に引き続き、)後編も拝見させて頂きました。切ないの一言ですね…
貴方がこの様に綺麗な映像として記録を残すことで、「歴史的に価値のある資料」として後世に伝わるかと存じます。
長旅、お疲れ様でした。
以前増毛駅を訪れた際、あまりにストレートな車止めが印象的だったので最後に出てきて「そう、これこれ」と嬉しくなりました。
折り返しの列車の発車時刻まで町を散策しました。漁港には元気な子猫たちが跳ね回っていました。
もっとゆっくり歩きたかった。また行きたいなあ。そんな気持ちにになりました。
素敵な動画をどうもありがとうございました。
海と鉄道って最高の組み合わせだと思うのですが…
私は好きですが行けなかったのが本当にくやまれます。
自然に還りつつありますね。
2008年からフェリー&マイカーで、秋に北海道をドライブするようになって沿線を何回か走りました。増毛駅が現役のころ、留萌までが廃止された後、そして増毛駅が現在のように観光施設化されてからと都合4回くらい行ったと思います。増毛駅のホームは当時の姿を残していますね。確か駅にはお蕎麦屋さんが入っていましたが、時間が合わず食べられませんでした。今から考えると是非乗っておきたかった路線でしたね。
初めてコメントをさせていただきます。
前後編見させていただきましたが、現在の様子が分かりやすく見ごたえがありました。
撤去された駅の内、阿分、信砂、主紋別、箸別は元々簡易駅(地域部門が作った駅)だったのでホームも板張りだけの簡易的なものばかりで早々に撤去されたものと思われます。
増毛駅跡がしっかり整備されていて雑草がないのに驚きです
ほとんどの駅は線路もプラットホームも待合室も撤去されてますね
そして線路が残っている区間でも葛などの雑草や伸びた樹木により
だいぶ自然に還りつつありますね・・・95年間本当にお疲れ様でした
地元の景色を動画に残してくれてありがとうございます。
人口も4000人を割ったか... かくいう私も町を出た一人ですが。
この夏は帰ってみようと思います。
44ヤマグチさん、こんにちは!
人工物を撤去すると自然に還るの早いですね〜。増毛…鬼ごろし…国稀…酔っ払い🥴
最後の汽笛がさびしさを物語りますね。
後編も素晴らしかったです。
それにしても、国鉄からJRに代わってからもう幾つ廃線になったんでしょう・・・
正直、毎年あれだけ国費を投入しているのならいっその事国鉄に戻してよと思ってしまいます。
汽車から見る増毛への風景は動画の様にこの時季本当に美しいんですよね。あ、”美しかった”んですよね・・・
北海道、四国、九州は国の援助がなければとっくに破産してますからね
ただ国鉄に戻すと、沢山ある観光列車が一切合切無くなる気がしますね。
観光列車が無くなるのは嫌ですねぇ。。。特に今は九州は頑張ってますし。
個人的には上下分割で、保線業務を国に任せて、車両運営はJR及び私鉄が運営するのはどうかなと思うんですがね、「国道」みたいな感じで。
廃道・廃線は魅力を感じますが、現役の鉄路が少しでも多く残って欲しいです。
編集お疲れ様です。前編と合わせて拝見したんですが、留萌~増毛の区間廃止の背景として、並行する国道の道路改良が順調だったこと、沿岸バスの企画周遊券「萌えっこフリーきっぷ」の販売が順調なことが要因とみられます。その区間を以前利用したんですが、旭川運転所もちに加え、釧路運輸車両所のタラコカラーを加えた計3両で旭川と増毛の直通運転はレアでした。廃止後の利活用としては自転車・歩行者併用の歩行者道として整備したほうが良いかと思います。まずは留萌駅隣接の鉄橋をどうするかですね。
箸別-増毛間の跨線橋で写真撮っていたのを思い出しました。
あの時ドローンがあればもっと印象的な映像が撮れていたかも…
ヤマグチさんこんにちは!
海の見える廃線跡、素晴らしい😭
ポツンと残った標識にもノスタルを感じます🚏
私も今度北海道ツーリングに行ったら旧士幌線の幌加駅と旧白糠線上茶路駅に行ってみたいと思います( •̀ •́ゞ)
現役の時に乗ってみたかった
この路線も現役だった頃に1回は乗って見たかったですが残念ながら、その前に廃線になってしまいました。😭 この動画を見て地元岩内から最寄りの鉄道路線である函館本線山線も数年後に廃線になるので廃線になる前に出来るだけ乗っておこうと思いました~。と同時に鉄道路線が走っている有り難みも分かった気がします。😣
線路と民家がとても近い距離と思いますが、現役の時は、
ガタンゴトンと聞こえたのかな~
母方の実家が舎熊なので、舎熊駅はお盆時期には良く利用してました。
線路の向こう側の畑にスイカの収穫に行ったのを未だに覚えています。
あのできたらいいんですが 国道231号の天狗トンネルの現役時の写真ありますか?
ほんの数年で路盤跡は自然に還りつつありますね(¯―¯٥) 橋やレールを剥がしたりホームすらないと寂しい気持ちになりますが、このように動画で残しておくといいですね(^^)
今度羽幌線巡ってくださいね(。・ω・。)
自衛隊に居たときに増毛の海で泳いだことがあるから懐かしいな
本に載ってる古い写真を見ると(国鉄時代)どの駅も今より民家が有り人も多かった....。
増毛駅には、廃止になった年(2016年)の夏に行きましたが、駅舎も旧状が回復され、キチンと管理されているようですね。機会があればまた寄ってみたいです!
2016年夏の映像→ th-cam.com/video/mok8CA2KjDM/w-d-xo.html
意外とまだ廃線跡は残ってますね。
橋脚が取っ払われてますが…
それにしても、増毛から先、石狩を経て札幌に鉄道敷設の計画があったようだが、そこまで繋がってりゃまだなんとかなっていたかもしれない。
言い方は悪いが人がロクにいない増毛なんかで止めちまったからダメやったんやと思う。
とは言え、同じように、広尾線を様似までつなげたとしても、日高エリアはダメだっただろうけど。
こうして北海道の廃線跡を見てると、
なぜこんな辺鄙なところに、こんなにも多くの鉄道を敷設したんだろうと思ってしまいます。
海沿いの路線は、ニシン漁華やかなりし頃の漁港と都市部を結ぶため、
内陸部は炭鉱と石炭の積み出し港を結ぶためだったんだろうなと勝手に推察しています。
それにしても驚くのは、北海道の何もない土地の広さ。
九州と四国を合わせたよりも広い大地に、福岡県と同じくらいの人口しか住んでいないんだから
まあ、仕方がないですね。
一体、北海道の人口の何割が札幌都市圏に集中しているんだろうな。
今回の列車事故ですがバカな事を言います。理由はあると思いますが何故わざわざ川の上で事故は起きたのだろう。川以外であれば、犠牲者の数はもっと少なかったはずなのに。こんな事を考えてもキリが無いのはわかっているつもりですが……