イエス伝5 マルコ伝による 第二章 伝道の始め 二 最初の奇蹟

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  • เผยแพร่เมื่อ 13 ม.ค. 2025
  • イエス伝5 第二章 
    伝道の始め 二 最初の奇蹟
    カペナウムの会堂でイエスの権威ある御教えに接した人々は顔を見合わせて驚いたが、御話の終わるやいなやその時ただちに聴衆中の一人が突然大声をあげて叫んだ、「ナザレのイエスよ、我らは汝と何の関係あらんや、汝は我らを滅ぼさんとて来給う。われは汝の誰なるを知る、神の聖者なり」(一の二四)。この男に巣食っていた穢《けが》れし霊が、イエス様の言を聞きてその権威に圧倒され、いたたまらずしてかくのごとく叫び出したのであります。しかしそれは信従の声ではなく、明白に恐怖と敵意の声でありました。イエスは御自分が神の聖者であるとの証言を、悪鬼にしてもらう必要はない。またイエスの神性についての議論を、この男と戦わしているべき時でもない。今は救いの実行の時である。ゆえにイエスはたいへんなけんまくでもって、「つべこべ言わないで、黙ってとっとと出ていけ」と叱りつけ給うたところ、激しい痙攣《ひきつけ》、大なる叫び声をもって穢れし霊はその人から出ていった、というのであります(一の二五、二六)。これが最初の説教に引き続き、その場で起こった最初の奇蹟であります。
     一体マルコ伝には他の福音書に比べて、イエスの教訓の記事が少なく、奇蹟の記事がすこぶる多い。イエス様が弟子たちに与えられた遺訓の中に、「わが言うことを信ぜよ、……もし信ぜずばわが業《わざ》によりて信ぜよ」(ヨハネ一四の一一)、とありますが、マルコ伝にはその御言よりも御業の記事の方が目だって多いのです。これはマルコ伝のおもな資料提供者たるペテロの人となりが、思索家・教訓家というよりもむしろ実際家肌の常人であったからでもあろうが、マルコ伝を書いた目的が切迫した迫害時において信仰を堅持せしめるにあったからでしょう。無事泰平の時には議論もよいけれども、迫害の時代には言よりも業、思想よりも力である。だからマルコ伝には奇蹟の記事は多いけれども、どれ一つとしてイエス様の姿に後光を飾り、もったいをつけ、現実離れした仏壇神棚の奥にイエスを祭り込もうとしたものはありません。イエスの奇蹟は福音を目に見せて解き示す方法でありました。イエス様の御話が言の奇蹟であったごとく、その奇蹟は御業の言であった。

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