イエス伝9 マルコ伝による 第四章 伝道第二段 一 伝道方法の変更 二 種播きの譬話
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- เผยแพร่เมื่อ 1 ม.ค. 2025
- イエス伝
マルコ伝による
矢内原忠雄
第四章 伝道第二段
一 伝道方法の変更
イエスは敬虔《けいけん》なユダヤ人の一人として安息日には会堂に入るを常としたのであるが、片手|萎《な》えた人を癒し給うた事件があってパリサイ人の激しき怒りを買い、彼らとヘロデ党とが共謀してイエスを殺害しようという密議をこらすに至ってから(三の一六)、もはや会堂の中で説教することはできなくなった。会堂はパリサイ人の勢力の下にあったから、もう貸してくれない。それで彼は会堂の外に、話をする場所を求めなければならなくなりました。風薫るガリラヤ湖畔、青天井の下、広い波打ちぎわの砂浜が彼の説教場となったのであります。会堂は神の言を学ぶべき建物である。しかるに神の国の福音が会堂の外に締め出される! イエス様にとりてまことに心外なしうちであったでしょうが、それだけ福音が自由に、また広い範囲の人々に宣べ伝えられることとなったのであります。こうしてパリサイ人の会堂は転落し、真理は会堂外、広き世界に出ました。その後イエスが会堂に入って教えを説かれたのは故郷ナザレ訪問の時だけであって(六の一、二)、通常は戸外もしくは私宅で説教をせられたのであります。
御話の場所の変更は、お話の方法の変化を伴いました。その後イエスは譬話《たとえばなし》で語られるようになり、譬《たとえ》でなければいっさい公の説教をせられぬこととなった(四の二、三四)。これはいかなる理由によるのでしょうか。
けだし会堂に集まる会衆は比較的に伝統的宗教心の深い人々、いわば選ばれたる少数者でありました。しかるに湖畔の広場に集まる聴衆は人数も多く、内容も雑駁《ざっぱく》で、なかにはイエスの救いを切望する敬虔な魂もあったであろうが、大部分は教養の低い、信仰心の浅い群衆であり、宗教について無知もしくは冷笑的なる分子も少なくなかったであろうし、パリサイ人、ヘロデ党、もしくは彼らのスパイなどイエスの隠れたる敵も混じっていたであろう。かかる雑然たる聴衆の群れに向かっては、これまで会堂で語られたように単刀直入に神の国の福音を話せられるわけにいかない。それは有効でもなく、また危険である。そこでイエスは大衆に対する説教の場合には、もっぱら譬話の形式によることとせられたのであります。
二 種播きの譬話
カペナウムの町家で、食事する暇もなきほど忙しく群衆に接し、エルサレム下りの学者たちと論争し、自分の親族・家族らとの出来事もあって、敵味方がようやく明瞭となって緊張の時を過ごされたイエスは、戦闘の後の息抜きのため、また例のごとくガリラヤ湖辺に出《い》で給うた。しかるにおびただしき群衆が彼の身辺に集まってきたため、陸にいたのでは揉みつぶされるほどであったから、舟に乗りて少しく漕ぎ出し、渚《なぎさ》に群れている群衆に向かって水上から教えを説かれた。それは一つの譬話であった。
「お聴きなさい、農夫が種播《たねま》きに出た。ところで、路傍に落ちた種はすぐに鳥に食われてしまった。土の薄くかぶった岩地の上に落ちた種は、萌《も》え出るには出たが日に焼かれてすぐに枯れてしまった。茨《いばら》の中に落ちた種は生え出たけれども、茨の方が成長が早いのでそのために塞がれて実を結ばなかった。しかし良き地に落ちた種は生え出でて茂り、実を結ぶことあるいは三十倍、あるいは六十倍、あるいは百倍した云々《うんぬん》」(四の三-八)
イエス様は語を継いで、また一つの譬話を語り出で給いました。「神の国は種を地に播くようなもので、寝たり起きたりして日を過ごすうちに、播かれた種は生え出でて育つ。播いた当人の知らない間に、自然に生えてくるのだ。初めには苗が伸び、次に穂ができ、それから穂の中に穀が実る。熟《みの》りさえすれば、すぐに鎌《かま》を入れて収穫するのだ」(四の二六-二九)。
さらにも一つの譬話。「神の国は芥種《からしだね》のようなものだ。地に播く時はあらゆる種の中で最も小さいが、生え出でて成長すれば野菜中では最も大きく、まるで樹《き》のようになって鳥が棲《す》みうるほどになる」(四の三〇-三二)。(パレスチナの芥は八尺の高さにまで成長するという)
イエスは舟の上から湖畔の麦畠や野菜畠を見ながら、これらの譬話をせられたのであろう。そしてたくさんの群衆は思い思いの心をもってこれを聴いたのです。