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素晴らしいですね、日本の心そのものです一向宗は日本の信心の在り方の原点です。
完修さん今病院の掃除で働かせて頂いています。年配者の方の病院なので、亡くなる方お浄土に帰られる方もあります。家族が来られるまで霊安室で眠られています。私の仕事の上司が亡くなった方が、怖いと言って まいました。私その人達の方が、怖いですが、私は変わっていますか?
因幡博幸様ご視聴、コメントありがとうございます。死を怖いと思うのは人間の本能です。しかしながら…死を怖れるのと、亡くなられた方を怖れるのとは、全く意味合いが違います。多くの方々が死と亡くなられた人とを混同しておられます。上司の方にお尋ねになられたら良いかと存じます。貴方は、貴方のお子様が亡くなっても怖いですか?……と…因幡博幸様のお尋ねにお答えいたします。変わってはおりません。南無阿彌陀仏合掌高科修
加賀の一向一揆と石山本願寺に於ける籠城と一揆を超えて、最早戦争だったのとは些か意味合いが異なるとは存じますけれども。
北畑宏道様ご視聴、コメントありがとうございます。動画を最後までご視聴いただけましたでしょうか?もし最後までご視聴いただけておられないのであれば、どうぞ最後までのご視聴をお願いいたします。もし最後までご視聴いただけておられるのなら、もう一度最後までご視聴くださいませ。戦いの無い世の中を望みながら戦い!殺さない世界を望みながら殺して生き長らえる!『この悲しき生き物・人間』という自覚の上に立ち、『臨終の間際まで罪咎の身を背負って生きていく私』の生き方を定めて行く。一揆から、また北畑宏道様の仰る戦争から、私が気づかなければならないとの動画が、この動画の主旨であります。北畑宏道様。『……存じますけれども』と、全く以て他人事のコメントありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌高科修
考えながら 悩みながら 生きて行く 私たちに問いかけている
たまごさとうこむぎこ様ご視聴、コメントありがとうございます。問いかけられた私は…さて…どうしていきましょうか…私自身も、たまごさとうこむぎこ様も、その『どうしていきましょうか…』の自問自答が胆であります。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科 修様 お返事ありがとうございました やはり…考えながら 悩みながら 生きていく 普段の生活の中で 気負う事なく 忘れず 真摯に向きあう生きていく中で こうした思いを 語り伝える人がある事を 大切にしたいと 感謝です
少し話は反れているかもしれませんが…。 私の会社があるところは東京の門前仲町と言います。昭和20年の東京大空襲で、ペチャンコになるほど焼き尽くされた場所です。私は朝、その道を歩いているとき「この道の下には何十万の人の屍を踏みつけて歩いているな」と思っています。歴史とは人々の思いだけではなく、そこで戦ったあるいは、抗った人々そのものの屍さえも、踏みつけてここにあるのだと思います。私は本当に、幸せな国の、幸せな時代に、のほほんと生かされているんですね。
市川あきら様ご視聴、コメントありがとうございます。『歴史とは、人々の思いだけではなく、そこで戦ったあるいは、抗った人々そのものの屍さえも、踏みつけてここにあるのだと思います』との市川あきら様のお言葉。そのお言葉に敬意と尊敬の念を抱かずにはいられません。その思いこそが…その意識こそが…『大きな深い願い』の『正体』であります。だからこそ…次の言葉の『正体』に『気づいて』欲しいと切に願わずにはいられません。『幸せな国の、幸せな時代に、のほほんと生かされているんですね』の市川あきら様のお言葉です。表面は『幸せな国の、幸せな時代』に見えます。表面は…自殺者が、交通事故より多く…子供食堂が必要で…子を安心して産めず、また育てられない…仕事でも、学校でも、親さえも、社員や生徒、子を叱れない…多数決と民主主義をはきちがえ…原爆を落とされた国にもかかわらず、非核に専念出来ず…クリーンエネルギーに転換せず……嘘をついても、ずるをしても、責任も罪にも問われず……軍拡に向かう……(あげればキリがありません)等々のこの国が……果たして幸せな国の、幸せな時代なのでしょうか?『人々の思いだけではなく、そこで戦ったあるいは、抗った人々そのものの屍さえも、踏みつけてここにあるのだ』=『歴史』であるなら、ならば、今のこの国は、先に亡くなった方々が、思い願った『姿』なのでしょうか?『のほほんと生かされているんですね』と仰る市川あきら様の中に、実は、『のほほんと生かされているんですね』と『思っていない』=『市川あきら』が『いる』ことに、気づいて欲しいと、切に願っております。南無阿弥陀仏合掌高科修
牛や羊を食べながら クジラは かわいそう。肉は 食べず野菜を食べよう、コオロギを食べよう。それを考える事、それを食べる事は 自由ですが他人に強要すべきではないと思います。 しかしそれはともかく、コオロギであれ野菜であれ、 牛同様に生命があり、 人は その生命を食しながら生き永らえています。この矛盾には 「いただきます」「ごちそうさまでした」の感謝しかない事を 痛感します。今日いち日 生き永らえさせてくれた生命に合掌
ueo ai様ご視聴、コメントありがとうございます。命をいただきます。命をごちそうさまでした。痛みを伴う感謝。それでも殺すことに変わりはありません。そうしなければ、生きられないのですから。ならば…殺して生きながられた私の命は…生は…殺した命に、はずかしくないように、無駄にしないように、一心不乱に一生懸命に泣きごとなど言わず、何が起ころうが、自分のその時まで、歯を食い縛り、唇を噛んで、あきらめず、なげださずくさらず、生きて行くしかございません。浄土真宗は、その事実を『覚悟して生きていく人生』と呼びます。南無阿弥陀仏合掌高科修
織田信長が一向宗を嫌った理由はどうしてですか
勝馬 木下様ご視聴、コメントありがとうございます。なぜだと思いますか?どうしてだと思いますか?一向宗が、織田信長の言うことをきかなかったからです。勝馬 木下様…もし、気になったのであれば、どうぞ【織田信長 一向宗 一向一揆】で検索してみてはいかがでしょうか。そして、ご自身の事として受け止め考え、自問自答してみください。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科様いつもありがとうございます。きれい事だけでは片づけられないこの世を生きる辛さを感じます。植木徹誠師が「聖人の教えと同じ」と申された「わかっちゃいるけどやめられない」ですね。臨終の間際まで罪咎の身を背負って生きていくしかない私です。ありがとうございました。※私事で恐縮です、コロナの為に3年間待機しておりました後期教習をやっと受け、御影堂にて御真影のすぐ前で仏弟子の名乗りをあげることができました。南無阿弥陀仏
しろくま様始めに…仏弟子の名乗(名告)りをあげられましたこと、お喜び申し上げるとともに、共に仏弟子となられました しろくま様に敬意と尊敬の念を感じております。共に厳しい道を歩む覚悟をして『生きる』事を選んだこととなります。正に…しろくま様の仰る通り『臨終の間際まで罪咎の身を背負って生きていく私』の自覚の道であります。しろくま様と共に歩めることに、喜びを感じております。ありがとうございます。合掌高科修
素晴らしいですね、日本の心そのものです一向宗は日本の信心の在り方の原点です。
完修さん
今病院の掃除で働かせて頂いています。
年配者の方の病院なので、亡くなる方
お浄土に帰られる方もあります。
家族が来られるまで霊安室で眠られています。
私の仕事の上司が亡くなった方が、怖いと言って まいました。私その人達の方が、怖いですが、私は変わっていますか?
因幡博幸様
ご視聴、コメントありがとうございます。
死を怖いと思うのは人間の本能です。
しかしながら…
死を怖れるのと、
亡くなられた方を怖れるのとは、全く意味合いが違います。
多くの方々が
死と亡くなられた人とを混同しておられます。
上司の方にお尋ねになられたら良いかと存じます。
貴方は、貴方のお子様が亡くなっても怖いですか?……と…
因幡博幸様のお尋ねにお答えいたします。
変わってはおりません。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
加賀の一向一揆と石山本願寺に於ける籠城と一揆を超えて、最早戦争だったのとは些か意味合いが異なるとは存じますけれども。
北畑宏道様
ご視聴、コメントありがとうございます。
動画を最後までご視聴いただけましたでしょうか?
もし最後までご視聴いただけておられないのであれば、どうぞ最後までのご視聴をお願いいたします。
もし最後までご視聴いただけておられるのなら、もう一度最後までご視聴くださいませ。
戦いの無い世の中を望みながら戦い!
殺さない世界を望みながら殺して生き長らえる!
『この悲しき生き物・人間』という自覚の上に立ち、『臨終の間際まで罪咎の身を背負って生きていく私』の生き方を定めて行く。
一揆から、また北畑宏道様の仰る戦争から、私が気づかなければならないとの動画が、この動画の主旨であります。
北畑宏道様。
『……存じますけれども』と、全く以て他人事のコメントありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
考えながら 悩みながら 生きて行く 私たちに問いかけている
たまごさとうこむぎこ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
問いかけられた私は…
さて…
どうしていきましょうか…
私自身も、
たまごさとうこむぎこ様
も、
その『どうしていきましょうか…』
の自問自答が胆であります。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科 修様
お返事ありがとうございました
やはり…考えながら 悩みながら 生きていく
普段の生活の中で 気負う事なく 忘れず 真摯に向きあう
生きていく中で こうした思いを 語り伝える人がある事を
大切にしたいと 感謝です
少し話は反れているかもしれませんが…。
私の会社があるところは東京の門前仲町と言います。
昭和20年の東京大空襲で、ペチャンコになるほど焼き尽くされた場所です。
私は朝、その道を歩いているとき「この道の下には何十万の人の屍を踏みつけて歩いているな」と思っています。
歴史とは
人々の思いだけではなく、そこで戦ったあるいは、抗った人々そのものの屍さえも、踏みつけてここにあるのだと思います。
私は本当に、幸せな国の、幸せな時代に、のほほんと生かされているんですね。
市川あきら様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『歴史とは、人々の思いだけではなく、そこで戦ったあるいは、抗った人々そのものの屍さえも、踏みつけてここにあるのだと思います』
との市川あきら様のお言葉。
そのお言葉に敬意と尊敬の念を抱かずにはいられません。
その思いこそが…
その意識こそが…
『大きな深い願い』の『正体』であります。
だからこそ…
次の言葉の『正体』に『気づいて』欲しいと切に願わずにはいられません。
『幸せな国の、幸せな時代に、のほほんと生かされているんですね』
の市川あきら様のお言葉です。
表面は『幸せな国の、幸せな時代』に見えます。
表面は…
自殺者が、交通事故より多く…
子供食堂が必要で…
子を安心して産めず、また育てられない…
仕事でも、学校でも、親さえも、社員や生徒、子を叱れない…
多数決と民主主義をはきちがえ…
原爆を落とされた国にもかかわらず、非核に専念出来ず…
クリーンエネルギーに転換せず……
嘘をついても、ずるをしても、責任も罪にも問われず……
軍拡に向かう……
(あげればキリがありません)
等々のこの国が……
果たして幸せな国の、幸せな時代なのでしょうか?
『人々の思いだけではなく、そこで戦ったあるいは、抗った人々そのものの屍さえも、踏みつけてここにあるのだ』=『歴史』であるなら、ならば、今のこの国は、先に亡くなった方々が、思い願った『姿』なのでしょうか?
『のほほんと生かされているんですね』
と仰る市川あきら様の中に、実は、『のほほんと生かされているんですね』と『思っていない』=『市川あきら』が『いる』ことに、気づいて欲しいと、切に願っております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
牛や羊を食べながら クジラは かわいそう。
肉は 食べず野菜を食べよう、コオロギを食べよう。
それを考える事、それを食べる事は 自由ですが他人に強要すべきではないと思います。 しかしそれはともかく、
コオロギであれ野菜であれ、 牛同様に生命があり、 人は その生命を食しながら生き永らえています。
この矛盾には 「いただきます」「ごちそうさまでした」の感謝しかない事を 痛感します。
今日いち日 生き永らえさせてくれた生命に合掌
ueo ai様
ご視聴、コメントありがとうございます。
命を
いただきます。
命を
ごちそうさまでした。
痛みを伴う感謝。
それでも殺すことに変わりはありません。
そうしなければ、生きられないのですから。
ならば…
殺して生きながられた私の命は…生は…
殺した命に、はずかしくないように、無駄にしないように、一心不乱に一生懸命に泣きごとなど言わず、何が起ころうが、自分のその時まで、歯を食い縛り、唇を噛んで、
あきらめず、
なげださず
くさらず、
生きて行くしかございません。
浄土真宗は、その事実を『覚悟して生きていく人生』と呼びます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
織田信長が一向宗を嫌った理由はどうしてですか
勝馬 木下様
ご視聴、コメントありがとうございます。
なぜだと思いますか?
どうしてだと思いますか?
一向宗が、織田信長の言うことをきかなかったからです。
勝馬 木下様…
もし、気になったのであれば、どうぞ
【織田信長 一向宗 一向一揆】で検索してみてはいかがでしょうか。
そして、ご自身の事として受け止め考え、自問自答してみください。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科様
いつもありがとうございます。
きれい事だけでは片づけられないこの世を生きる辛さを感じます。
植木徹誠師が「聖人の教えと同じ」と申された「わかっちゃいるけどやめられない」ですね。
臨終の間際まで罪咎の身を背負って生きていくしかない私です。
ありがとうございました。
※私事で恐縮です、コロナの為に3年間待機しておりました後期教習をやっと受け、
御影堂にて御真影のすぐ前で仏弟子の名乗りをあげることができました。
南無阿弥陀仏
しろくま様
始めに…
仏弟子の名乗(名告)りをあげられましたこと、お喜び申し上げるとともに、共に仏弟子となられました しろくま様に敬意と尊敬の念を感じております。
共に厳しい道を歩む覚悟をして『生きる』事を選んだこととなります。
正に…
しろくま様の仰る通り
『臨終の間際まで罪咎の身を背負って生きていく私』の自覚の道であります。
しろくま様と共に歩めることに、喜びを感じております。
ありがとうございます。
合掌
高科修