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現在、69才に成る者です。私が中学校の時には夏には、よくアナマによく泳ぎに行った事を覚えています。アマナのつり橋から飛び込んだり、アナマ洞窟の中に泳いで入った(20メートル位)それ以上は海水が冷たくて、中には泳いで行く勇気もなく、仲間と引き返したを、覚えています。中学3年の時に、仲間5人と立待岬側からアナマまで徒歩で冒険に出ました。寒川集落跡地などの記憶はありませんが、途中のいろんな人工的な洞窟や祠などを覚えております。アナマ洞窟近くで、仲間の一人が怪我をしてしまい、函館病院で治療をしてもらいました。怪我の後の事は、どのようにして病院行ったかは、はっきり覚えていますせんが、とにかく早く走っていた事覚えています。ほろ苦い思い出です。
初めてコメントします。私の母が子供の頃家族でこの寒川海水浴場で泳いだと言ってました。途中に吊り橋があって渡るのが怖かった穴澗に洞窟があってコウモリが出てきた崖ギリギリを歩いて海水浴に行ったと鮮明に覚えていました。祖父(故人)からも函館山の下に寒川って集落あって、連絡船からも見えてたよと自分が幼い頃に教えてもらいました。(祖父は国鉄青函航路の乗組員でした。)母にこの動画を見せると当時の記憶が蘇るのではと思ってます。
ものすごく懐かしいです。昭和47-50年夏休みには自転車でアナマ海水浴場によく行きました。友達数名と寒川集落までいったことあります。もちろん集落があったことは知りませんでした。漁船が近づいてきて密猟者と間違えられ学校に通報されメチャ説教された記憶が残ってます。今じゃ教師の暴力虐待って感じに。それから二度とここには行きませんでした。貴重な映像ありがとうございます。
提供された当時の写真と貴方の繰るドローン空撮に於ける、「昔と今の答え合わせ」。貴方の人徳と技術が為せる御業ですね。
素晴らしい映像、編集、おぢさんの写真ありがとうございます。函館で生まれ、子どもの頃、穴澗に海水浴、磯遊びに家族で行きました。高校卒業と同時に函館を離れましたが、連絡船から函館山が見えてくると、サブちゃんや石川さゆり、都はるみの歌が流れ、何とも言えぬ旅情と郷愁を感じました。父親が連絡船関連の仕事でした。「おぢさん」の記事も亡くなるまでよく観てました。あの写真に写っている子ども世代です。提灯さげて浴衣を着て、七夕の歌を歌いながらロウソクをもらい歩いた幼少期。彼女と函館山を登って夜景を見る高校時代。たくさん思い出しました! 駅前大門の衰退に時の流れを感じますが、故郷函館をいつまでも大切に思っている一人です。感動的な作品、本当にありがとうございました!
洞窟の入口まで船で近づいたことがあります。真っ暗で吸い込まれるようで、怖かったです。80代の父は洞窟の中まで泳いで行ったり、吊り橋から海に飛び込んだりしたと、よく話しています。寒川集落にも新聞配達がされていたと聞いたことがあるのですが…そうだとしたら、苦労が偲ばれます。とても貴重な動画の配信をありがとうございました!
私の知人の職場に、昔、家族で寒川に住んでいた人が居るそうです。名字は○川です。
郵便屋さん大好き❤大事な手紙を命がけで届けて下さる。毎日待ってます。御身体だいじに!
函館出身の者です。山の裏なんて何もないと思ってこの年まで来ましたがこの動画に出会って知りました。感動しました、ありがとうございました!
亡き祖父が住んでいたと聞いた事があります。学校に行くのに3時間かかったとか、子供ながらの祖父との会話を思い出しましたありがとうございます。
ここは昭和50年のはじめ頃まで海水浴場で賑わっていましたねトイレや更衣室もあり屋台も何台か来てました皆さんが思っているよりも険しくなく小学生や女の子も吊橋を渡り泳いでましたアワビがいっぱいありましたね魚釣りの人もいっぱい来てました手前には採石場がありました民家もありました後に喫茶店も開店して夕陽を楽しむお客さんが行きましたね函館で一番の綺麗な海水浴場でした!
函館に住んでいたことは有るのですが、函館山の真裏にこんな歴史的痕跡があったとは、眼から鱗です。未来へ残す映像製作、応援しております。
貴重な写真!明治時代本州の次男以下一族は新天地を求めて北海道に続々と入植しましたが、新十津川村のように尊皇集落の厚待遇と違い、他の人々は違う苦労もされたでしょう。たいへんな場所に集落が…どのように生活をされていたのか偲ばれます。北海道にこのような記録に残る廃集落を観られるなんて。ありがとうございます。御協力下さいました方々にも感謝します。
私の父は石川県出身でした。何故来たのか、聞けずに亡くなりました。
@@北条彰-q6d さん、返信ありがとうございます。自分の出自調べるのもおもしろいです。戸籍辿る旅もよし、石川県古い土地柄ですから藩士だったのかも知れませんね。北海道は、三代くらい遡るとわかるようですよ。
これは素晴らしい学びの機会でした‼ありがとうございます❗函館山の「裏」については思いを巡らせたこともありませんでしたがしっかり歴史が刻まれていたのですね…あの洞窟の奥にまで人の痕跡があるとは…‼
ヤマグチ様 とっても懐かしいです。 私も55年ほど前の中学生の時、今のドッグ前電停=多分昔は弁天といったかも。ここから歩いて海岸沿いを立待岬まで歩きました。無謀でしたね。途中海で渡れなく、急斜面を這いつくばって登りました。その時の恐怖を覚えています。穴澗洞窟のような海に出っ張っていたところです。 夕方に立待岬に着き、谷地頭の電停から帰った気がします。 多分20円くらいの料金でした。もう一度行きたかったのですが、もう年なのでいけません。とっても懐かしいです。 できれば一周のドローン画像があればさらにいいですね。立待岬もありますし。ありがとうございました。
約35年前、私も忘れられない冒険を経験しました。高校生だった私は、友人と二人で夕方近くに穴間から足を踏み入れました。元吊り橋だった所の山を越え、海岸沿いの道なき道をひたすら歩き続けましたが、日が沈むにつれて辺りは次第に暗闇に包まれていきました。「次の岬を越えれば、立待岬の灯りが見えるはず…」そう信じて、幾度も岬を越えていきましたが、やがて全てが闇に飲まれ、私たちは漆黒の夜の中で孤立無援の状態に陥りました。しばらく歩き続け、ようやく立待岬の灯りが遠くに見えた時、私たちは一瞬の安堵を感じました。しかし、眼前に立ちはだかるのは絶壁。海岸沿いに進む道はもうなく、引き返すか、ここで立ち尽くすか、二つに一つの選択を迫られました。進むべき道が見えない中、私たちは無謀にも、命をかけて急斜面をよじ登る決断をしました。滑り落ちれば命を失う、そんな恐怖が常に頭をよぎりながら、それでも足を止めることなく登り続けました。そして、ついに私たちは千畳敷への登山道の入り口に辿り着いたのです。その瞬間、安堵と後悔が胸中で交錯しました。無知で無計画な冒険の代償は、あと一歩で命取りになるところだったと、あの時の恐怖と後悔は今でも鮮明に思い出されます。
素晴らしい映像、記録ありがとうございます!
ここ途中で山の方に上れる道があって神社と日本軍の要塞跡があるよ!
函館東川小学校出身の54歳になる者ですが、小学5、6年生の頃豊川町に住んでいましたが、よく穴間に釣りに行っていました。当時、吊り橋はボロボロでしたが、まだありました。危なくて渡る事は出来ませんでしたが、その先に集落跡があることを初めて知り、貴重な映像ありがとうございました。楽しかった小学生の時代を思い出す事ができました。
とても貴重な資料・写真・綺麗な海 素晴らしいでした。ありがとうございます。
ヤマグチさんの動画で、寒川集落を観れるとは思っていませんでした。函館~大間フェリーに乗ると、寒川集落跡を真横に見ることができます。ここには温泉♨が湧いていたんですよね(冷泉)。函館山を挟んで谷地頭温泉もあるので納得です。途中の橋が撤去されているので、探索する人は函館山縦走ルートからロープ降下するルートを辿る方が多いようですね。
感心を通り越して呆れる程に色々な知識を持っておられますね!(もちろん良い意味です)自分が興味をそそられる作品のコメントに散見されるので、最早他人と思えませんw SUコメも楽しみに読ませてもらってます🎵
@@AZ-hl9pp 恐れ入ります。もともと温泉や廃温泉、野湯めぐりをしていて、寒川集落のことは、その関連のブログ記事で知りました。それによると現在もチョロチョロしみ出しており、谷地頭温泉同様、周囲は空気に触れて鉄分が茶色く酸化した色を呈していたと記憶しています。1年ほど函館に滞在しているときに、地元フリーペーパーで寒川集落が特集され、さらに詳細を知ることができたのですが、現状の空撮や近影などは見ることができなかったので、今回のヤマグチさん動画には感謝です。0:52の立入禁止看板までは行ったことがありますが、廃屋や廃喫茶店が目立つ中、奥の方にも不自然な広い平地が続いており「なんでかな?」と思ったのですが、かつてはその看板の先、洞窟トンネルのところまでが海水浴場だったとのこと。今は閉鎖され、その手前の区域に夏季のごくわずかな期間だけ臨時海水浴場が設置されています。
山さいがねがというサイトで、まさに今ここの探索記事が更新中です。今この動画がおすすめに出てきたのは、私の閲覧データと関連データとして繋がったんでしょうね。素晴らしいドローン映像と過去写真、ありがとうございました。
写真の人達楽しそうだなぁ~。(遠い昔の笑い声...。)
すぐそこ(山の反対側)は函館市街で賑わっているのにこんな別世界があったとは。それにしても、集落がなくなった後に海水浴のためだけにあれほどの危険な小径や橋を渡っていった人たちが大勢いたのもまた驚きです。
素晴らしい映像詩をありがとうございます。人の生活は逞しくて空しいものもありますね。ヤマグチさんの映像で末永く残るといいですね。
函館出身のGLAYのTERUさんが穴澗海岸出身で幼少期まで住んでいたのは知っていましたが、実際に動画で見られて感激です。子供の頃は、家の中から釣りをしていたと言うエピソードが頷けました。ここからスターが誕生したと思うと感慨深いです。
凄く感動しました✨️まさか裏側にこんな場所があるとは……動画にしてくれて感謝です
今年の3月に立入禁止カンバンまで行き、その先の事を某TH-camr作品で知って興味津々なところに、なんてタイムリーでさらに写真付き❗️ 素晴らしい内容ですわ44さん、ありがとうございます🎵
ん〜懐かしいですね。自分(S43生)が小学生の時は良く行ってましたね。当時は大らかな時代で、自分等ガキンチョには、雲丹や鮑が豊富な良い所でした。(でも、ルールを守らないとキチンと強面のオジサンや上級生に優しく指導されます)自分の祖母が寒川出身ということもあり、夏場だけで無く冬場も行きましたね。良質の岩海苔が採れたので(笑)吊橋が無くなったのは中学2年くらいの時かな〜まぁ、急斜面登っての裏登山道(丁度登ると旧日本軍の砲台跡がある)知っているから、吊橋無くなった後も何度か行ったけど、ルートは非公開で(笑)マムシが半端ないんで
中学生の時、吊り橋の手前橋脚で普通に釣りしてました。30年ちょっと前です。その時は吊り橋の釣り縄の一部まだありましたね。引っ張った記憶あります。洞窟内に向かって、釣りの仕掛け投げても何も釣れませんでした‥砕石場の所まで自転車で行って、後は歩きです。更に小さい頃は、吊り橋手前エリアに海水浴で行ってましたが、岩場でよく足切った記憶しかありません‥ですので、昔の人はなんでこんな所の更に奥の寒川地区にわざわざ海水浴で集まって居たのか、正直理解出来ません‥ドローン撮影ありがとうございました😊記憶が蘇りました。
何時も素晴らしい動画をありがとうございます。函館山には何度となく行っていますが、その裏側に嘗て集落があったとは、思いもよりませんでした。
こんな険しい道を通ってでも海水浴をしたくなる場所だったのですね。歩くだけでも大変そうな所なのに、吊り橋や半洞門を行き来する人には笑顔がありましたね。後から来る子供を見守るお父さん、小さいうちから危険な所でも歩ける様学ばせる所が昭和っぽいですね。
こんばんは函館山の裏側、以前から興味があったので今回の動画、大変勉強になりました。ありがとうございました🙏
44ヤマグチさま、こんにちは!函館山の裏が海水浴場で賑わっていたとは…。寒川集落は人工物がほとんどないですね。手作り感があるというか。貴重な資料見せていただいて感謝につきますね。
これまたすごい所に生活が営まれていたのですね。ヤマグチ様の下調べの綿密さもこれまたすごい。大変勉強になりました。
いやこれは素晴らしい。ありがとうございます!
小さい頃に穴間海水浴場に行きました。当方51歳ですが懐かしいです。
函館地元でずっと行ってみたいと思ってましたが立ち入り禁止なので気になっていました。本当にありがとうございました。いつも応援してます。
ドローンの正しい使い方。 テレビを超えてます
神回来た!!!!この洞窟、フェリーから見た時に気になってたので有り難かったです!!めっちゃ面白かったです!!
箱館戦争の時に新政府軍が函館山の裏側から攻め込んだ話は聞いたことがありますが、まさか、こんな岩だらけの場所に集落があったとは知りませんでした。しかも海水浴場として賑わっていたとはビックリです。今は元の姿に戻りつつありますが、相変わらず海が綺麗ですね。
函館山の裏側がこんな風になってたなんて知りませんでした。貴重な写真と、ドローン映像を見せて頂き、どうもありがとうございました🙇♀️
穴間の海水浴場は、親父に連れられて行きました。あの洞窟も、ゴムボートで中に入った覚えがあります。吊り橋もビビりながらわたりました(笑)昭和40年代の末か50年代の初頭かと思います。おやぢさん、ブログで交流してました。入院と聞き、またブログの更新も・・・だったこと。亡くなられたと聞き、さみしい限りです。
寒川集落自体1960年代に廃村になった後も、海水浴場は70年代まで公に立ち入りできていたのですね。函館長期滞在中に寒川のことを知り、関連資料やサイトを検索していたのですが、そのなかに、おやぢさんのブログも入っていたかと思います。情報量がハンパなかったので…。いまでは「函館のおやじ」というと、超有名になられた日常グルメ系の方のブログを思い出します。函館は札幌以上にミステリー地区が多く、鱒川の奥や松倉川上流など、廃村や旧道、廃墟になった施設が多く人知れず眠っていますので、ヤマグチさんには続編を期待したいところですね。
学生の頃、有名旅行雑誌に函館山の裏手に丸太の橋があり、景色が良い。といったことが書いてありました。そこから函館山の裏手って行けるのかとイロイロ調べて、函館の観光協会まで行って聞いてみたこともあります。結果観光協会の壮年の男性が見せてくださった本で寒川地区の集落を知りましたが、そのときにはもう行けない場所というのを聞きました。その本はお寺の和尚さんが執筆したものとのこと。タクシーの運転手に聞き込みしたこともあり、観光客や海水浴場の客がウニ等の海産物資源を密漁するため海水浴場は閉められたとも聞きました。私が旧道廃道に興味を持った原点です。久しぶりにみて感動しました。ありがとうございましあ。
夏の日の想い出のようで郷愁を覚えました。海水浴のために結構な距離を危険な思いをしながら道を歩いていたのですね。なぜなら、その先には絶景と、綺麗な海があったからなのでしょう。洞窟の伝説とてもそそられました。今回も詳しい調査や情報収集して頂いたおかげで貴重な記録を知ることが出来ました。ありがとうございました😊
初めまして 私は子供の頃地元に住んでいて よく家族やご近所さん達と お弁当を持ち寄りアナマに海水浴に行ったことがあります その時は既に洞窟はありましたが侵入禁止の危険区域になっていました が何かとても懐かしく拝見させて頂きました 因みに私達の場合はその当時外人墓地の有る道からアナマ迄歩いて行きました
久しぶりに素晴らしい動画を見せて貰いました。北海道の一つの歴史ですよね、ありがとうございます
44ヤマグチ様大変貴重な映像ありがとうございます。37年前の記憶を思い出します。先輩と自転車二人乗りでよく遊びに来ていました。近所のおばさんが見ず知らずの中学生の子供におにぎりを作ってくれで、美味しくいただいた思い出があります。涙がでます。Googleでも見れる範囲が限られており、ずっと前から気になっておりました。立ち入り禁止の看板は当時無く、コンクリートの階段には当時壊れかけた橋がまだあったと思います。ただ、壊れかけていて、渡るには怖くてそれ以上行かなかったです。当時はまだ侵食が進んでいなかったので、右側のゴロタはまだ余裕があったです。寒川という村があったとはしりませんでした。44ヤマグチさまの行動力で貴重な映像が見れたことは本当に感謝いたします。ああ懐かしいです。小旅行にいけた感じがします。
その昔、海水浴客で大変賑わっていた光景が思い浮かびます。とても切なくなりました。
人間の力の凄さを感じました。生きる為には危ない岩石の海岸に道を造り、トンネルや橋まで架ける熱意は驚嘆するばかりです。
現在の表の賑わいを尻目に、夏には賑わう集落がかつて有ったとは・・。もし神に望むことが出来るなら、もう少し南岸も穏やかに作ってほしかった。と、思わずにはいられない。44ヤマグチさんの仰る通り、静かに時は流れています。思わず二度見しました、ありがとうございます。
こんにちは!!初めましてです。先月、お墓参りの帰りにブラブラお散歩して冒頭に出てくる立ち入り禁止の柵の所まで行ってきました。12歳の息子と、おじぃちゃんが若い時はあっちまで言ってたんだよーとか、ずっと遠くですが洞窟が見えたり、親子でわいわい騒いで、潮騒に耳を傾け、カモメの鳴き声を聴き、久しぶりの空間を堪能してきました!!函館在住で、大好きな街です。これからも、大好きな函館の街を知らない時代の街を見せてくださいね!!楽しみにしてます!!あっ!!お身体には気をつけてくださいね!!
ブラボーヤマグチ‼️わーひゅーパチパチ‼️ひとりスタンディングオベーションをしてしまいました✨いつもグット込み上げてくる映像と音楽をありがとうございます。
68歳のジジイですが、懐かしいですね!
先週函館に行ってました。函館山には行かなかったのですが、その裏側に海水浴場ならまだしも、人々の営みがあったこと自体信じられませんね。なぜなのような常に危険と隣り合わせの道の先で、わざわざ生活しなければならなかったのか不思議です。
昭和30年代まで生活の息吹きがあったことに驚きです。
初めておすすめに上がっていたのと、函館市民でもあるので視聴しました。 函館山の裏側は昔人が住んでたんですか!びっくり😳 これは貴重な動画だ…BGMも素敵です☺️ ありがとうございます!
道民ですが北海道にはまだまだ知らない所があるんですね、別件で宗谷本線の神路駅跡など最近は新しい知識を得ることができました、函館のおぢさんのブログの昭和30年頃の写真みました良い写真ですね。
こんばんは🌙😃函館山裏に集落があったのですね❗最近、裏側に廃墟あるようなことを知り気になっていました。貴重な映像ありがとうございます🙇♀️
海の青さが綺麗
ヨッキれん氏は入っていったんですよね。穴澗洞窟。いやはや本当にすごいです。
動画UPありがとうございます。記念に保存させてください。さて私事60年以上前になりますが、中学生のころ青柳町に住んでいたので近いところから函館山に登り(最短コースでほぼ直登w)千畳敷を下山して寒川まで魚釣りに行ったような記憶があります(遠い目)マムシが多いらしい
2、3ヶ月前にオススメに出てきてこの集落の事を知りました。寄りにもよってこんな不便な秘境に村を作らなくたってとも思いますが、海水浴や冒険するには良い所かもしれません。最初出てきた洞門良かったです。ドローンのお陰で良いものを見れました。
函館山の裏側の海域はとても良い漁場だったそうなので、漁民が住んでいたそうです。あと、岩場では岩のりが採れたそうです。
Good to see the Crane at 3:10!
また今回も、素晴らしい映像をありがとうございました。あんなに国内外から観光客が来る函館山の裏側にそんな歴史があったとは。
先日の10月9日に千畳敷コースで 立待岬へと歩きましたが、是非 このコースも歩きたいものです。自然の雄大さや歴史を感じながら、素晴らしい景色と共にロマンを感じます
とても懐かしかった私も47年位前夏になると何時も泳いでました
焼け焦げたあとのような岸壁ですね‼️大きな 戦いのうねりの跡を感じます 実のところは ドンなんだったのかなー 素晴らしき洋館の🏰だったかもですね 函館山わ‼️函館はいつまでも華やかでいてもらいたいですが 新幹線も停まらない北海道第三の都市 ⁉️ 新十津川村の事を知ると 何だかなーですね💐💗デモ いつかわ 💗💐ですね 函館に🌞がまた登るとき 日本人も🌞が当たる‼️💐💗🏰キット 🏰💗💐
寒川地区は一応今でも行けるルートが2つほど有るみたいですがどちらもなかなか険しい道で行くには注意しないといけないみたいです。
今でも行けるんですか?
凄く懐かしい物を見せて頂き本当にありがとうございます。穴澗洞穴も子供の頃入った思い出が懐かしいです。父にも帰省時にこちらの動画を見せて思い出話に花を咲かせようと思います。函館のおぢさんブログも以前父に見せた事があったので訃報を知り残念です。
函館住みの五十代ですが、昭和40年代後半から52、3年頃かと思いますが穴間から吊り橋で奥に行った記憶が若干あります、 函館の歴史的な事に興味がありおぢさんのブログにて昭和36年の住宅地図などは大変興味を引かれていましたが…更新されていないので?と思っていたら亡くなっていたんですね、大変残念です。でもおぢさんの古い写真を掲載されて、かつドローン撮影とでいい動画になっていると思いました。
30年ちょい前の小学生時代にすでに立ち入り禁止でしたが子供心からここを遊び場にしていました。動画2:15の所を穴を通らず左の山を登ると鳥居がありその先にロープが括り付けられており降りると穴の先に降りられたと記憶しています。吊り橋跡を泳いで渡り一周しようと試みましたが足場が無くなり無理だった思い出があります。今、大人になって考えるととんでもなく危険な行為をしていたと反省です
はじめまして。おすすめで拝見させていただきました。素晴らしい映像ですね人が去ったからか海も美しい。函館にこんな歴史があったとはしりませんでした。現代と昔の映像を混じえた動画。見応えありました。いやー美しい。古道とか隧道歴史好きなので感動いたしました。
一時期函館にいたことがあり、函館山の裏のこの世の果てのような風景に魅かれていました。今回の動画であらためてその昔日の風景を知ることが出来ました。ありがとうございます。
まさしく「時が止まっている」かのように見えるが、寄せて返す波によって「否、今なお時は進んでいる」と気付く。
私事ですが、函館(北海道)を離れる直前にこの動画が上がったコトを嬉しく思います。どうぞこれからも北海道の変遷や歴史を美しい映像で残してくれますよう頑張ってくださいませ( *´艸`)
素晴らしい動画をありがとうございます。 50年くらい前に吊り橋のところまで行ったことがありますが、すでに橋はありませんでした。 この先に、立待岬からの函館山周回道路跡があるのですが、どうなっているのか興味あります。
知人の話ですが、隧道(岩穴)の少し手前から山側へ登る道があり、進むと鳥居があって、そこからさらに進み、山を下ると、洞穴より奥の山の裏側へ行けたとのこと。もう20年近く前の話だそうです。
大昔、その鳥居まで登ったことがあります。雨が降ってきて暗くなり断念しましたがその先へ進んでみたかったです
子供の頃友達とずっと気になるね〜って話してたけどこんな風になってたんだ😮
ここの集落ことは函館市民でも知らない人が多いと思います、函館山ロープウェイや函館山登山バスの観光案内にも出ませんから、当時は海水浴場としても賑わってたんですね。
ロマンがありますね
函館山の裏気になっていたので知れて嬉しいです移住してきた人がいたのに台風でやられたとは当時の人は大変でしたね
あの函館に、こんな集落があったのですね入植者が漁師だったとはいえ、人が通うのが困難な場所に住まうなんて並大抵なことでは無いと思います今は自然に帰りつつある場所ですが、ここに人の営みがあった事を知る事が出来て良かったです今回も貴重な映像をありがとうごさいました
10年ほど前、隧道までは全然届かんが単車で行ける一番奥まで行った。地元の友人が「人全然来ないからBBQやりやすい」とのことで、一日楽しめました。密漁防止のパトロールとか来ましたね。
なんでも裏側は魅力的!
子供の頃親戚大勢で海水浴に行きました。懐かしいです。当時分かりませんでしたが、こんなに綺麗な碧い海だったんですね。海水浴の写真があったはず。
函館山の裏側に寒川村があったの、初めて知りました😮
青森~函館をフェリーで利用してます、まず見えてくるのが、函館山の裏側です、いや~そのような歴史があるんですね、学校で学ぶより、とても勉強に成りました、ありがとうございました。
素晴らしいコンテンツです。ありがとうございます🙏
30年位前の話になりますが7:27 この付近の山から50mくらいのロープが垂れ下がっててそれを登ると小さい神社みたいのがあったはずです。帰りが遅くなると海側から帰れなくなるので何度か利用したことがあります。後、寒川集落の土手側に丸く掘って冷泉が湧いてるところがあります。
ペンギンズバレーのあった所👋懐かしい✨
テレビの番組より見やすい。写真と現在の対比が上手
貴重な映像。函館山の裏側についてはずっと気になっており、いつか行きたいと思い続けてます。
10年位前だと思いますがライダーハウスのオーナーさんに橋の所まで連れて行ってもらいました。勿論橋はなくその先が気になっておりました。この動画で知る事が出来て嬉しく思います。歴史を知る事や思い出を残す事、大事な事です。これからも期待しております。
貴重な写真と空撮、ありがとうございます。函館は10数回行きましたが。イカ刺で酒飲んでばかりで探索してない(爆)
撮影、編集お疲れ様です‼️30年位前かな⁉️NHKだったかな⁉️テレビでこの集落の事を放送していたのを記憶しています。それ以降、フェリーに乗るたびに函館山を眺めて集落跡や洞窟前の橋の跡を探していたのを思い出したした。集落名を思い出せて、スッキリしました❗️
子どもの頃、海水浴で父母と吊橋を渡ったことを思い出しました。海の色がとても青だった記憶があります。
初コメです函館は空港が近かったり山が電波塔でドローンの申請面倒だった事でしょう・・・吊橋なんですが、僕は昭和53年生まれなんですが、子供の頃渡った記憶がありますなので昭和50年代後半まで吊橋はあったんじゃないかと思われます。それとも誰かが勝手に修理した物だったんでしょうかねぇ・・・おぢさんの料理を最後に食べたのももう10年以上前になるんですねうちからすぐ近くなんですまた新しい動画楽しみにしております!
この方、多分無許可だと思います笑。
青森や大間からフェリーに乗ると函館山の裏側がよく見えるが、岩肌剥き出しの断崖絶壁で、人間を寄せつけない未知の領域のように感じた。そこにかつて集落があったとは…。
今更ですが大変良い物を見せて頂きました。私が子供の頃は、立待岬と穴間がまだ海水浴場だったような。ただ父が高所恐怖症で吊橋が無理で(苦笑)私自身は行ったことはありません。今は湯の川も海水浴場は閉鎖され市内は入船くらいしか無いのかな。道南の海は木古内も松前もキャンプ場がありましたが今では😞すでに自分は海水浴をする程若くはありませんが、立待岬なども人で賑わっていた時代を目に焼き付いております。
函館には何度も訪れてますが山の南部がこうなってるのは知らなかった。住みたいか?と言われたら 絶対無理ですね。
函館山の裏にこのような場所があったのは知りませんでした。昔の人はたくましいですね。
たしか この辺はマムシがうじゃうじゃ居ると聞いた事が😅
現在、69才に成る者です。私が中学校の時には夏には、よくアナマによく泳ぎに行った事を覚えています。
アマナのつり橋から飛び込んだり、アナマ洞窟の中に泳いで入った(20メートル位)それ以上は海水が冷たくて、
中には泳いで行く勇気もなく、仲間と引き返したを、覚えています。
中学3年の時に、仲間5人と立待岬側からアナマまで徒歩で冒険に出ました。
寒川集落跡地などの記憶はありませんが、途中のいろんな人工的な洞窟や祠などを覚えております。
アナマ洞窟近くで、仲間の一人が怪我をしてしまい、函館病院で治療をしてもらいました。
怪我の後の事は、どのようにして病院行ったかは、はっきり覚えていますせんが、とにかく早く走っていた事
覚えています。ほろ苦い思い出です。
初めてコメントします。
私の母が子供の頃家族でこの寒川海水浴場で泳いだと言ってました。
途中に吊り橋があって渡るのが怖かった穴澗に洞窟があってコウモリが出てきた
崖ギリギリを歩いて海水浴に行ったと鮮明に覚えていました。
祖父(故人)からも函館山の下に寒川って集落あって、連絡船からも見えてたよと自分が幼い頃に教えてもらいました。
(祖父は国鉄青函航路の乗組員でした。)
母にこの動画を見せると当時の記憶が蘇るのではと思ってます。
ものすごく懐かしいです。昭和47-50年夏休みには自転車でアナマ海水浴場によく行きました。友達数名と寒川集落までいったことあります。もちろん集落があったことは知りませんでした。漁船が近づいてきて密猟者と間違えられ学校に通報されメチャ説教された記憶が残ってます。今じゃ教師の暴力虐待って感じに。それから二度とここには行きませんでした。貴重な映像ありがとうございます。
提供された当時の写真と貴方の繰るドローン空撮に於ける、「昔と今の答え合わせ」。
貴方の人徳と技術が為せる御業ですね。
素晴らしい映像、編集、おぢさんの写真ありがとうございます。
函館で生まれ、子どもの頃、穴澗に海水浴、磯遊びに家族で行きました。高校卒業と同時に函館を離れましたが、連絡船から函館山が見えてくると、サブちゃんや石川さゆり、都はるみの歌が流れ、何とも言えぬ旅情と郷愁を感じました。父親が連絡船関連の仕事でした。
「おぢさん」の記事も亡くなるまでよく観てました。
あの写真に写っている子ども世代です。提灯さげて浴衣を着て、七夕の歌を歌いながらロウソクをもらい歩いた幼少期。彼女と函館山を登って夜景を見る高校時代。たくさん思い出しました! 駅前大門の衰退に時の流れを感じますが、故郷函館をいつまでも大切に思っている一人です。
感動的な作品、本当にありがとうございました!
洞窟の入口まで船で近づいたことがあります。真っ暗で吸い込まれるようで、怖かったです。80代の父は洞窟の中まで泳いで行ったり、吊り橋から海に飛び込んだりしたと、よく話しています。寒川集落にも新聞配達がされていたと聞いたことがあるのですが…そうだとしたら、苦労が偲ばれます。
とても貴重な動画の配信をありがとうございました!
私の知人の職場に、昔、家族で寒川に住んでいた人が居るそうです。名字は○川です。
郵便屋さん大好き❤大事な手紙を命がけで届けて下さる。毎日待ってます。御身体だいじに!
函館出身の者です。山の裏なんて何もないと思ってこの年まで来ましたがこの動画に出会って知りました。感動しました、ありがとうございました!
亡き祖父が住んでいたと聞いた事があります。学校に行くのに3時間かかったとか、子供ながらの祖父との会話を思い出しましたありがとうございます。
ここは昭和50年のはじめ頃まで海水浴場で賑わっていましたね
トイレや更衣室もあり屋台も何台か来てました
皆さんが思っているよりも険しくなく小学生や女の子も吊橋を渡り泳いでました
アワビがいっぱいありましたね
魚釣りの人もいっぱい来てました
手前には採石場がありました
民家もありました
後に喫茶店も開店して夕陽を楽しむお客さんが行きましたね
函館で一番の綺麗な海水浴場でした!
函館に住んでいたことは有るのですが、函館山の真裏にこんな歴史的痕跡があったとは、眼から鱗です。
未来へ残す映像製作、応援しております。
貴重な写真!明治時代本州の次男以下一族は新天地を求めて北海道に続々と入植しましたが、新十津川村のように尊皇集落の厚待遇と違い、他の人々は違う苦労もされたでしょう。たいへんな場所に集落が…どのように生活をされていたのか偲ばれます。北海道にこのような記録に残る廃集落を観られるなんて。ありがとうございます。御協力下さいました方々にも感謝します。
私の父は石川県出身でした。
何故来たのか、聞けずに亡くなりました。
@@北条彰-q6d さん、返信ありがとうございます。自分の出自調べるのもおもしろいです。戸籍辿る旅もよし、石川県古い土地柄ですから藩士だったのかも知れませんね。北海道は、三代くらい遡るとわかるようですよ。
これは素晴らしい学びの機会でした‼ありがとうございます❗
函館山の「裏」については思いを巡らせたこともありませんでしたが
しっかり歴史が刻まれていたのですね…
あの洞窟の奥にまで人の痕跡があるとは…‼
ヤマグチ様 とっても懐かしいです。 私も55年ほど前の中学生の時、今のドッグ前電停=多分昔は弁天といったかも。ここから歩いて海岸沿いを立待岬まで歩きました。無謀でしたね。途中海で渡れなく、急斜面を這いつくばって登りました。その時の恐怖を覚えています。穴澗洞窟のような海に出っ張っていたところです。 夕方に立待岬に着き、谷地頭の電停から帰った気がします。 多分20円くらいの料金でした。もう一度行きたかったのですが、もう年なのでいけません。とっても懐かしいです。 できれば一周のドローン画像があればさらにいいですね。立待岬もありますし。ありがとうございました。
約35年前、私も忘れられない冒険を経験しました。高校生だった私は、友人と二人で夕方近くに穴間から足を踏み入れました。元吊り橋だった所の山を越え、海岸沿いの道なき道をひたすら歩き続けましたが、日が沈むにつれて辺りは次第に暗闇に包まれていきました。「次の岬を越えれば、立待岬の灯りが見えるはず…」そう信じて、幾度も岬を越えていきましたが、やがて全てが闇に飲まれ、私たちは漆黒の夜の中で孤立無援の状態に陥りました。
しばらく歩き続け、ようやく立待岬の灯りが遠くに見えた時、私たちは一瞬の安堵を感じました。しかし、眼前に立ちはだかるのは絶壁。海岸沿いに進む道はもうなく、引き返すか、ここで立ち尽くすか、二つに一つの選択を迫られました。進むべき道が見えない中、私たちは無謀にも、命をかけて急斜面をよじ登る決断をしました。滑り落ちれば命を失う、そんな恐怖が常に頭をよぎりながら、それでも足を止めることなく登り続けました。
そして、ついに私たちは千畳敷への登山道の入り口に辿り着いたのです。その瞬間、安堵と後悔が胸中で交錯しました。無知で無計画な冒険の代償は、あと一歩で命取りになるところだったと、あの時の恐怖と後悔は今でも鮮明に思い出されます。
素晴らしい映像、記録ありがとうございます!
ここ途中で山の方に上れる道があって神社と日本軍の要塞跡があるよ!
函館東川小学校出身の54歳になる者ですが、小学5、6年生の頃豊川町に住んでいましたが、よく穴間に釣りに行っていました。
当時、吊り橋はボロボロでしたが、まだありました。危なくて渡る事は出来ませんでしたが、その先に集落跡があることを初めて知り、貴重な映像ありがとうございました。
楽しかった小学生の時代を思い出す事ができました。
とても貴重な資料・写真・綺麗な海 素晴らしいでした。ありがとうございます。
ヤマグチさんの動画で、寒川集落を観れるとは思っていませんでした。
函館~大間フェリーに乗ると、寒川集落跡を真横に見ることができます。
ここには温泉♨が湧いていたんですよね(冷泉)。函館山を挟んで谷地頭温泉もあるので納得です。
途中の橋が撤去されているので、探索する人は函館山縦走ルートからロープ降下するルートを辿る方が多いようですね。
感心を通り越して呆れる程に色々な知識を持っておられますね!(もちろん良い意味です)自分が興味をそそられる作品のコメントに散見されるので、最早他人と思えませんw SUコメも楽しみに読ませてもらってます🎵
@@AZ-hl9pp 恐れ入ります。もともと温泉や廃温泉、野湯めぐりをしていて、寒川集落のことは、その関連のブログ記事で知りました。それによると現在もチョロチョロしみ出しており、谷地頭温泉同様、周囲は空気に触れて鉄分が茶色く酸化した色を呈していたと記憶しています。1年ほど函館に滞在しているときに、地元フリーペーパーで寒川集落が特集され、さらに詳細を知ることができたのですが、現状の空撮や近影などは見ることができなかったので、今回のヤマグチさん動画には感謝です。
0:52の立入禁止看板までは行ったことがありますが、廃屋や廃喫茶店が目立つ中、奥の方にも不自然な広い平地が続いており「なんでかな?」と思ったのですが、かつてはその看板の先、洞窟トンネルのところまでが海水浴場だったとのこと。今は閉鎖され、その手前の区域に夏季のごくわずかな期間だけ臨時海水浴場が設置されています。
山さいがねがというサイトで、まさに今ここの探索記事が更新中です。
今この動画がおすすめに出てきたのは、私の閲覧データと関連データとして繋がったんでしょうね。
素晴らしいドローン映像と過去写真、ありがとうございました。
写真の人達楽しそうだなぁ~。
(遠い昔の笑い声...。)
すぐそこ(山の反対側)は函館市街で賑わっているのにこんな別世界があったとは。
それにしても、集落がなくなった後に海水浴のためだけにあれほどの危険な小径や橋を渡っていった人たちが大勢いたのもまた驚きです。
素晴らしい映像詩をありがとうございます。
人の生活は逞しくて空しいものもありますね。
ヤマグチさんの映像で末永く残るといいですね。
函館出身のGLAYのTERUさんが穴澗海岸出身で幼少期まで住んでいたのは知っていましたが、実際に動画で見られて感激です。
子供の頃は、家の中から釣りをしていたと言うエピソードが頷けました。
ここからスターが誕生したと思うと感慨深いです。
凄く感動しました✨️
まさか裏側にこんな場所があるとは……動画にしてくれて感謝です
今年の3月に立入禁止カンバンまで行き、その先の事を某TH-camr作品で知って興味津々なところに、なんてタイムリーでさらに写真付き❗️ 素晴らしい内容ですわ44さん、ありがとうございます🎵
ん〜懐かしいですね。
自分(S43生)が小学生の時は良く行ってましたね。当時は大らかな時代で、自分等ガキンチョには、雲丹や鮑が豊富な良い所でした。(でも、ルールを守らないとキチンと強面のオジサンや上級生に優しく指導されます)
自分の祖母が寒川出身ということもあり、夏場だけで無く冬場も行きましたね。
良質の岩海苔が採れたので(笑)
吊橋が無くなったのは中学2年くらいの時かな〜
まぁ、急斜面登っての裏登山道(丁度登ると旧日本軍の砲台跡がある)知っているから、吊橋無くなった後も何度か行ったけど、ルートは非公開で(笑)
マムシが半端ないんで
中学生の時、吊り橋の手前橋脚で普通に釣りしてました。30年ちょっと前です。
その時は吊り橋の釣り縄の一部まだありましたね。引っ張った記憶あります。洞窟内に向かって、釣りの仕掛け投げても何も釣れませんでした‥砕石場の所まで自転車で行って、後は歩きです。
更に小さい頃は、吊り橋手前エリアに海水浴で行ってましたが、岩場でよく足切った記憶しかありません‥
ですので、昔の人はなんでこんな所の更に奥の寒川地区にわざわざ海水浴で集まって居たのか、正直理解出来ません‥
ドローン撮影ありがとうございました😊
記憶が蘇りました。
何時も素晴らしい動画をありがとうございます。函館山には何度となく行っていますが、その裏側に嘗て集落があったとは、思いもよりませんでした。
こんな険しい道を通ってでも海水浴をしたくなる場所だったのですね。
歩くだけでも大変そうな所なのに、吊り橋や半洞門を行き来する人には笑顔がありましたね。
後から来る子供を見守るお父さん、小さいうちから危険な所でも歩ける様学ばせる所が昭和っぽいですね。
こんばんは
函館山の裏側、以前から興味があったので
今回の動画、大変勉強になりました。
ありがとうございました🙏
44ヤマグチさま、こんにちは!
函館山の裏が海水浴場で賑わっていたとは…。寒川集落は人工物がほとんど
ないですね。手作り感があるというか。
貴重な資料見せていただいて感謝につきますね。
これまたすごい所に生活が営まれていたのですね。ヤマグチ様の下調べの綿密さもこれまたすごい。大変勉強になりました。
いやこれは素晴らしい。ありがとうございます!
小さい頃に穴間海水浴場に行きました。当方51歳ですが懐かしいです。
函館地元でずっと行ってみたいと思ってましたが立ち入り禁止なので気になっていました。本当にありがとうございました。
いつも応援してます。
ドローンの正しい使い方。 テレビを超えてます
神回来た!!!!
この洞窟、フェリーから見た時に気になってたので有り難かったです!!
めっちゃ面白かったです!!
箱館戦争の時に新政府軍が函館山の裏側から攻め込んだ話は聞いたことがありますが、まさか、こんな岩だらけの場所に集落があったとは知りませんでした。しかも海水浴場として賑わっていたとはビックリです。今は元の姿に戻りつつありますが、相変わらず海が綺麗ですね。
函館山の裏側がこんな風になってたなんて知りませんでした。
貴重な写真と、ドローン映像を見せて頂き、どうもありがとうございました🙇♀️
穴間の海水浴場は、親父に連れられて行きました。あの洞窟も、ゴムボートで中に入った覚えがあります。吊り橋もビビりながらわたりました(笑)昭和40年代の末か50年代の初頭かと思います。おやぢさん、ブログで交流してました。入院と聞き、またブログの更新も・・・だったこと。亡くなられたと聞き、さみしい限りです。
寒川集落自体1960年代に廃村になった後も、海水浴場は70年代まで公に立ち入りできていたのですね。函館長期滞在中に寒川のことを知り、関連資料やサイトを検索していたのですが、そのなかに、おやぢさんのブログも入っていたかと思います。情報量がハンパなかったので…。いまでは「函館のおやじ」というと、超有名になられた日常グルメ系の方のブログを思い出します。
函館は札幌以上にミステリー地区が多く、鱒川の奥や松倉川上流など、廃村や旧道、廃墟になった施設が多く人知れず眠っていますので、ヤマグチさんには続編を期待したいところですね。
学生の頃、有名旅行雑誌に函館山の裏手に丸太の橋があり、景色が良い。といったことが書いてありました。
そこから函館山の裏手って行けるのかとイロイロ調べて、函館の観光協会まで行って聞いてみたこともあります。
結果観光協会の壮年の男性が見せてくださった本で寒川地区の集落を知りましたが、そのときにはもう行けない場所というのを聞きました。その本はお寺の和尚さんが執筆したものとのこと。
タクシーの運転手に聞き込みしたこともあり、観光客や海水浴場の客がウニ等の海産物資源を密漁するため海水浴場は閉められたとも聞きました。
私が旧道廃道に興味を持った原点です。
久しぶりにみて感動しました。ありがとうございましあ。
夏の日の想い出のようで郷愁を覚えました。海水浴のために結構な距離を危険な思いをしながら道を歩いていたのですね。なぜなら、その先には絶景と、綺麗な海があったからなのでしょう。洞窟の伝説とてもそそられました。今回も詳しい調査や情報収集して頂いたおかげで貴重な記録を知ることが出来ました。ありがとうございました😊
初めまして 私は子供の頃地元に住んでいて よく家族やご近所さん達と お弁当を持ち寄りアナマに海水浴に行ったことがあります その時は既に洞窟はありましたが侵入禁止の危険区域になっていました が何かとても懐かしく拝見させて頂きました 因みに私達の場合はその当時外人墓地の有る道からアナマ迄歩いて行きました
久しぶりに素晴らしい動画を見せて貰いました。北海道の一つの歴史ですよね、ありがとうございます
44ヤマグチ様
大変貴重な映像ありがとうございます。37年前の記憶を思い出します。先輩と自転車二人乗りでよく遊びに来ていました。
近所のおばさんが見ず知らずの中学生の子供におにぎりを作ってくれで、美味しくいただいた思い出があります。
涙がでます。Googleでも見れる範囲が限られており、ずっと前から気になっておりました。立ち入り禁止の看板は当時無く、コンクリートの階段には当時壊れかけた橋がまだあったと思います。ただ、壊れかけていて、渡るには怖くてそれ以上行かなかったです。
当時はまだ侵食が進んでいなかったので、右側のゴロタはまだ余裕があったです。
寒川という村があったとはしりませんでした。44ヤマグチさまの行動力で貴重な映像が見れたことは本当に感謝いたします。
ああ懐かしいです。小旅行にいけた感じがします。
その昔、海水浴客で大変賑わっていた光景が思い浮かびます。
とても切なくなりました。
人間の力の凄さを感じました。
生きる為には危ない岩石の海岸に道を造り、トンネルや橋まで架ける熱意は驚嘆するばかりです。
現在の表の賑わいを尻目に、夏には賑わう集落がかつて有ったとは・・。
もし神に望むことが出来るなら、もう少し南岸も穏やかに作ってほしかった。
と、思わずにはいられない。
44ヤマグチさんの仰る通り、静かに時は流れています。
思わず二度見しました、ありがとうございます。
こんにちは!!初めましてです。先月、お墓参りの帰りにブラブラお散歩して冒頭に出てくる立ち入り禁止の柵の所まで行ってきました。
12歳の息子と、おじぃちゃんが若い時はあっちまで言ってたんだよーとか、ずっと遠くですが洞窟が見えたり、親子でわいわい騒いで、潮騒に耳を傾け、カモメの鳴き声を聴き、久しぶりの空間を堪能してきました!!
函館在住で、大好きな街です。これからも、大好きな函館の街を知らない時代の街を見せてくださいね!!楽しみにしてます!!
あっ!!お身体には気をつけてくださいね!!
ブラボーヤマグチ‼️
わー
ひゅー
パチパチ‼️
ひとりスタンディング
オベーションをしてしまいました✨
いつもグット込み上げてくる
映像と音楽をありがとうございます。
68歳のジジイですが、懐かしいですね!
先週函館に行ってました。函館山には行かなかったのですが、その裏側に海水浴場ならまだしも、人々の営みがあったこと自体信じられませんね。なぜなのような常に危険と隣り合わせの道の先で、わざわざ生活しなければならなかったのか不思議です。
昭和30年代まで生活の息吹きがあったことに驚きです。
初めておすすめに上がっていたのと、函館市民でもあるので視聴しました。
函館山の裏側は昔人が住んでたんですか!びっくり😳 これは貴重な動画だ…BGMも素敵です☺️ ありがとうございます!
道民ですが北海道にはまだまだ知らない所があるんですね、別件で宗谷本線の神路駅跡など最近は新しい知識を得ることができました、函館のおぢさんのブログの昭和30年頃の写真みました良い写真ですね。
こんばんは🌙😃
函館山裏に集落があったのですね❗最近、裏側に廃墟あるようなことを知り気になっていました。貴重な映像ありがとうございます🙇♀️
海の青さが綺麗
ヨッキれん氏は入っていったんですよね。穴澗洞窟。いやはや本当にすごいです。
動画UPありがとうございます。記念に保存させてください。さて私事60年以上前になりますが、中学生のころ青柳町に住んでいたので近いところから函館山に登り(最短コースでほぼ直登w)千畳敷を下山して寒川まで魚釣りに行ったような記憶があります(遠い目)マムシが多いらしい
2、3ヶ月前にオススメに出てきてこの集落の事を知りました。
寄りにもよってこんな不便な秘境に村を作らなくたってとも思いますが、海水浴や冒険するには良い所かもしれません。
最初出てきた洞門良かったです。
ドローンのお陰で良いものを見れました。
函館山の裏側の海域はとても良い漁場だったそうなので、漁民が住んでいたそうです。あと、岩場では岩のりが採れたそうです。
Good to see the Crane at 3:10!
また今回も、素晴らしい映像をありがとうございました。
あんなに国内外から観光客が来る函館山の裏側にそんな歴史があったとは。
先日の10月9日に千畳敷コースで 立待岬へと
歩きましたが、是非 このコースも歩きたいものです。
自然の雄大さや歴史を感じながら、素晴らしい景色と共に
ロマンを感じます
とても懐かしかった私も47年位前夏になると何時も泳いでました
焼け焦げたあとのような岸壁ですね‼️大きな 戦いのうねりの跡を感じます 実のところは ドンなんだったのかなー 素晴らしき洋館の🏰だったかもですね 函館山わ‼️函館はいつまでも華やかでいてもらいたいですが 新幹線も停まらない北海道第三の都市 ⁉️ 新十津川村の事を知ると 何だかなーですね💐💗デモ いつかわ 💗💐ですね 函館に🌞がまた登るとき 日本人も🌞が当たる‼️💐💗🏰キット 🏰💗💐
寒川地区は一応今でも行けるルートが2つほど有るみたいですがどちらもなかなか険しい道で行くには注意しないといけないみたいです。
今でも行けるんですか?
凄く懐かしい物を見せて頂き本当にありがとうございます。穴澗洞穴も子供の頃入った思い出が懐かしいです。父にも帰省時にこちらの動画を見せて思い出話に花を咲かせようと思います。
函館のおぢさんブログも以前父に見せた事があったので訃報を知り残念です。
函館住みの五十代ですが、昭和40年代後半から52、3年頃かと思いますが穴間から吊り橋で奥に行った記憶が若干あります、 函館の歴史的な事に興味がありおぢさんのブログにて昭和36年の住宅地図などは大変興味を引かれていましたが…更新されていないので?と思っていたら亡くなっていたんですね、
大変残念です。でもおぢさんの古い写真を掲載されて、かつドローン撮影とでいい動画になっていると思いました。
30年ちょい前の小学生時代にすでに立ち入り禁止でしたが子供心からここを遊び場にしていました。動画2:15の所を穴を通らず左の山を登ると鳥居がありその先にロープが括り付けられており降りると穴の先に降りられたと記憶しています。吊り橋跡を泳いで渡り一周しようと試みましたが足場が無くなり無理だった思い出があります。今、大人になって考えるととんでもなく危険な行為をしていたと反省です
はじめまして。おすすめで拝見させていただきました。
素晴らしい映像ですね
人が去ったからか海も美しい。
函館にこんな歴史があったとはしりませんでした。
現代と昔の映像を混じえた動画。
見応えありました。いやー美しい。
古道とか隧道歴史好きなので感動いたしました。
一時期函館にいたことがあり、函館山の裏のこの世の果てのような風景に魅かれていました。
今回の動画であらためてその昔日の風景を知ることが出来ました。ありがとうございます。
まさしく「時が止まっている」かのように見えるが、寄せて返す波によって「否、今なお時は進んでいる」と気付く。
私事ですが、函館(北海道)を離れる直前にこの動画が上がったコトを嬉しく思います。
どうぞこれからも北海道の変遷や歴史を美しい映像で残してくれますよう頑張ってくださいませ( *´艸`)
素晴らしい動画をありがとうございます。
50年くらい前に吊り橋のところまで行ったことがありますが、すでに橋はありませんでした。 この先に、立待岬からの函館山周回道路跡があるのですが、どうなっているのか興味あります。
知人の話ですが、隧道(岩穴)の少し手前から山側へ登る道があり、進むと鳥居があって、
そこからさらに進み、山を下ると、洞穴より奥の山の裏側へ行けたとのこと。
もう20年近く前の話だそうです。
大昔、その鳥居まで登ったことがあります。
雨が降ってきて暗くなり断念しましたがその先へ進んでみたかったです
子供の頃友達とずっと気になるね〜って話してたけどこんな風になってたんだ😮
ここの集落ことは函館市民でも知らない人が多いと思います、函館山ロープウェイや函館山登山バスの観光案内にも出ませんから、当時は海水浴場としても賑わってたんですね。
ロマンがありますね
函館山の裏気になっていたので知れて嬉しいです
移住してきた人がいたのに台風でやられたとは当時の人は大変でしたね
あの函館に、こんな集落があったのですね
入植者が漁師だったとはいえ、人が通うのが困難な場所に住まうなんて並大抵なことでは無いと思います
今は自然に帰りつつある場所ですが、ここに人の営みがあった事を知る事が出来て良かったです
今回も貴重な映像をありがとうごさいました
10年ほど前、隧道までは全然届かんが単車で行ける一番奥まで行った。地元の友人が「人全然来ないからBBQやりやすい」とのことで、一日楽しめました。密漁防止のパトロールとか来ましたね。
なんでも裏側は魅力的!
子供の頃親戚大勢で海水浴に行きました。懐かしいです。当時分かりませんでしたが、こんなに綺麗な碧い海だったんですね。海水浴の写真があったはず。
函館山の裏側に寒川村があったの、初めて知りました😮
青森~函館をフェリーで利用してます、まず見えてくるのが、函館山の裏側です、いや~そのような歴史があるんですね、学校で学ぶより、とても勉強に成りました、ありがとうございました。
素晴らしいコンテンツです。
ありがとうございます🙏
30年位前の話になりますが
7:27 この付近の山から50mくらいのロープが垂れ下がってて
それを登ると小さい神社みたいのがあったはずです。帰りが遅くなると海側から帰れなくなるので何度か利用したことがあります。
後、寒川集落の土手側に丸く掘って冷泉が湧いてるところがあります。
ペンギンズバレーのあった所👋
懐かしい✨
テレビの番組より見やすい。写真と現在の対比が上手
貴重な映像。函館山の裏側についてはずっと気になっており、いつか行きたいと思い続けてます。
10年位前だと思いますがライダーハウスのオーナーさんに橋の所まで連れて行ってもらいました。勿論橋はなくその先が気になっておりました。この動画で知る事が出来て嬉しく思います。歴史を知る事や思い出を残す事、大事な事です。これからも期待しております。
貴重な写真と空撮、ありがとうございます。
函館は10数回行きましたが。イカ刺で酒飲んでばかりで探索してない(爆)
撮影、編集お疲れ様です‼️
30年位前かな⁉️NHKだったかな⁉️テレビでこの集落の事を放送していたのを記憶しています。
それ以降、フェリーに乗るたびに函館山を眺めて集落跡や洞窟前の橋の跡を探していたのを思い出したした。
集落名を思い出せて、スッキリしました❗️
子どもの頃、海水浴で父母と吊橋を渡ったことを思い出しました。
海の色がとても青だった記憶があります。
初コメです
函館は空港が近かったり山が電波塔でドローンの申請面倒だった事でしょう・・・
吊橋なんですが、僕は昭和53年生まれなんですが、子供の頃渡った記憶があります
なので昭和50年代後半まで吊橋はあったんじゃないかと思われます。
それとも誰かが勝手に修理した物だったんでしょうかねぇ・・・
おぢさんの料理を最後に食べたのももう10年以上前になるんですね
うちからすぐ近くなんです
また新しい動画楽しみにしております!
この方、多分無許可だと思います笑。
青森や大間からフェリーに乗ると函館山の裏側がよく見えるが、岩肌剥き出しの断崖絶壁で、人間を寄せつけない未知の領域のように感じた。
そこにかつて集落があったとは…。
今更ですが大変良い物を見せて頂きました。
私が子供の頃は、立待岬と穴間がまだ海水浴場だったような。
ただ父が高所恐怖症で吊橋が無理で(苦笑)私自身は行ったことはありません。
今は湯の川も海水浴場は閉鎖され市内は入船くらいしか無いのかな。
道南の海は木古内も松前もキャンプ場がありましたが今では😞
すでに自分は海水浴をする程若くはありませんが、立待岬なども人で賑わっていた時代を目に焼き付いております。
函館には何度も訪れてますが山の南部がこうなってるのは知らなかった。住みたいか?と言われたら 絶対無理ですね。
函館山の裏にこのような場所があったのは知りませんでした。昔の人はたくましいですね。
たしか この辺はマムシがうじゃうじゃ居ると聞いた事が😅