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いつもアップロード有難うございます。もう吉田先生が旅立たれて9年が経過しておりますが、毎週日曜のあの稀有な時間を懐かしく思い出しております。記憶が正しければですが、1981-82年頃のおそらく視聴室の回にて、フルトヴェングラー BPO 1949年ヴィースバーデンでのブラームス4番に関して、先生がいつになく、熱を込めて演奏に関して感動を述べていらしたのを覚えております。モーツァルトからは離れてしまいますが、もしお持ちでいらっしゃれば、いつの日か、期間限定でも部分でも拝聴できれば、この上ない喜びと存じます。編集も含めて、労力も大変な作業と思いますが、今後もこの遺産の続きを楽しみに致しております。
コメントありがとうございます。吉田先生が旅立たれて9年、もうそんなに経つのですね。でも長生きして、長い間、音楽にご尽力いただき、ほんとにありがたいことだと思います。毎週の日曜日の時間、わたしにとってもいい時間でした。FM放送ぽく、掃除や片付けなどしながら、聞き流すような感じのことも多かったのですがそれがとても心地よい時間でした。私の試聴室は、音楽のたのしみのなかの、基本的には最終の日曜日に入っていたのですよね。残念ながら、録音した記憶もはっきりせず、カセットテープとしてあるかどうか、ちょっと危ういです。でも、これから気にしておきたいと思います。こうして、コメントを読ませていただいて、このフルトヴェングラーの演奏のお話でも、それから、ピアノソナタの回のアンドラーシュ・シフの演奏について触れているとき話でも、吉田先生は、演奏をとても大切に聴く、すばらしい聴き手だったのだと改めて思います。そして、音楽の素晴らしさをなんとか言葉にして伝えることで、その魅力を多くの人に届けたいと思われていたのだと感じます。考えてみれば、いまはネット上にあらゆる音楽が、シャワーのように存分に流れていますが(もう洪水のようであるのかもしれませんが)、先生の過ごした若い時代は、音楽を演奏で聴くというのは、困難の多い時代だったのでしょう。だから、その一回一回が、ひとしずくのものであっても、とても潤いと輝きを感じさせる至福とときだったのだと思います。だからこそ、その魅力をこうして伝え、そして音楽に携わる人の育てて来られたのだと思います。グリュミオーの演奏も、ちょっと触れられているジャック・ティボーの名前も、なにかそんな(80年代からしても)古い時代の香りが漂ってきます。きっとedwinfischer1886 さんのこのコメントも、そんな香りによったのかもしれません。それがわたしもうれしいです。ご指摘のものがない可能性は大きいですが、こうしてコメントいただきありがとうございました。これからも、アップが鈍いかもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。ありがとうございました。
@@mozartofyoshidahidekazu8656 ご返答有難うございます。先生は大戦中世間では「音楽を楽しむなど!」といったご時世のときも布団をかぶってFaureの室内楽に耳を傾けた話をなされてました。また、音盤マニアのあれが良かったこれが良かったといくつも並べて細切れみたいにして聴くことや、音細かい部分を比較して、どこが違い、どこが同じかといった比較に興じるよりも、演奏に対して、その時々の、感じや受け取り方や考え方を大事にしたいと仰っていたのも強く印象に残っています。音楽評論の方々の中でも、何でもわかった体でお話をされる方が多い中で、その時点で理解できないものには正直にそれを示し、後に理解できるようになると素直にそれを記されるなど、知的誠実性も含めて大変稀有な存在でした。今後も楽しみにしております。
貴重なエピソードを教えていただき、ありがとうございます。先生は、音楽を聴くということの喜びを、よくわかっていたのでしょうね。この画面では割愛してしまって、最近少し、それでよかったのかなぁと思うことは、先生はちゃんと全体が3楽章で、この楽章はソナタ形式で、といった、全体の構造の話されています。また、楽器の編成、普通はホルンだけど、ここではフリュートに持ち替えられているといったようなこと、また、単に何調というのでなく、必要に応じて、途中で変化していく調についてもお話することがあります。そして、演奏家の良いところなども、ちゃんとおっしゃいます。部分だけでなく、もっと全体も、わたしたちが感じる音楽にとってはとても大切なものなのだよと、教えていただいているような気がしてきています。それだけ、そのときどきの、演奏をわたしたちが精一杯味わう、その貴重な体験を大切にしているのだなぁと感じるのです。まだまだ、わたしは、そんな全体を聴き取れるまでには至らず、ただ、吉田先生の声を聴くばかりですが、それでも、ああ、いいなぁって想って聴くことがあります。いい時間ですよね。そんな時間を大切にしていきたいなぁと思います。また、教えて下さい。
いつも貴重な音源をありがとうございます!(1)から順番に拝見していて、ここまで来ました。僕はK.211の第3楽章を聞くとテレビドラマの”Vanishing Son"を思い出します。二人の仲良しの兄弟が犯罪に巻き込まれていくお話なのですが、ドラマ冒頭でお兄さんが奏でていたのが、このバイオリン協奏曲でしたね。当時はバンコクのホテルに長期滞在していまして、HBOで放映していたこのドラマを楽しみに観ていました。音楽ってこうやって聞くだけで、その当時がありありと蘇ってくるのですから、奇跡というか魔法みたいです。
ありがとうございます。こうしてコメントをいただき、外国の名前とそのときの様子を伺えて、時を越えてお便りをいただいているようで、たのしいです。音、音色、和音、メロディー、音楽。きっと、脳内で、その時々にリンクしていって、その体積が大きいのかもしれないですね。 記憶を蘇らせるキーにまでなっているのですから。
K207はファゴット協奏曲と同じ曲でさか?イントロが同じな気がします。素人です、すみません。
コメントありがとうございます。K207はファゴット協奏曲とはちがう曲ですが、わたしもいま聴き比べをしてみました。ほんとに出だしが同じですね。びっくりです。ご指摘でわかったくらいのわたしも素人なので、これからもいろいろ教えて下さい。ありがとうございました。
早速ご回答ありがとうございました。いつも楽しく聴かせていただいております。魔笛序曲とSym39やベートーヴェンの皇帝も出だしは同じに聞こえます。
ありがとうございます。いろいろな曲が結びついていくのも、楽しいことですね。
いつもアップロード有難うございます。
もう吉田先生が旅立たれて9年が経過しておりますが、毎週日曜の
あの稀有な時間を懐かしく思い出しております。
記憶が正しければですが、1981-82年頃のおそらく視聴室の回にて、
フルトヴェングラー BPO 1949年ヴィースバーデンでのブラームス4番に関して、
先生がいつになく、熱を込めて演奏に関して感動を述べていらしたのを覚えております。
モーツァルトからは離れてしまいますが、もしお持ちでいらっしゃれば、
いつの日か、期間限定でも部分でも拝聴できれば、この上ない喜びと存じます。
編集も含めて、労力も大変な作業と思いますが、今後もこの遺産の続きを
楽しみに致しております。
コメントありがとうございます。吉田先生が旅立たれて9年、もうそんなに経つのですね。でも長生きして、長い間、音楽にご尽力いただき、ほんとにありがたいことだと思います。
毎週の日曜日の時間、わたしにとってもいい時間でした。FM放送ぽく、掃除や片付けなどしながら、聞き流すような感じのことも多かったのですがそれがとても心地よい時間でした。
私の試聴室は、音楽のたのしみのなかの、基本的には最終の日曜日に入っていたのですよね。残念ながら、録音した記憶もはっきりせず、カセットテープとしてあるかどうか、ちょっと危ういです。でも、これから気にしておきたいと思います。
こうして、コメントを読ませていただいて、このフルトヴェングラーの演奏のお話でも、それから、ピアノソナタの回のアンドラーシュ・シフの演奏について触れているとき話でも、吉田先生は、演奏をとても大切に聴く、すばらしい聴き手だったのだと改めて思います。そして、音楽の素晴らしさをなんとか言葉にして伝えることで、その魅力を多くの人に届けたいと思われていたのだと感じます。
考えてみれば、いまはネット上にあらゆる音楽が、シャワーのように存分に流れていますが(もう洪水のようであるのかもしれませんが)、先生の過ごした若い時代は、音楽を演奏で聴くというのは、困難の多い時代だったのでしょう。だから、その一回一回が、ひとしずくのものであっても、とても潤いと輝きを感じさせる至福とときだったのだと思います。
だからこそ、その魅力をこうして伝え、そして音楽に携わる人の育てて来られたのだと思います。
グリュミオーの演奏も、ちょっと触れられているジャック・ティボーの名前も、なにかそんな(80年代からしても)古い時代の香りが漂ってきます。きっとedwinfischer1886 さんのこのコメントも、そんな香りによったのかもしれません。それがわたしもうれしいです。
ご指摘のものがない可能性は大きいですが、こうしてコメントいただきありがとうございました。これからも、アップが鈍いかもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。ありがとうございました。
@@mozartofyoshidahidekazu8656
ご返答有難うございます。先生は大戦中世間では「音楽を楽しむなど!」といったご時世のときも布団をかぶってFaureの室内楽に耳を傾けた話をなされてました。
また、音盤マニアのあれが良かったこれが良かったといくつも並べて細切れみたいにして聴くことや、音細かい部分を比較して、どこが違い、どこが同じかといった比較に興じるよりも、演奏に対して、その時々の、感じや受け取り方や考え方を大事にしたいと仰っていたのも強く印象に残っています。
音楽評論の方々の中でも、何でもわかった体でお話をされる方が多い中で、その時点で理解できないものには正直にそれを示し、後に理解できるようになると素直にそれを記されるなど、知的誠実性も含めて
大変稀有な存在でした。
今後も楽しみにしております。
貴重なエピソードを教えていただき、ありがとうございます。
先生は、音楽を聴くということの喜びを、よくわかっていたのでしょうね。
この画面では割愛してしまって、最近少し、それでよかったのかなぁと思うことは、先生はちゃんと全体が3楽章で、この楽章はソナタ形式で、といった、全体の構造の話されています。また、楽器の編成、普通はホルンだけど、ここではフリュートに持ち替えられているといったようなこと、また、単に何調というのでなく、必要に応じて、途中で変化していく調についてもお話することがあります。
そして、演奏家の良いところなども、ちゃんとおっしゃいます。
部分だけでなく、もっと全体も、わたしたちが感じる音楽にとってはとても大切なものなのだよと、教えていただいているような気がしてきています。
それだけ、そのときどきの、演奏をわたしたちが精一杯味わう、その貴重な体験を大切にしているのだなぁと感じるのです。
まだまだ、わたしは、そんな全体を聴き取れるまでには至らず、ただ、吉田先生の声を聴くばかりですが、それでも、ああ、いいなぁって想って聴くことがあります。
いい時間ですよね。
そんな時間を大切にしていきたいなぁと思います。
また、教えて下さい。
いつも貴重な音源をありがとうございます!
(1)から順番に拝見していて、ここまで来ました。
僕はK.211の第3楽章を聞くとテレビドラマの”Vanishing Son"を思い出します。
二人の仲良しの兄弟が犯罪に巻き込まれていくお話なのですが、
ドラマ冒頭でお兄さんが奏でていたのが、このバイオリン協奏曲でしたね。
当時はバンコクのホテルに長期滞在していまして、HBOで放映していたこのドラマを楽しみに観ていました。
音楽ってこうやって聞くだけで、その当時がありありと蘇ってくるのですから、奇跡というか魔法みたいです。
ありがとうございます。こうしてコメントをいただき、外国の名前とそのときの様子を伺えて、時を越えてお便りをいただいているようで、たのしいです。
音、音色、和音、メロディー、音楽。
きっと、脳内で、その時々にリンクしていって、その体積が大きいのかもしれないですね。 記憶を蘇らせるキーにまでなっているのですから。
K207はファゴット協奏曲と同じ曲でさか?イントロが同じな気がします。素人です、すみません。
コメントありがとうございます。K207はファゴット協奏曲とはちがう曲ですが、わたしもいま聴き比べをしてみました。ほんとに出だしが同じですね。びっくりです。ご指摘でわかったくらいのわたしも素人なので、これからもいろいろ教えて下さい。ありがとうございました。
早速ご回答ありがとうございました。いつも楽しく聴かせていただいております。魔笛序曲とSym39やベートーヴェンの皇帝も出だしは同じに聞こえます。
ありがとうございます。いろいろな曲が結びついていくのも、楽しいことですね。