ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
もの凄く興味深い“三内丸山遺跡”ですね~とても分かり易い内容で、当時の縄文人の死生観や生活習慣が想像されて、日本も捨てたものではないなと感じました。しかも、よく考えるとピラミッド時代と重なり合う実態を考えると“驚愕”な遺跡としか言えないですね😮
日本史を勉強するときにこう言う動画みると覚えれるから好き
奇跡の遺跡ですね。三内丸山がニュースに成って日本の縄文時代の偉大さが知られた事は本当に素晴らしい事です。この遺跡を残すことに決めた当時の方々に感謝しかありません。縄文時代の長い歴史の内で戦争や虐殺の痕跡が無い事も縄文人の死生感が伺えます。日本の誇るべき歴史をもっと多くの若い方に知って欲しいと思います。
大好きな三内丸山遺跡を紹介いただきとても嬉しいです👏何度か訪れましたがどこかのタイミングで建物が非常に綺麗になった記憶があるので、20年前とはだいぶ様子が違うのではないでしょうか。動画にあるように遺跡部分は非常に広く、再現家屋に入れたり保存された発掘現場を見学できたりします。最盛期には縄文時代の都会ともいえる賑わいだったのかなと想像します🌰河江先生と岡田先生の、集落・町の発掘談義がとても興味深かったです🏘️やはり昔の人々がどんな生活をしていたかというのは気になりますね。おそらく次回の出土品の紹介で展示スペースを見学されるのかなと思いますが、屋内にある出土品の展示スペースは綺麗に整えられてわかりやすくこちらも素晴らしいです🏺
河江先生が縄文時代ってなかなか新鮮で楽しいですね💡自分は発掘が始まったばかりのちょうど30年前に行ったきりなので…また行ってみたいと思います‼️
面白すぎてあっという間に終わってしまいました。高度な技術とその伝播も気になるところです。掘立柱建物は是非とも完成させて登れるようにしてもらいたい!
交易が盛んであったのであれば、それ相応の文化があり儀式もあるはず。日本の風土は自然との調和であり季節の移り変わりに合わせた生活がある。栗の木の巨木とは凄い!食、住居も支えた大切な神聖な生活巨木だったのだろう。そんな栗の木から落ちる栗の実も無数で弾丸の様に大量だとしたら収穫時は恐ろしい状態であったのか?と想像した。北の有名集落であったと考えるならば船で来る異文化との交流や冒険家や海外に出る人達等、受け入れる方はかなりの精神的な寛容な文化であったと考える。日本の北部を誇る縄文時代の文化の素晴らしさに感動する。
いつか行ってみたい場所の一つですが、春から夏だと遺跡発掘が見れるんですね。是非その時期を狙った行ってみたいと思います^^
ワクワクがとまりませんね
ピラミッド時代と同じ日本の時代をお願いしてました。この動画は、めっちゃうれしいです^^bそれも、自分の住んでる、青森って最高です!!
行ってみたいなぁ😊、、、
名前は聞いて知っていたけれど、行ってみたくなりました。
はじめまして栗の木は、初期の電車レールの枕木に使われていました。非常に腐りにくいからだそうです。栗の木が多く使われた理由にはそんなことがあるのかも知れませんね。
縄文遺跡の住居が茅葺(稲藁葺)で復元されているのに、しかも穂先がきれいに切り揃えられているのに違和感があった。しかも入母屋造。登呂遺跡の復元住居をそれで復元されたからそれが踏襲されているからだということ(一度定説になったものに異を唱えることはかなり難しい)。三内丸山遺跡の研究によりいろいろな事に新しい知見が出てくることに期待している。(茅葺屋根の穂先がきれいに切り取られていることについて、ある縄文遺跡の研究員さんに聞いてみたら、石器のナイフで萱の穂先を全部切り取るためには相当な時間がかかったはずだから多分切り取りはしなかったと思われるが、登呂遺跡で・・・、反証するエビデンスが植物のため分解されてしまって出てこないので と仰っていました)
半日ゆっくり見ましたポシェット作製はできませんでしたけど
6本の巨大柱が立ってたからってあの形してたって想像ですよね?茅葺屋根も近代の茅葺屋根を参考にしてて実際はあんな立派じゃないと思うのですけど!ハサミとか無いだろうし!
丸太の切り口が真っ平なのが萎えますね。角材なんてあったかな。当時は石斧?黒曜石で仕上げ?或いはテコの原理で折った?木材加工も復元出来たら良いですね。
土葺き住居、なんだか偽装されたトーチカみたい…
すいませんが、質問です。エジプトと他の国との外交のあとはあるんですか?
雪が降るとどうなるのでしょうか?
入り口とか雪で塞がりそうですよね。ここに縄文人が住んでた時代ってとても暖かくて住みやすい気候だったそうです。
古代エジプトは石の文化、日本の縄文時代は木々と植物の文化と言っても良いのかなあ?
素人から見ると、遺物がまだ土の中にあって、そのままになっているというのは何とも勿体ない気がします。掘り尽くして調べ尽くしてほしい気がします。日本は文化的な価値に対して発掘などの資金や機会を提供する意志も関心も希薄な気がします。
将来技術が進んでから掘ったり、破壊せずに遺跡の堆積を調べられたりするかも知れないからあながち悪い事でも無い気が…
無理に発掘してしまうと遺物を壊しかねないのではないでしょうか。発掘した遺物が重要なものであったが壊してしまい復元できなくなってしまっては意味ありませんね。そうであれば技術の発達を待ったりする必要があるのかもしれないですね。
一回だけでいいから全部アラビア語で話して欲しい
エジプトが極悪奴隷社会だったときに、縄文日本では、エデンの園の地上天国が実現してたんだね。すごいすごい、二っぽんはすごい/
土屋根が1番災害に強そう。毎回竪穴住居見て思うけど、子供いたらH出来ないよね。掘立柱は実例が有るじゃないですか。鎌倉時代の出雲大社。神殿であり、神格化された出雲の豪族王大国主の宮殿の寝殿ですよ。あの伝承のままの建物ですね。だから最下層の入口は床に開口部があるのではなく、床面に掛けるハシゴか階段が高床式倉庫と同じ様に有ったんじゃないですかね〜。46:00 〜の建物は徳川幕府に弾圧される前の修験道の道場に似てますね。あと農家や武士の家も細長いパターンがあります。思うに、屋根をある程度高く広く2階に使える「面」が必要だったんじゃないでしょうか?具体的には栗や椎の実を乾燥させ粉にして澱粉にする「干す作業」や、魚貝も剥き貝にして塩茹でを干したり「加工食品」や「焼成前の土器の成形」の「工場」じゃないでしょうか?
シャーマンや巫女が居て、歌や楽器で踊ってたのかなぁ
もの凄く興味深い“三内丸山遺跡”ですね~とても分かり易い内容で、当時の縄文人の死生観や生活習慣が想像されて、日本も捨てたものではないな
と感じました。
しかも、よく考えるとピラミッド時代と重なり合う実態を
考えると“驚愕”な遺跡としか
言えないですね😮
日本史を勉強するときにこう言う動画みると覚えれるから好き
奇跡の遺跡ですね。三内丸山がニュースに成って日本の縄文時代の偉大さが知られた事は本当に素晴らしい事です。この遺跡を残すことに決めた当時の方々に感謝しかありません。縄文時代の長い歴史の内で戦争や虐殺の痕跡が無い事も縄文人の死生感が伺えます。日本の誇るべき歴史をもっと多くの若い方に知って欲しいと思います。
大好きな三内丸山遺跡を紹介いただきとても嬉しいです👏何度か訪れましたがどこかのタイミングで建物が非常に綺麗になった記憶があるので、20年前とはだいぶ様子が違うのではないでしょうか。
動画にあるように遺跡部分は非常に広く、再現家屋に入れたり保存された発掘現場を見学できたりします。最盛期には縄文時代の都会ともいえる賑わいだったのかなと想像します🌰
河江先生と岡田先生の、集落・町の発掘談義がとても興味深かったです🏘️やはり昔の人々がどんな生活をしていたかというのは気になりますね。
おそらく次回の出土品の紹介で展示スペースを見学されるのかなと思いますが、屋内にある出土品の展示スペースは綺麗に整えられてわかりやすくこちらも素晴らしいです🏺
河江先生が縄文時代ってなかなか新鮮で楽しいですね💡
自分は発掘が始まったばかりのちょうど30年前に行ったきりなので…また行ってみたいと思います‼️
面白すぎてあっという間に終わってしまいました。
高度な技術とその伝播も気になるところです。
掘立柱建物は是非とも完成させて登れるようにしてもらいたい!
交易が盛んであったのであれば、それ相応の文化があり儀式もあるはず。日本の風土は自然との調和であり季節の移り変わりに合わせた生活がある。栗の木の巨木とは凄い!食、住居も支えた大切な神聖な生活巨木だったのだろう。そんな栗の木から落ちる栗の実も無数で弾丸の様に大量だとしたら収穫時は恐ろしい状態であったのか?と想像した。北の有名集落であったと考えるならば船で来る異文化との交流や冒険家や海外に出る人達等、受け入れる方はかなりの精神的な寛容な文化であったと考える。日本の北部を誇る縄文時代の文化の素晴らしさに感動する。
いつか行ってみたい場所の一つですが、
春から夏だと遺跡発掘が見れるんですね。
是非その時期を狙った行ってみたいと思います^^
ワクワクがとまりませんね
ピラミッド時代と同じ日本の時代をお願いしてました。この動画は、めっちゃうれしいです^^b
それも、自分の住んでる、青森って最高です!!
行ってみたいなぁ😊、、、
名前は聞いて知っていたけれど、行ってみたくなりました。
はじめまして
栗の木は、初期の電車レールの枕木に使われていました。非常に腐りにくいからだそうです。
栗の木が多く使われた理由にはそんなことがあるのかも知れませんね。
縄文遺跡の住居が茅葺(稲藁葺)で復元されているのに、しかも穂先がきれいに切り揃えられているのに違和感があった。しかも入母屋造。登呂遺跡の復元住居をそれで復元されたからそれが踏襲されているからだということ(一度定説になったものに異を唱えることはかなり難しい)。三内丸山遺跡の研究によりいろいろな事に新しい知見が出てくることに期待している。(茅葺屋根の穂先がきれいに切り取られていることについて、ある縄文遺跡の研究員さんに聞いてみたら、石器のナイフで萱の穂先を全部切り取るためには相当な時間がかかったはずだから多分切り取りはしなかったと思われるが、登呂遺跡で・・・、反証するエビデンスが植物のため分解されてしまって出てこないので と仰っていました)
半日ゆっくり見ました
ポシェット作製はできませんでしたけど
6本の巨大柱が立ってたからってあの形してたって想像ですよね?茅葺屋根も近代の茅葺屋根を参考にしてて実際はあんな立派じゃないと思うのですけど!ハサミとか無いだろうし!
丸太の切り口が真っ平なのが萎えますね。角材なんてあったかな。
当時は石斧?黒曜石で仕上げ?或いはテコの原理で折った?木材加工も復元出来たら良いですね。
土葺き住居、なんだか偽装されたトーチカみたい…
すいませんが、質問です。
エジプトと他の国との外交のあとはあるんですか?
雪が降るとどうなるのでしょうか?
入り口とか雪で塞がりそうですよね。
ここに縄文人が住んでた時代ってとても暖かくて住みやすい気候だったそうです。
古代エジプトは石の文化、日本の縄文時代は
木々と植物の文化と言っても良いのかなあ?
素人から見ると、遺物がまだ土の中にあって、そのままになっているというのは何とも勿体ない気がします。掘り尽くして調べ尽くしてほしい気がします。日本は文化的な価値に対して発掘などの資金や機会を提供する意志も関心も希薄な気がします。
将来技術が進んでから掘ったり、破壊せずに遺跡の堆積を調べられたりするかも知れないからあながち悪い事でも無い気が…
無理に発掘してしまうと遺物を壊しかねないのではないでしょうか。
発掘した遺物が重要なものであったが壊してしまい復元できなくなってしまっては意味ありませんね。
そうであれば技術の発達を待ったりする必要があるのかもしれないですね。
一回だけでいいから全部アラビア語で話して欲しい
エジプトが極悪奴隷社会だったときに、縄文日本では、エデンの園の地上天国が実現してたんだね。すごいすごい、二っぽんはすごい/
土屋根が1番災害に強そう。
毎回竪穴住居見て思うけど、子供いたらH出来ないよね。
掘立柱は実例が有るじゃないですか。
鎌倉時代の出雲大社。
神殿であり、神格化された出雲の豪族王大国主の宮殿の寝殿ですよ。
あの伝承のままの建物ですね。
だから最下層の入口は床に開口部があるのではなく、床面に掛けるハシゴか階段が高床式倉庫と同じ様に有ったんじゃないですかね〜。
46:00 〜の建物は徳川幕府に弾圧される前の修験道の道場に似てますね。
あと農家や武士の家も細長いパターンがあります。
思うに、屋根をある程度高く広く2階に使える「面」が必要だったんじゃないでしょうか?
具体的には栗や椎の実を乾燥させ粉にして澱粉にする「干す作業」や、魚貝も剥き貝にして塩茹でを干したり「加工食品」や「焼成前の土器の成形」の「工場」じゃないでしょうか?
シャーマンや巫女が居て、歌や楽器で踊ってたのかなぁ