【ゆっくり解説】ルート変更しまくった先が地獄だった【1950年谷川岳雪崩事故】

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  • เผยแพร่เมื่อ 29 ต.ค. 2024

ความคิดเห็น • 10

  • @オティモ
    @オティモ 9 หลายเดือนก่อน +9

    遺体は6月には発見されているみたいですね
    1月3日にはこの時よりも大規模な雪崩がおきて遺体が埋まってしまい、その後の捜索でもなかなか見つからなかったようですね

  • @おねむ-f6d
    @おねむ-f6d หลายเดือนก่อน

    むしろこの人数助けられてすごい…!

  • @3ストーン
    @3ストーン 9 หลายเดือนก่อน +13

    谷川岳…本当人食い山だなぁ…事故率高過ぎぃ…絶対挑戦したく無い

  • @影森治-e1h
    @影森治-e1h 9 หลายเดือนก่อน +4

    雪崩が起きやすい場所なんだから長居して捜索してるわけにもいかんよね

  • @newfootprints9433
    @newfootprints9433 9 หลายเดือนก่อน +6

    リーダーがきめぇまるか…きよてるが心配だ…
    本編に戻ります。

  • @ゆらゆら-z1v
    @ゆらゆら-z1v 9 หลายเดือนก่อน +8

    「もう何が正解か分からないわ・・・・」死にたくなければ、冬山に登らないのが正解です。
    高校生の頃山岳部でしたが、先輩が冬山で死者を出ています。私も稜線でオーバーハングに固まった雪の上を歩いてしまったことがあり、崩れたら数100m滑落して死んでいたでしょう。死ぬ覚悟がないなら冬山には登らない方が良いでしょう。

  • @青文-m3k
    @青文-m3k 9 หลายเดือนก่อน +4

    遭難者の霊に呼ばれてるとしか思えない

  • @おっさん-v9c
    @おっさん-v9c 7 หลายเดือนก่อน +1

    今の若者がUチュ-ブに野心持つようにこの時代ヒマラヤ登山に野心が持てました、極地法の訓練が天候悪かったので谷川岳ピストンに変更したんですね。運悪く雪崩が起きてしまいました、登山に夢持てた良い時代でした。合掌。