Respect to brave warriors from India We will never forget Japanese who helped us in our freedom struggle as well 🇮🇳❤️🇯🇵 Japan took sword to liberate Asia and give Asia for Asians much respect to the brave martyrs sleeping in yasukuni 🙏
My grandfather said sometimes The Japanese military pilot, who landed on the playground on the day of the elementary school athletic meet, stroked his head and told him to study hard. The soldier's encouragement helped me to strengthen myself during difficult times. I prayed that the soldier would survive the war well. War is made by politicians and businessmen make money And the beautiful young people give blood in return. So war shouldn't happen in any case from S.KOREA
Thank you so much for writing about the rememberances of your grand father on the day of his elementary school athletic meet. The pilot may have died in that war but the rememberance of the pilot stroking his head relling him to study hard remained alive in his heart - a bright spot in the tragic days of the last war. Thanks again for your comment from South Korea !!!
うちの爺ちゃん90で亡くなりましたが良く戦争の話をしていた。いつも目に涙浮かべて話してた。当時聞く耳をもたなかった俺は今になって悔しさがあると同時に、当時爺ちゃんも国土の為に命を捧げる覚悟があったと思うと頭が上がりません。素晴らしき戦友と共に天国から見守ってください。。。
お爺さまはキット分かってらっしゃると思いますよ。そして貴方の気持ちは伝わっていると思います。
私達は、その時代を知らないけれど、それでも伝える努力をし無くてはいけないですよね。
俺も。
じいちゃんが戦争の話するたびに、もういいよ戦争の話~なんて言ってた。よくあんな偉そうな事言えたもんだなと反省。
@@wakasagitsuriroman 反省しろ!!!!!!君が次の世代に伝えないといけない大事な話だぞ!!
貴方のおじいさんと戦友に感謝する 今ある生活は昔に命を捧げた人のおかげだと思って生活してます
いい事じゃないですか
それだけ、平和になったから関心が
なかったんですよ
おじぃちゃんは、昔話をただ話したかっただけですよ
この平和も今の日本があるのも、そういう方のおかげ。ありがとうございます
やはり、戦争や争いを無くすには、武力でしかない。。だからこそ、人の命を武力にした。これも真実なんだろうなと思いました
日本を守るために亡くなった大勢の若者たちに今の日本人は感謝しなければならない。
日本のためにありがとうございました!あなたたちの子孫で有ることを誇りに思います。英霊たちに敬礼!
涙が止まりませんでした。
神風特攻隊の遺書で、
形見は残しません、お母さまが10年20年経った時に形見を見て泣いてるのは嫌です。
その代わり飛び立つ時は実家の上を飛びます。
それが最後のお別れです。
戦争が良いとは思いません。でも、
今の平和な日本があるのはあなた達の勇気のおかげです。本当にありがとうございました。
あどけない表情で子犬を抱く彼ら。もうすぐ三回忌を迎える父をおもってここに来ました。90で逝った父は15才で当時の旧制中学を退学して海軍特別年少兵に入ったそうです。飛行機がなく小型ボートみたいなものでの体当たりを訓練したそうです。写真の方達は父とあまり年齢は違わないのだろうと思います。訓練中に終戦になり除隊。生きていてくれたから私がいる。
そう思うと、この方達の犠牲は遠く離れたものではないと思います。本当にありがとうございました
毎日知覧のお茶畑の真ん中を通って通勤しております。
ここを通る時の朝焼けに浮き出た薩摩富士を見るたびに、特攻隊員の気持ちを想像して涙が出ます。
愛する人達に届く
愛すべて気持ちだけでない
手に届きたい届いて欲しい
代わりの詞一つ一つの代弁の唄
今年のお盆に知覧平和特攻記念館に行って来ました、館内は多くの方が熱心に特攻隊の遺書を読まれ、涙ぐんでられた人が合掌されてる姿に自分も涙が溢れました皆さまも一度は訪れて欲しいと思います。合掌!
知覧特攻平和会館で長渕剛さんに偶然出会いました、ファンですと伝えると笑顔で、ありがとうございますと両手で握手して頂きました、泣きそうになった。
素晴らしいエピソードをありがとうございます。
剛は何度も何度も足を運んでいるそうですが、それでも偶然会えるなんて凄く羨ましいですね。😊
こんな素晴らしい深みがある曲を作り歌える剛は凄いです。
私も念願が叶い、やっと知覧に行けました。
今でも、ときどき特攻隊の若者達の事を考えてしまいます。
全ての事が、当たり前じゃない、
感謝の心をもって生きなければいけないと。
この人は、命を賭けて日本を守ってくれた事を私は絶対に忘れない。
数年前に知覧に行きました。その建物に入る瞬間に悲しさが込み上げる空気が流れてきた。館内を見渡しながら、出撃された方の手紙を目にした。一字一句、その手紙に綴られた文字は後悔の念と覚悟の念が含まれていた。「戦争に勝者はなし」、祖母がポツリと語った幼少期時代をいまだに覚えてます。日本は当時から見れば豊かになったのかも知れませんが、どこか忘れている優しさを無くしたのではないだろうか?
戦争の真っ只中にいても、何でこんなに素敵な笑顔でいれるのか。。
あなた達のおかげで
今の平和な日本が有る。
感謝と尊敬しか無い。
あなた達と同じ日本人で有る事を誇りに思います。
戦争最中だからこそじゃないのでしょうか。
うちの爺ちゃん、4年前に亡くなったんだが、特攻隊の訓練生の時に終戦になったから、葬式の時に画像と同じ特攻隊の飛行服を着た若い爺ちゃんの写真が飾ってあって、30歳過ぎてるのにワイ泣いてしまったの思い出した
お国の為に ありがとうございました😢 生まれ変わったら どうか どうか幸せに長生きしてください。
みんな 笑顔 いつ見ても 悲しくなります 言葉に なりません‼️ 靖国に 眠る英霊に感謝 ご苦労様でした❗靖国 方角へ向いて 敬礼‼️
祖国日本の為に尊い命を捧げてくださりありがとうございます。
今の日本は、腐りきっています。本当に申し訳ございません。
■特攻隊は片道燃料で出撃したというのは、戦後でっち上げられた特攻伝説です。
神坂次郎氏の著書「特攻隊員の命の声が聞こえる」(1995年)には、特攻隊が片道燃料で出撃して行ったというのは、でっち上げられた特攻伝説だと書かれています。
氏は日本最大の特攻隊出撃基地だった知覧で勤務された方であり、まさに歴史の生き証人です。
整備兵は自分の手掛けた飛行機にものすごく愛着を持っており、出撃の前夜は、その特攻機の翼の下で眠るというほど努力し、燃料も満タンにしたそうです。
これについて、特攻教官であり、自らも特攻隊員だった方に直接お会いして、確認したこともあります。
~
田形竹尾准尉(1916年~2008年)の略歴
(1)戦闘機操縦歴10年、飛行5,000時間、作戦出撃200回。2対36の航空戦を行い、6機撃墜・5機撃破の武勲の持ち主。
(2)特攻教官
(3)特攻隊生き残り。日ソ不可侵条約を破り、日本に攻め込んで来たソ連に対し、昭和20年8月14日、ウラジオストクへ特攻命令。
翌日、玉音放送。
(4)チャンネル桜 設立発起人5人の中の1人(チャンネル桜HP右上の「チャンネル桜について」にて確認可)
~
私は田形竹尾准尉に2度お会いした事があります。
田形准尉が上梓された「日本への遺書」(1996年)という著作に感想を送ったところ、一度お会いしたいとの申し出があり、1999年12月に初めてお会いしました。
そこで特攻隊は本当に片道燃料で出撃していったのかどうかをお聞きしたのです。
その問いに対して、田形准尉は色をなしてまくしたてました。
「そんな馬鹿な話があるか!整備兵が生きていて聞いたら張り倒されるかもしれない。整備兵は皆涙を流して徹夜で完全な状態に整備していた。燃料も満タンに入れていた!」
やはり、片道燃料というのは、でっちあげられた特攻伝説だったのです。
特攻に陰惨なイメージを植えつける為のでっち上げだったのです。
■特攻隊員は突入の際、お母さん!と叫んだというのも、何も根拠のない特攻伝説です
航空自衛隊 空将 佐藤守氏の指摘です。
旧軍の飛行機にはボイスレコーダーはなく、特攻隊員達の最後の声は残っていないはずだと。
お母さん!と叫んだと言い張るのは、臆病な現代の大人達による創作であり、英霊侮辱であると。
氏の指摘する通りで、お母さん!と叫んだ根拠は何もないのです。
私もそう思います。腐りきっています。
私の父は自分がのうのうと生きたら戦地で亡くなった戦友に申し訳がたたないと、事業に失し家を失っても最期まで国からのお金を頂かず友の待つあの世へ旅立った頑固親父でした
私はそんな父が大好きです
生きたかったであろう。それでも家族の為日本の為に散った人達には感謝しかない。
戦後70年以上経ちますが、戦争で命を失った兵士が居たからこそ、今の日本があると思います。その事を今を生きる我々日本人は肝に銘じるべきだと思います。彼らがどれほどの恐怖と悲しみと失望と決意で戦いに挑んだのか?想像を絶する心境だったと思います。激動の時代に生まれた宿命を背負って散っていった英霊たちに、今を生きる私たちはどう応えて、考えて行動すればいいのか?改めて考えさせてくれました。
特攻隊 陸上攻撃隊決してテロなんかじゃない!。エゴイストでも無い。若者達は日本の為に戦死して行った若者達に敬礼本当は生きたかったと思います。どんな思い出出撃して散ってしまった事を考えると胸が締め付けられます。日本の為にありがとうございます。心からお祈りしております。敬礼
米国側から見たら立派なテロですよ。
基地外攻撃なんだからw
本当にその通りだと思います。
テロは無差別に民間人を何十万人も殺したアメリカだと私は思います。
■特攻隊は片道燃料で出撃したというのは、戦後でっち上げられた特攻伝説です。
神坂次郎氏の著書「特攻隊員の命の声が聞こえる」(1995年)には、特攻隊が片道燃料で出撃して行ったというのは、でっち上げられた特攻伝説だと書かれています。
氏は日本最大の特攻隊出撃基地だった知覧で勤務された方であり、まさに歴史の生き証人です。
整備兵は自分の手掛けた飛行機にものすごく愛着を持っており、出撃の前夜は、その特攻機の翼の下で眠るというほど努力し、燃料も満タンにしたそうです。
これについて、特攻教官であり、自らも特攻隊員だった方に直接お会いして、確認したこともあります。
~
田形竹尾准尉(1916年~2008年)の略歴
(1)戦闘機操縦歴10年、飛行5,000時間、作戦出撃200回。2対36の航空戦を行い、6機撃墜・5機撃破の武勲の持ち主。
(2)特攻教官
(3)特攻隊生き残り。日ソ不可侵条約を破り、日本に攻め込んで来たソ連に対し、昭和20年8月14日、ウラジオストクへ特攻命令。
翌日、玉音放送。
(4)チャンネル桜 設立発起人5人の中の1人(チャンネル桜HP右上の「チャンネル桜について」にて確認可)
~
私は田形竹尾准尉に2度お会いした事があります。
田形准尉が上梓された「日本への遺書」(1996年)という著作に感想を送ったところ、一度お会いしたいとの申し出があり、1999年12月に初めてお会いしました。
そこで特攻隊は本当に片道燃料で出撃していったのかどうかをお聞きしたのです。
その問いに対して、田形准尉は色をなしてまくしたてました。
「そんな馬鹿な話があるか!整備兵が生きていて聞いたら張り倒されるかもしれない。整備兵は皆涙を流して徹夜で完全な状態に整備していた。燃料も満タンに入れていた!」
やはり、片道燃料というのは、でっちあげられた特攻伝説だったのです。
特攻に陰惨なイメージを植えつける為のでっち上げだったのです。
■特攻隊員は突入の際、お母さん!と叫んだというのも、何も根拠のない特攻伝説です
航空自衛隊 空将 佐藤守氏の指摘です。
旧軍の飛行機にはボイスレコーダーはなく、特攻隊員達の最後の声は残っていないはずだと。
お母さん!と叫んだと言い張るのは、臆病な現代の大人達による創作であり、英霊侮辱であると。
氏の指摘する通りで、お母さん!と叫んだ根拠は何もないのです。
私の叔父も3人戦争に行き一人帰ってきました。
戦争ほど残酷なものはありません。
@@hajyakenshou2578お母さんって叫んでもいいと思うけどね。
ずっとずっと忘れてはいけない日本の歴史だと思います。
両親の兄弟も、戦地から帰らぬ人となり、どんな想いでなくなっていたのか。燦然と輝く年代の人が、何故死ななければならなかったか。この歌を聴くと世界が恒久で平和を願う。
私の祖父は、戦死しました。私の父親は、父親の顔も知りません。ただ、懸命に生きて、今の私がいます。
この時代を生きた人、そして、今この時代を生きている私達は感謝の念を忘れてはいけない。時代を切り開いた先人たちに敬意をはらわなくてはいけない。
ありがとうございました
わが命 今 ここに在り 御国の為 愛する家族よ!さらば青春の光
御祖父さま 我が国をお守りいただきましてありがとうございました。
■特攻隊は片道燃料で出撃したというのは、戦後でっち上げられた特攻伝説です。
神坂次郎氏の著書「特攻隊員の命の声が聞こえる」(1995年)には、特攻隊が片道燃料で出撃して行ったというのは、でっち上げられた特攻伝説だと書かれています。
氏は日本最大の特攻隊出撃基地だった知覧で勤務された方であり、まさに歴史の生き証人です。
整備兵は自分の手掛けた飛行機にものすごく愛着を持っており、出撃の前夜は、その特攻機の翼の下で眠るというほど努力し、燃料も満タンにしたそうです。
これについて、特攻教官であり、自らも特攻隊員だった方に直接お会いして、確認したこともあります。
~
田形竹尾准尉(1916年~2008年)の略歴
(1)戦闘機操縦歴10年、飛行5,000時間、作戦出撃200回。2対36の航空戦を行い、6機撃墜・5機撃破の武勲の持ち主。
(2)特攻教官
(3)特攻隊生き残り。日ソ不可侵条約を破り、日本に攻め込んで来たソ連に対し、昭和20年8月14日、ウラジオストクへ特攻命令。
翌日、玉音放送。
(4)チャンネル桜 設立発起人5人の中の1人(チャンネル桜HP右上の「チャンネル桜について」にて確認可)
~
私は田形竹尾准尉に2度お会いした事があります。
田形准尉が上梓された「日本への遺書」(1996年)という著作に感想を送ったところ、一度お会いしたいとの申し出があり、1999年12月に初めてお会いしました。
そこで特攻隊は本当に片道燃料で出撃していったのかどうかをお聞きしたのです。
その問いに対して、田形准尉は色をなしてまくしたてました。
「そんな馬鹿な話があるか!整備兵が生きていて聞いたら張り倒されるかもしれない。整備兵は皆涙を流して徹夜で完全な状態に整備していた。燃料も満タンに入れていた!」
やはり、片道燃料というのは、でっちあげられた特攻伝説だったのです。
特攻に陰惨なイメージを植えつける為のでっち上げだったのです。
■特攻隊員は突入の際、お母さん!と叫んだというのも、何も根拠のない特攻伝説です
航空自衛隊 空将 佐藤守氏の指摘です。
旧軍の飛行機にはボイスレコーダーはなく、特攻隊員達の最後の声は残っていないはずだと。
お母さん!と叫んだと言い張るのは、臆病な現代の大人達による創作であり、英霊侮辱であると。
氏の指摘する通りで、お母さん!と叫んだ根拠は何もないのです。
@@hajyakenshou2578 様 私も特攻の際の「お母さん!」「天皇陛下万歳!」は誰が聞いたのかずーっと疑問でした。 本当にその場にいない訳ですから根も葉もない作り話だと思います。
特攻という作戦が、良かったのか悪かったのか・・・
そんな事をどうこう言うより
大切なのは、その作戦に従事した若者がいたと言う事
そして、その若者たちが国のためと言うより
愛する者を守るため、大切な家族を守るため
己を犠牲にし、愛する人をを守ると言う信念のもとに従事したという事実
そして、その若者の命の上に私たちは今を生きていると言う事
その方の分まで生き抜き、この国と愛する人を守ると言う義務が
私達にはあるのだと思っています
あの時代を生きたすべての人に感謝
この時代から100年経たない。
たった80年前、自らの命と引き換えに大事な人を守るために飛び立った若者達がいた。
彼等は大事な人を守れなかったかもしれない。
その分、現在に生きる私達が国を守らないといけない。
あの時代にこの国の為に
散っていった英霊に敬礼
彼らがどんな思いで必死に戦ったのか
考えるだけで泣けてくる
こんな事はもう二度と起きてはいけない
戦争反対
必死では無く決死
この方たちに万歳
心から心のそこから
感謝申し上げます。
どんな気持ちで向かわれたのか
想像するだけで
胸が詰まります。
日本人であることに
誇りを持てます。
今の日本に誇りを持てますか?
自分は持てません
この方々が守ってくれた日本は
今や腐ってしまった
腐った日本を、正常に取り戻すために、あなたは力を尽くさないのですか?そうすることがこの方たちへの報いになると思いませんか?
涙が止まらない?日本の未来を命かけて守ってくれてありがとうございます。
■特攻隊は片道燃料で出撃したというのは、戦後でっち上げられた特攻伝説です。
神坂次郎氏の著書「特攻隊員の命の声が聞こえる」(1995年)には、特攻隊が片道燃料で出撃して行ったというのは、でっち上げられた特攻伝説だと書かれています。
氏は日本最大の特攻隊出撃基地だった知覧で勤務された方であり、まさに歴史の生き証人です。
整備兵は自分の手掛けた飛行機にものすごく愛着を持っており、出撃の前夜は、その特攻機の翼の下で眠るというほど努力し、燃料も満タンにしたそうです。
これについて、特攻教官であり、自らも特攻隊員だった方に直接お会いして、確認したこともあります。
~
田形竹尾准尉(1916年~2008年)の略歴
(1)戦闘機操縦歴10年、飛行5,000時間、作戦出撃200回。2対36の航空戦を行い、6機撃墜・5機撃破の武勲の持ち主。
(2)特攻教官
(3)特攻隊生き残り。日ソ不可侵条約を破り、日本に攻め込んで来たソ連に対し、昭和20年8月14日、ウラジオストクへ特攻命令。
翌日、玉音放送。
(4)チャンネル桜 設立発起人5人の中の1人(チャンネル桜HP右上の「チャンネル桜について」にて確認可)
~
私は田形竹尾准尉に2度お会いした事があります。
田形准尉が上梓された「日本への遺書」(1996年)という著作に感想を送ったところ、一度お会いしたいとの申し出があり、1999年12月に初めてお会いしました。
そこで特攻隊は本当に片道燃料で出撃していったのかどうかをお聞きしたのです。
その問いに対して、田形准尉は色をなしてまくしたてました。
「そんな馬鹿な話があるか!整備兵が生きていて聞いたら張り倒されるかもしれない。整備兵は皆涙を流して徹夜で完全な状態に整備していた。燃料も満タンに入れていた!」
やはり、片道燃料というのは、でっちあげられた特攻伝説だったのです。
特攻に陰惨なイメージを植えつける為のでっち上げだったのです。
■特攻隊員は突入の際、お母さん!と叫んだというのも、何も根拠のない特攻伝説です
航空自衛隊 空将 佐藤守氏の指摘です。
旧軍の飛行機にはボイスレコーダーはなく、特攻隊員達の最後の声は残っていないはずだと。
お母さん!と叫んだと言い張るのは、臆病な現代の大人達による創作であり、英霊侮辱であると。
氏の指摘する通りで、お母さん!と叫んだ根拠は何もないのです。
@@hajyakenshou2578
あなたを否定するわけではありませんが
著書やらは、創作する中で個人的な見解とかも
反映されるので、書かれた方が調べたりしたのも
事実だとして、、、、そこを深堀しても
それは、嘘、本当。の堂々巡り、、、、つまらない
小さな拘りに凝り固まってるから
戦争が無くならない
良いじゃないですか、、、生き証人の中でも
人それぞれ捉え方あって良いと思いますよ。
ただ、、、大事なそこでは、ありませんよ。
あった事実、若い命が
特攻と言う使命、、、、その名のもとに
海に散った、、、、若い命が有った事実
燃料が、どうの、、、、なんて、、、、
そんな議論、、、、、、要るのかしら
あなたを、攻めているのではなく、
あなたは、何をしたいのか
だと、、、、、シンプルに戦争が無くなれば
過去の英霊達は、僕たちを忘れないでも
靖国に、政治家は参拝しても
言いませんよ、、、、、、ただ、有った事実
それだけ、、、、、、あなたは、赤紙が来て
国から、絶対的な命令だとしたら、どうしますか?
平和な、、、、今だから
軽く、、、、、議論出来るだけ
私も。世が世ならば、、、、、とっくに、豚箱
一家もろとも、、、、、消されてはずです。
昭和生まれですが、学校の先生は、何を教えてくれたのか‼️
尊い命を今に続けてくれた英霊達に感謝しかありません。
日本を子孫達をみんなで大切にしましょう‼️
いたって健康で元気な若人が、、ありがたくて、ありがたくて、、、
今の日本があるのは、この方々のおかげなんだと感じます。
涙が止まりません。
涙が止まらないですね。。。
よく、やった
0
■特攻隊は片道燃料で出撃したというのは、戦後でっち上げられた特攻伝説です。
神坂次郎氏の著書「特攻隊員の命の声が聞こえる」(1995年)には、特攻隊が片道燃料で出撃して行ったというのは、でっち上げられた特攻伝説だと書かれています。
氏は日本最大の特攻隊出撃基地だった知覧で勤務された方であり、まさに歴史の生き証人です。
整備兵は自分の手掛けた飛行機にものすごく愛着を持っており、出撃の前夜は、その特攻機の翼の下で眠るというほど努力し、燃料も満タンにしたそうです。
これについて、特攻教官であり、自らも特攻隊員だった方に直接お会いして、確認したこともあります。
~
田形竹尾准尉(1916年~2008年)の略歴
(1)戦闘機操縦歴10年、飛行5,000時間、作戦出撃200回。2対36の航空戦を行い、6機撃墜・5機撃破の武勲の持ち主。
(2)特攻教官
(3)特攻隊生き残り。日ソ不可侵条約を破り、日本に攻め込んで来たソ連に対し、昭和20年8月14日、ウラジオストクへ特攻命令。
翌日、玉音放送。
(4)チャンネル桜 設立発起人5人の中の1人(チャンネル桜HP右上の「チャンネル桜について」にて確認可)
~
私は田形竹尾准尉に2度お会いした事があります。
田形准尉が上梓された「日本への遺書」(1996年)という著作に感想を送ったところ、一度お会いしたいとの申し出があり、1999年12月に初めてお会いしました。
そこで特攻隊は本当に片道燃料で出撃していったのかどうかをお聞きしたのです。
その問いに対して、田形准尉は色をなしてまくしたてました。
「そんな馬鹿な話があるか!整備兵が生きていて聞いたら張り倒されるかもしれない。整備兵は皆涙を流して徹夜で完全な状態に整備していた。燃料も満タンに入れていた!」
やはり、片道燃料というのは、でっちあげられた特攻伝説だったのです。
特攻に陰惨なイメージを植えつける為のでっち上げだったのです。
■特攻隊員は突入の際、お母さん!と叫んだというのも、何も根拠のない特攻伝説です
航空自衛隊 空将 佐藤守氏の指摘です。
旧軍の飛行機にはボイスレコーダーはなく、特攻隊員達の最後の声は残っていないはずだと。
お母さん!と叫んだと言い張るのは、臆病な現代の大人達による創作であり、英霊侮辱であると。
氏の指摘する通りで、お母さん!と叫んだ根拠は何もないのです。
私は今日初めて、この歌を知りました。涙がでて、この歌は、絶対広めるべきです。もうすぐ、私は駅前で、歌う準備をしてます。この歌練習して、歌います。心をこめて
長渕さん
良い唄沢山ありますので
長渕剛最高
これから死ぬのにこんな笑顔でいられるのは本当凄い
自分なら絶対笑顔ではいられない
世界一優しくて儚い軍隊の日本軍の英霊様達に敬礼、靖国で大切な人達や仲間と楽しく暮らしてください
私は戦前にブラジルに来た日本人の孫ですが、日本の強さにはいつも敬服してきました。🙂😥
旅行で知覧に行きました。この若者たちを忘れちゃいかん。強く思いました。
確かにです。私も出口まで涙が止まりませんでした。正に軍神です。
■特攻隊は片道燃料で出撃したというのは、戦後でっち上げられた特攻伝説です。
神坂次郎氏の著書「特攻隊員の命の声が聞こえる」(1995年)には、特攻隊が片道燃料で出撃して行ったというのは、でっち上げられた特攻伝説だと書かれています。
氏は日本最大の特攻隊出撃基地だった知覧で勤務された方であり、まさに歴史の生き証人です。
整備兵は自分の手掛けた飛行機にものすごく愛着を持っており、出撃の前夜は、その特攻機の翼の下で眠るというほど努力し、燃料も満タンにしたそうです。
これについて、特攻教官であり、自らも特攻隊員だった方に直接お会いして、確認したこともあります。
~
田形竹尾准尉(1916年~2008年)の略歴
(1)戦闘機操縦歴10年、飛行5,000時間、作戦出撃200回。2対36の航空戦を行い、6機撃墜・5機撃破の武勲の持ち主。
(2)特攻教官
(3)特攻隊生き残り。日ソ不可侵条約を破り、日本に攻め込んで来たソ連に対し、昭和20年8月14日、ウラジオストクへ特攻命令。
翌日、玉音放送。
(4)チャンネル桜 設立発起人5人の中の1人(チャンネル桜HP右上の「チャンネル桜について」にて確認可)
~
私は田形竹尾准尉に2度お会いした事があります。
田形准尉が上梓された「日本への遺書」(1996年)という著作に感想を送ったところ、一度お会いしたいとの申し出があり、1999年12月に初めてお会いしました。
そこで特攻隊は本当に片道燃料で出撃していったのかどうかをお聞きしたのです。
その問いに対して、田形准尉は色をなしてまくしたてました。
「そんな馬鹿な話があるか!整備兵が生きていて聞いたら張り倒されるかもしれない。整備兵は皆涙を流して徹夜で完全な状態に整備していた。燃料も満タンに入れていた!」
やはり、片道燃料というのは、でっちあげられた特攻伝説だったのです。
特攻に陰惨なイメージを植えつける為のでっち上げだったのです。
■特攻隊員は突入の際、お母さん!と叫んだというのも、何も根拠のない特攻伝説です
航空自衛隊 空将 佐藤守氏の指摘です。
旧軍の飛行機にはボイスレコーダーはなく、特攻隊員達の最後の声は残っていないはずだと。
お母さん!と叫んだと言い張るのは、臆病な現代の大人達による創作であり、英霊侮辱であると。
氏の指摘する通りで、お母さん!と叫んだ根拠は何もないのです。
これは泣いてしまう、英霊よ穏やかに…
またこの季節です。
77回目のこの夏。
英霊の皆様がいたから今の時代がある。
みんなカッコいい顔してるよな。
戦争帰りの祖父や親戚の手がデカくて、喋らないで黙って酒飲んでるのが怖くて、でも実はニコニコしてたって大人になって気が付きました。
感謝してます。
戦争中なのに、素敵な笑顔ですよね。今、こういう素敵な笑顔😊を誰もしません。
知覧に行って遺書を読みました。
涙が止まらなかったです。
必死に敵機に特攻します。を読んで必死にと言う言葉を簡単に使ってはいけないと思いました。
必死。
すなわち、必ず死ぬ。簡単に使えない言葉ですね。
今ニッポンがあるのはこの方達のおかげで成り立っていると思います。感謝です。
出撃前の皆さんの笑顔、心が傷みます祖国の危急存亡の為愛する家族の為に生命をなげうって下さった先人達が居た事を忘れてはいけないと思います、朝起きた時、食事の前に心の中で英霊に感謝の祈りを捧げています、日本の再興の為生きなければいけなかった方々の生きられなかった分まで残りの人生を大切に、有意義に生きて行きますのでどうか安らかにお眠り下さい。
きっと、生まれ変わっておられると思います。そして、いろいろ感じておられるかもしれません。
なぜ皆さん笑顔で行けたのでしょうか、英霊に最敬礼❗🇯🇵
こんなにも若い人たちが、守りたかった日本。絶対に勝つと信じて特攻した人たち。日本の誇りです。
おじいちゃんに戦争の話聞こうとしたらあの優しいおじいちゃんが凄く怒って「お前は知らなくていいんだ!」って今でもその顔私は5歳だったんですけどはっきりおぼえてます。おじいちゃんに悪い事してしまいました。
俺の親父も戦争体験者でしたが 子供の頃何度聞いても口を開きませんでしたね 今は戦友と楽しく過ごしている事でしょう
祖国があるのは間違いなく先人が命をかけて守って頂いたお陰です。
だから人として日本人として堂々と感謝を伝えるため、守って頂いた祖国をこれからも守り、日本人としての誇りや精神を引き継いでいく事を約束するために靖国神社に堂々と参拝にいきましょう。誰がなんと言おうと、人としてここだけは譲れない。誰にも邪魔される筋合いはない。相手を想う気持ちは大切ですが、もう譲れないものを譲るのはやめましょう。もう無用な配慮はやめましょう。感謝し平和を祈り誓うだけの何物でもないことを示しましょう。でないと先人に申し訳がたたない。本当にありがとうございました。
日本人として共感します
今私たちがこうして生きていられるのは、若くして未来を託し散った若者達、英霊のおかげであり。後世にも伝えていかなければいけない歴史であり、決して忘れてはいけないことだと思う。
この戦争で失われた全ての命達が、大切な人とまた巡り逢えたことを心から願っています。
私の亡き父は小野田少尉と同じ中野学校の出身、仲間が戦死して生き残った身として随分辛い想いをしていたようで家族は生き地獄でした...敗戦国は地獄でしたが帰宅したら全ての財産をヤクザに没収、父はドスを懐に相手の本拠地に1人で殴りこみ、全てを返してもらったそうです。今の私達があるのは亡き父のおかげなのです💕
日本の為に戦って下さって有り難うございます。
全世界が平和になる事を願います
戦争はいらない❗️
Respect to brave warriors from India
We will never forget Japanese who helped us in our freedom struggle as well 🇮🇳❤️🇯🇵
Japan took sword to liberate Asia and give Asia for Asians much respect to the brave martyrs sleeping in yasukuni 🙏
your kind words touched me, thank you.
男たちの大和、ローレライ、真夏のオリオン、永遠のゼロ映画で見ました。二度と戦争が起きませんように
103歳の祖父が唯一8月15日になると戦争はダメという。
その一言が重い。
早く平和になって欲しい。
この人達が今の日本を見たらどう思うのかな?
この人達は日本のために子供や孫の為に戦って散って行ったはず
涙が出そうになる
毎年夏が来ると この写真を見る 祖父の有志を思い出しながら この歌で心を
、、 終戦の年6月6日が命日です、祖父の遺骨は左の親指だけです
この方達が居られたから今の日本が在ります。
ありがとうございます。
たったひとつの命を未来の日本の為に!
涙が止まりません。
誠に有難う御座います。
■特攻隊は片道燃料で出撃したというのは、戦後でっち上げられた特攻伝説です。
神坂次郎氏の著書「特攻隊員の命の声が聞こえる」(1995年)には、特攻隊が片道燃料で出撃して行ったというのは、でっち上げられた特攻伝説だと書かれています。
氏は日本最大の特攻隊出撃基地だった知覧で勤務された方であり、まさに歴史の生き証人です。
整備兵は自分の手掛けた飛行機にものすごく愛着を持っており、出撃の前夜は、その特攻機の翼の下で眠るというほど努力し、燃料も満タンにしたそうです。
これについて、特攻教官であり、自らも特攻隊員だった方に直接お会いして、確認したこともあります。
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田形竹尾准尉(1916年~2008年)の略歴
(1)戦闘機操縦歴10年、飛行5,000時間、作戦出撃200回。2対36の航空戦を行い、6機撃墜・5機撃破の武勲の持ち主。
(2)特攻教官
(3)特攻隊生き残り。日ソ不可侵条約を破り、日本に攻め込んで来たソ連に対し、昭和20年8月14日、ウラジオストクへ特攻命令。
翌日、玉音放送。
(4)チャンネル桜 設立発起人5人の中の1人(チャンネル桜HP右上の「チャンネル桜について」にて確認可)
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私は田形竹尾准尉に2度お会いした事があります。
田形准尉が上梓された「日本への遺書」(1996年)という著作に感想を送ったところ、一度お会いしたいとの申し出があり、1999年12月に初めてお会いしました。
そこで特攻隊は本当に片道燃料で出撃していったのかどうかをお聞きしたのです。
その問いに対して、田形准尉は色をなしてまくしたてました。
「そんな馬鹿な話があるか!整備兵が生きていて聞いたら張り倒されるかもしれない。整備兵は皆涙を流して徹夜で完全な状態に整備していた。燃料も満タンに入れていた!」
やはり、片道燃料というのは、でっちあげられた特攻伝説だったのです。
特攻に陰惨なイメージを植えつける為のでっち上げだったのです。
■特攻隊員は突入の際、お母さん!と叫んだというのも、何も根拠のない特攻伝説です
航空自衛隊 空将 佐藤守氏の指摘です。
旧軍の飛行機にはボイスレコーダーはなく、特攻隊員達の最後の声は残っていないはずだと。
お母さん!と叫んだと言い張るのは、臆病な現代の大人達による創作であり、英霊侮辱であると。
氏の指摘する通りで、お母さん!と叫んだ根拠は何もないのです。
こんな時代があったんだ、涙が出ます
戦争は駄目なんです
今この時代生かせて貰ってるのは先輩方のお陰です早くウクライナに平和が訪れます様に大先輩方の力を今一度届けて下さい
わかってくれなくていい。
この国が大っ嫌いなんです。
でも、この国が大好きなんです。
堪らなく愛しています。
我が国、日本を。
うちの親爺は、昭和二十年入隊の
海軍特年兵です、「男たちの大和」には取り上げられていませんが
十四才からの志願で海軍特年兵に
入隊して、将来ある未来を我が国の為に散りました😭親爺は海軍電測学校に入隊してましたから、仮に実戦に参加していたならば、今で言う
レーダー関係ですから、乗艦している船が沈むまで、配置から離れられなかったでしょう😭親爺の先輩たちに「敬礼‼️」します😅予備一等陸曹の息子から、
先日、ある神社参拝に靖国神社へ参拝させて頂き機会がありました。神様からメッセージがありました。
手を合わせて…。
やはり、おにぎり🍙お水が一番のご供養と、戦時下にどれだけお腹がすき、お水を飲むことができない…と、しりました。
本当にありがとうございました。
靖国神社に深く、深く、ありがとうございます。
ありがとうございます。
私は今ここに平和な日本に暮らせて、なに不十な、平凡な生活ができ、戦争のない世界がどれだけ幸せか…。
だから…。ありがとうございます。
この方達が居たからこそ私たちがいる
確かに彼たちは実在した。
涙が止まりません🥲
戦争を支持する者同士が直接戦えばいい。
ただその者同士にも家族、友人、知り合いがいて、悲しむことを忘れてはいけない。
ありがとうございます。今、自分がこの国に生きていることを誇りに思います。
映画と曲が逢い待った最強の
感窮まる悲しくあり愛ある曲であり、心痛い
呉に大和ミュージアムにいって、本物の大和に遭いたい
そうですね。大和の歌を 特攻隊の映像にしてしまいました。
この方達のことは、これからも永遠に語り継がなければならないと思います。
旅立つ!英霊に心より哀悼の想い、わが心中 永遠にあり、安らかに
家の両親は二人共に戦争体験をしてます、。父親の兄弟で海外で亡くなった人もいます、どんな辛い時だったと思います、
戦争を経験してきた方々がこれから少なくなっていくのですね。
日本は絶対に忘れてはいけない
彼らの気持ちを考えろ!彼らの母親の気持ちを考えろ!どんなに、辛かったか!今の平和は、彼等のおかげです!我々は今の平和を守ることを、誓います!有難う御座いました!ご冥福を祈ります。
深海に沈んだ大和に涙しか、77年前に沢山の御霊が一緒にあること、今の人は知っているのと、考えて知ること、胸にびびくこと。
今の時代こんなカッコイイ男達はいないですね~英霊に敬礼❗
本当にそう思います‼️
突撃するってどんな気持ちなんやろ?怖い?逃げたい?悲しい?
上手く言えないけど、胸が苦しくなりますね。
自分の置かれてる立場が嫌になって逃げて自殺考えていたけど
この方達は自分達は生きたかったのに…
どんなにつらくてもこの方達の思いにこたえて精一杯生きよう😭
My grandfather said sometimes
The Japanese military pilot, who landed on the playground on the day of the elementary school athletic meet, stroked his head and told him to study hard.
The soldier's encouragement helped me to strengthen myself during difficult times.
I prayed that the soldier would survive the war well.
War is made by politicians and businessmen make money
And the beautiful young people give blood in return.
So war shouldn't happen in any case
from S.KOREA
Agreed! From a Japanese/Taiwanese American!
Thank you so much for writing about the rememberances of your grand father on the day of his elementary school athletic meet. The pilot may have died in that war but the rememberance of the pilot stroking his head relling him to study hard remained alive in his heart - a bright spot in the tragic days of the last war. Thanks again for your comment from South Korea !!!
ㅠㅠ
私は 今 行きなさい と言われたら、行きます!愛する家族を守るため 血塗れになり 行きたかったのに 涙がとまりません
アホって言われても構わんもし本当にドラゴンボールが存在するなら歌の通り大先輩方を蘇らせてあげたいこの歌は今を物語ってるそのものです先輩方本当に有り難うございます
同感です🙆
この方達の犠牲で今の日本がある。
この方達を侮辱する芸術は芸術ではない。俺はそういう芸術は許せない!英霊に敬礼!
回天記念館に行ったことがあります。
多くの遺品を見て、悲しいよりも先に恐怖でした。
ここに写る若者たちはどんな気持ちで笑顔を見せているのでしょう。
胸が締め付けられる想いです。
今も世界各国で戦争が起こっています。
ただただ悲しいです。なんの意味があるのでしょう。。
涙、体が震える。
この事実の是非ではなく、愛する人を敵から守る為、この国のために飛び立って行った彼らの心情、見送った人たちの心情は、戦後に生まれ育った私には想像できません。
せめて、彼らが今の世に生まれ変わって、幸せに暮らしてくれていることを願ってやみません。
二度と戦争をしてはならない、巻き込まれてはならない
動画作成ありがとうございます。映画:「男たちの大和」はDL版で購入しました。
鹿児島県の知覧、知覧特攻平和舘にも行ったことがあります。
何か分かりませんけど、凄く惹きつけられます、この出来事に。
特攻隊で戦士した人千輪英雄として永遠に語り継がれますよ
もおじき 15日 20才前後の 若き青年達 もつと 生きたかつたと思います。戦後 日本は驚異的な復活遂げましたが 彼ら達の思い 忘れては いけないと思います。
オー長渕剛、いつ聞いても、人生、頑張れるやん🤗ありがとう😭
私が生まれる僅か30年程前この国は戦をしていました。
祖父は戦争の事を語ろうとしませんでした。
私が学校の課題で質問すると
南方で疫病にかかったけど隊に置いて行かれたら日本に帰れないと思い靴の皮を食べてついていった
お父さんとお母さんにはは泣いていた?
と聞いたら笑いながら
母親は泣いただろうね、と言っていまたした。
祖父が生きて帰って来たから私がいます。
本当に有難うございます。
辛かったでしょう
今の我々が当たり前にいるなんて事は絶対にありません。
辛い思いをした方々のおかげです
感謝して生きるしか私に出来る事はありません。
有難うございます
戦争はしていけない、起こしてもいけない、賛成してもいけない、教訓は忘れてはいけない。
日本の空軍は他の国の空軍と比較にならない
いくらお国の為といえ片道燃料しかない飛行機にみんな乗れるか、本当に凄い方たちです。
逆にそんな指揮をしたやつらに乗れといいたい
ただ、ありがとうございましたと思う気持ちだけしか言葉がでません!あなた達の命を大切に繋げて行きたいです!命の大切さ!!今生きてる自分は幸せですが、命の大切さが改めて考えさせられます!
泣けます。
英霊達の思いを大切にしたいと思います
長渕剛さんはどんな思いでこの曲を作ったんだろう。
神風特攻隊の事を思って作ったんだろうか?
とても良い曲です。
国を守る!何処の国も同じ!
生きたかっただろう!夢が有っただろう!
それでも、日本、日本人の為、家族の為に!
今、生きている日本人は日本の為、未来の日本人の
為に成すべきことがある!
大和魂‼️男の中の男たち‼️明日死ななければならないのに笑っておられます‼️
肝が座った男‼️
飛び立つひと、見送るひと、どんな気持ちだったんだろう。
私は40歳の3児の父親です。5年前亡くなった祖父も予科練生であり、こどもの頃よく特攻隊の話を聞かされました。
特攻隊で若くして亡くした命により、今の私達が存在します。
祖父から突撃する際は「天皇万歳」ではなく、若い命は「母ちゃん!!怖いよぉ!さようなら ありがとう」と叫んだそうです。
今も東京に行けば必ず靖国神社へ出向き、手を合わせます。
祖父から伝えられた事を私の子ども、そして孫の世代へとこれからも強く伝えていくことが私の定めであります。
「平和な日本」、そして「戦争のない世界へ」彼らの叫び、そして彼らの若く儚く消えた命のために
まだまだ生きていたかっただろうに、国のために命をかけてくださったことに敬礼!現在の日本があるのは命をかけて守ってくださったあなた方のお陰です。ありがとうございました。
てきも見方ないですねなにも命を掛けて戦うことないですね 戦争は絶対ダメですなくなった若者に感謝です
戦争しても何の得に成らない只犠牲者が増えるだけ真面目にプーチン眼を覚ませや怒りだけ込み上げる毎日です