【Buddha's Teachings】The Parable of the Raft - What Attachments Should be Abandoned? 【Nikāya】
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- เผยแพร่เมื่อ 19 ก.ย. 2024
- Source: Majjhima Nikāya 1.22
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ありがとうございます。教えを意識せずとも実践できるようになれということでしょう。教えられたからやるのではなく、自然とそのことが備わっている。これが目指すべき姿なのだと思いました。
筏の喩えは秀逸ですね。
「教え」が要らなくなったから捨てるって言うと変ですけど、
悟った人の教えは悟る前の人は必要ですけど、
悟ってしまえば、自分の「悟り」を自由に(行動でも言葉でも)表現できるようになるのですからあえて(外に求める)必要はなくなる。
ぐらいに思えばいいんでしょう。
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し…」も同じような意味ですね。
言い方は物騒ですけど、仏陀や祖師に執着しないってことなんでしょうね
苦しみも悲しみも喜びも楽しみも死も全て受け入れる。自我も良しとする。執着しても構わない。
結局どうでもいいってこと。いいってことでもないこと。一切はただ過ぎ去るだけ
執着も自我欲、生命体全てのサガですね。
生命体、執着無くして生命維持できないですね。
しかし人間、何事に少しでもこの自己執着に早く気付き執着を手放せば、精神的に楽になると思いますが、現実は様々な経験そして多くの人との出会い、そして何より柔軟な思考能力を養わっても現実なかなか到達しないでしょうね。
昨今の、日本のみならず世界の様々な宗教家見ても、執着無い人なぞ皆無、むしろ執着しまくって金満家となっていますね。
しかし、こちらの(ブッダの教え)は私の心に響き、日々何事にもそうありたい・そうしたいと思うものばかりです。
有難う御座います。
令離諸著ですね!
筏を捨てられないどころか筏の作成を強要するのが古今東西の宗教原理主義者やね