榎田雅祥のフルートトーク「マルセル・モイーズのススメ」

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  • เผยแพร่เมื่อ 23 พ.ย. 2024

ความคิดเห็น • 8

  • @吉倉弘真
    @吉倉弘真 11 หลายเดือนก่อน +1

    私もロットが好きで演奏しています。フランス人のモイーズが、なぜあのような演奏をしたのか疑問を感じていましたが、、榎田さんの説明で、なるほどと思いました。

  • @user-nx2xz9xo4e
    @user-nx2xz9xo4e 11 หลายเดือนก่อน +1

    なるほど‼️レコードの無い時代は音楽聴くのも繰り返し聴くのではなく一期一会。一回の演奏でこれがモーツァルトかぁと認識するのだから、演奏家の責任は今より大きい気がする。
    モイーズはクセ強めの面白いお爺さんっていうイメージです😊

  • @hage528
    @hage528 10 หลายเดือนก่อน +1

    モイーズ先生の演奏のイメージは非常に健康的な陽キャという感じです、しかしイベールの2楽章は泣ける

  • @takashihidai2110
    @takashihidai2110 11 หลายเดือนก่อน

    モイーズに関するお話、大変興味深く聞かせていただきました。“大げさ”という評価はまさに当たっていると思います。私の父もモイーズ信者で、あの”大げさ”が気に入っていたのだと思います。最近のフルート演奏に感じるところがあります。榎田様のおっしゃられている通り、すーっと右から左へと入ってくるんですが、後に残らないんですね。多分これは音質、特にビブラートにあると思います。私はベーカーのビブラートが’好きです。でもランパルも好きです。モイーズは良いんですがちょっとよくわかりません。最近TH-camで見つけたんですが、モイーズの弟子でランパルと同じ頃のRogerBourdinが演奏しているQuantzのAriosoを聞いて目からウロコになってしまいました。
    th-cam.com/video/yo-EYUcSj0c/w-d-xo.html
    モイーズの演奏にある音程が上ずったりする表現をうまい具合に使っていて、又ビブラートはあの時期のフルーティストにある共通な早めで、ヴァイオリンを模倣しているように思います。モイーズとランパルの良い所を足して2で割ったような感じです。ベーカーのマスタークラスには何度も参加しましたが、彼はフルートはハイフェッツのヴァイオリンのように音を出さなければ行けないと何度も言ってました。彼のビブラートをよく聞くと本当にヴァイオリンのものと酷似しているように思います。私はベーカーの考え方に同意します。榎田様のフルートのビブラートに関するご意見を是非おきかせくだい。

  • @オーボエ庄司チャンネル
    @オーボエ庄司チャンネル 11 หลายเดือนก่อน +1

    大変ご無沙汰しております。たまに見ています。ウ〜ン、相変わらずいいこと言うなあ!
    ノノンの話しも興味深かった。他にもアパーチュアを狭く細く遠くに空気を送るって言う話し、オーボエのリードそのものだから生徒に見て、って伝えてます。なんかいい楽器の情報あったら是非教えてくださいね。

  • @mimichannnopapa
    @mimichannnopapa 11 หลายเดือนก่อน +2

    正直申してモイーズ氏の録音を聴くと、疲れてしまって途中で「もういいや・・・」と思ってしまうのが本音です。 尤も録音の状態
    も関係しているのかもしれませんが。 これと反対にスーッと耳や心に入ってきて「ああ 良いなあ」と感じてしまうのがデフレーヌ氏
    の演奏でしょうか。勿論小生の個人的好みや感想では有りますが。
    フルートでは有りませんが、バッソンのアラール氏やクラリネットのランスロ氏、トランペットのアンドレ氏 トロンボーンのガリエーグ
    氏等々、一世代から二世代前のフランスの奏者って本当に魅力的な方々が多かったとしみじみと思う次第です。

  • @通行人A-u5g
    @通行人A-u5g 6 หลายเดือนก่อน

    モイーズは田舎出身でコンプレックスと上昇志向が強かったから、良くも悪くもその「個性」では?ロットも穴あきも使わなかったから(タファネルもゴーベールもエネバンも穴あきロットを作らせた記録がありますよね?)当時の「主流」とは言えないし。
     たとえば演奏家としてのサラサーテ、ヨアヒム、ヤン・クーベリック、クライスラー、ジンバリスト、鍵盤楽器ならランドフスカ、シュナーベル、演奏家としてのサンサンース(ピアノロール)やラフマニノフ。歌手なら「火垂るの墓」にも出てくるガリクルチをはじめ、メリバ、エリザベートシューマンなど。癖が強いことは間違いないですが、モイーズほど極端なルバートもせず、今の基準でも相当即物的、ドライ、そっけないくらいのインテンポです。音程もスライドはさせても割合ふつう。ただ音楽性は今とは比べものにならず、作曲者自身(自作自演を除く)が「自分の書いた曲がこんないい曲だったとは知らなかった!」と驚くレベル。音楽性の面ではモイーズもこのレベルなのでしょうが、スタイルとしては「当時」すでにかなり特殊だったのではないかと思います。

  • @kitazono0717
    @kitazono0717 10 หลายเดือนก่อน +1

    日本の歴史に譬えていうと、現在は、江戸時代の後期のような、泰平にボケて貨幣経済に人間も文化も呑み込まれて、消費される商品になっている、演奏家と、彼らの音楽。激動の20世紀前半は、極めつけの戦国乱世、第二次大戦はさながら関ヶ原の合戦。欲と欲がぶつかり合い、なりふり構わず戦い殺し奪い合い、果ては核兵器投下。そこにイデオロギーの対立。そこから芸術の独立と至高性を守ろうとすると、それはそれで強力な思想と意志の支えを必然的に要したのでしょう。音楽が、商品ではなく、生身の芸術であった、もっといえば、則ち人間の生きざま、精神そのものであった、今思うと佳き時代と懐古するところなのでしょう。まさに、その時代を潜り抜けてこられた朝比奈先生から、いろいろとお話を伺いませんでしたか。