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政井みねさんが幸せな家庭を持って欲しかったですね
普通に生きていたら働き者で幸せな家庭を築いていたでしょうね、心が痛みます。
12才の女の子160キロの雪の山を歩いて歩いて糸取り工場に連れて行かれる泣かずに見ろと言われても無理こんな時代もあったこと忘れちゃ悲しすぎる😢😢😢
現在の装備でも冬のアルプス越えは危険です。当時は命を落とした少女も・・・それでも現金収入の得られる糸取りへ出かけた。心に刻まなければならない歴史の1ページです😥
旦那に連れられて専勝寺にある政井みねさんのお墓に行きました。小さい小さい墓でした。旦那は何故かみねさんに凄い思い入れがあるらしく雨の中、野麦峠の関連のアチコチに連れて行かれました。お兄さんは亡くなったみねさんを背中に背負ってあの様な山道を歩いたのだと思うと切ないですね。
みねさんに凄い思い入れがあるのは優しい性格だからでしょう。小さい墓が歴史を物語っていると感じます、観光用の立派な墓だと私だったら幻滅します。みねさんを背負い野麦峠から4日がかりで山を下りたそうです、辛かったでしょうね。
私も一度政井みねさんのお参りをしてみたあい一度ゆくつもり
私も雪山の撮影によく行くのですがあのあの雪山本当に怖いその雪の峠を120キロ歩くのだから言葉ならない
私も行ってお参りしたいです。東海地区に住みながら昨年は飛騨の温泉に行きましたが墓参には行きませんでした。
私も今年は是非お参りしてから野麦を訪れたく思います去年は道を間違えて行けませんでした@@kenhara
小さな子供が 家族為に働く悲しい事だね政井みさんのお墓参をして参ります
経済大国になった日本ですが戦前は家族のために子供が働くことは当たり前だったんですね🙏😭
大切な妹さんの命をお金で売ってしまった兄さんの切なさが心に突き刺さります
過去に何度もこの映画を見ました。只々涙の映画でした。あらためて最近この曲を聴いてまた感動がよみがえってきました。日本の歴史にのこる大作であり、アルルの曲も素晴らしいとあらためて感動しました。ありがとうございました。
労働基準法もなかった時代、日本のあちこちで似たような話はあったと想像します。冬のアルプスを越えるのは命がけですね。野麦峠から飛騨まで兄・辰次郎は亡くなったみねを背負い4日がかりで飛騨へ着いたとき、故郷の住民は亡くなったみねに手を合わせ拝んだそうです。
大竹しのぶさん主演の“あゝ野麦峠“は20代の頃映画館で見ました、雪深い山道を歩いて行くシーンや工場で働く女工達のそれぞれの生活が印象に残っています、そして衝撃的なラスト、自分の中では映画史に残る名作です。
ずっと昔観たのに深く心に残っている映画ありますね。時代に翻弄され、それぞれのドラマを作りながら我々は生きています。時代が変わっても本当に美しいもの、心打つもの、変わらない何かがある。そんな生き方が出来たらいいな・・・
女工さんが紡いだ生糸によって、外貨を獲得でき、その外貨を以て軍艦や大砲、銃器など兵器を買うことができました生糸はまさに日本の生命線でした
欧米ロシアの強力な軍事力に晒された幕末の日本は、富国強兵を急がねばなりませんでした。生糸は日本を救いましたね。
泣けて泣けてしょうがなかった。高校生の時に、野麦峠の女工さんの事を知りました。日本の近代化の裏には、こんなこともあってたんだと知り衝撃でした。
実話だと訴える力が違います。この動画を作りながら涙が止まりませんでした。時代は変わっても人間にとって大事なものを教えてくれる映画ですね。
私は関西地区なのであまり飛騨地区は行った事がないのですが昔は本当に厳しいかったのですねー今は違うと思いますが政井みねさんのお墓参りをして参ります
現金収入を得るのが難しかった時代、命がけで山越えして出稼ぎに行ったのでしょうね。私はお墓には行ったことありません。
感動して、号泣しています
数分の歌を聞いただけで映画を思い出し、私も涙が溢れます💦
テレビでの放映を望む。多分みんな号泣するかも。
そうですね、涙なしでは見られません。私はこの曲を聞いただけで涙があふれてきます。
一度だけ放送された事があります。
私の、母も、12歳で、岡谷に、生きました。でも、昭和12年頃だったので、もう少し待遇も、良かったそうです。でも、12歳で、家族と、離れて働きに、行かなければならないなんて、大変な時代だったんだと、おもいます。
私の母は亡くなりましたけど東北の製糸場で働いたことあると言ってました。岡谷の話を聞ける母親のいる晴美さんが羨ましいなあ!
大竹しのぶのあゝ野麦峠は、映画をTVで見ました。小生は、映画が放映された後に、仕事の関係で野麦峠のある旧大野郡高根村に昭和54年から58年まで4年間赴任してました。野麦峠は話で聞いただけで、どんなところかはそれまで知りませんでした。赴任後、月に数回、それこそ野麦峠山開きから冬の通行止めまで、年に数十回と通いました。会社の寮から約40分ほどで野麦峠まで行けました。小生は車で40分で行けましたが、当時工女は雪の中を歩いて大変な思いをしてここを歩いたと思うと苦労がしのばれますね。また、冬は氷点下18度まで下がりましたので、峠越は大変だったでしょうね。当時、住んでいた時、村の住民にに聞くと、小学生、中学生ががエキストラで女工に扮して、例の雪の中行列で歩いたそうです。この曲を聴くと当時のことをたまに思い出します。また、小生が会社の寮に住んでいた時、寮母さんは信州へ女工で糸引きに行っていたと聞いたことがあります。もっと、色々聞いておけばよかった。政井みねは、旧吉城郡河合村角川出身でした。ここは、小生仕事で平成2年に半年ほど仕事で通いました。お墓は行ったことありませんが、行けばよかったと後悔してます。
思い出話、興味津々に読ませて頂きました。現地での生活、冬の寒さが伝わってきます。みねのお墓は生家の近くのお寺にあるそうなので近くに行く機会があれば訪ねてみたいですね。
日本人やったら、知っておくべき物語やと思います
凶作になると娘が身売りされた時代、生糸産業で働ければまだ幸せだったのかも知れません。
この幼い子供達が今の日本を支えて来たのは事実ですよ!本当に何回観ても涙が出ます!本当に有難う御座います!
@@藤川満喜 ありがとう
中学生の時に学校で見ました。今の日本があるのはここで働いてきた女性があってこそだと社会の先生が言ってたな。男女七人見たあとだったからしのぶさん知ってたましたけど、蚕の臭いで戻していたとこが印象的で他はあまりおぼえてません。ラストはとても悲しい終わりだったのですね。実話というところに本当に胸が苦しくなりますね。反抗ばかりしてる高2の我が娘に見せたいと思いました。
政井みねさんのお墓は、今でもあるのでしょうか。出来る事なら、一度でもいいから御参りしたいです。
政井みねさんのお墓あるらしい、私も野麦峠を見たりお墓参りしたいです。涙こみあげてくるだろうなあ😢
😢が出て止まりません。今の人にも知って欲しい。
先人の苦労の積み重ねで今の私達があります。日の当たらない歴史も伝えてゆきたい!
なんだか分からない歴史を勉強するよりも、この時代の事を細かく伝えるほうが子供のためにもなると思います。色々と世の中問題がありますけど、それでもこの時代と比べれば天国と地獄ですよね。本当にありがたみを感じてほしい。でも温暖化で作物も育たなくなってまた似たような時代は来ると思いますね。今の高齢者も昔の高齢者より大変幸せな生活をしています。免許証は環境のためにも返納し好き勝手生きないでほしい。地球に感謝の気持ちを表してボランティアなどして残りの人生を送るべきかと思う。
俺もTV放送で見たのを朧で記憶の隅にある。当時はすごい環境だと思ったけど今この映像と記憶をよみがえらせると、人権なんてない時代だったんだ。でも、この時代があって近代日本が誕生したと思う。先人に感謝している。
戦前の貧しかった時代の日本の歴史の1ページですよね。先人のこのような努力の積み重ねが今の日本を作っているんでしょうから、恥ずかしくない生き方をしないと・・・
いいから読んでみな。見事に脚色された嘘話だよ。okaya-shokoji.com/sermon/%E3%80%90%E5%A5%B3%E5%B7%A5%E5%93%80%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E2%91%A4%E3%80%91vol-47/
DVD買いました明治時代の飛騨は寒村地区だったですね幼い子供達が雪深野麦峠越えて行く家族の為に糸引きに連れて行かれ過酷な労働耐えそして野麦峠悲しいく亡くなって逝ってしまうー本当に涙が止まりませんでしたー政井みねさんのお墓参りますに行きます
貧しかった時代を生きた実在の人物政井みねさん、その人生は短かったけど多くの日本人の心を揺さぶりました。🙏
いいコメント有りがとうございました
明治時代の12才13才の子供達は今の小学生3年生くらいだったそうなその小さな子供達があの野麦峠を越えて行くのだから本当に悲しい事だ又無くなる子供達も居ただろにそうして幼い子供達が無くなっって行く悲しいけ実話
今のような登山用具などあるはずもなく、それで冬のアルプスを越えていくのだから命がけですね。心にとめておかねばならぬ歴史の一ページです。
私の母も昔、若い頃製糸関係の仕事、お蚕から糸をとり、でもこんなに厳しくなかったと言います。可哀想ですね。
私の母も結婚する前、製糸工場で働いたと言ってました。野麦峠は100年以上昔の出来事、その後大正、昭和、戦後へと歴史が変わり、徐々に改善されたのは先人の犠牲があったからと感謝しています🙏
転勤で現在高山在住です、昨日中津川に居る友人へ会いに美女街道〜高根〜開田高原〜木曽福島〜中津川へ行く道中に大きい案内看板があり「野麦峠」とありました。車を停め、野麦峠方面を暫く見ながら「ほんの100年ちょっと前、真冬にこの道を幼い子達が列をなして諏訪方面へ向かったんやな」と思い、心苦しくなりました。
東京に住んでいた頃、松本-高山とか飯田ー中津川ー高山を車で走ったことあります。あの頃は若く野麦峠など気にせず走っていました。今は遠くに住んでいるので行きたくても機会がありません。
小学生の時TVで見たけど、これは子供ながらでも凄い時代だったんだとショック受けた。
戦前は貧しく現金収入を得るのが困難でしたから、職場があれば冬のアルプス越えをしてでも働きにでたんですね。現在でも貧しい国では餓死者が出ています。安定した日本が続いてほしいものです。
12月3日日本経済新聞の夕刊、明日への話題で俳優の中井貴恵さんが明日への話題を寄稿されおり、どう演じても女工になりきれず、山本薩夫監督に朝から晩までしごかれ、撮影所のすみで幾度涙を流した事かと、当時の事を語っておりました。どんな映画だったのだろうと、検索して今、私はここに辿りつきました。皆さんのコメントを読み、見る方もまた、涙無くして見る事の出来ない映画なのだと考えさせられました。DVDを買うしかないようですね、購入して観てみます。
昔の日本を知らない若い役者さんには、演ずるのは難しいんでしょうね。先人の努力があり、現在の日本があります。私達も子供や孫にバトンを引き渡していくのですが、世界に誇れる日本でありたいものです。youtubeでもテレビでも見れないのでDVDですね、今調べたら2200円位・・・?
もう一度テレビ放映を、現代の日本を造った明治の少女達の為にも💧
こういう映画こそTVで再放送して欲しいものですね。涙なしでは観られません😂
そうですねーああ野麦を放送してくざさいお願いしますーそうしてー若者もお人寄りも皆さんが忘れて居たことを思いだして下さいー政井みねさんのよぅ事を私も今年はお墓参りをして参ります。
明治時代の女工の物語。労働基準法のない時代の作品。まだ一度も観てない方は一度DVD📀をご覧になられたら。涙無くしてみられません。
映画は勿論、私はこのyoutube作りながらも😢😢でした。
悲しい歌詞ですね
今では考えられないけど現金収入の少ない時代、こういうことあったんでしょうね😥😥
今でもこの曲は「JR松本駅」のコンコースとホーム上で流れています💖また、今は亡き特急あずさ号の松本駅を発車する際にこの曲の掛けながら紹介していました(1番は車掌無音)。
貧しかった当時の日本を知る事ができる感動の映画で、youtubeを作りながら涙がこみ上げてきました。いつか松本駅で聞いてみたいなあ!
なかなかDVDにならず、ようやく買うことができました。みねのお兄さん役の地井武男さんも好演だったと思います。松本駅でいつかこの曲を聞こうと思います。
富岡製糸場とはまったく異なる女工さんの物語ですね。富岡製糸場など、かなり、ホワイトな職場とのこと。
富岡製糸場が世界遺産になる数年前見学しました。明治初期に大量生産するため、フランス人の指導で作った官営模範製糸場でした。日本各地の女工が学び故郷へ帰り技術を広めたので、岡谷の女工もここで学んだかも?民間企業とは違ったでしょうね。
同じところだと思ってました!
@@杉下左京-s6t 富岡製糸場の女工第一号は工場長の娘だよブラックなわけない
最初1969年に吉永事務所により【ああ野麦峠】の映画化が計画され、内田吐夢監督、吉永小百合主演(政井みね役)で自主制作するも実現しなかった。野麦峠に何回か訪れていた吉永は現地に(政井みねの碑)を寄贈している。その10年後の1979年に山本薩男監督、大竹しのぶ主演で映画化された。
野麦峠新緑編も、出来ればUPロードして欲しいです
野麦峠新緑編を観てなく、イメージ湧きません。機会がありましたら観たいですね。
当時芝居の世界にいました。客観的に分析した観かたが普通でしたが、大竹しのぶさんの演技は卓越していて(青春の門以来)客観的に観られません。今観てもぼろ泣きします。
あの頃の芝居の世界は熱かった!赤テントや劇団3などのファンでした。
大竹しのぶさんの。あ、野麦峠は知ってましたが。話しが解りやすいのはこのシリーズだと思います。ほかの話しはかなり複雑ですしね。この大竹しのぶさんも。かなり撮影が大変だったと言ってたような、覚えが有ります。お兄ちゃんは迎えにきたけど。亡くなったので途中でみねを置いて行ったのですね、仲間も乱暴されたり最後まで見れ無かつたです。古手川祐子サンが火を付けて終わったのかな??、テレビも地上波でわ難しいと思います。がみたいでスネ
実話は、兄が松本だったか近くの病院に入院させようとしたが、ミネは死期を悟ったのか入院を拒み故郷へ帰りたいと言うので、背負って野麦峠を越えようとしたが息絶えた・・・記憶は曖昧ですが?
お兄さんはみね亡骸を家まで亡くなった後は人目を避けて夜間移動された様です。お兄さんは戦後昭和30年代にそれまで貯めたお金で供養塔を建立されてます。小説あゝ野麦峠の作者の取材をみねの死後半世紀以上経って受けてます。
お助け茶屋のお兄さんに、背負われた、みねさんの、像を見て来ました。
行ったんですか、私も行きたいと思いながらまだです。お兄さんも両親もさぞ無念だったでしょうね。
中学の同級生に阿部順子さんいました。すらりと背が高いですか。
タコ部屋労働ですね。
当時の寮生活はこんなものだったのかな?それでも命がけでアルプスを越え仕事に行く、住み込みで現金収入を得られる仕事などほとんどなかった時代だったと想像します。
ないても ないても なききれない。 たかくら けん や わたり てつや が、 なぜ もとめられる のか、 わかる き が する。 けんさん、 たたっきれー。
私も、見たあと何も言えないこと、おもいだします。
言葉は出てこず、ただ涙です。
追伸、家の両親は戦争前に産まれてますが、あ、野麦峠の話しは聞いた事有るけど。、良く解らんみたいですが、映画はフィクションだけど。モデルの女の子は居たかもしれないと言ってました、
私の母は戦前繊維工場で働いたそうです。政井 みねは実在の女性のようです。
@@kenhara 私も1〇代の時浜松で紡績工場で働いてました、
昔は、公女達が峠越えをしているが、今は東西の電気が峠越えして送っている。
そうでしたか、送り先は東電でしょうね。
はい、そうみたいです。飛騨信濃直流幹線で検索すると出ます。
映画を見ました。感想です。名画です。映画は欧米人の晴れがましい舞踏会で始まり、最後も舞踏会で終わります。内容は皆さんの仰るとおり、泪で見るのも良し、可愛さ、つらさで見るのも良いと思います。しかし肝心なのは欧米人の傲慢さ、人種差別、そして奴隷制度等、歴史の一つがテーマとして隠れているのではないでしょうか。制作者の狙いはそこにあるのではと感じます。少女は欧米人の隠れた奴隷です。舞踏会で踊り、幸福を味わっている、欧米人は知っておられるのでしょうか。現在の日本は原爆を落とされた被害国ですが、軍国を主体とした侵略国と評価している人が居ります。映画を外れますが日本は戦争には負けましたが欧米人の奴隷にはなりませんでした。戦後教育の大きな誤りを語っているような気がしてなりません。しかもアジアからアングロサクソを追い出しました。少女の皆さんがです。皆さん胸を張って少女や先祖に感謝しましょう。
鎖国が終わり欧米に追い着こうとしていた時代、絹糸は外貨を稼ぐ重要な輸出品でした。起用で勤勉な女工達の血のにじむ労働力があったからこそです。日本の素晴らしい国民性は受け継いでいかないと、国はあっという間に衰退するのではと危惧しています。
この映画の中では一番か弱い可哀想な役柄だった古手川祐子が本当は一番強かったという、子供の頃から番長でこの後のドラマで似た生い立ちの後輩の田中美佐子をいじめた話も有名だし、田中美佐子も地元では番長みたいな男勝りのキツイ女傑だったそうなので、人は見た目によらないとこの二人を見るとつくづく思います。
裏話詳しいですね、私は単純に日本の歴史にはこんな過去もあったんだなあと観ました。
泣けて泣けてしょうがなかった。高校生の時に、野麦峠の女工さんの事知りました。日本の近代化の裏には、こんなことがあったということに衝撃でした。
このyoutube作りながらでも涙涙でした。実話だからズシリと心に響きます。泣ける映画No1です。
政井みねさんが幸せな家庭を持って欲しかったですね
普通に生きていたら働き者で幸せな家庭を築いていたでしょうね、心が痛みます。
12才の女の子
160キロの雪の山を歩いて歩いて糸取り工場に連れて行かれる
泣かずに見ろと言われても無理
こんな時代もあったこと忘れちゃ悲しすぎる😢😢😢
現在の装備でも冬のアルプス越えは危険です。当時は命を落とした少女も・・・それでも現金収入の得られる糸取りへ出かけた。
心に刻まなければならない歴史の1ページです😥
旦那に連れられて専勝寺にある政井みねさんのお墓に行きました。小さい小さい墓でした。旦那は何故かみねさんに凄い思い入れがあるらしく雨の中、野麦峠の関連のアチコチに連れて行かれました。お兄さんは亡くなったみねさんを背中に背負ってあの様な山道を歩いたのだと思うと切ないですね。
みねさんに凄い思い入れがあるのは優しい性格だからでしょう。小さい墓が歴史を物語っていると感じます、観光用の立派な墓だと私だったら幻滅します。みねさんを背負い野麦峠から4日がかりで山を下りたそうです、辛かったでしょうね。
私も一度政井みねさんのお参りをしてみたあい
一度ゆくつもり
私も雪山の撮影によく行くのですがあのあの雪山本当に怖いその雪の峠を120キロ歩くのだから言葉ならない
私も行ってお参りしたいです。東海地区に住みながら昨年は飛騨の温泉に行きましたが墓参には行きませんでした。
私も今年は是非お参りしてから野麦を訪れたく思います去年は道を間違えて行けませんでした@@kenhara
小さな子供が 家族為に働く悲しい事だね政井みさんのお墓参をして参ります
経済大国になった日本ですが戦前は家族のために子供が働くことは当たり前だったんですね🙏😭
大切な妹さんの命をお金で売ってしまった兄さんの切なさが心に突き刺さります
過去に何度もこの映画を見ました。只々涙の映画でした。あらためて最近この曲を聴いてまた感動がよみがえってきました。日本の歴史にのこる大作であり、アルルの曲も素晴らしいとあらためて感動しました。ありがとうございました。
労働基準法もなかった時代、日本のあちこちで似たような話はあったと想像します。冬のアルプスを越えるのは命がけですね。野麦峠から飛騨まで兄・辰次郎は亡くなったみねを背負い4日がかりで飛騨へ着いたとき、故郷の住民は亡くなったみねに手を合わせ拝んだそうです。
大竹しのぶさん主演の“あゝ野麦峠“は20代の頃映画館で見ました、雪深い山道を歩いて行くシーンや工場で働く女工達のそれぞれの生活が印象に残っています、そして衝撃的なラスト、自分の中では映画史に残る名作です。
ずっと昔観たのに深く心に残っている映画ありますね。時代に翻弄され、それぞれのドラマを作りながら我々は生きています。時代が変わっても本当に美しいもの、心打つもの、変わらない何かがある。そんな生き方が出来たらいいな・・・
女工さんが紡いだ生糸によって、外貨を獲得でき、その外貨を以て軍艦や大砲、銃器など兵器を買うことができました
生糸はまさに日本の生命線でした
欧米ロシアの強力な軍事力に晒された幕末の日本は、富国強兵を急がねばなりませんでした。生糸は日本を救いましたね。
泣けて泣けてしょうがなかった。高校生の時に、野麦峠の女工さんの事を知りました。日本の近代化の裏には、こんなこともあってたんだと知り衝撃でした。
実話だと訴える力が違います。この動画を作りながら涙が止まりませんでした。時代は変わっても人間にとって大事なものを教えてくれる映画ですね。
私は関西地区なのであまり飛騨地区は行った事がないのですが昔は本当に厳しいかったのですねー今は違うと思いますが政井みねさんのお墓参りをして参ります
現金収入を得るのが難しかった時代、命がけで山越えして出稼ぎに行ったのでしょうね。私はお墓には行ったことありません。
感動して、号泣しています
数分の歌を聞いただけで映画を思い出し、私も涙が溢れます💦
テレビでの放映を望む。多分みんな号泣するかも。
そうですね、涙なしでは見られません。
私はこの曲を聞いただけで涙があふれてきます。
一度だけ放送された事があります。
私の、母も、12歳で、岡谷に、生きました。でも、昭和12年頃だったので、もう少し待遇も、良かったそうです。でも、12歳で、家族と、離れて働きに、行かなければならないなんて、大変な時代だったんだと、おもいます。
私の母は亡くなりましたけど東北の製糸場で働いたことあると言ってました。岡谷の話を聞ける母親のいる晴美さんが羨ましいなあ!
大竹しのぶのあゝ野麦峠は、映画をTVで見ました。小生は、映画が放映された後に、仕事の関係で野麦峠のある旧大野郡高根村に昭和54年から58年まで4年間赴任してました。野麦峠は話で聞いただけで、どんなところかはそれまで知りませんでした。赴任後、月に数回、それこそ野麦峠山開きから冬の通行止めまで、年に数十回と通いました。会社の寮から約40分ほどで野麦峠まで行けました。小生は車で40分で行けましたが、当時工女は雪の中を歩いて大変な思いをしてここを歩いたと思うと苦労がしのばれますね。また、冬は氷点下18度まで下がりましたので、峠越は大変だったでしょうね。当時、住んでいた時、村の住民にに聞くと、小学生、中学生ががエキストラで女工に扮して、例の雪の中行列で歩いたそうです。この曲を聴くと当時のことをたまに思い出します。また、小生が会社の寮に住んでいた時、寮母さんは信州へ女工で糸引きに行っていたと聞いたことがあります。もっと、色々聞いておけばよかった。
政井みねは、旧吉城郡河合村角川出身でした。ここは、小生仕事で平成2年に半年ほど仕事で通いました。お墓は行ったことありませんが、行けばよかったと後悔してます。
思い出話、興味津々に読ませて頂きました。現地での生活、冬の寒さが伝わってきます。みねのお墓は生家の近くのお寺にあるそうなので近くに行く機会があれば訪ねてみたいですね。
日本人やったら、知っておくべき物語やと思います
凶作になると娘が身売りされた時代、
生糸産業で働ければまだ幸せだったのかも知れません。
この幼い子供達が今の日本を支えて来たのは事実ですよ!本当に何回観ても涙が出ます!本当に有難う御座います!
@@藤川満喜 ありがとう
中学生の時に学校で見ました。今の日本があるのはここで働いてきた女性があってこそだと社会の先生が言ってたな。男女七人見たあとだったからしのぶさん知ってたましたけど、蚕の臭いで戻していたとこが印象的で他はあまりおぼえてません。ラストはとても悲しい終わりだったのですね。実話というところに本当に胸が苦しくなりますね。反抗ばかりしてる高2の我が娘に見せたいと思いました。
政井みねさんのお墓は、今でもあるのでしょうか。
出来る事なら、一度でもいいから御参りしたいです。
政井みねさんのお墓あるらしい、私も野麦峠を見たりお墓参りしたいです。涙こみあげてくるだろうなあ😢
😢が出て止まりません。今の人にも知って欲しい。
先人の苦労の積み重ねで今の私達があります。
日の当たらない歴史も伝えてゆきたい!
なんだか分からない歴史を勉強するよりも、この時代の事を細かく伝えるほうが子供のためにもなると思います。色々と世の中問題がありますけど、それでもこの時代と比べれば天国と地獄ですよね。本当にありがたみを感じてほしい。でも温暖化で作物も育たなくなってまた似たような時代は来ると思いますね。今の高齢者も昔の高齢者より大変幸せな生活をしています。免許証は環境のためにも返納し好き勝手生きないでほしい。地球に感謝の気持ちを表してボランティアなどして残りの人生を送るべきかと思う。
俺もTV放送で見たのを朧で記憶の隅にある。当時はすごい環境だと思ったけど今この映像と記憶をよみがえらせると、人権なんてない時代だったんだ。でも、この時代があって近代日本が誕生したと思う。先人に感謝している。
戦前の貧しかった時代の日本の歴史の1ページですよね。先人のこのような努力の積み重ねが今の日本を作っているんでしょうから、恥ずかしくない生き方をしないと・・・
いいから読んでみな。見事に脚色された嘘話だよ。
okaya-shokoji.com/sermon/%E3%80%90%E5%A5%B3%E5%B7%A5%E5%93%80%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E2%91%A4%E3%80%91vol-47/
DVD買いました明治時代の飛騨は寒村地区だったですね幼い子供達が雪深野麦峠越えて行く家族の為に糸引きに連れて行かれ過酷な労働耐えそして野麦峠悲しいく亡くなって逝ってしまうー本当に涙が止まりませんでしたー政井みねさんのお墓参りますに行きます
貧しかった時代を生きた実在の人物政井みねさん、その人生は短かったけど多くの日本人の心を揺さぶりました。🙏
いいコメント有りがとうございました
明治時代の12才13才の子供達は今の小学生3年生くらいだったそうなその小さな子供達があの野麦峠を越えて行くのだから本当に悲しい事だ又無くなる子供達も居ただろにそうして幼い子供達が無くなっって行く悲しいけ実話
今のような登山用具などあるはずもなく、それで冬のアルプスを越えていくのだから命がけですね。心にとめておかねばならぬ歴史の一ページです。
私の母も昔、若い頃製糸関係の仕事、お蚕から糸をとり、でもこんなに厳しくなかったと言います。可哀想ですね。
私の母も結婚する前、製糸工場で働いたと言ってました。
野麦峠は100年以上昔の出来事、その後大正、昭和、戦後へと歴史が変わり、徐々に改善されたのは先人の犠牲があったからと感謝しています🙏
転勤で現在高山在住です、昨日中津川に居る友人へ会いに美女街道〜高根〜開田高原〜木曽福島〜中津川へ行く道中に大きい案内看板があり「野麦峠」とありました。
車を停め、野麦峠方面を暫く見ながら「ほんの100年ちょっと前、真冬にこの道を幼い子達が列をなして諏訪方面へ向かったんやな」と思い、心苦しくなりました。
東京に住んでいた頃、松本-高山とか飯田ー中津川ー高山を車で走ったことあります。あの頃は若く野麦峠など気にせず走っていました。
今は遠くに住んでいるので行きたくても機会がありません。
小学生の時TVで見たけど、これは子供ながらでも凄い時代だったんだとショック受けた。
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安定した日本が続いてほしいものです。
12月3日日本経済新聞の夕刊、明日への話題で俳優の中井貴恵さんが明日への話題を寄稿されおり、どう演じても女工になりきれず、山本薩夫監督に朝から晩までしごかれ、撮影所のすみで幾度涙を流した事かと、当時の事を語っておりました。どんな映画だったのだろうと、検索して今、私はここに辿りつきました。
皆さんのコメントを読み、見る方もまた、涙無くして見る事の出来ない映画なのだと考えさせられました。DVDを買うしかないようですね、購入して観てみます。
昔の日本を知らない若い役者さんには、演ずるのは難しいんでしょうね。先人の努力があり、現在の日本があります。私達も子供や孫にバトンを引き渡していくのですが、世界に誇れる日本でありたいものです。
youtubeでもテレビでも見れないのでDVDですね、今調べたら2200円位・・・?
もう一度テレビ放映を、現代の日本を造った明治の少女達の為にも💧
こういう映画こそTVで再放送して欲しいものですね。涙なしでは観られません😂
いいから読んでみな。見事に脚色された嘘話だよ。
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そうですねーああ野麦を放送してくざさい
お願いしますーそうしてー若者もお人寄りも皆さんが忘れて居たことを思いだして下さいー政井みねさんのよぅ事を私も今年はお墓参りをして参ります。
明治時代の女工の物語。労働基準法のない時代の作品。まだ一度も観てない方は一度DVD📀をご覧になられたら。涙無くしてみられません。
映画は勿論、私はこのyoutube作りながらも😢😢でした。
いいから読んでみな。見事に脚色された嘘話だよ。
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悲しい歌詞ですね
今では考えられないけど現金収入の少ない時代、こういうことあったんでしょうね😥😥
今でもこの曲は「JR松本駅」のコンコースとホーム上で流れています💖
また、今は亡き特急あずさ号の松本駅を発車する際にこの曲の掛けながら紹介していました(1番は車掌無音)。
貧しかった当時の日本を知る事ができる感動の映画で、youtubeを作りながら涙がこみ上げてきました。
いつか松本駅で聞いてみたいなあ!
なかなかDVDにならず、ようやく買うことができました。みねのお兄さん役の地井武男さんも好演だったと思います。松本駅でいつかこの曲を聞こうと思います。
富岡製糸場とはまったく異なる女工さんの物語ですね。
富岡製糸場など、かなり、ホワイトな職場とのこと。
富岡製糸場が世界遺産になる数年前見学しました。
明治初期に大量生産するため、フランス人の指導で作った官営模範製糸場でした。日本各地の女工が学び故郷へ帰り技術を広めたので、岡谷の女工もここで学んだかも?民間企業とは違ったでしょうね。
同じところだと思ってました!
@@杉下左京-s6t
富岡製糸場の女工第一号は工場長の娘だよ
ブラックなわけない
最初1969年に吉永事務所により【ああ野麦峠】の映画化が計画され、内田吐夢監督、吉永小百合主演(政井みね役)で自主制作するも実現しなかった。野麦峠に何回か訪れていた吉永は現地に(政井みねの碑)を寄贈している。その10年後の1979年に山本薩男監督、大竹しのぶ主演で映画化された。
野麦峠新緑編も、出来ればUPロードして欲しいです
野麦峠新緑編を観てなく、イメージ湧きません。
機会がありましたら観たいですね。
当時芝居の世界にいました。客観的に分析した観かたが普通でしたが、大竹しのぶさんの演技は卓越していて(青春の門以来)客観的に観られません。今観てもぼろ泣きします。
あの頃の芝居の世界は熱かった!
赤テントや劇団3などのファンでした。
大竹しのぶさんの。あ、野麦峠は知ってましたが。話しが解りやすいのはこのシリーズだと思います。ほかの話しはかなり複雑ですしね。この大竹しのぶさんも。かなり撮影が大変だったと言ってたような、覚えが有ります。お兄ちゃんは迎えにきたけど。亡くなったので途中でみねを置いて行ったのですね、仲間も乱暴されたり最後まで見れ無かつたです。古手川祐子サンが火を付けて終わったのかな??、テレビも地上波でわ難しいと思います。がみたいでスネ
実話は、兄が松本だったか近くの病院に入院させようとしたが、ミネは死期を悟ったのか入院を拒み故郷へ帰りたいと言うので、背負って野麦峠を越えようとしたが息絶えた・・・
記憶は曖昧ですが?
お兄さんはみね亡骸を家まで亡くなった後は人目を避けて夜間移動された様です。お兄さんは戦後昭和30年代にそれまで貯めたお金で供養塔を建立されてます。小説あゝ野麦峠の作者の取材をみねの死後半世紀以上経って受けてます。
お助け茶屋のお兄さんに、背負われた、みねさんの、像を見て来ました。
行ったんですか、私も行きたいと思いながらまだです。お兄さんも両親もさぞ無念だったでしょうね。
中学の同級生に阿部順子さんいました。すらりと背が高いですか。
いいから読んでみな。見事に脚色された嘘話だよ。
okaya-shokoji.com/sermon/%E3%80%90%E5%A5%B3%E5%B7%A5%E5%93%80%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E2%91%A4%E3%80%91vol-47/
タコ部屋労働ですね。
当時の寮生活はこんなものだったのかな?
それでも命がけでアルプスを越え仕事に行く、住み込みで現金収入を得られる仕事などほとんどなかった時代だったと想像します。
ないても ないても なききれない。 たかくら けん や わたり てつや が、 なぜ もとめられる のか、 わかる き が する。 けんさん、 たたっきれー。
私も、見たあと何も言えないこと、おもいだします。
言葉は出てこず、ただ涙です。
いいから読んでみな。見事に脚色された嘘話だよ。
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追伸、家の両親は戦争前に産まれてますが、あ、野麦峠の話しは聞いた事有るけど。、良く解らんみたいですが、映画はフィクションだけど。モデルの女の子は居たかもしれないと言ってました、
私の母は戦前繊維工場で働いたそうです。
政井 みねは実在の女性のようです。
@@kenhara 私も1〇代の時浜松で紡績工場で働いてました、
昔は、公女達が峠越えをしているが、今は東西の電気が峠越えして送っている。
そうでしたか、送り先は東電でしょうね。
はい、そうみたいです。飛騨信濃直流幹線で検索すると出ます。
映画を見ました。感想です。名画です。映画は欧米人の晴れがましい舞踏会で始まり、最後も舞踏会で終わります。内容は皆さんの仰るとおり、泪で見るのも良し、可愛さ、つらさで見るのも良いと思います。しかし肝心なのは欧米人の傲慢さ、人種差別、そして奴隷制度等、歴史の一つがテーマとして隠れているのではないでしょうか。制作者の狙いはそこにあるのではと感じます。少女は欧米人の隠れた奴隷です。舞踏会で踊り、幸福を味わっている、欧米人は知っておられるのでしょうか。現在の日本は原爆を落とされた被害国ですが、軍国を主体とした侵略国と評価している人が居ります。映画を外れますが日本は戦争には負けましたが欧米人の奴隷にはなりませんでした。戦後教育の大きな誤りを語っているような気がしてなりません。しかもアジアからアングロサクソを追い出しました。少女の皆さんがです。皆さん胸を張って少女や先祖に感謝しましょう。
鎖国が終わり欧米に追い着こうとしていた時代、絹糸は外貨を稼ぐ重要な輸出品でした。起用で勤勉な女工達の血のにじむ労働力があったからこそです。日本の素晴らしい国民性は受け継いでいかないと、国はあっという間に衰退するのではと危惧しています。
いいから読んでみな。見事に脚色された嘘話だよ。
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この映画の中では一番か弱い可哀想な役柄だった古手川祐子が本当は一番強かったという、子供の頃から番長でこの後のドラマで似た生い立ちの後輩の田中美佐子をいじめた話も有名だし、田中美佐子も地元では番長みたいな男勝りのキツイ女傑だったそうなので、人は見た目によらないとこの二人を見るとつくづく思います。
裏話詳しいですね、私は単純に日本の歴史にはこんな過去もあったんだなあと観ました。
泣けて泣けてしょうがなかった。高校生の時に、野麦峠の女工さんの事知りました。日本の近代化の裏には、こんなことがあったということに衝撃でした。
このyoutube作りながらでも涙涙でした。実話だからズシリと心に響きます。泣ける映画No1です。
いいから読んでみな。見事に脚色された嘘話だよ。
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