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明けましておめでとうございます。🤱👨🍼👩🍼今年も宜しくお願い致します。🤱👨🍼👩🍼
ありがとうございます
今までの話で一番腑に落ちた感じです。その信心獲得に、これ以上細かく説明は難しいと思いますがさらにその時の心の動き、信心獲得出来たなぁという自覚が自分の中で湧き起こるのかもっと聴きたいです。
やはり「智慧」の太陽ですね。自分の心が疲れている、他人との関わり方が分からない、なんか人生がつまらない。全て先人の知恵を学んでいないからこそ出る悩みであり、その先人の知恵の中で特に聞くべきなのが親鸞聖人やお釈迦さまの教えだと思います。引き続き、真剣に聴聞を続けて、仏教の教えの真髄を理解しに行きたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
今回のお話は、非の打ち所がない。💯
目立ちたがり屋も名誉欲の煩悩ですけど目立たない凡人にも名誉欲といった煩悩があるんですね煩悩が苦しめているけどやっぱり人間は欲という煩悩は手放せないんですね今日もありがとうございました🙇
今日もありがとうございます🙇足るを知る✨無碍の一道✨
菊谷先生いつも大切なお話と尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
ありがとうございます!
今日もありがとうございました🙇🙏(動画視聴メモ)★自由な心になる仏教【歎異抄第7章『無碍の一道』から】1.煩悩に邪魔されている(貪瞋痴)2.煩悩が減らせない(煩悩具足の凡夫)3.煩悩あるまんまの幸福(雲霧之下明無闇、信心獲得)
煩悩の犬は、いくら追えども去ってくれないので「少浴知足」と「有無同然」を知り、実践する事により、対応して行こうと思います。ありがとうございました。
信心獲得させて下さい、聴聞します、先生、今日もありがとうございました
今日も分かりやすくご説明くださり、ありがとうございます。
コメント欄を見るだけでも充実感を今は感じます 自覚のある幸福の元スマホからガラケーに戻した男です ある程度満たされると干渉されるのを嫌うので 一般に嫌う不自由や劣りが自分の望む幸福とも分かります 主役を演じたい 大衆に於ける中心人物像が間違わせます 人の幸福を見てることが好きで幸福なのですが 中心を要求されて人との関わりを減らしもしました 同一視したい仲間意識と見下しより感謝で心は富まれます ありがとうございました
うっ。ううう。 今日のは思いっきり己の本性に向き合わされて今はどん底の気分…。忘れてたー。そういえばそうだったーwwwお話素晴らしかったです♪
無碍の一道のイメージがらなかったんですけど...今回のお話で、なんか納得してしまった。活字文字を読むだけだと、絶対わからないねぇなるほど聴聞っていいかも。
おおよそ全ての人間が煩悩を持っていて、棄てきれないでしょう。これを抑制するのが修行で、これを教え導くのが仏です。ただ聞き続けても実践が伴わない者、成就文にあるように五逆などは論外と阿弥陀仏も言っているように、釈尊は晩年を生き来世が不安な者への慈悲の方便として教えられました。
おもしろかったです😊
煩悩とは何かという認識が表面的ですね、欲と煩悩には違いがある事に気が付いていない。煩悩が生み出した「自我」ですから煩悩以外のものは有りません。なぜ煩悩を捨てなければならないかを知らない、一切皆苦を語れない、親鸞上人の最大の悩みの原因が解らなければ親鸞上人の信心決定が解らない。雲や霧の中は暗いに決まっているが何故明るいのか説明不足。なぜ親鸞上人も蓮如上人も肯定を破門したのか説明できない。無碍の一道は煩悩を肯定してはいないと解釈する人を無視して逃げの一手かな。
自由な心になる仏教(歎異抄第7章無碍の一道)1お金地位妻子がないから幸せがないのではなく煩悩があるから幸せになれない。2煩悩は減らせるものではない自慢する人もおとなしい人もどちらにしても名誉欲に振り回されている。また欲を減らせない。欲のシーソーなにをしていても欲の塊が人間。3煩悩あるがままで幸福になれる世界がある。雲一面煩悩で覆われている。雲の下は闇がすっかりなく明るい。真実信心の太陽を頂く信心獲得という。光は強く太陽や月の光が蛍の光のように感じるほど明るい。何のために生きるのか分からない心無明の闇。破無明闇信心獲得すると絶対の幸福に訪れる。
わたしは波羅密を行じて煩悩が減りましたよ!
ああいう主役を人生で演じたい 甘いです 主役は台本と団体でのルール通りです 束縛の内に演じている主役 本音は何の変哲もない日常で足りる 無知の自由が人の判断を鈍らせます 例えば芸能人 規則の中で目立っています 自分勝手な勝者でありません その束縛から自由ある者への暴力や暴言が生まれもします 相手の不自由を知ると理解が生まれます 視野や知識があると不幸な夢に対する自分を抑えることも出来ます ありがとうございました
地球は浄土ではなく、穢の世界穢土だと体感しますし、この世は苦に満ちていると仏教で教えられますが、本当に信心決定というのはあるのでしょうか?現実では70歳80歳になっても年金だけで生活出来ず、働かざるをえない人が増えてます。また歳を取ると健康を維持するだけでも大変ですし、女性の方で更年期障害の苦しみから命を絶つ人までいると聞きます。年間二万5千人ものジサツ者が発生するような国で、本当に信心決定して幸せな人はいるのか、疑問です。一時の幸福はあっても(新婚期間など)諸行無常、幸せは絶対続かないと仏教でも言われてますが、本当に信心決定なんてあるのでしょうか?一時期幸福を感じて、幸せだと主張してる人いますが、一念で絶対の幸福はないと思ってます。不幸も続かないですし、幸せも続かないですし諸行無常を痛感しますが。今日も為になる動画ありがとうございます、長文スイマセンです。
明けましておめでとうございます。🤱👨🍼👩🍼今年も宜しくお願い致します。🤱👨🍼👩🍼
ありがとうございます
今までの話で一番腑に落ちた感じです。
その信心獲得に、これ以上細かく説明は難しいと思いますがさらにその時の心の動き、信心獲得出来たなぁという自覚が自分の中で湧き起こるのかもっと聴きたいです。
やはり「智慧」の太陽ですね。
自分の心が疲れている、他人との関わり方が分からない、なんか人生がつまらない。全て先人の知恵を学んでいないからこそ出る悩みであり、その先人の知恵の中で特に聞くべきなのが親鸞聖人やお釈迦さまの教えだと思います。
引き続き、真剣に聴聞を続けて、仏教の教えの真髄を理解しに行きたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
今回のお話は、非の打ち所がない。💯
目立ちたがり屋も名誉欲の煩悩ですけど目立たない凡人にも名誉欲といった煩悩があるんですね
煩悩が苦しめているけどやっぱり人間は欲という煩悩は手放せないんですね
今日もありがとうございました🙇
今日もありがとうございます🙇足るを知る✨無碍の一道✨
菊谷先生いつも大切なお話と尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
ありがとうございます!
今日もありがとうございました🙇🙏
(動画視聴メモ)
★自由な心になる仏教【歎異抄第7章『無碍の一道』から】
1.煩悩に邪魔されている(貪瞋痴)
2.煩悩が減らせない(煩悩具足の凡夫)
3.煩悩あるまんまの幸福(雲霧之下明無闇、信心獲得)
煩悩の犬は、いくら追えども去ってくれないので
「少浴知足」と「有無同然」を知り、実践する事により、対応して行こうと思います。
ありがとうございました。
信心獲得させて下さい、聴聞します、先生、今日もありがとうございました
今日も分かりやすくご説明くださり、ありがとうございます。
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無碍の一道のイメージがらなかったんですけど...
今回のお話で、なんか納得してしまった。
活字文字を読むだけだと、絶対わからないねぇ
なるほど聴聞っていいかも。
おおよそ全ての人間が煩悩を持っていて、棄てきれないでしょう。
これを抑制するのが修行で、これを教え導くのが仏です。
ただ聞き続けても実践が伴わない者、成就文にあるように五逆などは論外と阿弥陀仏も言っているように、釈尊は晩年を生き来世が不安な者への慈悲の方便として教えられました。
おもしろかったです😊
煩悩とは何かという認識が表面的ですね、欲と煩悩には違いがある事に気が付いていない。煩悩が生み出した「自我」ですから煩悩以外のものは有りません。
なぜ煩悩を捨てなければならないかを知らない、一切皆苦を語れない、親鸞上人の最大の悩みの原因が解らなければ親鸞上人の信心決定が解らない。
雲や霧の中は暗いに決まっているが何故明るいのか説明不足。
なぜ親鸞上人も蓮如上人も肯定を破門したのか説明できない。
無碍の一道は煩悩を肯定してはいないと解釈する人を無視して逃げの一手かな。
自由な心になる仏教(歎異抄第7章無碍の一道)
1お金地位妻子がないから幸せがないのではなく煩悩があるから幸せになれない。
2煩悩は減らせるものではない
自慢する人もおとなしい人もどちらにしても名誉欲に振り回されている。
また欲を減らせない。欲のシーソーなにをしていても欲の塊が人間。
3煩悩あるがままで幸福になれる世界がある。
雲一面煩悩で覆われている。雲の下は
闇がすっかりなく明るい。真実信心の太陽を頂く信心獲得という。光は強く太陽や月の光が
蛍の光のように感じるほど明るい。
何のために生きるのか分からない心
無明の闇。破無明闇信心獲得すると絶対の幸福に訪れる。
わたしは波羅密を行じて煩悩が減りましたよ!
ああいう主役を人生で演じたい 甘いです 主役は台本と団体でのルール通りです 束縛の内に演じている主役 本音は何の変哲もない日常で足りる 無知の自由が人の判断を鈍らせます 例えば芸能人 規則の中で目立っています 自分勝手な勝者でありません その束縛から自由ある者への暴力や暴言が生まれもします 相手の不自由を知ると理解が生まれます 視野や知識があると不幸な夢に対する自分を抑えることも出来ます ありがとうございました
地球は浄土ではなく、穢の世界穢土だと体感しますし、この世は苦に満ちていると仏教で教えられますが、本当に信心決定というのはあるのでしょうか?現実では70歳80歳になっても年金だけで生活出来ず、働かざるをえない人が増えてます。また歳を取ると健康を維持するだけでも大変ですし、女性の方で更年期障害の苦しみから命を絶つ人までいると聞きます。年間二万5千人ものジサツ者が発生するような国で、本当に信心決定して幸せな人はいるのか、疑問です。一時の幸福はあっても(新婚期間など)諸行無常、幸せは絶対続かないと仏教でも言われてますが、本当に信心決定なんてあるのでしょうか?一時期幸福を感じて、幸せだと主張してる人いますが、一念で絶対の幸福はないと思ってます。不幸も続かないですし、幸せも続かないですし諸行無常を痛感しますが。今日も為になる動画ありがとうございます、長文スイマセンです。