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今日もありがとうございました🙇🙏(動画視聴メモ)★寺への寄付、お布施は強制か?断るとどうなるか?1.強制はない(財施は任意)2.割り当てはない(財施は喜捨)3.求められている寺とは(法施⇔財施)
私の父は、先祖代々のお墓があるお寺からの度重なる寄付要求に業を煮やして、絶縁しました。その後、公園墓地を購入し、父母ともにそこで眠っています。今日の先生のお話しを聞けて、とても安心しました。ありがとうございました。
せっかく法話を行えるような状況にあっても話をしない、出来ない先生が多いです。そのような状態の中でお布施や寄付の事を言われてもシラケるだけですね。
福岡県の田舎町にある真言宗のお寺に先祖の御骨を預かって貰っていましたが生活保護で経済的に苦しく成り御布施を出せ無く成ったら預けられなく成り全て海に散骨しました。
菊谷先生の仰る通りでございます。仏法を守っていきましょう。🎉
はい
まったくです。共感します。60代、70代の人達が因習やしがらみを断ち切って葬式仏教に引導を渡す時が来てると思います。賢しらな事を言ってないで若い世代を馬鹿げた因習から解放してあげましょう。
大変良い話を聞かせてもらいました。ありがとうございました
今日もありがとうございます🙇
今日も大変,学び勉強になりました。ありがとうございました。
地域の財施というと連帯感があるせいで必ず払わされるというのが一般的ですが、墓じまいっていう方法もあるんですね.亡くなった親の願いはただ一つ遺族の幸せであることでしょうね.僧侶は法施をするのが本来の目的なんですね.菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
凄くわかりやすく聞かせて頂きました。ありがとうございます✨
ですよね、、強制なわけはないですよね、、😮
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。〜南無阿弥陀仏〜🙏
これは難しい問題です。答えは無いと思う。
煩悩が判断した事には正しいものがあるし間違ったものも有ります。凡人たちの要求に合わせる事に違和感を持つのも当然です。法話が出来ない僧侶、自分の煩悩に振り回されている檀家の凡人、自我の判断で講話する講師、阿弥陀如来の光明を皆浴びていても心の目が塞がっているので皆無明の闇の中彷徨い続けています。阿弥陀如来の本願をよくよく顧みる人が居ない事は残念な事ですね。
とてもわかり易いです。ありがとうございます。
断ると罰が当たるみたいで後ろめたく、信仰心を問われてるみたいでいい気分がしないですよね。うちの実家が入ってる寺なんかは、渋る信者を逆手にとって、会社経営のような割り切った寺経営をしてたりします。よく言われる葬式仏教です。檀家増やしに一生懸命でイベントやらコンサートやら、婚活なんかやってますね。仏縁、説法なんて皆無ですから、そのようなお寺には関心が湧きません。曾祖父は神道系の宗教を長くやってましたが救われたのかなぁ。どの宗教もビジネス臭がするし、生きてる意味とかかすりもしないんで、なんか薄っぺらい印象うけちゃうんですよね。僧侶って厳しい修行を成し遂げて得度してるはずなんだけどなぁ。自分の代になったらぢどうしたらいいんだろう...
40万?ひどいものですね。布施する気持ちを起こさせて下さいよ。あなた方が善知識だと思えれば、惜しみはしませんよ。有難いものだと感じさせて下さいよ。それがないから私は今のお寺に寄り添えないのです。菊谷さんのご説法のように有難いと思わせてほしいものですね。
信長がかつて比叡山焼き討ちにしました。そういうことでは?
時代ですね。情報がすぐに手に入る時代です。もはや御老人の言い伝えを聞くよりもSNSでいくらでも調べれますからね。古き良き時代は理解できますが、もっと合理的な方が人類の為かと思われます。わたくし一般人は今日明日を生き抜いていくのが必死でご先祖様に手を合わせる事もままならないです。
先生の仰るとおりです😊地方では難しいかもしれませんが、都会なら檀家やめて墓仕舞いするってのも有りですね😅
僧侶の主な目的は修行ですが、法話もまた大切な役割です。有名な日本の僧侶、インド仏教最高指導者の佐々井秀嶺氏は、今も公共事業としてインド仏教復興に尽力し、ダーナ(布施)は全てインド仏教のための公共事業につぎ込んで、今や一億人を超えるインド仏教徒の長となりました。ご本人は一銭も持たない精神でも、世界各国から要人としても迎えられる、現代の龍樹菩薩と宗派を超えて慕い敬われる、まさに僧宝と言えます。
仏法にこそ本質がありますよね。僕も菊谷さんの話を聞くまでは、ただ形式的にお墓を作るために仏教や寺がまだ存在していると思っていました。もっと仏教の教えをみんな学べるように仕組みを変えていくべきだなと思います。葬式仏教として布施をいただいてる人たちは立場上そんなに簡単には認めないと思いますが、その考え方は仏教を本当に理解しているのか?疑いたくなります。今日もありがとうございました。
分からなくなってきました。接客業に従事してますが先日法要会食がありました。テイクアウトは駄目なんですがお坊さんにお断りしたところ、わたしの責任でとおっしゃいました。結果テイクアウトNGだったのがお坊さんの行いを見てた他の方々が次々とテイクアウト。ルール。わたしの責任でとお坊さんはおっしゃいましたが結果ルール崩壊。残念です。
今日もありがとうございました🙇🙏
(動画視聴メモ)
★寺への寄付、お布施は強制か?断るとどうなるか?
1.強制はない(財施は任意)
2.割り当てはない(財施は喜捨)
3.求められている寺とは(法施⇔財施)
私の父は、先祖代々のお墓があるお寺からの度重なる寄付要求に業を煮やして、絶縁しました。その後、公園墓地を購入し、父母ともにそこで眠っています。今日の先生のお話しを聞けて、とても安心しました。ありがとうございました。
せっかく法話を行えるような状況にあっても話をしない、出来ない先生が多いです。
そのような状態の中でお布施や寄付の事を言われてもシラケるだけですね。
福岡県の田舎町にある真言宗のお寺に先祖の御骨を預かって貰っていましたが生活保護で経済的に苦しく成り御布施を出せ無く成ったら預けられなく成り全て海に散骨しました。
菊谷先生の仰る通りでございます。仏法を守っていきましょう。🎉
はい
まったくです。共感します。
60代、70代の人達が因習やしがらみを断ち切って葬式仏教に引導を渡す時が来てると
思います。賢しらな事を言ってないで若い世代を馬鹿げた因習から解放してあげましょう。
大変良い話を聞かせてもらいました。ありがとうございました
今日もありがとうございます🙇
今日も大変,学び勉強になりました。ありがとうございました。
地域の財施というと連帯感があるせいで必ず払わされるというのが一般的ですが、墓じまいっていう方法もあるんですね.亡くなった親の願いはただ一つ遺族の幸せであることでしょうね.僧侶は法施をするのが本来の目的なんですね.菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
凄くわかりやすく聞かせて頂きました。ありがとうございます✨
ですよね、、強制なわけはないですよね、、😮
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。〜南無阿弥陀仏〜🙏
これは難しい問題です。答えは無いと思う。
煩悩が判断した事には正しいものがあるし間違ったものも有ります。
凡人たちの要求に合わせる事に違和感を持つのも当然です。
法話が出来ない僧侶、自分の煩悩に振り回されている檀家の凡人、自我の判断で講話する講師、阿弥陀如来の光明を皆浴びていても心の目が塞がっているので皆無明の闇の中彷徨い続けています。
阿弥陀如来の本願をよくよく顧みる人が居ない事は残念な事ですね。
とてもわかり易いです。ありがとうございます。
断ると罰が当たるみたいで後ろめたく、信仰心を問われてるみたいでいい気分がしないですよね。
うちの実家が入ってる寺なんかは、渋る信者を逆手にとって、会社経営のような割り切った寺経営をしてたりします。
よく言われる葬式仏教です。檀家増やしに一生懸命でイベントやらコンサートやら、婚活なんかやってますね。
仏縁、説法なんて皆無ですから、そのようなお寺には関心が湧きません。
曾祖父は神道系の宗教を長くやってましたが救われたのかなぁ。
どの宗教もビジネス臭がするし、生きてる意味とかかすりもしないんで、なんか薄っぺらい印象うけちゃうんですよね。
僧侶って厳しい修行を成し遂げて得度してるはずなんだけどなぁ。
自分の代になったらぢどうしたらいいんだろう...
40万?ひどいものですね。布施する気持ちを起こさせて下さいよ。あなた方が善知識だと思えれば、惜しみはしませんよ。有難いものだと感じさせて下さいよ。それがないから私は今のお寺に寄り添えないのです。菊谷さんのご説法のように有難いと思わせてほしいものですね。
信長がかつて比叡山焼き討ちにしました。そういうことでは?
時代ですね。情報がすぐに手に入る時代です。
もはや御老人の言い伝えを聞くよりもSNSでいくらでも調べれますからね。
古き良き時代は理解できますが、もっと合理的な方が人類の為かと思われます。
わたくし一般人は今日明日を生き抜いていくのが必死でご先祖様に手を合わせる事もままならないです。
先生の仰るとおりです😊
地方では難しいかもしれませんが、
都会なら檀家やめて墓仕舞いするってのも有りですね😅
僧侶の主な目的は修行ですが、法話もまた大切な役割です。
有名な日本の僧侶、インド仏教最高指導者の佐々井秀嶺氏は、今も公共事業としてインド仏教復興に尽力し、ダーナ(布施)は全てインド仏教のための公共事業につぎ込んで、今や一億人を超えるインド仏教徒の長となりました。
ご本人は一銭も持たない精神でも、世界各国から要人としても迎えられる、現代の龍樹菩薩と宗派を超えて慕い敬われる、まさに僧宝と言えます。
仏法にこそ本質がありますよね。僕も菊谷さんの話を聞くまでは、ただ形式的にお墓を作るために仏教や寺がまだ存在していると思っていました。
もっと仏教の教えをみんな学べるように仕組みを変えていくべきだなと思います。
葬式仏教として布施をいただいてる人たちは立場上そんなに簡単には認めないと思いますが、その考え方は仏教を本当に理解しているのか?疑いたくなります。
今日もありがとうございました。
分からなくなってきました。
接客業に従事してますが先日法要会食がありました。テイクアウトは駄目なんですがお坊さんにお断りしたところ、わたしの責任でとおっしゃいました。結果テイクアウトNGだったのがお坊さんの行いを見てた他の方々が次々とテイクアウト。ルール。わたしの責任でとお坊さんはおっしゃいましたが結果ルール崩壊。
残念です。