「死刑台のエレベーター」(1958年)フランス映画 仏:Ascenseur pour l'échafaud 英:Elevator to the Gallows 音楽:マイルス・デイヴィス(Miles Davis) ルイ・マル監督(Dirctor:Louis Malle) 出演:モーリス・ロネ、ジャンヌ・モロー、リノ・ヴァンチュラ
Que eu saiba, em películas, Alain Delon deu cabo de Maurice Ronet duas vezes, uma vez em Plein Soleil onde MR jogado por AD do barquinho no mar e descoberto morto emaranhado de rede e outra vez em Piscina em que MR foi matado afogado à força em condição de ser bêbado, foi também o trabalho de AD ...
『フーゴ、レコードをかけてくれないか?』
ビッチェス・ブリューでいいですか?
__いや、『死刑台のエレベーター』を_
@@とろけるあかきかげ 3日は語れそう
恥知らずのパープルヘイズから。
思わぬ出会いとはこの事か、今ではこの曲がお気に入り
映画も見た。Theフランス。退屈で抑揚のない映画だった。有意義な時間だったよ。
かっこいいなw
俺と同じやな
ブチャラティはセンス良過ぎかよ
嫌いな曲らしいけどね笑笑
コレはマイルスの演奏ではないですね。アレンジも違うし、殆どコピーしてるが誰かのカバーだと思います。
海外旅行がまだ一般的ではなかった1950~60年代のパリへ行ってみたかった。1990年に行ったけど、あの頃のヨーロッパは日本人だらけで、日本人用のレストラン、日本人用の土産物店、日本語をしゃべるフランス人がいたりしてハッキリ言って面白くはなかった。面白くなかったので、マルセイユへ行ってみた。さすがに日本人観光客らしき人はいなかったな。
分かります。森有正なんぞを読んで憧れていました。
死刑台の...だとエレベーターそのものが死刑台という雰囲気が出ているのでなかなかいい訳し方だと思います
強く、同感です。
恥パから来ました。
このタイトルはトリッシュとブチャラティがボスに会いに行くエレベーターのシーンを彷彿とさせます。
3:26に現れる幸せそうな写真が切ない・・・この2人恋人同士でありながら映画の中でワンカットで登場するのはこの写真だけなんですよね。淀川さんの日曜洋画劇場で見た記憶があります。
男と女の切なさ、25歳でこんな映画が作れるなんてすごいです、なんか引き込まれる映画ですね
昨日、危険な関係、60年振りに観てきた これももう一度観たいな~
スリルとサスペンスとアンニュイ。このアンニュイが曲者だ。
シネジャズからジャズファンになったので楽器演奏は全然できません。この齢になってピアノでも習っていれば違うミュージックの楽しみ方もできたのにと悔やんでいます。
ジャンヌ モロー
実は ブリジット バルドーより 肉体派でスタイルも良い
心に残る映画の一つです。Aドカエのカメラもいい、MデービスのTpもいい。ゴダールは解らないけどルイ・マルは好きです。Mドモンジョですよね?777myleneさんのお顔。あの頃の映画(欧州映画)また観てみたいなぁ。
あの頃は良い映画が氾濫していてどの映画を観ようか戸惑うくらいだった。
ジャンヌ・モローといえば、ミンクのコートを羽織った淑女の印象ですね。
ジャンヌモローが素敵 可愛らしく美しく 寂しげで
翌年公開の「恋人たち」、彼女の魅力、圧巻ですよね。
この映画の主人公は300SLです
即興と聞いていますが本当ですか?
この曲を作曲したマイルス・デイヴィスは、映像を見て即興で作ったというけどマジか。
このトランペットはマイルスでしょうか?ギターとかピアノ、オーケストラのバックもあるしマイルスとは別人ですかね。そうだとしたら完コピですね。上手いですよ。
トランペットの曲で、これ以上のものが、あるだろうか。
日野皓正が5/16nhkに、でていたが。
今だから言える暗い過去コーナー。なぜかエロネタが多かった
Que eu saiba, em películas, Alain Delon deu cabo de Maurice Ronet duas vezes, uma vez em Plein Soleil onde MR
jogado por AD do barquinho no mar e descoberto morto emaranhado de rede e outra vez em Piscina em que MR foi
matado afogado à força em condição de ser bêbado, foi também o trabalho de AD ...
下記にフランス語や英語の知識がない人間が好き放題なコメントを書いている。
私からすると、誤訳によって折角の映画の展開の楽しみを壊している。
題名で使用されている前置詞の[pour]は、[ために]などという意味で使用されている。
しかし、英語では[for]になるが、これも行き先を表す場合にも使われている。
例えば[for Tokyo](東京行き)のように。
タイトルの英語版では、[for]よりはっきりと行き先を意味する[to]が使用されているではないか。
従い、日本語で訳す場合、[死刑台へのエレベーター]或いは[死刑台行きのエレベーター]が正しい。翻訳した人間は前置詞の[pour]の使い分けを良く知らなかったに違いない。
[死刑台のエレベーター]だと、エレベーターが死刑台の一部になってしまうが、作品の物語の展開としては、エレベーターの外にいる主人公(生)と中にいる主人公(死)の違いが面白いのだ。
エレベーターに閉じ込められた状態で捕まってしまったら死刑になるが、外に出られたら助かる、少なくとも逃げるチャンスがある。この生死の運命の鍵を握っているのがエレベーターだ。
直接的でわかり過ぎるから、あえて意味をわからなくしている。そんな気もしますが…。含みを持たせているのかも。
意味が分かりすぎるからあえて意味を隠すために「死刑台のエレベーター」としているのかも。語感的にも、へ…がない方が良いかと。
@@idid1idid177 どう動説明したらよいか。
これはあくまでも翻訳論であるが、問題の[死刑台のエレベーター]は誤訳である。文法的に間違っているのである。
本多勝一氏が名著[『[新版]日本語の作文技術』]の中で、翻訳に関して次のように書いている:[当人が原文の意味を理解していないで、どうして日本語として完全なものになりえようか]。
要するに、[死刑台のエレベーター]の翻訳者はしっかりとしたフランス語知識がないということである。私は日本に戻って来てから、フランス映画の字幕を見てあまりにも誤訳が多いのに驚いた。文法上の間違いだけでなく、フランスの社会制度の知識不足に因る間違いもある。
私がフランス語の翻訳)を始めてから40年以上になるので(仏語の教師でもある)、文法上の間違いには常に注意を払っている。
では、[死刑台のエレベーター]の文法上の間違いでどのようなことが発生するかを説明すると、重要な点は前置詞の[pour]の訳である。日本語では[の]という所有格が使われているが、これは方向格である。即ち日本語では、[へ]や[に]に相当する。
事実、この作品の英語版では[to]が使われている。または[for]に置き換えることも可能である。
確かに、前置詞[pour]は多義である。多くは英語の[for]と同様、[~のために]という意味で使用される。しかし問題のタイトルでは方向格として使用されているのである。
例えば、英語で[東京行き]を[for Tokyo]と同じ役割である。
従い、[死刑台へのエレベーター]となる。あるいは、方向を表わす[行きの]を使用して[死刑台行きのエレベーター]だ(こっちの方がいいかな?)。
意味が変わる点
私はパリ大学で言語学を専攻していたのでセミオロジー(記号学。意味に関する学問)も勉強した。そのことから、翻訳者が方向格あるいはそれに相当するものを使用しないで、所有格を使っているのを見過すわけにはいかない。
翻訳の中には意訳というものがある。フランスと日本は文化的にかなり違いがあるので、しばしば意訳が必要な場合がある。
意訳にどういうものがあるか。例えば、有名な[ああ無情]のオリジナルは[レ・ミゼラブル]である。これはフランス語で[Les Misérables](定冠詞+名詞)と書き、意味は[哀れな人々]になる。作者は1830年代から50~60年代にかけて、フランスでの社会の不条理を訴えた。
だから[Les Misérables]なのだ。そして[ああ無情]は意訳として許容できるのである。確かに[ああ無情]というのは作者の嘆きを表わしているのか、それとも当時の社会状況を描いているのか定かではない、既に述べたように、フランスと日本は文化が違う。ましてや19世紀のフランスのことである。だからこの意訳は許せるのである。むしろ名訳と言える。
さて最後に、重要な点を指摘すると、意味が異なることで作品の面白さが失われることだ。
[の]という所有格を使えば、死刑台がエレベーターに属することになる。または、エレベーターそのものが死刑台ということになる。
しかし、タイトルはそうなっていないし、ストーリーも違う。
殺人を犯した男がエレベーターに閉じ込められる。そのままで翌日見つかれば、待ち受けている運命は死刑である。一方、無事に表に出られればしばらくは[シャバ]にいられる。一生逃げ切れるかもしれない。
つまり、エレベーターは生死の世界を昇降する役割を作品の中で表わしているのだ。
しかし[死刑台の]にすると、主人公は既に死が待っている状況に在るということになる。
これでは、折角のストーリー展開として、本来の意味を伝えたことにならない。
だからいけないのだ。
文章が長くなったが、正確に意見を述べるためにはそうなるものだ。
@@idid1idid177 「死刑台のエレベーター」というタイトルは以前から知っていたが、これが古いフランス映画で、テーマをマイルス・デヴィス
が担当してるなんて知らなかった 素直に、いいタイトルだと思うな
偉そうに‼️
やっぱり、マイルスでっせ!
誤訳を訂正する。「死刑台のエレベーター」ではない。「死刑台へのエレベーター」である。