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このバックのパーソネルは絶妙です。重くなりすぎず、浅川マキさんの歌詞と歌声が生きています。
悲しい夜を歌えるマキさんのような歌手が現れて欲しい…さみしいね
板橋文夫不朽の名曲goodbyeをここまで歌える歌手はもう出てこないでしょうねぇ( ;∀;)これも素晴らしい昭和遺産ですね
板橋文夫さんの大名曲。これに詞を付けて歌うマキさん。もう、言葉は無い😿
浅川マキさんのようなどっか秘密めいた、実像が見えにくい部分をもった人についてはだんだん伝説的に語る継がれるようになっていくのだと思いますが。私は1回だけ池袋文芸坐のオールナイト・コンサートに行ったことがあります。1985年夏だったと記憶しています。そこで目にした、今では稀有な、まあ気分のいい光景ではないかもしれないけど。そういうのを記せば。どんな時代だったか、彼女たちがどんな客層を相手にしてたか、という意味も含めて。ちょうどコンサートが4時頃に終わって、外に出たとき。前の道でモメてる声がして、連れと立ち止まって話してたらその内容も聞こえて。30代くらいの男「だからさっきから言ってるじゃないの。音響責任者の名前だけ教えてって。名前だけでいいから教えてって言ってるじゃない。」スタッフらしき男「だからそういうことは教えられないんですよ。お願いします。」その繰り返しを二人で喋ってる。聞いてて客の男性が言ってる理由が私にもわかった。というのは、その晩、多くの曲でマキさんのvocalはバックにかき消されそうになっていた。明らかにバランスが悪かった。それは私にもわかったので、その男性が終わってから、やりきれない思いで「マキのコンサート、台無しにしやがって」という思いでああいうふうにスタッフにカラんでいる。それが透けてみえたんですね。私はしかし、朝から仕事もあったし、そこから立ち去ったわけですが。あの後、あの話し合いがどうなったのか、興味はあります。ひょっとしたらマキさん本人がでてくることになったかもしれない。直接説明したかもしれない。というのは何かの対談で、「私は最近、バックの演奏に埋もれたように歌うのが好きなんです」と喋っていた。それで私も「ああ、それであの音響かあ」と納得したんです。だけどそういう意図を知らない客にとっては文字通り、あの男性みたいな気持ちになるのはわかるし、実際私もあの男性の側に、気持ち的にはいたわけですよね。ただ、まああれだけの度胸もないのでそのまま帰っただけで。あの時代は、そういう音響一つでも手抜きが見えるものならただじゃ済まさん、という観客もいたってこと。マキさんの書いた本『幻の男たち』にも、客との印象的なエピソードがある。地元の学生イベンターとの打ち上げが一段落して外に出た。彼女が一人居酒屋に入って食事していた。中にいた、手ぬぐいを肩から下げた、一見地元の漁師みたいな集団の一人が近づいてきて、そのまま抜粋すると《「ね、あなた」わたしは、男が、あなたと言ったのに驚いた。だが男は表情を変えずにまた言った。「ね、どうして、昔みたいな歌じゃなくなったの」(中略)「どうして」「だって、あなたでしょ」「人違いなさっていらっしゃる」「そうじゃない、あなただ」》というシーンがあります。これもやっぱりなんだか凄いシーンだけど。彼女へのファンの思い入れがよく出てる。思いが強いですよね。で、彼女が知らないうちに変わっていっただけでこう。居酒屋の漁師風の男のああいうふうに。ようするに、彼女のファンも、今から思えば只者ではなかった。ああいうファンを相手にして歌っていた、という。そういう生々しいやり取りもたしかに「浅川マキの時代」でしたよ、ということ。ある意味観客との距離が近い。direct。それを思い出します。
ぼくの子守唄です!浅川マキさんバンドの皆さん最高。
生きてるうちにライブに行きたかった
グッバイは映画「十九歳の地図」原作中上健次、監督柳町光男、主演蟹江敬三、沖山秀子のエンデイング曲でしたね。本家の演奏は板橋のピアノが超日本的で、森山威男のドラムスが凄くて、ベースは川端民生?のトリオでした。映画のための演奏ではなくて、レコードの音源を使用したとか。このエンデイングが聞きたくて何度も映画を見ました。主演の二人は亡くなってしまいました。
主演は本間優二さんですよ。映画音楽の「GOOD-BYE」での板橋3はベース岡田勉さん、ドラム楠本卓司さんですよ。
@@bin3703 様 ご教授ありがとうございます。
このバックのパーソネルは絶妙です。重くなりすぎず、浅川マキさんの歌詞と歌声が生きています。
悲しい夜を歌えるマキさんのような歌手が現れて欲しい…
さみしいね
板橋文夫不朽の名曲goodbyeをここまで歌える歌手はもう出てこないでしょうねぇ( ;∀;)
これも素晴らしい昭和遺産ですね
板橋文夫さんの大名曲。これに詞を付けて歌うマキさん。
もう、言葉は無い😿
浅川マキさんのようなどっか秘密めいた、実像が見えにくい部分をもった人についてはだんだん伝説的に語る継がれるようになっていくのだと思いますが。私は1回だけ池袋文芸坐のオールナイト・コンサートに行ったことがあります。1985年夏だったと記憶しています。そこで目にした、今では稀有な、まあ気分のいい光景ではないかもしれないけど。そういうのを記せば。どんな時代だったか、彼女たちがどんな客層を相手にしてたか、という意味も含めて。ちょうどコンサートが4時頃に終わって、外に出たとき。前の道でモメてる声がして、連れと立ち止まって話してたらその内容も聞こえて。30代くらいの男「だからさっきから言ってるじゃないの。音響責任者の名前だけ教えてって。名前だけでいいから教えてって言ってるじゃない。」スタッフらしき男「だからそういうことは教えられないんですよ。お願いします。」その繰り返しを二人で喋ってる。聞いてて客の男性が言ってる理由が私にもわかった。というのは、その晩、多くの曲でマキさんのvocalはバックにかき消されそうになっていた。明らかにバランスが悪かった。それは私にもわかったので、その男性が終わってから、やりきれない思いで「マキのコンサート、台無しにしやがって」という思いでああいうふうにスタッフにカラんでいる。それが透けてみえたんですね。私はしかし、朝から仕事もあったし、そこから立ち去ったわけですが。あの後、あの話し合いがどうなったのか、興味はあります。ひょっとしたらマキさん本人がでてくることになったかもしれない。直接説明したかもしれない。というのは何かの対談で、「私は最近、バックの演奏に埋もれたように歌うのが好きなんです」と喋っていた。それで私も「ああ、それであの音響かあ」と納得したんです。だけどそういう意図を知らない客にとっては文字通り、あの男性みたいな気持ちになるのはわかるし、実際私もあの男性の側に、気持ち的にはいたわけですよね。ただ、まああれだけの度胸もないのでそのまま帰っただけで。
あの時代は、そういう音響一つでも手抜きが見えるものならただじゃ済まさん、という観客もいたってこと。
マキさんの書いた本『幻の男たち』にも、客との印象的なエピソードがある。地元の学生イベンターとの打ち上げが一段落して外に出た。彼女が一人居酒屋に入って食事していた。中にいた、手ぬぐいを肩から下げた、一見地元の漁師みたいな集団の一人が近づいてきて、そのまま抜粋すると《「ね、あなた」わたしは、男が、あなたと言ったのに驚いた。だが男は表情を変えずにまた言った。「ね、どうして、昔みたいな歌じゃなくなったの」(中略)「どうして」「だって、あなたでしょ」「人違いなさっていらっしゃる」「そうじゃない、あなただ」》というシーンがあります。これもやっぱりなんだか凄いシーンだけど。彼女へのファンの思い入れがよく出てる。思いが強いですよね。で、彼女が知らないうちに変わっていっただけでこう。居酒屋の漁師風の男のああいうふうに。ようするに、彼女のファンも、今から思えば只者ではなかった。ああいうファンを相手にして歌っていた、という。そういう生々しいやり取りもたしかに「浅川マキの時代」でしたよ、ということ。ある意味観客との距離が近い。direct。それを思い出します。
ぼくの子守唄です!浅川マキさん
バンドの皆さん最高。
生きてるうちにライブに行きたかった
グッバイは映画「十九歳の地図」原作中上健次、監督柳町光男、主演蟹江敬三、沖山秀子のエンデイング曲でしたね。本家の演奏は板橋のピアノが超日本的で、森山威男のドラムスが凄くて、ベースは川端民生?のトリオでした。映画のための演奏ではなくて、レコードの音源を使用したとか。このエンデイングが聞きたくて何度も映画を見ました。
主演の二人は亡くなってしまいました。
主演は本間優二さんですよ。
映画音楽の「GOOD-BYE」での板橋3はベース岡田勉さん、ドラム楠本卓司さんですよ。
@@bin3703 様 ご教授ありがとうございます。