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すごいわかる、、、。子供時代は貧乏がコンプレックスでした。大人になって気がついたのは、幸せでないことがコンプレックスであったということでした。貧乏でも幸せな人はいるのに、自分のコンプレックスが浮き彫りになるから見ないようにしてた。
貧困と貧乏はちがいますよね。子供の頃、我が家は田舎でお金がないうえに子だくさんで貧乏でしたが不幸でも惨めではなかった。杉浦日向子さんが江戸時代は街角で面白いことをやれば投げ銭があり、その日暮らしができたというような事を仰っていました。今は、本当に貧困にまで落ちたんだなと思います。
僕は婆ちゃんから受け継いだ「貧乏なのと貧乏臭いのは別や、貧乏臭いことしたらアカン」を格言として今も楽しく貧乏しています。腹減った、もっと食いたいとねだる孫を「武士は食わねど高楊枝~」とスルーしていた婆ちゃんのスピリットは33歳になった今も僕の中に根付いているのだ。。。。
骨董展示会で第二次対戦当時のドイツ軍のコートを試着した事がありました。何気なくポケットに手を入れたら、小さな紙片らしきものが手に触れ、手に取るとそれは切符でBERLIN 1945年とある日付がスタンプされていました。それを見た瞬間に全身が総毛立ち、息を呑むばかりで、声が出ませんでした。キャリコのお話でその事を思い出して、30数年ぶりにまた強烈な寒気に襲われました。
激戦地になる、またはなったベルリンに向かってその切符を買った主は、果たして生き延びたのだろうか。生き延びる事ができず、誰かに遺品として拾われたのだろうか・・・、はたまた地獄の続きのような戦後を必死に生きたか・・いまは誰も語る事はないのでしょう
字を見ればわかるけど「貧しく乏しい」と「貧しく困る」は全然違うモノですよね。
金の使い方がわからない人への頼り方がわからない本当にありえる話で納得しました
来日した宣教師が、「不幸にあえぐ人々」が居ないので困った、というね。
日本はほんとそうですね。少ないです日本の布教は、今や不幸に喘ぐ人々の救済メインじゃなくて、自己実現が宗教の中心的な存在意義になってきていると友人が言ってました。
日本はやっぱりそのままで居ることが日本人らしさだったんだね。
一方、マザーテレサが来日した時の公演では経済的には豊かな日本において、心の貧しさを訴えた。「日本では路上で行き倒れて死んでいく人、膿にまみれてハエにたかられている人はいません。しかし、日本を歩きながら大変なショックを受けました。街はきれいだし、とても賑わっているのに、その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。皆さんの悲しそうな表情が心に焼きつけられました。インドの貧しい人たちは体は病んで苦しんでいますが、日本人は心の中にぽっかり穴があいているのではないでしょうか。貧しい人たちの体をケアする必要があるように、寂しい思いをしている日本の人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください、温かい笑顔を見せてあげてください。それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」
貧乏→お金無くても人と繋がり心豊か貧困→お金無いから人を憎み心荒む私は日本古来の価値観が好き。
高橋留美子先生の「貧乏が好きなんですね」は確かに貧乏の話であり、 良く報道される「カップラーメンしか食べられない」は確かに貧困だと言うことが分かりました。さすが岡田先生。
カップラーメンが高いと思えるのは既に一つの文化だ、って言葉をどこかで聞いて「顔が真っ青」になった記憶。
カップラーメン、健康コスパ悪い。贅沢嗜好品だと思う。何事も視点が低いのが貧困なんだろうと思う。
米や小麦粉の方がコスパいいよね。あと菓子パン
@@HI-mg7mj 惣菜パンならまだしもパンよりカップ麺の方がタンパク質やビタミンやミネラルは多いよ。。。
@@pcm298 お腹を満たせるなるべく安い物(、ある意味料理という発想がないのが貧困)ならと考えてしまいましたが栄養価で考えるならカップ麺の方がコスパいいかもですね
アニメではなく小説判「火垂るの墓」を読んだ元海軍関係者の話ですが、「もし本当に主人公の子らが海軍エリートの子だったら、絶対に飢え死にするようなことはない。なぜなら海軍エリート達は互いに助け合うものであり、もしもの時に頼る相手を子供に教えていたはずだ」とのことです。
エリートだったけど嫌われものだったから実はそのエリート家族の天網恢々だったとしたら見方変わるな
貧困の説明すごくわかりやすいです。どうしようもない状態って必ずありますね…環境条件の為に引越しするだけでも捉え方次第では失う行為と同じであり、金銭に代え難い個人の記憶を失う事にもつながる。そう言う執着が強いとある程度お金があっても貧困って言う条件が成り立つ可能性を秘めてますね…理想とする生活予算と現状に隔たりがあれば基本貧困ですよ。
明治生まれおばあちゃんが言ってた。最近の貧乏はやりにくい、昔は貧乏人ばっかりだったけど楽しかったって…貧乏と貧困の違いだったんですね
火垂るの墓を始めて見た時は訳もわからず、感動もせずモヤモヤしてもう見たくも無いとなった少年期
貧乏は暮らしかた次第で豊か、貧困はちょっとウツ入ってるイライラした暗いイメージでした。彼らが困っていたからなんですね。
「火垂るの墓」何回か見ているのに、七千円のことは忘れていて、岡田さんの解説で、また見てみようと思いました。
ニュースや自分の身の回りを見てると貧しくても心が豊かな人が減ってきましたね。
散々馬鹿にしてるマスメディアにまんまと洗脳された傀儡が増えた。そら貧しくもなる。
昔、野坂さんの原作を読み涙しました。生き残った自分への懺悔の念を吐露する姿を見て、恩師が焼夷弾の中、背中に妹を背負って逃げ惑って、気がつくと背中で妹が死んでいたという苦しむすがたと重なって辛かったです。その時だけは黒眼鏡の軽薄な作家にはみえなかったな。
広島の平和記念資料館に初めて入った時が、何も考えられなくなった瞬間でしたね。小学校ぐらいのときかな・・・・。
貧乏でいることは自分の基準の中でなら耐えられる、他から見ると貧困に変わる...だから一人でいたいのだと思う、心の閉じこもり
こういう、記録に残りにくい世相をあぶり出すのが、本当の歴史学ですね。清太が人に頼ることができないのは、親が「立派」なことが原因ではあるが、単にプライドの高さのせいではなく、口答えできない厳しい教育を受けていたと思われるので、とっさのときに、ことばが出てこない口下手だったのだと考えられる。自分がそうだったから、その可能性が十分に考えられる。
おもしろい。「貧困」は「困ってる」ことが主題。「貧乏は苦しいことだ」という固定観念があるとわからない。「あの金持ち有名人がなぜ自殺」みたいなのは逆に「富困」といえそう。
人は不思議、環境も心の持ち方でそれぞれに変わります。微風に震える羽毛のように気弱な私、ずっと貧しいと信じていたけれど、違う、貧しいのは環境でなく、心なのだと知った時の感動は、心底嗚咽と、痺れるような覚醒の記憶が鮮やかです。つまり我が心の貧困に負けていたのだと。四半世紀経た今、貧しさも楽しめるだけには、成長したと❤😂素晴らしいお話でした。
分かる。日本人ってやたら感動するとか言うけど、本当の感動ってそんな簡単なものじゃないですよ。
以前は日本にも「野宿労働者」というのがいて、公園のダンボールハウスに住んでそこから働きに行っていた。朝暗いうちから特定の場所に何百人も集合し、迎えの車に乗り込んで建設現場などに向かっていた。ダンボールハウスに何軒もお邪魔したことがあるが、広さは二畳もなかったよ。おしゃべりしているうちに、せっかく出してくれたコップの水をこぼしてしまい、床の段ボールが濡れて怒られたことも…最近渋谷でも公園から追い出された人達がいたね。結局また戻れたらしいけど。岡田さんも「言葉が出ない」ではなく、行って話してみてはどうかな。
「お金はある。知識も溢れている。」のに幸せになれない日本人はまさに今「貧困」なんだろうなぁ。
「火垂るの墓」は「トトロ」と2本立てで、ロードショー公開されました。この2本の映画は、普通の人の悪意と善意の、コインの裏表の関係にありました。そういう意味で、この2本の映画は、2本立てでロードショーされた必然性があります。当時、私は友人に『映画館に行くときは、1本目は「火垂るの墓」を見て、2本目に「トトロ」を見て、映画館を出るようにしなさい。そうしないと後悔するよ』と語りました。
昔って2本立ては珍しくなかったですよね。地方だけかもしれないけどお得感。ルパンとアガサクリスティー物とかなってました。終わっても座って居ればもう一度観られる。
@@Ri-bl9hp この時代は、すでに東京は1本立てロードショーが標準でした。2本立ては珍しかった。
ヨイトマケの歌の前半は貧困、後半は貧乏。紅白歌合戦で並み入る歌手たちの中で「どんなきれいな歌よりも、どんなきれいな声よりも、ぼくを励ましなぐさめた、母ちゃんの歌こそ世界一」と歌い抜けたのは岡田さんと同じく貧しさの本質をみたからでしょう。
そう捉えると貧困層と言うのは相手によってとても失礼な物言いだと言うのはよく分かりました。
火垂るの墓、聞き齧りで見てかわいそうすぎて見れずにいましたが、純粋な戦争被害者ではなかったと聞いてちょっと救われました。
なんか、、、まずは貧困から貧乏になってみようと思った。やっぱり心が体を動かすから、今がダメなら少しづつでも移動した方がいい。本当の感動を浴びて半強制的に考え方を変えられるのもアリかも…でも本当の感動を得る為には頭や心の中が潤沢じゃなきゃ理解もできない。
深いですね、ここまでのお話にビックリです。アメリカの町、銀山の部屋もそうですが蛍の墓のお話も。ただ、言えることは今の時代の常識で考えてしまう無礼を許してほしい。そしてそういった生活を体験をしたことはないけれど、そういった時代があったということを忘れてはいけないということ。
子供の頃お金がないというのをひしひしと感じていました。でもそれよりも祖父母や父親が短気で口汚い言葉を吐くというのがとても嫌でした。そういう人間性の歪みも貧乏だった故の結果なら、それこそ「貧困」家庭だったのだなと岡田先生の解説を聴きながら腑に落ちました。そういう家族を持つ恥ずかしさはそのまま自分自身の存在を恥ずかしく思ってしまうという人生を生きてしまいました。火垂るの墓の清太のようにプライドだけは高く人に何かを訊ねるのができなくて損ばかりしています。
要するに、「貧困」というのは人間同士の共同性から疎外、あるいは切断されていることが経済的困窮を呼び込んでしまっている状況とも言えそうですね。これは、個人だけではなく家族が、あるいはその内部には共同性を持っている地域コミュニティ自体が外の世界との共同性から疎外、切断されている状態にも言えそうです。
よく節約しなきゃと思っては心が貧乏になるって思って結局欲しいもの買ってしまうんだけれども、これは貧乏だが豊かに暮らしてるってことなんかな。節約してるときはほんと四六時中お金のことばっかり考えていろんなものに余裕無くなるから良くないなって思う。これが貧困かな。心は豊かでありたい。
高度成長が始まって以降かつ自民による産業空洞化政策が軌道に乗る前だと、バブルを抜きにしても売り手市場でその日ぐらし感覚でもいけたし、今でも土建を嫌がらなければ結構なんとかなるところはあるね。
心が固くなると貧困なんだ!?と改まりました!
他の世界を見て比べるから泣けるし感動を勝手にしている
黒澤明監督の下りが面白すぎてお腹がよじれました苦笑
こんにちは( ˶ˆ꒳ˆ˵ )☀️🍀無教養って 悲しいことだと思っています🙄学歴ではありません 教養です😊家柄がよくても お金があっても 学歴が高くても 無教養な人は 辛いだろうなあと思いますあと 芸術性と人間性は 全くの別もの ですかねぇ…いつも 楽しく観させて頂いてます岡田さんと共感できるところも 沢山 ありますありがとうございます🙇🏻
感動が一種類の筈無いでしょ。斗司夫が銀山で見た感動はショック受けた方の感動で、富士山にツラい中登ってきて頂上でご来光みて受ける感動とは別物。色んな感動があるのに自分が感じたものが絶対とか言っちゃう斗司夫は本当にサイコパスだなあw
江戸時代の仕事いいなーー
うちも貧乏で色々諦めた(XXちゃんと同じ私立の学校、高い服、ピアノ等習い事)けどまあしょうがないよね、別に貧乏の何がダメなの?と思ってた。けど思い出した、その子は性格もどこかがおかしい、金持ちでイジメ等平気でやる倫理観ぶっ壊れてるイヤな奴とは違う、誰しも少しはもってるクレバーだったりズルさだったり論理的な考え方というのがごっそり抜け落ちてる感じ。家は物が散乱、遊びに行って親に挨拶しても世間の大人のようなやり取りにならない、貧困っていうのはこういう状態なのかなと思いました。
この映画を見て感じたことは怒りでした。 中学生にもなって一日中ノロノロとして働きに出ない。当時は皆が国のためといって自分の出来ることをしていたのにプライドが高く、物を分け与えるという気持ちもなく指輪を取られたいう感覚が強く被害意識につぶされ、その感覚が節子を死なせてしまったと感じ、とても悲しいなんて思えなかった。妹を守るためには自分を変えないと守れないと最後まで気づかずなくなっていった。 当時は縁が少しでもあれば主たる人を頼り、主たる人も受け入れていたが神戸では食べ物なんて手に入らない。5万円以上のお金があっても食べ物は手に入らず、顔の映るような重湯が一杯のみで餓死寸前な状態であった。労働によってのみ、その人の一食(ナンバキビのひげを茹でたもの程度)を労働先で配給してもらえたりはするが働かないと当然食べられない。 勝手に子ども二人で誰とも関わらなければ、当然のこと米穀手帳がないので配給は貰えない。そんな知識もなく物資自体がない大都会で生きていけるわけない。当時の中学生なら知っていて当たり前のことを知らずして起きた不幸は当然のことである。と考えると涙すら出ない。おばさんが悪いという風に捉えられ勝ちであるが時代背景が薄く描かれていたことに起因するものであろう。我儘坊ちゃんの心の貧しさかが、妹を死なせてしまった映画であったように思う。これがセツコだけであったなら死ななかった物語であろう。
だから大人になってみるとおばさんの立場がわかるんですよね。自分の子どもたちは学徒動員で工場とかではたらいてるのに、清太は妹をたてにして、せめて家の事くらいすればいいのに、なにもしないで偉そうな態度。いくら甥姪でも情を持てないから冷たくなる。戦争云々じゃなくて、清太の心が貧しかったから結果節子は死んだ。いつか解説で言っていたように、天国も地獄も行けず、現代の神戸の街を彷徨い歩くしかできなくなってしまったんだろう。
試写会から逃げた>なるほど、もう一人の自分、清太に見つめられたからか。。。高畑さん凄い!
登場人物全員天才の謎エピソード好きや
"本当の"って言い方するからイヤらしくて、『強烈な感動』とか『純度100%の感動』とかその強度がMAXだって言い方してくれれば良いのに、『本当の感動』って言い方したらそれ以外は『偽物』になっちゃうじゃん。
あなたが感動したと思えば本当になるのではないでしょうか。全てにレベルをつけるから困ってしまうのかなと思いました。私は感動の種類がたくさんあるので偽物とは思わないかもなぁと思いました。あなたを責めてる訳でわありません!上手く言えないけど、このおじさんの名前忘れたけど、この人の本当であって皆んなの本当ではないと思います!
一般的に感動という言葉自体が、カテゴライズされた先の物を指しているので、大き過ぎる感動の元(本当の感動)に対して人はフリーズしてしまうという話。逆に薄い間違った感動でも現実に対して盲目になる人が居る以上、一時的にでも感動に飲まれる状態自体は、良くも悪くも理性的でなく、理想から離れた偽りの自分なのかもしれませんね…
確かに感動して泣いたりするときは、感動という表現より、可哀そうで涙が出てる気がするが、それを感動だと思っていた。私、ほんとの感動したことないです。石の家を見てみたいです。
ホントかね?
@@itirousuzuki9263 多分。思い出せないだけかも。
お金はあっても、心が貧しい人が増えましたね。
0:30 恋愛ではなく情1:13目惚れ、そうだったんだぁ、12:15 君の名は。ほんとそうでした。笑17:40 wwww19:05 貧困と貧乏視野狭窄困らない限り
子宮に沈める、とかの映画も解釈が似ていると思いました。蛍の墓とか、こういう映画を見てショックすぎると自分の気持ちが説明できなくなるっていうのもよく分かりました。
貧乏をすれど我が家に風情あり 質の流れに借金の山
シールブック。昔、襖の破けた所に雑誌の写真切り抜いて貼ってた家が在りました。
火垂るの墓を見て、大人でさえ生きるのに精いっぱいの時代に、後ろ盾のいない子供なぞ助けてくれる人がいなかっただろう。可哀そうだなぁと素直に見ていました。岡田さんが仰る通り、預金もあったということなので、中年?ぐらいの経験則があれば、それを武器にせっちゃんに少しは食べさせてあげられたかもしれませんね。。。
清太があれほど愚かでなければ節子を死なせる事も自身が死ぬことも無かった
ラスベガスの番組観てました笑笑
小泉政権の時が、日本における「貧困問題のポイント・オブ・ノーリターン」であったと歴史に記録されるだろうと思う。
18:22
せいたのモデルは死にたかったんだな。生き残るってそんな辛いことなのか。
貧乏と貧困の違い 好き
たしかに、昔ジブリの前にみた「火垂るの墓」は、清太の孤独さが浮き彫りになっていた気がする。ジブリは柔らかく書いているけれど、もっと孤独だった。
ジブリ以外でもアニメになってたんですね!
キャリコというと100連発のヘリカル弾倉の銃のことしか知らんなぁ。貧乏:気にしなければどうということはない。貧困:貧乏が故打てる手がなく困ってしまう。結論 貧乏でも困らなければ、平気!ところで、私は心というものがないので感動というものがよくわからない。まあ、特に困らないからいいかw
分かち合えてむしろ人を繋げるのが貧乏で、世の中との分断や孤立を産むのが貧困、という勝手なイメージがある。
進撃の巨人がまさに感動と激動で言葉を失いますよねー
俺はそう思わないな。
@@sato7766 それは色んな価値観がありますからね!私は超たのしめたので最高です!なおさんも自分にあった感動をさがしてくださいね✨
@@sato7766 いつもいいかげんなことばかりいっているパラサイトで~す。よろしくな。ハッハッハ
@@非正規からFIRE生活ジョイトイ そうっすね。ありがとう😊
@@ジョンです-u4b おう、よろしくな。
「食い扶持が減るから」と生まれたての赤子を、間引く(産湯に沈めて殺す)のは貧困だと思います。
江戸時代なら避妊できない時代だからな。。。
生きるために何か(糧や労働や土地や人間関係やプライド)に束縛されてその状況から抜け出せない。でその上で金がないのが貧困。大事なのは前者で前者が成立するならたとえ資産が何千億有っても不幸なんだろう。そうだなあたとえば派遣で働き口がいつでも見つかり、半年で300万位稼げて、でもほとんどの人が600万ほしさにフルタイムは望まず半年は遊んでる。そんな社会が貧しいけど豊かなんだろう。
ディータのtnpのことかと思っちゃったじゃん
今は、先進国で貧乏な国ですね。
ヤベーwワシも一目惚れだったわw
貧乏人からも容赦なく、税金も年金も健康保険料も取り立てるし、水道電気ガスのライフラインも、基本料+使用料金。その上電気なんぞは、使えば使うほど単価が上がるという意味不明な仕組み……現金なしでは生きられぬ現代社会に、貧困が生まれる。
所得普通〜低い人は医療費ほとんど負担してないなって感じるから、健康保険料くらいは納めて良いと思う。月に数十万、数百万円の医療費が35,400円、57,600円、もしくは80,100+総医療費の1割の負担で済んでる。所得低いほど、低い額しか払わなくて良い。
@@たぷたぷあざらし さん、知ってますよ。高額療養費還付制度ですよね。入院前に手続きすれば、建て替える必要も無いんですよね。だから確かに健康保険制度は素晴らしい制度だと思います。でも問題だと思うのは、留学生は健康保険料を支払わずタダ乗りし、使った医療費も留学生のNPO団体から全額還付(原資は税金)される反面、法の目からこぼれ落ちる人(赤字の零細企業の経営者等)は、自分の所得が無くても、給料を貰った形にして赤字計上しなくてはならないし、従業員の社会保障費の半額も支払いを待っては貰えない。当然赤字とはいえ、売上に対する消費税も待ったなしで取り上げられる仕組みです。零細中小の経営者が自死を選ぶ事を時々聞きますが、困窮してる人に取っては、決してどれも軽い負担では無いと思います。願わくば、外国人にいい顔するよりも、日本においては日本人の取りこぼしが無いような仕組みにしてほしいと思います。
西洋にかぶれて落ちぶれていったんですかねえ、日本
感動って言うか感慨深いって感じなんかな?
😅としおさんの概念論は単純解明的でいいですね。
という事は俺がマイクラで作ったクソ建築見たらみんな感動するってことなのか
ヤマカンみたいに泣けた吐いたといったリアクションは全然感動してないってことだな
猫侍みたいな世界か
そのうち「貧困でも豊にくらす」とか言うヤツが出てくるだろ。「貧乏は状態ですけど、貧困は貧しく困る事なので、困り事を解決すれば脱出できます!」とか言い出すのさ、言葉遊びだよ。
今日、また1人亡くなりました。コロナ時期に、亡くなった友と母、友、森田さん佐山さん神本君西岡君佐山のお母さん岩瀬海ちゃん私の母削り過ぎた生活保護君が、相場が違う三鷹相場で、15万円あれば、贅沢な暮らしできると23区じゃ、喰えないよ‼️
中南米みたいな話だなぁ健康損なうと詰むんだけども。
平安時代の飢饉なんかはまさに貧困なのでは?
その石の家を見たことはないけれど、なんかわかる気もする。子供のころに書いたキノコの家と同じ気分だと思う。
「貧乏でも幸せに暮らす」と言うことはできても、「貧困でも幸せに暮らす」とは言えないわけか。お金や物がない以上に精神的に貧しいとされ、心にゆとりがない状態が貧困かな?
素晴らしい!そのとおりですね
お金がいくらあっても貧困に陥ります。本人の意識次第です。
ゆとりがないと貧困になるよね
@@pmtwj お金があったら余裕はあるから貧困にはならないような。まあお金あっても病気で動けなかったら貧困になるかもしれないけど
@@noname-sf2kt その「お金があっても貧困」ってのがまさにこの切り抜きにある火垂るの墓の解説でしょう?お金があっても「使い方」が分からなかったから節子を助けられなかった。「貧困≠金がない」であって、お金“だけ”あっても何にもならないんですよ。
野坂昭如は実際は、自分は妹をイジメていて、邪魔に思っていて、妹の分の食べ物を奪って食べ、おばさんの家で妹そっちのけでその家の娘に恋心をいただいて、妹のことなんて考えてなかった ってことを読みましたよ。妹を殺したのは自分だと。火垂るの墓という作品は妹への謝罪であると。おばさんはとても優しかったそうです。
受けを狙って書いた小説だったと野坂自身が言っってました。自己嫌悪に陥るんでしょうね、本人は嫌がっていました。
火垂るの墓は"かわいそう"というよりは、見てるこっちが、どうしようもない絶望感に打ちのめされる辛さに耐えられない。という状態😞(変な表現だけど)
仰る通りです。私は二度と見る事が出来無く成りました、今だに見る事が出来ません。
貧すれば鈍すると言うが、生きる知恵が貧して生存能力を失うのが貧困と。貧乏と貧困の区別、すごくわかりやすく、はっきり区別していただけてスッキリです。日本の「貧困対策」は、なにかズレてると思ってましたが、腑に落ちました。金を配っても解決できない。貧困自体が社会問ではなく、貧困が社会で起こす事象が問題なだけ。金は無意味でサポート機関が有効。しかし、機関にたどり着けないのが貧困。貧乏は金で緩和できるだろうけど、単に金が足りない人は、貧困とは違う。
貧困と貧乏は違うためになりました。
貧困と貧乏の違いの説明に納得です、スッキリしました。何故なら、貧乏は不幸ではないと思っていたのですが、世間の貧困の問題についてはよく分からないままでした。貧乏=不幸ではない。その通りだし、貧乏でも幸せはある。有難うございます。
一つ訂正すると2畳の銀山の部屋は住居ではなく休憩室日の入りまでに麓に帰れない労働者のための安全のために一晩明るくなるまで待機する部屋なんですよね貧困とは関係ない
『恋愛』と『貧困』の話題になるとやたら怒る人やその話題から逃避する人がいるのも、日本が先進国から衰退国に転落しようとしている渦中にあって価値観の対立が激化してるからなんだと思いました。
@ハイビスカス 若者のの投票率のために行ってるけど票を入れたい政党が皆無だから困ってる優先順位つけるにしても同じくらい大事に思ってる政策2つがぶつかったり、8割推せても2割が致命的に避けたい考え方だったり、政党的に割と推せても致命的に推せない候補者がいる地区だったりするとしんどい
生活が貧しくなって精神的に余裕がなくなることと、教育レベルが低下することで国民全体のリテラシーが低くなることが同時に起きてるんでしょうね住み続けたくはないけど、国が衰退していく過程を見るのはなかなか楽しいものです
@ハイビスカス ちゃんと選挙行ってるので黙って欲しい
@@user-kh3yw9sg6s 空票って言う、どの政党にも入れないって言う選択肢もあるから悩んでいかないよりは行って空票にした方がいい。
@@麻薬五郎 田舎のためか、この後決めた一番推せそうな政党の候補者がそもそもいない地区でした…比例だけその党に入れました「最悪鉛筆コロコロで良いから」「あの紙の書き心地を味わうだけで良いから」「散歩のついでに行こう」って誘って面倒くさがってる家族と一緒に行ってきましたが、「空票でも良いから」をレパートリーに追加します(昨日は「暑いし帰りにアイス買おう」が効きましたw)
貧乏な状態で、他人との繋がりが薄くなればなるほど「貧困」になっていく気がする。
コロナ禍はよく出来た詰将棋。
火垂るの墓を見ると、つい、はだしのゲンなどと比べてしまって複雑な気持ちになりました。感動するよりもせいたの至らなさが気になってしまって。こんなもんじゃない。この時代の人はもっと強かったぞ。生きるためにもっとできることはいろいろあったはずだ、と思ってしまって、製作者に無理やり感動を押し付けられてるような違和感を持ちました。せいたがコミュ障だった、という考察で腑に落ちました。討論番組で思い通りにならないと怒鳴り散らす原作者も嫌いでしたが、なるほど、コミュ障というくくりに考えるなら納得です。
障子に浮世絵…!あの時代オシャレですよね。植物も斑入りのものが好まれたり、何気に観葉植物の文化も長いんですよね。
昭和でも貧乏でしたが、昔は近所で助け合って生きてました。今の隣の金持ちは、"努力不足が悪いのだ"とマウントとって気持ち良くなってる。"情緒と想像力と人間性"の貧困が問題なんだと思う。
そのあたりについては岡田さんも取り上げた事のあるマイケルサンデル『能力主義は正義か』で書かれてることですね能力主義による差別、逆に努力不足はある程度事実で成功者がそれなりに良い思いする権利もあるであろうこと。その関係の中のバランスや対立について書かれているので読んでみてはどうでしょうか
能力主義は弱肉強食と同じで自然の摂理としか考えてません。私が言いたいのは、昔は自分に余裕がなくても助けたもので、心が貧困になったことを嘆いているだけです。
感動でも嬉しくて泣きますよ。歌舞伎のワンピースでボンちゃん出てきた時、再現度すごくて嬉しくて泣いたし、三島原作の鰯売恋曳網のラストの幸せで泣きました。野坂昭如の本は文字に改行が無いので感動ができませんし、原作は妹はネズミに食われた記憶があります。篤志家って現代にはいませんね。うち、戦後の農地解放まではそこそこお金があったそうで絵描きさんのパトロンしたり、お金の無い家の子を帝大行かせたりしてたんですが、そういう話を聞かないですね。本来心が貧しい人がお金を持っちゃダメなのです。ファストファッションで良いという風習も絹の着物の中古より貧しいなと感じます。なので、私現在貧乏でもなんか箪笥の中は豊かです笑反物切って着物にしてあるだけで桁2つ違いますもん。見る目も豊かになってますね。
@@sallysallysarah >ファストファッションで良いという風習も絹の着物の中古より貧しいなと感じます。なんでだよ?
@@itirousuzuki9263 被服学かじったらわかるけど、洋服ってマイサイズで仕立ててなんぼの形してるんよ。それを「近いサイズ」で着ると不具合もあるわけで。また、素材面からも「そりゃあ乾燥肌になるよね」って素材ばかり。人と被るのも「あなたらそんなに制服好きでしたっけ?」に見えるわけです。それも体型にイマイチ合ってない。。。残念なんですよ、色々と。
本当の感動をショックを受けて唖然とするだけって言語化すごい。
情報の濁流により処理速度が追いつかなくなる現象を僕は感動だと思っています。
確かに、実体験の感動は「わっ!凄い!」だもんな。
北国の大地の端の方の、観光客も来ないような旧い鉱山街の集落に行きその集落から一生出ることなく、ずいぶん前に死んじゃった旦那とご近所のこと以外何にも知らなくてすっかりちいさくなって、しわくちゃになって生きてるお婆ちゃんを目にした時の感情に似ていると思う。街からは野山を遠く隔てていて、雪に閉ざされた季節には、人の行き来も長く途絶えて街に出た子供にも忘れられて毎日、ひとりで手毬歌を呟きながら、干柿作ったり、銭になってるのかも分からないような内職で侘しく生きる。影が長くなって、日が暮れる。そういう世界。でも、そのお婆ちゃんにはそれで良いわけです。かわいそうなんて言われて札束貰っても、当然使えるわけがない。振り込んでって頼まれたら、振り込んじゃう。この国にも、意外なほど近くに、そういう暮らしはあると思います。昔から今まで。
清太別にコミュ障じゃないですけど…子供だったんだよ。
その土地に合った自分の世界で幸せを感じて着の身着のまま暮らす幸せがあったのに世界を知って周りと比較して心が貧しくなったんだなぁ
たしか、清太がスイカと米を買ったとき、「貯金全部おろしてきたで」って言ってたような…🤔なので当時の食料事情を考えると単に貧乏だったのか貧困だったのかは微妙な所ではありますが、節子を栄養失調で死に至らしめたのは、やはり清太のコミュ症とか共依存的な精神に問題があったと思いました。他人に預けるなり方法はあった筈なので…
単純な一目惚れではなく、最後まで添い遂げることを大大大前提とした恋愛が「情」だと理解した
包装に使われたのは刷り損じの浮世絵
火垂るの墓はむかし一度だけ流し見だったか途中まで見たけど、単なるセンソウガーな映画ではなく、不器用な人間の心理が引き起こした悲劇だったんですね頼れる者がいない知恵をくれる者がいない中での貧困による死は現代でも通じるテーマですね
深いお話しでした。貧乏は状態、貧困は概念。明治に輸入されたものは本質的に人を不幸にするものが多いと思います。頑な心が誰かを追いやる、ほんとそうかもしれません。
すごいわかる、、、。
子供時代は貧乏がコンプレックスでした。
大人になって気がついたのは、幸せでないことがコンプレックスであったということでした。
貧乏でも幸せな人はいるのに、自分のコンプレックスが浮き彫りになるから見ないようにしてた。
貧困と貧乏はちがいますよね。
子供の頃、我が家は田舎でお金がないうえに子だくさんで貧乏でしたが不幸でも惨めではなかった。
杉浦日向子さんが江戸時代は街角で面白いことをやれば投げ銭があり、その日暮らしができたというような事を仰っていました。
今は、本当に貧困にまで落ちたんだなと思います。
僕は婆ちゃんから受け継いだ「貧乏なのと貧乏臭いのは別や、貧乏臭いことしたらアカン」を格言として今も楽しく貧乏しています。
腹減った、もっと食いたいとねだる孫を「武士は食わねど高楊枝~」とスルーしていた婆ちゃんのスピリットは33歳になった今も僕の中に根付いているのだ。。。。
骨董展示会で第二次対戦当時のドイツ軍のコートを試着した事がありました。
何気なくポケットに手を入れたら、小さな紙片らしきものが手に触れ、手に取るとそれは切符で
BERLIN 1945年とある日付がスタンプされていました。
それを見た瞬間に全身が総毛立ち、息を呑むばかりで、声が出ませんでした。
キャリコのお話でその事を思い出して、30数年ぶりにまた強烈な寒気に襲われました。
激戦地になる、またはなったベルリンに向かってその切符を買った主は、果たして生き延びたのだろうか。生き延びる事ができず、誰かに遺品として拾われたのだろうか・・・、はたまた地獄の続きのような戦後を必死に生きたか・・
いまは誰も語る事はないのでしょう
字を見ればわかるけど「貧しく乏しい」と「貧しく困る」は全然違うモノですよね。
金の使い方がわからない
人への頼り方がわからない
本当にありえる話で納得しました
来日した宣教師が、「不幸にあえぐ人々」が居ないので困った、というね。
日本はほんとそうですね。少ないです
日本の布教は、今や不幸に喘ぐ人々の救済メインじゃなくて、自己実現が宗教の中心的な存在意義になってきていると友人が言ってました。
日本はやっぱりそのままで居ることが日本人らしさだったんだね。
一方、マザーテレサが来日した時の公演では
経済的には豊かな日本において、心の貧しさを訴えた。
「日本では路上で行き倒れて死んでいく人、膿にまみれてハエにたかられている人はいません。しかし、日本を歩きながら大変なショックを受けました。街はきれいだし、とても賑わっているのに、その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。皆さんの悲しそうな表情が心に焼きつけられました。
インドの貧しい人たちは体は病んで苦しんでいますが、日本人は心の中にぽっかり穴があいているのではないでしょうか。貧しい人たちの体をケアする必要があるように、寂しい思いをしている日本の人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください、温かい笑顔を見せてあげてください。それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」
貧乏→お金無くても人と繋がり心豊か
貧困→お金無いから人を憎み心荒む
私は日本古来の価値観が好き。
高橋留美子先生の「貧乏が好きなんですね」は確かに貧乏の話であり、 良く報道される「カップラーメンしか食べられない」は確かに貧困だと言うことが分かりました。さすが岡田先生。
カップラーメンが高いと思えるのは既に一つの文化だ、って言葉をどこかで聞いて「顔が真っ青」になった記憶。
カップラーメン、健康コスパ悪い。贅沢嗜好品だと思う。
何事も視点が低いのが貧困なんだろうと思う。
米や小麦粉の方がコスパいいよね。あと菓子パン
@@HI-mg7mj 惣菜パンならまだしもパンより
カップ麺の方がタンパク質やビタミンやミネラルは多いよ。。。
@@pcm298 お腹を満たせるなるべく安い物(、ある意味料理という発想がないのが貧困)ならと考えてしまいましたが
栄養価で考えるならカップ麺の方がコスパいいかもですね
アニメではなく小説判「火垂るの墓」を読んだ元海軍関係者の話ですが、「もし本当に主人公の子らが海軍エリートの子だったら、絶対に飢え死にするようなことはない。なぜなら海軍エリート達は互いに助け合うものであり、もしもの時に頼る相手を子供に教えていたはずだ」とのことです。
エリートだったけど嫌われものだったから実はそのエリート家族の天網恢々だったとしたら見方変わるな
貧困の説明すごくわかりやすいです。
どうしようもない状態って必ずありますね…
環境条件の為に引越しするだけでも捉え方次第では失う行為と同じであり、金銭に代え難い個人の記憶を失う事にもつながる。
そう言う執着が強いとある程度お金があっても貧困って言う条件が成り立つ可能性を秘めてますね…
理想とする生活予算と現状に隔たりがあれば基本貧困ですよ。
明治生まれおばあちゃんが言ってた。
最近の貧乏はやりにくい、昔は貧乏人ばっかりだったけど楽しかったって…
貧乏と貧困の違いだったんですね
火垂るの墓を始めて見た時は
訳もわからず、感動もせず
モヤモヤしてもう見たくも無い
となった少年期
貧乏は暮らしかた次第で豊か、貧困はちょっとウツ入ってるイライラした暗いイメージでした。彼らが困っていたからなんですね。
「火垂るの墓」何回か見ているのに、七千円のことは忘れていて、岡田さんの解説で、また見てみようと思いました。
ニュースや自分の身の回りを見てると貧しくても心が豊かな人が減ってきましたね。
散々馬鹿にしてるマスメディアにまんまと洗脳された傀儡が増えた。
そら貧しくもなる。
昔、野坂さんの原作を読み涙しました。生き残った自分への懺悔の念を吐露する姿を見て、恩師が焼夷弾の中、背中に妹を背負って逃げ惑って、気がつくと背中で妹が死んでいたという苦しむすがたと重なって辛かったです。その時だけは黒眼鏡の軽薄な作家にはみえなかったな。
広島の平和記念資料館に初めて入った時が、何も考えられなくなった瞬間でしたね。
小学校ぐらいのときかな・・・・。
貧乏でいることは自分の基準の中でなら耐えられる、他から見ると貧困に変わる...だから一人でいたいのだと思う、心の閉じこもり
こういう、記録に残りにくい世相をあぶり出すのが、本当の歴史学ですね。
清太が人に頼ることができないのは、親が「立派」なことが原因ではあるが、単にプライドの高さのせいではなく、口答えできない厳しい教育を受けていたと思われるので、とっさのときに、ことばが出てこない口下手だったのだと考えられる。自分がそうだったから、その可能性が十分に考えられる。
おもしろい。
「貧困」は「困ってる」ことが主題。「貧乏は苦しいことだ」という固定観念があるとわからない。
「あの金持ち有名人がなぜ自殺」みたいなのは逆に「富困」といえそう。
人は不思議、環境も心の持ち方でそれぞれに変わります。微風に震える羽毛のように気弱な私、ずっと貧しいと信じていたけれど、違う、貧しいのは環境でなく、心なのだと知った時の感動は、心底嗚咽と、痺れるような覚醒の記憶が鮮やかです。つまり我が心の貧困に負けていたのだと。四半世紀経た今、貧しさも楽しめるだけには、成長したと❤😂素晴らしいお話でした。
分かる。日本人ってやたら感動するとか言うけど、本当の感動ってそんな簡単なものじゃないですよ。
以前は日本にも「野宿労働者」というのがいて、公園のダンボールハウスに住んでそこから働きに行っていた。朝暗いうちから特定の場所に何百人も集合し、迎えの車に乗り込んで建設現場などに向かっていた。ダンボールハウスに何軒もお邪魔したことがあるが、広さは二畳もなかったよ。おしゃべりしているうちに、せっかく出してくれたコップの水をこぼしてしまい、床の段ボールが濡れて怒られたことも…
最近渋谷でも公園から追い出された人達がいたね。結局また戻れたらしいけど。岡田さんも「言葉が出ない」ではなく、行って話してみてはどうかな。
「お金はある。知識も溢れている。」のに幸せになれない日本人はまさに今「貧困」なんだろうなぁ。
「火垂るの墓」は「トトロ」と2本立てで、ロードショー公開されました。この2本の映画は、普通の人の悪意と善意の、コインの裏表の関係にありました。
そういう意味で、この2本の映画は、2本立てでロードショーされた必然性があります。
当時、私は友人に『映画館に行くときは、1本目は「火垂るの墓」を見て、2本目に「トトロ」を見て、映画館を出るようにしなさい。そうしないと後悔するよ』と語りました。
昔って2本立ては珍しくなかったですよね。
地方だけかもしれないけどお得感。
ルパンとアガサクリスティー物とかなってました。終わっても座って居ればもう一度観られる。
@@Ri-bl9hp
この時代は、すでに東京は1本立てロードショーが標準でした。
2本立ては珍しかった。
ヨイトマケの歌の前半は貧困、後半は貧乏。
紅白歌合戦で並み入る歌手たちの中で「どんなきれいな歌よりも、どんなきれいな声よりも、ぼくを励ましなぐさめた、母ちゃんの歌こそ世界一」と歌い抜けたのは岡田さんと同じく貧しさの本質をみたからでしょう。
そう捉えると貧困層と言うのは相手によってとても失礼な物言いだと言うのはよく分かりました。
火垂るの墓、聞き齧りで見てかわいそうすぎて見れずにいましたが、純粋な戦争被害者ではなかったと聞いてちょっと救われました。
なんか、、、まずは貧困から貧乏になってみようと思った。
やっぱり心が体を動かすから、今がダメなら少しづつでも移動した方がいい。
本当の感動を浴びて半強制的に考え方を変えられるのもアリかも…でも本当の感動を得る為には頭や心の中が潤沢じゃなきゃ理解もできない。
深いですね、ここまでのお話にビックリです。アメリカの町、銀山の部屋もそうですが蛍の墓のお話も。ただ、言えることは今の時代の常識で考えてしまう無礼を許してほしい。そしてそういった生活を体験をしたことはないけれど、そういった時代があったということを忘れてはいけないということ。
子供の頃お金がないというのをひしひしと感じていました。でもそれよりも祖父母や父親が短気で口汚い言葉を吐くというのがとても嫌でした。
そういう人間性の歪みも貧乏だった故の結果なら、それこそ「貧困」家庭だったのだなと岡田先生の解説を聴きながら腑に落ちました。
そういう家族を持つ恥ずかしさはそのまま自分自身の存在を恥ずかしく思ってしまうという人生を生きてしまいました。
火垂るの墓の清太のようにプライドだけは高く人に何かを訊ねるのができなくて損ばかりしています。
要するに、「貧困」というのは人間同士の共同性から疎外、あるいは切断されていることが経済的困窮を呼び込んでしまっている状況とも言えそうですね。これは、個人だけではなく家族が、あるいはその内部には共同性を持っている地域コミュニティ自体が外の世界との共同性から疎外、切断されている状態にも言えそうです。
よく節約しなきゃと思っては心が貧乏になるって思って結局欲しいもの買ってしまうんだけれども、これは貧乏だが豊かに暮らしてるってことなんかな。節約してるときはほんと四六時中お金のことばっかり考えていろんなものに余裕無くなるから良くないなって思う。これが貧困かな。
心は豊かでありたい。
高度成長が始まって以降かつ自民による産業空洞化政策が軌道に乗る前だと、
バブルを抜きにしても売り手市場でその日ぐらし感覚でもいけたし、
今でも土建を嫌がらなければ結構なんとかなるところはあるね。
心が固くなると貧困なんだ!?と改まりました!
他の世界を見て比べるから泣けるし感動を勝手にしている
黒澤明監督の下りが面白すぎてお腹がよじれました苦笑
こんにちは( ˶ˆ꒳ˆ˵ )☀️🍀
無教養って 悲しいことだと思っています🙄
学歴ではありません 教養です😊
家柄がよくても お金があっても 学歴が高くても 無教養な人は 辛いだろうなあと思います
あと 芸術性と人間性は 全くの別もの ですかねぇ…
いつも 楽しく観させて頂いてます
岡田さんと共感できるところも 沢山 あります
ありがとうございます🙇🏻
感動が一種類の筈無いでしょ。斗司夫が銀山で見た感動はショック受けた方の感動で、富士山にツラい中登ってきて頂上でご来光みて受ける感動とは別物。色んな感動があるのに自分が感じたものが絶対とか言っちゃう斗司夫は本当にサイコパスだなあw
江戸時代の仕事いいなーー
うちも貧乏で色々諦めた(XXちゃんと同じ私立の学校、高い服、ピアノ等習い事)けどまあしょうがないよね、別に貧乏の何がダメなの?と思ってた。けど思い出した、その子は性格もどこかがおかしい、金持ちでイジメ等平気でやる倫理観ぶっ壊れてるイヤな奴とは違う、誰しも少しはもってるクレバーだったりズルさだったり論理的な考え方というのがごっそり抜け落ちてる感じ。家は物が散乱、遊びに行って親に挨拶しても世間の大人のようなやり取りにならない、貧困っていうのはこういう状態なのかなと思いました。
この映画を見て感じたことは怒りでした。
中学生にもなって一日中ノロノロとして働きに出ない。当時は皆が国のためといって自分の出来ることをしていたのにプライドが高く、物を分け与えるという気持ちもなく指輪を取られたいう感覚が強く被害意識につぶされ、その感覚が節子を死なせてしまったと感じ、とても悲しいなんて思えなかった。妹を守るためには自分を変えないと守れないと最後まで気づかずなくなっていった。
当時は縁が少しでもあれば主たる人を頼り、主たる人も受け入れていたが神戸では食べ物なんて手に入らない。5万円以上のお金があっても食べ物は手に入らず、顔の映るような重湯が一杯のみで餓死寸前な状態であった。労働によってのみ、その人の一食(ナンバキビのひげを茹でたもの程度)を労働先で配給してもらえたりはするが働かないと当然食べられない。
勝手に子ども二人で誰とも関わらなければ、当然のこと米穀手帳がないので配給は貰えない。そんな知識もなく物資自体がない大都会で生きていけるわけない。当時の中学生なら知っていて当たり前のことを知らずして起きた不幸は当然のことである。と考えると涙すら出ない。おばさんが悪いという風に捉えられ勝ちであるが時代背景が薄く描かれていたことに起因するものであろう。我儘坊ちゃんの心の貧しさかが、妹を死なせてしまった映画であったように思う。これがセツコだけであったなら死ななかった物語であろう。
だから大人になってみるとおばさんの立場がわかるんですよね。自分の子どもたちは学徒動員で工場とかではたらいてるのに、清太は妹をたてにして、せめて家の事くらいすればいいのに、なにもしないで偉そうな態度。いくら甥姪でも情を持てないから冷たくなる。戦争云々じゃなくて、清太の心が貧しかったから結果節子は死んだ。いつか解説で言っていたように、天国も地獄も行けず、現代の神戸の街を彷徨い歩くしかできなくなってしまったんだろう。
試写会から逃げた>なるほど、もう一人の自分、清太に見つめられたからか。。。高畑さん凄い!
登場人物全員天才の謎エピソード好きや
"本当の"って言い方するからイヤらしくて、『強烈な感動』とか『純度100%の感動』とかその強度がMAXだって言い方してくれれば良いのに、『本当の感動』って言い方したらそれ以外は『偽物』になっちゃうじゃん。
あなたが感動したと思えば本当になるのではないでしょうか。全てにレベルをつけるから困ってしまうのかなと思いました。
私は感動の種類がたくさんあるので偽物とは思わないかもなぁと思いました。あなたを責めてる訳でわありません!上手く言えないけど、このおじさんの名前忘れたけど、この人の本当であって皆んなの本当ではないと思います!
一般的に感動という言葉自体が、カテゴライズされた先の物を指しているので、大き過ぎる感動の元(本当の感動)に対して人はフリーズしてしまうという話。
逆に薄い間違った感動でも現実に対して盲目になる人が居る以上、一時的にでも感動に飲まれる状態自体は、良くも悪くも理性的でなく、理想から離れた偽りの自分なのかもしれませんね…
確かに感動して泣いたりするときは、感動という表現より、可哀そうで涙が出てる気がするが、それを感動だと思っていた。私、ほんとの感動したことないです。石の家を見てみたいです。
ホントかね?
@@itirousuzuki9263 多分。思い出せないだけかも。
お金はあっても、心が貧しい人が増えましたね。
0:30 恋愛ではなく情
1:13目惚れ、そうだったんだぁ、
12:15 君の名は。ほんとそうでした。笑
17:40 wwww
19:05 貧困と貧乏
視野狭窄
困らない限り
子宮に沈める、とかの映画も解釈が似ていると思いました。蛍の墓とか、こういう映画を見てショックすぎると自分の気持ちが説明できなくなるっていうのもよく分かりました。
貧乏をすれど我が家に風情あり 質の流れに借金の山
シールブック。昔、襖の破けた所に雑誌の写真切り抜いて貼ってた家が在りました。
火垂るの墓を見て、大人でさえ生きるのに精いっぱいの時代に、後ろ盾のいない子供なぞ助けてくれる人がいなかっただろう。可哀そうだなぁと素直に見ていました。岡田さんが仰る通り、預金もあったということなので、中年?ぐらいの経験則があれば、それを武器にせっちゃんに少しは食べさせてあげられたかもしれませんね。。。
清太があれほど愚かでなければ節子を死なせる事も自身が死ぬことも無かった
ラスベガスの番組観てました笑笑
小泉政権の時が、日本における「貧困問題のポイント・オブ・ノーリターン」であったと歴史に記録されるだろうと思う。
18:22
せいたのモデルは死にたかったんだな。
生き残るってそんな辛いことなのか。
貧乏と貧困の違い 好き
たしかに、昔ジブリの前にみた「火垂るの墓」は、清太の孤独さが浮き彫りになっていた気がする。ジブリは柔らかく書いているけれど、もっと孤独だった。
ジブリ以外でもアニメになってたんですね!
キャリコというと100連発のヘリカル弾倉の銃のことしか知らんなぁ。
貧乏:気にしなければどうということはない。
貧困:貧乏が故打てる手がなく困ってしまう。
結論 貧乏でも困らなければ、平気!
ところで、私は心というものがないので感動というものがよくわからない。
まあ、特に困らないからいいかw
分かち合えてむしろ人を繋げるのが貧乏で、世の中との分断や孤立を産むのが貧困、という勝手なイメージがある。
進撃の巨人がまさに感動と激動で言葉を失いますよねー
俺はそう思わないな。
@@sato7766 それは色んな価値観がありますからね!
私は超たのしめたので最高です!
なおさんも自分にあった感動をさがしてくださいね✨
@@sato7766 いつもいいかげんなことばかりいっているパラサイトで~す。よろしくな。ハッハッハ
@@非正規からFIRE生活ジョイトイ
そうっすね。
ありがとう😊
@@ジョンです-u4b
おう、よろしくな。
「食い扶持が減るから」と生まれたての赤子を、間引く(産湯に沈めて殺す)のは貧困だと思います。
江戸時代なら避妊できない時代だからな。。。
生きるために何か(糧や労働や土地や人間関係やプライド)に束縛されてその状況から抜け出せない。でその上で金がないのが貧困。
大事なのは前者で前者が成立するならたとえ資産が何千億有っても不幸なんだろう。
そうだなあたとえば派遣で働き口がいつでも見つかり、半年で300万位稼げて、でもほとんどの人が600万ほしさにフルタイムは望まず半年は遊んでる。そんな社会が貧しいけど豊かなんだろう。
ディータのtnpのことかと思っちゃったじゃん
今は、先進国で貧乏な国ですね。
ヤベーw
ワシも一目惚れだったわw
貧乏人からも容赦なく、税金も年金も健康保険料も取り立てるし、水道電気ガスのライフラインも、基本料+使用料金。その上電気なんぞは、使えば使うほど単価が上がるという意味不明な仕組み……現金なしでは生きられぬ現代社会に、貧困が生まれる。
所得普通〜低い人は医療費ほとんど負担してないなって感じるから、健康保険料くらいは納めて良いと思う。
月に数十万、数百万円の医療費が35,400円、57,600円、もしくは80,100+総医療費の1割の負担で済んでる。所得低いほど、低い額しか払わなくて良い。
@@たぷたぷあざらし さん、知ってますよ。高額療養費還付制度ですよね。入院前に手続きすれば、建て替える必要も無いんですよね。
だから確かに健康保険制度は素晴らしい制度だと思います。
でも問題だと思うのは、留学生は健康保険料を支払わずタダ乗りし、使った医療費も留学生のNPO団体から全額還付(原資は税金)される反面、法の目からこぼれ落ちる人(赤字の零細企業の経営者等)は、自分の所得が無くても、給料を貰った形にして赤字計上しなくてはならないし、従業員の社会保障費の半額も支払いを待っては貰えない。当然赤字とはいえ、売上に対する消費税も待ったなしで取り上げられる仕組みです。
零細中小の経営者が自死を選ぶ事を時々聞きますが、困窮してる人に取っては、決してどれも軽い負担では無いと思います。
願わくば、外国人にいい顔するよりも、日本においては日本人の取りこぼしが無いような仕組みにしてほしいと思います。
西洋にかぶれて落ちぶれていったんですかねえ、日本
感動って言うか感慨深いって感じなんかな?
😅としおさんの概念論は単純解明的でいいですね。
という事は俺がマイクラで作ったクソ建築見たらみんな感動するってことなのか
ヤマカンみたいに泣けた吐いたといったリアクションは全然感動してないってことだな
猫侍みたいな世界か
そのうち「貧困でも豊にくらす」とか言うヤツが出てくるだろ。「貧乏は状態ですけど、貧困は貧しく困る事なので、困り事を解決すれば脱出できます!」とか言い出すのさ、言葉遊びだよ。
今日、また1人亡くなりました。
コロナ時期に、亡くなった友と母、
友、
森田さん
佐山さん
神本君
西岡君
佐山のお母さん
岩瀬海ちゃん
私の母
削り過ぎた生活保護
君が、相場が違う三鷹相場で、15万円あれば、贅沢な暮らしできると
23区じゃ、喰えないよ‼️
中南米みたいな話だなぁ
健康損なうと詰むんだけども。
平安時代の飢饉なんかはまさに貧困なのでは?
その石の家を見たことはないけれど、なんかわかる気もする。子供のころに書いたキノコの家と同じ気分だと思う。
「貧乏でも幸せに暮らす」と言うことはできても、「貧困でも幸せに暮らす」とは言えないわけか。
お金や物がない以上に精神的に貧しいとされ、心にゆとりがない状態が貧困かな?
素晴らしい!そのとおりですね
お金がいくらあっても貧困に陥ります。本人の意識次第です。
ゆとりがないと貧困になるよね
@@pmtwj
お金があったら余裕はあるから貧困にはならないような。まあお金あっても病気で動けなかったら貧困になるかもしれないけど
@@noname-sf2kt
その「お金があっても貧困」ってのがまさにこの切り抜きにある火垂るの墓の解説でしょう?
お金があっても「使い方」が分からなかったから節子を助けられなかった。
「貧困≠金がない」であって、お金“だけ”あっても何にもならないんですよ。
野坂昭如は実際は、自分は妹をイジメていて、邪魔に思っていて、妹の分の食べ物を奪って食べ、おばさんの家で妹そっちのけでその家の娘に恋心をいただいて、妹のことなんて考えてなかった ってことを読みましたよ。妹を殺したのは自分だと。火垂るの墓という作品は妹への謝罪であると。おばさんはとても優しかったそうです。
受けを狙って書いた小説だったと野坂自身が言っってました。
自己嫌悪に陥るんでしょうね、本人は嫌がっていました。
火垂るの墓は"かわいそう"というよりは、
見てるこっちが、どうしようもない絶望感に打ちのめされる辛さに耐えられない。
という状態😞(変な表現だけど)
仰る通りです。私は二度と見る事が出来無く成りました、今だに見る事が出来ません。
貧すれば鈍すると言うが、
生きる知恵が貧して生存能力を失うのが貧困と。
貧乏と貧困の区別、すごくわかりやすく、はっきり区別していただけてスッキリです。
日本の「貧困対策」は、なにかズレてると思ってましたが、腑に落ちました。
金を配っても解決できない。貧困自体が社会問ではなく、貧困が社会で起こす事象が問題なだけ。金は無意味でサポート機関が有効。しかし、機関にたどり着けないのが貧困。
貧乏は金で緩和できるだろうけど、単に金が足りない人は、貧困とは違う。
貧困と貧乏は違う
ためになりました。
貧困と貧乏の違いの説明に納得です、スッキリしました。
何故なら、貧乏は不幸ではないと思っていたのですが、世間の貧困の問題についてはよく分からないままでした。
貧乏=不幸ではない。
その通りだし、貧乏でも幸せはある。
有難うございます。
一つ訂正すると
2畳の銀山の部屋は
住居ではなく休憩室
日の入りまでに
麓に帰れない労働者のための
安全のために
一晩明るくなるまで待機する部屋
なんですよね
貧困とは関係ない
『恋愛』と『貧困』の話題になるとやたら怒る人やその話題から逃避する人がいるのも、日本が先進国から衰退国に転落しようとしている渦中にあって価値観の対立が激化してるからなんだと思いました。
@ハイビスカス 若者のの投票率のために行ってるけど票を入れたい政党が皆無だから困ってる
優先順位つけるにしても同じくらい大事に思ってる政策2つがぶつかったり、8割推せても2割が致命的に避けたい考え方だったり、政党的に割と推せても致命的に推せない候補者がいる地区だったりするとしんどい
生活が貧しくなって精神的に余裕がなくなることと、教育レベルが低下することで国民全体のリテラシーが低くなることが同時に起きてるんでしょうね
住み続けたくはないけど、国が衰退していく過程を見るのはなかなか楽しいものです
@ハイビスカス ちゃんと選挙行ってるので黙って欲しい
@@user-kh3yw9sg6s 空票って言う、どの政党にも入れないって言う選択肢もあるから悩んでいかないよりは行って空票にした方がいい。
@@麻薬五郎 田舎のためか、この後決めた一番推せそうな政党の候補者がそもそもいない地区でした…比例だけその党に入れました
「最悪鉛筆コロコロで良いから」「あの紙の書き心地を味わうだけで良いから」「散歩のついでに行こう」って誘って面倒くさがってる家族と一緒に行ってきましたが、「空票でも良いから」をレパートリーに追加します
(昨日は「暑いし帰りにアイス買おう」が効きましたw)
貧乏な状態で、他人との繋がりが薄くなればなるほど「貧困」になっていく気がする。
コロナ禍はよく出来た詰将棋。
火垂るの墓を見ると、つい、はだしのゲンなどと比べてしまって複雑な気持ちになりました。感動するよりもせいたの至らなさが気になってしまって。こんなもんじゃない。この時代の人はもっと強かったぞ。生きるためにもっとできることはいろいろあったはずだ、と思ってしまって、製作者に無理やり感動を押し付けられてるような違和感を持ちました。
せいたがコミュ障だった、という考察で腑に落ちました。討論番組で思い通りにならないと怒鳴り散らす原作者も嫌いでしたが、なるほど、コミュ障というくくりに考えるなら納得です。
障子に浮世絵…!
あの時代オシャレですよね。
植物も斑入りのものが好まれたり、何気に観葉植物の文化も長いんですよね。
昭和でも貧乏でしたが、昔は近所で助け合って生きてました。今の隣の金持ちは、"努力不足が悪いのだ"とマウントとって気持ち良くなってる。"情緒と想像力と人間性"の貧困が問題なんだと思う。
そのあたりについては岡田さんも取り上げた事のあるマイケルサンデル『能力主義は正義か』で書かれてることですね
能力主義による差別、逆に努力不足はある程度事実で成功者がそれなりに良い思いする権利もあるであろうこと。
その関係の中のバランスや対立について書かれているので読んでみてはどうでしょうか
能力主義は弱肉強食と同じで自然の摂理としか考えてません。私が言いたいのは、昔は自分に余裕がなくても助けたもので、心が貧困になったことを嘆いているだけです。
感動でも嬉しくて泣きますよ。
歌舞伎のワンピースでボンちゃん出てきた時、再現度すごくて嬉しくて泣いたし、三島原作の鰯売恋曳網のラストの幸せで泣きました。野坂昭如の本は文字に改行が無いので感動ができませんし、原作は妹はネズミに食われた記憶があります。
篤志家って現代にはいませんね。
うち、戦後の農地解放まではそこそこお金があったそうで絵描きさんのパトロンしたり、お金の無い家の子を帝大行かせたりしてたんですが、そういう話を聞かないですね。本来心が貧しい人がお金を持っちゃダメなのです。
ファストファッションで良いという風習も絹の着物の中古より貧しいなと感じます。なので、私現在貧乏でもなんか箪笥の中は豊かです笑
反物切って着物にしてあるだけで桁2つ違いますもん。見る目も豊かになってますね。
@@sallysallysarah
>ファストファッションで良いという風習も絹の着物の中古より貧しいなと感じます。
なんでだよ?
@@itirousuzuki9263
被服学かじったらわかるけど、洋服ってマイサイズで仕立ててなんぼの形してるんよ。それを「近いサイズ」で着ると不具合もあるわけで。また、素材面からも「そりゃあ乾燥肌になるよね」って素材ばかり。人と被るのも「あなたらそんなに制服好きでしたっけ?」に見えるわけです。それも体型にイマイチ合ってない。。。残念なんですよ、色々と。
本当の感動をショックを受けて唖然とするだけって言語化すごい。
情報の濁流により処理速度が追いつかなくなる現象を僕は感動だと思っています。
確かに、実体験の感動は「わっ!凄い!」だもんな。
北国の大地の端の方の、観光客も来ないような旧い鉱山街の集落に行き
その集落から一生出ることなく、ずいぶん前に死んじゃった旦那とご近所のこと以外
何にも知らなくて
すっかりちいさくなって、しわくちゃになって生きてるお婆ちゃんを
目にした時の感情に似ていると思う。
街からは野山を遠く隔てていて、雪に閉ざされた季節には、人の行き来も長く途絶えて
街に出た子供にも忘れられて
毎日、ひとりで手毬歌を呟きながら、干柿作ったり、銭になってるのかも分からないような内職で
侘しく生きる。
影が長くなって、日が暮れる。
そういう世界。
でも、そのお婆ちゃんにはそれで良いわけです。
かわいそうなんて言われて札束貰っても、当然使えるわけがない。
振り込んでって頼まれたら、振り込んじゃう。
この国にも、意外なほど近くに、そういう暮らしはあると思います。昔から今まで。
清太別にコミュ障じゃないですけど…子供だったんだよ。
その土地に合った自分の世界で幸せを感じて着の身着のまま暮らす幸せがあったのに世界を知って周りと比較して心が貧しくなったんだなぁ
たしか、清太がスイカと米を買ったとき、「貯金全部おろしてきたで」って言ってたような…🤔なので当時の食料事情を考えると単に貧乏だったのか貧困だったのかは微妙な所ではありますが、節子を栄養失調で死に至らしめたのは、やはり清太のコミュ症とか共依存的な精神に問題があったと思いました。他人に預けるなり方法はあった筈なので…
単純な一目惚れではなく、
最後まで添い遂げることを大大大前提とした恋愛が「情」だと理解した
包装に使われたのは刷り損じの浮世絵
火垂るの墓はむかし一度だけ流し見だったか途中まで見たけど、単なるセンソウガーな映画ではなく、不器用な人間の心理が引き起こした悲劇だったんですね
頼れる者がいない知恵をくれる者がいない中での貧困による死は現代でも通じるテーマですね
深いお話しでした。貧乏は状態、貧困は概念。明治に輸入されたものは本質的に人を不幸にするものが多いと思います。頑な心が誰かを追いやる、ほんとそうかもしれません。