ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
おはようございます。昔の北海道、エルムはいいですね。立体交差ができるところは羨ましいです。最後のカットのミラーから撮すのはいいですね。
おはようございます。その後、この場所へもう一度行こうとしましたが、立入禁止の札でもあったのか、断念しています。
スーパーおおぞらの走りが少し早送りしてる感があるくらい速い。マツノクラさん撮り方うますぎ。貨物列車の線路スレスレの撮りは迫力、スピードがリアルに伝わります。
線路スレスレではありません。運転士がヒヤヒヤしてしまいます。犬走りの外くらいの位置で撮っています。
@@matunokura6028 なるほど。やはり撮る知識と技量、安全ルールを守っての両立はすごいです。最近のアップロードも品質が高い記録、貴重品の連続でなかなか驚きです。
@@bcbc120 様撮影した当時はありふれた日常の列車だったのですが、20年以上も経つとプレミアムが付くもののようです。今はその頃に比べて撮影場所に制限があり、ちょっと残念です。
2020年以降は、Facebookにも最新車両輸送や試運転が載る時代なので、マツノクラさんの功績はデカイです。昭和ならまだしも平成なりたての1990年代は記録が意外に少なくて、かなり苦労します。とくに動画の記録。2007年あたりから一般にもデジカメが普及したのか2010年以降さどこも画像写真で溢れてますね
@@bcbc120 様「C62ニセコ号」をキチンとした画質の動画で残したいという欲求から業務用のビデオカメラを購入しましたが、今になってそれが正解だったと胸をなでおろしています。今の4K映像から見るとボケボケですが、ハイビジョンですらまだレアで超高額な機材だった当時、庶民としてはこれが精一杯でした。
おはようございます。ちょうど千歳線と石勝線が別れていくところでしょうか。長閑なところですね。オールB寝台の『エルム』の電源車はマニ24ですね。他の客車と断面が全く違うのがとても面白いですね。一度、マニ24が寝台特急『出雲』の運用に入っている写真を見たことがあります。DF200のJRFマークが紫色で国鉄コンテナが現役なことに時代を感じます。
おはようございます。千歳線と石勝線が立体交差する場所になります。のどかに見えますが、すぐ脇を国道36号線が走っており、いささか喧しいです。マニ24はマニ50からの改造車なので断面は異なりますが、屋根には飾り物を載せて断面を揃えています。マニ24は501号がJR東日本、502号がJR北海道の所属でこの2両しかいないので、「出雲」に運用されたことはないと思います。
@@matunokura6028 様dd511121.blog.fc2.com/blog-entry-6.html?spこのブログによると、マニ24は何度か『出雲』の運用に入ったことがあるようです。マニ24の屋根は飾りものなのですね。結構驚きました。
@@shiro_hn_movies 様そういえば、「出雲」の客車にはJR東日本編成もありましたね。これは失礼いたしました。
おはようございます。過去動画の長尺版ですか。僕はお初にお目に掛かります。カーブにアップダウン、築堤を駆け上がる列車と、変化に富んだ魅力的な場所ですね。札幌からさして離れていないのに、蔵さんスポットとしてはマイナーな気がするのですが。721系や「エルム」がすべり台をすべり降りてくる感じが好きです。3:48~4:18は、何処でカメラを構えられたのでしょうか?グーグルアースを見ても、ここに登れる場所が見受けられません。3本の線路に3つの列車揃い踏みが叶わなかったのは残念です。今はここが立ち入り禁止になっているのも残念です。
おはようございます。この場所へは2回しか来たことがないので私としてはマイナー中のマイナーポイントですね。1回目の訪問は石勝線も千歳空港駅(現 南千歳駅)も開業する前です。2回目がこの動画の時。3回目は立入ができなくなったと判断して断念しました。お尋ねのポイントですが、上り千歳線の築堤斜面になります。1回目に訪問した時のブログ記事に画像がありますのでご参考まで。railway-photo.hatenablog.com/entry/36632329
@@matunokura6028 様。ブログ拝見しました。架線柱がまだ建設途中だからか、景色が広々としてますね。尤もこれは、白黒交換故なのかも…一般型DCはキハ22の1両を除き、全てキハ21のようですね。ノーデッキだから冬季はさぞかしスーパーサムイだったのでは?総勢19両のタキは壮観。上りで空タキだからDD51一機でも牽けるのでしょう。ヨ8000の組成を見ると、燃料満載の下り列車を帰路に2本纏めたのでしょうか。当時の貨物列車の車掌さんは緊急時の後方安全対策の他、停車時に車両点検も行っていたそうですね。車掌さんが乗務しない今日の貨物列車、前者は列車防護無線装置の完備で必要なくなりましたが、後者はどうしてるのでしょうか?キハ80系、ヘッドマークこそ煤けてるものの、車輌自体は綺麗に手入れされてるようですね。酷寒の地で満身創痍だった車輌だとは思えません。構内踏切で撮影するファンを信頼する駅員さんと云い、断末魔の叫びを上げていた末期国鉄と同じ組織の風景とは思えません。まるでパラレルワールドのようです。先日、次の動画を観ました。末期国鉄の現場の腐敗が、単に労使関係の悪化にとどまらない、急激な経済発展を遂げた当時の日本社会全体の歪みが反映したものであることがわかります。th-cam.com/video/2X600zVxuDw/w-d-xo.html
@@米田さとし 様車掌車を2両連結した理由は分かりません。荷が満載なら重連になる長さですね。車輛の点検ですが、タンク列車の始発駅である本輪西駅では、JR貨物の駅員(正確には駅員ではないでしょうが)がタンク車の点検を行っているのを見たことがあります。国鉄時代と今とでは社会の風潮も安全に対する考え方もだいぶ違っていたように思います。そうしたことを背景に、鉄道員もファンもおおらかな気持ちの人が多かったのではないでしょうか。しかしそれが裏目に出て悲惨な事故を引き起こしてしまい、その代表格が飲酒運転に伴う居眠り運転だったのでしょうね。昔はお酒に関しては許容値が高かったですから、子供に酒を飲ませる親も珍しくなかったし。そういう風潮や劣悪な環境が背景にあったとしても、飲酒運転が原因で事故を起こした機関士に100%責任があるのは当然で、許されるものではありませんね。労働組合がもっとまともな組織だったらと思ったりしますが(特に動労が酷かったと聞きます)、JRの労組も結構クソだったりする話を耳にしますから、もはや労働者のための組織ではないのかもしれません。
貨物列車の車両の点検ですが、民営化直後は始発駅で車両検査係が点検を行い貫通ブレーキのテストを行っていましたが現在は分かりません。国鉄時代は貨車も多種多様で最高速度もバラバラ、積荷もバラバラ。検査も大変でしたが、今はコンテナとの緊締、制輪子の状態、連結器、ブレーキホースくらいしか見る所ないんじゃ無いかなと思います。タンクは操車場経由しない車扱い直行なので、緩急車の中緩はおっしゃるとおりニ編成をまとめたものか、緩急車所属の東室蘭貨車区への交番検査のための回送も考えられますね。
0:20頃からの「北斗」の組成パターンは初めて見ました。やけに先頭車が多いと思ったら綺麗な4+3+3…どのように増結したらそうなるのでしょうか(笑)1:26のキハ283系、上部のライトが点滅しているような…そういったモードがあるんですかね…
この頃の「北斗」は長編成を組んだ時には色々なパターンがあったような気がします。キハ283系「スーパーおおぞら」では、鹿よけのために前照灯を点滅させていたと聞いています。9灯全て点灯させ、うち3灯を点滅させる姿はよく見かけました。私を鹿と思っていたようです(笑)。でもあまり効果はなかったみたいですね。私も逃げなかったし。
おはようございます。
昔の北海道、エルムはいいですね。
立体交差ができるところは羨ましいです。
最後のカットのミラーから撮すのはいいですね。
おはようございます。
その後、この場所へもう一度行こうとしましたが、立入禁止の札でもあったのか、断念しています。
スーパーおおぞらの走りが少し早送りしてる感があるくらい速い。マツノクラさん撮り方うますぎ。貨物列車の線路スレスレの撮りは迫力、スピードがリアルに伝わります。
線路スレスレではありません。運転士がヒヤヒヤしてしまいます。犬走りの外くらいの位置で撮っています。
@@matunokura6028 なるほど。やはり撮る知識と技量、安全ルールを守っての両立はすごいです。最近のアップロードも品質が高い記録、貴重品の連続でなかなか驚きです。
@@bcbc120 様
撮影した当時はありふれた日常の列車だったのですが、20年以上も経つとプレミアムが付くもののようです。今はその頃に比べて撮影場所に制限があり、ちょっと残念です。
2020年以降は、Facebookにも最新車両輸送や試運転が載る時代なので、マツノクラさんの功績はデカイです。昭和ならまだしも平成なりたての1990年代は記録が意外に少なくて、かなり苦労します。とくに動画の記録。2007年あたりから一般にもデジカメが普及したのか2010年以降さどこも画像写真で溢れてますね
@@bcbc120 様
「C62ニセコ号」をキチンとした画質の動画で残したいという欲求から業務用のビデオカメラを購入しましたが、今になってそれが正解だったと胸をなでおろしています。今の4K映像から見るとボケボケですが、ハイビジョンですらまだレアで超高額な機材だった当時、庶民としてはこれが精一杯でした。
おはようございます。
ちょうど千歳線と石勝線が別れていくところでしょうか。長閑なところですね。
オールB寝台の『エルム』の電源車はマニ24ですね。他の客車と断面が全く違うのがとても面白いですね。一度、マニ24が寝台特急『出雲』の運用に入っている写真を見たことがあります。
DF200のJRFマークが紫色で国鉄コンテナが現役なことに時代を感じます。
おはようございます。
千歳線と石勝線が立体交差する場所になります。のどかに見えますが、すぐ脇を国道36号線が走っており、いささか喧しいです。マニ24はマニ50からの改造車なので断面は異なりますが、屋根には飾り物を載せて断面を揃えています。マニ24は501号がJR東日本、502号がJR北海道の所属でこの2両しかいないので、「出雲」に運用されたことはないと思います。
@@matunokura6028 様
dd511121.blog.fc2.com/blog-entry-6.html?sp
このブログによると、マニ24は何度か『出雲』の運用に入ったことがあるようです。
マニ24の屋根は飾りものなのですね。結構驚きました。
@@shiro_hn_movies 様
そういえば、「出雲」の客車にはJR東日本編成もありましたね。これは失礼いたしました。
おはようございます。
過去動画の長尺版ですか。僕はお初にお目に掛かります。カーブにアップダウン、築堤を駆け上がる列車と、変化に富んだ魅力的な場所ですね。札幌からさして離れていないのに、蔵さんスポットとしてはマイナーな気がするのですが。
721系や「エルム」がすべり台をすべり降りてくる感じが好きです。
3:48~4:18は、何処でカメラを構えられたのでしょうか?グーグルアースを見ても、ここに登れる場所が見受けられません。
3本の線路に3つの列車揃い踏みが叶わなかったのは残念です。今はここが立ち入り禁止になっているのも残念です。
おはようございます。
この場所へは2回しか来たことがないので私としてはマイナー中のマイナーポイントですね。1回目の訪問は石勝線も千歳空港駅(現 南千歳駅)も開業する前です。2回目がこの動画の時。3回目は立入ができなくなったと判断して断念しました。
お尋ねのポイントですが、上り千歳線の築堤斜面になります。1回目に訪問した時のブログ記事に画像がありますのでご参考まで。
railway-photo.hatenablog.com/entry/36632329
@@matunokura6028 様。ブログ拝見しました。架線柱がまだ建設途中だからか、景色が広々としてますね。尤もこれは、白黒交換故なのかも…
一般型DCはキハ22の1両を除き、全てキハ21のようですね。ノーデッキだから冬季はさぞかしスーパーサムイだったのでは?総勢19両のタキは壮観。上りで空タキだからDD51一機でも牽けるのでしょう。ヨ8000の組成を見ると、燃料満載の下り列車を帰路に2本纏めたのでしょうか。当時の貨物列車の車掌さんは緊急時の後方安全対策の他、停車時に車両点検も行っていたそうですね。車掌さんが乗務しない今日の貨物列車、前者は列車防護無線装置の完備で必要なくなりましたが、後者はどうしてるのでしょうか?
キハ80系、ヘッドマークこそ煤けてるものの、車輌自体は綺麗に手入れされてるようですね。酷寒の地で満身創痍だった車輌だとは思えません。構内踏切で撮影するファンを信頼する駅員さんと云い、断末魔の叫びを上げていた末期国鉄と同じ組織の風景とは思えません。まるでパラレルワールドのようです。
先日、次の動画を観ました。末期国鉄の現場の腐敗が、単に労使関係の悪化にとどまらない、急激な経済発展を遂げた当時の日本社会全体の歪みが反映したものであることがわかります。
th-cam.com/video/2X600zVxuDw/w-d-xo.html
@@米田さとし 様
車掌車を2両連結した理由は分かりません。荷が満載なら重連になる長さですね。
車輛の点検ですが、タンク列車の始発駅である本輪西駅では、JR貨物の駅員(正確には駅員ではないでしょうが)がタンク車の点検を行っているのを見たことがあります。
国鉄時代と今とでは社会の風潮も安全に対する考え方もだいぶ違っていたように思います。そうしたことを背景に、鉄道員もファンもおおらかな気持ちの人が多かったのではないでしょうか。しかしそれが裏目に出て悲惨な事故を引き起こしてしまい、その代表格が飲酒運転に伴う居眠り運転だったのでしょうね。昔はお酒に関しては許容値が高かったですから、子供に酒を飲ませる親も珍しくなかったし。そういう風潮や劣悪な環境が背景にあったとしても、飲酒運転が原因で事故を起こした機関士に100%責任があるのは当然で、許されるものではありませんね。労働組合がもっとまともな組織だったらと思ったりしますが(特に動労が酷かったと聞きます)、JRの労組も結構クソだったりする話を耳にしますから、もはや労働者のための組織ではないのかもしれません。
貨物列車の車両の点検ですが、民営化直後は始発駅で車両検査係が点検を行い貫通ブレーキのテストを行っていましたが現在は分かりません。
国鉄時代は貨車も多種多様で最高速度もバラバラ、積荷もバラバラ。検査も大変でしたが、今はコンテナとの緊締、制輪子の状態、連結器、ブレーキホースくらいしか見る所ないんじゃ無いかなと思います。
タンクは操車場経由しない車扱い直行なので、緩急車の中緩はおっしゃるとおりニ編成をまとめたものか、緩急車所属の東室蘭貨車区への交番検査のための回送も考えられますね。
0:20頃からの「北斗」の組成パターンは初めて見ました。やけに先頭車が多いと思ったら綺麗な4+3+3…どのように増結したらそうなるのでしょうか(笑)
1:26のキハ283系、上部のライトが点滅しているような…そういったモードがあるんですかね…
この頃の「北斗」は長編成を組んだ時には色々なパターンがあったような気がします。
キハ283系「スーパーおおぞら」では、鹿よけのために前照灯を点滅させていたと聞いています。9灯全て点灯させ、うち3灯を点滅させる姿はよく見かけました。私を鹿と思っていたようです(笑)。でもあまり効果はなかったみたいですね。私も逃げなかったし。