#0554

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  • เผยแพร่เมื่อ 3 ก.พ. 2025

ความคิดเห็น • 9

  • @yumikosawada867
    @yumikosawada867 2 ปีที่แล้ว +15

    名越先生、いつもありがとうございます。
    私の場合、幼い頃から誤解・曲解・邪推され、悪者扱いされたり馬鹿にされたり非難攻撃されたり暴力を振るわれたり人権蹂躙されたりし通しでしたので、そのような扱いを受けることに慣れてしまい、自分が誤解されやすい・不可解な人物なのだ、何とかして理解していただけるよう最善を尽くさなくてはいけないのだ、と思い込んでしまったために、そのようなことをする人たちが寄ってきて、私は距離を置こうとせず何とか理解し合えるようにと自己犠牲的で一方的な努力をしてまいりましたし、人を理解する人たちと親しくしようとしてまいりませんでしたから、誤解されやすく、実際誤解ばかり受けてきたようです。先日やっと気づいたことです。
    ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

  • @mafuyu_F
    @mafuyu_F 2 ปีที่แล้ว +5

    私は自分が誤解されやすい人間なのか、相手が誤解しやすい人間なのか、もはやわからなくなっています。
    考えはじめると頭がパンクするので、どうしようもない😂

  • @Hiroki_-bh8dh
    @Hiroki_-bh8dh 2 ปีที่แล้ว +1

    けっこう難しくて大変なテーマだと思います;
    なにせ"認識が違うだけの話"であれば、それは誤解ではなく、双方の中になる正解でもあるんだと思います。
    こうなると「相手の認識を変えたい!」という内容に及ぶので、相手の変化を期待するのはめちゃくちゃ困難。。
    でも世の中には「本当の自分を知ってほしい」みたいな悩みは至るところにあるわけで、根の深い悩みかと思います。
    仮に体癖間の認識相違に答えを求めたとしても、じゃあ芸能人の様に人気を一身に集めてる人をどう考えるか?
    情報をメディアを使ってばら撒いてる以上、ひとりひとり対応を変えているわけではないので、これは当てはまらない。。
    個人的には、認識に対して「シチュエーション(場面や相手との関係性)」をセットで考えないといけないかな、と思います。
    それらしく言うならTPOとか言うんでしょうか?
    ダメな自分を母親なら許してくれるけど、外では絶対認められないとか。
    母親からすれば「みんな貴方の良いところを分っていないのよ」と言うでしょう。認識が違いがここにあると思います。
    仕事じゃなかったら、学校の友達じゃなかったら、家族じゃなかったら、恋人じゃなかったら・・・。
    シチュエーションが与える影響はたくさんあると思います。
    これらは誤解といえば誤解だけれど「どうしてその誤解が問題になってしまうのか?」を、
    考えてみるのも良いんじゃないかな?と思いました。

  • @tq5727
    @tq5727 2 ปีที่แล้ว +8

    今回の御相談の具体例,ちょっとパッとは思い浮かべるのは自分には難しかったのですが、本来は会員の方々の質問への個別の回答という形だと思うので、ご相談者の方と先生とで理解が繋がっていれば最終的にO.K.ということだと考えると、多少理解が難しくても仕方ないなと個人的には感じています
    ちょっと自分なりに浮かんだのは(質問の方の仰っていることとは全く違うことかもしれません…)、よく、ふつうにあったエピソードをその人は伝えただけのつもりなのかもしれないけれど単なる「オノロケ」ととられたり、悩みを相談してるつもりが「幸せ自慢」のようにとられる例とか。(聞き手の心の状態が影響するとも思ったし、かといって違う受け取り方をした聞き手が悪いとか、そもそも良いとか悪いとかではなくて、そういう現象ってあるよね、と。)
    あるいは、ふつうに良い部分を(褒めたつもりはなくても。)感じたままに伝えただけでも、褒め言葉に乗りやすい人がそれを「褒められた」と感じて上機嫌になってしまい、言った側が“なんか乖離してるな”と感じてしまうとか。
    誤解というかズレというか、そんな例として浮かびました。
    途中3種や7種,4種の人の気分の変化の話は、なんとなく理解できました。あくまで“本人”の中の(気分の)ぶつかり合い(?)なんですね。
    身近な人,たとえば近しい友人などに、自分の調子が良いときに意見を仰いでみる・率直な意見を求めること、というのは理解できたのですが、途中~後半の(3種7種4種などの人の)話との繋がりが、いまいちはっきり掴めませんでした。
    聞き手の体癖によっては気分が聞きながら変化することがあるから、自分が率直な意見を求めても、なかなか自分の特性を把握するための適切な助言を得ることは難しい場合もある、ということなのでしょうか?
    それとも、そういった体癖の人は違う気分を途中から持ち込んで(聞き手本人のなかの気分の変化,気分のぶつかり合いによって)、結果的に話し手(相談者側)にとっては否定的に受け取られたと感じ、誤解が生じやすいということなのでしょうか?
    はたまた、相談者である自分が3種や7種などの左右やねじれの体癖の場合は、気分が話しながら変化したりするから、指摘する側の聞き手の人は気をつけなければならない、ということなのでしょうか??
    どちらにせよ、5回くらい2人で話すことによって、誤解を解いていけ、正しい理解にすりあわせができる、ということなのでしょうか?
    (まったく違う理解をしていましたら、先生にお詫び申し上げます…)

    • @yumikosawada867
      @yumikosawada867 2 ปีที่แล้ว +2

      tQさま、私はまだ体癖を学んでおりませんが、相手が変な受け取り方をすることもあるというお話に、大変共感を覚えます。世の中には、勝手に怒ったり落ち込んだり(当てつけがましく)する人たちも結構いますよね。頓珍漢な返事をする天然な人も結構いますし…。私の努力だけでは限界があると感じます。というより、参ってしまいます…。ありがとうございました。

    • @tq5727
      @tq5727 2 ปีที่แล้ว +4

      @@yumikosawada867 さま
      コメントありがとうございます。
      私は、双方の間で何が起きているのか知るためにも、誤解やズレが生じていると感じる場合,またそのようなことが度々あると感じる場合には、(名越先生の仰るように、身近な友人などに尋ねてみるほか、)カウンセラーなど、事態を客観視できる第三者に仰いでみる、というのも手ではないかと感じます。
      話し手側も、ご自身のことを客観視することがそのような場合大事だと思いますし、
      お相手との間で何が起きているのかが、みえてくるのではないかなと考えています。

    • @yumikosawada867
      @yumikosawada867 2 ปีที่แล้ว +1

      @@tq5727 さま、ご返信をありがとうございます。そうですね。良いカウンセラーに出会えれば良いのですが、なかなか出会えなくて、ネットで学ばせていただいているところです。

    • @tq5727
      @tq5727 2 ปีที่แล้ว +2

      @@yumikosawada867 さま
      (私もまだまだ体癖に関して不勉強ですが)たとえば8種の人は、褒められたい願望が強かったり、感謝されたい欲求が他の体癖の人に比べ強かったりするようで、
      そういった体癖の人と話すときには(そういった知識があると)相手の傾向を踏まえた上でコミュニケーションをとったり、あるいは相手との間で何が起こっているのか、
      (例えばですが、“あ、相手はいま、自分のひと言で(褒められたと感じ)舞い上がってしまったのかな?”など。)
      事態を把握する手助けになることもあるのではないかなと感じています。
      体癖も一つの御参考として、Yumiko Sawadaさまのお役に立つことを願っております。

    • @yumikosawada867
      @yumikosawada867 2 ปีที่แล้ว

      @@tq5727 さま、ありがとうございます。私も体癖を学びたいと前から思っております。言い訳ですが、今はまだ、生きているだけ、いえ、しなないようにするだけで、いっぱいいっぱいで、まだ着手できていないのです。お恥ずかしいことです。