紫式部は源氏物語の執筆をいつ始めたのか?道長の思惑と執筆秘話!

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  • เผยแพร่เมื่อ 1 ต.ค. 2024
  • 歴史について解説しています。
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    #歴史
    #光る君へ

ความคิดเห็น • 3

  • @パン大好き-s4i
    @パン大好き-s4i 3 หลายเดือนก่อน +3

    ドラマでは、道長が早期から、彰子の後宮が知的なものであることをアピールするために、まひろに物語を描いて欲しいと頼むのではないか?と思います。清少納言の枕草子が既に貴族達に読み継がれていた事に対して、世間の関心を彰子側に向けたかったからではないかと思います。紫式部が日記で清少納言のことを手厳しく批判していますが、それは式部の本意ではなく、道長の為に政治的な目的でやっていたのかと思いました。

  • @nagino_matasaburo
    @nagino_matasaburo 3 หลายเดือนก่อน +5

    まひろが石山寺で藤原寧子の「自身の悲しみを救うために書くのだ」と言う言葉からインスパイアを受けるシーンがありましたが、「源氏物語」のような超大作となると一筋縄ではありませんよね。
    紙がたいへん貴重で高価だったあの時代、それを多量に提供できたのは道長しかいないでしょう。その貴重品を託そうと思ったのは、かなり以前から紫式部の文才や筆力を道長が知っていたから、となりそうな気がします。
    大河ドラマの設定のように、身分は違えど幼なじみ、だったなんてこともホントのことなのかもしれないですね🤔

  • @飯塚悦子-w8s
    @飯塚悦子-w8s 3 หลายเดือนก่อน +2

    神代はしんたいではありません。かみよと読みます。