方便とは仏教で不可欠なもの(弥陀の第十八願と第十九願について)
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- เผยแพร่เมื่อ 26 มิ.ย. 2024
- 「方便」と聞くと「ウソも方便」ということわざがあるせいか、ウソのことを方便、と思っている人は結構あります。
あるいはウソのことだとまでは思わずとも「方便とはいい加減な、どうでもいいもの」と受け止めている人も多くあります。
しかし元来「方便」とは仏教の言葉ですから、仏教で言うところの本来の意味を知らないと、仏教の教えはわからなくなります。
「方便」はお釈迦様の説かれたインドの言葉では「ウパーヤ」といい、「近づける」という意味です。
では何に近づけるということかというと、「真実に近づける」という意味です。
方便は「真実を近づけ、真実を体得させるのに必要なもの」です。
真実には必ず方便が要ります。
もし真実だけでいいのなら、お釈迦さまは方便の教えを説かれません。
そんな簡単に真実は分からないのです。
真実のない私達に真実をわからせようとすることは至難です。
それでどうしても仏様の方から「これは真実をそのまま言っても分からないだろうから、方便から導くしかない」と方便の教えを説かれたのです。
日本の教科書でも知育の発達に応じて教え方を変えることはあります。
たとえば理科の教科書では、小学校2年生くらいまでは「太陽が東の空から昇って正午に南になり、西の方に沈んでいく様を観測してみましょう」と、太陽を観測する授業があります。
その際は太陽が動く「天動説」の立場で教えるのですが、それから知育が発達し「地動説」を理解できる年齢になってから、実は太陽の周りを地球が動いているんですよ、と教えます。
最初から「地動説」は教えずに、「天動説」からだんだん知育が発達していくのにあわせて導いていくという形ですね。
仏教の真実は、そのまま話しても我々凡夫にスッと受け止められないものです。
「素直に受け止めりゃいいじゃないか、真実を真実と素直に受け止めればいいのに、なんでわからないのか」と言う人もあるかもしれませんが、そんな簡単に真実の教えは分かりません。
簡単に真実が分かるものなら方便は要らないのです。
「八万四千の法門」といわれるお釈迦さまの膨大な教えは、私たちに真実をわからせるために、種々に方便の教えで導かれる苦心惨憺の記録です。
わからず屋の私達に、なんとか真実をわからせたい、との釈迦の強靭な忍耐によって方便の教えが数あまたあり、その仏のお導きによって、私達は真実に誘引されるのです。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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尊いご説法いつもありがとうございます!
2024年6月27日(木曜日☁17時41分)真実から方便が生まれ、方便が仮で真実が真なので、方便が有るからこその真実が出来る筋書きは初めて知りました。よく嘘も方便と言う話は現代でも耳にしますが、この裏には真実が有ると考えられますね。菊谷先生、本日も貴重な大切なお話を学ばせて頂きました。ありがとう御座いました🙇♂🙏✌😊
菊谷さんいつも大事なお話をありがとうございます。🙏
この講座を、2年以上聞いています。菊谷先生の言うことが、少しづつ、分かってきました。
いつも尊い説法ありがとうございます!
聴聞させていただきます🙇♂
今日もありがとうございました🙇
Someone told me that buddha was a Muslim.
ありがとうございました🙇
こんばんは!
今日もありがとうございました!
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★方便とは仏教で不可欠なもの
1.従仮入真(方便から真実へ)
2.他力信心まで誘導(煩悩具足の凡夫)
3.方便は不要か(方便からしか真実に入れない)
一生悪を作り続けて、迷いの世界で生まれ変わり死に変わりを繰り返す煩悩具足の凡夫である私を浄土に生まれさせてくださること、ただこれを疑いなく聞かせていただくだけです。南無阿弥陀仏
今日も、とても大変、学びになりました。ありがとうございました。
方便は真実を知るまでの過程において重要だということですね。
覚えておきます。
今日もありがとうございました。
方便(仮)は、真実(真)に導くための教えですね。😮凡夫直入の信心。お話ありがとうございます。
私は現在、☪️の信者たちに仏教☸️を説いているのですが、彼らに何かを説くのはとても難しいことなので、あなたの助けが必要です👳。
@@NatsukiTakaama 仏教は、苦しみを解決する教え(抜苦与楽)とされています。貧・病・争などの日常的な悩みなら、四聖諦(苦集滅道)で。心の悩みなら。(無明)を打ち破ることだと、私はきいています。
私は方便とは 仮りの教えと解釈 しています。😊
ありがとうございました。
難しくてよくわからなかったのですが、方便とはつまり、真実を説くためのツール(道具)やたとえのことでしょうか。菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました。
菊谷先生 こんばんは😊
本日もありがとうございます。
今日のテーマは、『方便とは 幸せに誘引するために』というお話しでした。
方便とは仏教で不可欠なもの(弥陀の第18願と第19願について)
仏教で言うところの方便とは?
「ウソも方便」という言葉があるように方便というのは軽いもののように、また、間違ったもののように受け止めている人も結構あるが、方便と言うのは凄く仏教の教えにおいて大事な教えである
仏教の教えが良くわからないと言う人は、方便と言うことが良くわからないので、仏教がわからないと言うことがある
特に浄土真宗 親鸞聖人の教えを学ぶにあたって方便とは一体どういうことかと言うのを良く知ると言うことは極めて大事である
浄土真宗の教えを学ぶと19願とか20願とか18願とか『三願転入』『三願によって親鸞救われたんだ』と親鸞聖人は告白されている
三願転入のご文という言葉があるように方便の願 方便とは一体どういうことかということがわからないと、親鸞聖人の教えというのはわからない
今日の教えは浄土真宗の教え、親鸞聖人の教えをしっかり学ぶ者にとっては、是非知っておきたい、逆に言うといつもの話より難しく感じると思うが親鸞聖人の教えをしっかりと学ぶ者にとってはとても大事な話である
1 従仮入真
2 他力信心まで誘導
3 法事は不要か
1 方便とは仏教の言葉である
なのでウソも方便という
ウソのように今日一般に使われる
が本来仏教の言葉である。
仏教で方便とはどんな意味か?
インドの言葉では「ウパーヤ」
「ウパーヤ」はサンスクリット語
で「近づける」という意味
方便とは
真実に近づけ体得させるのに必要
不可欠な教えという意味
真実あっての言葉である
真実と方便というのは一対である
(目的があって手段があると言う
ようなのもの)
仏教の言葉を使うと真実から流出
したのが方便 こういうことである
真実から流れ出てきたものか方便
真実がそのまま言っても受け止めきれないのでそれを我々にわからせんがためにどうしても方便から導くしかないとと言うことで、真実から流れ出てきたものが方便である
仏がなんとか真実をわからせたいと言うことからこの方便が出てくるから真実から出てきたものか方便である
真実に無関係な方便はないし方便に無関係な真実と言うこともない
我々は方便からしか真実には入れない ↑
仏教の言葉で「従仮入真」という
従仮入真は「仮」より「真」に
入ると読む
従仮入真
↓ ↓
方便 真実
「仮」とは仮ということで方便のこと、仏教では漢字一字で「仮」という。真実のことを漢字一字で「真」といい「仮」より「真」に入る
方便から真実に入るこれが仏教である
「仮よりしか真に入れず」
仮からしが真実には入れない
これが仏教の教えである
2 真実の世界 ← 他力信心の世界
↑
無碍の一道の世界
(歎異抄)
絶対的の幸福
(今日の言葉で)
↑
この真実まで出させてやりたいと言うのが弥陀の心でありお釈迦様の心である そして仏教の先生の心である
この他力信心のことを『凡夫直入の信心』ともいう
この「凡夫」とは「煩悩愚足の凡夫」煩悩に目鼻をつけた煩悩の塊
我々人間の姿である
欲と怒りと恨みや妬みで固めたものこれが我々人の姿である
親鸞聖人の正信偈の中には『一生造悪』死ぬまで悪を造り続けていると!!
悪しか出来ないもの某我々人間の実態であるということで『凡夫』という
そんな我々をそのまんま救うと誓いを建てられたのが阿弥陀仏のみ心である 阿弥陀仏の本願 真実の願である
ところが我々は自惚れ強いので自分はこんなものだと思っていないから
そんな自惚れ強い我々に自力無功を知らせ他力信心まで誘導させる
この真実の世界まで誘導させるために弥陀・釈迦・善知識、仏教の先生方が種々に方便さらているんだと親鸞聖人は説かれている
3 それを蓮如上人は方便はいらないと!!言語道断とんでもないことを言っていると
・方便はいらない
・方便は不要だ
・方便は邪魔だ
・方便は遠回りだ
こう言うことをいうのはあ
るまじき行為だ
方便からしか真実に入れないんだと!!
親鸞聖人の教えを知らないのかと方便からしか真実には入れないんだとここで自力無功と知らされて真実に入るんだと!!他力に入るまで自力なんだと!!自力からしか他力に入れないんだと!!
弥陀の善功方便というのは『19願』のこと
※ 善功方便とは巧みなご方便と言う
こと
阿弥陀仏が信じにに導かんがために方便の願を建てておられる
真実の願に対して方便願という
弥陀の方便願
19願と20願がある
19願を修諸功徳の願という
善いことをしなさいと勧められて
いる阿弥陀仏の方便願
お釈迦様は弥陀の第19願を「八万四千の法門」で明らかにされた
※ 八万四千の法門とはお経のことを
いう
親鸞聖人は
『八万四千の法門は
みな是れ浄土の
方便の善なり
これを「要門」という
これを「仮門」と名けたり』
と教えられる
要門:要の教え
必ず通らなければならない教え
仮門:方便の教え
真実に入るために必要不可欠
な方便の教え
↑
お釈迦様が生涯『廃悪修繕』悪いことやめなさい、良いことしなさいと教えられた 善の勧め
弥陀の19願で勧められている善をお釈迦様が詳しく明らかにされた
親鸞聖人は
『恒沙の善根を
修せしめしによりて
今大願業力に
もう値うことを得たり』
原因と結果の関係ではなく
方便と真実の関係である
無関係でない
恒沙の善根と今、大願業力に値ったことが無関係ならばこんなふうに仰るはずがない
今日はちょっと難しかったです。
理解できるまで動画を試聴したいと思います
本日もありがとうございました。
教師と生徒の関係のように 両者が成り立つためには 智慧ある者と智慧なき者とが必要であることでしょうか ありがとうございました
投稿ありがとうございます。
では現在言われている「嘘も方便」に方便はないと思って良さそうですね、お釈迦様の発見なさった真実をきちんと理解している現在生きている人は居られないのですから
南無阿弥陀仏m(__)m
「嘘も方便」という諺が、嘘をついて真実から遠ざける事を肯定しているかの如く「方便」の意味を誤解している人が少なくないように思う
私も最初「方便」の意味を勘違いしていた
つまりは、念仏行だけでは救われないということですね!この際、浄土三部経だけでなくその他の経も必要だといったら、どうですか?また恒沙の善根とは宿善のことですよね!最後に、方便とは方法便利のことである!
方便、全然わかっていませんでしたー!
え?方便でしょ?簡単だよー。とか思ってましたけど、全然分かってない気がするー。もう一度見てみよう。
気持ちや心を真理と例えるなら、方便は、「例え、説法、言葉」みたいなものでしょうか…。私たちは見えない心や気持ちを「言葉と態度」で、何となく相手に伝えようとします。でもそれは、確実で正確な手段ではないから、あの手この手、言葉を巧みに使う。
真理を解く説法が沢山有るのも、これと同じで、聴く相手に合わせて沢山説かれているのんでしょうね…。きっと自分に合う教え、ピンとくる言葉が、どこかにあるように思いました。真理というか教えの核心は共通点が多く、宗教、宗派の枠を超えて同じなんだろうな…と思っています。
誤解も多いとおもいますが…。
方便の意味は難しいですが、根拠のない全くの嘘ではない、それは方便では無いと言うことですね…。なるほどって感じました。
「方便」は仏教用語ですが、「真実」は欧米文化の言葉で仏教にはありません。
「真」は有っても「真実」は無い事に気が付かないとすべてが欧米文化のように「虚の言葉」に成ります。
「方便」も虚の言葉「真実」と対になると虚の言葉に染まります。
「方便」は工事の足場でも仮設住宅でもない、子供は持てない物を持っても手を離したりしません。
「阿弥陀如来の本願」に言及するのも親鸞上人の言葉の説明の為だけという事は「親鸞上人の他力本願」ですね。
「阿弥陀如来の他力本願」説明するのではなく、「親鸞上人の他力本願」を説明していますね。