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太陽の光浴びてる間はポジティブになるけど夜中とかはすごい鬱っぽくなってしまうからもう太陽を崇めることにした
狂い火信仰します?手伝いますよ
太陽神ラー、天照大神…全然アリだと思います☀
太陽が消滅したら8分19秒でニヒリズムになるだろう
これが太陽神の宗教のはじまりであることを我々はまだ知らなかった
宗教始まってて草
「正しいことを自分で決めて行動する」これが変わっていって「人間には自分の人生を切り拓く力がある。それをしないやつらは敗者だ」とでも言わんばかりの空気をひしひしと感じる今日この頃。つまるところ、信仰の対象が神から人間の力に変わっただけなのではないかとぼんやり想像する。
確かに。全体の一握りの成功者を基準に「人間の可能性」を信仰してるから、「人間頑張れば何でもできる!」みたいな努力至上主義とか「不幸なのは頑張らない奴が悪い」って断定する歪んだ自己責任論が蔓延してるよねぇ
前世の業やら魔女狩りやら一見廃れてもどのようにも信仰と邪道を生み出されるのだなと
ぼんやり、ではなく事実だぞニーチェは「神は死んだ」と言ったが、これに続くのは「次は物質(人)の時代だ」だからな
最初は苦しんで苦しんで答えを出した賢い人がそう言ったんだよ。でもそれが真理のように思える話であったがゆえに、普通の人ひいては賢いとは言えない人にまで広まった。賢い人は他人を見下さなくてもうまく生きていけるだけの要領があったけど、それ以外の人はそうではなかった。誰かが下にいないと安心できない人にまで広まってしまったから、オワコンになった。
日本は国民全体で生存者バイアスが蔓延してるからね…
結局これを解決したのは死ぬほどの渇きだったなぁ。自分の本能に一旦身を任せて退屈に身を陥らせる。何かがしたくなって習慣を始めて、筋トレと散歩が続くようになって漸く考えられる。精神的に不調な時期に考えることじゃなかったな。
素晴らしい
習慣なんて1ヶ月も続いたことないんですけどどうしたら続くんですか?大学生だから死ぬほど退屈なのに自分は何もできていません
@@urc7761 一番のコツは、「自分が全く負担に思わないレベルを毎日同じ時間に保ち続けること」だね。例えば筋トレだったら腕立て一回、腹筋一回、家の周りを軽く散歩することから始める。人間いきなりは変わらないものだ。でも続けていけば段々慣性が乗ってそれをやらないことが逆に気持ち悪くなってくる。 決して無理せず、瞬きをするのと同じくらいの負荷から始めるのが大事だね。
支配する側の人間からすれば、むしろ人のせいにしない人間のほうが御しやすいんですよね。支配側が負うべき責任や、環境面などの外的要因に不満を言わず人のせいにしちゃイカン、自分が成長すればいいんだって(無理にでも)自分を鍛え適応する、という方向で対応してくれるので。会社では……早いとこでは幼少期から、そういうメンタリティ叩き込まれた人も少なくないのでは?
ニヒリズムとか見てると、動物こそが人間が目指すべき超人じゃないかって思えてくる
猫を崇めよw😸
いや、猫とか動物はニヒリズムを克服してない受動的ニヒリズムでもなければ能動的ニヒリズムでもないから、能動的ニヒリズムになれてない時点で超人では無い「事実はない、あるのは解釈だけだ」からもわかる通り、正しいかどうかは置いておいて、解釈として動物は理性をあまり持たないという風に思うから、今の時点で「動物に理性は無い」と解釈してるので超人ではない。と言えますね
超人はニヒリズムを通過しても、なお自らの生きる意志を持ち続けられる存在なので、、ニヒリズムを認識していない人とできない全ての動物は超人になりえないと思います
@@havefunmusic1139いや、そもそも動物はニヒリズムに陥ること(指針や指標をうしなうこと)がない。逆に言えば自分という指針しか持たないよね。動物が理性を持つかどうかは置いておいて人間はその理性に苦しめられていない??俺から言わせれば理性がニヒリズムの根源そのもの。元々理性がない動物こそ超人そのもの
超人思想って一見難しく見えますが、仏陀の悟りとかエピクテトスやアドラーの課題の分離を踏まえれば、案外理解しやすい部類ですよね。私の場合は「ツァラトストラはかく語りき」を読んで”喉奥を蛇にかまれるプレイ”が最高に性癖に刺さったせいで変態になりましたけどね。
しばらく絶望感に苛まれて起き上がることすらできない日々が続いてたんだけど、最近はニヒリズムが一周回って「絶望感や苦痛にすら意味がない」と気づいてから良いことも悪いことも同様に(客観的かつ実存というスケールにおいては)意味がなく、この世界の中で確かなことは自分の存在と思考それ自体しかない、と考えるようになった。それでも、喜びを覚える瞬間は間違いなくあって、それもまた無意味だけど価値はあるのだと思う。自分は意味と価値を区別していて、価値を大切に日々暮らしていくことこそが、ニヒリズム的な善い生き方なのではないかと思ってる。だからこのスタンスで生きていく上で目指すべき在り方は、平穏をベースにワクワクする方へ進んでいくことただそれだけ。そしていつか風に吹かれて飛ばされる落ち葉のように亡くなる。常にどこか遠い所を視界の端に捉えながらも目の前の素敵なものに寄り添い続ける在り方。ニヒリズムを抱えている皆さん、皆さんの生き方の指針を知りたいです。教えてください!
「努力」すらも一つの神であることに注意しなければならないね。一見正しく見えるけど、それに裏切られることも多くある。この時に、正しいけど今回はうまくいかなかった、ならいいけど、諦めるに至ると同じだよねと
努力が必ず報われるように感じるのは、努力の量・密・度時間に上限が指定されていないから
10歳位からニヒリズムに陥ってしまい、絶対的な指標をずっと欲しがっていました。最近は「ただあるだけ」という考え方をし始めました。「生きることも死ぬことも世の中の物事は状態としてただ存在するだけでそこに意味を求めなくていい」と考えるようになって少し楽になりました。色々な情報から影響を受けてるのでこの考え方の元ネタが何かはわかりません。
私も同意見です。また、意味は見出すものと考えています。自分が納得できれば、こじつけだって全然良いと。
意味を求めず、ただあるだけの人生なのに、それにしては人生ってしんどすぎませんか?私も割り切りたい...。
仏教的だな(´•⌔•`)ありのままに見る事を理想としてソコに意味とか感情を求めると認知が歪むからその認知の歪みを取り去る訓練をしようぜっていう
方法論でいくなら、ボランティアなり、バザーなりに参加してみるってのは手や。人間って不思議なもんで辛いときに、誰かの為になにかすると気が楽になったりするもんらしいで。「自分はこの人の役にたってる、施してやってる。」って感覚が肝なそうな。
@@user-ml5rb4jp6w ボランティアに近いかもしれんが、過疎ってる配信者の切り抜き動画を作ってる。確かに心理的に楽になる。でも、この行為が本当に良いものなのかどうか、独りよがりでないだろうかと考えてしまう...。
ニヒリズムは学習性無力感とも言えるかな?何度も失敗を繰り返したことで、どうせ失敗する、やっても無駄って考えてしまってなにもしなくなってしまう。
ネットでの情報飽和もニヒリズムを加速させてる気がする
それはあるかもしれないですね。いろんな反対意見も多いし、特定の思想に偏りやすいし・・・Twitterの論争とか見てるとそうなる気持ちはとてもよく・・・
「ニヒリズムを克服できた人」を指して『超人』と呼ぶのも納得の内容でした。こりゃ並大抵の人間にはできねぇ…(頭痛)
ニーチェ自身も後年、「生の彼岸を体験しないと俺の言ってることなんざ理解できねぇよm9(^Д^)プギャー」(表現がひどく誇張されています)みたいなことを書き記してたみたいです。
まあ難易度ルナティックなところありますよね。クリアしたとしても、「クリアしたと思っていたのか?」って裏ボス出てきますし(自分がラスボスパターン
「ニヒリズムを克服」でふと思いだしたのですが、amazarashiというバンドのテーマは確か「アンチニヒリズム」だった覚えがあります。影響を受けたという太宰治や宮沢賢治のような文章の歌詞でニヒリズム的な歌を歌い、歌のラストでそのニヒリズムそのものを否定する、という構図を取るのがとても印象的だったのを覚えています。「ジュブナイル」という曲がその特徴をかなり含んでいると思いますので、興味が湧いた方は聞いてみると良いかもしれません。文豪気質なので、ロックバンドというよりは、口ずさめる文学と言った感じですが、はまる人はハマるかもしれません。
@@watchingyoubigbrother9765 amazarashi良いっすよねぇ、あれは弾き語り?と言うんでしょうか?詳しくは知りませんが、あの雰囲気大好物です。自分の中で宮沢賢治といえば昔は銀河鉄道の夜とかでしたが、今は春と修羅です、あれ大好きです。
昼飯食ってるときに思ったのは、「本当の自分」ほど役立たずはいないなってこと
ご飯食べながらすごいこと思ってますね・・・
「迷う」ことの素晴らしさ 石田衣良高校の現代文の教科書に載っているエッセイです。このエッセイの中に私のニヒリズムを緩和する突破口がありました。現代は検索エンジンの発達や社会システムと社会通念の成熟により「無駄のない答え」が一瞬で正確に手軽に手に入ります。このあまりにもスーピーディーに得られる正解は現代人の「迷う」力を損なわせています。現代人は「迷う」ことの楽しさと素晴らしさを知らない人が多いですし、知る機会が少ないし、失敗を「迷う」ことで得られてないので失敗を過剰に恐れる。あなたに言いたいことは「迷う」ことを楽しめ!です。教科書に載っているような短いエッセイで、人には言いづらいことの共感を得られ、迷うこと肯定する考え方で人生楽しめるよ〜ということが書かれてます。このエッセイ中で書かれている仕事と結婚の話はギクっとなるに違いない!人生寄り道獣道大いに結構、楽しい人生に正解はない!オススメです。まとまりのない文章で、すまない!
超人という目標自体がいずれ裏切られる新たな依存先になり得るということかぁ。皮肉。
「こういう人いるいるー」って気持ちで見てたけど、最終的に「自分だわ。。。」となって頭抱えました。今回の動画もたのしかったです。
人間の決定を避けたがる性質を考えると、人を自分の思い通りにしがる人がいると言うのは不思議な話ですよね。決定をする回数が増えると言うのに。これも他人に介入して、自分の人生から目を逸らすという一種のニヒリズムなのかもしれませんね。
「自分のせいじゃない」って弱者にとってはめちゃめちゃ助かる思考ですよね、SNSでその思考の拠り所が簡単に見つかるようになりましたし
俺は悪くねぇ!!!!!!!!
@@user-zo6ny7ik1h いいや全て君が悪いね!
@@user-zo6ny7ik1h 師匠(せんせい)のせいでしたもんねw
その逆は、弱者に自己責任論叩きつけて、社会的・環境的要因への考察や対処を放棄するスタンスかな。昨今では薬物中毒なんかも、自己責任の問題では片付けられないって論調も出てきているし
だけど恐れている限り弱者は弱者のままだと思う。
友人が軽度のこれに陥っていて、克服しようとしてます。私には理解できない思考だったのでとても参考になりました。自分の意見を押し付けず上手く支えていけたらいいなと思います。
「人生に意味はない」っていうのは、「こんなに辛い人生に意味はない」っていうのを省略して言ったものだと思います。そもそも楽しさが辛さを上回っていたら哲学にハマったりしないでしょうから。
哲学楽しいのに・・
まじで分かる
それはどうなんですかね、いかに楽しかろうと死ねば終わり生きて築いた価値はいつかは消えるこういうのは今幸せでもニヒリズムに至る原因になると思います
死ぬまでに絵が上手くなりてえなって考える(自身の信じる絶対)しかし事故で手足を失ったらどうするのか(裏切りによるニヒリズムへの堕落)口で描けばよくね?or歌でも極めてみようか(ニヒリズムの克服)って考えてるけどどうなんだろう
宇宙論的ニヒリズム▶好きに生きればええやんが最強
昨今の話で言えば「親ガチャ」なんて言葉もまさにニヒリズム的よな。貧乏な親の元にに生まれたから、虐待する親の元に生まれたから、犯罪者の子供として生を受けたから、知的障碍者として生まれたから、etc。ニーチェに言わせれば「そんなこといくら言ってもしょうがないし、別にそういうハンディキャップを持ってたとしても成功している人間は探せばそれなりにいる。結局はお前がどうするかだろ、今のお前が貧しいのは、誰かに与えてもらおうとしているお前の精神が貧しいからに他ならない。分相応ではないか。」って正論パンチをかましてくるだろうね。 ただ正論ってぶっちゃけ十中八九「そんなことは分かってるけど、それができないから辛いんじゃないか」ってものだから、はっきり言って意味ないと思うし、そういうのを得意げになって行ってる人もぶっちゃけ頭悪いと思う。あと人間って病んだ時に出てくる発想って正直ろくでもないモノが大半だから、ニーチェさんのこの論も自分はあんまあてにしてない。 極端な話、別にカルトにはまってもいいと思うよ。そんな辛いんだったら。だってその人にとっては世間は自分を助けたり守ってくれないんだから、だったらたとえ幻であっても守ってくれると思わせてくれるような組織なりに傾倒する方がまだましだと思うし。 実際、こと不安やら鬱の解決に関して言えば宗教に勝てるモノはないと思うよ。だって有史以前からその手の事に足ししてずっと向き合ってきたものだし、科学とは年季が違うよ。科学と能力主義はほぼセットだと思うけど、実際の社会は無能と呼ばれてしまうような人々や、異常者として排除されてしまうような人々と一緒に暮らしていかなきゃいけない訳だから、その点で言えば宗教の方が能力主義より現実が見えてると言えなくもない。飲酒運転をしてひき逃げを起こす人や、女性をストーカーした上に殺して、挙句放火してしまうような人間は極端にしても、平気で遅刻したり、失敗を隠そうとして余計に周りに迷惑をかけるような人間とワイ等は一緒の社会に生きていくしかないんや。そういうろくでもない人間を蔑んで、自分とは違って生きる価値の無い人間だって差別して、居ないものとして扱おうとしたって意味無いし、無理なんだから上手い事自分を慰めてあげられる考え方を見つけるしかない。そんで、そういうことが出来るのは科学じゃなくて宗教だと思うよ。
宇宙の規模を考えると人間一人なんてゴミも同然っていうのと、思考はただの電気信号のパターンに過ぎないっていう認識を確立してから、逆に人生楽しく過ごせるようになった何しようとこの世界に影響なんてほほない、何考えようとそれは脳の演算結果に過ぎない!好きに生きてしまえ!って
テロリズムに対して的外れだとキッパリ言っていてスカッとして嬉しかったです。この動画に出会うまで能動的ニヒリズムという概念と名称を知りませんでした。
ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んだことがあるのですが、当時の自分にとってはとても難解でした。この動画でニーチェの哲学について分かり易く解説されていて、大変参考になりました。また、自分の考えていることがうまく言語化できなかったのですが、その点も、うまく言語化されていて、感服しました!ありがとうございます!
ニーチェのツァラトゥストラは、私的には叱咤激励の書だと感じています。ニヒリズムのような毒のあること、現実世界の中の真実をしっかり言っていますが、(彼は現実存在主義者だったわけだし)しかしながら薬になることも言ってくれている。むしろ現実存在主義者である彼が言ってくれるのだから、絶望に絶望を重ね究極の絶望にたどり着いた人達、神などの存在しないもの(形而上学的存在)にすがることも出来なくなった人達にとっては、実際聖典のような書になると思います。(これより下、余談なので注意)自分はニーチェのツァラトゥストラも好きですが、ショーペンハウエルの幸福についてやウィトゲンシュタインの論考も同じくらい好きです、特にウィトゲンシュタインの論考にある、「幸福に生きよ!」が大好物です(笑)。ツァラ(以下略)を読んだことがあって、こっちを読んだことが無ければ是非読んでほしいです。
@@user-pj6fs3rh4v 様 ありがとうございます。時間のある時に読んでみようかと思います。
自分の中で黒歴史、辛かった思い出だった中学時代の自分の状態が言語化されたというか、名前がついたような気がします。この動画を投稿していただきありがとうございます。過去の自分にも勧めてあげたいです。
ニヒリズムに関する解説、とても興味深くて私の思想・価値観に影響を与えてくれて素晴らしいものでした。私的には、現代的なニヒリズム→この世のものは全て無価値だ。→確かに価値基準という概念は勝手に人間が作ったもので、ある意味ではこの世には本来、意味や価値というものは無い。→それだと人間的に都合が悪い概念だな。なので生きていく上で「幸福量」を増やすことを目標にして生きていく幸福主義的な生き方をしよう。という結論に至りました。鬱や無気力を克服するためのヒントや、生き方のヒントになりました。素晴らしい動画ありがとうございました。これからも頑張ってください♪♪♪
初めて見ましたが、めっちゃ面白かったです!動画内で紹介されていたやつ以外に参考文献があれば知りたいです
ニヒリズムの克服のためにニーチェの生き方への姿勢を読み進めるのも、結局は他人の思想に縋っていて、それを正しいと思い込むことに繋がる。この世界で何が正しくて何が間違っているのかなんて分からない。結局は誰かの思想を鵜呑みにしたり、正しいと信じ込んでいるだけかもしれない。自分らしさや正しいと思えることを見つけるのって難しい。
ネット以上に分かりにくいフィルターバブルを作り出す自身の傾向と導かれる環境。いつの間にか嵌まりこむもので、文化そのものからショックを与える人間との接触でもないとその存在にすら気付けない。
「自分にとって正しいことをする」って、義務感からの行動に陥りやすいと思う。○○するべきだ!って常に思いながら行動してたら、夏目漱石の「こころ」で「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言ったKみたく他人に厳しくなって、自分が決めた指針から自分が外れてしまった瞬間に自分のことも許せなくなって自己矛盾に苦しんでいくだから、「こうしなきゃ」よりも「こうしたい」から行動する方がニヒリズムから脱却できるのではないかと思う全てが無意味に思えてもやりたいって思えたことはやれる気がするしそういう部分が自分のコアの部分なのかなーと思う生きていく中で自分の考え方はどんどん変わっていくし新しい発見も沢山あるし常に自分の中で同じ信念を持って生きねばならないわけじゃ決してない宮沢賢治の「永遠の未完成 これ完成である」という言葉がまさにそれを言ってると思う
それな万物を人間にとって意味づけるのは結局感情のみ。
ニヒリズムで起こる虚無感さえも意味はないし虚無感自体も虚無だよなって思ったら虚無感が問題に成らなくなってニヒリズム克服したった
何も意味なんてないんだから痛みや悲しみさえ自分で勝手に意味を決めてしまえばいい
当初の目的を果たそうと頑張れば頑張るほど、どんどんと沼にはまっていくの面白いですね()
自分の考え方とかって、結局色んな情報をまとめたものだよね
それなんですよねー・・・。本当の自分なんてホントにあるのかとかいう哲学難問に片足突っ込む話ですが、デカルトェ…。
情報のまとめ方は「個性」であり「自分」だと思うけどね
@@user-ow3ob8sr1c そのまとめ方とかも情報といえば情報ではない?でも自分が学習する情報ってめちゃくちゃ膨大だから考え方とか結論の出し方とか、人と完全に被ることは絶対ないのでそれを個性と呼ぶなら個性だと思う。
@@popo-fw2ko逆に「情報ではない」っていうのは何を指すの?学習って基本、(自他問わず)持ってる情報の継承だと思うけどその中で情報じゃないとなると、論理性のない本能的な反射とかになるように感じる
@@user-ow3ob8sr1c ごめん、、“情報ではない?”ってのは“情報じゃない?”ってことで、“そのまとめ方とかも情報といえば情報と言えるのでは?”という事が言いたかったんだよね。。日本語の伝え方の問題だね。喋り口調で文を書いてしまったわ。
ニーチェ「うだうだ言わず、自分で決定しろ。それから…」ニヒリズムワイ「天才哲学者様が…ッそれができれば苦労はしねェ‼︎!」
洗脳が解けて、目が醒めて、何にも囚われずに済み、やっと手に入れた自己決定権好きに生きて好きに死んで良いって事なのに、なぜのその素晴らしさが解らないんだろう。新しい洗脳を欲しているのが謎過ぎる。
@@shoujimiyagi6461 そのように断言する君は、果たして本当に自分の意思で全てを自由に決定できていると思っているのか?否、この世で、何かに洗脳されていない人間というのは存在しない。人間は誰しも、何かに洗脳されている。
@@user-ts4ei3ve2mだからその洗脳先を自分で選んでいいって言ってんのに、なんで誰かに決めてもらいたがるんだって話だろう
煮詰まって発狂した人には言われたくなさすぎる格言
@@I-am-a-tired-fairyいやその「洗脳先を決める」段階でもある意味既に洗脳されているのと同じ環境要因と遺伝要因とが影響して意思が形成され、その意思から行動が生まれてそこから環境要因が生まれ…とループするから。何かの話で聞いたけど、とある部族の人に「あなたの夢は何ですか?」と聞いたら「狩りの達人」になりたいと言って、富豪になる事には興味を示さなかったそうな。
生きていくのは結局つらいことの連続なんだから、せめて今生きている瞬間は楽に生きましょうという大雑把に纏めてしまったけれどこれが仏教の大本で、般若心経とかもニヒリズムみたいなところがありますよね。最近は自分自身の存在を含めて全てが無価値なことに逆に救われる感じもあります。意味のある人生、有意義のある生き方、そんな風に羨ましがられなくても生きていけるのだからと
仏教の本質は逆だけどなこの世界はクソで無意味だからもう諦めて次に期待しましょうね〜、だから。ニーチェも「東洋思想は諦観だからダメ」って言ってる
自分が生きやすい塩梅を見つけるのが大事だよな。あと、依存もニヒリズムも客観的に分かった上でうまく使えると良いけど、完全コントロールなんて無理だから、30%なのか60%なのか長いスパンで見て許容内に収まってたら合格だと思ってる。
災害や政治的に自分が関われない問題はその発生や影響自体はコントロールできないけど、自分がどう反応するかはコントロールできるからね。ようは避けられないことを運が悪かったと運命を呪うか、その場に居合わせることになった要因を呪うか、自分が巻き込まれたことをそのまま受け入れ対処するかで違ってくる。こうこうこういう行動をすれば回避できるとか、それが起きたからじゃあ次はどうするかを考えられれば、仮に自分が何かに巻き込まれても、自分の判断と行動を自分の責任で持って行動でき、今すべきことをその場で判断するってことなんだと思う。だから自分は%って話ではなく、常に自分の事は自分でコントロールできるっていう気づきだと思ってますね。
親とか宗教とかそういうもんの前の、もっと原初的な拠り所が「本能」なのかもしれない寝たいから寝る、食べたいから食べる人間社会では欲望のまま生きることができなくなったから代わりの指針を求めてるのかも
動画を早く見に行くより、ちょっと待ってから動画を見た方がコメ欄とか参考になるしおもろいな
物によっては1000超えのコメント来るからね
みんなすごく考えてコメントしてくださるので私も見てて超楽しいです。返すのは死にそうになりますが(苦ではないんですけど時間的にね)
自分や他人がどういう人間なのか、過去に体験したことや目の前で起こった事、良いモノでも悪いモノでもそういうものだと受け入れる、そうした上で自分なりに作り上げた基準に沿って最良の道を選ぶ事。 解説を見て能動的ニヒリズムはこういう事じゃないかと思いました。(結論を言い換えただけとも言う)
そんな感じだと思いますが、まあ私もしっかり読み込めてるか怪しい部分もあるんですよねー。もう一度丁寧に読む必要性は感じてます
結局は受動的ニヒリズムも正しいと思うならばそれが正解なのかもしれないですね。全てに絶望して腐っていくのも1つの選択。それぞれのニヒリズムが受動的か能動的かは人生に対する開き直りがネガティブかポジティブかの違いだと思います。「どうせ無価値だ。何もしなくていい」なのか、「どうせ無価値だ、だからこそ好き勝手に生きてみよう」なのか。
超人というのは上手い言い回しだよな。人の延長線上にある存在だけど、人のままだと絶対に辿り着けない境地だと思う
人を超えるからこその、ですもんね。ある意味それを神と呼ぶのかもしれない。
「いいことを教えてやろうか、ユリアン」「何です?」「この世で一番、強い台詞さ。どんな正論も雄弁も、この一言にはかなわない」「無料で教えていただけるんでしたら」「うん、それもいい台詞だな。だが、こいつにはかなわない。つまりな、それがどうした、というんだ」
銀英伝ナツカシス
貧しい人を助けたくて役所の生活保護科で働き始めたけど、させられる仕事は生活保護に適わない人を選別する事…って話はリアルで聞いた事ある
生活保護を受けさせない仕事ですものねえ・・・本当に求めてる人に届かないって言うのは被災でも戦争でもよく聞きますね。
ニヒリズムの「何かにすがる」考え方は人間の本能に埋め込まれているものだったりするんだろうなぁ
この動画ほんとに確信ついててすごいわ
今回もとてもわかりやすく、面白く見せて頂きました。ありがとうございます。絶対的かそれに近いレベルで何かを信じようとするから、ニヒリズムのスパイラルに迷い込んでいくということでしょうか。そうだとすると絶対的なものはなく可能性の大小だけがあるという考え方が良さそうに思いますが、期待を持ち過ぎないようにする必要もありそうです。冷めた感じの人生観になりそうな上に超人にも向かっていない気がしますが。うーん。
そう言っていただけると苦労したかいがありました。今回のめっちゃしんどかった・・・!断定せず可能性で判断できるのって大事ですよね。特にリスク評価とかは難しいですが、それができるだけでだいぶ変わる気がします。でもおっしゃる通り冷めたというか、結局ニヒリズムじゃんそれ、みたいになりそうですが、それはそれ、ということで・・・
自分は側から見たらキャリア重視の活動的な人生に見えそうな生き方をしてるんだけど、ある時自分の信じてたもの(自分は優秀である、一直線の競争を追えば良い等)が崩れて以来、心の底では将来どうなっても良いと思って生きてる面があって、それが芯のなさみたいな物に繋がってるなぁと気付かされた。
今まさにこれ、絶対的で万能だと思い込んでた自分に裏切られたどうしよっかなぁこれから
ニヒリズムの問題点が自他に絶対の正解を求めることにあるのならば、とりあえずその時点で出た正解に「〜じゃない?知らんけど。」と付け足しておけば思考の猶予・アソビができて、人が勝手にでっち上げた絶対視に依存したり絶望することは無くなるんじゃない?知らんけど。
わぁ…耳が痛い普段食べるものや買うもの、着る服、自分の生活スタイルなど、ネットの口コミや周りの人の意見を鵜呑みにして何も考えず決めていることが多いです...結果的に周りの意見と同じになるとしても、きちんと自分で考えることが大事なのですよね...意識します
なんか、この思想って「自分という存在は自分ひとりで完結していること」がそもそもの前提になってる気がする。じゃなきゃ自分の外側にあるものにすがるな!みたいなこと言わないだろうし。でも人間って他者とかかわらなきゃ生きていけないし、自分という存在が何なのかを認識するためには他との比較が必要不可欠なわけで、自分という存在が自分ひとりで表しきれるとは思えないので、少なくとも生きているうちはニヒリズムの克服なんてできないし、する必要ないんじゃないかなぁ。だからこそ克服した人は超人なのかもしれないけど、それって多分そんないいもんじゃないよ。
まずは一人の人間として独立した考えを持つこと。そして他人との違いを理解して対応すること。結果は自分の選択によるものと考えること。他人と関わるときは、他人に振り回されるのではなく、自分が他人とどう付き合うか自分で決めるってところがポイントかな。自分だけで生きていくという考え方じゃないんだよ。自分は独立した存在で、それは他の何物にも犯されない。すべての行動は自分で選択できるってところがニヒリズムの脱却。だから他人と繋がりたければ、自分がそうやってこの人たちと協調していこう。この人たちと同じ体験をし、同じ経験をしてみようって自分の意志で決め、結果的に良くない事が起きたり、失敗だったとしても、あの時の判断がよくなかったかもな、と自分の行動を見直せるという事。自分の意見を持たず、周りに合わせてばかりだと、そもそも自分が何をしたいのか、どう判断して何に責任を持つのかすべてその集団やリーダーに対して求めるようになる。そうなると、この集団はあいつが悪かったから別の集団に行ったとき、今度はいい所だといいなぁって入っていって、結局そこでのトラブルが起きてもまたその集団に責任転嫁し、同じところをぐるぐる回ることになる。他人と協調するのも、自分の考えで動くのもすべて自分の選択によって決まるって考えれば、もし道を示してくれる人や物がなくなっても自分で考えて行動できるようになる。それが超人ってことだと思う。まあ自分も理解できてるか微妙だけど。
人間の身体にはたくさんの生き物がいて(細胞や細菌)、人間はそれらの集合体として生きている。自分ひとりでものを決めることはできないし、ひとりで生きてはいない。
参考になりましたありがとうございます!
虚無を元の気にするには、天然なヒト、コト、モノが必要である。それを掘り下げると、面白いとか変わっているとか潔さとかユニークとかの【垢抜けさ】が滲み出ていて、根底にあるオーラが、少年のこころや乙女心のようなものを持っている人だろう。人間が人間に向かうと、垢が蔓延る。人間が自然に向かうと、垢が解消される。
まさかfateの話が出てくるとは!笑fate(正義、功利的価値観)や空の境界(起源について)などの型月作品は結構哲学的人生観的などの考えをナラティブとして与えてくれるから、話の例として出しやすいし良い学びとなるからオススメ
Fate Zeroとか衝撃だったなあ・・・空の境界は見てないので見てみていところ。評判もいいですよねー。
アーチャーって誰だっけ?ランサーが可哀想だった
@@user-ny3mp9lp5h Zeroの話ならアーチャーはギルガメッシュ集団的無意識を世界の仕組みとして取り組んだらどうなるか→抑止力って言うのをどこかで見て、面白いと思ったわ
むっちゃ参考になったけどニヒリズムの状況のまま動いてるヤツがほんと羨ましい。鬼滅の童磨とか
あれは産まれた時から自分がそういう生き物だと確信していたからでしょうね。大抵の人は生育環境なんかの後天的理由でそういう思考傾向になるから、ああいう風に飄々とは生きられないと思います。
あの状態はだいぶきついで
そういえば童磨そんな感じでしたね・・・サイコパス要素強すぎてその発想がなかった。
3年前まで自分の判断を信じていたけど、自分で選んだ研究室を楽しめず、自分で選んだ人彼氏と無茶苦茶大喧嘩して別れてからというもの、自分の判断力を信じれなくなった就活も強くスカウトされた企業に入ってしまったよ(ブラックだよ)最近は、人生とは「Aをやると一定の確率でBが起こる」が連続してるだけだと捉えてるよ
この動画を見て超人を目指した場合、ほんとに超人を目指してるのか、それとも安易に飛びついて依存となるのか。人に影響されない思考は無いと思うので、依存/自己決断を切り分ける判断が難しいなと感じますね〜
無気力や決断を下せないってのは鬱から来るものだと思ってたけどこっちかもしれないなぁ…ご飯のメニューも好きに決められなくて辛いけど 感性に従えばある程度はどうにかなったり…ならないんですけどね
帽子ほっぽってゴロゴロしてる魔理沙かわいいな
燃え尽き症候群を患って、結果行き着いた価値観、考え方がとても普通じゃないからこれは何だろうと思ったら、ニヒリズムだったのか……克服したい。
自分から見て動いていないように見えるのは自分だけ、だからこそ人は信じたい物事を喜んで信じる。
自己決定や自由意志があるのか無いのかって話に落ち着くんですかね。それと幸福の定義。主の言う軽いニヒリズムってのは物凄く蔓延してて、仕事において自分で責任は取りたく無いから発言も決定もしないって人がほとんどだなと思います。陰謀論とかもニヒリズムから脱却した気になってる人が落ちいるんですね。面白かったです。
ニーチェは、自由なんてものはないし、あったとしてもそれを意志することなんて人間にはできないっていうのがスタートじゃないかと。ただ、自由は存在するし、それを選択できる能力を人間が持っていると信じる(錯覚する)ことは否定できないよね、知らんけどってとこかと。
自由意志や確たる自我があるものは神聖で価値があり、そうでないものには価値がないとする宗教に過ぎない。
「神にすがるな、自分で決めてそれに責任を取れ」そんなこともニーチェに言われるまでわからなくなるからキリスト教は嫌いなんだよね…
サム8やシャア、東方不敗は能動的ニヒリストだったのか!すみません、有意義な動画をありがとうございます。能動的ニヒリストの飛躍的な話を聞いて、上のアニメや、映画ジョーカー、無敵の人や、ホームグロウンテロリストを思い出しました(サム8はセリフだけですが。)。多様性の時代、悪く言えば全ては相対的な中で、ニヒリズムになる人が増えているのかと勝手に思うところです。
人生の終点∮ (幸福-不幸)dt 今↑の最大化これ最強の依存先
うぽつです帽子なし魔理沙かわいい
働いてお金を稼いでも税金や生きていくための消耗品やご飯で消えていくし、なんだったら最期は絶対死ぬから、生きていくことそのものに虚無を2,3ヶ月くらい感じてますですがこの動画を見て、ニヒリズムの克服って難しいことなんだとわかって少しほっとしました。お金とか豊かな生活とか、肩書きとか追うんじゃなくてやっててワクワクすることを探したいと思います
ショーペンハウエルの思想にも、人を無苦痛の状態にしてくれるのは芸術とか音楽だから、それに浸ろうぜ?みたいなのがありますね。ニーチェやワーグナーはこの思想に大変感動したようです。
指針は複数持った方がいい。勉強辞めた瞬間何もやる気がなくなった瞬間がある。
高い理想を抱いて自滅しがちな気がする。ネットで桃源郷みたいな理想の生活をまざまざと見せつけられて、自分に不相応な理想を目指した結果「現実」を知って絶望するんだよね。
でも人生が暇つぶしなら楽しまなきゃ損だよね今はそう思う
0:50 いや帽子無し魔理沙はいるだけで意味はあります
無条件の存在肯定ッ・・・!魔理沙はきっと滅ぶことはないでしょう。
まあニヒリズムを克服するうえで重要なのは、自分に正直になることなんじゃないかなって思ってます。正しいことを自分で決定するためにまず自分が何かを決定する、っていうのはただの自己洗脳ですからね。いつかガタがきますし、自分で決めただけに引くに引けなくなるっていう状態からやばい思想が誕生しがちです。好きなら好きのままでいいし、嫌いなら嫌いのままでいいし、「好きだけどそのために配信見たりFA描いたりするのが辛くなってきた」みたいな矛盾した感情も、それはそう言うもんだって正直に受け入れることが一番楽で楽しい生き方だと思います。
ニーチェが発狂死してるあたり実際ガタがきたんじゃないかと思いますよね。しかしまず自分が正しいと思うものを決定してみるのは重要だと思うんですよね。その時にその正しさを妄信しなければいいというか、自分を自分の神にしてしまわなければいいのではないかと。
VTuberさんを見たりゆっくり解説を見たりするのも、その人にとって楽しく、そして見るのが正しいものですからねー。個人的にはその要素に加えて固執しない、軽やかさを押したい。サンクコストって言葉がありますが、ここから自由になれるとかなり人生楽になる気がします(できるとは言ってない)
動画UPお疲れ様です。私が思うにニヒリズムの克服は自らの信念が幾度と無く裏切られ続けてもそれを覚悟の上で自らの道を歩む事が決断出来る人間のみが出来る行為だと考えます。ですがそれだとあまりにも現実味が無いとも感じるので、僅かでも良いので抽象的な恐怖感を内在している自分や精神的に不安定な自分を嘘でも良いので肯定的に信じてみる。(こんな自分でも良いんだ的な)事がニヒリズムの克服への第一歩となれば良いのかな?と考えています。長文失礼しました。毎度素晴らしく勉強になる動画を発信して頂きありがとうございます。
前半に関してはまさに、超人、ですね。自分を肯定してあげられる精神はとても大事だと思います。私とかそれで成り立ってるフシありますし・・・こちらこそ見ていただきありがとうございます!
なんで進化の過程でこの決断に対する耐性ができなかったんだろう。あと、人は決断する時、何かを信じているんだな。。。あんまり考えたことなかった。
何かを決断するってことを本気で突き詰めてくとけっこう宗教っぽくなるんですよね・・・。理屈じゃ説明できない飛躍や前提があって、しかもそれが割と万人に共通していたりして(道徳とか)、人によってはそれを内なる神とか名づけてもおかしくはなかったり。進化で決断に対する耐性・・・おもしろい着眼点ですね。決断ってある意味「いつもと違うことをする」ってことなので、生存戦略的にはホイホイとやるわけにいかない、って視点で説明はできそうですが、他にもいろいろ切り口はありそうです。
過信と鵜呑みは禁物!って考えてここ2年くらい生きてたら、ニヒリズムに陥った気がする。自分の考えにも過信しないようにし始めると、自分に常に裏切られている感じがするからよくないのかなあ。
ペルソナ3~5がまさにその問題に切り込んでるよね。
自分で定期的に、ニュースや人間関係等について考えたことを、ノートにメモするのが良いと思う。そしてそれをたまに見返す。社会にはニヒリズムの要素が要る。しかし本格的にニヒリズムに陥った人間は辛いだろう。それを避けるためには、とにかく何かについて、考え続けるしかない。さらに、「自分は考え続けている」と自覚するしかない。だからノートに自分の思考を記し、見返す。
ノートに記す、いいですねー。私はその辺をけっこう人と話すことで補ってるように思います。動画のネタとかもその辺から拝借することが多くて、あーだこーだ議論することでほどよく距離を取っている感じです。
克服しようと生きることが自分にとってニヒリズム脱却の答えだと思ってます。
かつて私は"自分"を信じていた。自分が何をやっても正しいと思っていた。だから自分の行動を疑うことすらなかった。しかし、そうではないと思った。あの日から私は、過去の正しかった自分に囚われている。かつて天才であり超人であった私は、まだ超人であると信じている。
自分は救えない。救いたかった自分を投影した誰かを救うしかない気がする。
それが案外押し付けに繋がる。うちの母親がそうだから。「自分ができなかったことを子供ができるようにしてやりたい」という考えは危ない。親子でやりたいこと重視してることが突き詰めた目的が違ったりする。だから子供が真剣にならないからと言って八つ当たりする。趣味が楽しいのに本気でさせようとしたり。
ちょうど自分が今こうなってるかもってタイミングでオススメに表示されて視聴しました。そしてコメント打つ前にコメント欄で「みんなはどんなこと書いてるのかな?」なんて思ってチラ見し始めたあたり、自分なりの指標を持てていないんだなぁと改めて自覚できました。
動画のサムネに飛びついて開いて「私はね、私はね、こう思うんだよ!!」ってバーッって書いてそれから動画観たり他のコメント読んだりして修正してる
気づけました!ありがとうございます!
うぽつです
なかなか興味深い話だった、自分も精神的により良い状態を求めて、自分なりの答えを見つけたいものだ
ニーチェ先生がニヒリズムを克服した人を「超人」と呼んで常人と区別したのは19世紀後半の話で、それより数百年前に生きた親鸞さんは「生身の人間が生きてる間に悟りなんて開けるわけがないだろう」と言って、「超人」は「煩悩具足の凡夫」と対比される。日本人だったら、この対比はすんなりと入りやすいかもしれません。現実世界に生きる我々は生きとし生けるもの皆等しく「凡夫」であって、自らや他者の生命体の死を屁とも思わない限り「超人」にはなれない。そのようにも思います。また「凡夫」の心がなければ、思想や文学や芸術といったものは生まれないでしょう。人生を生きる我々にとっての唯一確実な未来が「いつかは必ず死ぬこと」であって、凡夫である我々はニヒリズムを克服すとことはできません。しかしニヒリズムと闘うか抵抗することはできます。その闘争や抵抗の過程で様々な価値や意味が生まれます。「創造的ニヒリズム」というのは、たぶんそういうことを含意しているのだと思います。それを見返りに関係なく実行できるのがニーチェ先生の『ツァラトゥストラ』にあった「赤子」の精神、そういうことではないかと思います。しかし、この闘争をヒトラーの『我が闘争』と混同してしまうとホロコーストにもつながりかねません。いっぽう「抵抗」と言えば、ナチス支配下のフランスにおけるレジスタンスの活動を想起することもできるでしょう。この「闘争」や「抵抗」についてさらに付言すれば、現代の日本人にとって身に覚えのある事件で言えば、1990年代の地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇少年のような危うさを孕んでいることにも留意しておかなければなりません。何やらウダウダとコメントしましたが、現代人の庶民の思考や素行に一石を投じるような動画をありがとうございました。
鬱の克服とニヒリズムの克服は少し似て居ました、自分の存在意義を自分で決定する思考力だったり、意味の無い物の存在意義を決定出来る知覚性だったり。啓蒙が身近に無い人が増えたからなのか、思慮の弱い人達が多く見えるので、本来はこういった哲学的な境地を乗り越えて人は成長してきたんじゃないかと考えています。
万人はニヒリズムを克服出来ないにしろ、克服する努力は必要だと思う。自ら自分の正しさを手放してしまうと自分が暴徒になったり、不幸の手紙に関与したりしても気づくことが出来なくなってしまうだろうから。
克服しない=何かに左右され続ける人生になっちゃいますもんね・・・悪意に左右されないように、そして自分に関わる何かのために、ある程度の自分は確保しておきたいものです。
ニーチェの理想的な超人は、昨日の自分より今日の自分のほうが良質だ、を”死ぬまで”繰り返せる人って言うじゃないですか。無理だろ。
うーん、こういうニヒリズムに陥りそうな時はねぇ、かわいい少女が気合で目の前の不幸や悪を薙ぎ払うアニメを見たりやゲームをやると、少しだけ前向きになれるんじゃないかな?意外と、人生の大事な全てのものが詰まっているのかもしれません。
プリキュアとか最高
よつばととかもいい気がします笑
「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の同時上映を見てきて情緒がぐちゃぐちゃになれば一周回って前向きになるかもしれん。
@@user-qi6bl4gm2n 考えすぎてニヒリズムに染まるぐらいなら、敢えて考えず心から笑えるものを見たほうが逆に頭によさそうですね。「考えるな、感じるんだ」
自分で決めようが他人に委ねようが、どちらにせよ生まれ持った遺伝子と経験によって答えが出るのでるのだから、特に考える必要はない。それが自分にとっての絶対的な指針であり、それもまた、自分の遺伝子と経験によって導かれた答えである。要はなるようにしかならないということですね。
プチニヒリズムからの脱出法恋愛、かなぁ⁉️(笑)お花畑VS荒野、だと花畑脳でタラッタラッターの方が楽だしーあと、天の岩戸の話ってプチウツ、プチニヒルからの脱出法って思う(全部の針をポジティブに振る 笑)
人生にはトラブルが付き物例えるなら公衆便所でトイレットペーパーが無くなってしまうものそうなったら、この言葉を思い出してほしい紙 は 芯 だ !
あ、超人だ
人間の脳は一万年前からあまり変わっていないといわれていて結局のところそれは社会的動物であることその社会構造であることに原因があると思います。代表例としては赤子を持った母親の鬱症状、これは脳内物質の分泌を観れば傾向はあきらかで人間としての特質とされています、不安になり周りに頼りたくなる、自分の子孫を残すことに生物は基本的に特化していますのでこの赤子を持ってることで不安になる周りに頼りたくなるということは社会への帰属が本能であると仮定できます(支配と帰属をおそらくは勘違いしているんだろうけれど)日常生活に目を向けると価値観の総意と価値観の多様性に関して繋がるコミュニティがとにかく大きくなった現代では同じ地形同じ天気を共有するときとちがった相手への理解が必要になります、つまり理解できないこともあるのだ共有する空間が乏しいのだという理解です。価値観に頼るとなると古来のもの、とくにいなかだと東京はこわいところでもあるという「同じ国同じ言葉である前提」ですらもわけのわからん価値観へ依存することで自分たちのコミュニティを肯定するような空気がまだあります、自分たち以外、という価値です。これは“自分たち”というものに価値を大きくおいていますが多様性へ排他的です、そのことに気づけるかどうか自分をもてるかどうかだと思いますつまりは帰属に関して臆病です価値観に「正しい」を入れるとなるとややこしくなります。正しいは感じることであるため(議論をやればわかるが最後まで反論はあるものです)これを「価値観の共有」にすることは不可能だと知るのとと全く反対の意見にも理論を実感する機会に乏しいと思いますつまり社会への同化を支配とするならば帰属を実感できないんでしょう
自分ってなんだろうって考えたら1でした。体感としては神を決めているではなく「信仰している、その結果対象が自分の中の神のようになってしまう。」となり信仰が大前提に来ている感じです。また、動画で1の人は「自分を導いてくれる人を探している」とありましたが、こちらも「基本的に自分の意思による意思決定だが、自分の考えを根底から覆された時は何があってもその対象を意見を優先する」であるため1と3のミックスなのかも知れません。うまく言えないのですが、語弊ありまくりでいろんなところを省きますと「私は人をコロすことはいけないことだと思う。だが貴方が望むなら何人でもどんな人でもコロそう」となります。「私は人を嫌ってはいけないと思う、何故なら嫌うということ自体がその人に勝手に期待して勝手に責任を負わせているからだ。人に期待なんてしてはいけない。人間は裏切る生き物だ。信用してはいけない。私は人は裏切る生き物であると信頼し、信用しているのだ。」という前提があります。そのため、「これらの「「自分の常識」」が根底から覆された時又は否定された時」自分の思考が信用できなくなり結果として「神のように信仰している対象」の意見を全て鵜呑みにして言動にうつします。そこに愛情とか友情とかそういう類の感情を抱いていません。貴方がいうならそうなんだろう。貴方がそう思うならそうなんだろう。私は貴方の全てを肯定する。なので完全なる信仰です。稀に信仰対象が自分の思想や思考と正反対のことをした場合そこにひび割れのようなものができます。その時に信仰対象でなくなるか自分の思想を否定するかは人によりますが、今のところ自分の思想を否定するに至ってます。難点と言えば良いかわかりませんが、相手や周りから恋愛感情と誤認されることが多いです。そして信仰対象からそのような感情を向けられたりして困ったりもします。
別話になりまずか、Fateシリーズはかなり好きであの作者が描く言葉の温度というか情景の表し方が好きすぎてアーチャーの話が出た時とても嬉しかったです。アニメでもアーチャーの葛藤が垣間見得て本当に面白いので全人類見てほしい………
楽しいことだけで生きていければ克服しなくても良いんですけどね・・・。とりあえず他者には無害な無気力タイプですが、ニーチェが言う3番目の人は輝いて見える。するっと1番目に誘導されずに頑張ってほしい。2番めはどうすりゃいいんだ・・・。他に染まりたいわけでもないし、かと言ってこのままでもなぁ。だから3番目は超人だよホント。何も思わずに1に浸れてる人は楽でいいなー。
「生まれてこない方が相対的に幸せだったのではないか」と思ってる生きている意味がわからなくて、「生きている事に意味なんてない」って言われて、なんで意味もなく苦しまなければいけないの?って
意味はないかも知れんが、意義はあるんじゃね?
個人的にはその苦しみにさえ(客観的には)意味がないと思う
「苦しまなければいけない」わけではない偶然苦しい状況になっているだけ生きる意味も存在しない生むという行為は無責任であるだからといって生まれた私達がより良く素晴らしく生きねばならぬ責任も無い。しかも権利の実在も怪しい。生まれさせられたからには好き勝手してやるというスタンス
話を飛躍しすぎた極論になってしまうのかもしれないですが、私の意見ではむしろニヒリズムは克服すべきでないです。というより克服すべきだと考えるべきではないように思います。というのも仮に万人が超人であること求めるとしたら(ニーチェのように)、きっと世の中が生きづらくなると思います。ある人の行動それによって引き起こされた結果の全ての責任がその当人にしか存在しないならばもちろん自分が失敗した際などにはひどい失望感を抱くと思います、また世の中に対して許せないことが大量に生まれる気がします。ほとんど妄想の域ですが、例えば犯罪における情状酌量、自分がニヒリズムを克服しようとしてるのに克服しようとしない人等が許せないというより見ていて心をよりすり減らすようなるかもしれません。(あくまでニヒリズムが十中八九克服できないことと私が考えていることに基づいています、仮に真の超人なら他人の言動に左右されないですから)なので私はニヒリズムは克服するというよりも少し意識しながら生きていけば良いと思います。他人に意見を求めること自体は全く悪いことではありませんがそればかりになってしまうと個人の場合だけならまだしも政治に関わる場ではかなり危険ですので、全体の行動を決定するときなどは真剣に考えてみる。ぐらいの気持ちで生きていけばいいというのが私の意見です。
あと個人的な意見でフェミニズムとマスキュリズム、少年法についていつか解説していだだきたいです。(欲望丸出し)
やっぱり自分自身を含めて何かを信じ過ぎるのが一番害悪だと思う。どの道を選ぼうとも、間違い、失敗、不幸は行く先に当然ある物として、それを受け入れて学び自身の糧とする事が大切だと思う人が成長するとしたらそれは釘を踏んだ時。痛みにのたうち回りながら足下に注意する事を覚える
中庸ってやつでしょうか・・・?釘は踏みたくないなあ、できればとがった石くらいで(そういう意味じゃない
残酷だろうがなんだろうがそれが世界なんだから、ありのままを受け入れろよ。ってことかな?救いがないこと、正解や完璧がないことを、受け入れなきゃいけないのはきついなぁ。
受け入れつつ挑めって言ってますからさらに難易度上がる気がします苦笑
@@user-qi6bl4gm2n受け入れつつ斜に構えて流す
太陽の光浴びてる間はポジティブになるけど夜中とかはすごい鬱っぽくなってしまうからもう太陽を崇めることにした
狂い火信仰します?手伝いますよ
太陽神ラー、天照大神…全然アリだと思います☀
太陽が消滅したら8分19秒でニヒリズムになるだろう
これが太陽神の宗教のはじまりであることを我々はまだ知らなかった
宗教始まってて草
「正しいことを自分で決めて行動する」これが変わっていって「人間には自分の人生を切り拓く力がある。それをしないやつらは敗者だ」とでも言わんばかりの空気をひしひしと感じる今日この頃。つまるところ、信仰の対象が神から人間の力に変わっただけなのではないかとぼんやり想像する。
確かに。全体の一握りの成功者を基準に「人間の可能性」を信仰してるから、「人間頑張れば何でもできる!」みたいな努力至上主義とか「不幸なのは頑張らない奴が悪い」って断定する歪んだ自己責任論が蔓延してるよねぇ
前世の業やら魔女狩りやら一見廃れてもどのようにも信仰と邪道を生み出されるのだなと
ぼんやり、ではなく事実だぞ
ニーチェは「神は死んだ」と言ったが、これに続くのは「次は物質(人)の時代だ」だからな
最初は苦しんで苦しんで答えを出した賢い人がそう言ったんだよ。
でもそれが真理のように思える話であったがゆえに、普通の人ひいては賢いとは言えない人にまで広まった。
賢い人は他人を見下さなくてもうまく生きていけるだけの要領があったけど、それ以外の人はそうではなかった。誰かが下にいないと安心できない人にまで広まってしまったから、オワコンになった。
日本は国民全体で生存者バイアスが蔓延してるからね…
結局これを解決したのは死ぬほどの渇きだったなぁ。自分の本能に一旦身を任せて退屈に身を陥らせる。何かがしたくなって習慣を始めて、筋トレと散歩が続くようになって漸く考えられる。精神的に不調な時期に考えることじゃなかったな。
素晴らしい
習慣なんて1ヶ月も続いたことないんですけどどうしたら続くんですか?大学生だから死ぬほど退屈なのに自分は何もできていません
@@urc7761 一番のコツは、「自分が全く負担に思わないレベルを毎日同じ時間に保ち続けること」だね。例えば筋トレだったら腕立て一回、腹筋一回、家の周りを軽く散歩することから始める。人間いきなりは変わらないものだ。でも続けていけば段々慣性が乗ってそれをやらないことが逆に気持ち悪くなってくる。
決して無理せず、瞬きをするのと同じくらいの負荷から始めるのが大事だね。
支配する側の人間からすれば、むしろ人のせいにしない人間のほうが御しやすいんですよね。
支配側が負うべき責任や、環境面などの外的要因に不満を言わず
人のせいにしちゃイカン、自分が成長すればいいんだって(無理にでも)自分を鍛え適応する、という方向で対応してくれるので。
会社では……早いとこでは幼少期から、そういうメンタリティ叩き込まれた人も少なくないのでは?
ニヒリズムとか見てると、動物こそが人間が目指すべき超人じゃないかって思えてくる
猫を崇めよw😸
いや、猫とか動物はニヒリズムを克服してない
受動的ニヒリズムでもなければ能動的ニヒリズムでもないから、能動的ニヒリズムになれてない時点で超人では無い
「事実はない、あるのは解釈だけだ」からもわかる通り、正しいかどうかは置いておいて、解釈として動物は理性をあまり持たないという風に思うから、今の時点で「動物に理性は無い」と解釈してるので超人ではない。と言えますね
超人はニヒリズムを通過しても、なお自らの生きる意志を持ち続けられる存在なので、、ニヒリズムを認識していない人とできない全ての動物は超人になりえないと思います
@@havefunmusic1139いや、そもそも動物はニヒリズムに陥ること(指針や指標をうしなうこと)がない。逆に言えば自分という指針しか持たないよね。
動物が理性を持つかどうかは置いておいて人間はその理性に苦しめられていない??俺から言わせれば理性がニヒリズムの根源そのもの。元々理性がない動物こそ超人そのもの
超人思想って一見難しく見えますが、仏陀の悟りとかエピクテトスやアドラーの課題の分離を踏まえれば、案外理解しやすい部類ですよね。
私の場合は「ツァラトストラはかく語りき」を読んで”喉奥を蛇にかまれるプレイ”が最高に性癖に刺さったせいで変態になりましたけどね。
しばらく絶望感に苛まれて起き上がることすらできない日々が続いてたんだけど、最近はニヒリズムが一周回って「絶望感や苦痛にすら意味がない」と気づいてから良いことも悪いことも同様に(客観的かつ実存というスケールにおいては)意味がなく、この世界の中で確かなことは自分の存在と思考それ自体しかない、と考えるようになった。それでも、喜びを覚える瞬間は間違いなくあって、それもまた無意味だけど価値はあるのだと思う。自分は意味と価値を区別していて、価値を大切に日々暮らしていくことこそが、ニヒリズム的な善い生き方なのではないかと思ってる。だからこのスタンスで生きていく上で目指すべき在り方は、平穏をベースにワクワクする方へ進んでいくことただそれだけ。そしていつか風に吹かれて飛ばされる落ち葉のように亡くなる。常にどこか遠い所を視界の端に捉えながらも目の前の素敵なものに寄り添い続ける在り方。
ニヒリズムを抱えている皆さん、皆さんの生き方の指針を知りたいです。教えてください!
「努力」すらも一つの神であることに注意しなければならないね。
一見正しく見えるけど、それに裏切られることも多くある。この時に、正しいけど今回はうまくいかなかった、ならいいけど、諦めるに至ると同じだよねと
努力が必ず報われるように感じるのは、努力の量・密・度時間に上限が指定されていないから
10歳位からニヒリズムに陥ってしまい、絶対的な指標をずっと欲しがっていました。
最近は「ただあるだけ」という考え方をし始めました。「生きることも死ぬことも世の中の物事は状態としてただ存在するだけでそこに意味を求めなくていい」と考えるようになって少し楽になりました。
色々な情報から影響を受けてるのでこの考え方の元ネタが何かはわかりません。
私も同意見です。また、意味は見出すものと考えています。自分が納得できれば、こじつけだって全然良いと。
意味を求めず、ただあるだけの人生なのに、それにしては人生ってしんどすぎませんか?私も割り切りたい...。
仏教的だな(´•⌔•`)ありのままに見る事を理想としてソコに意味とか感情を求めると認知が歪むからその認知の歪みを取り去る訓練をしようぜっていう
方法論でいくなら、ボランティアなり、バザーなりに参加してみるってのは手や。人間って不思議なもんで辛いときに、誰かの為になにかすると気が楽になったりするもんらしいで。「自分はこの人の役にたってる、施してやってる。」って感覚が肝なそうな。
@@user-ml5rb4jp6w ボランティアに近いかもしれんが、過疎ってる配信者の切り抜き動画を作ってる。確かに心理的に楽になる。でも、この行為が本当に良いものなのかどうか、独りよがりでないだろうかと考えてしまう...。
ニヒリズムは学習性無力感とも言えるかな?
何度も失敗を繰り返したことで、どうせ失敗する、やっても無駄って考えてしまってなにもしなくなってしまう。
ネットでの情報飽和もニヒリズムを加速させてる気がする
それはあるかもしれないですね。いろんな反対意見も多いし、特定の思想に偏りやすいし・・・
Twitterの論争とか見てるとそうなる気持ちはとてもよく・・・
「ニヒリズムを克服できた人」を指して『超人』と呼ぶのも納得の内容でした。
こりゃ並大抵の人間にはできねぇ…(頭痛)
ニーチェ自身も後年、
「生の彼岸を体験しないと俺の言ってることなんざ理解できねぇよm9(^Д^)プギャー」(表現がひどく誇張されています)
みたいなことを書き記してたみたいです。
まあ難易度ルナティックなところありますよね。
クリアしたとしても、「クリアしたと思っていたのか?」って裏ボス出てきますし(自分がラスボスパターン
「ニヒリズムを克服」でふと思いだしたのですが、
amazarashiというバンドのテーマは確か「アンチニヒリズム」だった覚えがあります。
影響を受けたという太宰治や宮沢賢治のような文章の歌詞でニヒリズム的な歌を歌い、歌のラストでそのニヒリズムそのものを否定する、という構図を取るのがとても印象的だったのを覚えています。
「ジュブナイル」という曲がその特徴をかなり含んでいると思いますので、興味が湧いた方は聞いてみると良いかもしれません。
文豪気質なので、ロックバンドというよりは、口ずさめる文学と言った感じですが、はまる人はハマるかもしれません。
@@watchingyoubigbrother9765 amazarashi良いっすよねぇ、あれは弾き語り?と言うんでしょうか?詳しくは知りませんが、あの雰囲気大好物です。
自分の中で宮沢賢治といえば昔は銀河鉄道の夜とかでしたが、今は春と修羅です、あれ大好きです。
昼飯食ってるときに思ったのは、「本当の自分」ほど役立たずはいないなってこと
ご飯食べながらすごいこと思ってますね・・・
「迷う」ことの素晴らしさ 石田衣良
高校の現代文の教科書に載っているエッセイです。このエッセイの中に私のニヒリズムを緩和する突破口がありました。
現代は検索エンジンの発達や社会システムと社会通念の成熟により「無駄のない答え」が一瞬で正確に手軽に手に入ります。このあまりにもスーピーディーに得られる正解は現代人の「迷う」力を損なわせています。現代人は「迷う」ことの楽しさと素晴らしさを知らない人が多いですし、知る機会が少ないし、失敗を「迷う」ことで得られてないので失敗を過剰に恐れる。
あなたに言いたいことは
「迷う」ことを楽しめ!
です。教科書に載っているような短いエッセイで、人には言いづらいことの共感を得られ、迷うこと肯定する考え方で人生楽しめるよ〜ということが書かれてます。このエッセイ中で書かれている仕事と結婚の話はギクっとなるに違いない!
人生寄り道獣道大いに結構、楽しい人生に正解はない!オススメです。
まとまりのない文章で、すまない!
超人という目標自体がいずれ裏切られる新たな依存先になり得るということかぁ。皮肉。
「こういう人いるいるー」って気持ちで見てたけど、最終的に「自分だわ。。。」となって頭抱えました。
今回の動画もたのしかったです。
人間の決定を避けたがる性質を考えると、人を自分の思い通りにしがる人がいると言うのは不思議な話ですよね。決定をする回数が増えると言うのに。これも他人に介入して、自分の人生から目を逸らすという一種のニヒリズムなのかもしれませんね。
「自分のせいじゃない」って弱者にとってはめちゃめちゃ助かる思考ですよね、SNSでその思考の拠り所が簡単に見つかるようになりましたし
俺は悪くねぇ!!!!!!!!
@@user-zo6ny7ik1h いいや全て君が悪いね!
@@user-zo6ny7ik1h 師匠(せんせい)のせいでしたもんねw
その逆は、弱者に自己責任論叩きつけて、社会的・環境的要因への考察や対処を放棄するスタンスかな。
昨今では薬物中毒なんかも、自己責任の問題では片付けられないって論調も出てきているし
だけど恐れている限り弱者は弱者のままだと思う。
友人が軽度のこれに陥っていて、克服しようとしてます。
私には理解できない思考だったのでとても参考になりました。
自分の意見を押し付けず上手く支えていけたらいいなと思います。
「人生に意味はない」っていうのは、「こんなに辛い人生に意味はない」っていうのを省略して言ったものだと思います。そもそも楽しさが辛さを上回っていたら哲学にハマったりしないでしょうから。
哲学楽しいのに・・
まじで分かる
それはどうなんですかね、
いかに楽しかろうと死ねば終わり
生きて築いた価値はいつかは消える
こういうのは今幸せでもニヒリズムに至る原因になると思います
死ぬまでに絵が上手くなりてえなって考える(自身の信じる絶対)
しかし事故で手足を失ったらどうするのか(裏切りによるニヒリズムへの堕落)
口で描けばよくね?or歌でも極めてみようか(ニヒリズムの克服)
って考えてるけどどうなんだろう
宇宙論的ニヒリズム▶好きに生きればええやん
が最強
昨今の話で言えば「親ガチャ」なんて言葉もまさにニヒリズム的よな。貧乏な親の元にに生まれたから、虐待する親の元に生まれたから、犯罪者の子供として生を受けたから、知的障碍者として生まれたから、etc。ニーチェに言わせれば「そんなこといくら言ってもしょうがないし、別にそういうハンディキャップを持ってたとしても成功している人間は探せばそれなりにいる。結局はお前がどうするかだろ、今のお前が貧しいのは、誰かに与えてもらおうとしているお前の精神が貧しいからに他ならない。分相応ではないか。」って正論パンチをかましてくるだろうね。
ただ正論ってぶっちゃけ十中八九「そんなことは分かってるけど、それができないから辛いんじゃないか」ってものだから、はっきり言って意味ないと思うし、そういうのを得意げになって行ってる人もぶっちゃけ頭悪いと思う。あと人間って病んだ時に出てくる発想って正直ろくでもないモノが大半だから、ニーチェさんのこの論も自分はあんまあてにしてない。
極端な話、別にカルトにはまってもいいと思うよ。そんな辛いんだったら。だってその人にとっては世間は自分を助けたり守ってくれないんだから、だったらたとえ幻であっても守ってくれると思わせてくれるような組織なりに傾倒する方がまだましだと思うし。
実際、こと不安やら鬱の解決に関して言えば宗教に勝てるモノはないと思うよ。だって有史以前からその手の事に足ししてずっと向き合ってきたものだし、科学とは年季が違うよ。科学と能力主義はほぼセットだと思うけど、実際の社会は無能と呼ばれてしまうような人々や、異常者として排除されてしまうような人々と一緒に暮らしていかなきゃいけない訳だから、その点で言えば宗教の方が能力主義より現実が見えてると言えなくもない。飲酒運転をしてひき逃げを起こす人や、女性をストーカーした上に殺して、挙句放火してしまうような人間は極端にしても、平気で遅刻したり、失敗を隠そうとして余計に周りに迷惑をかけるような人間とワイ等は一緒の社会に生きていくしかないんや。そういうろくでもない人間を蔑んで、自分とは違って生きる価値の無い人間だって差別して、居ないものとして扱おうとしたって意味無いし、無理なんだから上手い事自分を慰めてあげられる考え方を見つけるしかない。そんで、そういうことが出来るのは科学じゃなくて宗教だと思うよ。
宇宙の規模を考えると人間一人なんてゴミも同然っていうのと、思考はただの電気信号のパターンに過ぎないっていう認識を確立してから、逆に人生楽しく過ごせるようになった
何しようとこの世界に影響なんてほほない、何考えようとそれは脳の演算結果に過ぎない!好きに生きてしまえ!って
テロリズムに対して的外れだとキッパリ言っていてスカッとして嬉しかったです。
この動画に出会うまで能動的ニヒリズムという概念と名称を知りませんでした。
ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んだことがあるのですが、当時の自分にとってはとても難解でした。
この動画でニーチェの哲学について分かり易く解説されていて、大変参考になりました。
また、自分の考えていることがうまく言語化できなかったのですが、その点も、うまく言語化されていて、感服しました!
ありがとうございます!
ニーチェのツァラトゥストラは、私的には叱咤激励の書だと感じています。
ニヒリズムのような毒のあること、現実世界の中の真実をしっかり言っていますが、(彼は現実存在主義者だったわけだし)しかしながら薬になることも言ってくれている。
むしろ現実存在主義者である彼が言ってくれるのだから、絶望に絶望を重ね究極の絶望にたどり着いた人達、神などの存在しないもの(形而上学的存在)にすがることも出来なくなった人達にとっては、実際聖典のような書になると思います。
(これより下、余談なので注意)
自分はニーチェのツァラトゥストラも好きですが、ショーペンハウエルの幸福についてやウィトゲンシュタインの論考も同じくらい好きです、特にウィトゲンシュタインの論考にある、「幸福に生きよ!」が大好物です(笑)。
ツァラ(以下略)を読んだことがあって、こっちを読んだことが無ければ是非読んでほしいです。
@@user-pj6fs3rh4v 様 ありがとうございます。時間のある時に読んでみようかと思います。
自分の中で黒歴史、辛かった思い出だった中学時代の自分の状態が言語化されたというか、名前がついたような気がします。この動画を投稿していただきありがとうございます。過去の自分にも勧めてあげたいです。
ニヒリズムに関する解説、とても興味深くて私の思想・価値観に影響を与えてくれて素晴らしいものでした。私的には、現代的なニヒリズム→この世のものは全て無価値だ。→確かに価値基準という概念は勝手に人間が作ったもので、ある意味ではこの世には本来、意味や価値というものは無い。→それだと人間的に都合が悪い概念だな。なので生きていく上で「幸福量」を増やすことを目標にして生きていく幸福主義的な生き方をしよう。という結論に至りました。鬱や無気力を克服するためのヒントや、生き方のヒントになりました。素晴らしい動画ありがとうございました。これからも頑張ってください♪♪♪
初めて見ましたが、めっちゃ面白かったです!
動画内で紹介されていたやつ以外に参考文献があれば知りたいです
ニヒリズムの克服のためにニーチェの生き方への姿勢を読み進めるのも、結局は他人の思想に縋っていて、それを正しいと思い込むことに繋がる。この世界で何が正しくて何が間違っているのかなんて分からない。結局は誰かの思想を鵜呑みにしたり、正しいと信じ込んでいるだけかもしれない。自分らしさや正しいと思えることを見つけるのって難しい。
ネット以上に分かりにくいフィルターバブルを作り出す自身の傾向と導かれる環境。
いつの間にか嵌まりこむもので、文化そのものからショックを与える人間との接触でもないとその存在にすら気付けない。
「自分にとって正しいことをする」って、義務感からの行動に陥りやすいと思う。○○するべきだ!って常に思いながら行動してたら、夏目漱石の「こころ」で「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言ったKみたく他人に厳しくなって、自分が決めた指針から自分が外れてしまった瞬間に自分のことも許せなくなって自己矛盾に苦しんでいく
だから、「こうしなきゃ」よりも「こうしたい」から行動する方がニヒリズムから脱却できるのではないかと思う
全てが無意味に思えてもやりたいって思えたことはやれる気がするしそういう部分が自分のコアの部分なのかなーと思う
生きていく中で自分の考え方はどんどん変わっていくし新しい発見も沢山あるし常に自分の中で同じ信念を持って生きねばならないわけじゃ決してない
宮沢賢治の「永遠の未完成 これ完成である」という言葉がまさにそれを言ってると思う
それな
万物を人間にとって意味づけるのは結局感情のみ。
ニヒリズムで起こる虚無感さえも意味はないし虚無感自体も虚無だよなって思ったら虚無感が問題に成らなくなってニヒリズム克服したった
何も意味なんてないんだから痛みや悲しみさえ自分で勝手に意味を決めてしまえばいい
当初の目的を果たそうと頑張れば頑張るほど、どんどんと沼にはまっていくの面白いですね()
自分の考え方とかって、結局色んな情報をまとめたものだよね
それなんですよねー・・・。
本当の自分なんてホントにあるのかとかいう哲学難問に片足突っ込む話ですが、デカルトェ…。
情報のまとめ方は「個性」であり「自分」だと思うけどね
@@user-ow3ob8sr1c そのまとめ方とかも情報といえば情報ではない?でも自分が学習する情報ってめちゃくちゃ膨大だから考え方とか結論の出し方とか、人と完全に被ることは絶対ないのでそれを個性と呼ぶなら個性だと思う。
@@popo-fw2ko
逆に「情報ではない」っていうのは何を指すの?
学習って基本、(自他問わず)持ってる情報の継承だと思うけど
その中で情報じゃないとなると、論理性のない本能的な反射とかになるように感じる
@@user-ow3ob8sr1c ごめん、、“情報ではない?”ってのは“情報じゃない?”ってことで、“そのまとめ方とかも情報といえば情報と言えるのでは?”という事が言いたかったんだよね。。日本語の伝え方の問題だね。喋り口調で文を書いてしまったわ。
ニーチェ「うだうだ言わず、自分で決定しろ。それから…」
ニヒリズムワイ「天才哲学者様が…ッそれができれば苦労はしねェ‼︎!」
洗脳が解けて、目が醒めて、何にも囚われずに済み、やっと手に入れた自己決定権
好きに生きて好きに死んで良いって事なのに、なぜのその素晴らしさが解らないんだろう。
新しい洗脳を欲しているのが謎過ぎる。
@@shoujimiyagi6461
そのように断言する君は、果たして本当に自分の意思で全てを自由に決定できていると思っているのか?
否、この世で、何かに洗脳されていない人間というのは存在しない。
人間は誰しも、何かに洗脳されている。
@@user-ts4ei3ve2mだからその洗脳先を自分で選んでいいって言ってんのに、なんで誰かに決めてもらいたがるんだって話だろう
煮詰まって発狂した人には言われたくなさすぎる格言
@@I-am-a-tired-fairy
いやその「洗脳先を決める」段階でもある意味既に洗脳されているのと同じ
環境要因と遺伝要因とが影響して意思が形成され、その意思から行動が生まれてそこから環境要因が生まれ…とループするから。
何かの話で聞いたけど、とある部族の人に「あなたの夢は何ですか?」と聞いたら「狩りの達人」になりたいと言って、富豪になる事には興味を示さなかったそうな。
生きていくのは結局つらいことの連続なんだから、せめて今生きている瞬間は楽に生きましょうという大雑把に纏めてしまったけれどこれが仏教の大本で、般若心経とかもニヒリズムみたいなところがありますよね。最近は自分自身の存在を含めて全てが無価値なことに逆に救われる感じもあります。意味のある人生、有意義のある生き方、そんな風に羨ましがられなくても生きていけるのだからと
仏教の本質は逆だけどな
この世界はクソで無意味だからもう諦めて次に期待しましょうね〜、だから。
ニーチェも「東洋思想は諦観だからダメ」って言ってる
自分が生きやすい塩梅を見つけるのが大事だよな。あと、依存もニヒリズムも客観的に分かった上でうまく使えると良いけど、完全コントロールなんて無理だから、30%なのか60%なのか長いスパンで見て許容内に収まってたら合格だと思ってる。
災害や政治的に自分が関われない問題はその発生や影響自体はコントロールできないけど、自分がどう反応するかはコントロールできるからね。ようは避けられないことを運が悪かったと運命を呪うか、その場に居合わせることになった要因を呪うか、自分が巻き込まれたことをそのまま受け入れ対処するかで違ってくる。こうこうこういう行動をすれば回避できるとか、それが起きたからじゃあ次はどうするかを考えられれば、仮に自分が何かに巻き込まれても、自分の判断と行動を自分の責任で持って行動でき、今すべきことをその場で判断するってことなんだと思う。
だから自分は%って話ではなく、常に自分の事は自分でコントロールできるっていう気づきだと思ってますね。
親とか宗教とかそういうもんの前の、もっと原初的な拠り所が「本能」なのかもしれない
寝たいから寝る、食べたいから食べる
人間社会では欲望のまま生きることができなくなったから代わりの指針を求めてるのかも
動画を早く見に行くより、ちょっと待ってから動画を見た方がコメ欄とか参考になるしおもろいな
物によっては1000超えのコメント来るからね
みんなすごく考えてコメントしてくださるので私も見てて超楽しいです。
返すのは死にそうになりますが(苦ではないんですけど時間的にね)
自分や他人がどういう人間なのか、過去に体験したことや目の前で起こった事、良いモノでも悪いモノでもそういうものだと受け入れる、
そうした上で自分なりに作り上げた基準に沿って最良の道を選ぶ事。 解説を見て能動的ニヒリズムはこういう事じゃないかと思いました。(結論を言い換えただけとも言う)
そんな感じだと思いますが、まあ私もしっかり読み込めてるか怪しい部分もあるんですよねー。もう一度丁寧に読む必要性は感じてます
結局は受動的ニヒリズムも正しいと思うならばそれが正解なのかもしれないですね。全てに絶望して腐っていくのも1つの選択。それぞれのニヒリズムが受動的か能動的かは人生に対する開き直りがネガティブかポジティブかの違いだと思います。「どうせ無価値だ。何もしなくていい」なのか、「どうせ無価値だ、だからこそ好き勝手に生きてみよう」なのか。
超人というのは上手い言い回しだよな。人の延長線上にある存在だけど、人のままだと絶対に辿り着けない境地だと思う
人を超えるからこその、ですもんね。ある意味それを神と呼ぶのかもしれない。
「いいことを教えてやろうか、ユリアン」
「何です?」
「この世で一番、強い台詞さ。どんな正論も雄弁も、この一言にはかなわない」
「無料で教えていただけるんでしたら」
「うん、それもいい台詞だな。だが、こいつにはかなわない。つまりな、それがどうした、というんだ」
銀英伝ナツカシス
貧しい人を助けたくて役所の生活保護科で働き始めたけど、させられる仕事は生活保護に適わない人を選別する事…って話はリアルで聞いた事ある
生活保護を受けさせない仕事ですものねえ・・・
本当に求めてる人に届かないって言うのは被災でも戦争でもよく聞きますね。
ニヒリズムの「何かにすがる」考え方は人間の本能に埋め込まれているものだったりするんだろうなぁ
この動画ほんとに確信ついててすごいわ
今回もとてもわかりやすく、面白く見せて頂きました。ありがとうございます。
絶対的かそれに近いレベルで何かを信じようとするから、ニヒリズムのスパイラルに迷い込んでいくということでしょうか。そうだとすると絶対的なものはなく可能性の大小だけがあるという考え方が良さそうに思いますが、期待を持ち過ぎないようにする必要もありそうです。冷めた感じの人生観になりそうな上に超人にも向かっていない気がしますが。うーん。
そう言っていただけると苦労したかいがありました。今回のめっちゃしんどかった・・・!
断定せず可能性で判断できるのって大事ですよね。特にリスク評価とかは難しいですが、それができるだけでだいぶ変わる気がします。
でもおっしゃる通り冷めたというか、結局ニヒリズムじゃんそれ、みたいになりそうですが、それはそれ、ということで・・・
自分は側から見たらキャリア重視の活動的な人生に見えそうな生き方をしてるんだけど、
ある時自分の信じてたもの(自分は優秀である、一直線の競争を追えば良い等)が崩れて以来、
心の底では将来どうなっても良いと思って生きてる面があって、
それが芯のなさみたいな物に繋がってるなぁと気付かされた。
今まさにこれ、絶対的で万能だと思い込んでた自分に裏切られた
どうしよっかなぁこれから
ニヒリズムの問題点が自他に絶対の正解を求めることにあるのならば、
とりあえずその時点で出た正解に「〜じゃない?知らんけど。」と付け足しておけば思考の猶予・アソビができて、人が勝手にでっち上げた絶対視に依存したり絶望することは無くなるんじゃない?
知らんけど。
わぁ…耳が痛い
普段食べるものや買うもの、着る服、自分の生活スタイルなど、ネットの口コミや周りの人の意見を鵜呑みにして何も考えず決めていることが多いです...
結果的に周りの意見と同じになるとしても、きちんと自分で考えることが大事なのですよね...意識します
なんか、この思想って「自分という存在は自分ひとりで完結していること」がそもそもの前提になってる気がする。じゃなきゃ自分の外側にあるものにすがるな!みたいなこと言わないだろうし。
でも人間って他者とかかわらなきゃ生きていけないし、自分という存在が何なのかを認識するためには他との比較が必要不可欠なわけで、自分という存在が自分ひとりで表しきれるとは思えないので、少なくとも生きているうちはニヒリズムの克服なんてできないし、する必要ないんじゃないかなぁ。だからこそ克服した人は超人なのかもしれないけど、それって多分そんないいもんじゃないよ。
まずは一人の人間として独立した考えを持つこと。そして他人との違いを理解して対応すること。結果は自分の選択によるものと考えること。他人と関わるときは、他人に振り回されるのではなく、自分が他人とどう付き合うか自分で決めるってところがポイントかな。
自分だけで生きていくという考え方じゃないんだよ。自分は独立した存在で、それは他の何物にも犯されない。すべての行動は自分で選択できるってところがニヒリズムの脱却。
だから他人と繋がりたければ、自分がそうやってこの人たちと協調していこう。この人たちと同じ体験をし、同じ経験をしてみようって自分の意志で決め、結果的に良くない事が起きたり、失敗だったとしても、あの時の判断がよくなかったかもな、と自分の行動を見直せるという事。
自分の意見を持たず、周りに合わせてばかりだと、そもそも自分が何をしたいのか、どう判断して何に責任を持つのかすべてその集団やリーダーに対して求めるようになる。そうなると、この集団はあいつが悪かったから別の集団に行ったとき、今度はいい所だといいなぁって入っていって、結局そこでのトラブルが起きてもまたその集団に責任転嫁し、同じところをぐるぐる回ることになる。
他人と協調するのも、自分の考えで動くのもすべて自分の選択によって決まるって考えれば、もし道を示してくれる人や物がなくなっても自分で考えて行動できるようになる。それが超人ってことだと思う。
まあ自分も理解できてるか微妙だけど。
人間の身体にはたくさんの生き物がいて(細胞や細菌)、人間はそれらの集合体として生きている。自分ひとりでものを決めることはできないし、ひとりで生きてはいない。
参考になりました
ありがとうございます!
虚無を元の気にするには、天然なヒト、コト、モノが必要である。
それを掘り下げると、
面白いとか変わっているとか潔さとかユニークとかの【垢抜けさ】が滲み出ていて、
根底にあるオーラが、少年のこころや乙女心のようなものを持っている人だろう。
人間が人間に向かうと、垢が蔓延る。
人間が自然に向かうと、垢が解消される。
まさかfateの話が出てくるとは!笑
fate(正義、功利的価値観)や空の境界(起源について)などの型月作品は結構哲学的人生観的などの考えをナラティブとして与えてくれるから、話の例として出しやすいし良い学びとなるからオススメ
Fate Zeroとか衝撃だったなあ・・・
空の境界は見てないので見てみていところ。評判もいいですよねー。
アーチャーって誰だっけ?
ランサーが可哀想だった
@@user-ny3mp9lp5h
Zeroの話ならアーチャーはギルガメッシュ
集団的無意識を世界の仕組みとして取り組んだらどうなるか→抑止力
って言うのをどこかで見て、面白いと思ったわ
むっちゃ参考になったけどニヒリズムの状況のまま動いてるヤツがほんと羨ましい。鬼滅の童磨とか
あれは産まれた時から自分がそういう生き物だと確信していたからでしょうね。大抵の人は生育環境なんかの後天的理由でそういう思考傾向になるから、ああいう風に飄々とは生きられないと思います。
あの状態はだいぶきついで
そういえば童磨そんな感じでしたね・・・サイコパス要素強すぎてその発想がなかった。
3年前まで自分の判断を信じていたけど、自分で選んだ研究室を楽しめず、自分で選んだ人彼氏と無茶苦茶大喧嘩して別れてからというもの、
自分の判断力を信じれなくなった
就活も強くスカウトされた企業に入ってしまったよ(ブラックだよ)
最近は、人生とは「Aをやると一定の確率でBが起こる」が連続してるだけだと捉えてるよ
この動画を見て超人を目指した場合、ほんとに超人を目指してるのか、それとも安易に飛びついて依存となるのか。
人に影響されない思考は無いと思うので、依存/自己決断を切り分ける判断が難しいなと感じますね〜
無気力や決断を下せないってのは鬱から来るものだと思ってたけどこっちかもしれないなぁ…ご飯のメニューも好きに決められなくて辛いけど 感性に従えばある程度はどうにかなったり…ならないんですけどね
帽子ほっぽってゴロゴロしてる魔理沙かわいいな
燃え尽き症候群を患って、結果行き着いた価値観、考え方がとても普通じゃないからこれは何だろうと思ったら、ニヒリズムだったのか……克服したい。
自分から見て動いていないように見えるのは自分だけ、だからこそ人は信じたい物事を喜んで信じる。
自己決定や自由意志があるのか無いのかって話に落ち着くんですかね。それと幸福の定義。主の言う軽いニヒリズムってのは物凄く蔓延してて、仕事において自分で責任は取りたく無いから発言も決定もしないって人がほとんどだなと思います。陰謀論とかもニヒリズムから脱却した気になってる人が落ちいるんですね。面白かったです。
ニーチェは、自由なんてものはないし、あったとしてもそれを意志することなんて人間にはできないっていうのがスタートじゃないかと。ただ、自由は存在するし、それを選択できる能力を人間が持っていると信じる(錯覚する)ことは否定できないよね、知らんけどってとこかと。
自由意志や確たる自我があるものは神聖で価値があり、そうでないものには価値がないとする宗教に過ぎない。
「神にすがるな、自分で決めてそれに責任を取れ」そんなこともニーチェに言われるまでわからなくなるからキリスト教は嫌いなんだよね…
サム8やシャア、東方不敗は能動的ニヒリストだったのか!
すみません、有意義な動画をありがとうございます。能動的ニヒリストの飛躍的な話を聞いて、上のアニメや、映画ジョーカー、無敵の人や、ホームグロウンテロリストを思い出しました(サム8はセリフだけですが。)。多様性の時代、悪く言えば全ては相対的な中で、ニヒリズムになる人が増えているのかと勝手に思うところです。
人生の終点
∮ (幸福-不幸)dt
今
↑の最大化
これ最強の依存先
うぽつです
帽子なし魔理沙かわいい
働いてお金を稼いでも税金や生きていくための消耗品やご飯で消えていくし、なんだったら最期は絶対死ぬから、生きていくことそのものに虚無を2,3ヶ月くらい感じてます
ですがこの動画を見て、ニヒリズムの克服って難しいことなんだとわかって少しほっとしました。
お金とか豊かな生活とか、肩書きとか追うんじゃなくてやっててワクワクすることを探したいと思います
ショーペンハウエルの思想にも、人を無苦痛の状態にしてくれるのは芸術とか音楽だから、それに浸ろうぜ?みたいなのがありますね。ニーチェやワーグナーはこの思想に大変感動したようです。
指針は複数持った方がいい。
勉強辞めた瞬間何もやる気がなくなった瞬間がある。
高い理想を抱いて自滅しがちな気がする。
ネットで桃源郷みたいな理想の生活をまざまざと見せつけられて、自分に不相応な理想を目指した結果「現実」を知って絶望するんだよね。
でも人生が暇つぶしなら楽しまなきゃ損だよね
今はそう思う
0:50 いや帽子無し魔理沙はいるだけで意味はあります
無条件の存在肯定ッ・・・!魔理沙はきっと滅ぶことはないでしょう。
まあニヒリズムを克服するうえで重要なのは、自分に正直になることなんじゃないかなって思ってます。
正しいことを自分で決定するためにまず自分が何かを決定する、っていうのはただの自己洗脳ですからね。
いつかガタがきますし、自分で決めただけに引くに引けなくなるっていう状態からやばい思想が誕生しがちです。
好きなら好きのままでいいし、嫌いなら嫌いのままでいいし、「好きだけどそのために配信見たりFA描いたりするのが辛くなってきた」みたいな矛盾した感情も、それはそう言うもんだって正直に受け入れることが一番楽で楽しい生き方だと思います。
ニーチェが発狂死してるあたり実際ガタがきたんじゃないかと思いますよね。しかしまず自分が正しいと思うものを決定してみるのは重要だと思うんですよね。その時にその正しさを妄信しなければいいというか、自分を自分の神にしてしまわなければいいのではないかと。
VTuberさんを見たりゆっくり解説を見たりするのも、その人にとって楽しく、そして見るのが正しいものですからねー。
個人的にはその要素に加えて固執しない、軽やかさを押したい。サンクコストって言葉がありますが、ここから自由になれるとかなり人生楽になる気がします(できるとは言ってない)
動画UPお疲れ様です。
私が思うにニヒリズムの克服は自らの信念が幾度と無く裏切られ続けてもそれを覚悟の上で自らの道を歩む事が決断出来る人間のみが出来る行為だと考えます。
ですがそれだとあまりにも現実味が無いとも感じるので、僅かでも良いので抽象的な恐怖感を内在している自分や精神的に不安定な自分を嘘でも良いので肯定的に信じてみる。(こんな自分でも良いんだ的な)事がニヒリズムの克服への第一歩となれば良いのかな?と考えています。
長文失礼しました。
毎度素晴らしく勉強になる動画を発信して頂きありがとうございます。
前半に関してはまさに、超人、ですね。
自分を肯定してあげられる精神はとても大事だと思います。私とかそれで成り立ってるフシありますし・・・
こちらこそ見ていただきありがとうございます!
なんで進化の過程でこの決断に対する耐性ができなかったんだろう。
あと、人は決断する時、何かを信じているんだな。。。
あんまり考えたことなかった。
何かを決断するってことを本気で突き詰めてくとけっこう宗教っぽくなるんですよね・・・。
理屈じゃ説明できない飛躍や前提があって、しかもそれが割と万人に共通していたりして(道徳とか)、人によってはそれを内なる神とか名づけてもおかしくはなかったり。
進化で決断に対する耐性・・・おもしろい着眼点ですね。決断ってある意味「いつもと違うことをする」ってことなので、生存戦略的にはホイホイとやるわけにいかない、って視点で説明はできそうですが、他にもいろいろ切り口はありそうです。
過信と鵜呑みは禁物!
って考えてここ2年くらい生きてたら、ニヒリズムに陥った気がする。
自分の考えにも過信しないようにし始めると、自分に常に裏切られている感じがするからよくないのかなあ。
ペルソナ3~5がまさにその問題に切り込んでるよね。
自分で定期的に、ニュースや人間関係等について考えたことを、ノートにメモするのが良いと思う。そしてそれをたまに見返す。
社会にはニヒリズムの要素が要る。しかし本格的にニヒリズムに陥った人間は辛いだろう。
それを避けるためには、とにかく何かについて、考え続けるしかない。さらに、「自分は考え続けている」と自覚するしかない。だからノートに自分の思考を記し、見返す。
ノートに記す、いいですねー。
私はその辺をけっこう人と話すことで補ってるように思います。動画のネタとかもその辺から拝借することが多くて、あーだこーだ議論することでほどよく距離を取っている感じです。
克服しようと生きることが自分にとってニヒリズム脱却の答えだと思ってます。
かつて私は"自分"を信じていた。
自分が何をやっても正しいと思っていた。だから自分の行動を疑うことすらなかった。
しかし、そうではないと思った。
あの日から私は、過去の正しかった自分に囚われている。
かつて天才であり超人であった私は、まだ超人であると信じている。
自分は救えない。
救いたかった自分を投影した誰かを救うしかない気がする。
それが案外押し付けに繋がる。うちの母親がそうだから。
「自分ができなかったことを子供ができるようにしてやりたい」という考えは危ない。
親子でやりたいこと重視してることが突き詰めた目的が違ったりする。だから子供が真剣にならないからと言って八つ当たりする。趣味が楽しいのに本気でさせようとしたり。
ちょうど自分が今こうなってるかもってタイミングでオススメに表示されて視聴しました。
そしてコメント打つ前にコメント欄で「みんなはどんなこと書いてるのかな?」なんて思ってチラ見し始めたあたり、
自分なりの指標を持てていないんだなぁと改めて自覚できました。
動画のサムネに飛びついて開いて「私はね、私はね、こう思うんだよ!!」ってバーッって書いてそれから動画観たり他のコメント読んだりして修正してる
気づけました!
ありがとうございます!
うぽつです
なかなか興味深い話だった、自分も精神的により良い状態を求めて、自分なりの答えを見つけたいものだ
ニーチェ先生がニヒリズムを克服した人を「超人」と呼んで常人と区別したのは19世紀後半の話で、それより数百年前に生きた親鸞さんは「生身の人間が生きてる間に悟りなんて開けるわけがないだろう」と言って、「超人」は「煩悩具足の凡夫」と対比される。日本人だったら、この対比はすんなりと入りやすいかもしれません。
現実世界に生きる我々は生きとし生けるもの皆等しく「凡夫」であって、自らや他者の生命体の死を屁とも思わない限り「超人」にはなれない。そのようにも思います。
また「凡夫」の心がなければ、思想や文学や芸術といったものは生まれないでしょう。
人生を生きる我々にとっての唯一確実な未来が「いつかは必ず死ぬこと」であって、凡夫である我々はニヒリズムを克服すとことはできません。しかしニヒリズムと闘うか抵抗することはできます。その闘争や抵抗の過程で様々な価値や意味が生まれます。「創造的ニヒリズム」というのは、たぶんそういうことを含意しているのだと思います。それを見返りに関係なく実行できるのがニーチェ先生の『ツァラトゥストラ』にあった「赤子」の精神、そういうことではないかと思います。
しかし、この闘争をヒトラーの『我が闘争』と混同してしまうとホロコーストにもつながりかねません。いっぽう「抵抗」と言えば、ナチス支配下のフランスにおけるレジスタンスの活動を想起することもできるでしょう。
この「闘争」や「抵抗」についてさらに付言すれば、現代の日本人にとって身に覚えのある事件で言えば、1990年代の地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇少年のような危うさを孕んでいることにも留意しておかなければなりません。
何やらウダウダとコメントしましたが、現代人の庶民の思考や素行に一石を投じるような動画をありがとうございました。
鬱の克服とニヒリズムの克服は少し似て居ました、自分の存在意義を自分で決定する思考力だったり、意味の無い物の存在意義を決定出来る知覚性だったり。
啓蒙が身近に無い人が増えたからなのか、思慮の弱い人達が多く見えるので、本来はこういった哲学的な境地を乗り越えて人は成長してきたんじゃないかと考えています。
万人はニヒリズムを克服出来ないにしろ、克服する努力は必要だと思う。
自ら自分の正しさを手放してしまうと自分が暴徒になったり、不幸の手紙に関与したりしても気づくことが出来なくなってしまうだろうから。
克服しない=何かに左右され続ける人生になっちゃいますもんね・・・
悪意に左右されないように、そして自分に関わる何かのために、ある程度の自分は確保しておきたいものです。
ニーチェの理想的な超人は、昨日の自分より今日の自分のほうが良質だ、を”死ぬまで”繰り返せる人って言うじゃないですか。
無理だろ。
うーん、こういうニヒリズムに陥りそうな時はねぇ、かわいい少女が気合で目の前の不幸や悪を薙ぎ払うアニメを見たりやゲームをやると、少しだけ前向きになれるんじゃないかな?
意外と、人生の大事な全てのものが詰まっているのかもしれません。
プリキュアとか最高
よつばととかもいい気がします笑
「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の同時上映を見てきて情緒がぐちゃぐちゃになれば一周回って前向きになるかもしれん。
@@user-qi6bl4gm2n 考えすぎてニヒリズムに染まるぐらいなら、敢えて考えず心から笑えるものを見たほうが逆に頭によさそうですね。
「考えるな、感じるんだ」
自分で決めようが他人に委ねようが、どちらにせよ生まれ持った遺伝子と経験によって答えが出るのでるのだから、特に考える必要はない。それが自分にとっての絶対的な指針であり、それもまた、自分の遺伝子と経験によって導かれた答えである。要はなるようにしかならないということですね。
プチニヒリズムからの脱出法
恋愛、かなぁ⁉️(笑)
お花畑VS荒野、だと花畑脳でタラッタラッターの方が楽だしー
あと、天の岩戸の話ってプチウツ、プチニヒルからの脱出法って思う(全部の針をポジティブに振る 笑)
人生にはトラブルが付き物
例えるなら公衆便所でトイレットペーパーが無くなってしまうもの
そうなったら、この言葉を思い出してほしい
紙 は 芯 だ !
あ、超人だ
人間の脳は一万年前からあまり変わっていないといわれていて結局のところそれは社会的動物であることその社会構造であることに原因があると思います。
代表例としては赤子を持った母親の鬱症状、これは脳内物質の分泌を観れば傾向はあきらかで人間としての特質とされています、不安になり周りに頼りたくなる、自分の子孫を残すことに生物は基本的に特化していますのでこの赤子を持ってることで不安になる周りに頼りたくなるということは社会への帰属が本能であると仮定できます
(支配と帰属をおそらくは勘違いしているんだろうけれど)
日常生活に目を向けると価値観の総意と価値観の多様性に関して繋がるコミュニティがとにかく大きくなった現代では同じ地形同じ天気を共有するときとちがった相手への理解が必要になります、つまり理解できないこともあるのだ共有する空間が乏しいのだという理解です。
価値観に頼るとなると古来のもの、
とくにいなかだと東京はこわいところでもあるという「同じ国同じ言葉である前提」ですらもわけのわからん価値観へ依存することで自分たちのコミュニティを肯定するような空気がまだあります、自分たち以外、という価値です。
これは“自分たち”というものに価値を大きくおいていますが多様性へ排他的です、そのことに気づけるかどうか自分をもてるかどうかだと思います
つまりは帰属に関して臆病です
価値観に「正しい」を入れるとなるとややこしくなります。
正しいは感じることであるため(議論をやればわかるが最後まで反論はあるものです)これを「価値観の共有」にすることは不可能だと知るのとと全く反対の意見にも理論を実感する機会に乏しいと思います
つまり社会への同化を支配とするならば帰属を実感できないんでしょう
自分ってなんだろうって考えたら1でした。
体感としては神を決めているではなく「信仰している、その結果対象が自分の中の神のようになってしまう。」となり信仰が大前提に来ている感じです。
また、動画で1の人は「自分を導いてくれる人を探している」とありましたが、こちらも「基本的に自分の意思による意思決定だが、自分の考えを根底から覆された時は何があってもその対象を意見を優先する」であるため1と3のミックスなのかも知れません。
うまく言えないのですが、語弊ありまくりでいろんなところを省きますと「私は人をコロすことはいけないことだと思う。だが貴方が望むなら何人でもどんな人でもコロそう」となります。
「私は人を嫌ってはいけないと思う、何故なら嫌うということ自体がその人に勝手に期待して勝手に責任を負わせているからだ。人に期待なんてしてはいけない。人間は裏切る生き物だ。信用してはいけない。私は人は裏切る生き物であると信頼し、信用しているのだ。」という前提があります。そのため、「これらの「「自分の常識」」が根底から覆された時又は否定された時」自分の思考が信用できなくなり結果として「神のように信仰している対象」の意見を全て鵜呑みにして言動にうつします。
そこに愛情とか友情とかそういう類の感情を抱いていません。
貴方がいうならそうなんだろう。貴方がそう思うならそうなんだろう。私は貴方の全てを肯定する。
なので完全なる信仰です。
稀に信仰対象が自分の思想や思考と正反対のことをした場合そこにひび割れのようなものができます。その時に信仰対象でなくなるか自分の思想を否定するかは人によりますが、今のところ自分の思想を否定するに至ってます。
難点と言えば良いかわかりませんが、相手や周りから恋愛感情と誤認されることが多いです。そして信仰対象からそのような感情を向けられたりして困ったりもします。
別話になりまずか、Fateシリーズはかなり好きであの作者が描く言葉の温度というか情景の表し方が好きすぎてアーチャーの話が出た時とても嬉しかったです。アニメでもアーチャーの葛藤が垣間見得て本当に面白いので全人類見てほしい………
楽しいことだけで生きていければ克服しなくても良いんですけどね・・・。
とりあえず他者には無害な無気力タイプですが、ニーチェが言う3番目の人は輝いて見える。するっと1番目に誘導されずに頑張ってほしい。2番めはどうすりゃいいんだ・・・。他に染まりたいわけでもないし、かと言ってこのままでもなぁ。だから3番目は超人だよホント。何も思わずに1に浸れてる人は楽でいいなー。
「生まれてこない方が相対的に幸せだったのではないか」と思ってる
生きている意味がわからなくて、「生きている事に意味なんてない」って言われて、なんで意味もなく苦しまなければいけないの?って
意味はないかも知れんが、意義はあるんじゃね?
個人的にはその苦しみにさえ(客観的には)意味がないと思う
「苦しまなければいけない」わけではない
偶然苦しい状況になっているだけ
生きる意味も存在しない
生むという行為は無責任である
だからといって生まれた私達がより良く素晴らしく生きねばならぬ責任も無い。しかも権利の実在も怪しい。
生まれさせられたからには好き勝手してやるというスタンス
話を飛躍しすぎた極論になってしまうのかもしれないですが、私の意見ではむしろニヒリズムは克服すべきでないです。というより克服すべきだと考えるべきではないように思います。というのも仮に万人が超人であること求めるとしたら(ニーチェのように)、きっと世の中が生きづらくなると思います。ある人の行動それによって引き起こされた結果の全ての責任がその当人にしか存在しないならばもちろん自分が失敗した際などにはひどい失望感を抱くと思います、また世の中に対して許せないことが大量に生まれる気がします。ほとんど妄想の域ですが、例えば犯罪における情状酌量、自分がニヒリズムを克服しようとしてるのに克服しようとしない人等が許せないというより見ていて心をよりすり減らすようなるかもしれません。(あくまでニヒリズムが十中八九克服できないことと私が考えていることに基づいています、仮に真の超人なら他人の言動に左右されないですから)
なので私はニヒリズムは克服するというよりも少し意識しながら生きていけば良いと思います。他人に意見を求めること自体は全く悪いことではありませんがそればかりになってしまうと個人の場合だけならまだしも政治に関わる場ではかなり危険ですので、全体の行動を決定するときなどは真剣に考えてみる。ぐらいの気持ちで生きていけばいいというのが私の意見です。
あと個人的な意見でフェミニズムとマスキュリズム、少年法についていつか解説していだだきたいです。(欲望丸出し)
やっぱり自分自身を含めて何かを信じ過ぎるのが一番害悪だと思う。どの道を選ぼうとも、間違い、失敗、不幸は行く先に当然ある物として、それを受け入れて学び自身の糧とする事が大切だと思う
人が成長するとしたらそれは釘を踏んだ時。痛みにのたうち回りながら足下に注意する事を覚える
中庸ってやつでしょうか・・・?
釘は踏みたくないなあ、できればとがった石くらいで(そういう意味じゃない
残酷だろうがなんだろうがそれが世界なんだから、ありのままを受け入れろよ。ってことかな?救いがないこと、正解や完璧がないことを、受け入れなきゃいけないのはきついなぁ。
受け入れつつ挑めって言ってますからさらに難易度上がる気がします苦笑
@@user-qi6bl4gm2n
受け入れつつ斜に構えて流す