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逆に言えば、劉備に付いていった糜竺や孫乾や簡雍達は相当劉備に惚れ込んでいたんでしょうね。そして結果として皇帝に登り詰めた。彼等はどんな想いで見ていたのでしょうかね。
劉備、関羽、張飛ら実家を飛び出したアウトロー達と違って「家族・一族を養わなきゃいけない」っていう理由、凄く納得いきます!
失礼な事を言ってしまうけど、当時の劉備にとっては陳羣は「猫に小判」だったと思う。
非常に納得しました。そのような視点で物語をみてこなかったので、新鮮です。
当時の生活や家柄が一般人には難しいので、これはすごく参考になりました!
リュウビは人徳、ジレンマ、優柔不断で一国を担った人物としては珍しく人間味がありそれだけ魅力を感じます。良く悪くもも両極端に評価されると思っています。
ありそうな説。想像もしていなかったので、面白かった。
劉備に付いていった孔明らは人に付く犬で、陳羣らは家に付く猫だったわけだな。
魏で成立した九品官人法(九品中正法)の成立は中国史の中でも大変重要な出来事と思っているのですが、あまり詳しく取り上げられる事が無く残念だといつも思っています。一度詳しく取り上げて頂けると嬉しいです。
Air さん 中国では長年、九品官人法は殆ど研究されてきませんでした。理由は、本義の九品官人法は、軍閥・豪族にとって都合の悪い制度だったからです。それ故、骨抜きにされています。その点、日本の冠位十二階と同様です。調べた限り、批判的な記述しか残っていないというのが現状なのです。曹魏朝時代には門地を問わずに優れた官僚を輩出してきたにも関わらず…ですから、品位の説明は割愛させて頂き、参考までに本義だけという事でご容赦下さい。九品官人法が実質機能していたのは、曹魏朝成立で陳羣が建議してから司馬晋朝の羊祜が亡くなるまでの期間。羊祜の死後、悪名高い豪族出身の衛瓘が尚書令として実権を握り、九品官人法は有名無実化してしまいました。陳羣の建議した九品官人法は、屯田典農制と無関係ではありません。魏の重臣裴潜が、農政官吏の出世ルートを広げたと記述があります。その出世ルートに乗ったのが鄧艾で、中央に出て尚書郎になっています。この時の陳羣は、尚書台の主である録尚書事です。屯田兵出身の鄧艾は、豪族からの搾取から農民を守る田畑の管理人であり警備員でした。これが小役人の本義であり、曹魏朝で武人官吏が育つ土壌となりました。農民の間からも、義侠心に富んだ小役人を出す動きが生まれ、王経が出てくるのです。また豪族出身者の中でも、敢えて屯田兵からキャリアをスタートさせ、晋朝代に大司農にもなった大器晩成の名将王濬がいます。屯田校尉(県単位)・典農中郎将(郡単位)・都督諸軍事(州単位)が屯田兵を管理し、これが軍権の基盤となって曹魏朝を支えてました。屯田兵を受け入れた農民には、税制優遇され、屯田兵が出征する時は代わりに共同耕作する体制が整備されて、屯田兵が耕作放棄しないで済んだ田畑が、兵権の財源となっていました。農政を担う大司農府には、典農中郎将と共に度支中郎将が置かれ、尚書台の度支尚書と連携して経済政策を施行しています。現場に強い者・農政官として優れた者が活躍し、品位の上位に来る「大司農は花形役職」実直に仕事をする者が、門地だけ高くて口先だけの豪族の上に立つ。役職固定給ではなく、人柄が品位として高く評価されて官禄が多くなる。才能のある蒋済よりも、人柄の良い司馬孚の方が官禄は上だった。本義の九品官人法は優れた制度だったと推察します。
@@じつどうだいすけ 様九品官人法はいくつか調べても骨抜きにされてしまったという事ばかり強調されて陳羣が目指した事や意義について触れられていない事は以前から疑問には感じていました。大変良くわかりました。九品官人法を知るきっかけとなったのは私の手元にある中国史年表で魏の年表について他の施策は殆ど取り上げられていないもしくはほんの少し記述がある中九品官人法は最も大きく行を割き、成立年と意義等注釈付きで大きく取り上げられていた事。今後再評価されるべき事柄であると改めて思わされました。陳羣は三国志の英雄と呼ぶにふさわしい人物!!お時間を割いて頂きありがとうございました。感謝申し上げます。
Air さん 返信ありがとうございます。こちらこそ、九品官人法の事を語る機会を与え頂き、感謝申し上げます。Airさんご自身もお調べになっていて、同志を得られたみたいに正直嬉しく思いました。私は、陳羣こそ三国志のみならず、中国史上最高の政治家だと確信しています。いまだに陳羣の魅力は底知れないもので、荀彧の令嬢を正妻とし、息子陳泰を現場の活躍においては父以上と言わしめる位に育て上げています。人格高潔、能力抜群。孔融に教えを受けて、穎川の名家で既得権益を放棄し、官禄で一族を養うく舅である荀彧の実の後継者。英雄と呼ぶに相応しい人物だと
じつどうだいすけ l
曹操や孫権は初めから地盤を持っていたから、それを頼って人材が集まった面がありますね。劉備はまさに裸一貫から立ち上がったせいか、人材を見つけるしかなかった。漢の高祖・劉邦も裸一貫だったけど,既に仲間がたくさん出来ていて、その繋がりで人材が集まったという所でしょうか。
元々徐庶は義侠の人ですし、彼が劉備の所につく際、劉備は義侠の人ということがわかってたかも知れません。だから、劉備の軍師になったのかも知れませんね。しかし、劉備と荊州を逃げるとき、曹操と敵対する側でした。そうすると、郷里にいる母親が危ない。そこで『母親が危篤』という手紙を利用して魏に行ったのかも知れません。彼のことだから、曹操の策略と見抜けないことはなかったろうし、安定的な魏にいれば、それなりに出世して生きられると思ったんでしょう。でなければ、曹叡になるまで反乱もせず大人しく役人としてやってくはずはないですからね😃
前から思ってたんですが、徐庶はどうしてお母さんを曹操の元から避難させなかったんでしょうね。
司馬懿を中心に描いた中国のドラマ「司馬懿 軍師連盟」で、陳羣殿の九品官人法について描かれています! 父親は陳紀殿 息子の陳泰殿 も有能な武将 であったかと考えられますね🤔
曹操は献帝を擁していたのも大きいですよね。
めちゃくちゃ腑に落ちた😂軍師が誰の元で報酬を貰いながら働くか、考えたことがなかった…
陳羣にとっては、地元の名士なんだから飯は食える。問題は州の頭が誰のなのか。そいつに機械的に仕えますよというだけだと思う呂布に仕えたというのが物語ってる。まあ劉備に対して助言してるし友好的だったのは確か
昔は、劉備に仕えたいなあなんて思ってたけど、関羽や張飛の部下にされたら、キツそう・・。関羽は目立たなければ可愛がってくれそうだけど、少しでも自分より働いたら目をつけられて、いじめられそうださは、張飛は言わずもがな。やっぱり仕事をちゃんとしたら、認めてくれる曹操が良いかも。
陳羣については、後に息子の陳泰が蜀漢に大きく立ちはだかる存在となるだけに、まさに大魚を逸した形になってしまった。それにしても、陳羣が呂布にも仕えていた時期があったとは意外でした。
しかし名声は、汚した父は漢を、息子は魏を裏切った父親は、仕方ないにしても息子は、酷い
佐分利流28号 陳羣は徐州を支配する人に仕えるだけだから、荊州や益州にまで劉備に付き合うはずが無い。ここじゃなくてもどこかのタイミングで別れてたと思うよ。
@@一山秀一 さん。そう考えると陳親子も一緒ですかね。人というよりは土地に仕える。そんな感じですかね。
しかも蜀を滅ぼしたのは陳羣・陳泰親子の流れを汲むトウ艾だし。
陳羣の祖父も父も叔父もめっちゃ有名人で名家。家族を養うことは難しくなかったのでは?。劉備は大富豪の糜竺と親しかったので、陳羣は給料の心配はしてないと思う。恐らく、徐州牧になることに反対する陳羣に激怒し、劉備の方から縁を切ったのだろう。さらに、その後の戦乱で、自然と離れ離れになったと思う。加えて、陳羣は父の陳紀と徐州に避難していたという話もあり、「孝行」のために、劉備と行動を共にしなかったことも考えられる。
ある程度の経済的基盤は、誰しも必要であるから離れてしまうのは致し方ないことだと思いました。誰しも守らなくてはならないものは必ずあるからね。
それなら、他の軍師以外の家臣はどうして劉備についてったんでしょうね?軍師の場合は特に給与で優遇する必要があったんでしょうか?
あの陳羣が呂布に仕えていた? 意外だったねえ。
面白かったです。金銭面というのは陳群はなるほどなぁと思います。徐庶は若い頃は侠客で劉備との相性も良さそうだし指名手配犯だから大手には就職できないはず。人材マニア曹操だからこそ魏に採用されたのではないでしょうか?
劉備は本当に憧れる人物 あれだけ戦ったり逃げたりしながら入蜀できるのが主人公すぎる…死なないことももちろんだが三國志14のゲームで三顧の礼ハードから始めたが曹操軍強すぎて益州にいけないからな…(赤壁の戦いイベントないからっていう理由もあるが)現実世界でそれを成し遂げてるから劉備殿と部下の武将さん達は相当優秀だなと思います
鋭い考察だなぁ。大陸の人間は流動性を見て人間の繋がりを見ないと思ってましたが、真田幸隆も似た判断してるから、経済基盤の安定という視点は納得いく見解だ。
今思えば劉備ってブラック企業のボスじゃあねぇ?
では糜竺はどういう理由でついてきたんでしょうか。。。?
陳羣は徐州牧になるのは周囲が大変だから劉備に就かないよう進言したと前半に説明がありましたが、宗族を養うために経済基盤のある州牧の地位にいる人についていったという考察に?と感じました。動画を見直すこともしないので違っていたらすいません。
孔明に限って言えば「喰うに困らない」などは考えてなかったと思います。それはもしも仕官しようとすれば曹操でもどこでも仕官できるほどな才能があったでしょう。もし経済基盤を考えるのであれば、逆に劉備についていくことがおかしくなります。(当時の情勢からは劉備軍は流動的すぎる)孔明の過酷な幼少期を思えば、漢王室を復興することで平和な世に戻すことを第一に置いたと考えられます。理想論のようにも見えますが、その点も出師の表を読めば人物像が見えるためです。
陳羣と徐庶は野心の無い真面目な人=面白味が無い人って点では、説的には的を射てる気はしますね…。人を見る目も双方共にありましたが、何と言うか、華は無いのも共通してる…。そんな気もします。
しかし、国にしろ軍隊にしろ組織というものを支える基礎や屋台骨としてはむしろ欠かせない人材ですねどんな組織も極少数の天才や英傑の下にいる華はなくても才はある秀才と大多数の凡人で成り立ってる蜀のような華々しい豪傑英傑天才による少数精鋭では何処かで必ず破局するのが世の常…
麋竺だけが例外だったんですね
地盤を固めて人材を集めて活用する…こんな事劉備が出来るような状態になった時にはもう50歳だからなぁその頃にはもう曹操が王手かけてるような状況だしねまあ戦人生の大半を流浪と居候してたのにそこから皇帝になるんだから只者ではないブラックかどうか聞かれれば間違いなくブラックと答えるけどね
チングン!知らなかったです💦勉強になりました(^人^)
そうすると陳珪・陳登親子も同じ事なのかな?
陳親子、徐州大切だもんね
陳羣は一旦呂布についたのは知らなんだ
なるほど。徐州を追われた劉備に陳珪、陳登親子が追従せず糜竺、糜芳兄弟が追従した理由がわかった気がしました。
現代人の視点からすればなんか妙にリアルな話ですよね、陳羣と徐庶···でも見習う点は多いですよね。 はじ三シリーズを見ていると劉備って『天運に恵まれてた呂布』って印象になって来ますねだんだん(笑)
僕も呂布と似た者同士だと思ってる。
まさに曹操とは対照的な劉備ですね。曹操も、いかにも万能なイメージありますけど、それらの事績は彼が養っていたブレーンの仕事だったのかもと私は思います。
この時代の人材登用の仕組みを考えると、献帝擁する曹操が絶対的な優位にある訳で……。徐庶の場合、劉備に登用された事がきっかけで曹操からスカウトされ、キャリアアップの為にそれに応じたってだけの話だと思います。
劉備は演義では人徳の人だがはったり 行動力 暴力 でのしあがったというのが劉備の本質?ある意味人間的で魅力を感じる。
僕も、「人徳のある呂布」ぐらいに考えてます。「仁徳がある」と言っても、劉璋の様な「タダのお人好し」では無いんですよね。夢を与える事が出来ても、給料を与えられず、志だけでついてくる部下しかいないオッサン…うだつの上がらない「いつまでもブラックな」中小企業の経営者さんですね。
俺だったら劉備が主君は嫌だな…仁義、忠義を盾に何でも押し付けてきそう…自分の義兄弟には甘い…まるでヤクザの親分だ。義より法を重視してくれる方が働きやすい。
当時の漢人の世界観では、義は法より重かったようですね。儒教と近代的個人主義の相性が悪いのも頷けます
なんか某漫画のイメージだけで劉備見るみたいな人多いよね
そんな劉備と上手く付き合えた文官の簡雍・麋竺・孫乾って地味に凄いと思う。
人柄だけでは人は付いていかない。劉備の配下になったからにはら相応の仕事をしなければならない。仕事した対価である給料を貰えなければ生活は出来ない。
政治経済文化の中心である中原の覇者になれなかった時点でその後多少の幸運に恵まれたとしても劉備さんに天下統一の芽は無かったと思う。あの時代、もしブックメーカーがあったとしたら袁紹のオッズは一番低かったはず。
名士層の行動原理が自分たちと違うということは劉備も知ってたと思いますがね。それだけに自分の元から離れても殺害するようなことはしてないわけですし。
財政基盤か。たしかに、劉備は弱小だし財政の面では貧弱だったろうな。しかし、それでもついてきた武将が数多くいたから人望の点では歴史的に見ても稀有な人だったんだろうな。あと、陳羣に関しては性格的にも劉備とは合わなそう。なお、ゲームだと内政官僚としては優秀ですから私は土下座してでも引き止めます!
諸葛一族は呉、蜀の要職を抑えてるんで結構な影響力ですよ。演技では公私混同しないとしてますが、春秋戦国の世では両国にまたがって影響力を持つというのは知られた処世術ですよね、孔明は呉を攻めませんし。他の人材とは動機が違うような気がしますけどね。
あまり[しゅうぞく]とは、言わないみたいですね。知人の大陸の方も「そうぞく」と日本語で発音していました。
じゃあ何で陳羣は劉備に除州牧を受けるなって言ったんですか??除州牧に付いて三者(曹操 呂布 袁術)の誰かと組みなさいと進言したって良いじゃ無いンですか?そんな人が本当に軍師って言えるンですか??
なるほど~、そこまで考えてなかったなぁ。経済基盤、要は金ね
三国志を知った当初、漢王朝の復活を願う荀彧と、自らが皇帝になろうとしてる曹操と最終的には仲たがいしてしまった話を聞いたとき「あれっ、じゃあ最初から漢王朝復活を目指してる劉備につけば良くね???」と思ったけど、この動画で述べてる通り、名族の荀彧を養うだけの経済的地盤が劉備にはないから無理か・・・
あっちに行ったりこっちに来たりは今も昔も変わらないんでしょうね助言を聞き入れるか無視するかは難しい所で、さらに昔には韓信みたいなこともあるし取っていいのか悪いのか
曹操は徐庶を招き入れたばっかりに、諸葛亮を相手にするはめになった。
自身も「寄らば大樹の陰」で宮仕えする身なので陳羣の気持ちが分かる気がする。今も昔も経済的安定は重要な要素なのだから。
まぁ~ある意味当然の事やね~皆生活があるから当然と言えば当然('ω')三国志をしれ知るほど、幻滅していくのもこれまた何ともw特に演義から入り史実、内容を知るとw
最終的に皇帝にまでのしあがったのだから人生何が起こるかよくわからんよね
そりゃ、実績もない大風呂敷だけ広げてるヤクザモンに付いてくのは相当な覚悟と無謀さがないと無理だわ。曹操を悪者にした方が読み物としては面白いんだろうけどさ。
やりがいだけでは飯は食えないと
th-cam.com/video/cOU44M-04OQ/w-d-xo.html記得點技能要把仁義點滿 皇叔永遠不會缺席
陳グンは横山光輝三国志でも、光栄三国志でも名前を聞いたことが無いです。何故なんでしょうね。
そもそも陳羣と徐庶を逃しても第二の陳羣と第二の徐庶が生まれるだけだし。別にどうでもいいよね。
こういう物の見方があると言うのはわかった。学生時代、演義に夢中になって読んだ者としてはいらない考察。
無能な劉備を捨ててよかった。演義だと善人にされるけど、逃げ回り蜀をとり引きこもり死亡できてよかった、ちゅうことかな。
そんな正論言っちゃダメっ
曹操は基盤のしっかりしている大企業の社長で、劉備はブラック企業の社長かな。部下になるなら曹操だよな。要求も厳しそうだけど。
劉備がブラック企業なら古今東西の企業は、みんなブラックだよ
子孫に陳舜臣がいるね
袁紹さんお金持ちなのに荀彧に見放され...
袁紹は抱えている名士の数が多い。曹操の方が人柄もあるが重用してくれるから。生姜が蜀へ行ったもの同じ理由。
@@lemonsoup1920 さん。その生姜は、今で言えば、活躍の場を求めて孔明に惹かれてFAで蜀漢へ移籍したというようなものですかね。
劉備をボコせー!
陳羣、魅力低いわけがわかったわ。
冒頭の編集長kawausoが…て何の忖度?Kawausoの意見を宇治って人が代わりに動画にしましたって意味?それ言う必要あるのかな。脚本カワウソ、ナレーター宇治てこと?
おまえらがkawausoさんの事叩きまくってたから病んじゃったんだろ確かにこの男の人の声は聞き取りやすいけど、別にイジメるほど聞きづらかったわけでもないkawausoさんの鼻声を投稿する度に大量に文句付けて内容のコメントどころじゃなかったからな内容での評価ならまだしも努力範疇にないただのイジメに、おまえらはなんの疑問も持たなかったのか?
比木こもりん さん、相手を間違えている。私はkawawuso氏を叩いていないし、鼻声云々の事は一言も言ってない。鼻声云々は発言した本人に直接言って下さい。
たまにうざい。要点だけ話すだけでええわ
劉備ボコせ!
徐庶って劉表没前に去ったんでは?
かっこよくかかれすぎた、演技や横山三国志時代からずいぶんわかってきたよなぁ。
逆に言えば、劉備に付いていった糜竺や孫乾や簡雍達は相当劉備に惚れ込んでいたんでしょうね。
そして結果として皇帝に登り詰めた。彼等はどんな想いで見ていたのでしょうかね。
劉備、関羽、張飛ら実家を飛び出したアウトロー達と違って
「家族・一族を養わなきゃいけない」っていう理由、凄く納得いきます!
失礼な事を言ってしまうけど、当時の劉備にとっては陳羣は「猫に小判」だったと思う。
非常に納得しました。そのような視点で物語をみてこなかったので、新鮮です。
当時の生活や家柄が一般人には難しいので、これはすごく参考になりました!
リュウビは人徳、ジレンマ、優柔不断で
一国を担った人物としては珍しく人間味があり
それだけ魅力を感じます。
良く悪くもも両極端に評価されると思っています。
ありそうな説。想像もしていなかったので、面白かった。
劉備に付いていった孔明らは人に付く犬で、陳羣らは家に付く猫だったわけだな。
魏で成立した九品官人法(九品中正法)の成立は中国史の中でも大変重要な出来事と思っているのですが、あまり詳しく取り上げられる事が無く残念だといつも思っています。
一度詳しく取り上げて頂けると嬉しいです。
Air さん 中国では長年、九品官人法は殆ど研究されてきませんでした。理由は、本義の九品官人法は、軍閥・豪族にとって都合の悪い制度だったからです。それ故、骨抜きにされています。その点、日本の冠位十二階と同様です。
調べた限り、批判的な記述しか残っていないというのが現状なのです。曹魏朝時代には門地を問わずに優れた官僚を輩出してきたにも関わらず…ですから、品位の説明は割愛させて頂き、参考までに本義だけという事でご容赦下さい。
九品官人法が実質機能していたのは、曹魏朝成立で陳羣が建議してから司馬晋朝の羊祜が亡くなるまでの期間。羊祜の死後、悪名高い豪族出身の衛瓘が尚書令として実権を握り、九品官人法は有名無実化してしまいました。
陳羣の建議した九品官人法は、屯田典農制と無関係ではありません。魏の重臣裴潜が、農政官吏の出世ルートを広げたと記述があります。その出世ルートに乗ったのが鄧艾で、中央に出て尚書郎になっています。この時の陳羣は、尚書台の主である録尚書事です。
屯田兵出身の鄧艾は、豪族からの搾取から農民を守る田畑の管理人であり警備員でした。これが小役人の本義であり、曹魏朝で武人官吏が育つ土壌となりました。
農民の間からも、義侠心に富んだ小役人を出す動きが生まれ、王経が出てくるのです。
また豪族出身者の中でも、敢えて屯田兵からキャリアをスタートさせ、晋朝代に大司農にもなった大器晩成の名将王濬がいます。
屯田校尉(県単位)・典農中郎将(郡単位)・都督諸軍事(州単位)が屯田兵を管理し、これが軍権の基盤となって曹魏朝を支えてました。
屯田兵を受け入れた農民には、税制優遇され、屯田兵が出征する時は代わりに共同耕作する体制が整備されて、屯田兵が耕作放棄しないで済んだ田畑が、兵権の財源となっていました。
農政を担う大司農府には、典農中郎将と共に度支中郎将が置かれ、尚書台の度支尚書と連携して経済政策を施行しています。
現場に強い者・農政官として優れた者が活躍し、品位の上位に来る「大司農は花形役職」実直に仕事をする者が、門地だけ高くて口先だけの豪族の上に立つ。役職固定給ではなく、人柄が品位として高く評価されて官禄が多くなる。
才能のある蒋済よりも、人柄の良い司馬孚の方が官禄は上だった。本義の九品官人法は優れた制度だったと推察します。
@@じつどうだいすけ 様
九品官人法はいくつか調べても骨抜きにされてしまったという事ばかり強調されて
陳羣が目指した事や意義について触れられていない事は以前から疑問には感じていました。
大変良くわかりました。
九品官人法を知るきっかけとなったのは
私の手元にある中国史年表で魏の年表について他の施策は殆ど取り上げられていないもしくはほんの少し記述がある中
九品官人法は最も大きく行を割き、成立年と意義等注釈付きで大きく取り上げられていた事。
今後再評価されるべき事柄であると改めて思わされました。
陳羣は三国志の英雄と呼ぶにふさわしい人物!!
お時間を割いて頂きありがとうございました。感謝申し上げます。
Air さん 返信ありがとうございます。こちらこそ、九品官人法の事を語る機会を与え頂き、感謝申し上げます。
Airさんご自身もお調べになっていて、同志を得られたみたいに正直嬉しく思いました。
私は、陳羣こそ三国志のみならず、中国史上最高の政治家だと確信しています。
いまだに陳羣の魅力は底知れないもので、荀彧の令嬢を正妻とし、息子陳泰を現場の活躍においては父以上と言わしめる位に育て上げています。
人格高潔、能力抜群。孔融に教えを受けて、穎川の名家で既得権益を放棄し、官禄で一族を養うく舅である荀彧の実の後継者。英雄と呼ぶに相応しい人物だと
じつどうだいすけ l
曹操や孫権は初めから地盤を持っていたから、それを頼って人材が集まった面がありますね。
劉備はまさに裸一貫から立ち上がったせいか、人材を見つけるしかなかった。
漢の高祖・劉邦も裸一貫だったけど,既に仲間がたくさん出来ていて、その繋がりで人材が集まったという所でしょうか。
元々徐庶は義侠の人ですし、彼が劉備の所につく際、劉備は義侠の人ということがわかってたかも知れません。
だから、劉備の軍師になったのかも知れませんね。
しかし、劉備と荊州を逃げるとき、曹操と敵対する側でした。そうすると、郷里にいる母親が危ない。
そこで『母親が危篤』という手紙を利用して魏に行ったのかも知れません。
彼のことだから、曹操の策略と見抜けないことはなかったろうし、安定的な魏にいれば、それなりに出世して生きられると思ったんでしょう。
でなければ、曹叡になるまで反乱もせず大人しく役人としてやってくはずはないですからね😃
前から思ってたんですが、徐庶はどうしてお母さんを曹操の元から避難させなかったんでしょうね。
司馬懿を中心に描いた中国のドラマ「司馬懿 軍師連盟」で、陳羣殿の九品官人法について描かれています!
父親は陳紀殿 息子の陳泰殿 も有能な武将 であったかと考えられますね🤔
曹操は献帝を擁していたのも大きいですよね。
めちゃくちゃ腑に落ちた😂
軍師が誰の元で報酬を貰いながら働くか、考えたことがなかった…
陳羣にとっては、地元の名士なんだから飯は食える。
問題は州の頭が誰のなのか。そいつに機械的に仕えますよというだけだと思う
呂布に仕えたというのが物語ってる。
まあ劉備に対して助言してるし友好的だったのは確か
昔は、劉備に仕えたいなあなんて思ってたけど、関羽や張飛の部下にされたら、キツそう・・。関羽は目立たなければ可愛がってくれそうだけど、少しでも自分より働いたら目をつけられて、いじめられそうださは、張飛は言わずもがな。
やっぱり仕事をちゃんとしたら、認めてくれる曹操が良いかも。
陳羣については、後に息子の陳泰が蜀漢に大きく立ちはだかる存在となるだけに、まさに大魚を逸した形になってしまった。それにしても、陳羣が呂布にも仕えていた時期があったとは意外でした。
しかし名声は、汚した
父は漢を、息子は魏を裏切った
父親は、仕方ないにしても
息子は、酷い
佐分利流28号
陳羣は徐州を支配する人に仕えるだけだから、荊州や益州にまで劉備に付き合うはずが無い。
ここじゃなくてもどこかのタイミングで別れてたと思うよ。
@@一山秀一 さん。そう考えると陳親子も一緒ですかね。人というよりは土地に仕える。そんな感じですかね。
しかも蜀を滅ぼしたのは陳羣・陳泰親子の流れを汲むトウ艾だし。
陳羣の祖父も父も叔父もめっちゃ有名人で名家。家族を養うことは難しくなかったのでは?。劉備は大富豪の糜竺と親しかったので、陳羣は給料の心配はしてないと思う。恐らく、徐州牧になることに反対する陳羣に激怒し、劉備の方から縁を切ったのだろう。
さらに、その後の戦乱で、自然と離れ離れになったと思う。加えて、陳羣は父の陳紀と徐州に避難していたという話もあり、「孝行」のために、劉備と行動を共にしなかったことも考えられる。
ある程度の経済的基盤は、誰しも必要であるから離れてしまうのは致し方ないことだと思いました。
誰しも守らなくてはならないものは必ずあるからね。
それなら、他の軍師以外の家臣はどうして劉備についてったんでしょうね?
軍師の場合は特に給与で優遇する必要があったんでしょうか?
あの陳羣が呂布に仕えていた? 意外だったねえ。
面白かったです。金銭面というのは陳群はなるほどなぁと思います。徐庶は若い頃は侠客で劉備との相性も良さそうだし指名手配犯だから大手には就職できないはず。人材マニア曹操だからこそ魏に採用されたのではないでしょうか?
劉備は本当に憧れる人物
あれだけ戦ったり逃げたりしながら入蜀できるのが主人公すぎる…死なないことももちろんだが三國志14のゲームで三顧の礼ハードから始めたが曹操軍強すぎて益州にいけないからな…(赤壁の戦いイベントないからっていう理由もあるが)現実世界でそれを成し遂げてるから劉備殿と部下の武将さん達は相当優秀だなと思います
鋭い考察だなぁ。大陸の人間は流動性を見て人間の繋がりを見ないと思ってましたが、真田幸隆も似た判断してるから、経済基盤の安定という視点は納得いく見解だ。
今思えば劉備ってブラック企業のボスじゃあねぇ?
では糜竺はどういう理由でついてきたんでしょうか。。。?
陳羣は徐州牧になるのは周囲が大変だから劉備に就かないよう進言したと前半に説明がありましたが、宗族を養うために経済基盤のある州牧の地位にいる人についていったという考察に?と感じました。動画を見直すこともしないので違っていたらすいません。
孔明に限って言えば「喰うに困らない」などは考えてなかったと思います。
それはもしも仕官しようとすれば曹操でもどこでも仕官できるほどな才能があったでしょう。
もし経済基盤を考えるのであれば、逆に劉備についていくことがおかしくなります。(当時の情勢からは劉備軍は流動的すぎる)
孔明の過酷な幼少期を思えば、漢王室を復興することで平和な世に戻すことを第一に置いたと考えられます。
理想論のようにも見えますが、その点も出師の表を読めば人物像が見えるためです。
陳羣と徐庶は野心の無い真面目な人=面白味が無い人って点では、説的には的を射てる気はしますね…。
人を見る目も双方共にありましたが、何と言うか、華は無いのも共通してる…。そんな気もします。
しかし、国にしろ軍隊にしろ組織というものを支える基礎や屋台骨としてはむしろ欠かせない人材ですね
どんな組織も極少数の天才や英傑の下にいる華はなくても才はある秀才と大多数の凡人で成り立ってる
蜀のような華々しい豪傑英傑天才による少数精鋭では何処かで必ず破局するのが世の常…
麋竺だけが例外だったんですね
地盤を固めて人材を集めて活用する…こんな事劉備が出来るような状態になった時にはもう50歳だからなぁ
その頃にはもう曹操が王手かけてるような状況だしね
まあ戦人生の大半を流浪と居候してたのにそこから皇帝になるんだから只者ではない
ブラックかどうか聞かれれば間違いなくブラックと答えるけどね
チングン!知らなかったです💦
勉強になりました(^人^)
そうすると陳珪・陳登親子も同じ事なのかな?
陳親子、徐州大切だもんね
陳羣は一旦呂布についたのは知らなんだ
なるほど。徐州を追われた劉備に陳珪、陳登親子が追従せず糜竺、糜芳兄弟が追従した理由がわかった気がしました。
現代人の視点からすればなんか妙にリアルな話ですよね、陳羣と徐庶···でも見習う点は多いですよね。 はじ三シリーズを見ていると劉備って『天運に恵まれてた呂布』って印象になって来ますねだんだん(笑)
僕も呂布と似た者同士だと思ってる。
まさに曹操とは対照的な劉備ですね。曹操も、いかにも万能なイメージありますけど、それらの事績は彼が養っていたブレーンの仕事だったのかもと私は思います。
この時代の人材登用の仕組みを考えると、献帝擁する曹操が絶対的な優位にある訳で……。徐庶の場合、劉備に登用された事がきっかけで曹操からスカウトされ、キャリアアップの為にそれに応じたってだけの話だと思います。
劉備は演義では人徳の人だが
はったり 行動力 暴力 でのしあがったというのが劉備の本質?
ある意味人間的で魅力を感じる。
僕も、「人徳のある呂布」ぐらいに考えてます。
「仁徳がある」と言っても、劉璋の様な「タダのお人好し」では無いんですよね。
夢を与える事が出来ても、給料を与えられず、志だけでついてくる部下しかいない
オッサン…
うだつの上がらない「いつまでもブラックな」中小企業の経営者さんですね。
俺だったら劉備が主君は嫌だな…
仁義、忠義を盾に何でも押し付けてきそう…自分の義兄弟には甘い…まるでヤクザの親分だ。義より法を重視してくれる方が働きやすい。
当時の漢人の世界観では、義は法より重かったようですね。儒教と近代的個人主義の相性が悪いのも頷けます
なんか某漫画のイメージだけで劉備見るみたいな人多いよね
そんな劉備と上手く付き合えた文官の簡雍・麋竺・孫乾って地味に凄いと思う。
人柄だけでは人は付いていかない。劉備の配下になったからにはら相応の仕事をしなければならない。仕事した対価である給料を貰えなければ生活は出来ない。
政治経済文化の中心である中原の覇者になれなかった時点でその後多少の幸運に恵まれたとしても劉備さんに天下統一の芽は無かったと思う。
あの時代、もしブックメーカーがあったとしたら袁紹のオッズは一番低かったはず。
名士層の行動原理が自分たちと違うということは劉備も知ってたと思いますがね。それだけに自分の元から離れても殺害するようなことはしてないわけですし。
財政基盤か。
たしかに、劉備は弱小だし財政の面では貧弱だったろうな。
しかし、それでもついてきた武将が数多くいたから人望の点では歴史的に見ても稀有な人だったんだろうな。
あと、陳羣に関しては性格的にも劉備とは合わなそう。
なお、ゲームだと内政官僚としては優秀ですから私は土下座してでも引き止めます!
諸葛一族は呉、蜀の要職を抑えてるんで結構な影響力ですよ。演技では公私混同しないとしてますが、春秋戦国の世では両国にまたがって影響力を持つというのは知られた処世術ですよね、孔明は呉を攻めませんし。他の人材とは動機が違うような気がしますけどね。
あまり[しゅうぞく]とは、言わないみたいですね。知人の大陸の方も「そうぞく」と日本語で発音していました。
じゃあ何で陳羣は劉備に除州牧を受けるなって言ったんですか??除州牧に付いて三者(曹操 呂布 袁術)の誰かと組みなさいと進言したって良いじゃ無いンですか?そんな人が本当に軍師って言えるンですか??
なるほど~、そこまで考えてなかったなぁ。経済基盤、要は金ね
三国志を知った当初、漢王朝の復活を願う荀彧と、自らが皇帝になろうとしてる曹操と最終的には仲たがいしてしまった話を聞いたとき
「あれっ、じゃあ最初から漢王朝復活を目指してる劉備につけば良くね???」
と思ったけど、この動画で述べてる通り、名族の荀彧を養うだけの経済的地盤が劉備にはないから無理か・・・
あっちに行ったりこっちに来たりは今も昔も変わらないんでしょうね
助言を聞き入れるか無視するかは難しい所で、さらに昔には韓信みたいなこともあるし取っていいのか悪いのか
曹操は徐庶を招き入れたばっかりに、諸葛亮を相手にするはめになった。
自身も「寄らば大樹の陰」で宮仕えする身なので陳羣の気持ちが分かる気がする。今も昔も経済的安定は重要な要素なのだから。
まぁ~ある意味当然の事やね~皆生活があるから当然と言えば当然('ω')
三国志をしれ知るほど、幻滅していくのもこれまた何ともw
特に演義から入り史実、内容を知るとw
最終的に皇帝にまでのしあがったのだから人生何が起こるかよくわからんよね
そりゃ、実績もない大風呂敷だけ広げてるヤクザモンに付いてくのは
相当な覚悟と無謀さがないと無理だわ。
曹操を悪者にした方が読み物としては面白いんだろうけどさ。
やりがいだけでは飯は食えないと
th-cam.com/video/cOU44M-04OQ/w-d-xo.html
記得點技能要把仁義點滿 皇叔永遠不會缺席
陳グンは横山光輝三国志でも、光栄三国志でも名前を聞いたことが無いです。何故なんでしょうね。
そもそも陳羣と徐庶を逃しても第二の陳羣と第二の徐庶が生まれるだけだし。別にどうでもいいよね。
こういう物の見方があると言うのはわかった。学生時代、演義に夢中になって読んだ者としてはいらない考察。
無能な劉備を捨ててよかった。
演義だと善人にされるけど、逃げ回り蜀をとり引きこもり死亡できてよかった、ちゅうことかな。
そんな正論言っちゃダメっ
曹操は基盤のしっかりしている大企業の社長で、劉備はブラック企業の社長かな。
部下になるなら曹操だよな。
要求も厳しそうだけど。
劉備がブラック企業なら
古今東西の企業は、みんな
ブラックだよ
子孫に陳舜臣がいるね
袁紹さんお金持ちなのに荀彧に見放され...
袁紹は抱えている名士の数が多い。曹操の方が人柄もあるが重用してくれるから。生姜が蜀へ行ったもの同じ理由。
@@lemonsoup1920 さん。その生姜は、今で言えば、活躍の場を求めて孔明に惹かれてFAで蜀漢へ移籍したというようなものですかね。
劉備をボコせー!
陳羣、魅力低いわけがわかったわ。
冒頭の編集長kawausoが…て何の忖度?Kawausoの意見を宇治って人が代わりに動画にしましたって意味?それ言う必要あるのかな。脚本カワウソ、ナレーター宇治てこと?
おまえらがkawausoさんの事叩きまくってたから病んじゃったんだろ
確かにこの男の人の声は聞き取りやすいけど、別にイジメるほど聞きづらかったわけでもないkawausoさんの鼻声を投稿する度に大量に文句付けて内容のコメントどころじゃなかったからな
内容での評価ならまだしも努力範疇にないただのイジメに、おまえらはなんの疑問も持たなかったのか?
比木こもりん さん、相手を間違えている。私はkawawuso氏を叩いていないし、鼻声云々の事は一言も言ってない。鼻声云々は発言した本人に直接言って下さい。
たまにうざい。
要点だけ話すだけでええわ
劉備ボコせ!
徐庶って劉表没前に去ったんでは?
かっこよくかかれすぎた、演技や横山三国志時代からずいぶんわかってきたよなぁ。