**1959年制作「昭和東京シリーズ 第11版」:戦後東京の変遷を描く** 1959年に制作された「昭和東京シリーズ 第11版」は、第二次世界大戦後の東京の変貌を描いた包括的な視覚的年代記です。この映像作品は、戦争で荒廃した地形から急速に発展した近代都市への東京の軌跡を、13年間という短期間で丁寧に描き出しています。 感動的なナレーションは、過去の困難を乗り越えて現代が最善であるとの考えを伝え、郷愁の感覚を呼び起こします。この作品は、戦時中の問題を内省的に考察し、食糧やレクリエーションの場所の不足を強調しつつ、これらの逆境を勇敢に乗り越えた人々の不屈の精神を称賛しています。 この物語の中心には、人間の知恵と人類の歴史を刻む努力への深い敬意があります。視覚的なタブローには、夢を育む母親、故郷への道を辿る避難民の列車、かつて活気に満ちていた都市が焼け野原と化した厳然たる並列など、感動的な場面が詰まっています。 東京都には、故郷に帰りたいという願望と、焼け野原、焼け焦げた住宅、荒廃した学校という厳しい現実との間の不協和音に取り組んでいます。この語り手は、広大な空の下で実存的な問題を深く考え、天空のキャンバスの下で日本の歴史を熟考するよう促します。 この時代に何百万人もの人々が直面した無数の困難に細心の注意を払い、彼らが直面した無数の闘争と課題を生き生きと描いています。家族の絆のテーマは、涙を流す母親と家族を育て、支えるという重大な責任を描き、感情を揺さぶるシーンを通して共感を呼び起こします。 東京は、明るい未来を築くことを熱望する人々にとっての希望の象徴として浮上し、語り手は東京が広がる問題を何とか乗り越えられるとの信念を表明します。この映像は、闇市の参加者に対する政府の言葉に批判的に取り組み、同時に都市風景の中での困難と苦しみの描写を深く掘り下げています。 映像全体には食糧不足への微妙な言及が散りばめられており、カボチャに頼る人々のシーンや、国の状況について不安を表明する語り手が登場します。映像の後半部分では焦点が戦後に移り、食糧不足や経済的困難という点で国民が直面した逆境が詳しく語られています。東京の復興の取り組み、インフラの進歩、そして1952年の東京の新しい代表の選出に関する談話でクライマックスを迎えるこの視覚的な物語は、東京の戦後の軌跡の多面的なタペストリーを要約した総集編となっています。 The "Showa Tokyo Series, 11th Edition," produced in 1959, stands as a comprehensive visual chronicle delineating the metamorphosis of Tokyo in the aftermath of World War II. This cinematic portrayal meticulously unfolds the rapid trajectory of Tokyo's development, tracing its trajectory from a war-ravaged terrain to a burgeoning modern metropolis within a succinct 13-year temporal span. The poignant narration conveys a sense of nostalgia, deeming the contemporary era as optimal, notwithstanding the tribulations of the past. It introspectively contemplates the wartime challenges, underscoring the dearth of sustenance and recreational spaces, while concurrently spotlighting the indomitable spirit of individuals who resiliently navigated these adversities. Central to the narrative is the profound emphasis on human sagacity and endeavor in sculpting the annals of humanity's history. The visual tableau encapsulates poignant scenes, including a mother nurturing a dream, evacuee trains retracing their routes to hometowns, and the stark juxtaposition of a once-vibrant city reduced to smoldering ruins. The city of Tokyo grapples with the dissonance between the aspiration to return home and the stark reality of a sprawling, desolate expanse punctuated by scorched earth, charred dwellings, and dilapidated schools. The orator contemplates existential matters beneath the expansive sky, urging contemplation of Japan's history beneath the celestial canvas. It meticulously references the myriad tribulations faced by millions of individuals during this period, vividly portraying the myriad struggles and challenges they confronted. Themes of familial bonds resonate through emotionally charged scenes, portraying tearful mothers and the solemn responsibility of nurturing and supporting families. Tokyo emerges as an emblem of hope for those aspiring to forge a brighter future, with the speaker expressing faith that the city will somehow surmount prevailing challenges. The video critically engages with the government's discourse against participants in the black market, concurrently delving into the depiction of hardships and suffering within the urban landscape. Nuanced references to the scarcity of sustenance are interspersed throughout the footage, featuring scenes of individuals reliant on pumpkins and the speaker voicing apprehension about the nation's condition. The latter segment of the video shifts focus to the post-war period, recounting the adversities faced by the populace in terms of food shortages and economic hardships. Culminating with a discourse on Tokyo's reconstruction endeavors, infrastructural advancements, and the selection of a new representative for the city in 1952, the visual narrative becomes a compendium encapsulating the multifaceted tapestry of Tokyo's post-war trajectory.
先人たちの努力で、復興できたのは、感謝してます。
オリジナルフィルムは、ぼかしがなかったはず。故人がほとんどでぼかす理由が分かりません。その時代の懸命に生きていた人々の表情にこそ歴史を感じるのではないかと思います。
私は83歳に成りました。戦中、戦後知っている私は涙がでました
@@non-monetizationchanneltinko 若いな。。
おじいちゃん長生きしてね
すごい感動!!
こういう映像を観たかったの。
自分は、この映像の3〜4年後に生まれた。
3歳頃から記憶が有る。
今より、食事、家電も
洋服、病気の治療等、
品質などは劣る時代だった。
だけど身体いっぱい使って遊び、学んだ時を経て今の自分がいる。
両親に守られて生活していたからなのか、
昭和30年代後半から
社会人になるまでの方が幸せだったな。
今は必要な物は持っている。
だけど年を取っちゃったよ。
余り幸せを感じない。
両親も逝ってしまったし。
両親や祖父母、伯父、
伯母が懸命に働いてくれたから日本は立ち直った。
でも皆んな亡くなっちゃった。
働いてくれてありがとう。
国が立ち直るのに必要なのは教育と勤労だと教えてくれた映像。
何よりも「平和」
戦後も今も平和は大切な言葉だと思います。
戦後13年の映像。
今から61年前。
戦争経験者って強いなぁと復興期の日本人に感心します。
戦後の日本、東京の目覚ましい、発展の
歩み、改めて、戦後の日本の、復興
大変勉強になりました。有難う御座います。シェアさせて頂きます。🙇♂️
日本人の誠実さと真面目さを感じるよ😊我らは、先人達に、有り難うと言おうよ❗️彼等の労苦があって今が有るんだな‼️
素晴らしい動画でした!ありがとうございました。
⭕️コロナウイルスのおかしな点⭕️🟢①🟢
●新型コロナウィルスとは風邪の一種で発熱喉の痛み・咳・倦怠感が多い事が特徴(厚生省のサイトから抜粋したもの)→普通の風邪の症状と同じで恐れず軽視し過ぎず神経質になる必要なし●海外ではフェイクウィルスという事で市民がデモを行った●メディアはクライシスアクター(演者)を医療従事者役・患者役を使いコロナ恐怖を演出し煽り沢山あるが一例あげると患者が病室でコロナで苦しむ姿が映され亡くなったとされ過去に2度違うもので亡くなりこの患者はコロナを含めて3回亡くなった事になります●イタリア・ドイツ・アメリカなどで医師・法律家・政治家がコロナ騒動が過剰・デマという事で立ち上がった
🟢日本で年間(*年により多少の差あり)
●自殺者⭕️2〜3万人*自殺の9割は⭕️他殺
●自殺未遂⭕️約52万人●不審死⭕️約10万人
●行方不明者⭕️約8万人
●15歳〜39歳の死因一位⭕️自殺
●インフルエンザピーク時感染者⭕️約1000万人・死者関連死含め⭕️約1万2千人
●何らかのウイルス細菌などで⭕️2000万人が風邪を引く⭕️死者もインフルエンザの方が圧倒的に多く重症化するとインフルエンザ脳症になりコロナにはコロナ脳症がない
●肺炎による死者⭕️約10万人
●ガンによる死者⭕️約37万人
●薬剤耐性による死者⭕️約8000人
●浴室による事故死⭕️約1万9000人
●食べ物による窒息死⭕️約4000人
●交通事故による死者⭕️約3500人
●コロナによる感染者・8ケ月(1月〜8月)で⭕️約5万人(発症者約3万人)・死者⭕️約1000人(殆どが高齢で複数・重篤な基礎疾患・病気、免疫異常などがある人)
🟢連日の集中・嘘の報道によりテレビしか見なかった人は新型コロナは感染力・毒性が強く死者も多くエボラ出血熱くらい怖いものと思い込まされ圧倒的にインフルエンザの方が感染力毒性が強く重症化しインフルエンザ脳症で若い子がそれなりに亡くなる🟢世界的に感染者数・死者数を水増ししており政府から圧力をかけられコロナ以外で亡くなっている人を死亡診断書にコロナと記載するとアメリカの例では診療報酬が約140万円〜420万円貰える⭕️大事なのは感染者数ではなく患者数重傷者数と正しい治療をする事が重要⭕️無症状感染者が他人に移す事は科学的根拠に乏しい(WHOも極めて稀と発表)🟢感染者数が増えてるのは不正確なPCR検査をしており開発者が感染症を診断するものではない(ウィルスの有無を見るものではない)と公言し陰性者でも陽性者(偽陽性)になる事がありパパイヤ・ヤギ・羊など他のウィルス細菌・性感染症(クラミジアなど)常在ウィルス細菌も陽性になり取扱説明書にもこ記載がある⭕️95%が無症状・軽症で重傷者死者も殆どいない⭕️今迄の検査は病院に行った人が医師に症状を伝えて必要に応じて検査をしていたが新型コロナは先に不正隠なPCR検査をしてインフルエンザ検査させずインフルエンザの患者が世界的に極端に減ったコロナウィルスは4種類あり未だはっきりと新型コロナウィルスの研究は真面にされず(たった10日)⭕️病原体確認の鉄則コッホの4原則を満たさず感染症対策が先走り要するに新型コロナは存在しない可能性が高く志村・岡江などは他の病因で亡くなられた可能性があり歴史上根絶したウィルスは殆どなく上手く付き合って行くしかなく体表体内に常在菌や未知のウィルスなど数多くあり良くも悪くも人間に対し働き各々が正しく共存する事🟢マスク自粛(例外あり)は逆効果●マスクの穴はウィルスの50倍あり簡単に口に侵入するので先ずこの時点で全く意味がなくマスクの内側が唾液と汗で菌が増殖し不衛生かつマスクの内側でウィルスが籠りやすく酸素を取り込みづく血液が酸素を肺から組織に運ぶ役割りが減るため免疫を下げ感染のリスクを上げ夏は熱中症のリスクも上げる🟢熱中症による死者1581人(2018年)で例年の2.6倍熱中症で搬送され咳くしゃみをする時はマスクより両手で鼻口を塞いで行い目鼻口などの粘膜傷口にウィルス細菌が付着しすぐに感染発症(ウィルス細菌が増殖し症状が出て患者となる)とはならず粘膜の組織がウィルス細菌を分解し免疫で排除するので日々免疫を高める●2歳以下のマスクは心肺機能が弱いなどの理由で死亡のリスクもある●自粛は免疫の下がった高齢者や持病がある人だけにしそれ以外は経済活動をする。但し過剰な自粛は紫外線を浴びない血流が悪くなるなど免疫を下げる●過剰な手洗いやアルコールは常在菌を殺し免疫を下げ経皮吸収(経皮毒)でハンドソープやアルコールの有害な成分が血管を通り有害かつ免疫を下げる🟢コロナ感染の主は接触感染で空気感染しない等の理由でソーシャルディスタンス・緊急事態宣言自粛も効果がない🟢ワクチンは感染者になる・広めるリスクがあり体に有害で突然死・痙攣・車椅子生活知的記憶障害・自閉症・重症化・難病アレルギーなどの事例●因みにスペイン風邪が第2波第3波で流行したのはワクチン摂取・薬が原因で感染者死者がかなり増えた●風邪の原因の90%はウィルス10%は細菌で細菌に効く薬はあるがウィルスに効く薬はないので以下の事に気を付ける●食事(遺伝子組み換えゲノム編集ではなく免疫が上がる食べ物)睡眠・入浴・適度な運動(1日15分紫外線を浴びる)外で遊びストレス発散・漢方などで免疫を上げる事に日々努め風邪は自分で治し例外もあり重症化前に病院に行く🟢給付なき自粛で自殺・犯罪・虐待・倒産失業を上記の理由と経済破綻でこれらが増加傾向🟢アメリカ失業者6月時点約4200万人●アメリカの年間自殺者数が4週間で到達
①🟢 th-cam.com/video/KMz0r-cXpQM/w-d-xo.html
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🟢th-cam.com/video/lw2Sx0kDQAw/w-d-xo.html
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②🟢 th-cam.com/video/LIYTiFKzCHI/w-d-xo.html
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③🟢 th-cam.com/video/GSSQH6PXwoY/w-d-xo.html
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ボカシの必要あるの 人は顔に現れます 記録の値打ちも半減しました
東京タワーに家族4人で登りました。階段でです。弟が小学1年くらい。
吉川英治のファンだったので映像が見られて嬉しい。大人になってから吉川英治に似ていると言われ、嬉しいようなそうでもないような複雑な気持。
10:16 「谷原小学校バス停」は今も練馬区の目白通り沿いに現存しています。後ろに見える煙突は「旧日本帝国陸軍成増飛行場」を戦後米軍が接収し宅地化した「グランド・ハイツ(1973年返還後は光ヶ丘団地)」の米軍住宅内にあったボイラー施設の煙突だと思われます。(バス停より北東方向を撮影した風景。
有楽町時代の都庁舎の映像は懐かしいですね🎵
今の東京国際フォーラム🎵
昭和34年はまだまだ 東京の復興感がある時代です。
いやあ、昭和31年の経済白書とやらで、「もはや戦後では無い 」と言われ、戦後の復興感は、無くなっていましたよ。
@@哲朗高橋-x6u「もはや戦後ではない」政府の単なる掛け声ですね。実質的に戦後復興から経済成長の段階に至るのは1964頃からになります
生きて帰ってきては困る人がひょっこり帰ってきてある意味家族と近所中を驚かせたり、帰ってきて欲しい人に限って帰ってこず。そんなドラマが幾人、何世帯いただろうか?何年経とうが人生なんてそんなもんだよね。
晴海ふ頭。オリンピック選手村になった現在も、映っていた上屋と鈴江倉庫だけまだ残っている。
岸壁には貨物船、反対側には臨港鉄道。開通当初はSLがけん引していた・・・
個人が特定できなくする加工も世知辛い。この頃の映像ならもういいのではないかと思う。
今時どんな変なやつが文句つけるかわからんからね。
@@義則鈴木-x5m 反撃しなきゃならんのだ
ぼかしを入れる必要はないのでは
顔にぼかしは流石に過剰ではないだろうか?歴史的映像に手を加える愚行。人々の表情が一番大事なのに。
NHKやキー局が公式に配信している過去の映像あるが、モザイクなんてかけてないですよ。
まったくそのとおりです 作品が台無し 侮辱に感じます
現在より夢があるように思えるのはなぜでしょうか?
歴史は常に美しく修正され記憶(記録)されていく
ぼかしを入れる必要があるのだろうか?
ありません
復興してもまだ街には傷い軍人を見かけたよ
東京は人の生活の為なのか、国の事情の為なのか、考えさせられる。
19:50 警察は進駐軍のいる間は拳銃の所持を許されず、不法者が拳銃をちらつかせ、治安が極めて悪かったところ、一部ではあったが、今で言う「ヤクザ」が治安維持に一役買ったということがあったそうな。
この映像をスマホで見る。
制作スタッフ誰も想像しなかっただろ
子供の頃はよく庭でチャンバラやゴム跳び、こま回し、縄とび、スッケンゴ、他 などし元気に遊んでました。
昭和33年というと、現在65歳の私が2歳児だった頃ですね。一家は都内に住んでいました。
戦後の食糧難の時に吉田茂がGHQに支援を要請したところ、届いたのはトウモロコシの粉だったそうな。トウモロコシには2種類あって、人が食べる「コーン」と家畜が食べる「メイズ」とあって、届いたのは「メイズ」でした。知れば知るほど複雑な気持ちになります。
ちなみに公営住宅は田中角栄さんの発案
なぜ顔をボカしてあるのだろう?
いい
最後に流れる合唱曲は『東京都歌』ですね。学校で習わないし、都庁職員も知らない。
6:05 御茶ノ水の聖橋だな
kagonaka
私は江戸っ子4代目 だから分かるが、読み方くらい書いてあげたら❓
「ひじりばし」とか。
@@NK-li1no また、あんたか、偉そうに! そういう言い方しか出来ないのか! そもそも江戸っ子と言うのは、三代続けば、江戸っ子と言うのであって、あえて4代目と言わなくて、「三代以上続く江戸っ子」だい!と言えばよい。江戸っ子と自慢したいのなら、江戸風俗や歴史文化について勉強しろよ今どき東京人だと自慢するのはおかしいぞ、キミは年よりだろ、今どき、人に対して「キミ 」とはな!、 聖橋 (ひじりばし)がどうした?小学生レベルの事しか言えんのかいな!
@@NK-li1no「江戸っ子4代目」とはなんだ、江戸っ子の定義も、わからんのか4代目とは言わないんだよ、3代以上続く江戸っ子だい!と言うんだよ。
この頃に生まれた先輩方も定年を迎えたのですね
東京都は我々都民の血税で成り立つ組織なのだからそれらが持つ映像や音声の一切の権利は我々都民にある。従って、東京都が持つ一切の映像または音声作品はインターネットにおいて全都民が無料で視聴できるようにするのが正しいあり方であり今すぐそうすべきである。
いまの都議会よりよっぽどまともですね
14:08 日比谷の第一生命本社ビルかな?
貧しくとも逞しく生きてきた戦後の日本。貴重な映像です。
でも残念にもその人々の表情がモザイクで隠されています。
なぜ歴史的な映像にモザイクを掛けなければならないのか。
誠に残念な映像です。怒りを覚えます・
王貞治デビュー元年。王さん高校生から数えて70年近く有名人やってんのか。スゴイなぁ
王さん、墨田区錦糸町近くの中華料理店のせがれで、私の知り合いのおじさんが、王さんの店のとなりで、タイル屋さんをやっていました。
食うのが大変すぎたのは1年くらいだったと思いますけどね。
東京は世界一の都市になったと思いますよ
昔は1年が重かった。
今は軽い。
小さい時は片足と片腕の無い元軍人さんが空き缶の前で歌っていた。
この年は、後の世界のホームラン王の王貞治さんがプロ野球デビューしました😮
人の顔にぼかしをかけちゃだめだあ。個人の人権やプライバシーの保護というものを勘違いしている。とても良い映像なのに、なにか大切なものをなくしてる。残念。今の世の中、こんな風に反動が出てしまうのは仕方ないのかなあ・・。
5:16 「図らずも見るや都にそばの花」
13:28 日本の道路はいまだに狭く踏切が多い
何県の人か?
@@NK-li1no 東京
@@ja8104
私も4代続く江戸っ子。
@@NK-li1no このコメント消せよ、「4代続く江戸っ子」、とは、言わないんだよ! 3代続けば「江戸っ子」で、「3代以上続く江戸っ子だい!」と言うんだよ。江戸風俗や歴史文化を勉強すれば
@@NK-li1no馬鹿が
**1959年制作「昭和東京シリーズ 第11版」:戦後東京の変遷を描く**
1959年に制作された「昭和東京シリーズ 第11版」は、第二次世界大戦後の東京の変貌を描いた包括的な視覚的年代記です。この映像作品は、戦争で荒廃した地形から急速に発展した近代都市への東京の軌跡を、13年間という短期間で丁寧に描き出しています。
感動的なナレーションは、過去の困難を乗り越えて現代が最善であるとの考えを伝え、郷愁の感覚を呼び起こします。この作品は、戦時中の問題を内省的に考察し、食糧やレクリエーションの場所の不足を強調しつつ、これらの逆境を勇敢に乗り越えた人々の不屈の精神を称賛しています。
この物語の中心には、人間の知恵と人類の歴史を刻む努力への深い敬意があります。視覚的なタブローには、夢を育む母親、故郷への道を辿る避難民の列車、かつて活気に満ちていた都市が焼け野原と化した厳然たる並列など、感動的な場面が詰まっています。
東京都には、故郷に帰りたいという願望と、焼け野原、焼け焦げた住宅、荒廃した学校という厳しい現実との間の不協和音に取り組んでいます。この語り手は、広大な空の下で実存的な問題を深く考え、天空のキャンバスの下で日本の歴史を熟考するよう促します。
この時代に何百万人もの人々が直面した無数の困難に細心の注意を払い、彼らが直面した無数の闘争と課題を生き生きと描いています。家族の絆のテーマは、涙を流す母親と家族を育て、支えるという重大な責任を描き、感情を揺さぶるシーンを通して共感を呼び起こします。
東京は、明るい未来を築くことを熱望する人々にとっての希望の象徴として浮上し、語り手は東京が広がる問題を何とか乗り越えられるとの信念を表明します。この映像は、闇市の参加者に対する政府の言葉に批判的に取り組み、同時に都市風景の中での困難と苦しみの描写を深く掘り下げています。
映像全体には食糧不足への微妙な言及が散りばめられており、カボチャに頼る人々のシーンや、国の状況について不安を表明する語り手が登場します。映像の後半部分では焦点が戦後に移り、食糧不足や経済的困難という点で国民が直面した逆境が詳しく語られています。東京の復興の取り組み、インフラの進歩、そして1952年の東京の新しい代表の選出に関する談話でクライマックスを迎えるこの視覚的な物語は、東京の戦後の軌跡の多面的なタペストリーを要約した総集編となっています。
The "Showa Tokyo Series, 11th Edition," produced in 1959, stands as a comprehensive visual chronicle delineating the metamorphosis of Tokyo in the aftermath of World War II. This cinematic portrayal meticulously unfolds the rapid trajectory of Tokyo's development, tracing its trajectory from a war-ravaged terrain to a burgeoning modern metropolis within a succinct 13-year temporal span.
The poignant narration conveys a sense of nostalgia, deeming the contemporary era as optimal, notwithstanding the tribulations of the past. It introspectively contemplates the wartime challenges, underscoring the dearth of sustenance and recreational spaces, while concurrently spotlighting the indomitable spirit of individuals who resiliently navigated these adversities.
Central to the narrative is the profound emphasis on human sagacity and endeavor in sculpting the annals of humanity's history. The visual tableau encapsulates poignant scenes, including a mother nurturing a dream, evacuee trains retracing their routes to hometowns, and the stark juxtaposition of a once-vibrant city reduced to smoldering ruins.
The city of Tokyo grapples with the dissonance between the aspiration to return home and the stark reality of a sprawling, desolate expanse punctuated by scorched earth, charred dwellings, and dilapidated schools. The orator contemplates existential matters beneath the expansive sky, urging contemplation of Japan's history beneath the celestial canvas.
It meticulously references the myriad tribulations faced by millions of individuals during this period, vividly portraying the myriad struggles and challenges they confronted. Themes of familial bonds resonate through emotionally charged scenes, portraying tearful mothers and the solemn responsibility of nurturing and supporting families.
Tokyo emerges as an emblem of hope for those aspiring to forge a brighter future, with the speaker expressing faith that the city will somehow surmount prevailing challenges. The video critically engages with the government's discourse against participants in the black market, concurrently delving into the depiction of hardships and suffering within the urban landscape.
Nuanced references to the scarcity of sustenance are interspersed throughout the footage, featuring scenes of individuals reliant on pumpkins and the speaker voicing apprehension about the nation's condition. The latter segment of the video shifts focus to the post-war period, recounting the adversities faced by the populace in terms of food shortages and economic hardships. Culminating with a discourse on Tokyo's reconstruction endeavors, infrastructural advancements, and the selection of a new representative for the city in 1952, the visual narrative becomes a compendium encapsulating the multifaceted tapestry of Tokyo's post-war trajectory.
戦後13年の映像かはじめて見たよ。当時は食い物がろくになかった時代だからな。
いきなり吉川英治がでてびっくりした。。。なぜ?
こんな東京知らないし想像もできない…やはり戦争は二度と起こしてはならない
子供のケンカは当たり前
婦人参政権と言ったら明治27年生まれの市川房枝思い出しますね、昔はパンの耳も食べました、脱脂粉乳やら🥺画像見てたら泣けてきます。
名前も知らない見た事もないひーおじいちゃんはこの時代を生きていたんだな
4:20 吉川英治にも若い時があったんだねえ♪
住む所も食う物も無く何もかもめちゃくちゃ下手したら無いに等しい。故に早急に何とかしなければならないのは凄まじく解る。しかし、未来に対するビジョンも無く突っ走ってしまうと未来に対する課題を残してしまうのも事実。街の復興に建材が必要だったから杉を植えまくったら杉花粉に苦しめられ、後の高度経済成長で人を都会に集めすぎたら団塊の世代というお荷物や地方の過疎化を招き、復興からなる高度経済成長からのバブル崩壊で氷河期に苦しめられた。焼け野原でどうにかしなきゃならんのは解る、しかし何でもかんでもやれば良いという話でもない。血の涙を流しながら一度立ち止まる勇気も必要だった
長野さん、OLみたい。
昭和時代の常識がすごかった:あの頃の常識を思い出す。
th-cam.com/video/WozZptKRU3U/w-d-xo.html
中川家の元ネタこれなんかな?
吉川先生は此の数年後に亡くなられるんですね。💧
これは凄過ぎる!だって今で言えば戦時中に生きていた人が平成生まれって事になるもんね。
あんなに過酷な時代を生きて幸せだったと言う。。今は焼夷弾も降って来ないし明日の食べ物も心配しなくていいが、一体何人の人が幸せな人生を送れることだろう。
オープニングが恐怖映画かと
焦土からたった13年で…
今から13年前は東日本大震災があった年。
この間。日本はどれだけ目まぐるしい発展をしてきたかと
思えば空しささえ覚えるほどの劣化の一途を辿っている。
比較しても無意味だとは思うが、
「失われた30年」の時間の尺を広げても
見るも無惨に貧富の差だけが拡大し、
日本国の繁栄を支えてきた「一億総中流」層は壊滅してしまった。
この先の13年を占ったとしても、
フィルムのような画期的な社会の形成や人々の、ひたむきさは
恐らく望めないだろうな…
今、授業中にビーリアルをパシャパシャとる輩が授業中にいる一方で、この頃の大学生からは学ぶことの必死さが感じられるな。
私の昭和30年当時は子供でこんな感じでした。
th-cam.com/video/Ss5FDzhCWUU/w-d-xo.html
ボカシがイミフ
電話は呼びだし
今の福島県が東京だってのかなぁなんてふと思う
今の東京は埼玉の続きだったのだ なぁんてね
戦争で日本を地獄のような惨状にした戦争責任者の罪は深く重い。あの世でも灼熱地獄で永遠に焼かれる。
蚊帳
当時の日本人は戦争を現在のワールドカップだのオリンピックだのと同一視してたんだろうなwまさか完膚なきまでに身ぐるみ剥がされることになるとは考えもしなかったんだろうね・・・
0:11 これ怖い
戦争で焼かれた家に亡くなられた民間人の保証は1円もありません!日本が復興するのに100年かかると言われたが20年後にインフラ復旧、鉄道網でき新幹線も走るし高速道路もビルも立ち並びオリンピック!人口は8000万人で農業人口が1600万人!今や150万人!復興のためみんな大都市に来てしまった!
確かに今、日本のスーパーマーケットにはアメリカ合衆国様に住んでいる普通のアメリカ人が食べても少しも可笑しくないアメリカンビーフの大きなサイズの厚切りステーキ肉が当たり前に販売されていていつでも購入して好きなだけ食べられる。アンガス牛だ。炭火で焼くと本当に香ばしくて美味しいと思うなあ。そんな肉食に伴いあらかじめ考えて用意されているんだろう大小の様々な種類の色々なサラダも袋に入っていて販売されていてスダチやレモン、カボスを絞って振りかけ何時でも食べられる。食後にはニュージーランド産のキューイーフルーツやフィリピン産のバナナやパイナップルなんでもござれだ。食後に食べる乳製品100%のハーゲンダッツ・アイスクリームもあり本物のアイスクリームを食べる事まで出来るんだ。可笑しなまがいもので作られているアイスクリームを避けて食べられるんだ。それは日本人の選択肢が増えて個人の好みが反映され始めたと言う話だなあ。ある意味、どんなに人を欺こうとしても、どうしても人間が求める自然な欲望には逆らえないとの話だろう。個人の選択肢が目の前にあるんじゃさあ。
あとは今後も選択肢が増えて自然に沿った選択が出来るかどうかだろうなあ。選択肢を誤れば、過労死と隣り合わせのウサギ小屋住宅が証明する貧弱な生活社会環境の中で均一人間金太郎飴人間として言葉もなく物言わぬ家畜のように生きて行くしかない。何も主張する気概もなくさ。それは最終的には添加物食品が日本の食卓から一掃され自然な食べ物となったときに日本の戦後が終わるんだ。そして、そんな日が来た時に日本人が本来の人間としての姿かたちを取り戻し考えを持つことが出来た日になるんだろう。そして、こんな事を言っている人達に笑顔を添えて手を振ってバイバイと言える日だ。
『世界中の人達から愛される日本って素敵だと思いませんか?』、とか、『和牛の肉の美味しさに外国人が目から涙を流した。』、とか、『日本のパンの美味しさに外国人が驚いた。』、とか、『日本は素晴らしい国だ、いいから、とにかく素晴らしいんだ。』、『原発は絶対安全なんだあああああ!!』、等々、クルクルパ~・ジャパン音頭に合わせて踊っている可笑しな物の道理が分からない人達に、小気味よく、さよならって言えるんだ。そして、その日から人間としての責任を持つんだ。自分の姿顔形に責任を持てって事になるんだ。r3/9/22水☁26°1120世涼.
ああ モザイク ?
ナレーターは宮田輝アナかな?
そうですね。
誰も触れていないので、
書こうかと思っていました。
戦争よりはマシだけど、昭和34年の東京には行きたくないなぁ。
当時、餓死はいやだ。今、自宅療養放置死はいやだ。
EF55が走ってゐる。
出だしの音楽「コワイ」っつーの!
感謝。戦後13年(昭和33,1958年)食パンの耳をゴミ?早!水食糧,上下水道の裏事情知るべし。内職。東京自慢。地方の県自慢も見たいですね。理念はすばらしい。
24:39 池田勇人とインドのネルー首相かな?
修学旅行で(中3)で東京へ行ったとき、国会議事堂前で池田首相に会いました。車の中から。手を振ってくれました。テレビニュースでしか見た事がなっかたので、驚きました。
keso keso
インドの当時の首相は
“ ネール ” だよ❗
@@NK-li1no 様
ご指摘ありがとうございます。間違って覚えてしまってたみたい。「ネール」ですね♪訂正してお詫びします。
一応ググってみたところ、ヤフー知恵袋に投稿されていました。「あえてカタカナにすると『ネヘルー』と表記するのが発音に忠実。」とのことでした。ひとつ勉強になりました♪
@@NK-li1no 日本の厚生労働省も知らないくせに、なにが、インドの「ネール」だよ!「だよ! 」なんて返信コメントの仕方おかしいだろ それで日本語の正しい使い方の専門家とはな!?人を見る 上から目線で、人を小ばかにするのではないよ。歴史文学 政治経済 法律の知識もなさそうだよ いや無いよなあんたは、それで、文末にはカッコ( )元アナウンサーとはな!
脱脂粉乳
オレが0-1歳の時や!
って全然記憶に無いけど。
この状況でどうやって子供を産みまくってたのかな?
今日、3時間新幹線か遅延したぐらいで、疲れたと不平を言った自分が恥ずかしくなる。
そして、新幹線に飛び込んで死んだ人にはこの動画を見せたかった。
誤字が多い👊
12:07 日本語上手過ぎ。
平和が一番だからこそ、
平和を守る為にも憲法改正。
自衛隊が満足に戦える環境、
ここの整備が遠いようで一番の近道。
尖閣諸島・北方領土、
領土の割譲で平和が訪れる程、
優しい世界で我々は生きていない。
平和憲法は自由を制限している憲法。
侵略を許す憲法だと認識する必要、
9条の存在が今の中国の侵略を許している。
顔をぼかす? プライバシー? ふざけるなと言いたい。個人個人の表情もその時代の貴重な現実の一部ではないか。
7:00のあたり胸糞注意
風呂はまき風呂
自宅にある風呂のことを「うち風呂」と呼び、お風呂のある家は裕福とされていた時代。だいたい銭湯に行くものとされていましたねえ。
ずっと遡って、江戸時代には火災予防の観点から江戸の町屋には内風呂が許されなかったと聞きました。その名残でしょうか、東京では内風呂が無い家がたくさんありました。
昭和の半ば過ぎ。
混浴
秘境の温泉地ならともかく、混浴では、ないでしょう!
7:44 こんな困窮している時にそれを利用して台頭しようとする左翼とか、いけすかねえ。
@AZ1974 様
なるほどねえ。 国家国民の安寧を思わない者は、まさしく鬼畜そのものですねえ。しかも昔話ではなくて。
成人映画
佐藤宏
何回にも 細(コマ)切れにしないで、1回にまとめて書け!
@@NK-li1no さんよ、1回に、まとめて書け!とはなんだその威張った言い方は! 昭和28年の日本人の平均寿命が45歳にも満たない 「地球がひっくり返っても」無い!当時、平均寿命が60歳の訳がないと言ったし、他にたくさんの自分で作っデタラメ話を人に押しつけ理解させるような事を言っている。厚生労働省の公式ホームページ、つまりネットを使って調べてみなさい。
「地球がひっくり返る」どういうことか、説明してみなさい。自分の不適切発言を指摘されると、訂正 謝罪の返信コメントもせずに、逃げてしまって一切その番組には(返事)返信コメントをしてこない!なんたる卑怯 陰険な男なんだよ!佐藤宏さんに謝りなさい。
@@NK-li1noなんだ!偉そうに、おまえ馬鹿のくせに!
エッチ
ごめんなさい。2m14sでギブアップ。ムリ。
2m14cでは、
秒 secondだからあってるよ!
@@義則鈴木-x5m すいません 2メートル14センチで、cmで、cかと思ってました。ご指摘ありがとうございます。2minutes14secondsですね。なんで身長や高さの事、言ってるのかなと最初思いましたので