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お早う御座います〜お疲れ様です。今日は本当の意味でリアル神社ですね~ 山を歩くのは可也大変なんで、 しかも3時間!! 凄すぎ〰無理はしないで下さいね〰
カンジくん、ありがとうございます😊猛暑の中❗️3時間‼️本当お疲れ様でした.内容楽しく拝聴しました〜🎉昔から!行きたかったので、本当あらがとうございました❤😊これからも、たのしみにしていますので.お身体に気をつけて〜🎉
暖かい労いのお言葉、ありがとうございますこれからもよろしくお願いしますコメントありがとうございました
先月行きましたが、蚊が大変で集中しきれなかったので、ありがたかったです。穴観音。逆に穴に向かって大きな声を出すとすごく、反響してエコーがかかって、こっちの方が正解なのではと思う感じでした。鏡岩も八畳岩もほとんどの岩に傷、(でも彫ったような線)が無数に入っているので、フトマニの儀式の一端なのかなとも思いました。環状列石、縄文時代周りの磐はご先祖様の墓で狩りへ行くときに報告したり 真ん中で神事や祭りをやっていたときいたことがあります。自転車移動で疲れてまだ回り切れていなかったので、蚊の出ない季節に、吉備津彦神社の裏から攻めなおしてみたいと思っていて、タイムリーに楽しんで拝見できました。暑い中ありがとうございます。
楽しんで頂けたみたいで良かったです確かに蚊とかは顔の周りに集まってきて気が狂いそうですよね私は前回の竜王山の時は吉備津彦神社の左横から登りましたが尾根に出るまでがかなりキツかったですその時八大龍王の所で御陵の方から来られた高齢の人にそっちの様子を聞いて、その後、御陵迄は一度黒住教の方から行きましたが時間が無くそこまでだったのでは今回はやっと黒住教の方から竜王山迄の往復出来ましたが途中標識が無くなってて石舟古墳の方に行けませんでしたのでそのうちまた行くつもりです蚊がいなくなってからですがコメントありがとうございました
詳しいお話ありがとうございます。子安神社の並んでいる社の裏から登られているのをみて、そっちから行きたくなりました😀
@@ロハン-q2v様やはり2年くらい前ですが、あそこから登るんだと思って吉備津彦神社の社務所で聞いたら、あそこからは整備されて無いのでやめた方が良いと言われて、左からの道を登った様な気がしますので、登る前に社務所で確かめられた方が良い様に思います今、思い出しましたので参考まで・・・頑張って下さい
詳しいお話ありがとうございます。
凄いですね~😍古代祭祀場がわさわさとありますね。鏡岩はちょっと方角までは分かりませんが、おそらく、木がなければ、海からも光って観えたのでは…と想像します。吉備津彦勢出雲族宇佐族と遡れますが、もっとそれ以前にも、武内一忠先生が唱えていらっしゃる世界中を航海して巨石文明を広げた海の民ラピュタ人も、この地にいたのではないかと妄想が広がります。縄文人が母系社会であったのは、体力のある男たちは世界中へ航海に出て行き、戻って来るまでは女性たちが中心となって集落をまとめていたとしたら、誰の子であってもみんなで育てるという現在では不思議に思える習慣も理解できるように感じます。山奥に見えるところも、古代では海面がもっと高かったため、案外海に近かったり、大きな川が通っていて、海と直結していたりします。【海の民=山の民】ということです。磐座群の名前もカタチも古代祭祀の様相をそのまま表していますね。【八】が多いですが、エネルギーの放出と吸収の循環を意味します。循環することで永遠性が担保されます。そのエネルギー自体が【龍】です。水でも、土でも、電流でもあらゆる龍がありますね。そしてそのエネルギーは穴から生まれます。穴観音さまの形状は勾玉と同じ意味です。ここから全ての命が生まれます。縄文人がこだわった穴です。ストーンサークルに立てる石柱も穴と同じです。穴と柱は同じであり、一体です。命を生み出す構造です。素晴らしいレポートありがとうございました。❣️
いつも素敵でスマートなコメントありがとうございますここは山全体が岩盤とかでは無く良い感じで岩が露出しています出雲族には最適の祭祀地だったと思います中国地方は山陰の出雲地方と瀬戸内海地方は湿気感と雰囲気は全く違いますが良い感じで花崗岩が露出しています山間部の花崗岩は果てしなく巨大な地球的時代スケールで言えば古い岩質でボロボロ朽ちて砂鉄状で川に流れている感じですが瀬戸内海沿いの花崗岩はまだ若くエネルギーの循環が活発な感じです特に宮島の弥山の花崗岩はかなり元気な感じがしますだからどうだというわけでは無いですが花崗岩は面白いな、と思います吉備地方は今までそれ程魅力を感じて無かったですが一歩踏み込んで見れば魅力ザクザク、宝の山です当分離れられないそうに無いですので今後共いろいろとよろしくお願いします
@@kanji-kun1280 さま古い岩質がボロボロ朽ちて砂鉄状に流れている出雲と瀬戸内の花崗岩が若く活発なエネルギーとは、そのまま【山陰山陽】という言葉にも表れているような気がします。現地でないとなかなか味わえない感覚をいつも届けてくださりありがとうございます♪
出雲が入ってくる前は宇佐族の領地だと言ってましたね。古代の宇佐族は宗像家と一緒になる前から月神信仰だったんですかねぇ~??? 出雲と一緒になってからの月神信仰になったのか… 太陽と月は表裏一体だと思うんですが〜
宇佐族。本来の表記は兎佐族。更に元々(素)は兎(ウサギ)族。
私も実は、太陽だとか月だとか星、龍、蛇、銅鐸、銅剣などの一つの信仰での部族の分け方にシックリ来ない物があります特に太陽信仰の部族は月神や星神信仰部族と敵対するとかそんな事はどうなんだろうと思いますましてやそれが原因で戦いが起こる?何か単純に片付け過ぎのように思っていて寧ろ他の複雑な事情があっての事を見逃している様に思います上手く言えませんが信仰も含めてそんなに単純では無い様に思います
@@kanji-kun1280 それッて多分イクメ大王(物部)が原因かもですね~ 確か徐福、物部、秦系は星神信仰だったはず。それが宇佐宗像の月神信仰が民衆が付いてくると考えて物部は簡単に月神信仰に移行、なのに豊城入彦命と豊城入姫さんと大和に侵攻しその後この二人が邪魔になり出雲の太陽信仰に頼みその信仰に乗っかって豊城入彦命と豊城入姫を大和から追い出してます。更に宇佐の姫巫女さんを暗殺してますね。物部ッてこんな感じ。なんでそんなに簡単に信仰を変えられるのか疑問で仕方なかったんですが、徐福系自体がもしかしたら秦の始皇帝の星神信仰を真似ていたのでは??? ッて考えるようになりました。そもそも徐福系はDNAが縄文人とはまるで違うらしいです。因みにユダヤ系のDNAってのはN系統やD系統らしく、それらが縄文人とすごい近いってYou Tubeで見ましたね。1つの情報としてでしたぁ~ 俺的には太陽信仰と月神信仰はクナトの王とその奥さんのサイ姫さんが関係が強いって考えていますよ。クナトの王が太陽神でサイ姫さんが月の神みたいな感じで考えています。恐らくクナトの王一族はインドドラビダの前は中東にご先祖様がいて中東辺りで太陽と月の信仰が盛んになったのではって、更に日本富士山に起源を持つフッキとジョカが中国大陸に渡ってその後中東へって、この辺はロマンの話になっちゃうんですが、これらの神々がアヌンナキって呼ばれるようになったんじゃないかなぁって思っています。日本人て世界的に見ても凄く穏やかで争いを好まないじゃないですか??? 出雲や兎族もそう言うふうに俺には写ってるんです。なので出雲や兎族を押してる感じなんですよね。
@@森岩光 お疲れ様です。兎と月ッて、宗像家となってからなんじゃないですか??? もしかして何ですが… 宇佐の姫巫女(宇迦之御魂)さん、出雲の伝承の通り何ですか??? そうだとしたら ヤッパ物部は無理ッス!!! 現代ではそう言うの無いと思いますが、当時の物部…ですね。いつもコメント下さって有り難う御座います m(_ _)m
@@石井健次-h1nさま日も月も星も出雲族がやって来る以前から日本列島でちゃんとお祀りされていますよ。磐座群を見れば分かります。世界中、何処へ行っても必ずその畏怖の念はあるものです。月神と太陽神の戦いは、単なる政局にしか過ぎません。旗印とされただけです。日と月と星の関係は、相似象であらゆる時代あらゆる場所でその相関性を論じることができます。肉体の周期は月と深い関係にありますし、潮の干満は人の生死に大きく影響します。月が照らなければ電気のない古代は真っ暗で夜這いにもいかなかったでしょう。古代は妻問い婚です。四国の縄文系の巫女家大宜都比売家も越智家も月信仰です。大宜都比売は大月姫でしょうね。縄文時代は磐と水の時代で、太陽も大事ですが月は現在よりもっと大事であったでしょう。稲作を始めたことで、太陽が更に重要になっていったと思います。いつ種を撒けば良いか…植物の成長は四季の変化に大きく影響します。太陽の運行でその季節を測ります。水耕稲作は集団作業が必要になり、みんなで暦を共有するという社会性が必要になります。集落から国へと発展してゆく様子が伺えます。月は眺めればそのカタチで大体の時間の流れが分かります。ひと月ごとの小さな周期です。太陽となると、観測機(磐座)を設置して一年という大きな周期でトキを測り、各地で社会性を共有し、祀りも大きくなっていったと思います。出雲族が王国を造ったのも、弥生時代に入ってからですね。皇后の名【稲田姫】がそれを語っています。海を渡って来た徐福族は星信仰でありましたが、縄文時代には日本から世界へと航海していたのです。古代の幹線道路は川であり、海です。縄文人も星読みが必須であったのは確実でしょう。人間同士の喧嘩は信仰が大義名分にされるものです。喧嘩をしていないときは皆、一緒にお祀りしています。出雲族がやって来る以前からです。
お早う御座います〜お疲れ様です。今日は本当の意味でリアル神社ですね~ 山を歩くのは可也大変なんで、 しかも3時間!! 凄すぎ〰無理はしないで下さいね〰
カンジくん、ありがとうございます😊
猛暑の中❗️3時間‼️本当お疲れ様でした.内容楽しく拝聴しました〜🎉
昔から!行きたかったので、本当あらがとうございました❤😊これからも、たのしみにしていますので.お身体に気をつけて〜🎉
暖かい労いのお言葉、ありがとうございます
これからもよろしくお願いします
コメントありがとうございました
先月行きましたが、蚊が大変で集中しきれなかったので、ありがたかったです。
穴観音。逆に穴に向かって大きな声を出すとすごく、反響してエコーがかかって、
こっちの方が正解なのではと思う感じでした。
鏡岩も八畳岩もほとんどの岩に傷、(でも彫ったような線)が無数に入っているので、
フトマニの儀式の一端なのかなとも思いました。
環状列石、縄文時代周りの磐はご先祖様の墓で狩りへ行くときに報告したり
真ん中で神事や祭りをやっていたときいたことがあります。
自転車移動で疲れてまだ回り切れていなかったので、
蚊の出ない季節に、吉備津彦神社の裏から攻めなおしてみたいと思っていて、
タイムリーに楽しんで拝見できました。
暑い中ありがとうございます。
楽しんで頂けたみたいで良かったです
確かに蚊とかは顔の周りに集まってきて気が狂いそうですよね
私は前回の竜王山の時は吉備津彦神社の左横から登りましたが
尾根に出るまでがかなりキツかったです
その時八大龍王の所で御陵の方から来られた高齢の人に
そっちの様子を聞いて、その後、御陵迄は一度黒住教の方から行きましたが
時間が無くそこまでだったのでは今回はやっと黒住教の方から竜王山迄の
往復出来ましたが途中標識が無くなってて石舟古墳の方に行けませんでした
のでそのうちまた行くつもりです
蚊がいなくなってからですが
コメントありがとうございました
詳しいお話ありがとうございます。
子安神社の並んでいる社の裏から登られているのをみて、
そっちから行きたくなりました😀
@@ロハン-q2v様
やはり2年くらい前ですが、あそこから登るんだと思って
吉備津彦神社の社務所で聞いたら、あそこからは整備されて無いので
やめた方が良いと言われて、左からの道を登った様な気がします
ので、登る前に社務所で確かめられた方が良い様に思います
今、思い出しましたので参考まで・・・
頑張って下さい
詳しいお話ありがとうございます。
凄いですね~😍
古代祭祀場がわさわさとありますね。
鏡岩は
ちょっと方角までは分かりませんが、
おそらく、木がなければ、
海からも光って観えたのでは…
と想像します。
吉備津彦勢
出雲族
宇佐族
と遡れますが、
もっとそれ以前にも、
武内一忠先生が唱えていらっしゃる
世界中を航海して
巨石文明を広げた
海の民ラピュタ人も、
この地にいたのではないかと
妄想が広がります。
縄文人が母系社会であったのは、
体力のある男たちは
世界中へ航海に出て行き、
戻って来るまでは
女性たちが中心となって
集落をまとめていたとしたら、
誰の子であっても
みんなで育てるという
現在では不思議に思える習慣も
理解できるように感じます。
山奥に見えるところも、
古代では海面がもっと高かったため、
案外海に近かったり、
大きな川が通っていて、
海と直結していたりします。
【海の民=山の民】
ということです。
磐座群の名前もカタチも
古代祭祀の様相を
そのまま表していますね。
【八】が多いですが、
エネルギーの放出と吸収の
循環を意味します。
循環することで
永遠性が担保されます。
そのエネルギー自体が【龍】です。
水でも、土でも、電流でも
あらゆる龍がありますね。
そしてそのエネルギーは
穴から生まれます。
穴観音さまの形状は
勾玉と同じ意味です。
ここから全ての命が
生まれます。
縄文人がこだわった穴です。
ストーンサークルに立てる石柱も
穴と同じです。
穴と柱は同じであり、
一体です。
命を生み出す構造です。
素晴らしいレポート
ありがとうございました。❣️
いつも素敵でスマートなコメントありがとうございます
ここは山全体が岩盤とかでは無く良い感じで岩が露出しています
出雲族には最適の祭祀地だったと思います
中国地方は山陰の出雲地方と瀬戸内海地方は湿気感と雰囲気は全く違いますが
良い感じで花崗岩が露出しています
山間部の花崗岩は果てしなく巨大な地球的時代スケールで言えば古い岩質で
ボロボロ朽ちて砂鉄状で川に流れている感じですが
瀬戸内海沿いの花崗岩はまだ若くエネルギーの循環が活発な感じです
特に宮島の弥山の花崗岩はかなり元気な感じがします
だからどうだというわけでは無いですが
花崗岩は面白いな、と思います
吉備地方は今までそれ程魅力を感じて無かったですが
一歩踏み込んで見れば魅力ザクザク、宝の山です
当分離れられないそうに無いですので今後共いろいろとよろしくお願いします
@@kanji-kun1280 さま
古い岩質がボロボロ朽ちて
砂鉄状に流れている出雲と
瀬戸内の花崗岩が
若く活発なエネルギーとは、
そのまま【山陰山陽】
という言葉にも
表れているような気がします。
現地でないと
なかなか味わえない感覚を
いつも届けてくださり
ありがとうございます♪
出雲が入ってくる前は宇佐族の領地だと言ってましたね。古代の宇佐族は宗像家と一緒になる前から月神信仰だったんですかねぇ~??? 出雲と一緒になってからの月神信仰になったのか… 太陽と月は表裏一体だと思うんですが〜
宇佐族。
本来の表記は
兎佐族。
更に元々(素)は
兎(ウサギ)族。
私も実は、太陽だとか月だとか星、龍、蛇、銅鐸、銅剣などの
一つの信仰での部族の分け方にシックリ来ない物があります
特に太陽信仰の部族は月神や星神信仰部族と敵対するとか
そんな事はどうなんだろうと思います
ましてやそれが原因で戦いが起こる?
何か単純に片付け過ぎのように思っていて
寧ろ他の複雑な事情があっての事を見逃している様に
思います
上手く言えませんが信仰も含めてそんなに単純では無い様に思います
@@kanji-kun1280 それッて多分イクメ大王(物部)が原因かもですね~ 確か徐福、物部、秦系は星神信仰だったはず。それが宇佐宗像の月神信仰が民衆が付いてくると考えて物部は簡単に月神信仰に移行、なのに豊城入彦命と豊城入姫さんと大和に侵攻しその後この二人が邪魔になり出雲の太陽信仰に頼みその信仰に乗っかって豊城入彦命と豊城入姫を大和から追い出してます。更に宇佐の姫巫女さんを暗殺してますね。物部ッてこんな感じ。なんでそんなに簡単に信仰を変えられるのか疑問で仕方なかったんですが、徐福系自体がもしかしたら秦の始皇帝の星神信仰を真似ていたのでは??? ッて考えるようになりました。そもそも徐福系はDNAが縄文人とはまるで違うらしいです。因みにユダヤ系のDNAってのはN系統やD系統らしく、それらが縄文人とすごい近いってYou Tubeで見ましたね。1つの情報としてでしたぁ~ 俺的には太陽信仰と月神信仰はクナトの王とその奥さんのサイ姫さんが関係が強いって考えていますよ。クナトの王が太陽神でサイ姫さんが月の神みたいな感じで考えています。恐らくクナトの王一族はインドドラビダの前は中東にご先祖様がいて中東辺りで太陽と月の信仰が盛んになったのではって、更に日本富士山に起源を持つフッキとジョカが中国大陸に渡ってその後中東へって、この辺はロマンの話になっちゃうんですが、これらの神々がアヌンナキって呼ばれるようになったんじゃないかなぁって思っています。日本人て世界的に見ても凄く穏やかで争いを好まないじゃないですか??? 出雲や兎族もそう言うふうに俺には写ってるんです。なので出雲や兎族を押してる感じなんですよね。
@@森岩光 お疲れ様です。兎と月ッて、宗像家となってからなんじゃないですか??? もしかして何ですが… 宇佐の姫巫女(宇迦之御魂)さん、出雲の伝承の通り何ですか??? そうだとしたら ヤッパ物部は無理ッス!!! 現代ではそう言うの無いと思いますが、当時の物部…ですね。いつもコメント下さって有り難う御座います m(_ _)m
@@石井健次-h1nさま
日も月も星も
出雲族がやって来る以前から
日本列島でちゃんと
お祀りされていますよ。
磐座群を見れば分かります。
世界中、何処へ行っても
必ずその畏怖の念はあるものです。
月神と太陽神の戦いは、
単なる政局にしか過ぎません。
旗印とされただけです。
日と月と星の関係は、
相似象で
あらゆる時代
あらゆる場所で
その相関性を論じることができます。
肉体の周期は
月と深い関係にありますし、
潮の干満は
人の生死に大きく影響します。
月が照らなければ
電気のない古代は真っ暗で
夜這いにもいかなかったでしょう。
古代は妻問い婚です。
四国の縄文系の巫女家
大宜都比売家も
越智家も月信仰です。
大宜都比売は
大月姫でしょうね。
縄文時代は
磐と水の時代で、
太陽も大事ですが
月は現在より
もっと大事であったでしょう。
稲作を始めたことで、
太陽が更に重要になっていったと
思います。
いつ種を撒けば良いか…
植物の成長は
四季の変化に大きく影響します。
太陽の運行で
その季節を測ります。
水耕稲作は
集団作業が必要になり、
みんなで暦を共有するという
社会性が必要になります。
集落から国へと発展してゆく様子が
伺えます。
月は眺めれば
そのカタチで
大体の時間の流れが分かります。
ひと月ごとの小さな周期です。
太陽となると、
観測機(磐座)を設置して
一年という大きな周期で
トキを測り、
各地で社会性を共有し、
祀りも大きくなっていったと思います。
出雲族が王国を造ったのも、
弥生時代に入ってからですね。
皇后の名【稲田姫】が
それを語っています。
海を渡って来た徐福族は
星信仰でありましたが、
縄文時代には
日本から世界へと
航海していたのです。
古代の幹線道路は川であり、
海です。
縄文人も星読みが必須であったのは
確実でしょう。
人間同士の喧嘩は
信仰が大義名分にされるものです。
喧嘩をしていないときは
皆、一緒にお祀りしています。
出雲族がやって来る以前からです。