The sound track and image are severely out of synchronization in this presentation. The English translation of this play may be found in 'Japanese Nō Dramas', translated by Royall Tyler. He provides plenty of background material, as well as copious footnotes, to give one a well-rounded picture of the play. Highly recommended.
何度も見ました。後シテの舞は神の舞に見えます。素晴らしかったです。
笛の舞は、観世流やシテ方の宝生流の神舞とは舞方が違う=金春流・金剛流・喜多流=下掛リの神舞3段です。
笛の舞は、観世流やシテ方の宝生流の神舞とは舞方が違う=金春流・金剛流・喜多流=下掛リの神舞3段です。
感謝上載金春流節目!金春安明敬礼!
神が舞う。神が歌う。ここで人々は神と共に遊ぶことが出来る。
七十九世宗家の演能懐かしく拝見しました。金春流の強吟、すごく気持ちよく聞かせていただきました。
太鼓も去ることながら大鼓の柿原崇の間合いの絶妙さと掛け声に凄いの一言に尽きる
The sound track and image are severely out of synchronization in this presentation.
The English translation of this play may be found in 'Japanese Nō Dramas', translated by Royall Tyler. He provides plenty of background material, as well as copious footnotes, to give one a well-rounded picture of the play. Highly recommended.
Thank you for sharing this🙂
Здорово, когда знаешь японский. А то классных спектаклей много выложили, а даже английских титр почти нет
金春座付きでの演能なんて 珍しいですね 特に人間国宝の太鼓方の音色にうっとりしました
20:14 21:18 22:00 22:51
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29:31 31:37 32:08 32:06
34:30 四海 35:57 クセ36:38 36:56 しこう
37:06 37:33 38:37 38:43 39:08 39:29
40:14 40:42 43:11
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6:02 6:49 8:50 9:05 10:57 11:35 11:55 12:29
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17:23 19:00 19:34
This is amazing. Its an antique music far from nowadays. Im searching for oimatsu music, where could i find it? I could not find on youtube
Is this it?
th-cam.com/video/OXP_25FPR-k/w-d-xo.htmlsi=RXtjT_LkjyS96EYF
I found it by searching with the kanji for oimatsu “老松”.
79代。舞囃子でお免状いただいてます(^^)v
29:20
ひどいだみ声でセリフが聞き取れない。世阿弥の時代にこんな形骸化した発声をしていたのなら伝統芸能として生き残らなかっただろう。
そうだ化石だ
サザンオールスターズの桑田と同じで、聞き取れなくてもいいのではないか。何言ってるか分からないが、歌として何回も聞いてしまうみたいな。
だみ声化もしれませんが私にはすべて聞き取れるのですが。特にこの動画には現代日本人が読める漢字かな交じり文で字幕がついています。これを読みながら聞けば普通の人は聞き取れると思います。 あと、これからは私見ですが、能が伝統芸能として生き残った主な理由は世阿弥を初めとした優れた能作者達がすぐれた能(詞章)を残したからと思います。そして形骸化とされるまで型を代々の役者たちが守って伝えてきたからとおもいます。
化石かもしれませんが、この化石は生きています。
推測とは真逆で、実は世阿弥の時代、能の謡いは、現在のよりも低く、抑揚の少ない発声で演じられていました。これは、当時の能は、神仏への祈りや、貴族社会の儀礼的な芸能であったためと考えられています。一方、現代の能は、より抑揚の豊かな発声で演じられるようになっています。これは、能をより身近な芸能として、多くの人に楽しんでもらいたいという考え方から来ています。
発声の明瞭さが芸能としての価値を決定するという考えとは別に、これもまた御推測とは真逆となる結果になるのですが、世の中の物事を表す形式として発声明瞭かつ心情たっぷりな現代劇がより形骸化しているように見えるのが能楽なんですよ。