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∞ というのは数ではありませんよ。1/∞= 0 が成り立つのであれば1= 0 x ∞ となりこれは 1 = 0 となり矛盾を生じます。何にしても∞がもし数であれば∞ < ∞ +1 となってしまいこれは∞が最大という仮定に反します。したがって∞という数は存在せず1/∞= 0 という式も成立しません。 女性の喋りに無駄が多く発音も聞き取りにくいです。
大変失礼いたしました!ご指摘ありがとうございます!!
@@nomoto-binloji limで使われる”=”は等しいではなく、収束する場合には”=”で示す値に限りなく近づくという意味です。厳密には極限の説明が必要になり、数学好きの人以外には助長な動画になるので分かり易く説明されたのでしょう。
あたたかく見守ってくださりありがとうございます
のもとさんの動画をいくつか拝聴させていただき、全くと言っていいほど無知だったのに最終的な結論に至る事が出来ました。どうもありがとうございました!大変参考になりましたよ。
現実のあらゆるところに「無限」が存在しているという事実が不思議ですよね。三角形や円に「無限」が宿ってるんですもんね。まあ、量子力学とか超弦理論を知ると、「まあ、現実って、そうなんだろうなぁ」「人間には認識できない多次元空間の一部のみを見ている日常なんだろうなぁ」とも思います。
共感します
アキレウスと亀、飛んでいる矢の話はそれぞれ無限級数、微分になるので、数学科でなくとも納得出来ると思いますが、ヒルベルトの無限ホテルの話になると納得出来ない人が多いかもしれませんね。私は数学科なので「この定義に従えば...」と思っていますが、無限と面積は不思議がいっぱいで楽しいです!
おぉぉ・・★数学の方は抽象化レベルが高いなと感じます
1=0.99999...は直感的にはなかなか納得できなくて。色々と考えたのですが、納得できるかどうかは、実数の連続性公理を受け入れるか否か次第のような気がします。無限ホテルの話も、不思議ですよね。
0.999...1とするわけにもいかない。連続とは難しいものです。数学者ですら、√2とかπを認めなかった人もいるくらいですから。
古代ギリシャの哲学からの♾おはなし、♾に面白かったです。私は、退職後、慶應の文学部で哲学を触っています。哲学の面白いところは、パラドックスの山です。
矢の話も、瞬間瞬間で矢は動いていない。ってところで、確かにって思えませんでした。
今回も感動させていたました。いつも有難うございます。
こちらこそ!ありがとうございます
パラドックスの本質がよくわかるお話しでした。ありがとうございます。
ありがとうございます
無限の考察から微分まで2100年掛かったのは、理論発展のペースがそれぐらいなのか、はたまた天才の出現間隔がそうなってるのか興味があります。
離れている距離が、アキレスの歩幅まできたとこで次の一歩で追いつきますね。
「二倍速い」速度における数値では無く、距離的条件として「お前の半分絶対に進みますからwwww」って面白い。
微分の定義を知っていて天下りに作ったかのようなパラドックスですね
時空を4次元を考えると確かに矢は止まってますよね。😊
この話は知っていましたので比較的理解しながら試聴しました。因みにですが量子論の動画を観てから色んな量子関連動画が上がってきました。簡単そうなものを視聴しているのですがどうしても途中で寝てしまいます。一昨日も昨日も今日も、、、。量子論理解のゴールが常に先に逃げていく、学びたくても追いつけないという“無限パラドックス”に陥っています(笑)。
アキレスが1進んでいる間に亀は0.5進んでいる、アキレスが0.5進んでいる間に亀は0.25進んでいる……というのは、距離を分割していると同時に時間を分割している。この前提だとアキレスが亀を追い抜く地点・時点の前の距離・時間の話に終始して、追い抜く話は出てこない。どっちかというとレトリックの話じゃないかと思っている。
子供の頃、一歩進むのには0.5歩の地点を通過する必要があり、0.5歩を通過するには0.25歩の地点を通過しなければならず、と無限に考えていくと一歩も進めないのでは?と思いましたがきっと自分の考えの前提がどこか間違えているのだと勝手に納得していました。そこが凡人の限界なんですね。
素晴らしい子供ですね
ありがとうございます。矢が出てくるパラドックスがあったはずだと思っていたのですが、思い出せなくてずっとつかえていたのがすっきりしました。ル・グインの「所有せざる人々」に出てくる矢は既に届いているの元ネタこれですね。
そんなのがあるんですね。ありがとうございます
私は「時間」で考えました。1ステップ、1ステップはいつの瞬間をみていますかと。60分後、30分後、15分後…このように追いつくまでの時間を半分にしながら両者の位置を比較していくなら「時間を進めない」「時間を止める」に収束してしまう。そうしたら追いつけないのは当たり前ではないか、ということです。
おぉ・・★ありがとうございます
だから矢が加速度と対応し依存関係にある場合、矢は止まっている。
光速度はなぜ誘電率と透磁率と関係式が成り立つのでしょうか?
1次元の線上の亀を追い越すにはアキレウスは2次元の存在である必要がある
誘電率と透磁率と光速度の関係は判明しているようですがなぜでしようか?
すでに何人か言及がありますが、相対論的な世界を考えればゼノンの見解が正しいといえる場合もでてくるのでは。光速に近い速さで動いている人を外から見ればほとんど時間が進んでいないのでアキレスは追いつけず、矢は止まっているように見える。ブラックホールに入っていくときなどはどうなんでしょうか。
矢が光速で飛んだらどうなりますか?亀とアキレスの差が、クォークの大きさの10^18≒2^60になったあたりで、連続値でなく量子化されて飛び飛びの値しかとれなくなり、不確定性原理で観測できなくなったりしませんか?
たしかに!観測はできませんね。。
今日は数学の話なんですね。ゼノンの友達は彼をの事をどう思ってたんでしょうね?
ひろゆき:またゼノンのパラドックスか。アキレウスが亀に追いつくことは不可能ですね。某教師:簡単に追いつけるよ。ひろゆき:先生は自然数をすべて数え尽くすことができますか?某教師:そんなこと誰もできませんよ。ひろゆき:そうでしょ。だからアキレウスは亀に追いつけないんですよ。某教師:意味がわからないのだけど。ひろゆき:では教えます。亀が最初にいた位置に着いたアキレウスは1と叫ぶ。次に亀がいた位置に着いたアキレウスは2と叫ぶ。次に亀がいた位置に着いたアキレウスは3と叫ぶ。アキレウスはこれを繰り返すことになりますがアキレウスは亀に決して追いつかないでしょ。某教師:でも、アキレウスは亀に追いつくよね。さらに追い越すこともできるよね。ひろゆき:するとアキレウスは亀に追いついて「俺は自然数をすべて数え尽くした」と叫ぶことになりますが、そんなことはあり得ますか?某教師:なるほど、自然数をすべて数え尽くすことは不可能なのでアキレウスは亀に追いつくことはできませんね。ひろゆき:わかればよろしい。ひろゆきに論破されたへぼ教師を助けてください。
おもしろいですね!収束と発散の違いに気づかされますね。
この話ではアキレウスが数字を叫ぶイベントにどれくらい時間が掛かるのかが曖昧になっており、それを解決すべきだと考えました。数字を叫ぶ時間という概念を導入すればいいと思います。アキレウスは数字を叫ぶ間足を止めるものとします。各段階で移動と叫びに必要な時間の級数だけ初期状態から時間経過したときにアキレウスが亀に追いつくと考えます。今回は移動時間の級数が収束するので、叫ぶ時間の級数の収束を判定すれば追いつけるかを調べられます。叫ぶ時間が進んだ距離に比例する(叫ぶ時間0も含む)場合:両者の進んだ距離に応じて叫ぶ時間も短くなり、叫ぶ時間の級数は収束します。よって、アキレウスは亀に有限の時間で追いつけます。補足として、この場合は有限の時間で無限個の自然数を数えることになります。叫ぶ時間が定数の場合:両者がどんな短い距離進んでも次進むために一定の叫ぶ時間が必要になり、叫ぶ時間の級数は発散します。アキレウスは亀に追いつけません。ここでは考えやすい2種類の叫ぶ時間について議論しましたが、他の叫ぶ時間についても収束または発散を判定すればアキレウスが亀に追いつけるかを調べられます。
@@user-vi4ci3ch5u 「アキレウスと亀」の話は物理学(自然科学)の問題ではなく純粋に数学の問題なので「数字を叫ぶ時間」などは一切考慮に入れません。
@@eggmanx100 このような数列の収束に関しては、ε-N論法で論破できますかね。確かコーシーがひろゆきのような学生を納得させるために考えた、という話を読んだことがあった気がします。
「黙って走れよ」で解決。
おもしろく拝聴しました。これと同じことなのか、全く違うのか、それすらも分からないのですが、私には昔から理解できないでいる「謎」(笑止ですが)があります。直角三角形における底辺と高さ、およびその上辺(右下で直角を作るとして底辺の左下から頂点に斜めに至る斜線)の関係です。斜線の代わりに、細かく刻んだ(細かく直角に曲がりながら行く)線を描いてみても、その距離は、常に底辺の長さ+高さで不変であることは明白です。これは、どんなにその刻みを小さくして行っても、少しも変化することはないのも明白かと思えます。では、その「極限」は何なのか?感覚的には、それは上辺をなす斜線に一致してしまうように感じられます。感じられるが、しかし、上辺の長さはその瞬間に「底辺の長さ+高さ」ではなくなってしまう。そのことがどういうことなのか、ずっと分からずにいます。
確かに!!変化分(傾き)・・・が頭に浮かびますが・・・おもしろいお話ですね。。
@@nomoto-binloji さん微分、よく分からないんですが、曲線を考えた時に、ある一点を取れば、そこの傾きが分かる、という、それはまあ分かる。それは徐々に変化して行く(傾きが変わって行く)ので、ある一点の傾きはこれだ、という、それは納得できる。だが、申し上げた例では、極限に至るまで総距離(=底辺の長さA+高さB)は一切、全く、少しも変わらない。そして極限に至った途端に、全く異なる値C(C二乗=A二乗+B二乗)に化ける。まあ、極限じゃない、っていうことなんですかね。多分、そういうことなんだろうと思いますが、無間分割すれば、極限に至る気もするし。……分かる人がいれば教えて欲しいな。
@@栗原真二-v4j極限に到達すると考えてはいけないんだと思います。いつどのような条件を満たしたら「極限に到達した」と判断するのでしょうか。
@@ymgch16 さんコメありがとうございます。「そうなんだろう」とは予想しているのですが、縦(高さ)および横(底辺)の分割が無限に行われて、一辺の縦と横とがそれぞれ無限にゼロに近付く、という意味では、極限なんじゃないのか、というように、数学の教養がない文系の私は思いもするのですが、要するに「極限」というものの基本的な理解がないので分からないのかな、と思ったりします。
@@栗原真二-v4j 「極限」の言葉上の意味は、何かに到達することではなくて、ギリギリまで近づくことです。到達しないんです。
空間が早く時間が遅い世界ならおいつけないかもしれない
飛んでいる矢は動かないというパラドックスはプランク時間に行き着くのかな?
おぉ★おもしろいですね
アキレスも呆れ申す。「ゲーデル・エッシャー・バッハ」って、本で、書かれた言葉です
矢の説明は、微分や速度という概念が出来てから後の話ですね。そんなもん知らん、と言われればそれまででしょう。ゼノン時代の言葉で説明しなければならないと思います。
アキレウス「亀の倍だって? 喧嘩売ってんのか、のもとさん?」
違うよ。矢は加速度を入れようとそれに対応するものに依存している限りは止まってるんだよ。加速度を入れてそれに対応するものからの依存関係を断ち切った場合には加速度との依存も考慮し、動いているということが言える。つまり対応するものに依存しているというのは、それ自身が相対的に同等である場合という意味であり、矢の例で言えば、その時、その瞬間の時間と空間に対応して依存している状態の場合には、止まっているということが言えるということであり、もしかするとこの人がいたからこそ、時間や空間が切り取って表現できるものであるという観念が人類に備わった可能性すら考慮する必要があるということであり、矢は動いているという締めくくりでは説明するべきものではない。それはそれが当然になった我々がその言語の意味を答え側から覗いているから動いていると言えることだということであり、答えがない状態、つまり時空を切り取り細分化するという表現自体が無い状態からその言語の意味を理解すると、矢は止まっているという以外の表現は当てはまらない。なのでその数世紀後に矢は動いていると加速度を用いて説明したのが正しいと認識し定説となったのだとすると、時空を切り取って表現するということが定説となった状態で再度その人の言っていることを解釈しようと試みたから起きている現象であり、知性による知性への冒涜だと言わざる負えない。そしてこれと同じ現象は現代も至るところで起き、様々な勘違いや問題を生み続け、正義を語る悪が蔓延り世界を混乱に導いている。阿保だから、いや、反キリストだからである。「王様のものは王様に、神様のものは神様に。」前提条件を見誤ってはならない。
∞ というのは数ではありませんよ。
1/∞= 0 が成り立つのであれば
1= 0 x ∞ となりこれは 1 = 0 となり
矛盾を生じます。
何にしても∞がもし数であれば
∞ < ∞ +1 となってしまいこれは
∞が最大という仮定に反します。
したがって∞という数は存在せず
1/∞= 0 という式も成立しません。
女性の喋りに無駄が多く発音も聞き取りにくいです。
大変失礼いたしました!ご指摘ありがとうございます!!
@@nomoto-binloji limで使われる”=”は等しいではなく、収束する場合には”=”で示す値に限りなく近づくという意味です。厳密には極限の説明が必要になり、数学好きの人以外には助長な動画になるので分かり易く説明されたのでしょう。
あたたかく見守ってくださりありがとうございます
のもとさんの動画をいくつか拝聴させていただき、全くと言っていいほど無知だったのに最終的な結論に至る事が出来ました。
どうもありがとうございました!
大変参考になりましたよ。
現実のあらゆるところに「無限」が存在しているという事実が不思議ですよね。三角形や円に「無限」が宿ってるんですもんね。まあ、量子力学とか超弦理論を知ると、「まあ、現実って、そうなんだろうなぁ」「人間には認識できない多次元空間の一部のみを見ている日常なんだろうなぁ」とも思います。
共感します
アキレウスと亀、飛んでいる矢の話はそれぞれ無限級数、微分になるので、数学科でなくとも納得出来ると思いますが、ヒルベルトの無限ホテルの話になると納得出来ない人が多いかもしれませんね。私は数学科なので「この定義に従えば...」と思っていますが、無限と面積は不思議がいっぱいで楽しいです!
おぉぉ・・★数学の方は抽象化レベルが高いなと感じます
1=0.99999...
は直感的にはなかなか納得できなくて。
色々と考えたのですが、納得できるかどうかは、実数の連続性公理を受け入れるか否か次第のような気がします。
無限ホテルの話も、不思議ですよね。
0.999...1とするわけにもいかない。連続とは難しいものです。数学者ですら、√2とかπを認めなかった人もいるくらいですから。
古代ギリシャの哲学からの♾おはなし、♾に面白かったです。
私は、退職後、慶應の文学部で哲学を触っています。
哲学の面白いところは、パラドックスの山です。
矢の話も、瞬間瞬間で矢は動いていない。ってところで、確かにって思えませんでした。
今回も感動させていたました。
いつも有難うございます。
こちらこそ!ありがとうございます
パラドックスの本質がよくわかるお話しでした。ありがとうございます。
ありがとうございます
無限の考察から微分まで2100年掛かったのは、理論発展のペースがそれぐらいなのか、はたまた天才の出現間隔がそうなってるのか興味があります。
離れている距離が、アキレスの歩幅まできたとこで次の一歩で追いつきますね。
「二倍速い」速度における数値では無く、距離的条件として「お前の半分絶対に進みますからwwww」って面白い。
微分の定義を知っていて天下りに作ったかのようなパラドックスですね
時空を4次元を考えると確かに矢は止まってますよね。😊
この話は知っていましたので比較的理解しながら試聴しました。因みにですが量子論の動画を観てから色んな量子関連動画が上がってきました。簡単そうなものを視聴しているのですがどうしても途中で寝てしまいます。一昨日も昨日も今日も、、、。量子論理解のゴールが常に先に逃げていく、学びたくても追いつけないという“無限パラドックス”に陥っています(笑)。
アキレスが1進んでいる間に亀は0.5進んでいる、アキレスが0.5進んでいる間に亀は0.25進んでいる……というのは、距離を分割していると同時に時間を分割している。この前提だとアキレスが亀を追い抜く地点・時点の前の距離・時間の話に終始して、追い抜く話は出てこない。どっちかというとレトリックの話じゃないかと思っている。
子供の頃、一歩進むのには0.5歩の地点を通過する必要があり、0.5歩を通過するには0.25歩の地点を通過しなければならず、と無限に考えていくと一歩も進めないのでは?と思いましたがきっと自分の考えの前提がどこか間違えているのだと勝手に納得していました。そこが凡人の限界なんですね。
素晴らしい子供ですね
ありがとうございます。矢が出てくるパラドックスがあったはずだと思っていたのですが、思い出せなくてずっとつかえていたのがすっきりしました。ル・グインの「所有せざる人々」に出てくる矢は既に届いているの元ネタこれですね。
そんなのがあるんですね。ありがとうございます
私は「時間」で考えました。
1ステップ、1ステップはいつの瞬間をみていますかと。
60分後、30分後、15分後…
このように追いつくまでの時間を半分にしながら両者の位置を比較していくなら「時間を進めない」「時間を止める」に収束してしまう。
そうしたら追いつけないのは当たり前ではないか、ということです。
おぉ・・★ありがとうございます
だから矢が加速度と対応し依存関係にある場合、矢は止まっている。
光速度はなぜ誘電率と透磁率と関係式が成り立つのでしょうか?
1次元の線上の亀を追い越すにはアキレウスは2次元の存在である必要がある
誘電率と透磁率と光速度の関係は判明しているようですがなぜでしようか?
すでに何人か言及がありますが、相対論的な世界を考えればゼノンの見解が正しいといえる場合もでてくるのでは。光速に近い速さで動いている人を外から見ればほとんど時間が進んでいないのでアキレスは追いつけず、矢は止まっているように見える。ブラックホールに入っていくときなどはどうなんでしょうか。
矢が光速で飛んだらどうなりますか?
亀とアキレスの差が、クォークの大きさの10^18≒2^60になったあたりで、連続値でなく量子化されて飛び飛びの値しかとれなくなり、不確定性原理で観測できなくなったりしませんか?
たしかに!観測はできませんね。。
今日は数学の話なんですね。ゼノンの友達は彼をの事をどう思ってたんでしょうね?
ひろゆき:またゼノンのパラドックスか。アキレウスが亀に追いつくことは不可能ですね。
某教師:簡単に追いつけるよ。
ひろゆき:先生は自然数をすべて数え尽くすことができますか?
某教師:そんなこと誰もできませんよ。
ひろゆき:そうでしょ。だからアキレウスは亀に追いつけないんですよ。
某教師:意味がわからないのだけど。
ひろゆき:では教えます。亀が最初にいた位置に着いたアキレウスは1と叫ぶ。次に亀がいた位置に着いたアキレウスは2と叫ぶ。次に亀がいた位置に着いたアキレウスは3と叫ぶ。アキレウスはこれを繰り返すことになりますがアキレウスは亀に決して追いつかないでしょ。
某教師:でも、アキレウスは亀に追いつくよね。さらに追い越すこともできるよね。
ひろゆき:するとアキレウスは亀に追いついて「俺は自然数をすべて数え尽くした」と叫ぶことになりますが、そんなことはあり得ますか?
某教師:なるほど、自然数をすべて数え尽くすことは不可能なのでアキレウスは亀に追いつくことはできませんね。
ひろゆき:わかればよろしい。
ひろゆきに論破されたへぼ教師を助けてください。
おもしろいですね!収束と発散の違いに気づかされますね。
この話ではアキレウスが数字を叫ぶイベントにどれくらい時間が掛かるのかが曖昧になっており、それを解決すべきだと考えました。数字を叫ぶ時間という概念を導入すればいいと思います。アキレウスは数字を叫ぶ間足を止めるものとします。各段階で移動と叫びに必要な時間の級数だけ初期状態から時間経過したときにアキレウスが亀に追いつくと考えます。今回は移動時間の級数が収束するので、叫ぶ時間の級数の収束を判定すれば追いつけるかを調べられます。
叫ぶ時間が進んだ距離に比例する(叫ぶ時間0も含む)場合:
両者の進んだ距離に応じて叫ぶ時間も短くなり、叫ぶ時間の級数は収束します。よって、アキレウスは亀に有限の時間で追いつけます。補足として、この場合は有限の時間で無限個の自然数を数えることになります。
叫ぶ時間が定数の場合:
両者がどんな短い距離進んでも次進むために一定の叫ぶ時間が必要になり、叫ぶ時間の級数は発散します。アキレウスは亀に追いつけません。
ここでは考えやすい2種類の叫ぶ時間について議論しましたが、他の叫ぶ時間についても収束または発散を判定すればアキレウスが亀に追いつけるかを調べられます。
@@user-vi4ci3ch5u 「アキレウスと亀」の話は物理学(自然科学)の問題ではなく純粋に数学の問題なので「数字を叫ぶ時間」などは一切考慮に入れません。
@@eggmanx100 このような数列の収束に関しては、ε-N論法で論破できますかね。確かコーシーがひろゆきのような学生を納得させるために考えた、という話を読んだことがあった気がします。
「黙って走れよ」で解決。
おもしろく拝聴しました。
これと同じことなのか、全く違うのか、それすらも分からないのですが、私には昔から理解できないでいる「謎」(笑止ですが)があります。
直角三角形における底辺と高さ、およびその上辺(右下で直角を作るとして底辺の左下から頂点に斜めに至る斜線)の関係です。
斜線の代わりに、細かく刻んだ(細かく直角に曲がりながら行く)線を描いてみても、その距離は、常に底辺の長さ+高さで不変であることは明白です。
これは、どんなにその刻みを小さくして行っても、少しも変化することはないのも明白かと思えます。
では、その「極限」は何なのか?
感覚的には、それは上辺をなす斜線に一致してしまうように感じられます。
感じられるが、しかし、上辺の長さはその瞬間に「底辺の長さ+高さ」ではなくなってしまう。
そのことがどういうことなのか、ずっと分からずにいます。
確かに!!変化分(傾き)・・・が頭に浮かびますが・・・おもしろいお話ですね。。
@@nomoto-binloji さん
微分、よく分からないんですが、
曲線を考えた時に、ある一点を取れば、そこの傾きが分かる、という、それはまあ分かる。それは徐々に変化して行く(傾きが変わって行く)ので、ある一点の傾きはこれだ、という、それは納得できる。
だが、申し上げた例では、極限に至るまで総距離(=底辺の長さA+高さB)は一切、全く、少しも変わらない。
そして極限に至った途端に、全く異なる値C(C二乗=A二乗+B二乗)に化ける。
まあ、極限じゃない、っていうことなんですかね。多分、そういうことなんだろうと思いますが、無間分割すれば、極限に至る気もするし。……分かる人がいれば教えて欲しいな。
@@栗原真二-v4j極限に到達すると考えてはいけないんだと思います。いつどのような条件を満たしたら「極限に到達した」と判断するのでしょうか。
@@ymgch16 さん
コメありがとうございます。
「そうなんだろう」とは予想しているのですが、
縦(高さ)および横(底辺)の分割が無限に行われて、一辺の縦と横とがそれぞれ無限にゼロに近付く、という意味では、極限なんじゃないのか、というように、数学の教養がない文系の私は思いもするのですが、
要するに「極限」というものの基本的な理解がないので分からないのかな、と思ったりします。
@@栗原真二-v4j 「極限」の言葉上の意味は、何かに到達することではなくて、ギリギリまで近づくことです。到達しないんです。
空間が早く時間が遅い世界ならおいつけないかもしれない
飛んでいる矢は動かないというパラドックスはプランク時間に行き着くのかな?
おぉ★おもしろいですね
アキレスも呆れ申す。「ゲーデル・エッシャー・バッハ」って、本で、書かれた言葉です
矢の説明は、微分や速度という概念が出来てから後の話ですね。
そんなもん知らん、と言われればそれまででしょう。
ゼノン時代の言葉で説明しなければならないと思います。
アキレウス「亀の倍だって? 喧嘩売ってんのか、のもとさん?」
違うよ。矢は加速度を入れようとそれに対応するものに依存している限りは止まってるんだよ。加速度を入れてそれに対応するものからの依存関係を断ち切った場合には加速度との依存も考慮し、動いているということが言える。
つまり対応するものに依存しているというのは、それ自身が相対的に同等である場合という意味であり、矢の例で言えば、その時、その瞬間の時間と空間に対応して依存している状態の場合には、止まっているということが言えるということであり、もしかするとこの人がいたからこそ、時間や空間が切り取って表現できるものであるという観念が人類に備わった可能性すら考慮する必要があるということであり、矢は動いているという締めくくりでは説明するべきものではない。
それはそれが当然になった我々がその言語の意味を答え側から覗いているから動いていると言えることだということであり、答えがない状態、つまり時空を切り取り細分化するという表現自体が無い状態からその言語の意味を理解すると、矢は止まっているという以外の表現は当てはまらない。
なのでその数世紀後に矢は動いていると加速度を用いて説明したのが正しいと認識し定説となったのだとすると、時空を切り取って表現するということが定説となった状態で再度その人の言っていることを解釈しようと試みたから起きている現象であり、知性による知性への冒涜だと言わざる負えない。
そしてこれと同じ現象は現代も至るところで起き、様々な勘違いや問題を生み続け、正義を語る悪が蔓延り世界を混乱に導いている。
阿保だから、いや、反キリストだからである。「王様のものは王様に、神様のものは神様に。」前提条件を見誤ってはならない。