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ランキングに入ってるのが凄いわ。最初の三冠馬とは言え戦中の馬だもの、ほとんどのファンは統計とった時点で見た事無かったろうに。映像がわずかでも残ってるのも凄い。牡系は絶えちゃったけど、牝系の方で意外に入ってるよね、最近だとマイネルホウオウ・スイープトウショウあたりは入ってた筈。
菊花賞で引退ってスゲー時代だな。しかも引退理由が「次走で4歳馬(現3歳)の彼が72kgの斤量を背負わされるから」なのも時代を感じる。
この手の投票は、投票に近ければ近い馬ほど有利。にも関わらず、わざわざセントライトに入れた657人の方の競馬愛を感じます。
「名馬=その時好きな馬」だからね
映像残ってるのすげーって思ったら軽快な音楽流れてきて笑った
戦時中なのにカッコいい名前で良かった
まだ日米開戦前なのでそれと誤解が多いので付け加えとくけど、戦時下の適性語禁止はあくまで自主規制です
昭和16年の映像があるのが凄いねぇ。この時代スポーツ映像なんてほとんどないでしょ。競馬の歴史、記録って奇跡だわ。
新馬勝ちからそのまま皐月賞に行って、皐月賞からダービーの間に4戦も挟むなんてこの頃は凄いなw
もはや実際に見た人は皆無に近いであろう伝説の馬ですね
1937年生まれの父は戦後に滝沢の種畜場で当時20歳のセントライトを見たそうです。小柄な父よりも体高が高く、とても大きかったと聞きました。地元とは言え、まさか実物を見ていたとは思わなかったので驚きました。
@@morimari123凄いです...
シンザンとルドルフ、ナリタブライアンばかりあがられてるけどG1規定のない時代の三冠馬だから充分凄い
この頃でも重賞レースだったよその以前から三冠馬レースはあったよグレート1レースになっただけだよ
まだ300mも残ってるのに「優勝確実」とか言い出すトチ狂った実況
映像もあまり残ってない中やってくれてありがとう
三冠馬の名前で1番好きだわ
それな
セントライトが日本で初めてクラシック三冠を達成した菊花賞の出走馬は6頭ってトリビアになりそう。
地元で生まれたウマなんか、、、、、一気に好きになった
思うとの頃の重馬場って今の重馬場とは比べられないほどの極悪馬場だったのかと思ってしまうしかもクリフジとかカイソウ辺りになると戦局の悪化から競馬場は東京と京都で開催ってなってるし最近の阪神競馬場の剥げ具合から整備とかアレなんじゃないかって思ってしまうしそしてスイープトウショウの牝系の祖はセントライト
今の馬たちと比べても遜色ない馬体周りの人たちに愛されてたんだろうなあ
初代三冠馬伝説の名馬ゲーム上のデータで自在で全てSだったよ全ての距離でS信じられない数値だよ
三冠馬なのに97位ってのが意外だな
古すぎて評価しにくかったんですかねでも、初の三冠制覇ですからスゴいのに変わりはないですがね
日本初の3冠馬なら偉大な歴史的名馬なのですからもっともっと上位でなければ。
時期が2000年前半くらいなのでその時の人気が高い馬の順位が高いです。ナリタブライアンやスペシャルウィーク、エルコンドルパサーなど。テイエムオペラオーも年間全勝を達成する前なので順位は低めですね。
セントライトに関する詳細な記録や逸話はほぼ残ってないみたいだが、当時の関係者の子孫が資料として引き継いでたり、あるいは子孫すら知らない場所に保管されて眠ってるとかないんかなもはや神話の域、ミステリアスでスゴく気になる
情報が少ないのは、セントライトの馬主が太平洋戦争の空襲で亡くなってるのが大きそう
私の祖父母が生まれた年の映像が残っているのは凄い。
2着2回3着1回あと全部1着…バケモンだな
負けたのも、勝ち馬と11キロ差とか8キロ差があってだからねw
生で見たかったなー
親父も生まれて直ぐだから知らないですその世代でも伝説ですよ
戦死しそう
史上初の三冠馬
映像あるのか凄い😮
三冠馬になって引退がカッコいい✨
その引退の切っ掛けになった原因は、確か菊花賞の後、次に出る筈のレース(中山競馬場で行われるハンデキャップ戦。後の天皇賞の基となった『帝室御賞典』というレースの出走権をかけた競走だったらしい)で、「セントライトには72㎏の斤量を背負って走って貰う」と言われ、それを聞いた馬主の加藤雄策はんが「余りにも酷やろ!! 4歳馬にそんな斤量を背負わせて走らせる位なら引退じゃ!!」と怒った為に引退を決めたそうや。因みに作家の菊池寛はんはその事実に対して、「賞金を稼がせる心算ならまだ使えるのを、惜しげも無く引退させてしまう。ああ云う所は実に立派だ。天下の名馬も、彼の如きに認められて、初めて終わりを全うし得るのかも知れない」とセントライトの引き際に賛辞を送ったそうや。
よく映像とか残ってたな…すげぇ…
出走頭数、ゲート、騎乗姿勢なにもかも違いますね
盛岡馬検場に再びクラシックホースが立つのはこのセントライトから80年も後になるとは。よく来てくれたよジオグリフ。
すげえ,後ろの馬がレースから居なくなったようだ。余裕すぎる。
鋼鉄の馬と、呼ばれるほどの力強いヒ一ロ一。
立ち姿が綺麗なシルエットですよね。
伝説の馬
伝説の始まり
小岩井農場で生産されて初代3冠馬すげぇよ
日本ニユースみたいな演出だな
ニュース映画だよ
勝率がえぐい
三菱岩崎家が初代三冠馬の生産者だったことはほとんど知られていない。
三菱岩崎家って今どうなってるんでしょうね
この後3年位戦争だと親(団塊の世代)談。親の兄がこの年に産まれたそうな。
セントライト記念のセントライトやん
三歳デビューで三冠、あとは加藤氏の方針で引退させる…昔すぎるのもあるけど、底が見えない戦績なのは違いない
お父さんそっくりでしたね。
ゲートもない時代…
ゲートがどうなってるのかわからんw教えて有識者
当時はロープを5本ほど張ったバリヤー式ゲートっちゅうもんで、スターターの合図とともにロープを上にバン!!と引き上げる方式やったそうや。
@@Whitestone_AJCC それ真ん中不利ちゃいます?笑
3冠っていう概念いつからあったの?
三冠のうち最後に創設されたのが皐月賞の1939年(日本ダービーは1932年、菊花賞は1938年)なので、クラシック三大レースはそこから始まったみたいですね。その2年後にセントライトが三冠達成したのですが、それ以前は二冠馬という存在すらなかったので史上初の三冠馬兼二冠馬って感じですかね。
初代三冠馬か
なんでオーケストラの演奏が入ってるの
戦中で草
戦前
馬のレベルのさがひどい
コントレイルを見習え
なんだお前
時空壊れる
は?
@@あああああ-q6n ホンマその通りですわ。3年かけて11戦8勝(コントレイル。内2着2回3着1回)を挙げたモン(それでも間違い無く凄いんやけど)と、1年で12戦9勝(セントライト。内2着2回、3着1回。プラス斤量70㎏近く背負った時を含む)を挙げたモン。どっちが凄いか一目瞭然ですがな。
お前は3冠取れてないから口出しできねぇだろ
こういう古い映像見ると何処かにひいじいちゃんがいるんじゃないかと思っちゃう笑笑
ランキングに入ってるのが凄いわ。最初の三冠馬とは言え戦中の馬だもの、ほとんどのファンは統計とった時点で見た事無かったろうに。映像がわずかでも残ってるのも凄い。牡系は絶えちゃったけど、牝系の方で意外に入ってるよね、最近だとマイネルホウオウ・スイープトウショウあたりは入ってた筈。
菊花賞で引退ってスゲー時代だな。しかも引退理由が「次走で4歳馬(現3歳)の彼が72kgの斤量を背負わされるから」なのも時代を感じる。
この手の投票は、投票に近ければ近い馬ほど有利。
にも関わらず、わざわざセントライトに入れた657人の方の競馬愛を感じます。
「名馬=その時好きな馬」だからね
映像残ってるのすげーって思ったら軽快な音楽流れてきて笑った
戦時中なのにカッコいい名前で良かった
まだ日米開戦前なので
それと誤解が多いので付け加えとくけど、戦時下の適性語禁止はあくまで自主規制です
昭和16年の映像があるのが凄いねぇ。この時代スポーツ映像なんてほとんどないでしょ。競馬の歴史、記録って奇跡だわ。
新馬勝ちからそのまま皐月賞に行って、皐月賞からダービーの間に4戦も挟むなんてこの頃は凄いなw
もはや実際に見た人は皆無に近いであろう
伝説の馬ですね
1937年生まれの父は戦後に滝沢の種畜場で当時20歳のセントライトを見たそうです。
小柄な父よりも体高が高く、とても大きかったと聞きました。
地元とは言え、まさか実物を見ていたとは思わなかったので驚きました。
@@morimari123
凄いです...
シンザンとルドルフ、ナリタブライアンばかりあがられてるけどG1規定のない時代の三冠馬だから充分凄い
この頃でも重賞レースだったよ
その以前から三冠馬レースは
あったよグレート1レースになっただけ
だよ
まだ300mも残ってるのに「優勝確実」とか言い出すトチ狂った実況
映像もあまり残ってない中やってくれてありがとう
三冠馬の名前で1番好きだわ
それな
セントライトが日本で初めてクラシック三冠を達成した菊花賞の出走馬は6頭ってトリビアになりそう。
地元で生まれたウマなんか、、、、、一気に好きになった
思うとの頃の重馬場って今の重馬場とは比べられないほどの極悪馬場だったのかと思ってしまう
しかもクリフジとかカイソウ辺りになると戦局の悪化から競馬場は東京と京都で開催ってなってるし最近の阪神競馬場の剥げ具合から整備とかアレなんじゃないかって思ってしまうし
そしてスイープトウショウの牝系の祖はセントライト
今の馬たちと比べても遜色ない馬体
周りの人たちに愛されてたんだろうなあ
初代三冠馬
伝説の名馬
ゲーム上のデータで
自在で全てSだったよ
全ての距離でS
信じられない数値だよ
三冠馬なのに97位ってのが意外だな
古すぎて評価しにくかったんですかね
でも、初の三冠制覇ですからスゴいのに変わりはないですがね
日本初の3冠馬なら偉大な歴史的名馬なのですからもっともっと上位でなければ。
時期が2000年前半くらいなのでその時の人気が高い馬の順位が高いです。
ナリタブライアンやスペシャルウィーク、エルコンドルパサーなど。
テイエムオペラオーも年間全勝を達成する前なので順位は低めですね。
セントライトに関する詳細な記録や逸話はほぼ残ってないみたいだが、当時の関係者の子孫が資料として引き継いでたり、あるいは子孫すら知らない場所に保管されて眠ってるとかないんかな
もはや神話の域、ミステリアスでスゴく気になる
情報が少ないのは、セントライトの馬主が太平洋戦争の空襲で亡くなってるのが大きそう
私の祖父母が生まれた年の映像が残っているのは凄い。
2着2回3着1回あと全部1着…バケモンだな
負けたのも、勝ち馬と11キロ差とか8キロ差があってだからねw
生で見たかったなー
親父も生まれて直ぐだから知らないです
その世代でも伝説ですよ
戦死しそう
史上初の三冠馬
映像あるのか凄い😮
三冠馬になって引退がカッコいい✨
その引退の切っ掛けになった原因は、確か菊花賞の後、次に出る筈のレース(中山競馬場で行われるハンデキャップ戦。後の天皇賞の基となった『帝室御賞典』というレースの出走権をかけた競走だったらしい)で、「セントライトには72㎏の斤量を背負って走って貰う」と言われ、それを聞いた馬主の加藤雄策はんが「余りにも酷やろ!! 4歳馬にそんな斤量を背負わせて走らせる位なら引退じゃ!!」と怒った為に引退を決めたそうや。
因みに作家の菊池寛はんはその事実に対して、
「賞金を稼がせる心算ならまだ使えるのを、惜しげも無く引退させてしまう。ああ云う所は実に立派だ。天下の名馬も、彼の如きに認められて、初めて終わりを全うし得るのかも知れない」
とセントライトの引き際に賛辞を送ったそうや。
よく映像とか残ってたな…すげぇ…
出走頭数、ゲート、騎乗姿勢なにもかも違いますね
盛岡馬検場に再びクラシックホースが立つのはこのセントライトから80年も後になるとは。
よく来てくれたよジオグリフ。
すげえ,後ろの馬がレースから居なくなったようだ。余裕すぎる。
鋼鉄の馬と、呼ばれるほどの力強いヒ一ロ一。
立ち姿が綺麗なシルエットですよね。
伝説の馬
伝説の始まり
小岩井農場で生産されて初代3冠馬すげぇよ
日本ニユースみたいな演出だな
ニュース映画だよ
勝率がえぐい
三菱岩崎家が初代三冠馬の生産者だったことはほとんど知られていない。
三菱岩崎家って今どうなってるんでしょうね
この後3年位戦争だと親(団塊の世代)談。親の兄がこの年に産まれたそうな。
セントライト記念のセントライトやん
三歳デビューで三冠、あとは加藤氏の方針で引退させる…昔すぎるのもあるけど、底が見えない戦績なのは違いない
お父さんそっくりでしたね。
ゲートもない時代…
ゲートがどうなってるのかわからんw
教えて有識者
当時はロープを5本ほど張ったバリヤー式ゲートっちゅうもんで、スターターの合図とともにロープを上にバン!!と引き上げる方式やったそうや。
@@Whitestone_AJCC
それ真ん中不利ちゃいます?笑
3冠っていう概念いつからあったの?
三冠のうち最後に創設されたのが皐月賞の1939年(日本ダービーは1932年、菊花賞は1938年)なので、クラシック三大レースはそこから始まったみたいですね。その2年後にセントライトが三冠達成したのですが、それ以前は二冠馬という存在すらなかったので史上初の三冠馬兼二冠馬って感じですかね。
初代三冠馬か
なんでオーケストラの演奏が入ってるの
戦中で草
戦前
馬のレベルのさがひどい
コントレイルを見習え
なんだお前
時空壊れる
は?
@@あああああ-q6n ホンマその通りですわ。3年かけて11戦8勝(コントレイル。内2着2回3着1回)を挙げたモン(それでも間違い無く凄いんやけど)と、1年で12戦9勝(セントライト。内2着2回、3着1回。プラス斤量70㎏近く背負った時を含む)を挙げたモン。
どっちが凄いか一目瞭然ですがな。
お前は3冠取れてないから口出しできねぇだろ
こういう古い映像見ると何処かにひいじいちゃんがいるんじゃないかと思っちゃう笑笑