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この細かいブレーキ操作がスムーズな停止を生んでいたんですよね。今の自動ブレーキでは無理。
東急といえば、この”出発進行”!人目をはばからない厳しい指導が名物でした。それと、釣り掛け音。今でも、多摩川線はこの電車でいいんだけどなあ…。
車両は変われど大声での指差し歓呼は今も変わりません、短い駅間での車内改札(沼部ー鵜の木間が多かった)とかを思い出します。
吊り掛け駆動と自動空気ブレーキの組み合わせは旧型車そのもの。込め直し無しでサッとブレーキを払って停車位置に止める光景は職人芸ですね。
運転士の縦揺れを見てると、吊掛け台車とコイルバネシートのボヨンボヨンした揺れが懐かしく思い出される。ギア音が五月蠅いのに、この揺れで眠気が誘われるんだよなぁ。
若かりし頃に3000系を運転したことは、きっとこの運ちゃんの記憶に残り続けるのだろうな。池上線の線路脇に長く住んだ俺も、この吊り掛けモーターの音を忘れないよ。
運ちゃんのダミ声、釣掛モーター音との相性良くて味があって良いな
小学4年生の夏休み、東急のスタンプラリーに参加したことを思い出した。つり掛けサウンドが大好きだったから、たとえ冷房がついてなくても3000系が来るとうれしかったな。その3000系も、スタンプラリーを付き合ってくれた親戚のおじさんも、今はもうこの世にはいない。
空力の関係なのか3000系は窓サッシ交換後の開く面積が減った5000系より風が通ったような気がする。
指導運転士が隣にいるのかな?運転士さんの喚呼がいい声ですね〜
今の東急が想像できないほどのどかな地方私鉄みたいですね…
緑の3000系イメージ…①プシューと音なるドア開閉。②発進時にガタンと揺れる。③加速時の深いモーター音。コレが自分のイメージする池上線・旧目蒲線そして路面型の世田谷線。
音のわりに速度の遅い吊りかけの唸りはなかなかの絶品ですね。ああ、一度は乗ってみたかった。
フルノッチ加速はこの頃からだったんですね。東急は雪でもフルノッチ!!
このツーハンドルマスコン懐かしい・・・目蒲・池上両線でよく乗ったのを思い出す。発車の時の、少し勢いよく出る感じとこのモーター音が何とも言えない。現役の青ガエルも、熊本に1両しかないし、時代ですね。この映像有難う
「1段制動3回以内弛め」の美しい制動操作ですね!キロ表記の圧力計に時代を感じます。M24形かな?他社ですがこの形のブレーキ弁、若い頃に使っていたことがあり懐かしいです。カチャカチャ、シューと制動操作すると、少ししてグググッ…と効いてくる感覚が蘇ってきます。
3000系は自動空気ブレーキ7200系は電磁直通ブレーキ(セルフラップ)ブレーキ操作の苦労が偲ばれる。
自動空気ブレーキに発電ブレーキが併用されていた旧5000系など、どんな感覚だったのだろう?と思います。私は他社線ですが、同じような自動&発電の車種に乗務経験がある人曰く、非常に運転しにくかった、とのことですが…
5000形は制動弁に準備位置がありノッチオフでその位置に置いておくと制御装置が電気ブレーキの準備をしスムーズに発電ブレーキが掛かります。
懐かしい 武蔵新田に住んでいたのでよく乗りました。子供の頃新田神社で自転車に乗り、鏡内を目蒲線の運転をしている気分で走っていました。出発相当進行!の意味を説明出来る大人が周囲に誰も居なく駅員に相談した記憶があります。
声がでかいのは見習いさんだからですね。この人も今頃は教える側になってるのかな。
このおっさんの怒鳴り声の様な音がたまらないですw
自分の指で指す・自分で大きな声を出す・その声を自分の耳で聞く 東急流運転士育成よ
1950年代は主力車両として活躍していましたね
あの電気系の何かが焦げた匂いを思い出す、あの匂いと音、堪らん
圧力計が一個の3450系かな、歓呼の声がデカイのは東急の伝統の様ですね。この3000系は古いけど故障はほとんどなく今みたいに遅れが頻発する事は皆無でした、運転は難しいらしいですが乗客は安心して利用できました。
この頃に昭和鉄道生だった事からバイトで夏休みには鷺沼駅 冬休みには雪谷大塚駅で改札係りをしていました。時給は600円位でしたが職員と食べるランチが嬉しかったり、ホームの清掃を鉄道塵取りで清掃したり何を任されても嬉しく、一日が憧れの世界でした。東急沿線に住み画像の出発相当進行ー-の掛け声が鳴り響く目蒲線沿線に住んでいましたが東急に入社するにはそろばん3級以上が必修条件で私は他の私鉄に入りましたが、あとから思うに3級なら努力すれば取れてたはずなのに何故子供はそこを乗り越えないのか後悔の繰り返しでした。余談ですが目蒲線で交換日記を交わしていた彼女はそろばん1級でした(笑)
この頃の東急に入社するのは大変だったのではなかったか、東急が省力化を進めていてそもそも募集人員が空かなかった、要そろばん三級はこの頃行われていた改札口での精算や車内改札のためだったのでしょうか。
高校三年の秋には学校に伊豆急からの募集が入り応募すれば入れましたが親元を離れての独身寮生活は抵抗があり、その道は諦めましたが、東急には同級生が入社して蒲田駅員になっています。
十和田観光には、まだ3603がイベント用として動態保存されているはずです。花見電車として運行されたり、貸切運転にも応じてくれると記憶しています。
今と違って、指導員も声が出てる・・・。最近の指導員は、ここまでしないのが多いからな・・・。
声から覇気出す!当たり前の原点で運転士の使命。身近なトラブルが近年多発してるのはやはりこうした事を省略し鈍感力を生む結論になりうる
東急は運転士育成に力入れてて 「自分の声を自分の耳で聞く」というところから始めてた 訓練中の運転士は「ATSヨシ!」などと常に大きな声で発声・確認してたな…
@@kitamura5 駅員・車掌も気合入ってますよ。この頃の東急はあまり遅れは無く事故もほぼ無かったです、遅れると3000系でも回復運転するのでスリリングでした。今は運転系統が複雑で遅れは日常茶飯事になっちゃいました残念。
速度計は、この画面にはありませんがついています。ATSが点制御速度照査型ですので(当時は)必ずありますが、昭和30年代までは速度計はありませんでした。昭和40年代初頭にATS化する時に後付けでつけました。
3000系の速度計はATS車内警報器の上ですね。
私が、小学生低学年まで、走ってましたかね?中学年には、5000系になってましたな。
この運転士さんも今や東急のどこかの駅長さんなのかな〜
Yeah, Mekama Line. This section was tunnelized and renamed as the Meguro Line to go through Tokyo Metro systems.
喚呼は今と大して変わらないですね!ただ始発駅発車前の計器等の確認とブレーキテストの確認などがちょいちょい異なりますね!あと吊り掛けモーター音が堪らない!
モーターの音が良いですね
自動空気ブレーキがいかにも旧型電車らしい。あの初めてワンハンドルマスコンを投入した8000系と同じ会社の車両とは思えない。走行音は小田急初代4000系吊り掛け車と京王1900型を足して割ったようないかにも吊り掛け車らしい。
この運転手さんがその後、東京メトロ9000系、都営6300形、更に埼玉高速鉄道2000系の操作をしたのか気になります。
3000系はS63年3月までなので1000系くらいは乗ってるでしょうけど、助役に昇進してれば最近のは乗ってないかも知れません。
東急沿線やない僕ですがツリカケ音は最高だがや!(名鉄沿線民やから)
この頃に東京に住んでて、平成4年に関西に戻ってた
この乗務員今いつくなんだろうか。さすがにもう定年?
目蒲線時代の不動前〜武蔵小山間は、40‰の登り勾配で、釣り掛けモーターを呻らせて上っていきました。今は不動前が地下化されたため、逆に緩い下り勾配になっています。それにしても東急運転士さんの変な声。今もかな?
速度計がない!
画面に映ってないだけで、左の上にあるよ
ATS車内警報機の上にあります。
声デカイ運転手
これぞ THE 東急
この細かいブレーキ操作がスムーズな停止を生んでいたんですよね。
今の自動ブレーキでは無理。
東急といえば、この”出発進行”!人目をはばからない厳しい指導が名物でした。それと、釣り掛け音。今でも、多摩川線はこの電車でいいんだけどなあ…。
車両は変われど大声での指差し歓呼は今も変わりません、短い駅間での車内改札(沼部ー鵜の木間が多かった)とかを思い出します。
吊り掛け駆動と自動空気ブレーキの組み合わせは旧型車そのもの。
込め直し無しでサッとブレーキを払って停車位置に止める光景は職人芸ですね。
運転士の縦揺れを見てると、吊掛け台車とコイルバネシートのボヨンボヨンした揺れが懐かしく思い出される。ギア音が五月蠅いのに、この揺れで眠気が誘われるんだよなぁ。
若かりし頃に3000系を運転したことは、きっとこの運ちゃんの記憶に残り続けるのだろうな。池上線の線路脇に長く住んだ俺も、この吊り掛けモーターの音を忘れないよ。
運ちゃんのダミ声、釣掛モーター音との相性良くて味があって良いな
小学4年生の夏休み、東急のスタンプラリーに参加したことを思い出した。つり掛けサウンドが大好きだったから、たとえ冷房がついてなくても3000系が来るとうれしかったな。
その3000系も、スタンプラリーを付き合ってくれた親戚のおじさんも、今はもうこの世にはいない。
空力の関係なのか3000系は窓サッシ交換後の開く面積が減った5000系より風が通ったような気がする。
指導運転士が隣にいるのかな?
運転士さんの喚呼がいい声ですね〜
今の東急が想像できないほどのどかな地方私鉄みたいですね…
緑の3000系イメージ…
①プシューと音なるドア開閉。
②発進時にガタンと揺れる。
③加速時の深いモーター音。
コレが自分のイメージする池上線・旧目蒲線
そして路面型の世田谷線。
音のわりに速度の遅い吊りかけの唸りはなかなかの絶品ですね。
ああ、一度は乗ってみたかった。
フルノッチ加速はこの頃からだったんですね。東急は雪でもフルノッチ!!
このツーハンドルマスコン懐かしい・・・目蒲・池上両線でよく乗ったのを思い出す。
発車の時の、少し勢いよく出る感じとこのモーター音が何とも言えない。現役の青ガエルも、熊本に1両しかないし、時代ですね。
この映像有難う
「1段制動3回以内弛め」の美しい制動操作ですね!キロ表記の圧力計に時代を感じます。M24形かな?他社ですがこの形のブレーキ弁、若い頃に使っていたことがあり懐かしいです。カチャカチャ、シューと制動操作すると、少ししてグググッ…と効いてくる感覚が蘇ってきます。
3000系は自動空気ブレーキ
7200系は電磁直通ブレーキ(セルフラップ)
ブレーキ操作の苦労が偲ばれる。
自動空気ブレーキに発電ブレーキが併用されていた旧5000系など、どんな感覚だったのだろう?と思います。
私は他社線ですが、同じような自動&発電の車種に乗務経験がある人曰く、非常に運転しにくかった、とのことですが…
5000形は制動弁に準備位置がありノッチオフでその位置に置いておくと制御装置が電気ブレーキの準備をしスムーズに発電ブレーキが掛かります。
懐かしい 武蔵新田に住んでいたのでよく乗りました。
子供の頃新田神社で自転車に乗り、鏡内を目蒲線の運転をしている気分で走っていました。
出発相当進行!の意味を説明出来る大人が周囲に誰も居なく駅員に相談した記憶があります。
声がでかいのは見習いさんだからですね。
この人も今頃は教える側になってるのかな。
このおっさんの怒鳴り声の様な音がたまらないですw
自分の指で指す・自分で大きな声を出す・その声を自分の耳で聞く 東急流運転士育成よ
1950年代は主力車両として活躍していましたね
あの電気系の何かが焦げた匂いを思い出す、あの匂いと音、堪らん
圧力計が一個の3450系かな、歓呼の声がデカイのは東急の伝統の様ですね。この3000系は古いけど故障はほとんどなく今みたいに遅れが頻発する事は皆無でした、運転は難しいらしいですが乗客は安心して利用できました。
この頃に昭和鉄道生だった事からバイトで夏休みには鷺沼駅 冬休みには雪谷大塚駅で改札係りをしていました。
時給は600円位でしたが職員と食べるランチが嬉しかったり、ホームの清掃を鉄道塵取りで清掃したり
何を任されても嬉しく、一日が憧れの世界でした。
東急沿線に住み画像の出発相当進行ー-の掛け声が鳴り響く目蒲線沿線に住んでいましたが東急に入社
するにはそろばん3級以上が必修条件で私は他の私鉄に入りましたが、あとから思うに3級なら努力すれば
取れてたはずなのに何故子供はそこを乗り越えないのか後悔の繰り返しでした。
余談ですが目蒲線で交換日記を交わしていた彼女はそろばん1級でした(笑)
この頃の東急に入社するのは大変だったのではなかったか、東急が省力化を進めていてそもそも募集人員が空かなかった、要そろばん三級はこの頃行われていた改札口での精算や車内改札のためだったのでしょうか。
高校三年の秋には学校に伊豆急からの募集が入り応募すれば入れましたが親元を離れての独身寮生活は抵抗があり、
その道は諦めましたが、東急には同級生が入社して蒲田駅員になっています。
十和田観光には、まだ3603がイベント用として動態保存されているはずです。
花見電車として運行されたり、貸切運転にも応じてくれると記憶しています。
今と違って、指導員も声が出てる・・・。最近の指導員は、ここまでしないのが多いからな・・・。
声から覇気出す!当たり前の原点で運転士の使命。
身近なトラブルが近年多発してるのはやはりこうした事を省略し鈍感力を生む結論になりうる
東急は運転士育成に力入れてて 「自分の声を自分の耳で聞く」というところから始めてた 訓練中の運転士は「ATSヨシ!」などと常に大きな声で発声・確認してたな…
@@kitamura5 駅員・車掌も気合入ってますよ。この頃の東急はあまり遅れは無く事故もほぼ無かったです、遅れると3000系でも回復運転するのでスリリングでした。今は運転系統が複雑で遅れは日常茶飯事になっちゃいました残念。
速度計は、この画面にはありませんがついています。ATSが点制御速度照査型ですので(当時は)必ずありますが、昭和30年代までは速度計はありませんでした。昭和40年代初頭にATS化する時に後付けでつけました。
3000系の速度計はATS車内警報器の上ですね。
私が、小学生低学年まで、走ってましたかね?中学年には、5000系になってましたな。
この運転士さんも今や東急のどこかの駅長さんなのかな〜
Yeah, Mekama Line. This section was tunnelized and renamed as the Meguro Line to go through Tokyo Metro systems.
喚呼は今と大して変わらないですね!
ただ始発駅発車前の計器等の確認とブレーキテストの確認などがちょいちょい異なりますね!
あと吊り掛けモーター音が堪らない!
モーターの音が良いですね
自動空気ブレーキがいかにも旧型電車らしい。あの初めてワンハンドルマスコンを投入した8000系と同じ会社の車両とは思えない。走行音は小田急初代4000系吊り掛け車と京王1900型を足して割ったようないかにも吊り掛け車らしい。
この運転手さんがその後、東京メトロ9000系、都営6300形、更に埼玉高速鉄道2000系の操作をしたのか気になります。
3000系はS63年3月までなので1000系くらいは乗ってるでしょうけど、助役に昇進してれば最近のは乗ってないかも知れません。
東急沿線やない僕ですがツリカケ音は最高だがや!(名鉄沿線民やから)
この頃に東京に住んでて、平成4年に関西に戻ってた
この乗務員今いつくなんだろうか。
さすがにもう定年?
目蒲線時代の不動前〜武蔵小山間は、40‰の登り勾配で、釣り掛けモーターを呻らせて上っていきました。今は不動前が地下化されたため、逆に緩い下り勾配になっています。
それにしても東急運転士さんの変な声。今もかな?
速度計がない!
画面に映ってないだけで、左の上にあるよ
ATS車内警報機の上にあります。
声デカイ運転手
これぞ THE 東急