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子供の頃よくバッハを弾いていましたが、八百板さんのお話をその頃の自分に聞かせられたらなあ、と思います。インヴェンションを勉強し直してみたいです。お話と演奏をありがとうございます!
今からでも全然遅くないです。ぜひインヴェンションを弾いてください!
なんて情感たっぷりなんでしょう。全然ちがいますね!
ありがとうございます!
素敵な演奏✨ありがとうございます♥️🎉
嬉しいお言葉、ありがとうございます!
素晴らしい演奏に感無量です。これほど納得する心を打たれた第13番を聴いたことがありません!私もずっと同じことを感じていました。短い曲の中に感情の動きがたくさんあり、表現する醍醐味のある素晴らしい一曲だと思っています。淡々と演奏してしまっては、この曲の素晴しさが伝わらないと思っていました。八百坂さんの演奏を聴くことができて、本当に良かったです。納得です。ありがとうございました💝
同じことを感じていらっしゃったとは、あなたの感受性も素晴らしいです!
素晴らし演奏です。バッハが素晴らしいメッセージを書いたとは知りませんでした。古典の音楽は、一本調子で書かれたものであるという暗黙の了解があると思います。カンタービレでバッハを聞いてみたいと思いました。再現芸術に忠実な姿勢は、立派です。
ありがとうございます!今と違って、昔の人々はその時代の音楽しか聴けなかったのですから、その時代の音楽だけですべての感情を表現していたわけです。
私が普段から八百板さんの音楽の講義から感じているのは、分野は全く異なりますが、実は、「すきやばし次郎」の寿司屋職人の小野二郎さん(98歳)です。すきやばし次郎の仕入れのマグロは、必ず小野二郎さんが、マグロの各部位の味見を欠かさないそうです。案外当たり前の料理人の基本を、大抵ほとんどの寿司屋職人はしないそうである。またアワビは、大小の違い見るだけで香りが分かるそうである。音楽の場合、バッハという各作品のネタは同じ握りであっても、まことに演奏者によって、「僕の握りは、軽いんだけど耳に達すると重いんだ!!」、それじゃあまだまだ全然ダメ、「親父の握りは、重いんだけど、耳に達すれば軽いんだ?」という境地になっていれば良いのだが、やはり現代社会においてはネット社会において、作品でも演奏でも、客観性を持つ目を養いにくい世の中なので、やはりレッスンなど他者に見てもらうのは重要ですね。❤🎵
たいへんに参考になるお話をありがとうございます。98歳でそこまで徹底するとは、まさに職人魂ですね!レッスンの重要性、おっしゃるとおりです。だからこそ、そのレッスンを提供する側のピアニストさんたちの責任は重いと思うんです。
美しい演奏をありがとうございます🎹速ければ勝ち、みたいな風潮ですよね〜😆
嬉しいです! もちろん、これは私の個人的な解釈ですけれど。
歌ってないから一本調子になっちゃうんでしょうね(;_:)
そう、そうですよね!
試験なら落第なのだ!
そうですよね。困ったことです。
こんにちは。今回はメルマガから来ました。バッハインヴェンションを最初に知ったのは姉のピアノレッスンの次の練習曲集の様な括りで井口版でした。好きなタイプの曲が多い、とは私の第一印象。やがて音楽科受験で副科ピアノの課題曲のひとつでもあり…その時の指定も井口版でした。そして胎教音楽テープにも管弦アレンジが収録されてました。私は2番目の演奏例に近い8分音符はノンレガートにする奏法でした。テーマはハッキリと、クライマックス等のクレシェンドは表出する様な指導だったと思いますが私は技術的にも不合格レベルだったので作曲専攻に変えて受験しました。インベンションが「発見」という意味なのもその頃に習ったと思いますが、何を発見するんだろう…バロック音楽は表情は抑えて、当時の楽器の表現力自体が狭いものだから…そんな風にも教わりました。ただ、表現力が乏しい楽器であったとしても、作曲者自身はストイックに弾くべき曲だけ書いていたのかは疑問でした。ある日、三声インベンション(シンフォニアとも呼ばれる)のアルペジオ装飾のピアノレッスンで、先生が左手と右手の縦ラインずらしを奏法提案されたのですが、バッハは厳格なイメージがあるのでベースとソプラノを重複音になる弾き方をしたいのか(第1展開形第3音重複)響きで第1展開形の第3音重複が許されるのは終止形のⅡだけは美しいからで、他は疑問でした。そこは先生も作曲者目線を受け止めて頂けました。さて、最近、バッハのAdagioを弾くと、どうしても表情豊かに弾きたくなり、自分でそれは美しいと思って弾いているのだけど、バッハで耽溺してもよいのかという後ろめたさの様なものを感じていました。メロディーはフルートなのでフルートも以前好きで習っていたので曲の収まりや伸びを感じやすく、ちょっと探究しようかなと思っていたところでした。ちなみに一本調子の演奏ならDTMの着メロも入力簡単です。想い出した!四十路で肺炎になり、自宅療養と通院点滴をしていた時、バッハの曲集ばかりを着メロ配信していました。丁寧な音づくりは楽しいですね。
とっても盛りだくさんのコメント、どうもありがとうございます!音大の受験で井口版が指定されたんですか。そんなこともあるんですね。どうりで、世の中に出回っているインヴェンションの演奏が変わらないわけです。チェンバロはタッチで音量を1割くらいしか変えられませんし、オルガンに至ってはタッチで音量は全く変えられません。でも、バッハをはじめ当時の偉大な音楽家たちは、チェンバロやオルガンを「劣った楽器だ」なんて少しも思っていませんでした。そもそも、強弱は思いっきりコントラストを付けるという発想がバロック芸術の根本理念であって、ピアノからフォルテにだんだん大きくする、という発想自体なかったのですから。バッハのアダージョはぜひ表情豊かに弾いてください。ロマン派風ではなく、古典派風でもなく、バロック風に表情豊かに弾けばいいのです。ちなみにルネサンス的な表情豊かというのもあります。
いちピアノ初学者としては、かなりわかりやすい模倣対位法のモチーフの活用が多かったりして、ついつい機械的に弾きたくなってしまいます😅いかんです…
同じモチーフをソプラノとバスが交互に演奏する作曲技法は、例えば世俗歌曲なら「愛し合う男女の対話」でも使われましたし、教会カンタータなら「神と信者の魂との対話」としても使われました。そう考えれば、模倣対位法の可能性が広がりますよね?
@@八百板正己ご返信ありがとうございます😊 なるほど、まさに対話ですね!いい言葉です。表現の幅が広がりますね、ありがとうございます😄
ピアノによるバッハ演奏が一本調子なのは、「インヴェンションは機械的な指の練習曲」という誤解が第一の原因、平均律によって調性格・和音の性格を喪失したことが、それをいっそう悪化させていると思います。(不等分律なら、同じ減7の和音でも、C#EGB♭とHDFA♭で性格が違うと思います)なんだか、プリセットした通りにしか演奏できない、出来の悪いAIに演奏させたら、こんな感じになるんじゃないか、と思いました。これじゃ、天国のバッハは浮かばれません。カンタービレな奏法を習得するために作曲したのに。
あと、そういう弾き方のほうが教えるのが楽だ、っていうのもあるかもしれませんよ。音を弾き間違えたか、音の長さは一定か、テンポは速いか、の採点には芸術性は要りませんからね。
子供の頃よくバッハを弾いていましたが、八百板さんのお話をその頃の自分に聞かせられたらなあ、と思います。インヴェンションを勉強し直してみたいです。お話と演奏をありがとうございます!
今からでも全然遅くないです。ぜひインヴェンションを弾いてください!
なんて情感たっぷりなんでしょう。
全然ちがいますね!
ありがとうございます!
素敵な演奏✨ありがとうございます♥️🎉
嬉しいお言葉、ありがとうございます!
素晴らしい演奏に感無量です。
これほど納得する心を打たれた第13番を聴いたことがありません!
私もずっと同じことを感じていました。
短い曲の中に感情の動きがたくさんあり、表現する醍醐味のある素晴らしい一曲だと思っています。淡々と演奏してしまっては、この曲の素晴しさが伝わらないと思っていました。
八百坂さんの演奏を聴くことができて、本当に良かったです。
納得です。
ありがとうございました💝
同じことを感じていらっしゃったとは、あなたの感受性も素晴らしいです!
素晴らし演奏です。バッハが素晴らしいメッセージを書いたとは知りませんでした。
古典の音楽は、一本調子で書かれたものであるという暗黙の了解があると思います。
カンタービレでバッハを聞いてみたいと思いました。
再現芸術に忠実な姿勢は、立派です。
ありがとうございます!
今と違って、昔の人々はその時代の音楽しか聴けなかったのですから、その時代の音楽だけですべての感情を表現していたわけです。
私が普段から八百板さんの音楽の講義から感じているのは、分野は全く異なりますが、実は、「すきやばし次郎」の寿司屋職人の小野二郎さん(98歳)です。すきやばし次郎の仕入れのマグロは、必ず小野二郎さんが、マグロの各部位の味見を欠かさないそうです。案外当たり前の料理人の基本を、大抵ほとんどの寿司屋職人はしないそうである。またアワビは、大小の違い見るだけで香りが分かるそうである。音楽の場合、バッハという各作品のネタは同じ握りであっても、まことに演奏者によって、「僕の握りは、軽いんだけど耳に達すると重いんだ!!」、それじゃあまだまだ全然ダメ、「親父の握りは、重いんだけど、耳に達すれば軽いんだ?」という境地になっていれば良いのだが、やはり現代社会においてはネット社会において、作品でも演奏でも、客観性を持つ目を養いにくい世の中なので、やはりレッスンなど他者に見てもらうのは重要ですね。❤🎵
たいへんに参考になるお話をありがとうございます。98歳でそこまで徹底するとは、まさに職人魂ですね!
レッスンの重要性、おっしゃるとおりです。だからこそ、そのレッスンを提供する側のピアニストさんたちの責任は重いと思うんです。
美しい演奏をありがとうございます🎹速ければ勝ち、みたいな風潮ですよね〜😆
嬉しいです! もちろん、これは私の個人的な解釈ですけれど。
歌ってないから一本調子になっちゃうんでしょうね(;_:)
そう、そうですよね!
試験なら落第なのだ!
そうですよね。困ったことです。
こんにちは。
今回はメルマガから来ました。
バッハインヴェンションを最初に知ったのは姉のピアノレッスンの次の練習曲集の様な括りで井口版でした。
好きなタイプの曲が多い、とは私の第一印象。
やがて音楽科受験で副科ピアノの課題曲のひとつでもあり…
その時の指定も井口版でした。
そして胎教音楽テープにも管弦アレンジが収録されてました。
私は2番目の演奏例に近い8分音符はノンレガートにする奏法でした。
テーマはハッキリと、クライマックス等のクレシェンドは表出する様な指導だったと思いますが私は技術的にも不合格レベルだったので作曲専攻に変えて受験しました。
インベンションが「発見」という意味なのもその頃に習ったと思いますが、何を発見するんだろう…
バロック音楽は表情は抑えて、当時の楽器の表現力自体が狭いものだから…
そんな風にも教わりました。ただ、表現力が乏しい楽器であったとしても、作曲者自身はストイックに弾くべき曲だけ書いていたのかは疑問でした。
ある日、三声インベンション(シンフォニアとも呼ばれる)のアルペジオ装飾のピアノレッスンで、先生が左手と右手の縦ラインずらしを奏法提案されたのですが、バッハは厳格なイメージがあるのでベースとソプラノを重複音になる弾き方をしたいのか(第1展開形第3音重複)響きで第1展開形の第3音重複が許されるのは終止形のⅡだけは美しいからで、他は疑問でした。そこは先生も作曲者目線を受け止めて頂けました。
さて、最近、バッハのAdagioを弾くと、どうしても表情豊かに弾きたくなり、自分でそれは美しいと思って弾いているのだけど、バッハで耽溺してもよいのかという後ろめたさの様なものを感じていました。
メロディーはフルートなのでフルートも以前好きで習っていたので曲の収まりや伸びを感じやすく、ちょっと探究しようかなと思っていたところでした。
ちなみに一本調子の演奏ならDTMの着メロも入力簡単です。
想い出した!
四十路で肺炎になり、自宅療養と通院点滴をしていた時、バッハの曲集ばかりを着メロ配信していました。
丁寧な音づくりは楽しいですね。
とっても盛りだくさんのコメント、どうもありがとうございます!
音大の受験で井口版が指定されたんですか。そんなこともあるんですね。どうりで、世の中に出回っているインヴェンションの演奏が変わらないわけです。
チェンバロはタッチで音量を1割くらいしか変えられませんし、オルガンに至ってはタッチで音量は全く変えられません。でも、バッハをはじめ当時の偉大な音楽家たちは、チェンバロやオルガンを「劣った楽器だ」なんて少しも思っていませんでした。そもそも、強弱は思いっきりコントラストを付けるという発想がバロック芸術の根本理念であって、ピアノからフォルテにだんだん大きくする、という発想自体なかったのですから。
バッハのアダージョはぜひ表情豊かに弾いてください。ロマン派風ではなく、古典派風でもなく、バロック風に表情豊かに弾けばいいのです。ちなみにルネサンス的な表情豊かというのもあります。
いちピアノ初学者としては、かなりわかりやすい模倣対位法のモチーフの活用が多かったりして、ついつい機械的に弾きたくなってしまいます😅いかんです…
同じモチーフをソプラノとバスが交互に演奏する作曲技法は、例えば世俗歌曲なら「愛し合う男女の対話」でも使われましたし、教会カンタータなら「神と信者の魂との対話」としても使われました。そう考えれば、模倣対位法の可能性が広がりますよね?
@@八百板正己
ご返信ありがとうございます😊
なるほど、まさに対話ですね!
いい言葉です。表現の幅が広がりますね、
ありがとうございます😄
ピアノによるバッハ演奏が一本調子なのは、「インヴェンションは機械的な指の練習曲」という誤解が第一の原因、
平均律によって調性格・和音の性格を喪失したことが、それをいっそう悪化させていると思います。
(不等分律なら、同じ減7の和音でも、C#EGB♭とHDFA♭で性格が違うと思います)
なんだか、プリセットした通りにしか演奏できない、出来の悪いAIに演奏させたら、こんな感じになるんじゃないか、と思いました。
これじゃ、天国のバッハは浮かばれません。カンタービレな奏法を習得するために作曲したのに。
あと、そういう弾き方のほうが教えるのが楽だ、っていうのもあるかもしれませんよ。音を弾き間違えたか、音の長さは一定か、テンポは速いか、の採点には芸術性は要りませんからね。