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判官と尊氏はまさに盟友。赤橋守時は別の名前を授け足利幕府をたすけてほしかったなあ。
切腹もアタックチャーーーーーーンス
田楽のおっさんまで死なんでもいいのにな
子どものころの直冬
陣内さんって「腹に一物抱える小悪党役」が似合うなww
本人がカッコつけだったから、ド派手な西国武将が似合うね。
役者さんとしてクセの強い所がある分、クセの強い役にはピッタリはまる、そんな感じですかね。
時行「ち、父上…まさかここまで、落ちぶれたか…😨」
守時殿には義弟の尊氏殿側に居ってくれれば少しは後の狐(公家集)相手の手助けになってくれたのでは?
将軍で話題の真田さん主演の大河ドラマです1991年の。
わざわざ説明しなくても誰もが知ってるよ
@ はいはい
物知りですねー
@ だろ
院庄は津山。。。。地元やな。後醍醐天皇ゆかりの有名な樹木が津山にはあります
院庄の桜神社ですか?
そうです。判官が隠岐まで天皇をお連れする話しに少しでてきましたが、院庄での茶葉贈呈のお礼に桜を贈呈されたそうです。
1:21:06 ここ好き
4:38:37
5:68:38
こじまたかのりとなわながとし
尊氏が、「鳥なき里の蝙蝠」といわれる理由はわかる。この時代には、頼朝や信長クラスの英雄はいない。だからこそ、収拾のつかない動乱が続く。尊氏は、異常人格ではなかったかと、歴史学者の間では言われている。敵の後醍醐天皇が吉野で崩御したとき、尊氏は嘆き悲しみ、寺まで建立して菩提を弔う。まるで、自分が後醍醐天皇を吉野へ追いやって客死させた張本人であることを忘れでもしたかのように。これには、弟直義、足利一門、諸大名も非常に困惑したという。北朝の光厳上皇はわざわざ尊氏を召し出して、その真意を問いただしたほど。後の観応の擾乱のときも弟直義の軍勢に摂津打出浜の戦いで敗れたにも関わらず何食わぬ顔で直義方の評定の席に現れ自らの腹心である高師直を殺害した上杉、畠山らを強い口調で非難している。まるで、自分が戦いに敗れたことに気がついてないような態度。このような尊氏の異常な性格は、足利の血統だと見る向きもある。祖父家時は、天下を取れぬことを嘆いて自害したというし、曾孫にも義教のような異常な性格を持つ者がいる。いずれにせよ、尊氏は本人の能力より周りの輿望により押し上げられた人物で、内政における直義、軍事における高師直ら側近の力がなければとても天下などとれる人物ではなかったと言える。
足利尊氏って鳥なき里の蝙蝠とか言われてました?何の書物、または誰の評ですか?長宗我部の事ではないですか?
足利尊氏が「鳥なき里の蝙蝠」といわれるのは聞いたことがない。
「独眼竜正宗」で正宗を揶揄したセリフでは
いやー逆だろ。頼朝、信長クラスが20人くらいいるからこそ収拾がつかんのよ。つか、新田義貞、楠木正成、北畠顕家あたりとやって勝てる武将が戦国大名で何人いるか?それを3人全部そろえても互角にやれる足利ってまぁやばいわな。そもそもがこの時代の人間やばすぎる(笑)勘合貿易なんて明相手に徹底的に食い物にしてるくらい武力、外交センスが明(しかも全盛期)の上を行く。あげくに応永の外寇なんて、李氏朝鮮の国軍相手に対馬在住の数百人(ぶっちゃけ島の人間だけ)で完全撃破だぜ?ちょっと生命力というか強さがやばすぎんだよなー。そりゃ、動乱に収拾がつかんわ。
歴史知らないだろお前ごときが英雄の人物評をするなよ
判官と尊氏はまさに盟友。赤橋守時は別の名前を授け足利幕府をたすけてほしかったなあ。
切腹もアタックチャーーーーーーンス
田楽のおっさんまで死なんでもいいのにな
子どものころの直冬
陣内さんって「腹に一物抱える小悪党役」が似合うなww
本人がカッコつけだったから、ド派手な西国武将が似合うね。
役者さんとしてクセの強い所がある分、クセの強い役にはピッタリはまる、そんな感じですかね。
時行「ち、父上…まさか
ここまで、落ちぶれたか…😨」
守時殿には義弟の尊氏殿側に居ってくれれば少しは後の狐(公家集)相手の手助けになってくれたのでは?
将軍で話題の真田さん主演の大河ドラマです1991年の。
わざわざ説明しなくても誰もが知ってるよ
@ はいはい
物知りですねー
@ だろ
院庄は津山。。。。地元やな。後醍醐天皇ゆかりの有名な樹木が津山にはあります
院庄の桜神社ですか?
そうです。判官が隠岐まで天皇をお連れする話しに少しでてきましたが、院庄での茶葉贈呈のお礼に桜を贈呈されたそうです。
1:21:06 ここ好き
4:38:37
5:68:38
こじまたかのりとなわながとし
尊氏が、「鳥なき里の蝙蝠」といわれる理由はわかる。
この時代には、頼朝や信長クラスの英雄はいない。
だからこそ、収拾のつかない動乱が続く。
尊氏は、異常人格ではなかったかと、歴史学者の間では言われている。
敵の後醍醐天皇が吉野で崩御したとき、尊氏は
嘆き悲しみ、寺まで建立して菩提を弔う。
まるで、自分が後醍醐天皇を吉野へ追いやって客死させた張本人であることを忘れでもしたかのように。これには、弟直義、足利一門、諸大名も非常に困惑したという。
北朝の光厳上皇は
わざわざ尊氏を召し出して、その真意を問いただしたほど。
後の観応の擾乱のときも
弟直義の軍勢に
摂津打出浜の戦いで敗れたにも関わらず
何食わぬ顔で直義方の評定の席に現れ
自らの腹心である
高師直を殺害した
上杉、畠山らを
強い口調で非難している。まるで、自分が戦いに敗れたことに気がついてないような態度。
このような尊氏の異常な
性格は、足利の血統だと見る向きもある。祖父家時は、天下を取れぬことを嘆いて自害したというし、曾孫にも義教のような異常な性格を持つ者がいる。
いずれにせよ、尊氏は
本人の能力より
周りの輿望により押し上げられた人物で、
内政における直義、軍事における高師直ら側近の力がなければ
とても天下などとれる人物ではなかったと言える。
足利尊氏って鳥なき里の蝙蝠とか言われてました?何の書物、または誰の評ですか?
長宗我部の事ではないですか?
足利尊氏が「鳥なき里の蝙蝠」といわれるのは聞いたことがない。
「独眼竜正宗」で正宗を揶揄したセリフでは
いやー逆だろ。頼朝、信長クラスが20人くらいいるからこそ収拾がつかんのよ。
つか、新田義貞、楠木正成、北畠顕家あたりとやって勝てる武将が戦国大名で何人いるか?
それを3人全部そろえても互角にやれる足利ってまぁやばいわな。
そもそもがこの時代の人間やばすぎる(笑)
勘合貿易なんて明相手に徹底的に食い物にしてるくらい武力、外交センスが明(しかも全盛期)の上を行く。
あげくに応永の外寇なんて、李氏朝鮮の国軍相手に対馬在住の数百人(ぶっちゃけ島の人間だけ)で完全撃破だぜ?
ちょっと生命力というか強さがやばすぎんだよなー。そりゃ、動乱に収拾がつかんわ。
歴史知らないだろ
お前ごときが英雄の人物評をするなよ