法話「輪廻転生はあるの?」真宗大谷派僧侶 高科 修 師

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  • เผยแพร่เมื่อ 21 ส.ค. 2024

ความคิดเห็น • 95

  • @stuyermou561
    @stuyermou561 3 หลายเดือนก่อน +1

    「仕方ない」。
    この言葉には感謝も詫び謝りも無い。ただ目をそらし逃げるだけ。
    目が開きました。
    このご説法、本当にありがたくハッとしました。
    真宗の聞法は難しい事多く私には理解出来ないことも多いのです。
    でも高科さまは本当に分かりやすく教えて下さるのでありがたいです。
    至心に三宝に帰依したてまつる
    南無阿弥陀仏 合掌

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  3 หลายเดือนก่อน +1

      stuyermou561様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      『真宗の聞法は難しい事多く私には理解出来ないことも多いのです』
      とのstuyermou561様のお言葉。
      その言葉を言わせてしまうのは、ひとえに私たち真宗の僧侶の責任であります。
      stuyermou561様に、真宗の聞法は難しい事多く私には理解出来ないことも多いのですと言わせてしまうことに、真宗の僧侶の末席を汚す者として、大変申し訳なく感じております。
      ごめんなさい。
      stuyermou561様のお言葉を受け、ますます日々精進に努めてまいります。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

    • @stuyermou561
      @stuyermou561 3 หลายเดือนก่อน

      @@buddhism_japan いえいえ高科さまのお話は大変分かりやすくて引き込まれていきます。なんだか父の菩提寺の先代住職さまを思い出します。(お声は少ししゃがれ声でしたが・・。口癖は「霊とか開運、ご利益と言う言葉に騙されてはいけません。そういう物は一切無いんですよ。」でした)。
      南無阿弥陀仏 合掌

  • @toshi-jii
    @toshi-jii 2 ปีที่แล้ว +5

    今回の法話も、ありがとうございます。😀
    私もそうですが、苦難からは逃げたくなります。
    しかし、逃げても解決はされません。
    残り後、何年生きるか分かりませんが・・・。😅
    後悔する事が少ない人生にしたいと夫婦共に思って過ごしています。
    南無阿弥陀仏

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      とし爺様
      皆一緒です。
      この世の中で誰一人として「困難」が大好きな人はいません。
      かくいう私も一緒です。
      でも…
      生きている以上、この「困難」は付いてきます。
      人生=困難
      そう言ってもおかしくないくらいに。
      ギターが上手になりたい。
      民謡を上手に歌いたい。
      例えばそう思ったとします。
      どうでしょうか?
      両方とも自分の趣味として始めます。
      練習しなければなりません。
      その練習は、趣味ですから楽しいはずです。
      ギターがひけるようになった!
      民謡が歌えるようになった!
      でも…
      ギターを趣味にし続けるかぎり、民謡を趣味にし続けるかぎり、楽しみ喜びとともに「困難」…苦労…悩みは付いてきます。
      この「困難」がなければ両方とも上達はしません。イエ上達どころか、現状維持もできません。
      とし爺様。
      とし爺様ご夫婦は、共に素晴らしく素敵な方であられます。
      『何年生きるか分かりませんが・・・。後悔する事が少ない人生にしたいと夫婦共に思って過ごしています。南無阿弥陀仏』
      このお言葉がすべてです。
      このお言葉を仰るとし爺様に…
      尊敬と敬意を感じずにはいられません。
      と同時に…
      とし爺様のお言葉を、私自身、気持ち命じて生きて行かなければならないと、あらためて決意させられました。
      とし爺様。
      心よりお礼申し上げます。
      ありがとうございます。
      合掌
      高科修

  • @xesgwbaw2010
    @xesgwbaw2010 5 หลายเดือนก่อน

    ありがとうございました!

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  5 หลายเดือนก่อน

      xesgwbaw2010様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

  • @summersummer4705
    @summersummer4705 2 ปีที่แล้ว +10

    来世はより良い環境に生まれる為に、現世で善を重ねると云う考えは如何でしょうか?
    私は輪廻転生はあると信じたいです。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว +3

      summer summer様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      『私は輪廻転生はあると信じたいです』
      と仰られるsummer summer様に…
      私は異論は微塵もありません。
      そのお考え、思想、信じる心は尊重こそすれ否定する理由は何一つありません。
      ただ…
      浄土真宗は…
      「生まれ変わり」の云々より
      「今を生きる」
      「人生を生き切る」
      ということに最重要性を見出だしているというお話です。
      故に…
      警察官に、ビールをコップ一口飲んだぐらいなら、車を運転しても良いですよねと尋ね、警察官が「絶対ダメです」と答えるが如く。
      消防士に、少しの時間なら火にかけたテンプラ油の鍋から目を離してもかまいませんよねと尋ね、消防士が「一秒も目を離さないで下さい」と答えるが如く。
      浄土真宗の僧侶に
      「……如何でしょうか? 」と尋ねられたなら、
      「浄土真宗では、そうは申しません」
      とお答え致すしかありません。
      どうぞご理解頂ければ幸いです。
      合掌
      高科修

    • @user-hr5ug4lo4e
      @user-hr5ug4lo4e 2 ปีที่แล้ว

      私は生まれる前の記憶があります。高級霊がそばに来てくれました。

  • @user-uh9if9vc7u
    @user-uh9if9vc7u 2 ปีที่แล้ว +2

    いつもお話ありがとうございます。
    浄土真宗西本願寺派です。
    菩提寺の勉強会にも行ったりしますが
    お話がわかりにくく私にはいつも中途半端で終わる感じです。
    あるかないかはわからない、
    わからないことは考えない、
    明日も明後日も今日の続き、
    だから一生懸命生きるだけ。
    私は、何十年にもなる持病があり
    ずっとひとつひとつやっていくだけで来ました。
    難病の持病があると新興宗教は必ず治ると言いますが
    どの新興宗教の人も病気になるし死ぬ、
    騙そうとするな〜と放っておきます。
    住職さまのお話はわかりやすく、難しい宗教を
    現実のなかで考えることができます。
    本当にこうして出会えて感謝しています。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว +1

      じた様
      『ずっとひとつひとつやっていくだけで来ました』
      との、じた様のお言葉。
      そのひとつ、ひとつをやってきた、じた様の人生の積み重ねの時間が、じた様に揺るぎない『軸』を作ったのですね。
      事実をねじまげ
      都合良く理屈をつけ
      それに責任を負わず
      人を惑わし続ける、イカサマな勧誘に、真理をぶつけれる確固たる『軸』を作られたのですね。
      じた様の積み重ねられた人生。その人生に私は、敬意と尊敬を感じます。
      『病気は人を哲学者にする』
      とは、昔から言われている言葉です。
      『持病』をもっていることが、じた様に揺るぎない軸を作らせたのなら、じた様にとって『持病』は、南無気づけ阿弥陀如仏気づきましたの南無阿彌陀仏(仏様)ですね。
      ただ、そう申しましても、持病との生活は、私がご推察するに余りあるもがあります。
      どうか、ご自身をご自愛下さいますことお願い申し上げます。
      合掌
      高科修

  • @1oku3zen55
    @1oku3zen55 ปีที่แล้ว +2

    これはいい法話
    💮💮💮💮💮

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  ปีที่แล้ว

      1oku3zen様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      自分の力の無さ…
      自分の未熟さを…
      痛感致しました。
      本来『法話』は…
      腑に落ちて頷けるか?
      腑に落ちなくて頷けないか?
      その二択であります。
      その上で…
      1oku3zen様の内なるモノに響き、1oku3zen様の内なる声がコメントに表れて頂けるのが、浄土真宗の法話を『語る・聞く』…の『聴聞』と表現するいわれであります。
      『良い』か『悪い』かではございません。
      しかしながら、1oku3zen様は『これはいい法話』だと仰る。
      1oku3zen様の内なるモノに響くことに至らなかった私の未熟さの成せるわざであります。
      自身のより一層の日々の精進を努めてまいります。
      合掌
      高科修

  • @user-qz3vj5jc2s
    @user-qz3vj5jc2s หลายเดือนก่อน

    高科様
    私は輪廻転生があるか、ないかはどちらにも確信をもっておりませんが、
    浄土真宗は輪廻を説いていると長年思っていました。
    最近、大谷派の仏教セミナーに参加した際に、
    講師の方が「輪廻はバラモン教の教えで、仏教では説いてない」と言われて驚き、混乱しました。
    それから、ネットで色々調べたら、大谷派の中でも違う意見の先生もおられました。(神奈川 高明時 三木悟氏)
    ただ、親鸞聖人、蓮如上人は、輪廻に触れられていると思っています。
    たとえば、親鸞聖人もお引きになっている善導大師の「二種深信」の「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し常に流転して、出離の縁あることなしと信ず・・・」は、「輪廻」のことではないのでしょうか?
    素人の浅薄の私ですが、教えていただければ、幸いです

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  หลายเดือนก่อน

      宮前英治様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      宮前英治様が何を信じ、どのように生きていくのかは自由でございます。
      浄土真宗は…
      「生まれ変わり」の云々より
      「今を生きる」
      「人生を生き切る」
      ということに最重要性を見出だしているというお話です。
      そして、輪廻転生について、付け加えるならば
      輪廻転生を信じ生まれ変わったとしても、
      お釈迦様の気づいた真理
      『生』『老』『病』『死』の苦の人生を繰り返すだけなのだと
      故に、お釈迦様は輪廻転生の考え方を否定しております。
      親鸞聖人の生死は…輪廻の意味ではなく、
      私は、生まれ死していく身である私!という自覚!の意味で使われています。
      『弥陀の本願』=『大きな深い願い』=『南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏』=自分に起こる、出会う全ての事象(これには我が心の喜怒哀楽との出会いも含まれます)を我が生きる糧として生きていく=今を真摯に愚直に一生懸命に生きる=自身が亡くなったなら、私も大きな深い願いになる。
      このことを、何処までいっても『信じることが出来ない私である』の私たちです。
      だから…こそ…
      『弥陀の本願』=『大きな深い願い』=『南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏』=自分に起こる、出会う全ての事象(これには我が心の喜怒哀楽との出会いも含まれます)を我が生きる糧として生きていく=今を真摯に愚直に一生懸命に生きる=自身が亡くなったなら、私も大きな深い願いになる。
      を『信じなさい』と親鸞聖人はお話しをしておいでなのです。
      これが、浄土真宗です。
      浄土真宗という宗教宗派です。
      真宗の生き方(真宗の生活・生きる姿勢)とは…
      一生懸命に生きるという生き方です。
      一生懸命に生きるという生き方は…
      考えるという生き方です。
      考えるという生き方は…
      考える

      疑問や悩みが起こる

      それを解決しょうとする

      新たに知ること、気づくことに出会う

      また考える

      また疑問や悩みが起こる

      またそれを解決しょうとする

      また新たに知ること、気づくことに出会う

      また…

      また…
      と、繰り返されるこの生き方であります。
      『今』をどう生きるのか?
      に、特化しているのが
      浄土真宗の教えでございます。
      『自己とはなんぞや?
      これ真宗』
      この一言です。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

    • @user-qz3vj5jc2s
      @user-qz3vj5jc2s หลายเดือนก่อน

      @@buddhism_japan
      高科様
      早速、ご返答いただきありがとうございます。
      真宗の生き方は「一生懸命に生きる」とのことですが、それは「自力」ではないでしょうか?
      「一生懸命生きよう」と努力しても救われない罪障深重の自分であると深く自覚して、
      弥陀の本願を一心にたのむ。
      というのが、真宗の教えと理解しておりました。
      つまり、弥陀の本願で救われないと、また輪廻して『生』『老』『病』『死』の苦の人生を繰り返す
      と思っていたので、輪廻がないと「浄土」の存在意義もよくわからなくなります。
      素人が意見がましいことのようになってすみませんが、現在の私の心境です。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  หลายเดือนก่อน

      宮前英治様
      仏教で語られる自力!、他力は、一般社会で使われる自・他の意味ではありません。
      自力の自は、戒律のことです。
      戒律を重んじることにより、自分自身の中より自分自身で自問自答をし、生老病死の苦の人生を如何に生きていくか!を熟考することを自力と呼びます。
      他力の他は仏法のことです。
      仏法を聞き、その教えの中より、自らを自問自答し、我が身の姿を気づかされ、気づき、生老病死の苦の人生を如何に生きていくか!を熟考していく!が他力であります。
      浄土真宗が他力なのは、
      自力の自問自答は、どこまでいっても、自分の考えから抜け出さない!ともすれば、厳しい戒律より得た自問自答は、自分の都合のよい、自分の身勝手な、妥協したモノになってしまう…そうとらえたからです。
      他力とは、自分自身が出会うあらゆる事象を『法』と見て、南無気づけ阿弥陀仏気づきましたとなっていく私の生き方のことです。
      この他力の他を、仏法!
      この仏法を阿弥陀如来と呼ぶのです。
      次に『たのむ』…
      この『たのむ』は、『頼む』ではありません。
      2024年を生きている私たちが、過去の文章を読む時。まずそこに使われている言葉を、当時の意味に変換して読まなければなりません。
      言葉の意味は、時代により変化します。
      言葉とは、そういうものです。
      故に…古文の言葉の意味は、古文の言葉を現代語訳にするのではなく、その時代に使われていた言葉の意味に訳さなければならないのです。
      古文、昔の文章を読むためには至極当然の作業であります。
      これをしませんと、宮前英治様のように、意味を取り違えてしまうことになります。
      この作業は、素人だから、そんなことは知らないでは御座いません。ある意味!素人だからこそ必要不可欠な作業であります。
      そう御注意を申し上げた上で…『たのむ』のお話しをいたします。
      『たのむ』とは、古語で主人とする!と言ういう意味です。
      主人とするとは、その人を主、つまりその人を私の軸・中心として生きていくということです。
      故に…親鸞聖人の仰る『たのむ』は、他力本願・阿弥陀如来・南無阿彌陀仏を軸・中心とした、私の生きる姿勢の告白・宣言・自覚・決意・覚悟であります。
      こうお話しをさせて頂ければ、宮前英治様が、根本から浄土真宗を誤解されておられるのがお気づきになられるかと存じます。
      浄土につきましても、それは同じことであります。
      1つひとつを、ここでお話しを致しましても、それは文面がどれだけあっても足りません。
      以下に、浄土真宗とは何足るかの動画を添付いたしてあります。
      ご視聴頂ければ幸いです。
      法話『「罪悪深重煩悩具足の凡夫」と自分で言う人』
      th-cam.com/video/mnSmj-Ub-E0/w-d-xo.html
      法話「生活と浄土」富山別院 秋季彼岸会 2022年9月23日
      th-cam.com/video/s9wmyFDHtBc/w-d-xo.html
      法話「金沢別院 日曜講演 浄土真宗の他力本願 2023年7月23日」
      th-cam.com/video/_mKwUXOATOE/w-d-xo.html
      南無阿彌陀仏
      合掌
      高科修

  • @user-gc6yy5cp3u
    @user-gc6yy5cp3u 2 ปีที่แล้ว +3

    高科先生、本日もありがとうございます。
    人の人生を「一生」と書くように、一度きりの命、生まれ変わりはないととらえています。
    確かに、何もかもゲームのようにリセット出来れば、楽なのかもしれません。
    しかし、リセットする前の自分を、自分自身が否定し、捨ててしまうようで悲しいです。
    若者は悩むことも多いと思いますが、それも素敵な成長であり、自分を客観的に見ることが出来ているのではないか?とも感じます。
    命に携わる者の一人として、申し上げるとするなら、一人に与えられる命は一度限り。
    だから大切、だから最期まで誰かが寄り添うものなのだと。
    今回もとても考えさせられました。
    南無阿弥陀仏

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      ちゃんぴー様
      『命に携わる者の一人として、申し上げるとするなら、一人に与えられる命は一度限り。
      だから大切、だから最期まで誰かが寄り添うものなのだと』
      深く深く人間を見つめ、深く深く自分を見つめ、
      深く深く他人を見つめ、
      その『深さ』故のお言葉であると感服致しております。
      ちゃんぴー様のコメントに、私はいつも『大きな気づき』を与えて頂いております。
      ただただ、お礼申し上げます。
      ありがとうございます。
      合掌
      高科修

  • @user-go8fs5my5j
    @user-go8fs5my5j 2 ปีที่แล้ว +2

    見ず知らずの人(浄土真宗大谷派の高僧)に直接コメントをぶつけるという、不思議な時代になりました。
    輪廻転生に関するお話、とても面白く拝聴しました。
    私の場合、母の実家が真言宗で父の実家が浄土宗。お大師様にも法然様にも同じように「何となく」畏怖を感じております。と言って確固たる信仰心がある訳でもなく、神社にも挨拶し、古木を見ると抱きしめたくなり・・・・典型的な日本人のパターンですね。
    ある種のことば、また主義・教義などはその人の心の支えとなる一方「その人を縛ってしまう(ことばに囚われてしまう)」という一面もあり、余程の修行を積んだ人でなければ、例えば「輪廻転生」と「因果応報」を混同してしまったりするのでしょうか?
    志の輔の新作落語に「生まれ変わり」という地味だが面白い噺があり、これは飽くまで「落語」なのですが、私がこの(莫迦莫迦しい)噺が好きなのは、演者(志の輔)を感じる事が出来るから。「オレは何でこんな落語を喋っているのだろう?オレって一体何なんだ?」という心境が私にも伝わるからでしょう。
    「死」が本当に怖いと感じるのはむしろ幼児の頃で、さらに私の場合は「死」ということばより「永久」ということばの方が遥かに怖かった。同時に「自分という存在」を意識すると気が狂いそうになった。
    そんな感性は次第に薄れ、俗世間の悩み(生活してゆく上での能力の有無、人間関係や処世の悩み)に取って代わられ、残ったものは「充実感の無さ」と「得体の知れない疲れ」です。無論「心楽しい場面」もあった筈で、その記憶が弱いのは人の性でしょうか。
    時代とは言えこんんな文章を世(ネット)に晒すのも自分にとってはかなりの勇気を伴います。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว +1

      庭カッパ様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      庭カッパ様の『勇気』のお言葉。
      真摯に襟を正して拝読させて頂きました。
      庭カッパ様の…
      静かで丁寧な文章の中に、悩み苦しみ葛藤しながら、考え一生懸命に生きておられる庭カッパ様の人生を感じさせて頂きました。
      その『人生』から…
      ここに、真宗を生きておらる方がいる!
      とも感じさせて頂きました。
      真宗の生き方とは…
      一生懸命に生きるという生き方です。
      一生懸命に生きるという生き方は…
      考えるという生き方です。
      考えるという生き方は…
      考える

      疑問や悩みが起こる

      それを解決しょうとする

      新たに知ること、気づくことに出会う

      また考える

      また疑問や悩みが起こる

      またそれを解決しょうとする

      また新たに知ること、気づくことに出会う

      また…

      また…
      と、繰り返されるこの生き方であります。
      私には庭カッパ様の御宗派が、如何なる御宗派なのかは存じ上げません。
      しかしながら、庭カッパ様の生き方(コメント)はまぎれもなく真宗の生き方でございます。
      粛々と真摯に生きる生き方を感じさせて頂きました。
      ありがとうございます。
      追伸
      「……高僧」
      とありましたが、浄土真宗に高僧は誰一人として居りません。
      少なくとも私は高僧では、決してありません。
      南無阿彌陀仏の仏弟子。
      ただそれだけです。
      合掌
      高科修

    • @user-go8fs5my5j
      @user-go8fs5my5j 2 ปีที่แล้ว +1

      高科師
      拙文へのご返信に時間を割いて頂き有難う御座いました。
      「真宗を生きている」という言葉に恐縮し、救いのようなものを感じております。
      また「高僧」という言葉を使う時実はちょっと躊躇したのですが、そのことにもきちんと言及して頂いたことに感謝しております。
      私は高科師より少し下(と思われる)老人ですが、視覚障害のためタブレットの文字がやっと読めるような状態です。その中で色々なことを誰かに話してみたい、その誰かとは「解ってくれる人」でなくとも良い「分かろうとしてくれる人」で良い。但しそれは身勝手で、「君の話など聴きたくない」と言われればそれまでです。
      中でも「最もふとどきな話」を高科師にしてみたい。別の機会でも良いが敢えてこの機会に。
      それはこの歳まで生きた私の実感で、次のようなものです。
      「この世の中、人間に教えて貰ったものより、人間以外のものに教えて貰ったものの方が多い」
      これは錯覚か妄想の類かも知れません。しかし、自分にとっては不思議な実感です。
      「人はみな一人では生きて行けないものだから」と歌の文句にもあるように人に教えて貰わなければ、人に世話にならなければ何も出来ない。それが当たり前の理屈です。
      にも拘わらず、なぜか人間以外の生き物とのふれあいの方が印象が強く、また「何かを教わった」という意識が強いのはなぜでしょう?
      (因みに私は動物は飼っていません。)
      生き物にはハエや蚊のように迷惑なのもいるし毒をもつ恐いのもいる。しかし子供の頃のよき遊び相手はヒトよりも彼ら。
      「小鳥はとっても歌が好き」という歌があるがあれは歌ってるわけではなく、縄張りを主張したり警戒したりしてるだけ。
      かれらはただ無心に生きてるだけでヒトに何か教えようとしてる訳ではない。けれど「彼らに教わる」という感覚は何だろう?
      トンボ・・・・それも最も身近なアキアカネ。彼らに最近逢えないのがたまらなく寂しい。
      子供の頃、ホバーリングしている彼らを網で採るのが面白かった。大人になって、飛び回っている彼の近くに人さし指を出してじっとしていると四方に飛んだ後、スーっと来て止まってくれる・・・・。もっと面白かった。彼の脚を指に感じるのは「生きてる実感」でもあった。
      何を「教わった」と言うのだろう?日本風に言えば「感傷」であり、西洋風に言えば一種の「ニヒリズ」だろうか?
      このように文章にしてみても混沌とするばかりだ。
      忙しいお坊様につまらない話をしてしまいました。自分が今、飢餓の状態でもあったなら、彼らを食べ物か敵か、としか見られないかも知れません。今この一時は「平穏」でいられる事の幸せの証と見るべきでしょうか?

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว +1

      庭カッパ様
      まず私の年齢から…
      昭和36年4月29日生。
      丑年の61歳でございます。
      次に…
      これは底カッパ様のお言葉によって初めて私自身が気づかさせて頂きました。
      私は、庭カッパ様が仰った…
      『この世の中、人間に教えて貰ったものより、人間以外のものに教えて貰ったものの方が多い」
      この感覚がありません。
      これは人間以外から教わっていないという意味ではありません。
      教わるのに…
      気づかせて貰うのに…
      人間とか人間以外とかの『区別』を意識したことが無いという意味です。
      私は、人間と人間以外の区別どころか、形の無いもの(色や匂い、長さや重さ)…感情(喜び・怒り・悲しみ・苦しみ・辛さ・後悔・屈辱・妬み・嫉み・愛・思いやり・慈しみ等々)からも、教わり気づかさせて貰い生きて来ました。
      イエ、今もそうして生きています。
      それ故に、
      南無気づけ
      阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏。
      気がつけば世の中すべてが南無阿彌陀仏に溢れているといつもお話しを致しております。
      私は、あらゆる私が出会うすべてのものから教わり学び気づかされております。
      そういう意味で…
      人間とか人間以外とかの『区別』を意識したことが無いということです。
      その事をお話しをした上で、庭カッパ様の『彼らに教わる』という感覚は何だろう?についてお話しを致したいと思います。
      庭カッパ様のその感覚こそ『庭カッパ様の感性』です。
      『感じる力』です。
      同じ風景を見ても…
      同じ花を見ても…
      同じセミの声を聞いても…
      夕暮れの赤トンボを見ても…
      除夜の鐘を聞いても…
      風鈴の音を感じても…
      人は人それぞれに感じる感じ方は違います。
      養老孟司さんのお話しでこんなお話があります。
      戦後友人と田舎の家で酒を酌み交わしていた時…
      秋…虫の声が聞こえる夜…
      その鈴虫の声に向かいその友人が一言…
      「この虫の声をノイズという奴らに俺たちは負けたんだ」と。
      外国人の多くは、私が秋を感じる虫の声をノイズと感じるのです。
      「感性」…は…同じ人間でもこれほど違います。
      次に、庭カッパ様の「何を教わったというのだろ?」について…
      私はそこに「命」を…
      「生命」…「生死」を無意識に感じていたのでは、と思うのです。
      いかんせんこれは私の想像・推測でしかありませんが…。
      私自身…子供の頃。
      裏山に登り、その高台から町を見下ろし、夜の町の家々の灯りを見て、その灯りの中になんと多くの人生があるんだろう…
      あの灯りの中で笑ったりケンカしたり、テレビを見てたり、ご飯をたべたりしてるんだろうなぁ~って眺めていたものです。
      そこに子供心でも無意識に命を感じていたのだと思います。
      その時の感覚が、今思えば庭カッパ様の混沌とするばかりの感覚と同じではないでしょうか…
      私にはそう感じられるのです。
      庭カッパ様の一連の感覚は、それは、あらゆるものから命(生死)を感じとれる庭カッパ様の感性であると…私は申し上げたく存じます。
      たとえ庭カッパ様が飢餓の状態であったとしても、彼らを食べ物か敵としか見られない状態であっても、やはりそこに命を感じながら、食べ物か敵として見る。
      庭カッパ様はそうであると、私は思うのです。
      「今この一時は平穏でいられる事の幸せの証と見るべきでしょうか?」の庭カッパ様の最後のお尋ねには、平穏の証ではなく、庭カッパ様の命を感じる感性の証であるとお答えしたく思います。
      追伸
      「最もふとどきな話」
      などでは微塵もありません。
      貴重なお話しを、ありがとうございます。と、お礼を申し上げたく思います。
      さらに…
      つまらない話でもありません。
      私には、子供の頃の、少しまわりの子供と違った感覚で生きていたことを思い出させて頂きました。
      庭カッパ様のお陰です。
      ありがとうございます。
      合掌
      高科修

    • @user-go8fs5my5j
      @user-go8fs5my5j 2 ปีที่แล้ว +1

      高科師
      ご返信有難うございます。
      サラッと書いてみるつもりがくどくどした書き方になり、それに対する高科師の言葉に「なるほど」と思わされました。
      そしてまた余計な事を書いたもの・・・「高科師は私より少し年上と思われる」。
      実際は私より一回り以上お若いとは・・・・。
      言い訳をさせて頂くと「オレより年上なのではないか?」と言うより「年上であって欲しい」という願望でした。
      私は昭和22年10月の生まれでいわゆる団塊世代。高科師が生まれた頃は中学生で、なぜか中学時代の3年間だけは北海道の釧路にいました。
      正確に言うと小学6年の3学期→釧路→小学校卒業→中学校入学→中学3年の3学期→東京→中学校卒業→高校受験、という経緯。
      崖の上に建っていた中学校から崖下の太平洋を見下ろして「このずっと先に東京が(また自分の生まれた長野県が)ある。」と感傷に浸っていた頃、高科師が生まれていたのかと思います。
      また長くなりそうなので気をつけながらつけ加えると、何十年経ってこの寒々とした世界が夢に現われ、不登校にもなれなかった自分の中学時代の姿が、むしろ生きていいる実感として思い出されます。さらにその後の混沌とした勤め人の時代。
      「戦争を知らない子供たち」と言う歌が流行った時「オレもこの中に入れられてしまうのか・・・・。」という違和感がありました。「戦争を知らない」子供(人間)が何で「平和の歌」を歌えるのか?と。
      むろん歌というのはある程度自己陶酔が許され、それによって救われる面もあるのですが・・・・。
      手塚治虫の「ブッダ」という漫画の中で、ブッダが入滅する最後に、スバッダという老人が訪ねて来て「ワシはこの歳になってもまだ
      迷いから抜け出せません」と教えを乞いに来る場面がある。
      この漫画はお釈迦様の正式な伝記ではないが、手塚治虫の仏教に対する見識を窺わせ、実に面白い物語となっています。
      (このスバッダという人はオレだな)むろんブッダの直弟子と自分と一緒にする訳ではないが・・・。
      「ブッダは今それどころじゃない!」と弟子達に叱られるが、ブッダは会って話を聴く。
      「スバッダどの。世の中には疑ってはならないものが3つある。「仏」「法」「僧」この3つだ。」
      こんな話を高科師にするのは正に「釈迦に説法」・・・・いや決してそんな積もりではなく・・・。
      この「僧」について漫画の中では「正しい人の集まり」という手塚流の説明がされている。子供にも分かる易しいことばで。
      正直「分かった」とは言えないのですが、ふと、親鸞上人の妻帯について思うのです。「夫婦」と言うのは最低限の「人の集まり」だがこれは「僧」と言えるのだろうか?
      今、私が生まれてこの方「男女平等」と言えば分かったような顔をする人が多いが、そんな言葉で男女を含めた人間関係が分かるほど人間は賢いのか?
      誰か(確か五木寛之氏)が書いていたが、「歎異抄」について「これは分かる人にしか分からないから」と世に出ることなく封印されていた・・・、と言う。つまり江戸時代には「歎異抄」の存在は一握りの人以外知らなかった、と言います。
      それが今は中高生の教科書にも載っている。知識としては昔の人より今の中高生の方が多いと言えるでしょう。
      高校生に「輪廻転生」などの言葉について質問されても私には「言葉に囚われない方が良いよ」位しか言えず、件の高校生にとっては偶然とは言え高科師の話を聴くことが出来たのは幸運でした。彼の「聴きたい」という気持もまた良しです。
      長々とした文章になり申し訳ありません。ただ読んで頂ければ、と思います。
      (追伸)
      匿名はあまり良いことではありませんが、何でも書けるとも思いません。高科師が匿名へ何度も話しかけて下さるので心苦しい。
      芥川の小説に「庭」という小品があります。地味だがなぜか私はこの作品が好きです。
      視力低下でもう本は読めませんが、覚えている限りでは、ただ、江戸時代からの立派な商家の庭が時代と共に崩壊してゆくという話です。
      それを何とか復元しようとする遊び人の叔父がいる。つまりその家に住んでいた人ではなく、外でフラフラしていた叔父が、壊れてゆく昔の庭を取り戻そうと奮闘し「私」がそれを手伝う。叔父はたまに還っていたその庭が懐かしくて懸命に「無常」に挑戦して敗れる。
      私にはこの「庭」が昔の日本を、或いは時代を、時代が持っていたものを、または失った記憶を、人の感性を、その他何かを象徴しているように思えてなりません。
      とりとめのない文章をお読み頂き有難う御座いました。

    • @user-go8fs5my5j
      @user-go8fs5my5j 2 ปีที่แล้ว +1

      (追追伸)
      養老孟司さんの友人の話を聞いて思い出した事があります。
      何年か前、新聞かラジオかで「最近の子供(若者?)は鳥の声などの自然音をうるさいと感じ、携帯やゲーム機などの電子音はうるさいと感じない」と聞いた事があり、まさか?と不安に思いました。
      さらに以前、佐藤愛子さんが「最近の子供はケンカの仕方も知らないそうですよ」とある女性に言うと彼女は「まあ、それは良いことですね!」と答えた、と書いていました。無論佐藤さんの言いたいことは現代のその女性には伝わらなかったということです。
      ただ私の子供時代も「偽のケンカ」はありました。喧嘩とは本来後先考えないでやるもので、「仕掛けたケンカ」は喧嘩ではない。「ガンをつけた(とか何かの理由で)」と自分より弱そうな相手に絡んでケンカと称して相手をやっつけて得意になるような人間に怒りを感じるのはそこに「甘え」があるからです。「甘え」というもの自体が悪いというのではなく、本来は「いいもの」「幼児期に一応済ませておくもの」なのですが、それをこんな風に発揮するのがその人の心根の悪さ、さもしさを表している。(大抵「仲間」を伴う。その仲間は「僧」とは言えない。)
      誰かが「お前のその文章にも高科師に対する甘えがあるぞ」と言うかも知れません。
      ところでこの「甘え」という感情も西洋人には分かりにくいかも知れません。
      話が脱線しましたが、私自身何十年前かに、コンビニやスーパーにこんなにモノが溢れていることに違和感や不安感を感じていましたが、今ではそれが当たり前になりその感じを忘れてしまっていることに漠然とした不安を感じます。
      とりとめのない文章。やはり私は漫画のスバッダ・・・。

  • @tenjikishi6434
    @tenjikishi6434 2 ปีที่แล้ว +2

    高科様 今日もありがとうございます、
    三世因果の教から、私も輪廻はあると思っていましたが、
    有るとか、ないとか、そこにこだわるとダメだと気付かされました。
    親鸞の教えは「平生業成」生きている時に浄土に生まれる身になる、
    死んで浄土の生まれるのではないと、教えられました。
    よく分からないものにこだわらず、今を生きる大切さを感じました。
    南無阿弥陀仏

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      Tenji Kishi様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      「余命半年の花嫁」
      という映画がありました。
      その名の如く…
      余命わずかの若い恋人同士、そしてその恋人二人を見守る大人たちのお話です。
      病室で…
      余命わずかの若い女の子が、懸命に病気の治療をしています。
      恋人の男性は一心不乱に彼女に寄り添います。
      ある日…
      病室でベットの周りを歩く彼女に、彼はビデオカメラを向けます。
      カメラ越しに…
      「今、なにしてるの?」
      冗談混じりに声をかけます。
      彼女の答えは…
      『今!生きている!』
      この『今!生きている!』の答えこそ、私が「輪廻転生がある・ない」など「どうでもよい」と言った最大の理由です。
      Tenji Kishi様。
      ありがとうございます。
      動画の主旨をしっかりと汲み取って頂けことに感謝いたします。
      そして…
      『今を生きる』Tenji Kishi様に敬意と尊敬を感じずにはいられません。
      南無阿彌陀仏。
      合掌
      高科修

  • @pocky5960
    @pocky5960 ปีที่แล้ว +1

    大変参考になりました。
    仏教を生きる為の指針の1つとさせていただきたく、勉強中です。
    その中で、やはりこの輪廻転生の話が出てきました。
    リアルな教えのはずの仏教に急にどスピリチュアルな部分が出てきて困惑しておりました。
    しかし、質問サイト等で質問をしたり、本を読んでいく内に、ハッと気づきました。
    「いや、輪廻転生を信じようが信じまいが、やる事同じじゃねーか。」笑
    輪廻転生があろうがなかろうが、関係ない。
    やるべき事は、今を善く生きるのみ。
    というか、私達にはこれしか出来ない。
    動画を拝見し、後押しをしていただいた様な気がします。
    誠にありがとうございます。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  ปีที่แล้ว

      pocky kotakota様
      「仏教を生きる為の指針の1つとさせていただきたく勉強中です」
      とのお言葉でありますので…
      老婆心ながら、還暦過ぎの爺坊主が一言。
      仏教と一口に申しましても …仏教は1つではありません。
      例えば日本仏教は十三宗派五十八派あります。
      この十三宗派五十八派は全てその教えは違っております。
      禅も真宗も真言も浄土も、その軸となる教えは同じ仏教でも全く違います。
      死の捉え方も、生の捉え方も、生きるということの捉え方も…
      当たり前といえば当たり前のことです。
      教え、説くことが違うから宗教宗派が分かれているのですから。
      故に…pocky kotakota様におかれましては、自分自身が本当にその自分自身の心底腑に落ちた宗教宗派を選ばれまして、生きる指針にされていかれることを切に願っております。
      合掌
      高科修

  • @user-fu3uq9wq6c
    @user-fu3uq9wq6c 2 ปีที่แล้ว +5

    こんにちは。ご住職様のお話、とてもよく納得がいきました。私の家は西本願寺の方なのですが、お寺様は死んだら阿弥陀如来様が救ってくださるというお話をよくされます。いつもその話が出るたびに本当かいな?と思ってしまいます。信じようとしてもどうも無理みたいです。南無阿弥陀仏と唱えるだけで必ず極楽浄土に行けるというのと、生まれ変わりがあると固執しているのとあまり違わないように思うのですが。こちらも一種の方便と思うのが良いのでしょうか?ただ、ここを信じられなければ浄土真宗の意味がないような気もするのです。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      きねこ様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      私は真宗大谷派(東本願寺)の僧侶として解釈、了解したお話ししかできません。
      もし、お手次のお寺さんの話で納得がいかないようであれば、納得いくまでどんどんご質問いただくことをお願いいたします。
      私自身そうやってご門徒様に育てられ共に浄土真宗の教えの中で生きております。
      そうぞ、下記の動画もご覧いただければ
      きねこ様のお役に立てるかもしれません。
      通夜法話シリーズ「長さんの弔辞」
      th-cam.com/video/mLDXCtx17uQ/w-d-xo.html
      法話「南無阿弥陀仏」気がつけば世の中すべてが南無阿弥陀仏
      th-cam.com/video/YFghJVD0v-w/w-d-xo.html
      法話「マジヤバイ」と「南無阿弥陀仏」
      th-cam.com/video/rKqUR0J9z7g/w-d-xo.html
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

    • @user-fu3uq9wq6c
      @user-fu3uq9wq6c 2 ปีที่แล้ว +1

      @@buddhism_japan お忙しい中返信を頂いて、ありがとうございました。お世話になっているお寺様では宝蔵菩薩様が修行されて阿弥陀如来様となり、皆をお浄土へ救ってくださるのだというお話でありました。やはり私は今一つ本当に思うことができなさそうです。高科ご住職のお話なら、信じるというよりも現実のことであるので、飲み込みやすいです。東と西では同じ本願寺といえどもかなりちがうのですね。私はこっそり高科様の動画のお話のように解釈をしておこうと思っています。どうもありがとうございました。

    • @user-hr5ug4lo4e
      @user-hr5ug4lo4e 2 ปีที่แล้ว

      阿弥陀如来はスーパーマン、鉄腕アトム、アンパンマン、ドラえもん、桃太郎、ゲゲゲの鬼太郎、ミッキーマウスなどと同じフィクションの主人公です。
      輪廻転生からの解脱が仏陀の教えです。
      私はあの世での記憶があります。
      坊主特有の身勝手説教だな。生まれ変わりがあるなら今を大切にしなければならない。勝手に生きるわけにはいかない!生まれ変わりがないなら勝手に生きればよいと言うと云う奴がいたらどうするんだ!逆だろ!ここまでの馬鹿坊主はいないな。
      お前坊主のくせに嘘つくな。
      修行して仏陀のように宿命通を身につけろ!馬鹿者!

  • @sagittariust5
    @sagittariust5 2 ปีที่แล้ว +1

    輪廻や三世の思想を説く方がおられたので「それなら幼子が親に愛されもせず虐待で命を落としたり障害者で生まれたり若くして殺されたりするのも前世の悪行の結果か」と質問したのですが腑に落ちる回答を得られませんでした。
    高科様のお話を伺いようやく納得することができました。人間生まれた以上生き切るしかないと思います。それしか出来ませんし。その中で阿弥陀様の御慈悲をいただければありがたいことだと思います。何が正しく何が違うとかではなく「ただ、仏法は、聴聞にきわまることなり」を信じお話しを伺い続けようと思っております。あっ、聞くだけじゃダメで実践しないとだめでしたね。
    またお尋ねすることもあるかと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      takky 2様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      『人間生まれた以上生き切るしかないと思います。それしか出来ませんし。』
      takky 2様の仰る通りでございます。
      ただ愚直に…
      ひたすら愚直に生きよ…
      それで良い…修…
      亡き祖母の口癖であります。
      合掌
      高科修

  • @user-lq3gc6dr4b
    @user-lq3gc6dr4b 2 ปีที่แล้ว +6

    生まれ変わりがあるとすれば、今の生活をおろそかにして来世でちゃんとやればいいやと言う気になるし、ないとなれば、今の生活を好き放題のことをして死ねばいいと考える。本当にそうでしょうか ? 生まれ変わりがあるという前提で仏の教えを考えれば、今の生活をおろそかにしていいという教えにはなっていないはずです。来世の運命は今生の行為で決まるという因果の法則で理解するというのが仏の教えのはずじゃなかったですか ?
    そうだとしたら今の生活はおろそかにはできません。逆に言うと今の生活は過去世の行為によって決まったということになります。また、生まれ変わりがないという前提では好き放題のことをしても死ねば無になるのだから、今の世で好き放題のことをしてもなんの因果も関係ないということになりまして仏の教えなんか必要ないということになります。今を生きることが大切だとか言いますが、今が生きていられるのは仏といいますか、命を生かして下さっている生命の大元の存在があるからではないでしょうか ?
    それを仏と言おうが神と言おうが名称はともかくとして万物の生命を生かしている大きな存在があるからでしょう。仏教は霊的な存在を認めていないということになっているので無理はありませんが、しかし、宗教信仰は単なる戒めだけではないはずです。地獄はこの世だけでなく霊的な世界にもあるのです。霊的な世界を意識しない信仰はやはり一面的です。でしゃばりすぎで済みません。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว +1

      合谷洋四郎様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      合谷洋四郎様のご見解、真摯に拝読させて頂きました。
      まず…
      最初に…
      合谷洋四郎様のご見解を私は否定も批判もいたす者でないことをお知らせ致しておきます。
      そして…
      合谷洋四郎様のご見解を十二分に受け取らせて頂いたことも共にお知らせ致します。
      その2つを踏まえた上でこの返信を致しております。
      合谷洋四郎様。
      天災・人災・事故・戦争・病気で亡くなった…
      大人・子供すべての人たちに、合谷洋四郎様のご見解を仰るのですね。
      その遺族の方々に
      「今の生活(境遇・出来事)は過去世の行為によって決まった」とお話になるのですね…
      一度…熟慮していただければ幸いです。
      ちなみに…
      お釈迦様(ブッダ・釈尊)も「生まれかわり」は否定しております。
      「因縁果の道理」は確かにあります。
      しかしそれは生まれかわりのための「因縁果の道理」のことではありません。
      浄土真宗の開祖親鸞聖人も「因縁果の道理」は説いております。
      しかし、これもまた、生まれかわるための「因縁果の道理」ではありません。
      この動画は…
      このサイトは…
      浄土真宗大谷派の宗教的解釈を浄土真宗大谷派の僧侶が浄土真宗大谷派の宗教的解釈をお話しております。
      そのことも含めまして、合谷洋四郎様には諦観して頂けたなら有りがたいです。
      合掌
      高科修

    • @user-lq3gc6dr4b
      @user-lq3gc6dr4b 2 ปีที่แล้ว +1

      @@buddhism_japan >天災・人災・事故・戦争・病気で亡くなった…
      大人・子供すべての人たちに、合谷洋四郎様のご見解を仰るのですね。<
      確かにおっしゃる通りです。親鸞聖人の言葉に次のようなものがあります。これについてはどう考えますか ?
      また、あるとき聖人が「唯円房よ、あなたは私の言うことを信じ受け入れるか」とおおせられたので、「もちろんです」と申しあげた。そうしたところ、「それでは、私が言うことに背そむかないか」と、さらに重ねて念を押されたので、誓って背きませんと申しあげた。すると聖人は「それではまず、ひとを千人殺してみなさい。そうすれば、浄土への往生は決定するであろう」とおおせになった。それに対して「聖人のおおせではありますけれども、たとえ、一人たりとも私のようなものには殺せそうに思えません」と答えたところ、聖人は「それでは、どうして私が言うことに背かないと言ったのですか」とおおせられて、「これによって、わかるでしょう。
      すべてのことが、自分の思うままになるのであれば、浄土往生のために、ひとを千人殺せと言われたならば、ただちにそうできるはずである。しかし、一人たりとも殺してしまうような宿業の深い背景がないから、殺せないのである。私のこころが優しく善良であるから、殺さないのではない。また殺すまいと思っていても、百人はおろか、千人を殺してしまうこともあるのだ」とおおせになった。それは、私たちのこころが善ければたすかるような存在だと思い、悪ければたすからないような存在だと思って、自分の善悪の基準に固執し、広大な本願によって善悪を超えてたすけられることを知らない、ということを教えてくださったのである。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      合谷洋四郎様
      『確かにおっしゃる通りです』
      とご返信を頂きましたが…
      何が?
      おっしゃる通りなのでしょう。
      私のお話し致した浄土真宗のお話の何がどうおっしゃる通りなのでしょう。
      また…
      合谷洋四郎様の
      『おっしゃる通りです』のお言葉だけでは、遺族の方々に『合谷洋四郎様のご見解』をお話になる。私(合谷洋四郎様)は遺族にお話をする。とも理解することができます。
      『今の生活は過去世の行為によって決まる』
      そう仰ったのは合谷洋四郎様自身で御座います。
      私は合谷洋四郎様のご見解を否定も批判もしているわけではありません。
      私は合谷洋四郎様に、熟慮と諦観をお願い致しまた。
      その熟慮と諦観されたご返信が
      『おっしゃる通りですね』では…合谷洋四郎様がご自分で仰った自分の信じている『軸』は、そんな言葉で片付けれるような軽い『軸』なのでしょうか?
      『親鸞聖人の言葉に次のようなものがあります。これについてはどう考えますか?』と、別な質問をされる前に、もう一度熟慮・諦観していただけることを切にお願い申し上げます。
      浄土真宗には
      『自己とは何ぞや…それ真宗』という言葉があります。
      故に自己の言葉、行為をとことんに自己追及していくことが必須であります。
      このような返信となってしまいます事、ご理解ください。
      合掌
      高科修

    • @user-lq3gc6dr4b
      @user-lq3gc6dr4b 2 ปีที่แล้ว +1

      @@buddhism_japan 私がおっしゃるとおりですと申し上げたのは、あなたが書かれた下記の文章に対してその通りですと申し上げました。
      「天災・人災・事故・戦争・病気で亡くなった…大人・子供すべての人たちに、合谷洋四郎様のご見解を仰るのですね。」
      つまり、戦争や天変地異、病気等で亡くなった人たちはやはりその人のカルマによって亡くなったというは正しいと言うことをその通りですと申し上げました。そしてそれの一つの証明として親鸞聖人とその弟子の唯円との問答を例に示したのです。人間は人を殺せと言われても、その人に人を殺す因縁がなければ殺せない、しかし、殺そうという因縁があれば、時期が来て因が縁に触れて結果的に殺人を犯すことになるという意味です。それが因果の法則です。仏教ではご存知のようにこの法則を説いています。それについてどう考えますか ? と質問させて頂きました。それだけのことです。教えの解釈は人それぞれであり、自由ですが、あなたは専門のお坊さんであり、当方は素人なので質問をしたかったということです。お気にさわられましたらご容赦ください。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      合谷洋四郎様
      ご返信ありがとうございます。
      『戦争や天変地異、病気等で亡くなった人たちはやはりその人のカルマによって亡くなったというは正しいと言うことをその通りですと申し上げました。』とのご見解なのですね。
      現世で起きている様々な出来事、人の生死でさえも合谷洋四郎様の信じる過去世の業により現世で起きているということですね。
      その考え方ですと、今現在起きている全ての事は過去世のせいになってしまいます。
      現世を生きる、ご自身の愚の自覚、今を生きる自分がなくなってしまいます。
      現世を生きる、ご自身のせいでは無いということは、来世も変わらないという事になると思いますよ。
      故に輪廻転生があろうがなかろうが、どうでもよいという動画のお話しです。
      親鸞聖人の問答は
      今を生きる人間(私)のどうしようもない『愚の自覚』を気づきを促す、それこそ『自己とはなんぞや、それ真宗』そのもので御座います。
      『輪廻転生』『過去世による現世の業』とは全く関係がございませんので、お門違いでございます。
      『教えの解釈は人それぞれであり、自由ですが、あなたは専門のお坊さんであり、当方は素人なので質問をしたかったということです。お気にさわられましたらご容赦ください。』
      と仰られていますが、
      合谷洋四郎様が何を信じ、何を軸として今を生きていくのかはご自由にどうぞ。
      ただ、合谷洋四郎様が素人であろうが玄人であろうが、それも全く関係ございません。
      合谷洋四郎様がコメントしていただいたことに対して、
      浄土真宗大谷派の宗教的解釈。ならびに親鸞聖人の説く教えを閲覧しております。
      故に、このようにご返信致すしか御座いません。
      ご理解いのほど、よろしくお願い申し上げます。
      合掌
      高科修

  • @user-im4ln4yo1l
    @user-im4ln4yo1l ปีที่แล้ว +1

    私、大仰な名前ですが、真宗大谷派の門徒です。
    さて、輪廻転生については、お釈迦様は対機説法をなさるので、輪廻転生を前提としたお話をされたり、毒矢の話のように輪廻転生の有無をお答えにならなかったりしますから、非常に解りづらいように思います。
    ところで、真宗では他力本願ですし、本願を約束して頂ける阿弥陀如来に帰依していると思うのですが
    死後、西方浄土に行く事は輪廻転生ではなく、輪廻から解脱した状態という理解をしていました。
    もちろん、死後ではなく、現世で生きたまま心の持ち様、生き方、行動で極楽往生を実現する、という考え方もあると思います。
    ただ、輪廻転生の有無を明確にするかしないか、について は、少し私の考えは異なります。
    例えば公務員は、余程の事が無ければクビにならないから、生産性の低い事勿れ主義に陥るのだ、なんて話も世間では流布しています。
    けれども、余程の事が無ければクビにならないからこそ、地域住民の為に、天下国家の為に、我が身を顧みず働ける人も居る筈です。
    もし逆の見方をするなら、民間企業であれば、我が身可愛さ(クビにならない為、高給を得る為に、他者を顧みず懸命に働く)人も存在する筈です。
    つまり、輪廻転生を信じた方が、伸び伸びと心置きなく生きることが出来る人も
    輪廻転生を信じず(意識してせず)いた方が、今を懸命に生きる事ができる人もいる、という気がします。
    もちろん先生の仰る通り、輪廻転生を信じてしまえば、今生を簡単に棄てたり諦めるタイプの人もいるのは判ります。
    どちらのタイプが多いのか、それは判りませんが、どちらか(輪廻転生の存否)と言い切ってしまうと
    救われる人たちと、却って辛い想いをする者とが出てくるように思えてなりません。
    そして、どちらか解らない、もしくは考える必要が無い、と言われてしまうと、不安で仕方なく生き辛い人も居るのではないでしょうか。
    私の場合は、輪廻転生もしくは死後の存否が判らない事で、無駄な悩みや迷いばかりで、今を懸命に生きる事が難しくなってしまいます。
    こんな事を言ってしまうと、私は門徒失格なのかもしれませんね。
    十数分の短い動画でしたが、観せて頂いて、色々と考える事ができました。ありがとうございました。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  ปีที่แล้ว

      大仏親方様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      大仏親方様が何を信じ、どのように生きていくのかは自由でございます。
      しかしながら、真宗門徒と仰るのであれば、お話ししなければならない事がございます。
      浄土真宗は…
      「生まれ変わり」の云々より
      「今を生きる」
      「人生を生き切る」
      ということに最重要性を見出だしているというお話です。
      そして、輪廻転生について、付け加えるならば
      輪廻転生を信じ生まれ変わったとしても、
      お釈迦様の気づいた真理
      『生』『老』『病』『死』の苦の人生を繰り返すだけなのだと
      故に、お釈迦様は輪廻転生の考え方を否定しております。
      大仏親方様は
      『真宗では他力本願ですし、本願を約束して頂ける阿弥陀如来に帰依していると思うのですが』
      と仰いますが、どのように了解しているのでしょうか?
      大仏親方様のいう他力本願とは?
      大仏親方様のいう本願の約束とは?
      大仏親方様のいう阿弥陀如来に帰依するとは?
      『私の場合は、輪廻転生もしくは死後の存否が判らない事で、無駄な悩みや迷いばかりで、今を懸命に生きる事が難しくなってしまいます。』
      との大仏親方様のお言葉ですが…
      まさに、輪廻転生、死後の存否に振り回され、迷わされ、悩み、苦しみ、今を生きられなくなっているではありませんか。
      『輪廻転生もしくは死後の存否が判らない事で、無駄な悩みや迷いばかりで、今を懸命に生きる事が難しくなってしまいます』の大仏親方様であるからこその、親鸞聖人の教えであります。
      『弥陀の本願』=『大きな深い願い』=『南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏』=自分に起こる、出会う全ての事象(これには我が心の喜怒哀楽との出会いも含まれます)を我が生きる糧として生きていく=今を真摯に愚直に一生懸命に生きる=自身が亡くなったなら、私も大きな深い願いになる。
      このことを、何処までいっても『信じることが出来ない私である』の私たちです。
      だから…こそ…
      『弥陀の本願』=『大きな深い願い』=『南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏』=自分に起こる、出会う全ての事象(これには我が心の喜怒哀楽との出会いも含まれます)を我が生きる糧として生きていく=今を真摯に愚直に一生懸命に生きる=自身が亡くなったなら、私も大きな深い願いになる。
      を『信じなさい』と親鸞聖人はお話しをしておいでなのです。
      これが、浄土真宗です。
      浄土真宗という宗教宗派です。
      真宗の生き方(真宗の生活・生きる姿勢)とは…
      一生懸命に生きるという生き方です。
      一生懸命に生きるという生き方は…
      考えるという生き方です。
      考えるという生き方は…
      考える

      疑問や悩みが起こる

      それを解決しょうとする

      新たに知ること、気づくことに出会う

      また考える

      また疑問や悩みが起こる

      またそれを解決しょうとする

      また新たに知ること、気づくことに出会う

      また…

      また…
      と、繰り返されるこの生き方であります。
      『今』
      をどういきるか?
      浄土真宗の問うのは…
      『自己とはなんぞや?
      これ真宗』
      この一言です。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

  • @inco28765
    @inco28765 2 ปีที่แล้ว +2

    輪廻転生から脱却してニルバーナに至る事が仏教の目的。執着=輪廻と捉えるので執着を無くしてこの世ろおさらばしたいものだ。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      inco28765様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      お釈迦様は
      『生』『老』『病』『死』の四つの苦からは免れない
      という真理を説いております。
      その『苦』を持ちながら生きていくのが人生であると親鸞聖人は説かれております。
      そして、私たちは、inco28765様も含め、『今』を生きております。
      『今を生きている』の積み重ね無くして『私のその時』は決しておとずれません。
      たとえどれだけinco28765様が『おさらばしたいものだ』と望まれても。
      今を生きていくしか道はないのです。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

  • @user-xl1os9jq4f
    @user-xl1os9jq4f 2 ปีที่แล้ว +4

    浄土真宗(お釈迦様)の教えには「輪廻転生」は無いと教えられていると法話されていますが、
    浄土真宗の教えの一番重要なところなのに、なぜ、先生は「輪廻転生」が無いとおしゃるのですか????? この動画の内容はよく理解できますが、お釈迦様は「なぜ」天上天下・唯我独尊と言われ、7歩、歩かれたと教本に書かれて有りますが?????、『後生の一大事』の解決が浄土真宗の一枚看板ではないのですか。善知識と道が違っている様に私は思いますが、先生のコメントをお待ちしております。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      なかにしかつひろ様
      『後生の一大事』
      なかにしかつひろ様が仰る通り『後生の一大事』を説かなかったら浄土真宗にはなりません。
      「後生」を死後の世界と受け取り、「後生の一大事」を「死後の世界に生まれる事が一番大事」と
      間違って受け止めた人が多くおり、聞く人々の耳心地のいい話、聞く人々の都合のいい話だけになっておる現実があります。
      それは私たち僧侶の責任であり、その誤解を払拭しようと日夜法話を配信しておる次第です。
      今もお話し致しました通り『後生』とは「死んだ後の世界」という意味ではありません。
      字面から、生の後→生きてる後→死→あの世(浄土)と変換されて受け取られてしまいました。
      正確に「後生」を変換していくならば…
      後生→生の後→死→いつか来る自分の死→でも今、生きている自分→しかし、いつか必ず来る死→ならば死ぬ前にしておかねばならないことは何!
      つまり『後生』とは『今』のことなのです。
      今!生きている私は…
      死んでいけるのか?
      私は胸を張って死んでいけるのだろうか?
      まだまだ先だ、
      私は他の人の後だと思っている自らの死。
      どうにかすれば、口で「人間必ず死ななければならない。そんなことは小学生でも知っている」と言いながら、自分が死ぬことなど微塵も考えていない日常生活。
      私の乗った飛行機は落ちない!
      私の乗っている電車やバスは事故を起こさない!
      私の歩いている歩道には車は突っ込んで来ない。
      不治の病や難病に私はならない、そんな不治の病や難病はテレビのドラマの中か私以外の人の話である。
      そう思って生きている私。
      明日死ぬかもしれないのに!
      いや、今日死ぬかもしれないのに!
      いやいや、今!この瞬間に死ぬかもしれないのに!
      そんな儚い脆い「いのち」を生きている私なのに…
      そんなことを微塵も考えない日常生活。
      だからこそ…
      後生という死を知らせ、その死から『生』を考えさせるのです。
      後生とは、死んでいかねばならない身である自分なのに、死を見据えない、死から見える生きるを見据えない自分自身への『生きる』ということへの問いかけなのです。
      蓮如上人の御文(白骨の御文)に
      『われやさき、ひとやさき…』
      と言われるが如く、先ず『我が身の死を考える』
      我が身の死を考えた時にはじめて私たちは「今!生きている自分」にあらためて気づいていけるのです。
      今!生きている私にあらためて気づいたなら…
      はじめて、どう生きているかの問が自分の中に生まれます。
      『後生』とは
      『今、本当に生きているか!』ということです。
      そして
      「一大事」
      とは
      「これ一つ最も大切な事」
      つまり
      「一・大・事」
      ということです。
      『後生の一大事』
      とは…
      『今日(こんにち)ただいまより生きている「いのち」に対して、本当にその「いのち」を大切に大事に生きているか?
      いつ死んでも良いという覚悟で生きているか?
      その「問いこそ」が、一番大切な事(一大事)である』
      という自覚、宣言、告白の言葉です。
      「いのち」を「生きる」
      分かりにくい表現です。
      この表現を体現しているお話しがあります。
      「余命半年の花嫁」
      という映画の中にあります。。
      「余命半年の花嫁」その名の如く…
      余命わずかの若い恋人同士、そしてその恋人二人を見守る大人たちのお話です。
      病室で…
      余命わずかの若い女の子が、懸命に病気の治療をしています。
      恋人の男性は一心不乱に彼女に寄り添います。
      ある日…
      病室でベットの周りを歩く彼女に、彼はビデオカメラを向けます。
      カメラ越しに…
      「今、なにしてるの?」
      冗談混じりに声をかけます。
      彼女の答えは…
      『今!生きている!』
      この『今!生きている!』の答えこそが
      「いのち」を「生きる」であり
      『後生の一大事』の生き方です。
      この
      『今!生きている!』
      の言葉の前では、誰もが己(おのれ)の「生きる」を否応なしに問いただされます。
      お前は何をしているんだ!
      俺は何をしているんだ!
      と。
      善知識とは、この女の子のことです。
      『今!生きている!』と叫ぶ、この女の子のような人を善知識と呼ぶのです。
      私ではありません。
      お話しが少しそれました。
      申し訳ございません。
      お話しをもとに戻します。
      『歎異抄』に
      「われもひとも、生死を離れんとこそ、諸仏の御本意」とあります。
      この「生死」は、「生死流転」
      つまり六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)のことです。
      間違った『いのちの生き方』くるくるとまわって、めぐっていきている、つまり「まよい」のことです。
      死んでからの世界のことではありません。
      同じく歎異抄に
      「ひとのいのちは出づる息、入るほどをまたずしてをはる」
      とあり、「死」をまだまだ先のことと思っていたなら大変なことになるぞ。
      「まよい」世界から一歩先の世界(生き方)に早く気づいてくれ。
      これが七歩、歩まれたとあるその意味です。
      「六道輪廻・七歩、歩んだ」
      の詳しいお話しは
      動画
      『なぜ四十九日』
      th-cam.com/video/ZajX78m2xsQ/w-d-xo.html
      でお話をしておりますので、是非ともご視聴頂ければ幸いです。
      取り急ぎ
      なかしにかつひろ様のお尋ねにお答え致します。
      合掌
      高科修

  • @user-fz9iz6xz7g
    @user-fz9iz6xz7g 2 ปีที่แล้ว +3

    高科様
    いつもありがとうございます。
    私も少しでも楽になりたい人間です。
    来世があるなら現世は仕方ないか、現世は諦めようと思うはずです。
    とにかく心が楽したいので真宗の「答え」を求めて書を読み、聞法に答えを求めても逆にモヤモヤが深くなりました。
    私に「答え」を与えれば苦しみ悩むことを忘れ、自分を見つめることも出来なくなるので「答え」は無いのだと諦めました。
    「お前はいつまでたっても凡夫じゃないか?」と自分に問い続け、悩むことが必定なんですね。
    南無阿弥陀仏

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว +1

      しろくま様
      ご安心ください。
      私も、しろくま様と1㎜も違いません。
      一緒です。
      61歳になっても…
      「お前はいつまでたっても凡夫じゃないか?」と自分に問い続け、悩むことが必定な高科修です。
      一緒に…
      しろくま様…
      「お前はいつまでたっても凡夫じゃないか?」と自分に問い続け、悩んで
      自分自身の人生を生き切って行きましょう。
      お互いに離れてはいますが、手を取り合って…
      追伸
      男性、それも61歳の爺と手を取り合っては嬉しくないと思いますが…(笑)
      合掌
      高科修

  • @koujiyamada2087
    @koujiyamada2087 2 ปีที่แล้ว +4

    戒律を説いて下さい。すべての答えがあるのでは。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว +1

      kouji yamada様は、どうか私には分かりませんが…
      私は『今』を『生きて』おります。
      『過去世』でもなく
      『来世』でもなく
      『今』を…
      七転八倒しながら
      あがきながら
      苦しみ悩み苦悩しながら
      生老病死の逃れられない道理を背負い
      先に亡くなられた方々の願いに包まれて
      自分自身の人生を生き切るために
      『今』を
      『生きています』
      その今を生き切る指標が私には浄土真宗の説く教えです。
      kouji yamada様の求める
      「すべての答えがあるのでは」のお尋ねには…
      『親鸞聖人の教えの中に』とお答え致します。
      ちなみに…
      『戒律』
      戒も律も、この126本の動画すべての中でお話をしております。
      それがkouji yamada様が求めておられる戒と律ではないのかもしれませんが…
      合掌
      高科修

    • @koujiyamada2087
      @koujiyamada2087 2 ปีที่แล้ว +1

      返信ありがとうございます。親鸞重要聖人の教えに戒律は無いと理解しています。涅槃への道程で戒律は重要に思っています。@@buddhism_japan

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว +1

      kouji yamada様
      返信誠にありがとうございます。
      涅槃に至る道として、戒律が重要とkouji yamada様ご自身がお答えを見いだしておられるのなら、私は何も言うことはございませんし、その道を一心に歩まれることを、切に願うことであります。
      また、親鸞聖人の教えには、戒律は無いということですが、厳密には戒律をどうしても保てないという立ち所から、愚の自覚という視点で御座います。
      阿弥陀仏とは、苦悩する衆生から、苦悩のもとを抜かしめんとしてあると、お釈迦様は仏説無量寿経にてお示しになりました。
      苦悩する衆生とは誰のことかといえば…
      生きていくことに苦悩を抱え、その苦悩と真向かいになった人のことです。
      戒律の中に生きていた親鸞聖人が、その弥陀の経説に出遇ったとき、親鸞一人がためにあったのだという、安心して愚の自覚ができる南無阿彌陀仏という世界に、本尊に、法然上人のもとで出遇っていかれたのです。
      もったいなくも、私はその親鸞聖人が見いだされた仏道を、またその仏道を歩まれた数多くの先輩方の背中を見て、その道を歩ませて頂いておるわけで御座います。
      道とは、それぞれが自分の足で歩くものですし、私は自分が歩んできたことしか語れません。
      だから説けないのです。
      説くのではなく、聞法する生活を、道を歩み、語っているにすぎないことを、どうぞご理解下さい。
      戒律に重きを置くkouji yamada様には、そんなものは仏道ではないと思われるかもしれませんが、広く道を求める者として、お互いに研鑽しあえれば、願うところで御座います。
      合掌
      高科修

    • @user-hr5ug4lo4e
      @user-hr5ug4lo4e 2 ปีที่แล้ว

      戒律を無視するのが浄土教の教えです。真宗は戒律を守りません。偽物如来、フィクション如来の阿弥陀の救いを信じるだけです。
      スーパーマン、鉄腕アトム、アンパンマン、ドラえもん達の救いを信じるのと一緒です。 
      お布施(お金)欲しさに勝手に偽物経典を創って、それを信じさせ金儲けしてきた連中の教えですから、しらじらしい。犯罪者同様の嘘仏教を作った連中の後継ぎ達だ、こいつらは。仏教犯罪者。

  • @BEAM202.
    @BEAM202. 2 ปีที่แล้ว +3

    りんねてんしょう...(ん? てんせい?)
    言葉としては知っていましたが、
    私の思考回路には存在してませんでした。
    「今がだいじやん、どうでもええわ」
    「感覚が無いんやから関係ないわ」
    今までの自分の思考に誤りが無いことを、
    確認することが出来ました。
    ありがとうございます。
    この法話、近く内容を忘れそうだな(汗)
    (ごめんなさい)
    ただ、有/無に固執してしまう人は居る、
    それが、正直言った感想でした。
    苦悩が深まると生まれる思考なのかなぁ?
    この男の子の心がある所は、きっと深い闇。
    寄り添って話を聞く中で、救いの手を探し、
    差し伸べてあげるしかないのだろうなぁ。
    自分の光の強さを信じて行動するだけです。
    昔、大変お世話になった他宗のお坊さんに、
    (過去に既述の、結婚を望んだ女性の父上)
    過去世・現世・来世の話を伺いました。
    詳細は覚えてませんが、自分の解釈として、
    下記が心に残ってます。
     過去世で正しく過ごしたからこそ、
     畜生ではなく人として生まれて来れた。
     来世のためにも、今世を正しく
     生きて行かねばならない。
    結局「今を生きる」ための説き方が、
    多少異なるだけなんだろうなぁ...
    と漠然と思った次第でした。
    そして... 冒頭の言葉に戻ります。
    輪廻転生、言葉としては知っていましたが、
    私の思考回路には存在してませんでした。
     今を、生ききる
    ただ、人は時には弱いモノ。こんな私とて。
    惑わされぬよう、迷わぬよう、心がけますね。
     鈴木@新潟 50歳
    P.S.
    殺生 → しかたない。
    罪だと言われて、はじめて、
    ありがとう、ごめんなさい、になる。
    食事の「いただきます」の言葉の意味。
    あらためて、自分自身に。
    .

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      202 BEAM様
      『私の思考回路には存在してませんでした』
      ◆同じです(笑)
      私の思考回路にも存在いたしません。
      『今を、生ききる。
      ただ、人は時には弱いモノ。こんな私とて。
      惑わされぬよう、迷わぬよう、心がけますね』
      ◆これが全てです。
      私も202 BEAM様とともに『心がけ』ます。
      追伸
      『殺生 → しかたない。
      罪だと言われて、はじめて、
      ありがとう、ごめんなさい、になる。
      食事の「いただきます」の言葉の意味。
      あらためて、自分自身に』
      生徒様方にも…
      子供様にも…
      そして、後生の人達にも…
      大切に、必ず伝えて行かなくてならないことだと思っています。
      そして、このことを伝えて行くことが、大人としての役割であるとも感じています。
      合掌
      高科修

    • @BEAM202.
      @BEAM202. 2 ปีที่แล้ว +1

      とても心強くなれるお言葉、
      ありがとうございます。
      >私の思考回路にも存在いたしません。
      ご住職と一緒、安心と同時に、嬉しいです。
      あっ、ガラケーも同じです (^_^;
      >『今を、生ききる。
      >ただ、人は時には弱いモノ。こんな私とて。
      >惑わされぬよう、迷わぬよう、心がけますね』
      >◆これが全てです。
      ありがとうございます。
      弱った時こそ試される底力。そんな時は、
      常に私を上から見てる通常モードの自分が、
      言い換えれば、自分の理想の人物像が、
      必ず私を、全力で応援して助けてくれます。
      その存在は、きっと両親の願い、仏様。
      >生徒様方にも…
      >子供様にも…
      >そして、後生の人達にも…
      はい。子供達はもちろんのこと、
      教育者として学生にも、他の人達も。
      私の身近な人達は、私が担当します。
      ご住職の力には遠く及ばないでしょうが、
      頻度は上げれるので積算値で何とか!
       鈴木@新潟 50歳
      P.S.
      まぁ、弱ってると言っても、私の人生、
      いつも一晩寝れば、復活してますね。
      たぶん、お陰様(の結果)なんでしょう。
      .

  • @user-cf8rx8mc9n
    @user-cf8rx8mc9n 2 ปีที่แล้ว +4

    たまたま見つけまして、初めて動画を拝見いたしました。
    輪廻転生があるかどうかが大事なのではない。いかにして今を生きるか、この人生をより良く充実したものにするかが大事であるというお話、なるほどと頷かされました。ありがとうございました。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      ピピン様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      『なるほどと頷かされました』
      とのお言葉。
      ありがとうございます。
      南無阿彌陀仏。
      合掌
      高科修

  • @user-ym1fi6ws5y
    @user-ym1fi6ws5y 2 ปีที่แล้ว +7

    生まれ変わりと因果応報は絶対に来る!

    • @user-ql8cg2fo2m
      @user-ql8cg2fo2m 2 ปีที่แล้ว +1

      インドで生まれたヒンズ-教、佛教、ジャイナ教すべて輪廻転生、カルマ(業)を解きます、因果応報です、今どう生きるか善業をつむ平たく言えば親切に生きる、悪い事をすると悪業を積むとその結果はいつか自分にいつか(来世も含む)悪い結果、不幸となり返ってくる。因果応報それは真理です。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      輪廻転生様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      輪廻転生様はそう信じていらっしゃるので、否定も肯定もいたしません。
      ただ、動画の中でもお話ししていますが、
      今を生きるという事が疎かにならないように切に願っております。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      森田和義様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      森田和義様のご見解、真摯に拝読させて頂きました。
      まず…
      最初に…
      森田和義様のご見解を私は否定も批判もいたす者でないことをお知らせ致しておきます。
      そして…
      森田和義様のご見解を十二分に受け取らせて頂いたことも共にお知らせ致します。
      その2つを踏まえた上でこの返信を致しております。
      お釈迦様(ブッダ・釈尊)も「生まれかわり」は否定しております。
      「因縁果の道理」は確かにあります。
      しかしそれは生まれかわりのための「因縁果の道理」のことではありません。
      浄土真宗の開祖親鸞聖人も「因縁果の道理」は説いております。
      しかし、これもまた、生まれかわるための「因縁果の道理」ではありません。
      この動画は…
      このサイトは…
      浄土真宗大谷派の宗教的解釈を浄土真宗大谷派の僧侶が浄土真宗大谷派の宗教的解釈をお話しております。
      業につきましては
      法話「因縁果業」
      th-cam.com/video/5_dse7-XwRw/w-d-xo.html
      をご覧ください。
      そのことも含めまして、森田和義様には諦観して頂けたなら有りがたいです。
      追伸
      一般的に
      善因善果
      悪因悪果
      を因縁果の道理と捉えます。
      しかし浄土真宗は
      必ずしも
      善因善果
      悪因悪果
      とはならないと説きます。
      例えば…
      善き行いをした!
      けれどその善き行いを自慢し人に見せびらかせ、その善きことの見返りばかりを求める善なら…
      果は善でしょうか。
      悪しき行いをした!
      けれど、その行いを反省し慚愧し2度と繰り返さぬように努めて生きたなら…
      果は悪でしょうか。
      善因悪果
      悪因善果
      もあるのです。
      これが浄土真宗の
      『因縁果の道理」です。
      『今』
      をどういきるか?
      浄土真宗の問うのは…
      『自己とはなんぞや?
      これ真宗』
      この一言です。
      他の宗派や他の国の仏教と違うと思われるかも知れませんが、他の宗派もどれも一緒ではありません。
      他の国の仏教もそれぞれがみな違います。
      合掌
      高科修

    • @user-ql8cg2fo2m
      @user-ql8cg2fo2m 2 ปีที่แล้ว +1

      @@buddhism_japan 有り難うぎざいます、むかし真宗のお坊さんに山に登るのには色々の方向から登道があるように、佛教も色々の教えがあるのだと言われたことがあります。人それぞれの縁によるものだと理解しております。輪廻転生についても色々な考えがあると思います。よりよく生きる佛教の本来の目的が大事ですね。

    • @user-hr5ug4lo4e
      @user-hr5ug4lo4e 2 ปีที่แล้ว

      輪廻転生からの解脱が仏陀の教えです。
      当時のインド人の願いでもありました。仏陀を尊敬するものとして、こいつらは許せん! さすが嘘仏教を作った連中の後継ぎだな。ある霊能者が鎌倉仏教の開祖達が地獄で蠢いている。と言ってて、まさかと思ったがこの馬鹿坊主どもが後継ぎならその通りだろう。

  • @user-of4tg8pr4w
    @user-of4tg8pr4w ปีที่แล้ว +1

    釈迦は死後どうなるのかと弟子に聞かれ無記とお答えになった。否定も肯定もしなかったと解釈します。失礼ですが魂は不滅だと思います。故に私は過去の自分を省みて正そうとしています。六波羅密などの実践は不可能と言えど志しています。もし、再び娑婆に戻される事を考え欠点を補う勉強もしています。生きる事は苦しみだと思います。それを悟り生きて行くのが修行だと思います。阿弥陀如来の様に気の遠くなる様な修行すれば苦しみの娑婆には戻らないが、そんな人は皆無だろう。失礼の数々お詫び申し上げます。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  ปีที่แล้ว +1

      笠原敏明様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      失礼でもなんでもありません。ご安心ください。
      笠原敏明様が『魂は不滅である』と信じておられるのですから、そのことについて是非を申し上げることはありません。
      笠原敏明様が、魂の不滅を信じて自分自身の人生を生きていく様に、私は真宗の一門徒(僧侶)として、自分自身の人生を真宗の教えを軸にして生きていくだけでございます。
      ただ…
      60過ぎの年寄りの坊主が老婆心で申し上げるなら…
      魂が不滅でも、輪廻転生があっても、私も笠原敏明様も『今・現在』を生きているという事実からは逃れることは出来ません。
      まず、自分自身の人生を生き切らねばならないのです。
      一瞬一瞬の『今を生きる』の積み重ねが人生です。
      その事実は、お忘れなきように…
      合掌
      高科修

  • @user-px7py5mp3q
    @user-px7py5mp3q ปีที่แล้ว +2

    輪廻転生は宇宙の法則です、
    輪廻転生があるのはカルマがあるからです。死後の世界、天国、地獄は実在します。
    方便ではない。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  ปีที่แล้ว

      モルツ太郎様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      こちらは浄土真宗になりますので、『宇宙の法則』といわれましても、
      私どもの教義には、ございませんとお答えする事しかできません。
      モルツ太郎様がそう思いたいのならご自由にどうぞ。
      どうぞ、コチラの動画もごらんください。
      法話『地獄と極楽』
      th-cam.com/video/DGN-ylwzz0g/w-d-xo.html
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

  • @mikutashouzan3785
    @mikutashouzan3785 ปีที่แล้ว +1

    輪廻転生とは学生時代を落第する事です、行いが悪ければ輪廻転生は何度でも繰り返されます、そして永遠に苦しまなくてはなりません。まあ輪廻転生なんてありませんけどね。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  ปีที่แล้ว

      mikuta shouzan様
      落第は輪廻転生とは一ミリも関係ございません。
      落第した本人の因の果であります。
      浄土真宗では輪廻転生を説いてはおりませんが…
      世の中には、世界の中には、輪廻転生を真摯に信じておられる方々が確実におられます。
      その方々を『的はずれな比喩』を使い、『小バカに』するのは、人間としての品格、品性が問われます。
      『小バカ』になどしていないと仰るかもしれませんが、日本語としての文章が、既にそうなっております。
      さらに言うなら…『的はずれの比喩』が、その比喩を持ち出すことが、『小バカ』にしている証しであります。
      62歳になる爺坊主の老婆心でありますが、注意してコメントを書かれることを、お勧めいたします。
      合掌
      高科修

    • @mikutashouzan3785
      @mikutashouzan3785 ปีที่แล้ว

      @@buddhism_japan 仏教ではこの世は苦だと説かれています、だったら輪廻転生は落第でしょう、落第を喜ぶ学生はいないでしょうから、違いますかね??

  • @user-qd9tv5om9b
    @user-qd9tv5om9b ปีที่แล้ว +1

    南無妙法蓮華経も現実を生き抜く教えです。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  ปีที่แล้ว

      目黒尚三様
      わざわざ
      『南無妙法蓮華経も現実を生き抜く教えです』
      とお教え頂きありがとうございます。
      当方は…
      浄土真宗大谷派の僧侶が浄土真宗大谷派の宗教的解釈をお話ししておるサイトでございます。
      ご認知のほど、よろしくお願い申し上げます。
      合掌
      高科修

  • @isaowatabe3031
    @isaowatabe3031 ปีที่แล้ว +1

    輪廻転生は釈尊は不問としましたね. 真宗は不問

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  ปีที่แล้ว

      isao watabe様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      動画・法話
      『今をいきるって、どう生きる?』
      th-cam.com/video/1PzrlHv8yHQ/w-d-xo.html
      を、よろしかったら是非ご視聴下さい。
      浄土真宗の『輪廻転生』に対する宗教的解釈をご理解頂ければ幸いです。
      合掌
      高科修

  • @shin-kai5050
    @shin-kai5050 2 ปีที่แล้ว +3

    住職さま。今回の御法話、私は浄土真宗の肝である、阿弥陀さまの第十八願に通ずるものであると感じました。
    阿弥陀さまの第十八願、私自身の言葉で書き下ろしてみました。
    間違いがあるならば、ご教示いただけるならとても嬉しいです。
    阿弥陀さま第十八願(山田訳版)
    “○○よ、お前は毎日毎日、悪事ばかりでそれを止むることが出来ず、考えることはもっと欲しいとか、楽がしたいとか云々・・・欲ばかりではないか。そしてお前の都合の悪い事が起きれば、すぐ他のせいにして意味なく悩むばかりで、己れの反省はないのか?そんなお前はこの先も迷うばかりだぜ。
    でもな、俺はそんなお前を救うべく願いと誓いを建てた。そしてそれは成就した。さぁ俺を信じてついて来い。心配するな。“
    “俺はな、絶対にお前を見捨てはしない。だかな、あんまり俺を泣かせるなよ。生きるお前に望むことは、一人の人間として襟を正して今生きるこの時を精一杯生きてくれ。
    俺はいつも傍で、お前を見守っているぜ”
    このように第十八願を解釈するなら、輪廻転生とかお浄土が本当にあるのかないのか、早く死んであの世に行きたいとか、今を生きることに疎かになることはないはずです。
    今を生きるとは、”一期一会“の精神ではないのでしょうか?
    ただし、この文言は仏教ではなく、茶道のようですが。
    長々と書き連ね、申し訳ございません。
    良い御法話、ありがとうございました。南無阿弥陀仏🙏

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  2 ปีที่แล้ว

      山田信一様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      『一人の人間として襟を正して今生きるこの時を精一杯生きてくれ。
      俺はいつも傍で、お前を見守っているぜ』
      山田信一様が仰るこの一文が全てです。
      そして…
      見守り、願っているのは、山田信一様の先祖であり、山田信一様より先に亡くなった、この世の中の全ての命有った人達です。
      山田信一様。
      共に『今』を生きて行きましょう。
      『一期一会』
      については…
      動画
      『一期一会』
      th-cam.com/video/e7dqg6I2V9E/w-d-xo.html
      『撮影後記・一期一会』
      th-cam.com/video/xfM1IcxDvF8/w-d-xo.html
      を是非ともご視聴ください。
      一期一会についてお話を致しております。
      合掌
      高科修