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東松戸住人です。駅の構造も現在の下り線用ホームだけしかなく上り線も流用していたのがよく分かりますね!
お願い 北総鉄道と千葉ニユータウン鉄道の統合していただきたい。
本当に懐かしい素敵な映像ですね(^-^)最寄り駅が新京成線で、40年近く前は松戸から北初富まで日中12分間隔で京成津田沼行きと小室行き、後に千葉ニュータウン中央行きが交互に運転されていました。新京成は吊り掛け車に非冷房車も多く、まだ6両だった北総開発線7000形と住宅・都市整備公団線2000形が来ると冷房も強いイメージで嬉しかったのを覚えています。そんな車両を都営浅草線内で初めて見た時の感動を思い出しました(^-^)
懐かしいですね!世の中の変わり用がわかります。その頃に戻った錯覚してしまいました。一週間に一度!見ていたい位です、わが家もしっかり写ってました。有難うです❤🎉
私が生まれた年の北総線はこんなんだったんですね〜
新柴又駅付近にあるWe love 9条の看板がないのが新鮮です
懐かしいです。初期の北総鉄道にはゲンコツこと7000形、トマトサラダこと9000形と斬新なデザインの車両が走っていて鉄ちゃんたちを喜ばせてくれましたけどね。でも、それらの後継車は7500形、9200形と北総版の3000形のようなものですね。あと、7300形も北総版の3700形というような感じですし。京成とつながってからは車両は京成と共同開発ですね。ということで、今はCフライヤーこと9100形が唯一北総で斬新なデザインの車両といったところでしょうかね。
cフライヤーは確かボックス席が有りましたね。
北総鉄道自体は京成の子会社です。全般・重要部検査は宗吾工場で行っているのと車両の扱いに関しても京成と共通のほうが扱いやすい、というのもあります。7000形や9000形がいた頃は斬新なデザインであり、個性的でした。ただ、両形式とも親会社の3500形同様セミステンレス車体ということもあり、老朽化も速く進んでいたようです。
松戸駅直通の頃、千葉ニュータウンに転居しました。数年を経て、高砂駅、京成線への乗り入れが始まりました。新鎌ヶ谷駅や西白井駅の車両区など、当時を彷彿させてくれる、懐かしい映像です。ありがとうございます。
東松戸はJR武蔵野線、新鎌ヶ谷は東武野田線の駅が開業してからまだ数年しかたっていない頃です。どちらの駅もマンションや商業施設が増えすっかり雰囲気が変わりました。西白井の車両区は手狭で印旛車両基地(印西牧の原~印旛日本医大間の中間にある)に機能を移しました、数年前から7001号車が静態保存されています。
私が習志野市に住んでいた頃に北総「開発」鉄道が開業、当初の起点北初富で新京成線に入り、松戸まで乗り入れることで、東京都心方面への通勤ルートを確保してました。開業1か月ほど経った日曜日に乗りに行きましたが、北初富〜小室の離れ小島みたいな路線で、終点小室駅前には広大な住宅地が拡がり、何も無かったかと😅。しかし、新京成線からは吊り掛け駆動の電車が8連(1両が短かったから?)でやってきて、近未来的な新路線を豪快な吊り掛けサウンドを響かせながら爆走!なかなか楽しかったなぁ😅あれが将来、スカイアクセス線になるとは思いもよらず。成人してから乗りにいくと、「印旛日本医大」駅前には何も無くて😅新京成線との相互乗り入れも無くなり、ランプウェイの跡が😢えっ?新鎌ヶ谷駅ってナニ?って世界でした。
千葉ニュータウンが何もない!今と全然違いますね。
そうですね。昔は地味でしたが、今ではスカイライナーが走っているなんてすごいです。ご視聴ありがとうございます。
白井駅にある橋が今と違う!昔はこんな橋だったんですね!
東松戸、新鎌ヶ谷、小室の配線が、暫定開業用だったのがよく分かりますね。千葉ニュータウン中央にも渡り線があったり、印西牧の原はまだ中線が使われていませんし、渡り線もシーサスでは無く、片渡り線が2つになってますね。
小室の配線は北千葉線を通すための形らしいですよ。後から線路が増えたのは北千葉線が頓挫して土地が余ったのと、千葉ニュータウン中央駅付近の土地がソーラーパネルで埋まってしまったために2面化出来なかったためだそうです。
映像の小室駅は北総線本来の姿で建設されています。小室から先は、未成線に終わった千葉県営鉄道用の用地を利用して建設され、それに接続するため急カーブで無理やり繋いでいました。成田スカイアクセス開業のときに高速運転の支障になるため上りホームが建設され、現在の姿になりました。この県営鉄道ですが、新鎌ヶ谷~西白井間のトンネルから先はニュータウン建設時に用地が確保されていて、新鎌ヶ谷~小室間は多摩ニュータウンの小田急と京王線のように2社の路線で複々線となる予定でした。この区間で進行右側の土地が空いているのはその名残です。
片方の列車が全然いない!
映像的にはまるで80年代国鉄末期の様な感覚になるのだが2000年撮影という事実に驚く。標準軌の複線で踏切のない高架線路が続く構造がまるで新幹線だな。幻の成田新幹線ルートを活用しているんだっけ?
素晴らしい映像ですね。葛飾区に居住しているので、高砂駅はよく使っています。空のある高砂駅はとても懐かしいですね。当初、新柴又駅付近は騒音対策として地下に作られることが葛飾区議会の意見を尊重して事業を進める予定でしたが、最後の最後でなぜか無くなってしまったようです。とても綺麗な映像で、楽しませていただきました。ありがとうございます。
京成高砂~江戸川橋りょうまでは騒音対策としてスカイライナーであっても徐行しますし、新柴又駅は全列車停車という協定もなされました(その後運行開始した「特急」や「アクセス特急」は通過駅になったが)。なお新柴又駅周辺の住民は北総線利用するよりも高砂まで自転車で向かう、柴又街道を走行するバスで小岩あるいは金町へ向かい、そこから都心へ出るといったケースもあるようです。
まだ印旛日本医大駅も開業前で大変貴重な動画ですね!1994年に初めて新逗子から急行千葉ニュータウン中央行きに全区間乗車した時に小室から先は線路横に道路があるだけで何も無かったのを思い出しました。
確かにそうですね。ご視聴ありがとうございます。
新鎌ヶ谷、駅の周りが殆どなにもないですね。
ゲンコツの走り出す時の少し息吹くみたいなキィって音が、今改めて聞いて必ず鳴っていたなって思い出した。扉の閉まる音とかモーターの駆動音とか結構身に染みて残ってるもんですね。
北総線沿線民ですw
東松戸住人です。駅の構造も現在の下り線用ホームだけしかなく上り線も流用していたのがよく分かりますね!
お願い 北総鉄道と千葉ニユータウン鉄道の統合していただきたい。
本当に懐かしい素敵な映像ですね(^-^)
最寄り駅が新京成線で、40年近く前は松戸から北初富まで日中12分間隔で京成津田沼行きと小室行き、後に千葉ニュータウン中央行きが交互に運転されていました。
新京成は吊り掛け車に非冷房車も多く、まだ6両だった北総開発線7000形と住宅・都市整備公団線2000形が来ると冷房も強いイメージで嬉しかったのを覚えています。
そんな車両を都営浅草線内で初めて見た時の感動を思い出しました(^-^)
懐かしいですね!
世の中の変わり用がわかります。
その頃に戻った錯覚してしまいました。
一週間に一度!見ていたい位です、わが家もしっかり写ってました。
有難うです❤🎉
私が生まれた年の北総線はこんなんだったんですね〜
新柴又駅付近にあるWe love 9条の看板がないのが新鮮です
懐かしいです。
初期の北総鉄道にはゲンコツこと7000形、トマトサラダこと9000形と斬新なデザインの車両が走っていて鉄ちゃんたちを喜ばせてくれましたけどね。
でも、それらの後継車は7500形、9200形と北総版の3000形のようなものですね。あと、7300形も北総版の3700形というような感じですし。京成とつながってからは車両は京成と共同開発ですね。
ということで、今はCフライヤーこと9100形が唯一北総で斬新なデザインの車両といったところでしょうかね。
cフライヤーは確かボックス席が有りましたね。
北総鉄道自体は京成の子会社です。全般・重要部検査は宗吾工場で行っているのと車両の扱いに関しても京成と共通のほうが扱いやすい、というのもあります。7000形や9000形がいた頃は斬新なデザインであり、個性的でした。ただ、両形式とも親会社の3500形同様セミステンレス車体ということもあり、老朽化も速く進んでいたようです。
松戸駅直通の頃、千葉ニュータウンに転居しました。
数年を経て、高砂駅、京成線への乗り入れが始まりました。
新鎌ヶ谷駅や西白井駅の車両区など、当時を彷彿させてくれる、懐かしい映像です。
ありがとうございます。
東松戸はJR武蔵野線、新鎌ヶ谷は東武野田線の駅が開業してからまだ数年しかたっていない頃です。どちらの駅もマンションや商業施設が増えすっかり雰囲気が変わりました。西白井の車両区は手狭で印旛車両基地(印西牧の原~印旛日本医大間の中間にある)に機能を移しました、数年前から7001号車が静態保存されています。
私が習志野市に住んでいた頃に北総「開発」鉄道が開業、当初の起点北初富で新京成線に入り、松戸まで乗り入れることで、東京都心方面への通勤ルートを確保してました。
開業1か月ほど経った日曜日に乗りに行きましたが、北初富〜小室の離れ小島みたいな路線で、終点小室駅前には広大な住宅地が拡がり、何も無かったかと😅。
しかし、新京成線からは吊り掛け駆動の電車が8連(1両が短かったから?)でやってきて、近未来的な新路線を豪快な吊り掛けサウンドを響かせながら爆走!なかなか楽しかったなぁ😅
あれが将来、スカイアクセス線になるとは思いもよらず。成人してから乗りにいくと、「印旛日本医大」駅前には何も無くて😅
新京成線との相互乗り入れも無くなり、ランプウェイの跡が😢
えっ?新鎌ヶ谷駅ってナニ?って世界でした。
千葉ニュータウンが何もない!今と全然違いますね。
そうですね。昔は地味でしたが、今ではスカイライナーが走っているなんてすごいです。
ご視聴ありがとうございます。
白井駅にある橋が今と違う!昔はこんな橋だったんですね!
東松戸、新鎌ヶ谷、小室の配線が、暫定開業用だったのがよく分かりますね。
千葉ニュータウン中央にも渡り線があったり、印西牧の原はまだ中線が使われていませんし、渡り線もシーサスでは無く、片渡り線が2つになってますね。
小室の配線は北千葉線を通すための形らしいですよ。後から線路が増えたのは北千葉線が頓挫して土地が余ったのと、千葉ニュータウン中央駅付近の土地がソーラーパネルで埋まってしまったために2面化出来なかったためだそうです。
映像の小室駅は北総線本来の姿で建設されています。
小室から先は、未成線に終わった千葉県営鉄道用の用地を利用して建設され、それに接続するため急カーブで無理やり繋いでいました。
成田スカイアクセス開業のときに高速運転の支障になるため上りホームが建設され、現在の姿になりました。
この県営鉄道ですが、新鎌ヶ谷~西白井間のトンネルから先はニュータウン建設時に用地が確保されていて、新鎌ヶ谷~小室間は多摩ニュータウンの小田急と京王線のように2社の路線で複々線となる予定でした。この区間で進行右側の土地が空いているのはその名残です。
片方の列車が全然いない!
映像的にはまるで80年代国鉄末期の様な感覚になるのだが2000年撮影という事実に驚く。
標準軌の複線で踏切のない高架線路が続く構造がまるで新幹線だな。
幻の成田新幹線ルートを活用しているんだっけ?
素晴らしい映像ですね。
葛飾区に居住しているので、高砂駅はよく使っています。空のある高砂駅はとても懐かしいですね。
当初、新柴又駅付近は騒音対策として地下に作られることが葛飾区議会の意見を尊重して事業を進める予定でしたが、最後の最後でなぜか無くなってしまったようです。
とても綺麗な映像で、楽しませていただきました。ありがとうございます。
京成高砂~江戸川橋りょうまでは騒音対策としてスカイライナーであっても徐行しますし、新柴又駅は全列車停車という協定もなされました(その後運行開始した「特急」や「アクセス特急」は通過駅になったが)。なお新柴又駅周辺の住民は北総線利用するよりも高砂まで自転車で向かう、柴又街道を走行するバスで小岩あるいは金町へ向かい、そこから都心へ出るといったケースもあるようです。
まだ印旛日本医大駅も開業前で大変貴重な動画ですね!
1994年に初めて新逗子から急行千葉ニュータウン中央行きに全区間乗車した時に
小室から先は線路横に道路があるだけで何も無かったのを思い出しました。
確かにそうですね。
ご視聴ありがとうございます。
新鎌ヶ谷、駅の周りが殆どなにもないですね。
ゲンコツの走り出す時の少し息吹くみたいなキィって音が、今改めて聞いて必ず鳴っていたなって思い出した。扉の閉まる音とかモーターの駆動音とか結構身に染みて残ってるもんですね。
北総線沿線民ですw