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【訂正】9:53-「蛇の池」、読み方は「じゃのいけ」だそうです!『文明の衝突が生み出す世界史』2025年1月24日発売!!amzn.to/3ZYKhFn『図解ジオヒストリア』amzn.to/41TyHOx
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子供の頃は氷川神社や大宮公園が遊び場でした。中学生になると、受験勉強の為に参道の先の大宮図書館で勉強をするのがお決まりのパターンになっていました。小学生の頃、茂木先生が歩いていた場所でスケッチ大会をしました。懐かしいです。氷川様に行くと、小さな神社が沢山あるのを不思議に思っていました。全ての神様に手を合わせて回るのが大変だったのを覚えています。茂木先生が奥の方まで行かれた場所は知らなかったので驚きました。しかも見沼の湧水地から始まったとは本当に驚きました!こうして動画を見ると、氷川神社は本当に広いなぁって思います。茂木先生のお話しで、どんな神様でどんな由来があるかがよく分かってすごく楽しくて勉強になりました。地元の神社なのに何も知らいで過ごして来ました。父は歴史好きだったので何時も氷川様へ行って散歩したり大宮の歴史について調べていましたが、私は子供だったせいかそういう事にあまり興味がありませんでした。でも、この動画でもっと知りたくなりました。
夏になると宗像神社の側に鴨が二匹泳いでいるのですが、夕方になると大宮公園の飼育員の方が迎えにきて、鴨に向かって帰るよーと話しかけ、鴨🦆🦆も後について帰っていくという風景を見てほっこり。心の故郷のような神社で大好きです。紹介してくださりありがとうございました。
めっちゃ可愛い情景ですね😊
いつも勉強させて頂いております。門客人神社のテナツチ様とアシナツチ様は古語で手がない・足がない→蛇神様を表しているらしいです。
昭和の30年代、小学生の時分に氷川神社の近傍で育って、お宮の境内やら背後の大宮公園、ボート池で遊んでおりました。映像の宗像社の西側、今は駐車場になっているかと、辺りは裏参道の際まで水草やら水藻が繁る湿地が広がって、今の蛇池の辺りは鬱蒼とした藪、灌木、樹木におおわれて立ち入れない「禁足地」然とした佇まいでした。本殿東側の「門客神社」は木漏れ日の下に佇んで、今のような石組みで囲まれているわけではなく、地面には木々の根が地表にうねって古社の風情というところでした。子供のことですから、本殿裏の藪にどうにか、内緒ですが、入り込んで探検めいたことも致しましたし、七五三で本殿内に「正式」に入りました。お話の通り「水」の濃いところです。宗像社も木漏れ日に包まれた池の中に鎮まって、厳かというよりも森の中にあるという印象でした。鮮明ではないのですが、姉の「お雛さま」を宗像社の背後に納めさせていただいた記憶があったり、お社には「白蛇」がお住まいになっているということだったかと。氷川神社の長い表参道と樹木が多い広い大宮公園、神社の延長くらいに思っておりましたので、いくつか各地の大きなお宮やらお社に参拝させていただきましたが、大きいなぁと思える神社は少なかったです。後日、建築・土木系に従事していた関係で、先学の「見沼用水」の研究資料に触れる機会があって、小学生向け「郷土資料」本にあった「いざわやそうべい」が出てくるではないかと。しかも地元の「井沢屋そうべい」くらいにと憶えこんでいたものが、井沢弥惣兵衛とあり「紀州流」土木術とあるのを目にした驚き、衝撃でした。それを契機に近世に興味を持つとこれがまた面白い連続、殊に水利関係の土木が「伊奈流」から「紀州流」に移行するのですが、紀州の吉宗が宗家を継いだ背景があるということでした。余談で、大宮公園のどこかに青木昆陽の顕彰碑がある筈、悪ガキどもの放課後の集合地だったので、これも吉宗関係かと。
昭和30年代の氷川神社。目に浮かぶようです。
日本🇯🇵人でありながら茂木先生のチャンネルで知りました、、、有り難う御座います感謝しております
見沼は元は「巳沼」だったと言われています。
埼玉県にはあちこち小さな氷川神社沢山ありますよね。有名な今回の大宮氷川神社クラスの他に川越氷川神社があります!茂木先生もう何度も行ってるかな?川越氷川神社も厳かな空気感満載の素晴らしいお社です。
販売所で勾玉が購入出来るんですが、それが鉄製なのも面白いですよね
しかもゴツいやつ。
息子が4歳頃お参りに行き、橋の真上を通りかかったとき、足元の方を指さして「下に大きな龍がいるよ❗」と教えてくれ、驚いたことがあります。ちなみに息子は辰年生まれ😁👍
!!!
先生 今仕事から帰宅して拝見しています。心が洗われます。ありがとうございます。⛩️👏👏ぱんぱん。
茂木先生、配信有難うございます!さいたま市で生まれ、結婚するまでの25年間住んでいました。埼玉を離れるまで氏神様の久伊豆神社と大宮氷川神社によくお参りに行きました。大宮公園駅で降りて歩いて行ったのを思い出します。もう30年遠方に住んでいるので行けていませんが、そばにあった遊園地はまだあるのでしょうか?大きな池があって、小さいころ池のほとりで家族とお弁当を食べ、手に持っていたおにぎりを落としてコロコロ転がって池ポチャし、周りの人に笑われた記憶が鮮明に残っています。氷川神社参拝は家族レジャーも兼ねておりました。緑が多くあって良きところです。映像を通して私も参拝させていただきました。本当に有難うございます!そして受験生たちに幸あれ!!
大宮公園の遊園地、まだ営業しています。元荒川流域に多い久伊豆神社さんも出雲系ですね。
大好きな神社を照会して頂きありがとうございました❤門客神社は江戸時代迄はアラハバキ神社でした。勿論ご存知ですよね✨️クナト大神と、幸姫です❤蛇ノ池は何時行っても道が濡れています✨️こんこんと湧き出していて触ると暖かいのです❤
元旦早朝の四方拝で天皇が拝する神社の中に武蔵国一宮である氷川神社が含まれているのには、めちゃくちゃ深い意味が込められていると思ってます。茂木先生、教えてほしいです!
武蔵国という国が、ありましたね。タイムマシンがあったら、どんな国だったか見てみたいものです。その時代には、埼玉、東京、神奈川の概念がありませんでした。武蔵国というひとつの国。関東出身の人は、武蔵国にどこかで繋がっています。
不思議に思っていたのですが、武蔵野国一宮が氷川神社、すぐ隣の相模国の一宮が寒川神社、なんだか似てますよね。上方とは違う神道の流れを感じます。そのあたりのこと、知りたいですね。
茂木さん、昨日この動画に出会い、今日の講演会に参加しました。出雲族の話に興味があったので、いろいろと謎が解けて理解ができました。こういった話が聞ける、そして参加される方が多いのが、今の時代らしく、先導のお一人をしてくださって、ありがとうございます。白梅小町さんの動画も参考にしているのですが、茂木さんのお話とつながることで、地元バージョンでの理解ができました、ありがとうございます。
お越しいただき、ありがとうございました😊
東京出身の埼玉住まいです。有り難いレポート感謝です。
茂木先生、配信ありがとうございます。昨年暮れの酉の市、新春元旦共に仕事のために参拝できませんでしたので、動画を観ることができて、とても嬉しく思っております。しかも丁寧で詳しい解説付きで教えて頂けますこと、感謝申し上げます。
私も年末年始は忙しいので、旧正月に初詣をします。
@@maomao96363 お疲れさまです。応援しています。
お疲れ様でございます。いつも、ありがとうございます。
私は1月上旬に娘と松江の八重垣神社にお参りしました。「八雲たつ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」にふさわしく、大山と諸々の山々に雲が湧き立ち素晴らしい景色でした。島根も鳥取も神話、神社、食べ物と見所満載でした🦀受験生のためにお参りされる先生って優しいですね😊
氷川神社の御神紋が「八雲紋」です!
@ それは知りませんでした。先生は博識ですね、尊敬です!ありがとうございました。
先生の紹介文の肩書きに縄文人が最初に入っているのが良いです。みんな先生が縄文人であると認識しているのですね。ここの神社様の動画は初めてですか?どの神社様も大きくておなじ色合いがするので、おやしろの型が似ているのかも。出雲大社様にも似ています。関東の神社様の動画に先生の強いさいたま愛を感じます。先生は神社巡りを数々されているので、神様の家族関係まで網羅されてますね。凄い😊
先生の動画は癒しです
蛇の池…龍蛇信仰ですね。出雲族が来る前の土着の神がアラハバキではないかというお話は胸熱です!縄文の神の痕跡、まだ残っているのですね✨
森鴎外の『青年』に大宮の氷川神社が少し出てきます。名所案内的な側面も持つ小説なので明治時代の氷川神社の一般的な受け止められ方がわかります。
なるほど!
さいたま氷川神社の奥宮の御正体は蛇の池なのですか~。美しい所ですね。ゆっくり案内していただきました🙏
今年は是非参拝させていただきます。
5.6年前に友人達とお参りした時、神社の方から伺いましたが、裏神様はアラハバキの神を祀っている、と仰っていました。又、中氷川神社、中山神社とも言いますが鳥居をくぐると直ぐに摂社がありアラハバキを祀っています。
氷川神社 サラリーマン時代に大宮への転勤があったのでよく寄りました。本当に広い境内でお散歩に丁度良いですね。 懐かしい
大宮公園のボート池で一度だけ蛇を見たことがあります。池の中心のあたりからスーって糸を引くような綺麗な線が引かれて、岸に上がってきたのみたら蛇だったのです。しばらく見ていたら茂みの中に消えていきました。朝の光の中で見ることができた美しい光景でした。ここに湧き出る泉があるから、古代から集落ができ”大宮”となったのでしょうね。
ビルゲイツから本当に守っていただきたいですね。😅
講演会参加させていただきます!とても楽しみにしています😊
お楽しみに!
昨年末に大宮の氷川神社、中山神社(中氷川神社)、氷川女体神社にお参りさせていただきました。電車とバスで行ったので結構時間がかかりました😅 車が使えるようでしたら、車の方が便利だと思います。 中山神社と氷川女体神社は初めて行きましたが、静かでなかなかいい神社でした。中山神社にはアラハバキの摂社があったと思います。
茂木先生、宗像神社の裏もお参りして見せていただきたかったです!蛇の通路ができていて卵をお供えしています❤
蛇の池のことは始めて知りました‼️氷川神社 広いですもんねー😅動画でお詣りできてうれしいです。ありがとうございます🙏✨
見沼区在住です。ありがとうございます。✴
👍
浦和パルコの講演会に参加し、その後大宮氷川神社に行って参りました。茂木先生のお話は勿論、NPO法人 見沼の里の皆さんの活動も大変興味深かったです。自主自立するために日々学んでいきます。
鎮座「2,500年になる」勉強になりました。
大変興味深く拝見させて頂きました🙏✨近所に住みながら全く知りませんでしたが茂木先生のおかげでとても興味が湧いて来ました⛩️茂木先生の動画をみてお勉強させて頂きまーす😃
何回も来ている氷川神社ですが、蛇の池知らなかったです。見沼も、もしかしたら巳沼からきたのかなぁとも思ってしまいました。
確かにそうですね!
茂木誠先生私の一之宮が大宮氷川神社何です。毎月参拝して居ますよ。2月には毎年御祈祷も受けて居ます。寒川神社の方が近いのですが、やはり一之宮ですから行くとホッとします。もう少し近ければもっと頻繁に行けるのですが。笑
初めて息子とお参りさせて頂いた時にめっちゃでっかいスッポンを池で見ました。玄武かと思いビックリしました🐢🐍
いつもありがとうございます。名前の由来は出雲の斐川から来ていると聴いたことがあります。
氷川神社を紹介していただき嬉しいです。有難うございます☺️地元なのでよく行きますが、お恥ずかしい事に蛇の池知り行ったのが一昨年が初めてでした😅近くに護国神社がひっそりとあるので是非足をはこんでみて下さい😌
おはようございます立派な神社で、とても心地良さそうですね☺️茂木先生の埼玉愛が伝わって参ります。見沼の土地のとこしえをお祈りいたします🙏✨
いつも配信ありがとうございますこの見沼は九州・久留米の豪族で水沼(みぬま)君と関係がありそうですね久留米に権現塚古墳があるのですが、この古墳には三重の周濠があったとされています。三重の周濠は全国でも8例しかなく、大変貴重です。有名なところだと、仁徳天皇陵が三重の周濠となっていますいずれにしても、水田と関わりをもった古墳と考えられます
これはおもしろい。行きたいリストに入れておきます!
小さい頃、氷川参道まで徒歩10分圏内住んでまして、平成広場が私の遊び場でした🎵今は静かなもんですが、昔は子連れも多くて賑わってましたね🎵人生の通過儀礼は全て大宮氷川神社で行わせて頂きました。御正殿でのお祓いも素敵な記憶です。最近、社務所や三の鳥居周りが綺麗に整備されて、社家のお代替わりがあったのかな?と感じております。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説で登場する川は斐伊川(ヒイカワ)と言って船通山(センツウザン)から北進し宍道湖(シンジコ)に流れて行きます。そして宍道湖に隣接するのが出雲市斐川町(ヒカワチョウ)
本殿の手前を発掘調査していた時、シートから沢山食み出て散らばる、縄文土器の欠片が沢山見えました。
氷川神社は、スサノオ様の生まれ変わりと自身を信じていたヤマトタケが関東遠征に行った際にスサノオ様を大切に思って建造した神社だとホツマに詳しい、いときょう様が以前言っておられました。茂木先生いつもありがとうございます。感謝しています。
「初代皇后イスズ姫様のお父上が事代主」という設定ですから、母系でご皇室にも繋がっていますね。
地元ですが、神社の敷地にこんな水源があるのをしりませんでした。
大宮氷川神社を中心に点在する氷川神社群。大宮氷川から2キロほど西へ行った所に櫛引氷川神社、そこから南へ1キロ下ったところに並木氷川神社、さらに南東へ1キロほど行ったあたりに小田村氷川神社、だいぶ離れた浦和駅近くには本太氷川神社などなど。これらとの地理的関係も気になりました。
別のレイラインがあるかどうか、調べてみてください。
今日のお話のおさらいでとっても楽しかったです✨ありがとうございます😊埼玉県、まだ捨てたものではいと改めて思いましたので、まともな政策する人を選ばないといけないと思いました。
2023年埼玉県知事選の投票率23.3%。結果、労組が支える大野知事が連勝しています。
茂木先生の動画も拝見しながら神社参りを深掘りするうち、昨年あたりから出雲系神社にハマるようになりました。いつも気付きを下さいましてありがとうございます!煌々と水が湧く心静まる池が奥宮だったのではないか、とお聞きして。独り占めしたくなるような美しい風景をお祀りし、皆で感謝して手を合わせる場に。オオナムチさんの御心はそういうことだったのかもしれないと、ふと感じました(*´ェ`*)
出雲系の神社さんは、大地と繋がっている感じがします。
2500年って凄い歴史ある神社ですね。😊
日本を取り戻す!有難うございます。
出雲人が埼玉に→陸路? 日本海ルートでしょうか?いずれにせよかなり困難な道のり。余程の目的があった様に思います。古代より交易ルートがあり往き来していたのですね。
コメント失礼します😊私も、そこがとても気になっています!日本海→東北→陸路で下がるか、はたまた碓氷峠ルートか、、、
いつも楽しく拝見しています⛩大宮一帯はスサノオの出雲族が治めていたのでは…と、思っています。国譲りは…実は大宮辺りが舞台なのかも …🤭などと妄想してます。そうなると、諏訪との距離なども現実的だし🤔古事記への描き方など含め「スサノオ」様は興味深い神様です!!
一ノ宮は、元は瀬織津姫を祀った聖蹟桜丘の、小野神社だったと思います。そこはどうなのでしょうか?
社家の岩井家が、出雲族というか素戔嗚尊を信仰する方々です。出雲は関東へ何派か時代を変えて来ているのでしょう。その天津神社ははるか昔、松尾神社の所にあり、星を崇めていました。だから、本地仏が聖観音菩薩なのかも。水が湧いているのもあると思いますが、本殿下から縄文時代の住宅跡が出ています。隣の歴史博物館にもあるように、旧石器時代から人類が住んでいる土地です。明らかに、2500年以上の歴史を感じます。門客人神社の社殿が、昔の稲田姫の社殿でした。そうした意味なのでしょうね。女体氷川神社との兼合いも気になる神社です。ご紹介、ありがとうございます!
なるほど、そうでしたか!
星神⭐✨信仰だったのですね。ありがとうございます。アラハバキは女神だそうで、大宮女體神社の女神様と同じかも。星神様天津神社が松尾神社にあったとすると、茂木先生の秦氏の前には、初代神武天皇の1人の海村雲を祭っていたようです。村雲の父神の五十猛は正史では素戔嗚の息子で、出雲では父方の星神信仰の物部氏祖饒速日の息子で、母方は大国主の娘高照姫なので、出雲少名彦と祭られているのも納得です。遠い武蔵国で出雲と物部の融合があったようです。
星を崇めてたということでは、氷川神社群はオリオン座の形(三ツ星である氷川神社、中氷川神社、女體氷川神社を中心に、調神社や越谷の久伊豆神社などを含めたもの)って説がネットにありますがどうなんでしょう?
受験生のためにお参りをして、なんと!DSから御守りを!とお参りもされる。 気持ちのある、茂木先生だぁ!!😊
【アラハバキ】も出雲の神さまだと思われます。【ハハ】とは蛇のことで、御神木に縄ヘビを巻いてお祀りする習慣があり、【荒ハバ木】と呼ばれるようになります。出雲族のサイノカミの習慣で、【荒神さん】もこれにあたります。地域により少しづつ表現の仕方が変わり、別の神さまのように言われますが、同じ習慣から出ています。大彦族が東北へ移動した際、広めたものがアラハバキ信仰だと伝わっています。この信仰に縄文からの遮光器土偶がゆるキャラのマスコットのように重なって、【アラハバキ=遮光器土偶】というイメージで、【アラハバキ王国(安倍王国)】となったと思われます。ハバキの信仰は、出雲王国領だった西日本各地にも沢山残っています。サイノカミの信仰は集落の辻にたち、外からやって来る良いものは受け入れ、悪いものは遮るという性質を持ちます。【八衢彦・八衢姫】❇️❇️です。外からやって来る来訪神は歓迎されます。山の神が春になって田の神となって降りて来るのをお迎えし、秋に収穫が終わって、田の神を山へお送りする祭り奥能登のアエノコトなどが有名ですが、それも来訪神の一種であり、サイノカミの本質です。お正月にお迎えする【歳神さま】も同じです。【歳神(サイノカミ)】です。【なまはげ】も歳神さまであり、海の向こうからでも、山からでも、コンセプトは同じです。【来訪神=お客様=門客人】であって、【客人(まろうど)の神】と言い、たまにやって来る神さまで、出雲の神さまをお客さまとして迎えたと言う神社の説明書きはとても現代的な訳だと感じます。本来の意味が忘れられてしまったのかも知れません。来訪神は毎年毎年お迎えしている神々のことです。呼び名や形式が色々ありますが、アラハバキは元々、出雲でもお祀りされています。ですが、縄文時代に渡来した出雲族は北海道から東北地方を通り、日本海側を降って行きながら、縄文人との融合が2000年かけて行われています。同じ本質の祭祀を行っていたと思われます。出雲族の関東への移住は、縄文時代から始まり何度も何度も行われています。大国主が登場するのは渡来後、2000年経ってからです。【手名椎・足名椎】と言う名の登場はもっと後の時代、正史が記される八世紀です。ご祭神の名は当然、後付けです。ですが、名のついている神々はほとんど新しい名です。アラハバキも含め、縄文時代の名ではないと思います。多分ね〜もっとシンプルに表現していたと想像します。矢作先生の言われるテレパシーのように。そうは言っても、コンセプトはずっと変わってないです。
ご教示ありがとうございます。
@@maomao96363茂木先生出雲族は龍蛇信仰ですが、縄文人も蛇信仰です。【磐と水と蛇】の祀りは出雲族が渡来する以前から、ずっと続いているものであり、そこに出雲もしっかり融合したと思っています。正史編纂により神さまの再編成が起こり、新たな秩序のもと、国家が形成されてゆきますが、出雲のサイノカミ信仰は、民間信仰の中にしっかりと根付いています。
私、一度mayumi様の出雲口伝解説書を読みたいです。知識の宝庫です。
@kosahi-m0135 さまありがとうございます♪いつかまとめてみたい気はしますね。(^^)しかし凄い時代になりましたね。興味があれば次々と情報を得られるって底なし沼のようです。学習の仕方が【覚える】から自分の中で整合性の出来るものを【探し出す】という作業に変わっていますね。ベクトルの方法が全く逆です。これを勉強しなさい…という学校の勉強が嫌いだったので、好きなものを追いかけることの楽しさを味わっています。コメントを書くことが書く内容を探す深い情報を確認する頭の中を整理する美しい日本語で表現するという凄い作業となってよりはっきりとした理解に繋がります。特に日本語はほとんどコメントでしか使う環境にないので、スマホの登場は人生を変えましたね。風の時代とは良く言ったものだと思います。
@mayumi3300 様本格的に風の時代に突入したようです。いろいろと今年もあるかも知れませんが、良い時代が来ていると心のどこかに希望が湧いてきています。欲しい情報を自分で探しにいける、そこに習いに行かなくてもネットでも勉強できる。なんて有り難い時代だと思ってしまいます。mayumi様のご著書が発売されるのを夢見て待ってます٩(♡ε♡ )۶
久々の神社巡り⛩️👏👏🙏
強力な出世の神様。昇給も株式投資もずいぶん助けられました。今は長野県に転居し、諏訪神社に詣でています。
見沼は巳沼ですね!
確かに!
蛇の池は「へびのいけ」ではなく、「じゃのいけ」です。
そうでしたか!ご教示ありがとうございます。
生まれも育ちもさいたま市民で、武蔵の国一宮として小学生のころから何度か訪れたことがありましたが、見沼(三沼)と関係があったんですね
明治天皇が上京の際に、いの一番に行幸された場所が氷川神社ですね。何かしら?大きな意味があったんでしょうね。
皆さんのコメントの知識の深さに関心しています 私は何故 出雲の斐伊川が氷川になるのかな?が気になって 氷の川ってどうしてついたのかばかり考えてしまった低レベルの私(笑)先生のお薬の神に願ったことが叶いますよう👏👏 (*- -)(*_ _)
先生はご存知だと思いますが、宗像神社は千葉成田の印旛沼周りにも幾つかあるようです。昔は一帯が海で九州との交易があったのではないかと言われています。でも氷川神社内に鎮座しているのは不思議です。
古代の見沼は奥東京湾、印旛沼や霞ヶ浦は香取の海と呼ばれ、船で往来できました。
氷川神社の一の鳥居を参道側から見ると鳥居の中からモナリザが睨んでくるのはなんなんでしょう?この前見沼を散歩していたら、⛩️に👁️の謎の置物があって驚きましたが、調べてみたら市民フォーラムが作った不法投棄防止の通称「鳥目ちゃん」という置物らしいですが、図らずも構図が似ているので気になってます。某秘密結社のシンボルとも…
出雲國簸川の漢字の神社は丸の内線茗荷谷と福井市にありますね。
少彦名命様にビルゲイツから我らをお守り下さいとお祈りする先生、笑ってしまいました🤣。 いや、冗談ではないシビアな内容のお祈りなのはわかったておりますが、先生は真面目で真摯なのですが、どこか茶目っ気も効いている🤭
さりげなくビル・0イツをぶっ込む所 大好きです いつも勉強になります ありがとうございます
おー氷川神社よく仕事でその前通ります
ここのお稲荷さんは、結界が物凄く強くて、なかなか奥に入っていけません。先生も無意識に感じて入られなかったのかな?氷川神社手前の池は、昔こいがたくさん泳いでいたのですが、汚くなってしまって、いなくなってしまったのが残念です。
結界なんですか❔💦💦実は私も拒絶されました😅同じように感じられた方がいらして書き込んでしまいました。後々考えてみたら 昔商売をしてた我が家は笠間稲荷様と豊川稲荷様を祀ってました。未だに守って頂いてるのか…私ではないだろう❕と言わんばかりの…それはそれは怖い位のもの凄い拒絶でした。お門違いでとても失礼だったのかな…と思いそれからは一礼して通り過ぎてます😅仰る通り結界で気付く人だけに分かるんですかね❔一緒に行った友達は何も感じてませんでした。
ここに限らずお稲荷さんは、参拝客の念が強すぎて…苦手です😅
宗像神社⛩は祭られているのが女神様3神なんだけど社の造りは男系なんて、、、いろいろな事情があるんだロウね🤔🤔🤔🤔🤔‼️😊
『ヘビ』の『へ』は『ヒ』『ヘビ』⇔『ヒミ』かな。どうだろ?いつも神社の動画拝見して思うけどずーっと続いて今があるんですよね。しみじみ…
蛇繋がりですが、出身の岩国は白蛇の生息地で、今年は白蛇神社が、お正月を過ぎても、ごった返しているようです🐍氷川神社、水に「アラハバキ」神が溶け込んでおられるのですね(^人^)
氷川女體神社も武蔵国一宮、その間に中山神社(中氷川神社)奥多摩の氷川渓谷近くに奥氷川神社、所沢にある中氷川神社 真直ぐではありませんが、その先に何かありますね。昔からある神社は上社中社下社があり、氷川神社もその名残があるように感じます。中氷川神社にはアラハバキ社があります。個人的には、瀬織津姫も弁財天も市杵島姫命も同じ水を司る水神様。スサノオも自然を重んじる神様かなと。武蔵国二宮も調べると色々深いものを感じますよ。
御朱印でお参りしてました。埼玉と茨城の一ノ宮、デカッ!江戸ができるまで関東は草原で何も無かったんじゃねえのかよ!そんな感じでした。
江戸湾は確かに葦原でした。
天日鷲におわれて伊勢津彦が東国へ逃げました。これは東海地方がひとつのつながった地域だったことを示唆します。伊勢津彦は出雲族でした。さらに四道将軍のオオビコとタケヌナカワワケが落ち合った場所があいづです(いまの会津ではないという)。地域を征圧したのでしょう。景行天皇の東征があって、オオビコ(阿倍氏の祖)の子孫がイワカノムツカリ(料理人。膳氏のち高橋氏の祖)が饗応している。ヤマトタケルの弟橘媛は、物部支族の穂積氏の娘であるとされています。このころには東国に中央豪族が土地に定着していることがうかがえます。オオビコの子孫は東国を配下においていたようで、それが出雲族であった武蔵国造家であり、のち兵としてつかえた東国の大伴氏になったようです。天孫のオオビコ、天神の物部氏、国津神の出雲族という大和豪族のヒエラルキーが東国にみられるわけです。武蔵国造家からはヒコサチが応神天皇の征韓のときに活躍して、摂津の活田神社に祀られているなど、中央とのつながりが強いのがわかります。彼らは代々氷川神社をまつり、荒川流域の古墳を造営した豪族で、行田稲荷山古墳から出土した鉄剣に雄略天皇の名が刻まれています。しかし継体天皇の時代に武蔵国造の乱をおこしたことで、多摩川流域が屯倉として没収され、そこが開拓されて武蔵国の中心となったようです。
茂木先生❗️門客人神社とアラハバキ信仰について取り上げていただき、本当にありがとうございます😭私が長く心寄せている神様です。縄文の民も、アラハバキ神も、まつろわぬ者として封じられてしまったのか、長い時間をかけて融和していったのか、とても気になる所です。明日は、朝早くから茂木先生のお話が聞けると思うとワクワク*\(^o^)/*楽しみにしています💕
長髄彦ですね。
出雲族はいつのタイミングで埼玉を開拓したのでしょうか?大和、吉備、北九州の連合国家の(邪馬台国)前か後か、、、気になります。
出雲の神様ならなぜ朱色を使うのでしょうか
武蔵国に来た出雲の人たちがヤマタノオロチ伝説を持ち込み、それが龍蛇から竜神となり、見沼の竜神伝説に繋がっていくのは、面白いですよね。
出雲の龍蛇神と、古志のオロチ伝説とは、別系統のような気がします。
オオミヤ=おお!なんとヒカワ=しゃっくりヒ=おい!(やぁ!)カワ=ライン(線)
出雲ロ伝では垂仁大王から委任された出雲軍が豊国勢力を尾張から関東においやりそこに住みついたとしています。第2の出雲王国ともよばれています。
海路でしか移動が困難だった縄文海進の時代に出雲族が東京湾を奥に進み最初に上陸したのが氷川神社の神池の場所だった。日本武尊がソサノヲを祀ったのは自身がソサノヲの転生と倭媛から聞かされていたから。あるいはここを訪れた時点で尊は前世の記憶を本当に蘇えらせていたのかもしれない。生れ変わって自分を祀るとはナルシズムの骨頂なのではないかと思うが憎めない人物だ。
東京遷都に対して明治天皇は氷川神社への行幸を行っているんですよね。埼玉というより【武蔵国】の意識を取り戻す機会かもしれません!
ビルゲイツw笑い事じゃないですね。失礼しました。
かつては仏教と、どう習合していたのかも気になります。今のご神体も明治以降に改められているかもしれませんが、かつては○○明神だの、△△権現だの、□□大菩薩が祀られていたのかもしれません😊。
「氷川明神」と呼ばれていたようです。
(*^ー゚)b グッジョブ!!。イイネコキマロ
ビル・ゲイツ(笑)
受験生よやれ。 頑張れという言葉は何か客観的な感じがするんであまり好きではない。 Do it. 有機農法は聞きたいが九州のド田舎からでは無理でござる。 農業とは作物ではなく土を育てることからなのだ。 これなくしていい作物は育たない。 🤨
【訂正】9:53-「蛇の池」、読み方は「じゃのいけ」だそうです!
『文明の衝突が生み出す世界史』
2025年1月24日発売!!
amzn.to/3ZYKhFn
『図解ジオヒストリア』
amzn.to/41TyHOx
絵絵ええええ江上上上ええええええええ上ええええ上上上江上えええええええええええええええええ江上えてえええええええええてええええええてよええええてええええええ上海えうう江上絵ええええいえええええうええてえてえええええてえええ手打ぇえええええええ上ええイェ絵イェええてええええて上絵ええええイェ上上ええええて上えええてええてえてえええええええええええええええええええええええてえええええ打てえええええええええええええいええええええ江上えええええええっええ😶えっええ上ええええてええええ上ええ上ええええ江上ええうええええええええ上ええええ上えええええええええええええええええええええええてええてええええええてええええ上ええううえええてええええ上ええええ上ええええうう江上ええええええてええええええええええ江上テウええええええええええええええええええええ上上ええええええ上ええええええてえ上ええええええええ江上ええええ江上雨えええええええううええええええええええううええええうう江上上えええて上ええええうええええええええ江上ええええ上ええええええええええ江上上上えええええええええええええええええええい絵をええええええええ江上江上上ええええええええええええええええeうえええeえええいええええうええええ上雨ええいっええ江上ヽ(;▽;)ノえええええええうeeeえeeえe上ええええうeeえeええeえゆうえyeえええeええええeえええい
子供の頃は氷川神社や大宮公園が遊び場でした。中学生になると、受験勉強の為に参道の先の大宮図書館で勉強をするのが
お決まりのパターンになっていました。小学生の頃、茂木先生が歩いていた場所でスケッチ大会をしました。懐かしいです。
氷川様に行くと、小さな神社が沢山あるのを不思議に思っていました。全ての神様に手を合わせて回るのが大変だったのを覚えています。
茂木先生が奥の方まで行かれた場所は知らなかったので驚きました。しかも見沼の湧水地から始まったとは本当に驚きました!
こうして動画を見ると、氷川神社は本当に広いなぁって思います。茂木先生のお話しで、どんな神様でどんな由来があるかがよく分かって
すごく楽しくて勉強になりました。地元の神社なのに何も知らいで過ごして来ました。父は歴史好きだったので何時も氷川様へ行って散歩したり
大宮の歴史について調べていましたが、私は子供だったせいかそういう事にあまり興味がありませんでした。でも、この動画でもっと知りたくなりました。
夏になると宗像神社の側に鴨が二匹泳いでいるのですが、夕方になると大宮公園の飼育員の方が迎えにきて、鴨に向かって帰るよーと話しかけ、鴨🦆🦆も後について帰っていくという風景を見てほっこり。心の故郷のような神社で大好きです。紹介してくださりありがとうございました。
めっちゃ可愛い情景ですね😊
いつも勉強させて頂いております。
門客人神社のテナツチ様とアシナツチ様は古語で手がない・足がない→蛇神様を表しているらしいです。
昭和の30年代、小学生の時分に氷川神社の近傍で育って、お宮の境内やら背後の大宮公園、ボート池で遊んでおりました。
映像の宗像社の西側、今は駐車場になっているかと、辺りは裏参道の際まで水草やら水藻が繁る湿地が広がって、今の蛇池の辺りは鬱蒼とした藪、灌木、樹木におおわれて立ち入れない「禁足地」然とした佇まいでした。
本殿東側の「門客神社」は木漏れ日の下に佇んで、今のような石組みで囲まれているわけではなく、地面には木々の根が地表にうねって古社の風情というところでした。
子供のことですから、本殿裏の藪にどうにか、内緒ですが、入り込んで探検めいたことも致しましたし、七五三で本殿内に「正式」に入りました。
お話の通り「水」の濃いところです。
宗像社も木漏れ日に包まれた池の中に鎮まって、厳かというよりも森の中にあるという印象でした。
鮮明ではないのですが、姉の「お雛さま」を宗像社の背後に納めさせていただいた記憶があったり、お社には「白蛇」がお住まいになっているということだったかと。
氷川神社の長い表参道と樹木が多い広い大宮公園、神社の延長くらいに思っておりましたので、いくつか各地の大きなお宮やらお社に参拝させていただきましたが、大きいなぁと思える神社は少なかったです。
後日、建築・土木系に従事していた関係で、先学の「見沼用水」の研究資料に触れる機会があって、小学生向け「郷土資料」本にあった「いざわやそうべい」が出てくるではないかと。
しかも地元の「井沢屋そうべい」くらいにと憶えこんでいたものが、井沢弥惣兵衛とあり「紀州流」土木術とあるのを目にした驚き、衝撃でした。
それを契機に近世に興味を持つとこれがまた面白い連続、殊に水利関係の土木が「伊奈流」から「紀州流」に移行するのですが、紀州の吉宗が宗家を継いだ背景があるということでした。
余談で、大宮公園のどこかに青木昆陽の顕彰碑がある筈、悪ガキどもの放課後の集合地だったので、これも吉宗関係かと。
昭和30年代の氷川神社。目に浮かぶようです。
日本🇯🇵人でありながら
茂木先生のチャンネルで知りました、、、
有り難う御座います感謝しております
見沼は元は「巳沼」だったと言われています。
埼玉県にはあちこち小さな氷川神社沢山ありますよね。有名な今回の大宮氷川神社クラスの他に川越氷川神社があります!
茂木先生もう何度も行ってるかな?川越氷川神社も厳かな空気感満載の素晴らしいお社です。
販売所で勾玉が購入出来るんですが、それが鉄製なのも面白いですよね
しかもゴツいやつ。
息子が4歳頃お参りに行き、橋の真上を通りかかったとき、足元の方を指さして「下に大きな龍がいるよ❗」と教えてくれ、驚いたことがあります。ちなみに息子は辰年生まれ😁👍
!!!
先生 今仕事から帰宅して拝見しています。
心が洗われます。ありがとうございます。
⛩️👏👏ぱんぱん。
茂木先生、配信有難うございます!さいたま市で生まれ、結婚するまでの25年間住んでいました。
埼玉を離れるまで氏神様の久伊豆神社と大宮氷川神社によくお参りに行きました。
大宮公園駅で降りて歩いて行ったのを思い出します。もう30年遠方に住んでいるので行けていませんが、そばにあった遊園地はまだあるのでしょうか?大きな池があって、小さいころ池のほとりで家族とお弁当を食べ、手に持っていたおにぎりを落としてコロコロ転がって池ポチャし、周りの人に笑われた記憶が鮮明に残っています。氷川神社参拝は家族レジャーも兼ねておりました。緑が多くあって良きところです。
映像を通して私も参拝させていただきました。本当に有難うございます!そして受験生たちに幸あれ!!
大宮公園の遊園地、まだ営業しています。元荒川流域に多い久伊豆神社さんも出雲系ですね。
大好きな神社を照会して頂きありがとうございました❤
門客神社は江戸時代迄はアラハバキ神社でした。勿論ご存知ですよね✨️
クナト大神と、幸姫です❤
蛇ノ池は何時行っても道が濡れています✨️
こんこんと湧き出していて触ると
暖かいのです❤
元旦早朝の四方拝で天皇が拝する神社の中に武蔵国一宮である氷川神社が含まれているのには、めちゃくちゃ深い意味が込められていると思ってます。
茂木先生、教えてほしいです!
武蔵国という国が、ありましたね。タイムマシンがあったら、どんな国だったか見てみたいものです。その時代には、埼玉、東京、神奈川の概念がありませんでした。武蔵国というひとつの国。関東出身の人は、武蔵国にどこかで繋がっています。
不思議に思っていたのですが、武蔵野国一宮が氷川神社、すぐ隣の相模国の一宮が寒川神社、なんだか似てますよね。上方とは違う神道の流れを感じます。そのあたりのこと、知りたいですね。
茂木さん、昨日この動画に出会い、今日の講演会に参加しました。
出雲族の話に興味があったので、いろいろと謎が解けて理解ができました。
こういった話が聞ける、そして参加される方が多いのが、今の時代らしく、先導のお一人をしてくださって、ありがとうございます。
白梅小町さんの動画も参考にしているのですが、茂木さんのお話とつながることで、地元バージョンでの理解ができました、
ありがとうございます。
お越しいただき、ありがとうございました😊
東京出身の埼玉住まいです。有り難いレポート感謝です。
茂木先生、配信ありがとうございます。
昨年暮れの酉の市、新春元旦共に仕事のために参拝できませんでしたので、動画を観ることができて、とても嬉しく思っております。
しかも丁寧で詳しい解説付きで教えて頂けますこと、感謝申し上げます。
私も年末年始は忙しいので、旧正月に初詣をします。
@@maomao96363 お疲れさまです。応援しています。
お疲れ様でございます。
いつも、ありがとうございます。
私は1月上旬に娘と松江の八重垣神社にお参りしました。「八雲たつ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」にふさわしく、大山と諸々の山々に雲が湧き立ち素晴らしい景色でした。島根も鳥取も神話、神社、食べ物と見所満載でした🦀
受験生のためにお参りされる先生って優しいですね😊
氷川神社の御神紋が「八雲紋」です!
@ それは知りませんでした。先生は博識ですね、尊敬です!ありがとうございました。
先生の紹介文の肩書きに縄文人が最初に入っているのが良いです。みんな先生が縄文人であると認識しているのですね。
ここの神社様の動画は初めてですか?どの神社様も大きくておなじ色合いがするので、おやしろの型が似ているのかも。出雲大社様にも似ています。
関東の神社様の動画に先生の強いさいたま愛を感じます。
先生は神社巡りを数々されているので、神様の家族関係まで網羅されてますね。凄い😊
先生の動画は癒しです
蛇の池…龍蛇信仰ですね。出雲族が来る前の土着の神がアラハバキではないかというお話は胸熱です!縄文の神の痕跡、まだ残っているのですね✨
森鴎外の『青年』に大宮の氷川神社が少し出てきます。名所案内的な側面も持つ小説なので明治時代の氷川神社の一般的な受け止められ方がわかります。
なるほど!
さいたま氷川神社の奥宮の御正体は蛇の池なのですか~。美しい所ですね。ゆっくり案内していただきました🙏
今年は是非参拝させていただきます。
5.6年前に友人達とお参りした時、神社の方から伺いましたが、裏神様はアラハバキの神を祀っている、と仰っていました。又、中氷川神社、中山神社とも言いますが鳥居をくぐると直ぐに摂社がありアラハバキを祀っています。
氷川神社 サラリーマン時代に大宮への転勤があったのでよく寄りました。
本当に広い境内でお散歩に丁度良いですね。 懐かしい
大宮公園のボート池で一度だけ蛇を見たことがあります。池の中心のあたりからスーって糸を引くような綺麗な線が引かれて、岸に上がってきたのみたら蛇だったのです。しばらく見ていたら茂みの中に消えていきました。朝の光の中で見ることができた美しい光景でした。ここに湧き出る泉があるから、古代から集落ができ”大宮”となったのでしょうね。
ビルゲイツから本当に守っていただきたいですね。😅
講演会参加させていただきます!とても楽しみにしています😊
お楽しみに!
昨年末に大宮の氷川神社、中山神社(中氷川神社)、氷川女体神社にお参りさせていただきました。電車とバスで行ったので結構時間がかかりました😅 車が使えるようでしたら、車の方が便利だと思います。 中山神社と氷川女体神社は初めて行きましたが、静かでなかなかいい神社でした。中山神社にはアラハバキの摂社があったと思います。
茂木先生、宗像神社の裏もお参りして見せていただきたかったです!蛇の通路ができていて卵をお供えしています❤
蛇の池のことは始めて知りました‼️氷川神社 広いですもんねー😅動画でお詣りできてうれしいです。ありがとうございます🙏✨
見沼区在住です。
ありがとうございます。✴
👍
浦和パルコの講演会に参加し、その後大宮氷川神社に行って参りました。
茂木先生のお話は勿論、NPO法人 見沼の里の皆さんの活動も大変興味深かったです。
自主自立するために日々学んでいきます。
お越しいただき、ありがとうございました😊
鎮座「2,500年になる」
勉強になりました。
大変興味深く拝見させて頂きました🙏✨
近所に住みながら全く知りませんでしたが茂木先生のおかげでとても興味が湧いて来ました⛩️茂木先生の動画をみてお勉強させて頂きまーす😃
何回も来ている氷川神社ですが、蛇の池知らなかったです。
見沼も、もしかしたら巳沼からきたのかなぁとも思ってしまいました。
確かにそうですね!
茂木誠先生
私の一之宮が大宮氷川神社何です。
毎月参拝して居ますよ。
2月には毎年御祈祷も受けて居ます。
寒川神社の方が近いのですが、やはり一之宮ですから行くとホッとします。
もう少し近ければもっと頻繁に行けるのですが。笑
初めて息子とお参りさせて頂いた時にめっちゃでっかいスッポンを池で見ました。玄武かと思いビックリしました🐢🐍
いつもありがとうございます。名前の由来は出雲の斐川から来ていると聴いたことがあります。
氷川神社を紹介していただき嬉しいです。有難うございます☺️地元なのでよく行きますが、お恥ずかしい事に蛇の池知り行ったのが一昨年が初めてでした😅近くに護国神社がひっそりとあるので是非足をはこんでみて下さい😌
おはようございます
立派な神社で、とても心地良さそうですね☺️
茂木先生の埼玉愛が伝わって参ります。見沼の土地のとこしえをお祈りいたします🙏✨
いつも配信ありがとうございます
この見沼は九州・久留米の豪族で水沼(みぬま)君と関係がありそうですね
久留米に権現塚古墳があるのですが、この古墳には三重の周濠があったとされています。
三重の周濠は全国でも8例しかなく、大変貴重です。
有名なところだと、仁徳天皇陵が三重の周濠となっています
いずれにしても、水田と関わりをもった古墳と考えられます
これはおもしろい。行きたいリストに入れておきます!
小さい頃、氷川参道まで徒歩10分圏内住んでまして、平成広場が私の遊び場でした🎵今は静かなもんですが、昔は子連れも多くて賑わってましたね🎵
人生の通過儀礼は全て大宮氷川神社で行わせて頂きました。
御正殿でのお祓いも素敵な記憶です。
最近、社務所や三の鳥居周りが綺麗に整備されて、社家のお代替わりがあったのかな?と感じております。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説で登場する川は斐伊川(ヒイカワ)と言って船通山(センツウザン)から北進し宍道湖(シンジコ)に流れて行きます。そして宍道湖に隣接するのが出雲市斐川町(ヒカワチョウ)
本殿の手前を発掘調査していた時、シートから沢山食み出て散らばる、縄文土器の欠片が沢山見えました。
氷川神社は、スサノオ様の生まれ変わりと自身を信じていたヤマトタケが関東遠征に行った際にスサノオ様を大切に思って建造した神社だとホツマに詳しい、いときょう様が以前言っておられました。茂木先生いつもありがとうございます。感謝しています。
「初代皇后イスズ姫様のお父上が事代主」という設定ですから、母系でご皇室にも繋がっていますね。
地元ですが、神社の敷地にこんな水源があるのをしりませんでした。
大宮氷川神社を中心に点在する氷川神社群。大宮氷川から2キロほど西へ行った所に櫛引氷川神社、そこから南へ1キロ下ったところに並木氷川神社、さらに南東へ1キロほど行ったあたりに小田村氷川神社、だいぶ離れた浦和駅近くには本太氷川神社などなど。これらとの地理的関係も気になりました。
別のレイラインがあるかどうか、調べてみてください。
今日のお話のおさらいでとっても楽しかったです✨
ありがとうございます😊埼玉県、まだ捨てたものではいと改めて思いましたので、まともな政策する人を選ばないといけないと思いました。
2023年埼玉県知事選の投票率23.3%。結果、労組が支える大野知事が連勝しています。
茂木先生の動画も拝見しながら神社参りを深掘りするうち、昨年あたりから出雲系神社にハマるようになりました。いつも気付きを下さいましてありがとうございます!
煌々と水が湧く心静まる池が奥宮だったのではないか、とお聞きして。
独り占めしたくなるような美しい風景をお祀りし、皆で感謝して手を合わせる場に。オオナムチさんの御心はそういうことだったのかもしれないと、ふと感じました(*´ェ`*)
出雲系の神社さんは、大地と繋がっている感じがします。
2500年って凄い歴史ある神社ですね。😊
日本を取り戻す!
有難うございます。
出雲人が埼玉に→陸路? 日本海ルートでしょうか?いずれにせよかなり困難な道のり。余程の目的があった様に思います。古代より交易ルートがあり往き来していたのですね。
コメント失礼します😊私も、そこがとても気になっています!日本海→東北→陸路で下がるか、はたまた碓氷峠ルートか、、、
いつも楽しく拝見しています⛩大宮一帯はスサノオの出雲族が治めていたのでは…と、思っています。国譲りは…実は大宮辺りが舞台なのかも …🤭などと妄想してます。そうなると、諏訪との距離なども現実的だし🤔古事記への描き方など含め「スサノオ」様は興味深い神様です!!
一ノ宮は、元は瀬織津姫を祀った聖蹟桜丘の、小野神社だったと思います。そこはどうなのでしょうか?
社家の岩井家が、出雲族というか素戔嗚尊を信仰する方々です。
出雲は関東へ何派か時代を変えて来ているのでしょう。
その天津神社ははるか昔、松尾神社の所にあり、星を崇めていました。
だから、本地仏が聖観音菩薩なのかも。
水が湧いているのもあると思いますが、本殿下から縄文時代の住宅跡が出ています。
隣の歴史博物館にもあるように、旧石器時代から人類が住んでいる土地です。
明らかに、2500年以上の歴史を感じます。
門客人神社の社殿が、昔の稲田姫の社殿でした。
そうした意味なのでしょうね。
女体氷川神社との兼合いも気になる神社です。
ご紹介、ありがとうございます!
なるほど、そうでしたか!
星神⭐✨信仰だったのですね。ありがとうございます。アラハバキは女神だそうで、大宮女體神社の女神様と同じかも。星神様天津神社が松尾神社にあったとすると、茂木先生の秦氏の前には、初代神武天皇の1人の海村雲を祭っていたようです。村雲の父神の五十猛は正史では素戔嗚の息子で、出雲では父方の星神信仰の物部氏祖饒速日の息子で、母方は大国主の娘高照姫なので、出雲少名彦と祭られているのも納得です。遠い武蔵国で出雲と物部の融合があったようです。
星を崇めてたということでは、氷川神社群はオリオン座の形(三ツ星である氷川神社、中氷川神社、女體氷川神社を中心に、調神社や越谷の久伊豆神社などを含めたもの)って説がネットにありますがどうなんでしょう?
受験生のためにお参りをして、なんと!DSから御守りを!とお参りもされる。 気持ちのある、茂木先生だぁ!!😊
【アラハバキ】も
出雲の神さまだと思われます。
【ハハ】とは蛇のことで、
御神木に縄ヘビを巻いて
お祀りする習慣があり、
【荒ハバ木】と呼ばれるようになります。
出雲族のサイノカミの習慣で、
【荒神さん】もこれにあたります。
地域により少しづつ
表現の仕方が変わり、
別の神さまのように
言われますが、
同じ習慣から出ています。
大彦族が
東北へ移動した際、
広めたものが
アラハバキ信仰だと伝わっています。
この信仰に
縄文からの遮光器土偶が
ゆるキャラのマスコットのように
重なって、
【アラハバキ=遮光器土偶】
というイメージで、
【アラハバキ王国(安倍王国)】
となったと思われます。
ハバキの信仰は、
出雲王国領だった
西日本各地にも
沢山残っています。
サイノカミの信仰は
集落の辻にたち、
外からやって来る
良いものは受け入れ、
悪いものは遮るという性質を
持ちます。
【八衢彦・八衢姫】❇️❇️です。
外からやって来る
来訪神は歓迎されます。
山の神が春になって
田の神となって降りて来るのを
お迎えし、
秋に収穫が終わって、
田の神を山へお送りする祭り
奥能登のアエノコトなどが
有名ですが、
それも来訪神の一種であり、
サイノカミの本質です。
お正月にお迎えする
【歳神さま】も同じです。
【歳神(サイノカミ)】です。
【なまはげ】も歳神さまであり、
海の向こうからでも、
山からでも、
コンセプトは同じです。
【来訪神=お客様=門客人】
であって、
【客人(まろうど)の神】と言い、
たまにやって来る神さまで、
出雲の神さまを
お客さまとして迎えたと言う
神社の説明書きは
とても現代的な訳だと感じます。
本来の意味が
忘れられてしまったのかも
知れません。
来訪神は
毎年毎年お迎えしている
神々のことです。
呼び名や形式が色々ありますが、
アラハバキは元々、
出雲でもお祀りされています。
ですが、
縄文時代に渡来した出雲族は
北海道から東北地方を通り、
日本海側を降って行きながら、
縄文人との融合が
2000年かけて行われています。
同じ本質の祭祀を
行っていたと思われます。
出雲族の関東への移住は、
縄文時代から始まり
何度も何度も行われています。
大国主が登場するのは
渡来後、2000年経ってからです。
【手名椎・足名椎】と言う名の登場は
もっと後の時代、
正史が記される八世紀です。
ご祭神の名は
当然、後付けです。
ですが、
名のついている神々は
ほとんど新しい名です。
アラハバキも含め、
縄文時代の名では
ないと思います。
多分ね〜
もっとシンプルに
表現していたと想像します。
矢作先生の言われる
テレパシーのように。
そうは言っても、コンセプトは
ずっと変わってないです。
ご教示ありがとうございます。
@@maomao96363
茂木先生
出雲族は龍蛇信仰ですが、
縄文人も蛇信仰です。
【磐と水と蛇】の祀りは
出雲族が渡来する以前から、
ずっと続いているものであり、
そこに出雲もしっかり融合したと
思っています。
正史編纂により
神さまの再編成が起こり、
新たな秩序のもと、
国家が形成されてゆきますが、
出雲のサイノカミ信仰は、
民間信仰の中に
しっかりと根付いています。
私、一度mayumi様の出雲口伝解説書を読みたいです。知識の宝庫です。
@kosahi-m0135 さま
ありがとうございます♪
いつかまとめてみたい気は
しますね。(^^)
しかし
凄い時代になりましたね。
興味があれば
次々と情報を得られるって
底なし沼のようです。
学習の仕方が
【覚える】から
自分の中で整合性の出来るものを
【探し出す】という作業に
変わっていますね。
ベクトルの方法が
全く逆です。
これを勉強しなさい…
という学校の勉強が
嫌いだったので、
好きなものを追いかけることの
楽しさを味わっています。
コメントを書くことが
書く内容を探す
深い情報を確認する
頭の中を整理する
美しい日本語で表現する
という凄い作業となって
よりはっきりとした理解に繋がります。
特に日本語はほとんど
コメントでしか使う環境にないので、
スマホの登場は
人生を変えましたね。
風の時代とは
良く言ったものだと思います。
@mayumi3300 様
本格的に風の時代に突入したようです。いろいろと今年もあるかも知れませんが、良い時代が来ていると心のどこかに希望が湧いてきています。欲しい情報を自分で探しにいける、そこに習いに行かなくてもネットでも勉強できる。なんて有り難い時代だと思ってしまいます。
mayumi様のご著書が発売されるのを夢見て待ってます٩(♡ε♡ )۶
久々の神社巡り⛩️👏👏🙏
強力な出世の神様。昇給も株式投資もずいぶん助けられました。今は長野県に転居し、諏訪神社に詣でています。
見沼は巳沼ですね!
確かに!
蛇の池は「へびのいけ」ではなく、「じゃのいけ」です。
そうでしたか!ご教示ありがとうございます。
生まれも育ちもさいたま市民で、武蔵の国一宮として小学生のころから何度か訪れたことがありましたが、
見沼(三沼)と関係があったんですね
明治天皇が上京の際に、いの一番に行幸された場所が氷川神社ですね。
何かしら?大きな意味があったんでしょうね。
皆さんのコメントの知識の深さに関心しています 私は何故 出雲の斐伊川が氷川になるのかな?が気になって 氷の川ってどうしてついたのかばかり考えてしまった低レベルの私(笑)
先生のお薬の神に願ったことが叶いますよう👏👏 (*- -)(*_ _)
先生はご存知だと思いますが、宗像神社は千葉成田の印旛沼周りにも幾つかあるようです。昔は一帯が海で九州との交易があったのではないかと言われています。でも氷川神社内に鎮座しているのは不思議です。
古代の見沼は奥東京湾、印旛沼や霞ヶ浦は香取の海と呼ばれ、船で往来できました。
氷川神社の一の鳥居を参道側から見ると鳥居の中からモナリザが睨んでくるのはなんなんでしょう?
この前見沼を散歩していたら、⛩️に👁️の謎の置物があって驚きましたが、調べてみたら市民フォーラムが作った不法投棄防止の通称「鳥目ちゃん」という置物らしいですが、図らずも構図が似ているので気になってます。某秘密結社のシンボルとも…
出雲國簸川の漢字の神社は丸の内線茗荷谷と福井市にありますね。
少彦名命様にビルゲイツから我らをお守り下さいとお祈りする先生、笑ってしまいました🤣。
いや、冗談ではないシビアな内容のお祈りなのはわかったておりますが、
先生は真面目で真摯なのですが、どこか茶目っ気も効いている🤭
さりげなくビル・0イツをぶっ込む所 大好きです いつも勉強になります ありがとうございます
おー氷川神社
よく仕事でその前通ります
ここのお稲荷さんは、結界が物凄く強くて、なかなか奥に入っていけません。
先生も無意識に感じて入られなかったのかな?
氷川神社手前の池は、昔こいがたくさん泳いでいたのですが、汚くなってしまって、いなくなってしまったのが残念です。
結界なんですか❔💦💦
実は私も拒絶されました😅同じように感じられた方がいらして書き込んでしまいました。
後々考えてみたら 昔商売をしてた我が家は笠間稲荷様と豊川稲荷様を祀ってました。未だに守って頂いてるのか…
私ではないだろう❕と言わんばかりの…それはそれは怖い位のもの凄い拒絶でした。
お門違いでとても失礼だったのかな…と思いそれからは一礼して通り過ぎてます😅
仰る通り結界で気付く人だけに分かるんですかね❔一緒に行った友達は何も感じてませんでした。
ここに限らずお稲荷さんは、参拝客の念が強すぎて…苦手です😅
宗像神社⛩は祭られているのが女神様3神なんだけど社の造りは男系なんて、、、いろいろな事情があるんだロウね🤔🤔🤔🤔🤔‼️😊
『ヘビ』の『へ』は『ヒ』
『ヘビ』⇔『ヒミ』かな。どうだろ?
いつも神社の動画拝見して思うけどずーっと続いて今があるんですよね。しみじみ…
蛇繋がりですが、出身の岩国は白蛇の生息地で、
今年は白蛇神社が、お正月を過ぎても、ごった返しているようです🐍
氷川神社、水に「アラハバキ」神が溶け込んでおられるのですね(^人^)
氷川女體神社も武蔵国一宮、その間に中山神社(中氷川神社)
奥多摩の氷川渓谷近くに奥氷川神社、所沢にある中氷川神社 真直ぐではありませんが、その先に何かありますね。
昔からある神社は上社中社下社があり、氷川神社もその名残があるように感じます。
中氷川神社にはアラハバキ社があります。
個人的には、瀬織津姫も弁財天も市杵島姫命も同じ水を司る水神様。スサノオも自然を重んじる神様かなと。
武蔵国二宮も調べると色々深いものを感じますよ。
御朱印でお参りしてました。
埼玉と茨城の一ノ宮、デカッ!
江戸ができるまで関東は草原で何も無かったんじゃねえのかよ!
そんな感じでした。
江戸湾は確かに葦原でした。
天日鷲におわれて伊勢津彦が東国へ逃げました。これは東海地方がひとつのつながった地域だったことを示唆します。伊勢津彦は出雲族でした。
さらに四道将軍のオオビコとタケヌナカワワケが落ち合った場所があいづです(いまの会津ではないという)。地域を征圧したのでしょう。
景行天皇の東征があって、オオビコ(阿倍氏の祖)の子孫がイワカノムツカリ(料理人。膳氏のち高橋氏の祖)が饗応している。
ヤマトタケルの弟橘媛は、物部支族の穂積氏の娘であるとされています。このころには東国に中央豪族が土地に定着していることがうかがえます。
オオビコの子孫は東国を配下においていたようで、それが出雲族であった武蔵国造家であり、のち兵としてつかえた東国の大伴氏になったようです。
天孫のオオビコ、天神の物部氏、国津神の出雲族という大和豪族のヒエラルキーが東国にみられるわけです。
武蔵国造家からはヒコサチが応神天皇の征韓のときに活躍して、摂津の活田神社に祀られているなど、中央とのつながりが強いのがわかります。
彼らは代々氷川神社をまつり、荒川流域の古墳を造営した豪族で、行田稲荷山古墳から出土した鉄剣に雄略天皇の名が刻まれています。
しかし継体天皇の時代に武蔵国造の乱をおこしたことで、多摩川流域が屯倉として没収され、そこが開拓されて武蔵国の中心となったようです。
ご教示ありがとうございます。
茂木先生❗️門客人神社とアラハバキ信仰について取り上げていただき、本当にありがとうございます😭私が長く心寄せている神様です。縄文の民も、アラハバキ神も、まつろわぬ者として封じられてしまったのか、長い時間をかけて融和していったのか、とても気になる所です。明日は、朝早くから茂木先生のお話が聞けると思うとワクワク*\(^o^)/*楽しみにしています💕
長髄彦ですね。
出雲族はいつのタイミングで埼玉を開拓したのでしょうか?大和、吉備、北九州の連合国家の(邪馬台国)前か後か、、、気になります。
出雲の神様ならなぜ朱色を使うのでしょうか
武蔵国に来た出雲の人たちがヤマタノオロチ伝説を持ち込み、それが龍蛇から竜神となり、見沼の竜神伝説に繋がっていくのは、面白いですよね。
出雲の龍蛇神と、古志のオロチ伝説とは、別系統のような気がします。
オオミヤ=おお!なんと
ヒカワ=しゃっくり
ヒ=おい!(やぁ!)
カワ=ライン(線)
出雲ロ伝では垂仁大王から委任された出雲軍が豊国勢力を尾張から関東においやりそこに住みついたとしています。第2の出雲王国ともよばれています。
海路でしか移動が困難だった縄文海進の時代に出雲族が東京湾を奥に進み最初に上陸したのが氷川神社の神池の場所だった。日本武尊がソサノヲを祀ったのは自身がソサノヲの転生と倭媛から聞かされていたから。あるいはここを訪れた時点で尊は前世の記憶を本当に蘇えらせていたのかもしれない。生れ変わって自分を祀るとはナルシズムの骨頂なのではないかと思うが憎めない人物だ。
東京遷都に対して明治天皇は氷川神社への行幸を行っているんですよね。
埼玉というより【武蔵国】の意識を取り戻す機会かもしれません!
ビルゲイツw
笑い事じゃないですね。失礼しました。
かつては仏教と、どう習合していたのかも気になります。今のご神体も明治以降に改められているかもしれませんが、かつては○○明神だの、△△権現だの、□□大菩薩が祀られていたのかもしれません😊。
「氷川明神」と呼ばれていたようです。
(*^ー゚)b グッジョブ!!。イイネコキマロ
ビル・ゲイツ(笑)
受験生よやれ。 頑張れという言葉は何か客観的な感じがするんであまり好きではない。 Do it.
有機農法は聞きたいが九州のド田舎からでは無理でござる。 農業とは作物ではなく土を育てることからなのだ。 これなくしていい作物は育たない。 🤨