榎本武揚 後編 幕末明治激動の時代を生ききった男

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  • เผยแพร่เมื่อ 16 ก.ย. 2024

ความคิดเห็น • 10

  • @schrocat6246
    @schrocat6246 3 หลายเดือนก่อน +1

    要職は本人が望まないのに成ってしまうことがあります。皮肉なもので、これが大成したりします。榎本さんは真にこの例。
    この世から消されてもいい場面はたくさんありましたが、生き残り日本の為に生きたのは、天命だったのかもしれませんね。数々の要職に就きますが、固執しないで役割を済ませて終えるのも、天命ならではなのかもしれませんね。

  • @oneman1494
    @oneman1494 2 ปีที่แล้ว +9

    前後編の長編お疲れ様でした。
    特に後編は私も知らなかった事があったので
    とても勉強になりました。
    ありがとうございました。

  • @tee6movement615
    @tee6movement615 2 ปีที่แล้ว +2

    ぬるま湯に浸かった現代に熱湯を注ぐ時代
    イノベーションという言葉では表せないほどの激動の時代
    その極めた景色を見たかった反面、今を何とかしなければといった葛藤にかられる動画でした
    榎本武揚リスペクト

  • @goroujin9187
    @goroujin9187 2 ปีที่แล้ว +5

    詳しい解説で榎本武揚さんの偉大さ、そして周りの人々の心の大きさを知り、日本人として誇りに感じました。
    それから、他の人も触れていらっしゃいますが亡くなられた年が明治4年(1908年)となっていますが明治41年の記述間違いですね。

  • @subuya428
    @subuya428 2 ปีที่แล้ว +13

    黒田清隆は薩摩閥の長でありながら不祥事起こしまくったりして同じ薩摩閥からも煙たがられて最終的には周りから人がいなくなったけど、榎本武揚との付き合いは黒田の娘が榎本の長男と結婚したり、黒田が亡くなった時に榎本が葬儀委員長になったりと生涯続いた。

  • @村雨良-n6j
    @村雨良-n6j 2 ปีที่แล้ว +4

    榎本さん…働きすぎだよ‼️黒田さん推薦しすぎ❗

  • @naohkanda
    @naohkanda 2 ปีที่แล้ว +4

    榎本が明治4年に死去になってますよ。
    榎本と黒田はもっとスポットライトを当てて欲しいですね。世の中には

  • @松本悠佐
    @松本悠佐 2 ปีที่แล้ว +2

    子供の高校 大学の創設者でございます🙇

  • @kinomotiyo
    @kinomotiyo 2 ปีที่แล้ว

    榎本さんなんか?やることすべて中途半端