I actually have another thought about the Western arrangement. I think the original composer actually arranged it in atonal harmony. Therefore, it is unfair to judge it by functional harmony.
動画の 7:15 くらいから解説しているのですが、この曲のメロディは単純なペンタトニックではなく、壱越調という音階で書かれています。 壱越調には上行形と下行形があり、上行時は「D, E , G, A, C, D」というペンタトニックですが、下行時は「D, E , G, A, B, D」というペンタトニックになります。 つまり、2つのペンタトニックが組み合わさっているというわけですね。 「千代に八千代に」の部分では旋律が下行していますから、Bの音が登場しているということになります。
分析お疲れ様です。確かに西洋和製に当てはめようとすると矛盾だらけですね。新編版は笙のようにもモードのようにも聴こえます。解決感がないので、国家的には落ち着かないでしょうが😆。 ドビュッシーやラヴェルが編曲したらどんな和声をつけたか想像が膨らみますね。日本の音階がやけに新鮮に聴こえました。坂本龍一さんも千のナイフやTheEnd of Asiaで独特のハーモニー付けられてますね。
西洋風にしたかったけどメロディの制約で妥協させられたのではなく、エッケルトの考える日本のエスニックなアレンジがこれなんじゃないかと思います。
メロディが用意されていたとはいえそれ自体を西洋風に矯正する選択肢もあったわけですし。
結果的に日本人にとってもエキゾチックに聴こえて、奇妙ながら特別感のある曲に仕上がっていると思います。
色々な方から意見を頂いていますが、この点の解釈はかなり多様なようです。
個人的には、冒頭末尾の単旋律や繰り返される偽終止の苦しさから、狙ってやったというより妥協した部分が大きいと考えています。
ただ、結局エッケルトが何を考えていたのか本当の意味で知ることはできませんし、妥協した部分と狙った部分は混在していて一通りには言えないと思いますので、色んな解釈があるよねという月並みな結論に落ち着いておくのが1番いいかなと思っています。
音楽として特別感のある仕上がりになっている点については同意です。
僕もこの歌はとても色があって好きです。
一番最初の君が代はかなり西洋的なニュアンスだったみたいで、どうも明治の感覚だとしっくりこなかったそうです。
で、日本らしさの兼ね合いもあり、雅楽の経験者に再依頼をしたらしいです。
ですので、笙を主体とした雅楽の演奏で君が代を演奏するとバッチリはまるようなのです。
この辺の経緯は竹田恒泰氏が語っていて実演も含めた君が代の経緯の話をTH-camで解説している動画があったはずです。
昔、杉山こういちさんがテレビでエッケルト?のこのアレンジを目をまんまるにして絶賛してましたよ。理由は分からないけど私も理性を失うほどの愛着がある。楽譜、2箇所ほど音、違ってね?あんたの否定する和音進行、全部好きなんだけど。つまんない。この色合いが分からないんだね。
本当に間違いだらけ? 禁則がダメなら、マーラーの和声など禁則オンパレード。C-durの西洋音楽でCから始まらない、終わらない曲も多数。また、日本古来の曲はペンタトニックと言うが、ヨーロッパでもペンタトニックは古来大いに使っているはず。詳しくはないが、むしろ雅楽は十二音律用意されているのでは? さらに、国歌はすべて西洋音階で作るって本当? 俺も統計取ってないが、なぜ言い切れる? 君が代をクソ曲とか何だとか言うが、分析好きなあんた自身の日本語も分析してみたら?
君が代について、オリヴィエ・メシアンは「雅楽旋法による旋律にこの和音はあり得ない」と発言して独自の編曲を施したこともあるらしく、
1962年7月4日にNHK交響楽団により小澤征爾の指揮で演奏されたらしいです。
どんなオーケストレーションだったのか、興味があります。
なんとそんなことが!
メシアン版非常に聞いてみたいですね……音源が残存しているのか全く分かりませんが。
興味深い情報をありがとうございます。
メシアンに習いに行った日本人が自国の音楽を何故学ばないんだと言われたとか... 確かに、「主の降誕」に雅楽、「鳥のカタログ」に能の間を感じますね。
I actually have another thought about the Western arrangement. I think the original composer actually arranged it in atonal harmony. Therefore, it is unfair to judge it by functional harmony.
ミートソースのかかった蕎麦を今まで食わされてきたってわけか!なんてこった!
故すぎやまこういち先生は、はじめの2小節に和音をつけず3小節目から壮大になるところを絶賛し、「世界唯一の超名曲と自信を持って断言します」と言っていました。
理論的に間違いだらけでも人を惹きつける君が代はすごいですね。
有名な逸話ですよね。
結局のところ、西洋理論的には間違いだらけと分析せざるをえないものの、曲としては僕もかなり好きです。
その通りです。すぎやまさんは、いつもそれを口にしていました。西洋音楽の理論と違っていて当然です。このチャンネルさんのアレンジもなかなか素敵だと思います。
普段聞く君が代もそれなりに好きですが、D壱越調での編曲版はより厳かというか優美というか・・すごく新鮮で心に深く響き、つい何度もリピートしてしまいました!
言い方が違っているかも知れませんが、こうしてみるとベースはきちんと日本の古来の楽曲であることが再認識出来ますね。
年が明けて元日の0時キッカリから始まる伊勢神宮(外宮内宮両宮)の新年一発目のご祈祷では日本最高峰の雅楽による君が代の奏上を耳にすることができます。
新年が明けて0時から始まる1発目のご祈祷でしか経験することができないのと、伊勢神宮の外宮は5000円〜、内宮は1万5000円〜の祈祷料を収めるので難易度は高い(内宮で1万5000円未満の祈祷料を収めると別室へ案内されます)ですが、雅楽の伸びやかな音響と選りすぐりの精鋭部隊による雅楽を耳にしたい方はぜひ
元来、『君が代』は雅楽であり、それを無理やり西洋音楽に合わせたものと聞いたことがあります。
と思ったら動画内で詳しく説明されていましたね。
全く話はかわりますが、和の趣がある「ふるさと」も作曲者がクリスチャンだったらしいので西洋音楽らしさがあり、個人的には和洋折衷な雰囲気がします。
はじめまして、こんな面白くて勉強になるチャンネルがあったなんて👏
君が代を斉唱しているアーティストを見るたびにハラハラするのですが、やはり難しい曲なんだということが再確認できました
そう言っていただけて嬉しいです!
動画みていただきありがとうございます。
東京五輪の MISIA もわずかに外してたもんね。なんでプロがあんなに次々コケるんだろうと不思議だったが、西洋音楽じゃないから、なかなかうまく歌えないんだね。
子供の時、君が代はぐにゃぐにゃで支離滅裂な感じがして嫌いだった
脳みそが想定する次の音に全く馴染まない、不自然さが気持ち悪かった
なのに、今は普通に好き
慣れって凄い
四小節目のII7(Dm7)の和音についでですが、アルトパートのファは♯があるように聞こえるんですけど、気のせいでしょうか?
コメントありがとうございます!
この楽譜は僕が耳コピしたものなのですが、今調べて見たところ、どうやらご指摘の点には#がつくのが正しいようです。
ご指摘ありがとうございます!
和声的には些細な違いですので、動画全体の趣旨には特に影響はないはずですが、勉強になりました。
@@toydora_music いえいえこちらこそコメントに対応してくださってありがとうございました😭安心しました!
おもしろかったです
前半は「ケチつけたいだけじゃないのか」って思ってたけど、最後まで見て納得しました。私としては聞きなれてる君が代の方が良く聞こえちゃったんですけど、何度も聞くうちにもしかしたら新バージョンの方がしっくりくるのかも。
動画内ではちょっと批判しすぎた気もしますが、実は「君が代」という曲自体は非常に好きなんです。
ちゃんと最後まで見ていただいてありがとうございます!
現行版のほうがよく聞こえた、というのは真っ当なご意見でして、実は日本和声で書かれた曲は「起伏に欠ける」という弱点があります。
(まあ、日本音楽はそもそも西洋的な起伏とは無縁なのだ、とも言えるのですが)
しかも、今我々が聞いている音楽のほぼすべては西洋音楽に由来していますから、日本和声が耳慣れないのは当然です。
普段から日本音楽ばかり聴いていたら、逆に西洋音楽のほうを耳慣れない変な音楽と思うかもしれませんね。
『君が代をリハモする』ってだけでもう面白いのに
タメにもなる素晴らしい動画
解説がわかりやすく、めちゃめちゃ面白かったです!!いいね連打したくなりました(笑)日本風の和音は荘厳な感じで、元の君が代の少し物悲しい感じとは違い、元々表現したかった世界観は、木と山々などの雄大な自然のような曲なのかなと想像してしまいました。(もののけ姫のあしたかせっきが流れるシーンが頭に浮かびました)
とてもうれしいコメント、ありがとうございます!
確かに、日本和声版の「君が代」はよりアニミズム的というか、雄大な自然を感じる風合いがありますね。
アシタカせっ記の雰囲気、分かります。
訂正版を最初聞いたときイマイチで普通の方がいいってなるけど、普通の方を聞いてからもう一回聞くと痺れるくらい良く感じるの不思議すぎる。
音楽素人ですが、冒頭と最後に和音が付いてないから曲全体に躍動感が感じられるんだと分かりました。和音が始まるところで厳かな気分になります。
個人的には、「やーちーよーに」の部分の和音が大好きです。
確かにそうですね!
一応エッケルト本人も「冒頭と最後の単旋律は、民謡的な音楽性を意識した」というようなことを言っていたようです。
結果的にメリハリがついて荘厳になっていると思います。
現行のエッケルト版は、理論的に和音進行が西洋の音楽理論上は間違っていたり、また日本和声からも外れているにしても、むしろ、だからこそ、より日本的なものを大事にした作りになり、また日本和声にはない起伏のある印象深いものになったと言えるようです。理論と比べるのはいいのですが、様々な作りが可能で、その人ごとの感性を信じて破格なことをすることで新味のある面白いものができたのだと思います。
たしかにおっしゃる通りですね。
西洋音楽しか知らなかったであろうエッケルトが、それでも日本的な音楽を目指した結果として西洋音楽から逸脱したのだとしたら、かなり有意義な音楽かもしれません。
動画の中では苦し紛れに作った結果こうなったと言っちゃってますが、意図的なものだとしたら面白い発想だと思います。
音楽理論には全く明るくないのですが、こちらの動画、凄く面白かったです。
君が代のメロディが雅楽から来ているとは聞いた事がありますが、アレンジ的には雅楽を無理やり西洋式に纏めた中途半端なものという事実に納得しました。それ程急いで国歌を作らなければいけなかったのですね。
そう考えるとブルガリアンボイスではなぜあんなにハマったのか不思議です。
楽しんでいただけて良かったです!
ご指摘のとおり、君が代の原曲は雅楽の形式で作られています。
いきなり雅楽を渡されてアレンジを頼まれたエッケルト側も驚いたでしょうね。
ブルガリアンボイスによるアレンジは大変近現代的なものに仕上がっていて自由でしたが、国家となると西洋クラシック的な枠組みにカッチリ当てはめて仕上げる必要があり、好き勝手しづらかったのが大きいと思います。
とても興味深く見させていただきました。以前から「君が代」って、他の国家に比べても、さらには他の様々な曲に比べても独特で不思議な曲だなと思っていましたが、同時に何か唯一無二の存在感がある好きな曲でした。自分は音楽の専門的なことは知識不足なのですが、こういう分析は初めて聞きましたのでとても勉強になりました。雅楽の土台に西洋風のアレンジを取り入れることでかなり無理な作りになっているのでしょうけど、それが意図したことかどうかは別として傑作が作られることになったのかなという気がしました。音楽って理論と感性、そして何か見えない力までもが働いているような不思議な感じがしました。これから「君が代」を聴く時の聴き方が変わりそうです。ありがとうございました。
とても嬉しく芯を捉えたコメントありがとうございます!
>理性と感性、そして見えない力
とても言い得て妙ですね。
紆余曲折を経て唯一無二の国家になった「君が代」をまさに表していると思います。
最後のやつめちゃくちゃ好き!
君が代の楽譜を見て、「何だこの曲は? 音楽理論の規則を何一つ守れてないじゃないか!」 という疑問が晴れました笑
進行指摘してるところ無茶苦茶楽しそう
素晴しい!!絶対にこの旋律!!
鳥肌ものです!!最高です!!
間違いないです!!
編曲聴きましたが、冒頭と終わりに和音が付き全体としてもエッケルト版より東洋的な響きになってますね。
いい感じだなとは思うのですが、心地よいだけでそれ以上に心の奥に響いてくるものはありません。
エッケルト版の冒頭と終わりに和音が無いのは、確かにエッケルトが付けるべき和音を思いつけなかったのかもしれませんが、
和音が付かなかった事でより音楽に深みが出ています。
すぎやまこういちさんも言っていますが、冒頭のユニゾン→Cの和音へ移行する際の感動は比類の無いものであり、
最後の盛り上がりからまたユニゾンになり終息していく進行もまた非常に感動的です。
レで始まりレで終わる、単純にCでもDでも無い所が暗喩的です。
この世界の理(レ音)によりしめやかにユニゾンで命の始まりが奏でられる。
音楽に和音が付き命は輝き盛り上がり、理のレ音は1オクターブ上の頂点まで上り詰める。
頂点に達した命は死という理へ向かわなければならない。
再びユニゾンでしめやかにオクターブ下の理のレ音へ到達し命が終わる。
ここでポイントなのがCでもDでも無い事。
音楽が「終わった」感が無い。つまりまた冒頭へ戻る事を示唆する。
つまり、輪廻転生を表現した音楽とも解釈する事が出来る。
そう考えると、エッケルトが冒頭と終わりに和音を付与できなかったのは、これは必然的な事だったと考える事も出来る。
エッケルト版が音楽理論的に破綻していようが、実際に聴こえてくる音楽は非常に哲学的であり、示唆的であり感動的です。
あなたの編曲はそれっぽく心地よく響いていますが、それ以上に何が感じられるのでしょうか。
芸術家を自称するのであれば、理論の奴隷にならず、理論を超えた、人の魂の奥底に響くものを一番大切にしたいものです。
ゴッホの絵画をアカデミックな絵画理論で批判する事が出来る人がいるのでしょうか。
素晴らしいご指摘ありがとうございます。
エッケルトが冒頭をユニゾンにした理由の一説について、この動画を上げた後で有識者から教えていただきました。
日本音楽の本質に迫るためにユニゾンにし、冒頭回帰の形式を作るという意図は確かにあったようですね。
しかも、実際にそのように響いていると思います。
純粋に知らない知識でしたので、勉強になりました。
一方で、だからといって「思いつかなかったからユニゾンにした」という側面が全くなかったか?と問われれば、それはエッケルトにしかわからない(解き明かしてもしょうがない)とも思います。
同様の指摘を芥川也寸志もしていますので、全くのでたらめを言っているわけではありません。
2つ誤解を解かせてください。
第一に、僕は「君が代」が大好きです。
すぎやまこういち先生が「君が代」を絶賛する動画も先ほど見ましたが、共感し感動しました。
好きだからこそその音楽的な齟齬を指摘する僕に対し、すぎやま先生はすべてを包容した上で絶賛されていましたね。
結論は真逆ですが、立っている視座は同じだと思いました。
第二に、僕は理論の奴隷では全くありません。
動画内で示した編曲は、「正しく編曲した」とかセンセーショナルな言葉遣いをしてしまったことは認めますが、単に小山清茂の和声法に従って書いただけのものです。
僕の本命の「君が代」編曲は別にあります。
もしよければ、こちらの「君が代」をお聞きください。
th-cam.com/video/ug-0Cf7Pu38/w-d-xo.html
これは僕がアレンジしたもので、日本和声をベースとしながら拡張させた全く新しい和声で書かれています。
自分の主たる研究領域は、禁じられた悪魔の旋法「ロクリア旋法」でして、この「君が代」にもロクリア旋法和声の手法を導入しています。
理論を破るために理論を学ぶ、という心構えを忘れたことはありません。
もしお聞きいただけましたら、率直なご意見を頂けると嬉しいです。
サムネが「間違いだらけ」ってインパクト強めの再生数稼ぎ狙ったタイトルなのと、主さんの語尾強めの口調のせいで「こんなテキトーな和声で満足してるお前らに音楽理論を知ってる俺様が直してやった『正しい』君が代を聴かしてやんよ」ってドヤ感が出ちゃってるので反発する人もいるのかな〜って思った。
あくまで間違ってるのは「非西洋音楽での機能和声の使い方」なんだけど「今までの君が代の和声に感動してるお前の感性」が間違ってるって言われてるみたいに受け取るのも分からないでもないw
あ、私は最初と最後のユニゾンがグレゴリオ聖歌みたいな宗教的なものを想起させるので好きです。
中間部での禁足破りまくりとは言っても機能和声の推進力は感動を生みますしね。それに慣れすぎて新バージョンは落ち着きすぎるように聴こえるのは西洋音楽に汚染されてるとも言えますが。慣れとは怖いものです。
ちょっとインパクト狙いすぎたな、という反省は正直あります……。
実際僕としても、"間違ってる"と言えるのは西洋和声的に分析した場合だけの話だというつもりで話してるので、汲み取っていただけて嬉しいです。
禁則の破り方は実際上手だなと思います。
それこそドビュッシーっぽいというか、オリエンタリズムの範疇に収まる感じで破ってますよね。
日本和声バージョンはいい意味でも悪い意味でも日本的なので、起承転結感には欠ける印象があります。
緊張vs.解決を軸とする西洋音楽に僕らは慣れ親しんでるわけですので、慣れって怖いなとは思いつつ、純粋に編曲として上手いなと思います。
義務教育課程で用いられる教科書ですら(そして国語や理解だけでなく、本来なら厳密性が重視されるはずの数学でさえも)、正確な表現よりも、わかりやすさとか興味の持ち易さのほうに重点を置いて編纂されているわけですから、
多少は「狙った」としても許容範囲内ではないのでしょうか。少なくとも私はそう思います。
そもそも言論は自由ですし、反論や批判があって初めて議論は深まり相互理解も深まるわけですから。
戦争するより言論するほうが(考えるまでもないことですが)よっぽどマシです。
対立するなら武力よりも言論で(それがすべて正しい、とも言いませんが←時にはカミナリオヤジのゲンコツも必要だと思いますし)。
横から割り込んでつらつらと失礼いたしました。
言論は自由、ということでお赦しを(我田引水すみません)。
@@makotmakeit.1695 そう言っていただけると救われる思いです。
どうもありがとうございます。
もしかしたら既出かも知れないですが、君が代には没になったバージョンがありました。そちらは明治3年、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントンの作曲です。
しかし、これは、日本人の感性にあわないという意見が日本の海軍軍楽隊からでて、明治13年に今の曲が宮内省で試演されます(作曲者には諸説あります)。
このメロディが海軍省の音楽教師であったエッケルトの編曲を経て、明治21年に海軍省から国家として公式に各国に通知されました。と、いうわけで、作編曲の
時間はそれなりにかかっているわけです。
フェントンさんの君が代を押し退けた君が代ですから、エッケルトさんの無茶は今も実を結び続けている訳ですねぇ
エッケルトさんは帝国時代の韓国国歌も書かれているそうです
最後の編曲した「君が代」カッコイイですね。重量感がましますね。
内容も面白かった!
嬉しいお言葉ありがとうございます!
理論とか分からない素人だけど、単純に君が代は良い曲だと思う
なんかあまり聞かない音程が刺さるんですよね。それも動画で言ってたように理論を無視しているからなんだと思いますが。
アレンジ版は日本っぽさもありますが、中国や韓国っぽさを感じるなと思いました。個人的に盛り上がる部分が散ってしまってる感じがするので、悪くは無いのですがやはり原曲の方が好みですねぇ。
ならば貴方はおそらく西洋音楽やクラシックが肌に合うんでしょうね。アレンジ版の方がよほど日本的です。
面白かったです‼️ありがとうございます🙏‼️
そもそも日本自体変な国だから、似合ってると思う
あと最近君が代にハマりすぎてSpotifyでわざわざ聴くぐらい好きになってしまった
陽旋法でもドリアンでもなく
テトラコルドが二つ重なっていると
事実、日本古来の音階はオクターヴをまたぐと構成音が異なることもあり、いわゆる1オクターヴ内に収まるスケールとは言い難い側面があるようです。
ですから、おっしゃる通りテトラコルドの組み合わせと考えるのがベターだと考えます。
「君が代」の中で1か所だけ生じるB音(「千代に八 "千" 代に」のところ)もそれで説明がつきますね。
今思うと近代化(西洋かぶれ)が著しい時代だったが故の「力技」だと感じますw。
残念だけど当時の状況では仕方なかったのかな。旋律だけ「和」のままで伴奏は「西洋」なんて、とても無理があるように感じます。
伴奏なしで旋律だけを合唱の方が良かったのかも(伴奏を付けるとしたら和楽器で)。
それから最後のカデンツァw?、終止形を用いないところが余韻があって(終わらないでこれからも続いて行く感じがする)私は好きです。
まさしく、当時の時代背景と奇跡的に噛み合ってこうなったんだと思います。
日本古典音楽を貫くでもなく、完全に西洋化するでもなく、絶妙ですよね。
海上自衛隊の音楽隊の定番曲「軍艦行進曲」のトリオにねじ込まれた「海ゆかば」部分の異様さも、是非解説して欲しいです。それ以外の部分が完全に西洋音楽のマーチの文法で書かれているのに、海ゆかばだけ日本音楽なので、見事なキメラ音楽に仕上がっております…
これはいい例ですねww
だいぶ頑張った感が出ていて笑ってしまいました。
全体に和音をつけると平板に感じます。
単旋律で始まって単旋律で終わるほうが清冽な印象を受けます。
日本の美意識には合っているかと。
例えば、簡素な伊勢神宮。古今和歌集。鶴下絵三十六歌仙和歌巻。何もないところから始まって、ふたたびまっさらに戻る茶事、能。円相。十牛図。天から一筋射す光のような笙ではじまり、箏と琵琶の一音で終わる雅楽とか。
石庭とベルサイユ宮殿の庭が違うように、音楽も違う。
どちらも素晴らしいですが、違いはある。
さらに同じ日本の音楽でも雅楽と声明、能、歌舞伎、民謡etc.それぞれ違い、偶々の一つのものさしで評価するには向かない。
何より音楽は生き物。自分でも魅力を感じているものを、他人の既成の物差しで測って「間違い、クソ」と呼ぶのは、理論の使い方が不適切ではないでしょうか。
餅をケーキ屋に頼んじゃったんですね。
雅楽家に依頼すれば良かったのに。
君が代のメロディーは素敵です。そもそも西洋音楽ではないというだけですね。興味深い解説をありがとうございました。ちなみに、雅楽で演奏される君が代を聴くと、その素晴らしさがさらによく感じられます。
雅楽版の君が代とても素敵ですよね!
自分も君が代の日本情緒溢れる旋律はとても好きです。
端的にまとめられていて、勉強になりました!
こうやってピアノの音色で聞くと、サティの「サラバンド」や「天国の英雄的な門への前奏曲」みたいになりますね(旋法的なメロディ+コラール的な和声付け)
楽典も小山先生の理論も修められているのは尊敬の限りです。
これからも応援しています。
追伸:醤牛腱、とてもお気に入りの曲です(別名義なので、ご迷惑かもですが)
応援いただきありがとうございます!
しかも僕の配信曲まで聞いていただいたとは!
なんと「醤牛腱」、実は小山先生の日本和声を用いて書いたジャズ曲なんですww
気に入っていただけて非常にうれしく思います。
エッケルトさんの方が変化に富むように聞こえる。チャンネル主さんのは、平面的で、変化が少なくもの足りない。
別の動画で日本和声を紹介している動画はおもしろかったです。
雅楽等平安〜室町までに成立した古譜をDTMで再現してると、和声がついたらおもしろいと思うものがある。高麗曲とか林邑八楽はそんな曲。
変化が足りないというご指摘はその通りですね。
言い方を変えれば、西洋音楽は変化や起伏をつけるのに向いている、ということだと思います。
良い曲だねえ。改めて聴くと、冒頭のメロディから和音が付く所と、最後スッと和音が消える所がメッチャ格好いい!ハズ、ハズ、ハズとクラシックの教科書通りに編曲されなくて良かった。
当の西洋音楽だって、本家からみれば異様な「ロマ風」「スラブ風」「アラビア風」「アジア風」「アフリカ風」音楽が名曲になってますし、
冒頭・末尾の和音未設定の意図はさておいて、そういった「ちょっとルールから外れたごった煮感」が人の心を動かすこともあるんだろうなと思いました。
>「ちょっとルールから外れたごった煮感」が人の心を動かすこともある
これはその通りだと思います。
実は僕も「君が代」は好きなのですが、西洋風の壮大さの中に日本音楽の雰囲気が香るのがたまらないですよね。
仮に曲解によるものだとしても、それによって新しい響きが生まれうるのは音楽の面白さだと思います。
はじめまして。
君が代の「壱越調+機能和声」の問題は、私は山下邦彦さんの「楕円とガイコツ」で知りました。
こうして音と動画で説明されてるととても分かりやすいですね。
雅楽の理論によるハーモナイズ版は、これが本来の形なんだろうなと思わせる納得感がありました。
山下さんが本の中で、君が代を新しくハーモナイズしよう的な提案をされていたので私もちょっと考えたことがあります。
雅楽の理論は全然知らないので、モードでハーモナイズすればいいかなと考えました。
壱越調に欠けてる3度を、短3度か長3度で補うとそれぞれ「ドリアン」「ミクソリディアン」になるのでそれでやっちゃえばいいかなと。
ここからは宣伝みたいで申し訳ないのですが、これを試した曲をyoutubeに上げています。
島崎藤村の「千曲川旅情の歌」に壱越調で曲を付けて、このやりかたでハーモナイズしました。
「千曲川旅情の歌」は2部構成になってるので、パート1をドリアン、パート2をミクソリディアンにしました。
ところで、機能和声の時代になってもクラシックで教会旋法は普通に使われてるので、なぜエッケルトがこのアプローチにしなかったのか不思議です。
想像ですが、少々ちぐはぐではあってもいかにも西洋クラシックって感じの今のアレンジが、西洋に追いつくぞーって燃えてた当時の日本人のニーズに合致したのかなと思います。
コメントありがとうございます!
厳密には小山による日本和声は雅楽の理論ではない(民謡の収集・分析をもとに組み立てられた理論)のですが、雅楽をはじめとした日本音楽に適合するので納得感がありますよね。
ドリアンとミクソリディアンでハーモナイズするという方法、非常に論理的ですね!
曲をお聞きしましたが、十分成立しそうに感じました。
僕もこちら↓で「君が代」をリハモしているのですが、実はDミクソリディアンで和声付けを施しています(少々普通のモード理論とは違うのですが)。
th-cam.com/video/ug-0Cf7Pu38/w-d-xo.html
エッケルトが教会旋法にアプローチしなかったのは不思議ですね。
かなり保守的な作風の作曲家だったようですから、あくまで手堅くということだったのかもしれません。
日本人のニーズに合致したという考察も面白いですね。
ってゆうか、今思いついたのですが、エッケルトのアレンジってDドリアン解釈じゃないんですかね。
ドミナント進行外してるとか弱進行とかモードなら普通っていうか、(Cメジャーの)ドミナント進行なんかむしろやっちゃいけないので。
@@papuatube8633 そういう解釈があるという話は、この動画を上げた後で伺いました。
正直、旋法和声については完全にマスターしているわけではないので自信を持って言えないのですが、エッケルト版がDドリアンの旋法和声で書かれているとしても、部分的なものに過ぎないんじゃないでしょうか。
6小節目とかは明らかにDに解決していますが、それ以外の3小節目や8小節目などではCメジャーコードがかなり明確な解決感を持って演奏されていますし……
……と書いていて気づいたのですが、確かにこの曲「V→I」というドミナント進行が一度も出てきていないですね!
ということは、エッケルトとしては旋法で書いたつもりなのか?という気が僕もしてきました。
非常に面白い示唆をありがとうございます。
改めて考えを深めてみます。
10:50
完全にお正月ですねww
国民がお正月気分になって働かなくなってしまうので却下!
最後のアレンジ演奏が始まったとたん、朝焼けの空にシルエットで浮かび上がる山とその前を流れる雲の情景が見えました!音楽って面白いですね♪動画にしてくださりありがとうございます。
おお、とても情感溢れるご講評嬉しく思います!
動画見ていただきこちらこそ嬉しい限りです!
作られた当時に日本の旋律で作らせようとしたのがすごいなぁと思った。
世界中にはその地域独特の旋法とか和声法とかあるのに国歌を聞いても全部西洋音楽になってしまうのはこれからの時代考えられてもいいかもしれないとおもった。
本当にそうですよね。
一時期色んな国の国歌を聴き比べてみたんですが、全部西洋音楽なのはさすがにどうかと思いました。
その点君が代はかなり雰囲気が違って、唯一の存在だと思います。
それでも西洋音楽化はされているのですが……。
大学の講義(一般理系大学での音楽論てきなもの。音大ではありません)での君が代分析で、CメジャーではなくDドリアだと習いました。
そうなんですね……。
Dドリアと解釈できる部分も部分的にありますが、「CメジャーではなくDドリア」と教わったのだとすると結構明確に間違いだと思います。
というのも、Dドリアで曲全体を眺めた時に無理があるコード進行が多いからです。
そもそも、動画内でも触れましたが、Dドリアであれば書かせないFの音がメロディに存在しない時点でかなり苦しいのです。
冒頭の和音が無いのは、音頭取り役のソロでワンフレーズ始まり、それから皆も加わっていく雅楽の手法の踏襲と聞いたこともあるんですが、どうなんでしょう?
エッケルト本人は、単旋律は日本音楽に対する敬意だと語っていたようなので、そういう側面もあるとは思います。
和声が思いつかなかったという側面も同時にあると個人的には考えていますが、実際のところは分かりませんね。
とても為になる内容でした😊車田和寿さんというオペラ歌手の方の動画と合わせて観ると、より理解が深まります。
『君が代』は母音の美しさにあると思います。
面白い! コード進行など理解が及ばなかったのですが、新しいアレンジがカッコよかった!
そう言っていただけて嬉しいです!
いやいやいや
古謡風の単旋律から「千代に」でCコードがボ~ンと鳴るのがカッコエエんやないか
それも正直分かりますww
吹奏楽で演奏して初めて最初と最後の和音が存在しないことの違和感に気づきましたが、この動画を見てものすごくスッキリしました
前にドリアンスケールで和声つけたらケルト民謡かスカボローフェアみたいになったんですよ。
それはそれで気になる編曲ですねww
明治政府が従来の日本の音楽ではなく、西洋音楽による音楽教育を進めたので、その中で今の編曲は広く受け入れられ、世界にも認められたと思います。
今なら日本音階の和声による編曲に変えていくことも良いのではないかと思います。
世界でも珍しい民族音階による国歌ですので。
この曲は西洋音楽的にはレ主音のドリア旋法と考えるとニ短調として和音解析するのが良いと思います。3、4小節目で突然ハ長調になるので逆に変です。
始めと終わりの2小節がユニゾンになっているのは、その部分がエッケルトにはドリア旋法のグレゴリオ聖歌に聞こえたからではないでしょうか。グレゴリオ聖歌は無伴奏ユニゾンが正式なのでそういう風にしたと思います。
エッケルトは全体を、グレゴリオ聖歌ーコラールーグレゴリオ聖歌の形で組んだと思います。
いろんな国の国歌が演奏される中で聞くと特別感と重みがあって私は良いと思っています。
コメントありがとうございます。
ドリア旋法で考える方法もあるみたいですね。
ただ、ドリア旋法だとするとメロディの中に必須の第三音(F音)が含まれず、ドリア旋法なのかミクソリディア旋法なのか確定しないので、それはそれで一長一短な解釈だと思っています。
冒頭と終わりのユニゾンは、エッケルト自身が「単旋律の民族音楽に経緯を評した」と語っているようです。
個人的には、そうは言いつつ和声づけが不可能だったという事情もあったのでは?と勘ぐってしまうわけですが、どちらにせよ単旋律の雰囲気はよく出ていて効果的だと感じます。
結果として、僕は「君が代」は世界の国歌の中でもかなり独特なので実は好きです。
西洋音楽での類似でみると教会旋律のD-ドリアンですよね。かつ第3音が無い空虚'6音'構成。'レ'で終止するドリアン系の曲は教会音楽以外にもグリーンスリーブスとかスカボローフェアなどケルト民謡があり別段変じゃない。君が代は第3音を排しているのでメジャーでもマイナーでも無いけど、途中伴奏にDmを持って来るのは何の問題も無い。ただ最後をメジャー/マイナーで纏められると、第3音を抜いてある基本をぶち壊す事になる。最後の音にだけsus4とか+9,+11の和音を付けても良いかも知れませんが、途中はクラシック系の和音が表情豊かで聞きやすい。エッケルトの編曲の素晴らしさを再認識しました。
武士道の国ならではですね
レに始まりレに終わる
なるほどwwww
楽しく拝見しました!
とても参考になります、、、
これからもお願いします
和音を付けないのは雅楽の手法です
主管が先にメロディを吹いて、次の節から全員が吹きます
面白かったです。主旋律は雅音由来でピタゴラス音律的ですが、エッケルトが使っていた楽器の音律は、おそらくキリスト教の賛美歌などに適した音律だった可能性が高いので、12等分平均律の響きとはまた少し違う響きを聞いていただろうと思います。
君が世は明治36年にドイツで行われた世界国歌コンクールで一等賞を受けているね。当時の西洋人はどういう評価でこれを一等賞に選んだのか。いかにも東洋らしいと思ったのかな。確かオクターブで始まりオクターブで終わる点についても、いかにも日本らしいという意味のことを言っていたと思う。
世界国歌コンクールの話はネット上でよく話されているのですが、前に調べてみたときに出典が怪しく割と疑った方がいいということがわかりました。
詳しく調べきってないのですが、ぜひソースを探してみることをオススメします!
おそらくだけど、最初と最後を和音にしなかったのはお経を読むときの雰囲気に似ているからというのがあるのかもと昔から思ってた。はじめの一文を独唱、二文目から和唱、最後独唱で締める。
東京都出身の40代です。
小学校、中学校、高校と公立学校出身だったためか、君が代を音楽の授業や式典で斉唱した経験が一度もありませんでした。
理由は教職員組合が頑なに君が代を児童、生徒から遠ざけていたからだと思います。
国旗掲揚も見たことがありませんでした。
一浪して大学に入学し、体育会系部活動に入部したことで競技大会で君が代を歌う機会があり、少しずつ歌えるようになりましたが、何て変な歌なんだろうとモヤモヤしていました。
社会人になり、ある外国人から君が代は素晴らしいし日本にはあんな国歌があって羨ましいと言われ、それ以来君が代が嫌いではなくなりました。
今日この動画を見て、モヤモヤがなくなりました。
日本音楽をむりくり西洋音楽にあてはめたのがこんな変な音楽になった原因なのですね。
日本音楽を外国人には理解できなかったのでしょう。
日本人として生まれてよかったです。
キーを変更してみると、君が代って不思議な和声だなあと感じることがある、違和感を知れてよかった
明治の時代は西欧諸国の脅威に対抗するため、芸術から科学技術まであらゆる物を吸収しようとした時代。その意図を上手く酌んだ編曲だと思います。そして未だに日本人は、この曲のように西欧文化と日本文化の和洋折衷をバランス良く巧みに利用しています。個人的には、他国のマーチ系国家の中での本曲は、より味わいのある物だと思います。楽曲製作上に用いる物や理論の正当性は、作品の精度を上げる効果はありますが、価値ある作品になるかどうかは、また別の問題かと。最初と最後のユニゾンもハーモニーとの対比と考えれば、それなりに意味が出て来るものです。
>他国のマーチ系国家の中での本曲は、より味わいのある物
このご意見には本当に同意見です。
結果的にこの国歌は価値のある歌になっていると思いますので、価値を貶めるつもりはないことを弁明させてください。
ただ、日本伝統音楽の観点から見たときに整合性に欠くのは事実で、その部分は文化的な面白さであると同時に、おっしゃる通り日本が和洋折衷せざるを得なかった歴史を表すものだとも思います。
高校吹奏楽で君が代、コントラバスを弾いていましたが、他の曲と違って全く「いつもどおりやれば」感がなかったのを覚えています。
全暗記せざるを得なかった理由がわかりました
見た後です。おお〜。Dイチコツの和声の例があるんですね。エッケルト作と、これをもとにもっとマシなアレンジ可能ですね。ありがとうございました。
こちらこそ、動画みて頂きありがとうございます!
非常に興味深い内容でした、面白かったです
大変ためになりました、面白いです。
そう言っていただけて嬉しいです!
この曲日本っぽい感じするのにクラシックっぽさもあるなぁって思ってたら、日本音楽と西洋音楽が混ざってたんですねぇ
小山清茂・中西覚. 日本和声 絶版で古書買おうとするとすげー高いんだけど買おうかな、と思っていたのですが、なんとなく、わかりました。ありがとう!
ですよね、めちゃくちゃ高いですよね!
実は小山清茂の日本和声はそんなに難しい内容ではなく、いずれ理論解説動画で紹介しようかな?と考えています。
ご期待ください。
『日本和声』は、ほぼ同じ内容の本が、『日本の音階と和声』という題名で楽譜出版社マザーアース(株)から出ています。出版社に頼めば通販もしてくれるので、興味があるならこの題名を検索してください。出版社のサイトが見つかりますよ。
いつも君が代を聞くたびに、これで終わって良いの?ってモヤモヤしてたのが解決しました
日本の研究家の成果が国歌に反映される日が来ることを願います
違う版だと苔のむすまでの後に続く歌詞があるからでしょうねえ
1:30 ここは流石にⅡ7ではなく、ドッペルドミナントのD7だったと思います...
君が代には様々な編曲がありますが、どの音源を聴いてもDm7には聞こえませんでした。
ご指摘の通りですね。
楽譜が手元になかったため耳コピしたのですが、間違えてしまったようです。
コメント欄に追記します。
冒頭だけでもモノフォニーなのがいいんじゃん!
和音がない部分がカッコイイんだけどなぁ
西洋式の音楽理論でいけば、クソ音楽かもしれませんが、日本の音楽性を重視しつつ、西洋的な和音を途中に組み込んだ日本らしい素晴らしい国歌だと思います。
クソとか言ってしまったのはやや口が悪すぎたと思います。
実は僕自身「君が代」はかなり好きな歌なので、同意見です。
自分も同じく思います🎉
どんな表現をしても自由ですが、自由に表現した責任は必ず問われますよね。
日本に於いても今日、汚い言葉を使うことが自然なことになってしまったのは残念なことだと思います。
@@toydora_music
全くもってその通りだよな。エッケルトを馬鹿にしているように聞こえる。
大変な苦労をして仕立て上げたことは容易に想像がつく立場にいながら、全くよろしくない。ちょっとどころか相当口が悪いといえよう。
@@toydora_music御自分の品性が問われるという事を認識していない事に、呆れます。
私は音楽理論はさっぱりわかりませんが、「裏声で歌へ君が代」という小説を読んで知ったのですが、歌詞の「千代にぃ~」のところが裏声になるのは如何なものか、という意見がありました。「千代にぃ~」のところはどう編曲しても裏声になるのでしょうか??
君が代は、リオ五輪閉会式のときの和声が好き。
あれが最高だと思う。
小山ルールでのアレンジは綺麗にまとまるけど、スパイスの入ってないカレーというか民族色が薄くて味気ない印象
小学校の運動会のために初めて国歌を習ったときに、最後尻切れトンボにしゅーんと収束して?????となったこと、
出だしの唐突な始まりの違和感と、その後中途半端なところでいきなり盛り上がって曲が始まるような違和感、思い出しました。
6歳のあの時にアレレと感じたのに、そんなもんかと慣れっこになってました。
歯を治療して当たりがおかしいなと思いつつ、しばらくしたらもう何年も忘れてしまう感じ😂?
元プリンセスプリンセスの岸谷香(奥井香)さんが、ヒット曲を連発してた頃を今考えると、当時は音楽理論を知らなかったので間違ってたんだけど、結果的にそこが受けたのかなぁとご自信のラジオ番組で語られてました。
ポピュラー音楽は個性命ですから。
君が代、メロディサビの一番高い音がDなのは、男性にも女性にも子どもにもどっちちつかずで、ちと歌いにくいです。
途中からハモるのは現代でも見られる手法で好きですよ。
最後がちと尻すぼみ感は確かに有りますね。
大太鼓が鳴ると、地球に正対してないカメラアングルの低軌道衛星画像が頭に浮かんできます。
( NHKクロージング)
joysoundのカラオケの場合、カウンター部分で、いきなり一発ブロックコードを鳴らします。これ、もしかしで D?。そのあとNCで、ガイドメロディーだけが太い音で流れます。西洋音階に馴れている我々にとって、非常に歌いにくい曲だと思います。できるだけ歌いやすくするために、こういう妥協点を出したのではないでしょうか
音楽の専門家が分析すると、ツッコミポイントがたくさんあるものですね。歌詞が和歌なので、西洋音楽を乗せようとしても中々難しいんでしようか。歌詞内容は含蓄があって好きですが。
伝統音階の国歌といえば清王朝の「鞏金甌」もなんとなく君が代に似てますよね
聞いてみましたが、めちゃくちゃ民族的で面白いですね!
日本国家より力強いのがまた民族性という感じがします。
ヨナ抜きのペンタトニックですと「千代に八千代に」の「八千代の『千』」の音がB(H)となり、そもそも元歌から日本のメジャーペンタトニックスケールから逸脱しているという説がありますが、どうなんでしょう?
動画の 7:15 くらいから解説しているのですが、この曲のメロディは単純なペンタトニックではなく、壱越調という音階で書かれています。
壱越調には上行形と下行形があり、上行時は「D, E , G, A, C, D」というペンタトニックですが、下行時は「D, E , G, A, B, D」というペンタトニックになります。
つまり、2つのペンタトニックが組み合わさっているというわけですね。
「千代に八千代に」の部分では旋律が下行していますから、Bの音が登場しているということになります。
@@toydora_music レスありがとうございます。壱越調と言うんですね、その部分見逃してました。すみません m(__)m
単純に ヨナ抜き だけかと思ってたら 壱越調 というモノだったのですね。
手元に中学教科書版(2015年発行版)、讃美歌版(1930年発行版)、フランスの迎賓式典版(1914年版)があるのだけれど、どれも少しずつコード進行が違っています。動画で解説されているコード進行だけじゃないことを知ってほしい。
そもそも単旋律の日本の旋律を西洋の和音進行の理屈に当て嵌めようとすることそれ自体無理がありますね。説明をしようとすると話を無駄にややこしくしてるだけの事にしかなりません。
エッケルトも和声付けに際しては同じことを思い考えながら取り組んだと思います。冒頭と終わりの単旋律は西洋和声を当て嵌める上で(当然の)苦肉の策?といえるでしょうね。
日本音楽の和声を扱った書物には小山中西のほか先んじて坊田や田中があります。各人全く異なる思想とアプローチで面白いのですが、日本旋律の持つアイデンティティを如何に保持するか、という点で共通していると思います。小山は和音連結定型として西洋和声法的なやり方で(和音進行的でもあるが基礎となる和音自体は西洋和音と異なる)アプローチをまとめましたがそれに対し、後者は単旋律対多声というモードに近いような提案的側面を持つものだと捉えることも出来ると思います。
(ちなみに田中は苦肉の策?で三度和音も取り入れてたりしています)
(各位敬称略)
動画みていただきありがとうございます。
苦肉の策としては大変見事と思いつつ、やはり悩んだ気配が見て取れるのでちょっと面白いです。
日本音楽理論に関して、確かに小山先生の方法は西洋的な和声進行を全面的に取り入れているなあと思っていたので、旋律に着目した理論もあるというのは面白そうですね。
興味深いお話をありがとうございます!
綺麗な演奏を見つけた。東儀秀樹氏が笙 、篳篥、竜笛を使い、オケと共に演奏。そして 「君が代は現代曲としての存在にも充分価値があります。よって今まで通りの親しみやすい西洋的伴奏を残しつつ、雅楽の楽器で表現するのも現代の日本を象徴するのでは」 と言っている。このようにクソだの何だの言わず、コラボレーション的価値を率直に認める姿勢は真摯である。なお、西洋の調としては5度上のG-dur(ゲードゥアー)に移調されている。 th-cam.com/video/U0w6e1giiYk/w-d-xo.html
長野五輪の開会式で雅楽合奏とオーケストラを組み合わせて演奏されたバージョンの君が代の録画が転がってるのでぜひ聴いてほしい。笙の越調が鳴るとやはり日本音楽っぽくなるし納得感がある。
なるほど、エッケルトのほうがいいな
和寿さんの作編曲 ‘’キミガヨ” は楽しいです。僕は音楽無学ですが、雅楽に興味があります。
エッケルトは、明治時代、軍楽隊を指導するために来た人で、音楽理論に造詣の深い人でなかったからしかたないですね。日本音楽を分析し核音の理論を最初に提唱したのは、小泉文夫だったと思います。それにしても新しくつくられた和声は、どことなく笙の和声にもにていて感動しました。
エッケルトが音楽理論に精通していなかったという話は初めて聞きました!
確かに笙のニュアンスがありますよね。
笙の和音構造はsus4の和音が基本となっていますが、小山日本和声も同じ構造を持っているためだと思います。
@@toydora_music エッケルトは、ドレスデンのKonservatorium (音楽学院)で学んでいるので、まったく楽理を知らないというと言いすぎになります。また、君が代の壱越調の音階が教会旋法のドリア調と同じことにも気づいていたようです。
より正確な情報ありがとうございます。
エッケルトの時代にしては穏健な編曲にとどまっているというのは事実なので、どういう意図や事情があってこうなったのか?については考察の余地がありますね。
明治時代に軍楽隊を指導するために来たのはフェントンです。君が代にはフェントン作曲版とエッケルト編曲版(作曲者は日本人)の2種類があり、現君が代はエッケルト編曲版です。エッケルトはちゃんとした音楽家です。
分析お疲れ様です。確かに西洋和製に当てはめようとすると矛盾だらけですね。新編版は笙のようにもモードのようにも聴こえます。解決感がないので、国家的には落ち着かないでしょうが😆。
ドビュッシーやラヴェルが編曲したらどんな和声をつけたか想像が膨らみますね。日本の音階がやけに新鮮に聴こえました。坂本龍一さんも千のナイフやTheEnd of Asiaで独特のハーモニー付けられてますね。
特に和音時の音の滲んだようなうねりが気持ち悪く感じましたので、日本音階に合わせた調律で聴いてみたいと思いました
編曲し直した方はとっつきにくいけど雅な感じがする。
多くがDmとFに解決(Fから見てDmは6なので解決と見なしてると思う。和声的にはそんなみなし方ないけど)してるので、Cキーとして見たらそらぶっ壊れてるように見えるけど、DmとFに解決するように作られてるって考えたら随分まともな進行に見えないかな。
逆にDmとFへしっかり解決感があるから、いい感じに聞こえるのかなって。
ありがとうございます。かねてより私も同様の疑問を抱いており、特に最初と最後がユニゾンだということに凄く違和感を感じていました。ただ、私見で恐縮ですが、最後の日本版編曲は少し音が多すぎるような気がします。趣旨は大賛成ですので、もう少しすっきりと仕上げたら、もっともっと美しくなるのではないでしょうか。私には和声の知識は殆どありませんが、どの音を省くのがいいか勝手ながら一度やってみたいと思います。
動画みていただきありがとうございます!
確かに、日本和声の方法では使える音が5つに限られるので、音の引き算が特に重要になりそうですね。
お疲れ様です。なるほど従来版だと多々矛盾があったと。ただ惜しむらくは改訂版ですが、モード的な感じになってるせいか、進行が逆に弱い気がします。特にバス。(そういう概念ではないと思いますが)従来版の合唱的なダイナミクスもそれはそれで良いとも思います。坂本龍一さんのジエンドオブエイジアや東風で、日本的な旋律に和声をつけたり、逆にコードをつけないイントロだったりしますが、こういう素材をどうしようか色々考えられてたのではないかと思います。
モード的で進行が弱い、というのは的確なご指摘です。
日本和声では西洋的な緊張vs.解決の力学が弱くなってしまう弱点があると思います。
本を読む限り、どのように西洋との折衷を図るかという着地点は小山清茂自身もけっこう悩んでいたように見えます。
音楽理論を全く知らないし、エッケルト編曲版『君が代』の響きに違和感を持ったことも無いのですが、理論に通じた人からは否定的な意見があることは知ってゐましたので興味深く動画を拝見しました
西南戦争が終ったばかりで国会も憲法もまだ無く、とにかく西洋化が推し進められた明治十三年 (1880) に、よくここまで日本的な旋律の国歌が作られたものだと驚かされます
機能和声から離れられなかったと思はれる、ドイツ人音楽家エッケルトの和声付けを否定するつもりは無いのですが、もしも印象主義の音楽家が和声付けをしてゐたらと想像します。でも、当時のドビュッシーは十八歳、ラヴェルは五歳なので無理な話なのですよね
メシアンが来日した際に編曲し直したといふ楽譜が発掘されてほしいと思ひます
メシアン来日時の譜面は実に気になりますよね。
自分もぜひ聞いてみたいものです。
馴染み過ぎて元の曲の方がいいように感じる。不思議ですね
高校の時、教科書に載っているメロディーだけの君が代の楽譜を見ながら楽器で弾いてみて、「これハ長調(調合なし)で書いてあるけど、『八千代に』の『に』で解決してる感があるし、実はト長調じゃないの?」と思ってたんだけど、伴奏に嬰へがでてきてて納得した。
そもそも調性音楽じゃないので・・・