第884回「徳ということ」2023/6/9【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
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- เผยแพร่เมื่อ 16 พ.ย. 2024
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■管長日記「徳ということ」
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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夏期講座の二日目には駒澤大学の小川隆先生にご講演をいただきました。
小川先生には、いつでもお願いできると思っているうちに年月が過ぎてしまい、ようやくこの度ご登壇いただくことができました。
今回のご講演は、「禅宗における師と弟子の間ー悟りと嗣法ーというテーマでした。
禅宗の特徴として伝灯の系譜を尊重しているということから話が始まりました。
お釈迦様から代々教えを伝えているのですが、これは何を伝えるかというと、なにも特別な秘伝があるとか、巻物の伝授があるというわけではないのです。
小川先生は、駅伝のタスキを譬えにして、あのように何かをバトンするわけではないと解説してくださいました。
伝灯の系譜を重んじるということは、教祖と聖典がないという特徴があるとも仰せになっていました。
多くの宗教には、教祖がいて、そして聖典があるものです。
しかし、禅には、教祖もいなく、特別の聖典があるわけでもないのです。
臨済宗だからといって、『臨済録』を特別の聖典としてあがめているわけではありません。
むしろそのようなことを嫌ったのが臨済禅師でした。
強いていえば系譜の全体を信仰していると言えます。
そこで、伝法とは何も伝えないことだと、徳山和尚の言葉を紹介されました。
「我が宗に語句無く、一法も人に与うる無し」というのです。
更に、達摩は西来していないし、二祖も何も伝えられていないという、玄沙禅師の言葉も紹介されていました。
行脚に出るようにと再三再四うながされてようやく玄沙禅師は旅にでますが、途中で石に躓いてはたと悟りました。
そこで達摩は西来していないし、二祖も何も得ていないと言ったのです。
小川先生は、禅はわが身の上の生きた事実を悟るだけであって、生身の上で悟ったことがすべてなのだと解説されていました。
それから得るとは得ざることという『臨済録』の話をなされました。
こちらは、岩波文庫の入矢義高先生の訳文を紹介します。
「「得たというのは、得なかったということなのだ。」
「得なかったのでしたら、その得なかったということの意味は何でしょうか。」
師は言った、「君たちがあらゆるところへ求めまわる心を捨てきれぬから〔そんな質問をする〕のだ。
だから祖師も言った、『こらっ!立派な男が何をうろたえて、頭があるのにさらに頭を探しまわるのだ』と。
この一言に、君たちが自らの光を内に差し向けて、もう外に求めることをせず、自己の身心はそのまま祖仏と同じであると知って、即座に無事大安楽になることができたら、それが法を得たというものだ。」
ということなのです。
そこから兜率従悦禅師の話を紹介されました。
兜率禅師が、修行時代のことです。
清素首座という方の逸話であります。
この清素首座という方、慈明禅師のもとで十三年も修行して印可を受けられたほどの方ですが、慈明禅師から、福が薄いので、人の指導をしてはいけないと言われて隠棲していたのでした。
従悦禅師が福州の蜜漬けの茘枝をもらって、清素首座に薦めました。
清素首座も郷里の菓子を懐かしく思い、先師が亡くなってから久しく食べていないと言いました。
従悦禅師はその話を聞いて、これはただならぬ禅僧だと気がついて、どなたに師事されたのかと聞きましたら、慈明禅師というのでした。
慈明禅師といえば、従悦禅師の師匠が真浄克文で、その師匠が黄龍慧南で、そのまた師匠に当たる方です。
私でいえば、師匠の師匠のそのまた師匠ですから、古川尭道老師に参じた老僧だということです。
私の修行時代には、まだ尭道老師に参じた老僧がご存命でしたので、年代的にはあり得る話です。
そんな大先輩の老僧なのでした。
そこで、この清素首座に教えを受けるのでした。
従悦禅師は、大いに啓発されました。
しかし、清素首座は、自分の法を継いだとは言わないようにと諭したという話でした。
福が薄いので人の指導をするなというのは、どういうことか、不思議な話であります。
福と言ったり、徳と言ったりいたします。
悟りの境地が高くても福や徳が薄いという場合があるのでしょう。
小川先生の話を聞いていて、私は楽々北隠(ささほくいん)(一八一三~一八九五)老師のことを思い出しました。
ご講演のあと控え室でそんな北隠老師の話をしていたのでした。
北隠老師は、備前の曹源寺儀山禅師(一八〇二~一八七八)のもとで修行された方です。
典座という台所の当番をしているところへ、ご自身のお寺から寺が燃えたので、すぐ帰ってくるようにと手紙がきました。
しかし、北隠老師は、「自分が帰ったからといって寺が建つわけでない」といって手紙をかまどにくべて知らん顔をしていました。
そのことが儀山禅師の耳に入って、「そんな者はいくら修行しても法のためにならない、決して世に出るな」と言われたのでした。
その言葉を守って、北隠老師は、生涯大寺院に出世なさることはありませんでした。
明治一六年(一八八三)、時の天竜寺管長滴水老師(一八二二~一八九九)が授戒会のために村内の玉田寺に見えました。
滴水老師六十一歳のときです。
滴水老師が法話をしていると、本堂の片隅に剃髪もしないで、髪もひげも伸ばした老僧が目につきました。
七十歳の北隠老師でした。
滴水老師は、法話の中で、「田舎に来ると髪やひげを伸ばした僧がいて見られたものではない」と苦言を呈しました。
法話のあと、和尚様方と共に北隠老師も、滴水老師のお部屋に挨拶にゆきました。
皆が挨拶した後で、北隠老師は、「管長さまはどちらで御修行でしたか」と問いました。
滴水老師は「備前じゃ」と答えました。
その当時は、備前といえば、それだけでもう曹源寺の儀山禅師のもとで修行したことが伝わるのです。
北隠老師は、「それは懐かしい、実は私もしばらく曹源寺にいました。そのころ新到で発さんという小利口な小僧がいましたが、あれはどうしましたかな」と言いました。
発さんというのは、ほかならぬ滴水老師の修行時代の名前でした。
この一言にはさすがの滴水老師も参ってしまったという話であります。
ふるさとの寺から、寺が燃えたからすぐ帰れと手紙が来ても、「いたずらに人の心を乱すだけだ」と言って捨てて省みなかったという話が、『禅関策進』には「書を擲って省みず」という美談として載せられています。
確かに修行の心構えとしては立派かもしれませんが、福や徳にはならないのでしょう。
なかなか難しいところであります。
しかしながら、師匠から世に出るなと言われて、その言葉を守り生涯大寺院に出ることなく隠れていた北隠老師の境涯もすぐれたものだと思います。
兵庫県美方郡(みかたぐん)新温泉町福富の正法寺の住職となって、私塾を開き、儒学を教えたりなさったそうです。
学校の教師たちにも指導されていたというのです。
後の天龍寺の管長となった関精拙老師も、この正法寺で学ばれたのでした。
かくて正法寺で八十二歳の生涯を終えられました。
福や徳について、小川先生とも語り合ったのですが、これといって示せるものではありませんので、難しいものであります。
小川先生のご講演は、九十分、かなり難しい内容なのですが、いつもながら理路整然として、ところどころに楽しい譬え話も挟まれますので、楽しみながら拝聴させてもらいました。
講演までは大雨でしたが、講演が終わるとよい天気になっていました。
横田南嶺
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