【桜井市の歴史・遺跡&古墳編】邪馬台国は奈良にあった⁉ 村瀬先生のぶらり歴史歩き 奈良・桜井市遺跡&古墳編

แชร์
ฝัง
  • เผยแพร่เมื่อ 15 ม.ค. 2025

ความคิดเห็น • 7

  • @Y_Yamada
    @Y_Yamada 6 ชั่วโมงที่ผ่านมา +1

    今日もグーグルマップとともに楽しみました。
    三つの古墳に三方を囲まれている纏向小学校があるなど凄い!?土地だと感じましたし、そもそも発掘調査は纏向遺跡のまだ数%しかされていないとか。
    当然、今後は質、量ともに今まで以上の発見が予想される凄い場所なんですね。
    1970年代後半に乗った桜井線は朱色とクリーム色の2色のディーゼルカーが行き交っていましたが、当時はまさかこの辺りで こんなに大規模で歴史上重要な発見がされるとは想像もしていませんでした。

  • @gogoyonsama
    @gogoyonsama 8 ชั่วโมงที่ผ่านมา +1

    川岸ゆかちゃん…超可愛すぎます❤

  • @kitaba43
    @kitaba43 2 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    2:533:184:575:19はほぼ同じコメントを使っていますね。これはどういった演出意図なのでしょう?それと,1:17付近で「すごい場所に立っているかもしれない」とおっしゃっていますが,纏向遺跡は邪馬台国でない場合「すごくない」のでしょうか?教えていただければ幸いです。

  • @WampakuKouziGenba
    @WampakuKouziGenba ชั่วโมงที่ผ่านมา

    川岸降板しろよ見苦しい

  • @Larphy002
    @Larphy002 2 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    御当地奈良を大切にしたいのは分かりますが ご皇室の先祖に「卑弥呼」がいれば
    魏志倭人伝の超有名人ですので皇室の記録に残っていて古事記日本書紀に記載されるはずです。残念ながら卑弥呼の記録はなかったと言うことです。
    また最近のC14分析で箸墓古墳は4世紀とのことで卑弥呼とは時代が違います。
    文献考古学からも
    卑弥呼の墓は前方後円墳ではありません。直径百歩余りの「塚」で巨大な「墳」ではありません。直径25mの円墳です
    短里 1里=75m=300歩で
    100歩=75/3 = 直径25m前後の塚
    【倭人伝原文】
    卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩
    纒向遺跡には出土品に 鏡 剣 勾玉がなく、北九州のそれとは見劣りがして比べることができません。