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遠くの世界の片隅で細々と暮らしているものです。私は、子供の頃より上原敏が好きでありまして、殆ど毎日楽しんで聴いています。かの名歌手とは、何か不思議な縁を感じるのです。長くなりますが、私は昭和25年生まれ68の寅年です。父母が上原敏を若き頃より好きでその事を私が物心のついた頃からよく知って居りました。父は大正9年生まれで、原節子と同じ歳です。四国生にまれ、貰われて、その父母の養子になり、召集後に北支、南方方面、敗戦時は小笠原諸島の父島でアメリカ軍の捕虜となりました。父は昔、日頃の雑談の中で父島での印象を語ってくれました。私は今でも強い感動を覚えるのです。戦争体験を語った時にこう言いました。父島は本当に美しいところで、海に潜るとまるで、想像以上の竜宮城のようであったと言いました。何故私が感動をしたのかと申しますと、普通に人は、あの大戦時は非常時であり、嫌な思い出が多いはずでありますが、父はそれを楽園であると語ったのであります。私は、かのように語る父を、心の中で尊敬したのです。格別取り得が有る訳では無く、53の時、膀胱癌で亡くなるその日に昔のことを笑って話した父です。静かに眠っていることを願っております。母は、大正13年に信州須坂市で生まれました。紡績工場でナンパー・ワンの女子工員として親を助け、生涯働き続けた男顔負けの女丈夫です。その母には二つ上の兄が有り、23で戦死しました。知らせが来た母は死ぬくらい嘆いたそうであります。上原敏の波止場気質などを聴きます時は、さぞ偲んだことでしょう。母の言っていたことをよく思い出すのでありますが、中でも印象に残る言葉が有ります。徳利の別れ(赤垣源蔵の唄)の四番には「やがて時来りゃ うどんげの花もひとりで 咲くであろう徳利枕に それまでは暫し転寝 高いびき」であるけど、あんた、うどんげを知っているかいと言いました。幼き私は分からないと答えました。うどんげとはかくの如き言葉であります。うどんげ(優曇華)優曇は梵語です。3000年に1度開花すると伝えるところから極めて稀なことのたとえです。母は戦死した兄の魂を思ったのに違いないと私は考えました。そう言うこと を考えますと、唄と云うものは本当に深いものと思ってしまうのです。済みません。詰まらぬ話が長くなってしまいます。兎に角、上原敏をじっくり聴こうてはありませんか。そして、生きて居る意味と価値を見つけようではありませんか擱 筆
上田 さん、今晚は 初めまして、私も昭和25年に生まれ、台湾人です・。現在ベトナムに勤めています。私は日本の演歌が好きです、殆どんと每日聞いています、特に戦時歌謡のi上海便りが一番好きです。何卒宜しく。
遠く、心の深山にありて、古の詩聖杜甫の如く、とぼとぼと歩くひとりの逸民より、更に遠きにありぬ台湾の地の我が同胞に、拙きお便りを致します。まず、真っ先にお伝えしたいことは、驚愕(おどろく)したのであります。そして熱き思いが沸き起こったのであります。私の文章を読んで下さったのは、遥か台湾の方にして私と同年の昭和25年生まれの人であったということです。上原敏の上海だよりが好きであると言われましたが、私も全く同感であります。名作詞家の佐藤惣之助と、確か沖縄出身の名作曲家である三界 稔の名曲であります。この上海だより以下のシリーズものが大流行したそうであります。上原敏は他に「流転」や「妻恋道中」や「裏町人生」や「波止場気質」などの素晴らしい名曲があります。私は上原敏の歌声をほとんど毎日聴いております。聴き飽きることはありません。聴けば聴くほどいいのです。あまり入れ込みますのはよくありませんので、話しは飛びますが、私の好きなもうひとりの歌手を知って戴きたいのであります。それが三橋美智也であります。この歌手もほとんど私が生まれた頃から好きでありました昭和30年頃から流行り出した歌手であります。「娘船頭うた」を始め「リンゴ村から」や「古城」などを歌った人であります。是非とも一度聴いてみて下さい。何か得るところがあると思います。私のいつもの癖で文章が冗漫なものになりますので、続けることを止めたいと思います、擱筆致します。😊😊😊😊😊😊😊😊
❤C h u n h g h s I e n L ii 様 ❤ 前 略始めして 上 田 進 であります5ヶ月前に親しみ深い丁重なお便りを戴き乍ら 迂闊にもご返信することを忘却して仕舞いまして 誠に申し訳ない事であると 己の愚かさを恥じているところであります私が 貴方様のお便りで「生まれが同年の昭和25年の方である ことを知りました時には 大変感動したのであります 更に愛すべきお国の台湾のお勤めの方であると 知り得たことは最高の喜びでありました 更に更に 嬉しく思いましたことは戦時歌謡がお好きで 中でも 上 原 敏 の「上海だより」を好まれていることを 知りました時には感動の余り目に涙が 溢れたのであります私が 上 原 敏 という戦中の大歌手を好んで聴くようになりましたのは」父母の影響に依るものであります彼は 人気絶頂の大歌手であるにもかかわらず 自ら応召して昭和19年ニューギニア島に於いて 上官の やめるようにとの説得を マラリア病にかかっている最中 戦地に出向き 米軍の爆撃を受け 戦死したのであります 齢36歳の妻子のある国の同胞達を守るため英霊となって身罷ったのであります父母は この生き様を誉め上げ私にその教えを伝え諭したのであります私は」今に至るまで上 原 敏の歌を愛で聴き続けているのでありますこの我が命を賭して戦い英霊となった秀でた魂を 称揚する事こそ最も肝要な事に違いないと 確信したのであります余りにも 長々である拙文と冗漫極まる駄文を お読み下さり誠に有難き事であることを 心から思う次第であります頓 首
Chung hsIen Li 様追伸であります拙文に余計な文字がありましたので削除をお願い申し上げたいと思う次第であります御名前の最後に「i」の一文字の削除をお願い申し上げたいと思う次第であります擱 筆
あなたのこのコメントに出会えてよかったです。辛い時勢ですが、どうぞご達者で。
自分は中国人だけど聴いてるうちに泣きそうになったその時代の日本人の精神に敬服します
板载
罕见
そうとおもいます、両国の軍隊も敬服します。
한중일은 모두 친구입니다.
狗汉奸😅
やはり上原さんの上海だよりは良いなぁ、口では言えない良さがあります、公開有り難う御座います。
昔の歌い手は内容がはっきりわかって伝わってきます、今時とはちがいます。素晴らしいありがとうございます。
この上原さんの歌は小さい頃、よく歌いました懐かしい思い出の曲です。村の青年団のかたたちが良く歌われていたのをおぼえております。それにしても上原敏さんの偉大さを再認識しました。アッブ有り難うございました。
私の親父が好きでした良く歌テいた曲名が判りました。おやじの若かり日を思い出します。
上原敏の一連の「たよりものシリーズ」の中では、この歌は一番、知れ渡っている歌だろう。
いわゆるだよりものです。いいなあ。
上原敏さんの歌大好きです
拝啓で始まる粋な歌詞キャンディーズの暑中お見舞いはここからもらったアイデアかな?
大東亜戦争が、何とも憎らしい・・・。上原氏を、粋残して欲しかった・・・。
戦時歌謡いいですね!
2番の「酷寒零下の戦線は~」の歌詞が好きです。
海軍で戦死した叔父のレコードで聞きました。沢山ありましたね。
日清焼きそばのCMでこの曲をしりました。もちろん替え歌でした。
江南の春未しです、もぐら退治と高笑い、とか言い回しに格調があって、とても宜しいです🤭
下手だすが、私の十八番です。
今度聴かせて
戦前や戦後直後ぐらいまでの歌手はいかにも歌い手って感じがいいですね。見た目がウリになってきたころから歌手が嫌いになった。
遠くの世界の片隅で細々と暮らしているものです。
私は、子供の頃より上原敏が好きでありまして、殆ど毎日楽しんで
聴いています。
かの名歌手とは、何か不思議な縁を感じるのです。
長くなりますが、私は昭和25年生まれ68の寅年です。
父母が上原敏を若き頃より好きでその事を私が物心のついた頃からよく知って居りました。
父は大正9年生まれで、原節子と同じ歳です。
四国生にまれ、貰われて、その父母の養子になり、召集後に北支、南方方面、敗戦時は小笠原諸島の父島でアメリカ軍の捕虜となりました。
父は昔、日頃の雑談の中で父島での印象を語ってくれました。私は今でも強い感動を覚えるのです。
戦争体験を語った時にこう言いました。父島は本当に美しいところで、海に潜るとまるで、想像以上の竜宮城のようであったと言いました。
何故私が感動をしたのかと申しますと、普通に人は、あの大戦時は非常時であり、嫌な思い出が多いはずでありますが、父はそれを楽園であると語ったのであります。
私は、かのように語る父を、心の中で尊敬したのです。
格別取り得が有る訳では無く、53の時、膀胱癌で亡くなるその日に
昔のことを笑って話した父です。静かに眠っていることを願っております。
母は、大正13年に信州須坂市で生まれました。紡績工場でナンパー・ワンの女子工員として親を助け、生涯働き続けた男顔負けの女丈夫です。
その母には二つ上の兄が有り、23で戦死しました。知らせが来た母は死ぬくらい嘆いたそうであります。上原敏の波止場気質などを聴きます時は、さぞ偲んだことでしょう。
母の言っていたことをよく思い出すのでありますが、中でも印象に残る言葉が有ります。
徳利の別れ(赤垣源蔵の唄)の四番には「やがて時来りゃ うどんげの
花もひとりで 咲くであろう
徳利枕に それまでは
暫し転寝 高いびき」
であるけど、あんた、うどんげを知っているかいと言いました。幼き私は分からないと答えました。
うどんげとはかくの如き言葉であります。
うどんげ(優曇華)
優曇は梵語です。
3000年に1度開花すると伝えるところから極めて稀なことのたとえ
です。
母は戦死した兄の魂を思ったのに違いないと私は考えました。
そう言うこと を考えますと、唄と云うものは本当に深いものと思ってしまうのです。
済みません。詰まらぬ話が長くなってしまいます。兎に角、上原敏をじっくり聴こうてはありませんか。そして、生きて居る意味と価値を見つけようではありませんか
擱 筆
上田 さん、今晚は 初めまして、私も昭和25年に生まれ、台湾人です・。現在ベトナムに勤めています。私は日本の演歌が好きです、殆どんと每日聞いています、特に戦時歌謡のi上海便りが一番好きです。何卒宜しく。
遠く、心の深山にありて、古の詩聖杜甫の如く、とぼとぼと歩くひとりの逸民より、更に遠きにありぬ台湾の地の我が同胞に、拙きお便りを致します。
まず、真っ先にお伝えしたいことは、驚愕(おどろく)したのであります。そして熱き思いが沸き起こったのであります。私の文章を読んで下さったのは、遥か台湾の方にして私と同年の昭和25年生まれの人であったということです。
上原敏の上海だよりが好きであると言われましたが、私も全く同感であります。名作詞家の佐藤惣之助と、確か沖縄出身の名作曲家である三界 稔の名曲であります。
この上海だより以下のシリーズものが大流行したそうであります。
上原敏は他に「流転」や「妻恋道中」や「裏町人生」や「波止場気質」などの素晴らしい名曲があります。
私は上原敏の歌声をほとんど毎日聴いております。聴き飽きることはありません。聴けば聴くほどいいのです。あまり入れ込みますのはよくありませんので、話しは飛びますが、私の好きなもうひとりの歌手を知って戴きたいのであります。それが三橋美智也であります。この歌手もほとんど私が
生まれた頃から好きでありました
昭和30年頃から流行り出した歌手であります。「娘船頭うた」を始め「リンゴ村から」や「古城」などを歌った人であります。是非とも一度聴いてみて下さい。何か得るところがあると思います。私のいつもの癖で文章が冗漫なものになりますので、続けることを止めたいと思います、擱筆致します。
😊😊😊😊😊😊😊😊
❤C h u n h g h s I e n L ii 様 ❤
前 略
始めして 上 田 進 であります
5ヶ月前に親しみ深い丁重なお便りを戴き乍ら 迂闊にもご返信することを忘却して仕舞いまして 誠に申し訳ない事であると 己の愚かさを恥じているところであります
私が 貴方様のお便りで「生まれが同年の昭和25年の方である ことを知りました時には 大変感動したのであります 更に愛すべきお国の台湾のお勤めの方であると 知り得たことは最高の喜びでありました 更に更に 嬉しく思いましたことは戦時歌謡がお好きで 中でも 上 原 敏 の「上海だより」を好まれていることを 知りました時には感動の余り目に涙が 溢れたのであります
私が 上 原 敏 という戦中の大歌手を好んで聴くようになりましたのは」父母の影響に依るものであります
彼は 人気絶頂の大歌手であるにもかかわらず 自ら応召して昭和19年ニューギニア島に於いて 上官の やめるようにとの説得を マラリア病にかかっている最中 戦地に出向き 米軍の爆撃を受け 戦死したのであります 齢36歳の妻子のある国の同胞達を守るため英霊となって身罷ったのであります
父母は この生き様を誉め上げ私にその教えを伝え諭したのであります
私は」今に至るまで上 原 敏の歌を愛で聴き続けているのであります
この我が命を賭して戦い英霊となった秀でた魂を 称揚する事こそ最も肝要な事に違いないと 確信したのであります
余りにも 長々である拙文と冗漫極まる駄文を お読み下さり誠に有難き事であることを 心から思う次第であります
頓 首
Chung hsIen Li 様
追伸であります
拙文に余計な文字がありましたので削除をお願い申し上げたいと思う次第であります
御名前の最後に「i」の一文字の削除をお願い申し上げたいと思う次第であります
擱 筆
あなたのこのコメントに出会えてよかったです。辛い時勢ですが、どうぞご達者で。
自分は中国人だけど聴いてるうちに泣きそうになった
その時代の日本人の精神に敬服します
板载
罕见
そうとおもいます、両国の軍隊も敬服します。
한중일은 모두 친구입니다.
狗汉奸😅
やはり上原さんの上海だよりは良いなぁ、口では言えない良さがあります、公開有り難う御座います。
昔の歌い手は内容がはっきりわかって伝わってきます、今時とはちがいます。素晴らしいありがとうございます。
この上原さんの歌は小さい頃、よく歌いました懐かしい思い出の曲です。村の青年団のかたたちが良く歌われていたのをおぼえております。それにしても上原敏さんの偉大さを再認識しました。アッブ有り難うございました。
私の親父が好きでした良く歌テいた曲名が判りました。おやじの若かり日を思い出します。
上原敏の一連の「たよりものシリーズ」の中では、この歌は一番、知れ渡っている歌だろう。
いわゆるだよりものです。いいなあ。
上原敏さんの歌大好きです
拝啓で始まる粋な歌詞
キャンディーズの暑中お見舞いはここからもらったアイデアかな?
大東亜戦争が、何とも憎らしい・・・。
上原氏を、粋残して欲しかった・・・。
戦時歌謡いいですね!
2番の「酷寒零下の戦線は~」の歌詞が好きです。
海軍で戦死した叔父のレコードで聞きました。沢山ありましたね。
日清焼きそばのCMでこの曲をしりました。もちろん替え歌でした。
江南の春未しです、もぐら退治と高笑い、とか言い回しに格調があって、とても宜しいです🤭
下手だすが、私の十八番です。
今度聴かせて
戦前や戦後直後ぐらいまでの歌手はいかにも歌い手って感じがいいですね。
見た目がウリになってきたころから歌手が嫌いになった。