His mind is extremely clear in battle, the way he change from one idea of attacking to another is smooth, clever, almost like a human computer, e.g. he could use 3 or 4 different attacking idea in one second even in disadvantage. Also, I know it sounds crazy to say it, but he actually could fight in an almost “Chiyonoguji’s “style, against someone 30 kg LIGHTER than himself, where he out-speeded the lighter guy, swing him all over the court before he can take reaction, and finally throw him in a SPECIFIED spot in the court…….the opponent’s name is 栃赤城, known as the most versatile wrestler at that time, definitely not someone slow in the 140kg range.(kitanouni was 170kg)
40年前の大相撲解説の神風さん、まさに「神解説」でしたね✨
神風さんの解説が懐かしいです。感激
神風正一さんが今の相撲を解説されていたとしたらどんな感じの節になっていたかを時々想像してしまってます。もしかしたら天国で北出清五郎さんや向坂松彦さんや山田康夫さんの実況と一緒に天国での相撲中継の解説をおこなっているのではと勝手に想像してしまっています。
覚えてるなあ、この場所。まだ小学生だったころ。北の湖が好きだった祖母が千秋楽での全勝優勝を見届けて翌日亡くなった。解説は神風さんだったかな。おばあちゃん天国で元気にしてますか。
私の亡き祖父も北の湖が大好きでした。おじいちゃんの隣で、わけもわからず一緒にテレビを見ていた幼い頃が一番幸せでした
切ない話ですね。最後に北の湖の優勝を見れて良かったですね。
この場所の北の湖は全盛期以上の強さと安定感でした。しかし長くは続かず残念
天国で北の湖とたくさん取り組みをしてください、お疲れ様でした。
左四つ右上手を取って充分という相撲を長年取っていた大横綱北の湖関。この前年から、懸命に治した膝に負担をかけたくなかったのか、両差し速攻相撲に活路を見い出し、全てがうまくいったのがこの昭和59年夏場所でしたね。
軽量横綱千代の富士関は、不調期も重なり、北の湖関の速攻になす術なく寄り切られました。この時点で優勝9回。まさかここから20回以上も優勝を重ねるとは思ってもみませんでした。
名立行司だった後藤悟氏が「式守伊之助」デビューを果たしたのもこの場所でしたね。「見合うて」の声が印象に残ります。
北の湖が、最後の24回目の優勝を全勝優勝で飾った場所だなッ!本人にとって、一番、思い出のある優勝だと言っていた・・・。
横綱・北の湖、最後の〝輝いた〟場所でしたね‼️
北の湖が、不死鳥の様によみがえった場所。
これが最後の対決だったのか。
今頃天国で会ったのかなぁ。
伊之助として初めて本場所に上がった時の後藤さん。
若い。
この時の北の湖は全盛期の復活という感じで、それまでとは別人の
ようでした。千代の富士もまだ「普通の横綱」だったころですね。
神風さんの解説も懐かしい。
昭和59年夏場所13日目
千代の富士対北の湖🤼
北の湖勝ったよ😃
強い😄
横綱
私もこの瞬間を見ていました。
当時の過去の対戦成績のテロップは、直近6場所の対戦結果(最下段が先場所)が表示され、決まり手の横に●がある方が勝ち、通算の幕内での対戦勝ち数が下段に出ていた、上から下に向けて小出しで表示することもあった。
北の湖最後の優勝が誕生日の時期と重なる夏場所には7回優勝。しかも全勝。輪島と貴ノ花引退後では唯一の優勝で生前最後の優勝でもあった
確かに北の湖の全盛期はとてつもなく
強かった。四つに組んだら、右でも左で
もがっぷりなら北の湖でしょう。千代のス
ピ-ドにも、全盛時の北の湖なら対応で
きる。
千代が大関、横綱にあがった頃、北の
湖はヒザがよくなかったですからね。
横綱が両方とも北海道出身というだけでも萌える(笑)
北の湖は晩年なのにこの強さ。全盛期なら最強の横綱は北の湖だと信じる。
北の湖関こそ心技体揃った最強の力士です。
同じく!···朝青龍も白鵬もこの時代にいたら三役がやっとかも
@@coyoteblack8125
仰る通り。単なる脇役。
輪島。若乃花。三重の海
大関陣も貴ノ花。旭国。
魁傑。大麒麟の強者揃いの
中で24回の優勝はホンマ
凄い😲ガチンコ相撲での
24回はホンマ史上最強の
大横綱の証ですよ👌同じ
横綱でも八百長ばっかり
しくさって31回の優勝を
した千代の富士なんかとは
格が違うな~😁八百長で
優勝ばっかりしくさってた
千代の富士なんか所詮は
北の湖の敵では無いわ。
北の湖の全盛期の強さは
無敵の強さです✌️
その通りです僕もNo1の
横綱は北の湖と思います。
輪&湖の時代は輪島が好き
で応援してましたけど残念
ながら北の湖の方が完璧に
強かったです😁北の湖は
輪島どころか大鵬以上に
強かった思うよ👌北の湖
より強いな思う横綱は今
現在でも居ないですわ~😁
天国で安らかに
この時の北の湖は「とてつもなく」強かったですね。全盛時代の再現というか。千代の富士、隆の里といった当時の強豪横綱を全く問題にしませんでした。全盛期の北の湖なら、多分全盛期の千代の富士でも勝てなかったと思わせる強さですね。
全盛期の北の湖関の強さは異常で他を寄せつけず圧倒的でした。私の知る限りでは全盛期の貴乃花関ですら勝つのは難しいと思います。
昭和の大横綱でしたね
北の湖は👌
最強の横綱は北の湖。
@@大石賢次 様
異存ありません。
北の湖と五分で対決できる
横綱は輪島だけですよ✌️
僕は輪島の大ファンでした
けど50年以上相撲を観て
来ましたけど最強の横綱は
北の湖ですね。
全盛期の頃は桁違いの強さ
を誇ってました。
千代の富士なんか本当
北の湖の全盛期の頃は
相手にならんでしょう。
北の湖が衰え出した時に
何回か北の湖に勝ってた
けど北の湖と五分で勝負
できるのは輪島くらいと
思うけど横綱で1番の最強
は北の湖でしょうね✌️
ちなみに北の湖X千代の富士で、これぞ北の湖という最高にカッコイイ一番が昭和56年3月と5月の優勝を賭けた千秋楽。 (56年3月の方は、YOUTUBE「北の湖の天皇賜杯3」で見られるようです。)
実況は杉山さんですかね。解説は神風さんかな?
正解❗️
千代の富士 made the mistake for not getting inside grip.
Of course, not enforcing fist on the ground really makes difference.
九重親方のご冥福をお祈り致します。
What makes Kitanoumi so great. I really don't understand it.
Few big sumo wrestlers like Kitanoumi those days.
His mind is extremely clear in battle, the way he change from one idea of attacking to another is smooth, clever, almost like a human computer, e.g. he could use 3 or 4 different attacking idea in one second even in disadvantage. Also, I know it sounds crazy to say it, but he actually could fight in an almost “Chiyonoguji’s “style, against someone 30 kg LIGHTER than himself, where he out-speeded the lighter guy, swing him all over the court before he can take reaction, and finally throw him in a SPECIFIED spot in the court…….the opponent’s name is 栃赤城, known as the most versatile wrestler at that time, definitely not someone slow in the 140kg range.(kitanouni was 170kg)
I happened to watch that match yesterday and am still in a terrified mood now……
北の湖=昭和28年生まれ、千代の富士=昭和30年生まれで2歳しか変わらないんだよね。千代の富士は北の湖の後の世代と思われがちだが、実は同年代。北の湖、二代若乃花、千代の富士の3横綱が優勝争いをした昭和57年前半ぐらいが面白かった。
北の湖のライバルというと輪島だけど、あの2人は5歳差があるから、北・千代時代があってもおかしくなかった。
玉の海が亡くならなければ、北の湖の横綱昇進は3年くらい遅れていたはず。そうすれば北の湖の勤続疲労も軽減され、横綱として第一線の活躍時期も後ろにずれていき、北・千代時代があったかもしれない。
向正面解説が、栃ノ海の中立さんか。
味のある語り口で好きだったな。
春日野親方になってから、解説に出な
くなったのが残念。
晩年の北の湖は、千代富士に前褌引き付けに浮き上がってしまう事が多かった。落ちる所まで落ちた北湖ががっぷりに拘らず、前さばきのよさを活かして双差しにいった発想の転換の勝利。
北の湖さんは、千代の富士さんみたいに、30代半ば迄、自分の相撲が、とれてたら、40回くらい優勝、できたと、思います。
この後に千代の富士が31回も優勝する大横綱になるとは思ってはいなかっただろうね。
北の湖は四つ相撲だと史上最強だと思う。ひざ悪くしなかったらウルフには負けなかったと思う
ウルフなんか北の湖の相手
にはならないわ。確かに
ウルフも強かったけど。
北の湖の全盛期の頃は
桁違いの強さやったしね。
北の湖こそ真の最強横綱
ですよ👌
張出横綱って何?
誰かどうゆう意味か教えてください!
お願いします。
昔(平成6年9月場所以前)は、東西正横綱以外は番付表の外枠に記載されていましたので、張り出しとなっていました。大関や関脇、小結、平幕(前場所が公傷休場の場合)も張り出しがありました。
三役(大関関脇小結)は東西に必ず二人在位するという地位ですので、興行上三人以上在位する場合は、三人目は番付表の外枠に記載して、別枠、特別という形をとるのが正しいので、30年名古屋場所で言えば、栃ノ心関は西張出大関とするのが正しいのですが、番付表の外枠に記載するとバランスが悪くなりますので、協会の御都合主義で張出は廃止されたと思われます。横綱は三役ではありませんが、三役に倣い、三人目からは張出としていたものです。
3:44
北の湖は、最初からもろ差しを狙ってましたね。
この時期の千代の富士は横綱時代でも最も調子が悪かった時ですね。
初めまして。
この年の千代の富士は大ブレーキの年でした。
初場所、千秋楽で優勝を逃し、
春は途中休場、
夏場所は何もかもがダメ。
名古屋場所は全休
秋場所は論外で
やっと九州場所で優勝して、そこから甦りました。
確か、かつてはヘビースモーカーだったんですよね、千代の富士関は。
それが直接影響したのかはわかりませんが、よく肩を脱臼していたんです。
脱臼が千代の富士の相撲を作った。
これは千代の富士本人も師匠の北の富士も話している。
@@小堀健一-b3k 千代の富士は、春場所弱く、31回の優勝の内、僅か3回、平成元年に優勝した後、脱臼するなど、春場所はついてなかった・・・。それとは対照的に弟弟子の北勝海は通算優勝8回の内、春場所4回優勝しているところが否めない・・・。
この一番が、北の湖の復活優勝を決定づけたなぁ😂
この頃はまだ待ったなしで立つ時に土俵に手を付いてないな
神風さんと杉山アナの黄金コンビ
0:00北の湖が左手人差し指でお尻に食い込んだ回しを気にする動作が昔嫌いだったな。痒いのかな?
北の湖と千代の富士の最後の対決。
円熟期の千代と下火の北の
もろ差しに成られたら
千代も勝てないわね
昭和59年といえば千代の富士が横綱昇進後、最も不調だった年。
九重親方師匠の北の富士さんが「お前、辞めろ」とまで言ったと伝えられている。
引退寸前の北の湖に全勝優勝を許し、北天佑には5連敗、朝潮には4連敗。
そして極めつけはハワイの怪物小錦に初顔で吹っ飛ばされた。
それで開眼し、九州場所から引退まで30代最強横綱として大化けした。
この年の千代の富士は1年を通じて影が薄かった。
雷電とやってほしかったなあ
解説者含めて皆鬼籍なんだな。悲しい😓
NHKの相撲解説は、杉山さん、向坂さん、内藤さん、石橋さんの頃が良かった。今の解説の人達は下手くそ。あと向正面に居る舞の海も要らんわ。正面も座って大関には辛口コメント。北の富士さんが言うのは分かるがお前が言うなって感じ、あと解説の人と親方が喋ってる時に割って入って来るなよって言いたい。
舞の海のファンでもないし、弁護する訳でもないが、視聴者に人気があるからお呼びが掛かるのでは。人気力士だったし。
元力士 (親方) で舞の海のように弁の立つ人はほぼいないし、なんか暗くて、相撲マニア向けになってしまう。コアな相撲ファン以外には舞の海のような明朗さが受けるのでは。
勿論、舞の海が嫌だと言う人がいてもまったくおかしくない。
北出さんもいた。
この頃になると、関西の江戸弁と自称していた神風さんの歯切れの良さが若干鈍っているような気はしますね
千代の富士はここ一番で元々の脇の甘さが出たね
八百長。