【ゆっくり解説】陸攻の墓場となったソロモンの死闘であげた夜間雷撃戦の勝利!レンネル島沖海戦!
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025
- 今回紹介するのは、1943年1月に起きたレンネル島沖海戦での日本海軍陸上攻撃機隊の活躍です。
開戦劈頭のマレー沖海戦では戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を撃沈して華々しい戦果をあげた日本海軍の陸攻隊ですが、ソロモン諸島を巡る戦いでは損害が相次ぎ、この頃になると、昼間での雷撃や爆撃は不可能ではないかと考えられるほどになっていました。
そんな陸攻隊が新たに主な攻撃手段としていったのが、夜間における爆撃・雷撃です。
レンネル島沖海戦は、この時期の陸攻隊が米艦隊に夜間雷撃戦を実施し、大型艦の撃沈という大きな戦果を上げた海戦でした。
米海軍に日本海軍陸攻隊の脅威を改めて思い知らせたレンネル島沖海戦とは、どのような戦いだったのでしょうか。
●注意事項
・動画作成者は東方に詳しくないため、魔理沙と霊夢の口調がおかしい場合があります。
・個人が収集した資料に基づき製作しているため、内容に誤りが含まれる場合があります。
・使用している画像等はキャプションがないものについては、時期や所属部隊、兵器の型式などを考慮しておらず、動画内容と無関係のものやイメージ画像・映像などが含まれます。
・当チャンネルの動画には、特定の国や組織、個人を貶める意図はありません。
●主要参考文献
「一式陸攻戦史」佐藤暢彦 光人社NF文庫 2019年
「連合軍艦艇撃沈す」木俣滋郎 光人社NF文庫 2013年
「栄光なき敗者の栄光 陸攻隊再生の夜間雷撃戦」内田弘樹 ミリタリークラシックスVol.43 2013年
「太平洋戦争の三菱一式陸上攻撃機 部隊と戦歴」多賀谷修牟 大日本絵画 2002年
「世界の傑作機No.59 一式陸上攻撃機」文林堂 1996年
「歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.42 帝国海軍一式陸攻」学研 2003年
「中攻 : 海軍陸上攻撃機隊史 下巻」巌谷二三男 出版共同社 1958年
dl.ndl.go.jp/p...
「ラバウル海軍航空隊」奥宮正武 朝日ソノラマ 1982年
dl.ndl.go.jp/p...
「「昭和18年1月経過概要~昭和18年3月経過概要」アジア歴史資料センター
C16120724200
「USS Chicago (CA-29)」Naval History and Heritage Command
www.history.na...
「H-015-2: Guadalcanal Campaign-Battle of Rennell Island and Operation Ke」
Naval History and Heritage Command
www.history.na...
「戦闘機の護衛なしで米艦隊を攻撃!重巡を撃沈し「ケ号作戦」を成功に導く【レンネル島沖海戦】」野田伊豆守 歴史人 www.rekishijin...
●音楽
魔王魂様、甘茶の音楽工房様
#ゆっくり解説 #第二次世界大戦 #太平洋戦争 #日本海軍 #陸上攻撃機 #ww2
アップありがとうございます
おばあちゃん の 末弟(淡路島出身)が 一式陸攻の 電信員として搭乗していましたが、夜間訓練中に 九州の山に墜落してしました。
僅かだったでしょうけど あの世から 遺族恩給を 送ってました。
陸攻隊はマレー沖海戦時の様な被害が少なく戦果を上げる事が難しくなっている、檜貝氏の奥さんは山本五十六夫人の姪
陸攻隊が出撃して作戦が終わると兵舎はガランと静かになってしまうと言われてたらしいですね。
一回の出撃で数十人がいなくなるんだから基地に残っていた兵達の士気も下がりまくってたらしい。
昭和18年にもなって96式陸攻を対艦攻撃に使うなんて無謀としか思えない。帰還できた機があっただけでも奇跡に感じる。しかもせっかく命中させた魚雷が不発なのは不運としか言いようがない。
日本海軍が実際の戦果よりも大々的に報じるのはいつも通りの大本営発表に感じてしまう。
1式がすぐ燃えるので96式を投入したが、やっぱり燃えた。
中島航空機では開戦後も転換生産していましたよ
一色が燃えると言うのも間違った情報から。山本長官の上記も追いかけ回してからの撃墜です。
せめて直掩機があれば…
レンネル島沖海戦だけでなく、これ以降もせっかく当てた魚雷の不発が何度もあったのが残念すぎる。
アメリカの方にも、不発魚雷の問題はあったようですが… しかし、確率を高めるために、徹甲弾を抱えた陸攻を混ぜなかったんかねぇ?
@@tita6818 徹甲弾は低空飛行じゃ爆発しないし夜間高高度じゃレーダーがあってもまず命中しない
これより前の南太平洋海戦でもほぼ同じ事があった。 重巡ポートランドに魚雷三本を命中させた。本当なら撃沈確実だったが、全てが不発で小破したのみだった
@@あたい-g1j ソロモンの夜戦でも魚雷がきちんと動作していればサウスダコタを撃沈していた
@@うた-m5uそこですよね…サウスダコタの方は不発じゃなくて信管が機敏すぎた故の事故ですが…
(追記)今日人生で初めてこの動画にコメントして初めて返信をもらいました。うたさんありがとうございます
撃墜された後、飛び散ったガソリンが引火や撃墜される寸前に投下された魚雷が命中と搭乗員の執念を感じます。
動画投稿お疲れ様です!
雲染む屍(かばね) つぎつぎて、撃ちてしやまん幾潮路 決死の翼 ゆくところ おたけび高し雷撃隊
僅かの戦果を何倍にも水増しする日本軍の悪い癖・・・
@@繁明徳原 台湾沖航空戦でピークに達する。
今も高齢化が原因とか2億回打ってもウンヌンと宣う大本営発表があるしで。
日本軍は何でも攻撃に回してしまうから、戦果確認用の偵察機が絶望的に少なく、誤認だらけになる。
一式陸攻を護衛する任務に着いていた零戦部隊は、陸攻部隊側から「護衛する能力無し」と酷評される始末。有名な零戦搭乗員S氏は、敵攻撃部隊に随伴する護衛戦闘機が居たら、先ずは敵戦闘機に突っ込んでいくと著書で述べていたが、米軍側は日本海軍攻撃部隊を発見したら護衛の零戦には目もくれず一直線に攻撃機(一式陸攻)に一撃離脱を繰り返したと云う。
何を最優先にすべきか?の心構えが日本と米国では違っていたと言える。
敵戦闘機を制圧できる戦況がこの後は無くなるからの
陸攻の使い方としては予定通りなんでしょうが、米軍の防空能力と飛行機の性能の差が開いていたんでしょうね。しかもこの時期96陸攻とは(´;ω;`)
もしこの時、瑞鶴や隼鷹などの空母を出撃させてたらもっと戦果を拡大出来たのでは無かろうか?
犠牲が戦果に見合ってないな
ギルバート沖や台湾沖も未だ帰らぬ未帰還機の死をせめて有意義なものにしてやろうという心理が働き対空砲弾の炸裂や味方機の自爆を魚雷命中と誤認するのを助長したと戦史叢書には書かれています 特に搭乗員の練度が求められる夜間雷撃では熟練者でも戦果確認が極めて困難だったことも幻の戦果の要因であったとも
疑問なんだが、戦果みず増しの大本営発表って陸軍のものは多くあるのか?
海軍オンリーの気がするのだが。
陸軍は主に大陸だったからね、広すぎて戦争一変させるような戦い無いから水増しもクソもないのかもしれない
夜間はね、戦果確認が難しいんだ。駆逐艦を戦艦に見誤ったり。大本営発表は大本営が嘘をついた訳ではない。現場部隊の過大戦果報告が原因だ。
誇大報告を正確に評価できたのは「陸軍の」堀参謀一人だけ。
@@SK-ki5vw それで戦略に悪影響を与えてしまった
ルイスビルじゃなくてルイビルでは?
指揮していた提督が日本初の空母艦載機パイロット上がりの航空戦闘の達人吉良俊一提督だからな。喧嘩を売る相手が悪かった。
アメリカ海軍最強の空母エンタープライズが護衛についていたとは…