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若々しい声、美しい言葉使い、上品さ、を感じます。夏目漱石、芥川龍之介、福沢諭吉などの音源もどこかにないでしょうか。聞きたいものです。
永井荷風の声はイメージ通りだな。家柄がいいから言葉に丸みがあり、気品に溢れてますね。空襲の時、自慢の洋館偏奇館が焼けてしまった後、住むところを転々とされたそうですが、人付き合いが苦手な人だから居候生活は辛かったでしょうね。
もう一度。浅草のストリップ小屋の控室は男子禁制だったが、荷風は何故か出入りしていた。警備員か小屋の従業員は、荷風を見て爺さんだからまぁ良いだろう、しかも文化勲章を貰った爺さんらしいぜと話をしたとか。荷風は自由だった。その自由は今の我々が求める自由とは質が違った。こんな自由人でありたいと思う。
ありがとうございます驚くほどの率直さ…声の柔らかいこと…気難しい気配がまったくありません。なにか信じられないです。
トーク全集を発売したら飛んでもなく売れただろうなぁ。声を聴いてるだけで癒しになるしw
こんなお声とは夢にも知りませんで、また読み直してみると、なお、良いかもしれませんね。語り手も利き手も今の人と教養や見識、人間の厚みが違いますから面白いですね。今では消えてしまった東京言葉、もう二度と聞けませんでしょうね。
聞き手は中央公論社 嶋中鵬二社長
永井荷風の肉声なんて残っていたんですね。初めて聞きました収録当時の荷風は73歳ですが、他の方も書いておられるように話し方が若々しい。受け答えも早い。女性にモテたのも納得ですw貴重な音源をアップしてくださってありがとうございました。
声に艶がある。この東京言葉イイですね。それにしてもよくありましたねこんなの
一緒に写っている綺麗なお姐さんたちの中で何人かはお元気で居る方もいるのではないかな、お話を聞いてみたい。
凄いな~芸者喜ばせが何気なく出来るんだから
若いころ,慶應義塾で、教えていたそうだが、この素晴らしい魅力的な、渋みや、人間性をしみじみ感じさせる才能が、見事に、作品とマッチしましたね。感慨無量ですね。
ずっと気難しい無口な人だと思っていましたが、谷崎も同じですが、お喋りで、闊達で、お茶目な人ですねー 意外でした。声もいい声ですねー これならストリップ嬢にもモテたわけだw
文芸春秋編集長を聞き役とした作家との対談番組がNHKラジオの番組があった。その録音ですか?
なんやこの写真羨ましすぎるやろ
永井先生、めっちゃ良い声していますね。知的で声が艶々。サムネが美人ばっかり。
この粋な声と話し方なら年とっても持てることが良く分かったね。
貴重な動画ありがとうございます。三田の通りを歩く永井荷風。偉くならない、上にいかないそれでも文化勲章。もてないはずがないでしょう。声も語り口も素敵。くださるものはいただいておきましょう。通じる質問をしないのは。
銀行も困るでしょ。小説家はやだな勉強しなきゃいけない。塩原太助をやりたい。面白いったりゃありゃしない。鴎外先生も隅に置けない。荷風先生の肉声昭和28年ライオンやタイガー浅草か銀座でしょうね。世間が言うほどカフェの女は堕落してないと僕は思う。勉強になりました。77歳の婆さん👧聞き手がいいと本当に面白いね。ありがとう😃
本読んでりゃ日が暮れる。古本屋に行くと面白い。戦後は銀座、女が綺麗になった。
こっちの言うことを聞いてない。もう少しいいのを寄越せばいいのに。🤣🤣🤣
普通!昔のオタクか、てっきりわけのわからん文語体の喋り方だと期待していた(ちょちょちょの寺山修司とか)、ぼぼぼぼくはね…とか、凡人とは違う何かを。影響受けた天才に敬意を込めて。
この質問者はかなり踏み込んでるね、プロだね、荷風が気持ちよく答えている。73荷風が時々噛みながらも流石頭の回転は早い、文化勲章受賞直後のやうだが淡々とした実直な言は家風らしい。この後、いつものカツ丼かどぜうを独り食べに行ったのだらうか、吾もかくありたい。
僕は昔、英吉利の大学で日本語を勉強して、その時に論文を永井荷風について書いた訳でした。ですから、この録音を発見してすごく嬉しいです。初めて荷風先生の肉声を聞きました。しかし、僕の日本語が不足で聞き取れないところが多いです。荷風先生の話相手はどなたでしょうか?どこかこのインタビューの写しが存在しているでしょうか?それにアップをして下さってどうもありがとうございました。
対談の相手は、当時の中央公論社の社長の嶋中鵬二さんです。おふたりとも今では聞くことのできない、古い東京の言葉を話していらっしゃいます。この他に、文化勲章を受章時の映像があるはずです。
有難うございました。この対談を繰り返して聴くと、少しずつ一部分々々理解できる様になっていきます。例えば、最後の方に荷風先生が次の映画が面白かったといらっしゃいます:th-cam.com/video/wdZispQA_3k/w-d-xo.html
@@tassokom 右翼に襲撃された人だ
70歳過ぎにしては随分若々しい御声ですね。聞き手の教養や巧みさもあるのでしょうが、想像を遥かに超える親しみやすさで驚きです。死ぬほど難物かと思ってました。一人称が「僕」なことに最も驚きました。初めから終わりまで、大変面白かったです。
野村萬斎さんの大叔父さんの高見順さんの従兄の永井荷風さんは、「知ってるつもり?!」で取り上げられています。
今も昔も新聞記者はおばかさんだったんですね。安心しました。😁
どちらの話し声が司会なのか最初判別できなかった。あの偏屈ぶりで知られる荷風がこんなに論理的でいかにも作家として構えたような語り口とは正反対であるのが新鮮だ。
永井荷風のフアン、特に文体は好き。しかし、助兵衛人間であるとも思っているでもこれは非難ではない。天才は、どスケベが多い。スケベは創造エネルギーの源泉になるらしい。何も生み出さないスケベは無意味だ。
ともかく飽きずに耳傾けました。73歳で文化勲章の折り目に、世間に愛想がよくなったが、相変わらず新聞屋が嫌いだった。勉強しない奴は嫌いなのであろう。この歳になると身体が、色恋ごとについていかないから、あまりカフェにもいかなくなったという。外にでないときはどうするか。家で読書をするという。時間が足りないくらいになる。これは実感であろう。古本屋であたらしい思潮のうごきを知る。それを買って読むらしい。このTH-camの写真が、その筋の女性に囲まれて先生は嬉しそうだ。 たのしく、孤独だと思ってが、今見てもそういう感じはする。 こちらは傘寿で、まだ能天気で、売れもしないし、売る気もないものを書いている。 Kakuといえば、絵も描いている。結構忙しい。荷風先生が73歳での節目を、80歳のものが他人ごととしてただ関心しているが、そういう自分は奇妙なものと思った。 たしかに声は若々しい。この時点では歯ならびも好かったであろう。 しばし楽しませたいただきありがとう。 Yassie arai.
高見恭子さんのお父さんの高見順さんと親戚です。
西園寺公望は美少年がお好き❗️と、京都人が話してました!が本当ですか?
江戸っ子は早口だね、質問者は当時中央公論社社長嶋中鵬二、ドナルドキーンが訪問してつゆのあとさきの翻訳を読んでもらったらしい。今川焼を瀬戸物の焼き物として誤訳していることを指摘されたか、されなかったかを書いているのを読んだことがある。きれいな日本語だとも書いていた。養子の永井久光氏が荷風は英語が堪能だったことを証言したが、ドナルドキーンはあえて日本語で話をしたらしい。
写真がたまらんな。東京人のジゴロってのは今も昔もメガネかけているインテリシニカルボーイだねえ。
上品な遊びをされてる知識人ですね 高い所においでます
上品な遊び?
永井荷風は依頼原稿は一切断ったそうだ。好きなものを書いて、その原稿は必ず売れたのである。戦後はロクなものを書いていないという批評家は多いが、そんなことはない葛飾土産はいいものです。同じコースを歩いたことがある。荷風は健脚である。
インテリの喋りですね。喋りに関しても素人じゃないみたい。時代がもう少し違えばテレビ出演の多い方だったでしょうね。
荷風先生の日本語、美しい。
ドナルド・キーン氏が晩年の荷風宅を訪ねた折、「こんなに美しい日本語を初めて聴いた」と印象を述べてます。
明るく上品な良い声ですね
濹東綺譚からきました
僕もです。
肉声は良いですね。人柄を感じることが何気に感じます。インタビュー内容が多岐にわたり優れていますね。もっともっと聞きたいですね。落語もやったんですね聴きたいですね。映像なども見たいですね。報道機関あたり資料であるんでしょうね。公開してくれると有難いですよね。どこかの局で本人登場の文豪番組作ってくれませんかね。今のテレビは低俗に過ぎ、このままでは日本人の民度が下がるばかりですね。局が保存している映像であれば製作費用は安くつきスポンサーは喜ぶと思うのですがいかがでしょうか。文学ファンはおおいですよ!報道各局の皆様。是非ご一考を。
荷風さんご機嫌だねー。もともとは東京っ子で町っ子で、モダンボーイでさ。おしゃべり好きな気のいいあ兄さんだったと思うよ。
荷風先生の音源が有るとは驚きですね。横浜正金銀行のニューヨーク支店でしごとをした。もちろん荷風の事だからニューヨークの高級娼婦たちとは、呆れるほど遊んだとご自分で告白されて居る。お金はあるのだから、何十人もの女性とお付き合いをして、それを味わい抱いたという訳です。然も、荷風先生は落語家に弟子入りし、高座にも上がったとは驚きだ、「朝寝坊夢の助」と云う高座名だと云うが、落語の音源は残ってはいないでしょう??フランス物語も女性の話だし、この時代の男は誠に男らしくて宜しい。「四畳半襖の下張り」も経験に根差した良い作品です。このくらいの物が書けないと作家とは言い難いですね。
私も深川生まれ深川育ち浅草に住んでる江戸っ子で、先生と同じように落語の芝居も小説もやりました。父親が日本橋浜町、母が深川は木場でございます。荷風先生の川沿いのさもしい心持ちがわかります。生まれ故郷もそうです。寂しく、自然と人間の肉片の香りが致します。ありがとう。
あっそ
若々しい声、美しい言葉使い、上品さ、を感じます。
夏目漱石、芥川龍之介、福沢諭吉などの音源もどこかにないでしょうか。聞きたいものです。
永井荷風の声はイメージ通りだな。
家柄がいいから言葉に丸みがあり、気品に溢れてますね。
空襲の時、自慢の洋館偏奇館が焼けてしまった後、住むところを転々とされたそうですが、人付き合いが苦手な人だから居候生活は辛かったでしょうね。
もう一度。浅草のストリップ小屋の控室は男子禁制だったが、荷風は何故か出入りしていた。警備員か小屋の従業員は、荷風を見て爺さんだからまぁ良いだろう、しかも文化勲章を貰った爺さんらしいぜと話をしたとか。荷風は自由だった。その自由は今の我々が求める自由とは質が違った。こんな自由人でありたいと思う。
ありがとうございます
驚くほどの率直さ…声の柔らかいこと…気難しい気配がまったくありません。
なにか信じられないです。
トーク全集を発売したら飛んでもなく売れただろうなぁ。声を聴いてるだけで癒しになるしw
こんなお声とは夢にも知りませんで、また読み直してみると、なお、良いかもしれませんね。語り手も利き手も今の人と教養や見識、人間の厚みが違いますから面白いですね。今では消えてしまった東京言葉、もう二度と聞けませんでしょうね。
聞き手は中央公論社 嶋中鵬二社長
永井荷風の肉声なんて残っていたんですね。初めて聞きました
収録当時の荷風は73歳ですが、他の方も書いておられるように話し方が若々しい。受け答えも早い。
女性にモテたのも納得ですw
貴重な音源をアップしてくださってありがとうございました。
声に艶がある。この東京言葉イイですね。それにしてもよくありましたねこんなの
一緒に写っている綺麗なお姐さんたちの中で何人かはお元気で居る方もいるのではないかな、お話を聞いてみたい。
凄いな~芸者喜ばせが何気なく出来るんだから
若いころ,慶應義塾で、教えていたそうだが、この素晴らしい魅力的な、渋みや、人間性をしみじみ感じさせる才能が、見事に、作品とマッチしましたね。感慨無量ですね。
ずっと気難しい無口な人だと思っていましたが、谷崎も同じですが、
お喋りで、闊達で、お茶目な人ですねー 意外でした。
声もいい声ですねー これならストリップ嬢にもモテたわけだw
文芸春秋編集長を聞き役とした作家との対談番組がNHKラジオの番組があった。その録音ですか?
なんやこの写真羨ましすぎるやろ
永井先生、めっちゃ良い声していますね。知的で声が艶々。サムネが美人ばっかり。
この粋な声と話し方なら年とっても持てることが良く分かったね。
貴重な動画ありがとうございます。三田の通りを歩く永井荷風。偉くならない、上にいかないそれでも文化勲章。もてないはずがないでしょう。
声も語り口も素敵。くださるものはいただいておきましょう。
通じる質問をしないのは。
銀行も困るでしょ。小説家はやだな勉強しなきゃいけない。塩原太助をやりたい。面白いったりゃありゃしない。鴎外先生も隅に置けない。荷風先生の肉声昭和28年ライオンやタイガー浅草か銀座でしょうね。世間が言うほどカフェの女は堕落してないと僕は思う。勉強になりました。77歳の婆さん👧聞き手がいいと本当に面白いね。ありがとう😃
本読んでりゃ日が暮れる。古本屋に行くと面白い。戦後は銀座、女が綺麗になった。
こっちの言うことを聞いてない。もう少しいいのを寄越せばいいのに。🤣🤣🤣
普通!昔のオタクか、てっきりわけのわからん文語体の喋り方だと期待していた(ちょちょちょの寺山修司とか)、ぼぼぼぼくはね…とか、凡人とは違う何かを。影響受けた天才に敬意を込めて。
この質問者はかなり踏み込んでるね、プロだね、荷風が気持ちよく答えている。73荷風が時々噛みながらも流石頭の回転は早い、文化勲章受賞直後のやうだが淡々とした実直な言は家風らしい。この後、いつものカツ丼かどぜうを独り食べに行ったのだらうか、吾もかくありたい。
僕は昔、英吉利の大学で日本語を勉強して、その時に論文を永井荷風について書いた訳でした。ですから、この録音を発見してすごく嬉しいです。初めて荷風先生の肉声を聞きました。しかし、僕の日本語が不足で聞き取れないところが多いです。荷風先生の話相手はどなたでしょうか?どこかこのインタビューの写しが存在しているでしょうか?それにアップをして下さってどうもありがとうございました。
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70歳過ぎにしては随分若々しい御声ですね。聞き手の教養や巧みさもあるのでしょうが、想像を遥かに超える親しみやすさで驚きです。死ぬほど難物かと思ってました。一人称が「僕」なことに最も驚きました。初めから終わりまで、大変面白かったです。
野村萬斎さんの大叔父さんの高見順さんの従兄の永井荷風さんは、「知ってるつもり?!」で取り上げられています。
今も昔も新聞記者はおばかさんだったんですね。安心しました。😁
どちらの話し声が司会なのか最初判別できなかった。あの偏屈ぶりで知られる荷風がこんなに論理的でいかにも作家として構えたような語り口とは正反対であるのが新鮮だ。
永井荷風のフアン、特に文体は好き。しかし、助兵衛人間であるとも思っている
でもこれは非難ではない。
天才は、どスケベが多い。スケベは創造エネルギーの源泉になる
らしい。何も生み出さないスケベは無意味だ。
ともかく飽きずに耳傾けました。73歳で文化勲章の折り目に、世間に愛想がよくなったが、相変わらず新聞屋が嫌いだった。勉強しない奴は嫌いなのであろう。この歳になると身体が、色恋ごとについていかないから、あまりカフェにもいかなくなったという。外にでないときはどうするか。家で読書をするという。時間が足りないくらいになる。これは実感であろう。古本屋であたらしい思潮のうごきを知る。それを買って読むらしい。このTH-camの写真が、その筋の女性に囲まれて先生は嬉しそうだ。 たのしく、孤独だと思ってが、今見てもそういう感じはする。 こちらは傘寿で、まだ能天気で、売れもしないし、売る気もないものを書いている。 Kakuといえば、絵も描いている。結構忙しい。荷風先生が73歳での節目を、80歳のものが他人ごととしてただ関心しているが、そういう自分は奇妙なものと思った。 たしかに声は若々しい。この時点では歯ならびも好かったであろう。 しばし楽しませたいただきありがとう。 Yassie arai.
高見恭子さんのお父さんの高見順さんと親戚です。
西園寺公望は美少年がお好き❗️と、京都人が話してました!が本当ですか?
江戸っ子は早口だね、質問者は当時中央公論社社長嶋中鵬二、ドナルドキーンが訪問してつゆのあとさきの翻訳を読んでもらったらしい。今川焼を瀬戸物の焼き物として誤訳していることを指摘されたか、されなかったかを書いているのを読んだことがある。きれいな日本語だとも書いていた。養子の永井久光氏が荷風は英語が堪能だったことを証言したが、ドナルドキーンはあえて日本語で話をしたらしい。
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上品な遊びをされてる知識人ですね 高い所においでます
上品な遊び?
永井荷風は依頼原稿は一切断ったそうだ。好きなものを書いて、その原稿は必ず売れたのである。戦後はロクなものを書いていないという批評家は多いが、そんなことはない葛飾土産はいいものです。同じコースを歩いたことがある。
荷風は健脚である。
インテリの喋りですね。喋りに関しても素人じゃないみたい。時代がもう少し違えばテレビ出演の多い方だったでしょうね。
荷風先生の日本語、美しい。
ドナルド・キーン氏が晩年の荷風宅を訪ねた折、「こんなに美しい日本語を初めて聴いた」と印象を述べてます。
明るく上品な良い声ですね
濹東綺譚からきました
僕もです。
肉声は良いですね。人柄を感じることが何気に感じます。インタビュー内容が多岐にわたり優れていますね。もっともっと聞きたいですね。落語もやったんですね聴きたいですね。映像なども見たいですね。報道機関あたり資料であるんでしょうね。公開してくれると有難いですよね。どこかの局で本人登場の文豪番組作ってくれませんかね。今のテレビは低俗に過ぎ、このままでは日本人の民度が下がるばかりですね。局が保存している映像であれば製作費用は安くつきスポンサーは喜ぶと思うのですがいかがでしょうか。文学ファンはおおいですよ!報道各局の皆様。是非ご一考を。
荷風さんご機嫌だねー。もともとは東京っ子で町っ子で、モダンボーイでさ。おしゃべり好きな
気のいいあ兄さんだったと思うよ。
荷風先生の音源が有るとは驚きですね。横浜正金銀行のニューヨーク支店でしごとをした。もちろん荷風の事だからニューヨークの高級娼婦たちとは、呆れるほど遊んだとご自分で告白されて居る。お金はあるのだから、何十人もの女性とお付き合いをして、それを味わい抱いたという訳です。然も、荷風先生は落語家に弟子入りし、高座にも上がったとは驚きだ、「朝寝坊夢の助」と云う高座名だと云うが、落語の音源は残ってはいないでしょう??フランス物語も女性の話だし、この時代の男は誠に男らしくて宜しい。「四畳半襖の下張り」も経験に根差した良い作品です。このくらいの物が書けないと作家とは言い難いですね。
私も深川生まれ深川育ち浅草に住んでる江戸っ子で、先生と同じように落語の芝居も小説もやりました。
父親が日本橋浜町、母が深川は木場でございます。
荷風先生の川沿いのさもしい心持ちがわかります。
生まれ故郷もそうです。
寂しく、自然と人間の肉片の香りが致します。
ありがとう。
あっそ