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いつもTH-camをご視聴いただきありがとうございます!TH-camへのコメントは拝読させていただいております。TH-cam上でのコメント返しはできませんが、同様の質問を『中山市朗ブログ』( blog.livedoor.jp/kaidanyawa/ )のコメント欄へ記入していただけますと、中山市朗がお返事をすることはあります。今後ともよろしくお願いいたします!
科学科学言うけど、人間の科学がどれ程のもんやねん。幽霊一つも解明できんのか、というのが私のスタンスです。
幽霊が居ないといっている間は日本人になれない。
飛行機がなんで飛ぶかも分かってないんだから人間に分からないことなんていくらでもあるさ
飛行機が飛ぶ原理は普通に揚力ですよね。昔から解明されてますよ。
有るという証明は出来ますが、無いという証明は出来ない(悪魔の証明)というのは、まあその通りですね。なので裏を返せば「無い」と断言する事は出来ないだろうと、強いて言うなら「無いと思う」もしくは「分からん」というのが適切ちゃうかなと常日頃思ってます。
周りの人で信じる!っていう人が誰もいません。ガチガチに見えてる人がいるけど好んで話にならない。私は見えないけど子供の頃からあるだろうなと思ってた。色々ですよね。多分思想信条に関わるんでしょう。旦那に色々言うとマジデ嫌われそうなのでほどほどにしてますし。でも考え方が違う人同士がバトルすると何かしらでてくるんじゃないでしょうかね。
私は物理現象としての幽霊はいない派ですが、文学や信仰の領域では幽霊は存在すると思ってます。つまり、クオリアと言われる主観とも客観とも言えない領域がありうるからです。また、本来なら幽霊とは輪廻転生とセットで考えるべき問題かなと思ってますが、輪廻自体がセンシティブな問題を孕んでいるので難しいですかね。
私は霊の世界があると思っています。思っているに過ぎないレベルですが。人とその存在について人に会わせた内容にしています。霊の世界の有無についてケンカするのももったいないし。人間関係も修行の一つだと思います。ありがとうございました。
科学的思考とは1 客観的に観測出来る2 再現性を伴う3 合理的、分析的な説明が出来ると思います。リンゴが木から落ちるは科学的思考の範疇にあります。日曜日の午前中、教会へ行きましょう。毎週日曜日に信者たちは教会に集い神に祈りアーメンという光景を観測出来ます。キリスト教を信じることは科学的に正しい!?
再現が可能であること、誰でも確認できること、は科学的な証明手法ですけど『北野誠のおまえら行くな。』でやってはるのはコレよね。明大石川センセの前段『幽霊はココロの中にいる』は、体験者経験者の主観であると普段思っている私の意見と重なりますが、主観であればこそ他人に否定できるようなモノではないのよね🐷
釈迦さんとかイエスさんとか ダヴィンチさんとか 地球だけ見てませんよね 人は肉体を脱いだあとどの次元の世界に行くのか?そこには地球人ではない存在がいるのかも だから釈迦さんは地球だけを見ている弟子たちになにも言えずに もどかしい思いで去っていったのかもしれません
しかし西浦和也さんらが主張している方法、即ち進化したセンサーとイメージング技術で幽霊を可視化するという方法は素晴らしいと思います。ある程度再現性を担保できるのではないかとも思います。超心理学を再生できる可能性があると思います。まじで😅。
言い方として100%幽霊とは、それは言えないはずですね。それは矛盾しますw🤣 科学的に説明できないものは幽霊として説明出来ても、これが幽霊だと100%説明することは出来ないはずなんですねw 一種の禅問答というか。人間の想像力の限界と言い換えても良い。
石川教授と飛鳥先生のやりとりは以前中山先生のブログで拝読したのを覚えてます。う〜ん………どちらも尤もなところ、おかしなところがあるなと思いますが、石川教授に軍配が上がるかな……飛鳥先生の「ないことを証明しろ」と言うのは触れている方もいますが「悪魔の証明」で、ないことは証明できません。ない証拠を出せと言うのは飛鳥先生が無茶だと思います。石川教授は「役に立つんですか?」と言うのもおかしいなと思います。論点のすり替えだと思います。僕は幽霊のいるいないについては、いつもわかりませんと答えます。本当にわからないからです。幽霊なるものを見たと言う人が10000人いて9999人が嘘、幻覚、勘違いだとしてもこりゃ本当だと1件でも実証されたらもういないとは言えなくなります。なんというか、いる、いないと断言した時点で間違っているのかもしれませんね。以前鶴瓶師匠のテレビのトーク番組で師匠の友人のフォークシンガーが聞き役だったんですが彼は「この世に幽霊なんか絶対おらん。魂もない。不思議なこともないねん。人間がおるだけ」と断言していましたが、「そんなこと言っていいのかな~」とは思いました。傲慢過ぎないか?と。僕はいわゆる幽霊の存在については「ああでもないですな。こうでもないですな」と言う立場ですが不思議な事、奇々怪々なことは決して否定しません。ただそれが幽霊か否かはまた別、わかりません。本当に、でもだからこそ底なし沼みたいな魅力があります。
石川先生の言うことは科学の常識に基づくもので、幽霊があると主張する者が証拠を出さなければなりません。無いことを証明することは人間には出来ません。出来るのは悪魔だけと言うことで悪魔の証明と呼ばれています。
ある一定の条件を満たせば必ず同じ現象が起こると言う再現性が無ければ科学では取り扱えず分析できないのです。心霊写真が何百枚あっても科学としては幽霊かどうかは分かりませんと言うしか無い。
科学的にどうなれば幽霊がいるて証明になるのか、がそもそもわからなくないか😅
無いことを証明しろとは「悪魔の証明」で科学ではありません。仮に10の10乗回、観察して1回だけ現象が起きても、その1回を同一環境で再現できなければ科学的に「無いに限りなく等しい」のです。その1回をもって「有る」と主張するのであれば主張側がその存在の証明をするのが科学です。
自分は幽霊を見た事はありませんがいる派だと思います。何故なら昔から語り継がれたり見た人しか証拠が示せないし、存在しないならそもそも超常現象や幽霊そのものの言葉も存在しないと思います。
幽霊が人間の死の先の存在であったとして感情が有るなら同じ場所や同じ時間帯で同じ気象条件だからといって常に再現性を求めるのは不可能では⁉ 神様でも常に神社に居るものではないという話しもありますし…。
いつもTH-camをご視聴いただきありがとうございます!
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TH-cam上でのコメント返しはできませんが、同様の質問を『中山市朗ブログ』( blog.livedoor.jp/kaidanyawa/ )のコメント欄へ記入していただけますと、中山市朗がお返事をすることはあります。
今後ともよろしくお願いいたします!
科学科学言うけど、人間の科学がどれ程のもんやねん。幽霊一つも解明できんのか、というのが私のスタンスです。
幽霊が居ないといっている間は日本人になれない。
飛行機がなんで飛ぶかも分かってないんだから人間に分からないことなんていくらでもあるさ
飛行機が飛ぶ原理は普通に揚力ですよね。
昔から解明されてますよ。
有るという証明は出来ますが、
無いという証明は出来ない(悪魔の証明)というのは、まあその通りですね。なので裏を返せば「無い」と断言する事は出来ないだろうと、強いて言うなら「無いと思う」もしくは「分からん」というのが適切ちゃうかなと常日頃思ってます。
周りの人で信じる!っていう人が誰もいません。ガチガチに見えてる人がいるけど好んで話にならない。私は見えないけど
子供の頃からあるだろうなと思ってた。色々ですよね。多分思想信条に関わるんでしょう。旦那に色々言うとマジデ嫌われそうなのでほどほどにしてますし。でも考え方が違う人同士がバトルすると何かしらでてくるんじゃないでしょうかね。
私は物理現象としての幽霊はいない派ですが、文学や信仰の領域では幽霊は存在すると思ってます。つまり、クオリアと言われる主観とも客観とも言えない領域がありうるからです。また、本来なら幽霊とは輪廻転生とセットで考えるべき問題かなと思ってますが、輪廻自体がセンシティブな問題を孕んでいるので難しいですかね。
私は霊の世界があると思っています。
思っているに過ぎないレベルですが。
人とその存在について人に会わせた内容にしています。
霊の世界の有無についてケンカするのももったいないし。
人間関係も修行の一つだと思います。
ありがとうございました。
科学的思考とは
1 客観的に観測出来る
2 再現性を伴う
3 合理的、分析的な説明が出来る
と思います。リンゴが木から落ちるは科学的思考の範疇にあります。
日曜日の午前中、教会へ行きましょう。毎週日曜日に信者たちは教会に集い神に祈りアーメンという光景を観測出来ます。
キリスト教を信じることは科学的に正しい!?
再現が可能であること、誰でも確認できること、は科学的な証明手法ですけど『北野誠のおまえら行くな。』でやってはるのはコレよね。
明大石川センセの前段『幽霊はココロの中にいる』は、体験者経験者の主観であると普段思っている私の意見と重なりますが、主観であればこそ他人に否定できるようなモノではないのよね🐷
釈迦さんとかイエスさんとか ダヴィンチさんとか 地球だけ見てませんよね 人は肉体を脱いだあとどの次元の世界に行くのか?そこには地球人ではない存在がいるのかも だから釈迦さんは地球だけを見ている弟子たちになにも言えずに もどかしい思いで去っていったのかもしれません
しかし西浦和也さんらが主張している方法、即ち進化したセンサーとイメージング技術で幽霊を可視化するという方法は素晴らしいと思います。ある程度再現性を担保できるのではないかとも思います。超心理学を再生できる可能性があると思います。まじで😅。
言い方として100%幽霊とは、それは言えないはずですね。それは矛盾しますw🤣 科学的に説明できないものは幽霊として説明出来ても、これが幽霊だと100%説明することは出来ないはずなんですねw 一種の禅問答というか。人間の想像力の限界と言い換えても良い。
石川教授と飛鳥先生のやりとりは以前中山先生のブログで拝読したのを覚えてます。う〜ん………どちらも尤もなところ、おかしなところがあるなと思いますが、石川教授に軍配が上がるかな……飛鳥先生の「ないことを証明しろ」と言うのは触れている方もいますが「悪魔の証明」で、ないことは証明できません。ない証拠を出せと言うのは飛鳥先生が無茶だと思います。石川教授は「役に立つんですか?」と言うのもおかしいなと思います。論点のすり替えだと思います。
僕は幽霊のいるいないについては、いつもわかりませんと答えます。本当にわからないからです。
幽霊なるものを見たと言う人が10000人いて9999人が嘘、幻覚、勘違いだとしてもこりゃ本当だと1件でも実証されたらもういないとは言えなくなります。
なんというか、いる、いないと断言した時点で間違っているのかもしれませんね。
以前鶴瓶師匠のテレビのトーク番組で師匠の友人のフォークシンガーが聞き役だったんですが彼は「この世に幽霊なんか絶対おらん。魂もない。不思議なこともないねん。人間がおるだけ」と断言していましたが、「そんなこと言っていいのかな~」とは思いました。傲慢過ぎないか?と。
僕はいわゆる幽霊の存在については「ああでもないですな。こうでもないですな」と言う立場ですが不思議な事、奇々怪々なことは決して否定しません。ただそれが幽霊か否かはまた別、わかりません。本当に、でもだからこそ底なし沼みたいな魅力があります。
石川先生の言うことは科学の常識に基づくもので、幽霊があると主張する者が証拠を出さなければなりません。無いことを証明することは人間には出来ません。出来るのは悪魔だけと言うことで悪魔の証明と呼ばれています。
ある一定の条件を満たせば必ず同じ現象が起こると言う再現性が無ければ科学では取り扱えず分析できないのです。心霊写真が何百枚あっても科学としては幽霊かどうかは分かりませんと言うしか無い。
科学的にどうなれば幽霊がいるて証明になるのか、がそもそもわからなくないか😅
無いことを証明しろとは「悪魔の証明」で科学ではありません。仮に10の10乗回、観察して1回だけ現象が起きても、その1回を同一環境で再現できなければ科学的に「無いに限りなく等しい」のです。その1回をもって「有る」と主張するのであれば主張側がその存在の証明をするのが科学です。
自分は幽霊を見た事はありませんがいる派だと思います。何故なら昔から語り継がれたり見た人しか証拠が示せないし、存在しないならそもそも超常現象や幽霊そのものの言葉も存在しないと思います。
幽霊が人間の死の先の存在であったとして感情が有るなら同じ場所や同じ時間帯で同じ気象条件だからといって常に再現性を求めるのは不可能では⁉ 神様でも常に神社に居るものではないという話しもありますし…。