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通りゃんせやかごめかごめなどは、昭和の子供達までは受け継がれてて、よくみんなで遊んでましたよ。懐かしい。。
このチャンネルをご覧の方々には釈迦に説法だと思われますが、基本走らない江戸時代の侍達が一斉に走る事で主君や御家に関わる一大事であることを表現していますね。あと走り方も現代風の手足交互では無く両手両足を揃えており一つ一つの所作の芝居の細やかに感心させられます。
ナンバ走りですね。
江戸時代は町中では走る事は禁止だったような。飛脚と子どもとあと産婆はOKだったような気がする。
昭和の時代劇は本当にすばらしかった。最近の時代劇は、全く時代劇なんかじゃない!
日本古来の武士道の魂とか、‘情‘を感じさせるドラマがなくなってしまった。大河ドラマにせよ、言葉遣いや口調が現代語に直され、役を演ずるというよりそもそもタレント出身やイケメンを採用しなければ視聴率が取れないこの悲しさ!ますますテレビ離れが多くなるだろう🤧
『座頭市(’03 北野武)』や『清須〜(’13 三谷幸喜)』は或る意味、其処ば逆手に取った作品と言えましょう!
またジャニーズかよ(-_-;)
全くその通り。今年の大河ドラマ「どうする家康」など馬鹿馬鹿しくて一度も視ておりません。
意外と気がつかないところですが、時代劇に出てくる人の歩き方や走り方が、今と違って手足が同じ(右足を出すときは右手も前に出す)ということもちゃんとやっていますね。今のように手足を交互に出す走り方や歩き方をすると、武士の場合、腰に差した刀が飛んでしまいます。
おじいちゃんが毎日のように時代劇チャンネル見てます。お侍の言葉や役職、市民の暮らしなどが面白いです。
監督、脚本、演出、役者、良いロケ地まで色々と失われたものは多いよ。
それな。役者に於いては時代劇の立ち居振る舞いがスタート時点で出来ないタレントばかりやし殺陣に至っては二ヶ月三ヶ月稽古しました!とか胸を張る阿呆なタレントばかりやしな。昭和の役者は何時時代劇の仕事が入っても即現場に入れたもんだ。又そうでなければ役者としてお呼びが掛からなくなるのが当たり前。
懐かしいですね、幼い頃に父に連れられて町の映画館で見たモノクロの時代劇を思い出します。当時は幼すぎてわかりませんでしたが今になって感じることは役者さん達が今の役者さんと違って、とても存在感がありましたね✨✨
あれだけ大量にいた虚無僧がいつの間にか絶滅したな、と思ったことがありました。
虚無僧の正体は浪人と聞いたことがあります。とすれば、どこに行ったのでしょうか?地方に流れて百姓に?
昔の人々は、短い寿命の中で一生懸命、全力で必死に生きていたのよね。。
時代劇が貧しく感じられるようになったのは 何も番組予算の削減や自然環境の都市化だけが原因ではありません例えば時代考証一つを取っても 江戸時代の生き証人みたいな明治生まれの三田村鳶魚のような先人がいて 江戸風俗のニュアンスを細部まで伝えていたのです
哀しいかな現状の映画もテレビも真っ当な時代劇を作れないし出来る役者も居ない。タレントじゃあ無いですよ。役者さんです。もっぱら昔の映画のDVDを見て拍手しております。日本終わったな。
男前ばかり……?それも色白のひ弱そうな役者起用(タレント)
@@kkkdd-yh4kp 阪東妻三郎、近衛十四郎、片岡千恵蔵、中村錦之助、市川雷蔵、若山富三郎、中村梅之助、そんな役者さん達です。
以前に武田鉄矢さんも言われてましたが、野太い侍の声を出せる役者さんがいないですよね。
昭和末期まではまだ銭形平次とかがあったからここに出てくるほとんどのものはカラーで見れてました最近は時代劇自体ゴールデンタイムで放送されなくなりましたね
@@うひょい-o2h 各局が競い合って時代劇を作っていましたよね?しかし悲しいかなあの国民的時代劇水戸黄門でさえ、末期には60代以上の方々からそっぽを向かれ、裏番組の「鶴瓶の家族に乾杯」に視聴者を奪われる始末・・
昔 私が育った田舎は虚無僧 修験者が玄関前で尺八や法螺貝を吹いていました。わだちの無い道や 電柱の無い道がありました。ススキが繁った河原もありましたね。昭和40年代までは存在していました。
渋谷生まれです。20歳位までは虚無僧駅とかで見かけましたよ。家の前にも来てました。😊
ロケシーンがやっぱり素晴らしいですね☺️ 某国営放送は俳優のストレス(暑さ寒さ)を考えてロケはしないと声明してましたが、衝撃的でした…😱黒沢監督に聞かせてみたい。
「現代では絶対作れない時代劇」を見てKamibasamiさんの作品に興味を持ちました。今回、ようやくその続編を見ることができました。やはり、前回同様、道路での通りゃんせ、竹林、橋近くの土手など、屋外の撮影にデジャブを感じました。貴重な映像をアップしていただき有難うございました。
団塊の世代、それも田舎の豊かな家ならかろうじて子供の頃に実家で「お手伝いさん」「子守り」「ばあや」などが家にいた記憶があるかと思います。1970年代が分水嶺ですかね。それ以降は完全に現代に直結した社会のように感じます
昭和40年生まれの都内のどちらかと言えば下町エリアでしたが友達でお手伝いさんがいる家は何軒かありました。経済的には豊かな家だったと思いますがそこまで凄いお金持ちの家というイメージはなかったですね。当時は今よりは一般的だったと思います。
@@takaos7992 さまこの二十年あまりで日本の貧富の差が極端に大きく見えるようになりました、資本主義の国ならやむを得ない面は有りますが、昨今の日本はまるで全体主義国家
基本中の基本である時代劇の事を知る脚本家が居なくなったからもう時代劇は残念ながら無理だと思う
歌舞伎や落語の中では江戸時代の言葉や粋な洒落が残ってますね!例えば落語で聴いた大晦日の川柳が大晦日首でも取って来る気なり、大晦日首で良ければやる気なり、その他傾城傾国に罪無し通う客人に罪あり
小さい時に観たチャンバラ映画を思いだしました。今今時代劇の風景を撮影しようとしても高層ビル、電柱、送電線の鉄塔、山道でも車の轍など撮影時に入り込むものが多いですよね。マァ、CGで消すことはできますが・・。
瓦版の「読売」は実際こんな感じだったのではないか。それにしてもカットなしでこの台詞を覚え演じるこの役者も見事。
最近の時代劇は、撮影場所、予算の両方が少ないのか、コンクリの護岸などが背景に写っていることがありますね。
現代ではデジタルで消したり、描き直したりしてるんですが・・・昔の方が、電柱や鉄塔が映り込まないように工夫してたんですが、偶に映るり込んじゃう事もありました。
音楽も良いね
最近新たに見た 江戸末期,明治10年位でしょうか,本物の侍達の写真見ましが 本当に時代劇ドラマ 映画そのままの格好シテ居て 感動しました 明治初期間では刀さしてチョンマゲ 刀差して歩く禁止条例出る間では あの格好シテ居たのにも 驚きました。
時代劇で、というより、時代劇を、見なくなった。大河ドラマなんて、時代劇風のよくわかんない現代劇。いや、韓流ドラマかしっとりとした日本的情緒なんて、今の日本じゃどこを探したってありはしない。日常が忙しすぎるのだ昭和30〜40年代の日本と今の日本はどうにもこうにも繋がらない。まるで別の国になってしまった
同感!今の日本人はチキノンチキノンとかアフリカの狩猟ダンスが好きだもんな~❔
大河でヒロイン?が「申されましても…」って言ったのを片耳で聞いて「???」ってなった…
@@kaidan0ti それをおかしいと分かる人は多分視聴者の2割程度
@@kaidan0ti 実は江戸時代まではそのように使用されていて、誤りとなったのは明治時代以降の話みたいですよ
@@MLuv あらまあ。ライターがその知識を踏まえて書いた台詞ならいいのですが。
太平洋戦争中の南方戦線での無声映画。侍映画を娯楽として上映していたので、現地の人々は銃を向けても笑っていたが、刀を抜いた瞬間に散り散りに逃げたそうです。
高札や、巻紙の文書の仮名文字、読めないのですが、すごくきれいなことはわかります。いま、これだけの仮名が書ける方がどれだけいることか…。
習い事として確立されてるから、今も結構いると思う当時だって上手いの次元までいくと、もう日常を離れて立派な芸事だったし
実際には難しいです。書家と習字の先生のうち習字の先生は女性が非常に多くその手(字)は仮名を中心として草書を主に使います。女性で行書の真名をきっちり書ける人が非常に少ないのです。産経国際書会に繊細さと豪快さを併せ持つ方がおられますが、目立つのがお好きではないのでまず無理でしょう。逆に、男性の遅咲きの書家の場合、趣味として書をたしなみつつエリート社員や公務員上級職などを定年しお勤めで培った研究法を以て書に取り組んで開花なさった方が多いです。こうした方は弟子を多くとりませんので徒花として散ってしまい、卓越した書を弟子に伝え広めていくまでのことにはなかなかならないのです。いらっしゃるにはいらっしゃるのですが。
映画とかで書く手元が出る場合に大概年齢のいった感じの手が映りますね。
「さらの紙に墨黒々と書く」この意味を理解するには、まず、どうでもいい書き付けは薄墨で書き、次第に濃く墨を使っていき、最後は焚き付けに使う、という紙と墨の普段使いを知っている必要があります。いまの時代劇では、そこに気を遣う作り方がまったく為されていない。だからこそ、「さらの紙に墨黒々と書かれているという事実」の衝撃がないのです。少しく心残りに思います。
補足します。普通は、一枚の紙を何度も再利用していた、という意味です。まっさらの紙にいきなり濃い墨で書くということそれ自体が、それだけ重要だと合点して書いている、ということなのです。
現代ドラマもそうですがNHKの時代劇でも外が少なく室内ばかりで風情が今はありません、外も綺麗過ぎて『撮影京都だな、』昔はまだ撮影できる場所沢山ありましたね、時代劇は金もセットもかかるのでアニメになってしまうかも?
時代劇はテレビシリーズも含めてやはりコントラストの高いフィルム撮影でなければしっくりこない。BS放送を観れば50年前の作品でも着物の柄が明確なほど画質が素晴らしい。撮影レンズやフィルムサイズという元々の撮影条件が良かったのだろう。現在のデジタル撮影では生々しさがありすぎて何か違和感を感じる。
4Kとか8Kとか、綺麗すぎてセットだって分かって興覚め。
激しく同感!!あの末期のナショナル劇場・・ビデオ撮影の水戸黄門、大岡越前・・もはや手抜きとしか言いようのない体たらくでしたよね!
いや、何もこんな古い時代劇映画じゃなくても、TVの時代劇でも最近まで普通に表現されていたのでは?😉問題は衣装や大・小道具等で金が掛かる事と、ロケ出来るような自然豊かな背景が無くなっちゃったって事でしょう。昭和時代に普通にTVで放映されていた時代劇を、地上波はもうダメだけどネットでは特に東映が主体となって流してくれているのは実にありがたい!
新木枯らし紋次郎を制作するにあたり、紋次郎役の中村敦夫さん自身が中古車を購入して、ロケに相応しい場所を探して長時間運転されたらしいですから、1976年当時から時代劇のロケに相応しい場所がなくなっていったのは確かですね。
もう時代劇はリアルCGアニメで作るしかないですね・・・。
それも味気無いしなぁ。
それも論外
これ等(下を見よ)は、(遠山の金さん捕物帳(主演:中村梅之助までは、普通にTVで、放送されていたよくあるネタだったのに・・・((笑))。
何よりも、この河内山宗俊みたいな、時代劇の定番が見られなくなったのでは?忠臣蔵さえも、、、。
「忠臣蔵」は今では多くの人に「赤穂浪士の逆恨み」「被害者を逆恨みで殺す加害者の関係者集団」と知れ渡ってしまいNG。
@@Odoroku-tomoya4n10 そうなん?
オールスターキャストの忠臣蔵が懐かしいし難しく考えずに最後にエイエイオー!って吉良上野介の首取って凱旋して拍手で良かったからな。峠の群像辺り違う切り口でやりたかったのだろうけど好きでは無かった。
@@いちべぇ-s6c さんそうです。だからあれは正当な仇討ちではありません。浅野内匠頭は幕府の法律によって裁かれたのであって、直接吉良に殺された訳ではありません。だから幕府は全員に切腹を命じました。何故なら幕府の裁きに不満を抱き、被害者である吉良を斬殺した、お上に楯突く反乱分子だからです。本来ならただの罪人として打ち首獄門なんですが江戸庶民の幕府への不満が彼等赤穂浪士を英雄として祭り上げた為に、ただの犯罪者扱いしてしまうと庶民の暴動が起きかねないのでやむを得ず彼等を義士として扱い、切腹という武士として名誉の死を与えたのです。
@@Odoroku-tomoya4n10 それは現実として書いた通り難しく考えずにエイエイオー!って映画が楽しかった訳です。主家の再興に努力したが受け入れられなくて仕方無い武士として格好付かない暮らしも立たないから吉良邸にでも討ち入って浪々の惨めな暮らしから皆でおさらばしたかったってのが実状じゃね。
大河内伝次郎の見事な殺陣は本物の居合をやっていないとできないものですね。
てか、時代劇そのものを見なくなりましたね、おっと、東映時代劇チャンネルで影の軍団Ⅲ見なきゃ
近頃どころか時代劇やその他のドラまで見れなくなったものは(由美かおる)の入浴シーンだな
五倍子水あるいは鉄漿付け 孫と『椿三十郎』観てたのですか 「葉が黒い」って言ってました近頃の時代劇では してませんね 格調が違います 役者が・・・・❔
武士道が合理的とは思わんけど日本人の情操教育に必要不可欠なものだとかは思う スシローのバカ子どもにしても恥の概念がないからあんなみっともないことをする 親の教育も大事だけど武士道に通じる日本人の感性は伝えるべきだわ
ごもっとも。俺の知る日本は恥の文化だった。今の日本は名前だけで日本じゃあ無いな。日本人でも無いな。もっとも本当に日本人では無い奴等が通名で国会まで侵食しているけどな。
もはや、時代劇自体を見ないね。
そもそも、時代劇自体が最近作られないよね。撮影コストが掛かる割には需要がニッチ。昼間韓流時代劇っぽいの流してるの全部辞めて、20世紀に撮られたドラマ(時代劇含む)再放送したらいいのではと思うの俺だけか?地元の地方局は水戸黄門とか暴れん坊将軍とかの時代劇をよく再放送してる
そう!時代劇の風景に着物から小物にカツラ諸々とんでもないお金と人が必要!今は無理やろ。
60代ですが昔の時代劇映画は俳優のメイクが歌舞伎っぽくクドいのはフィルム映写機の品質のため仕方ないとして、それ以外は細かなとこまで考察して作っています。それからみると今の鯛我なんてファンタジードラマだべと感じてしまいます。もうK国のファンタジー時代ドラマと変わんないわーと思ってしまい見る気がしません。中高年はポツンとか家ついてってにチャンネル回してしまいますね(表現古!)昭和40年代前半までは全力で時代映画作ってましたけど平成からこっちはテキトーに作った感しか感じません。何かもう長生きしても「長生きしてこんなもん見れて嬉しいわー」って、この先思うことがない気がします。
最近の時代劇は台詞が現代的過ぎる。ある程度やむを得ぬとは言え聞くに耐えない。
古い(昭和30年代かな?)時代劇映画をYou Tubeでみたけど、お武家言葉での会合シーンは半分も判らなかった(現代語字幕入れて~状態w!)。
@@nipul1967 古いのはワシも判りにくいです。
逆に職場ではカタカナばかり使って悦にいるヤツが増えてどうにも、ね。そんな漢字が読めない、熟語を知らないヤツらを対象に時代劇(特に大河ドラマか)作れば、そういう事にもなりますわな、と。
勘定方の下級役人が上役に「そうなんですね?」正しくは「そうでござりまするな」ですよね?
若山富三郎や萬屋錦之介がやってる子連れ狼では、浪人でも武士は武家言葉、渡世人は、渡世言葉、町人は町人言葉なんですね。はっきりと別けてるのがポイントですね。
勝手なイメージだけど昔の時代劇は今よりもアクションシーンが迫力ある
昭和30年代生まれですが、小学校のころ、通りゃんせや花いちもんめをやりましたね。今の子はやらないでしょうね
昭和40年代前半生まれですが、幼稚園・小学校低学年くらいはやってましたねー。小学校高学年くらいがインベーダーブームで中学でファミコンかな?
16歳の高一ですが、自分が保育園のときは友達と先生で花いちもんめや、かごめかごめなど普通に遊びましたよ。
地上波ではスッカリ時代劇は消滅して、見るに堪えない番組ばかりで、BSで昔の時代劇を見る事しか出来ない。NHKを始め民法を削減すればと思う此の頃。
見なくなったもの、風景や街並み、道路もそうだが、黒澤作品頃には見れたものに既婚女性をしめす「お歯黒」がその一つかな、あと玄関の錠というか「じょっぴん(つっかえ棒(錠))」があるかな。
こういうのもいいけど、80年代にあった、1カットに300頭くらい馬が出てくるような大作も観たい。
’70年代時代劇にはあった『民具』『生活道具』が明らかに欠如している。往年のドラマ観ると「ああ、昔は観たよな。今の時代劇では観たことないよな」となること多し。
お歯黒・引眉も見なくなったね。
旅をしてる女の人が、気分が悪くなって、シャクがどうのこうのとか言う場面が良くあった。それから、気を失っている人の背中を片膝で力を入れて押す?と気が付くとか、逆に、みぞおちにパンチを入れて、気を失わせるとか。ホントにできるの?
現在では先ず撮影の場所が無い昔ながらの民家も無くなり道は舗装道路手頃の山が有れば今風の家が建っていたり川の橋も木の橋が無くなりもうセットで演るしか無い
今や地上波で時代劇を作って居るのは、NHK位だからね!
町中での賑わう場面でエキストラの人たちの数が少なさすぎる。
@@nashikane8847 実際の江戸の町中はあんなものではなかったはず。時代劇によく登場する日本橋のセット・・主人公達が横並びに歩くシーンがありますが、日中だととてもあんな事は出来ないはずだし、町中の人通りもあんなに閑散とはしていない。何しろ牛や馬、町人に武士、僧侶に大名行列までありとあらゆるものが行き交い、人口密度も高かったはず。
時代劇じたい大河しかない。
今年の大河は暴れん坊将軍レベル
Jishinban, banya what is it ?? Means ?
K様江戸市中の町は、町民が自衛のために「自身番小屋」を建て、それを「番屋」と呼びました。映画の中の場面は、「番屋」ではなく、左官屋さんの家です。お尋ね者(主人公)に気づいて、左官の親方が、娘さんに「自身番」に届けるように言いつけています。これは昭和27年の映画ですが、もっと後の時代のドラマでは「番屋」という言い方が一般的でした。
歌舞伎というか、劇の雰囲気があるのですね、ちょっとだけ。もう少し現在に近いと、庶民の子が赤い着物を着ていたり、カラーではヒドい面がありますが、この頃はモノクロだからいいな。今の時代劇は、もう現代をそのまま移したようで、なんだかなあ…です。
水戸黄門や大岡越前の末期はなんとなんとビデオ撮影のドラマだった。ビデオ撮影の時代劇など所詮はホームドラマの延長でしかない。コスト削減の為に時代劇をビデオ撮影にしては絶対に絶対に駄目だ!16ミリフィルムで撮影→東洋現像所(現IMAGICA)で現像処理→現像処理したフィルムをビデオへ変換(テレシネ)編集は匠、故河合勝己さん→テレビ放映私はこのビデオ撮影が日本のドラマ全体をダメダメダメにした元凶だと考えている。
近頃時代劇を見ません。テレビでない。
道端に生えている木は🍁🌴🏵️🌳🌼🌿🌺、草も🌵🍀🏵️🌻🌷🌷🌼、松の木は戦後🇺🇸シロヒトリによって大分減っている。😊
月代のないイケメン俳優…。月代NGなら時代劇出るなよ…。
これ、大河の信玄で中井某が出家後も髪を伸ばしていた時に感じました。
月代をちゃんと“さかやき”と読める人も今では少数派。
今の大河、戦国時代が舞台なのに月代がない面々ばかり。なんで❓
神棚は実家に有ります。
最近の時代劇は月代剃って無くて役者さんの普段の髪型に髷をちょこんと乗っけただけのが多くてがっかりする
時代劇そのものが無くなった説ある。
ええっ😱イマドキの子供って通りゃんせしないんだ?!花いちもんめもか。
矢絣の腰元の、、「あーれー大回転」もしくは「ご無体な大回転」
私の実家の兄夫婦は若い時から時代劇は見なかった。多分元々嫌いだったのだろうとはおもうんですが、因みに兄69歳、義姉71歳・・義姉曰く「時代劇なんてお年寄りが見るもの」ゴールデンタイムに時代劇が各局にて競い合うようにリアルタイムで放送されていた頃から年輩者の中にも時代劇=年寄り番組と言うイメージを持つ方々は一定数いました。何故時代劇はいつの間にか昭和の、しかも早い時期から時代劇=年寄り番組と言う偏見を持つ年輩者がいたのでしょうか?現在70代以上で元々時代劇が嫌いとおっしゃる方に是非その理由をお尋ねしたいです。
でも’80年代は千葉真一や真田広之、JACがあったので高校生でもキャーx2でしたけどね。
言葉使いのおかしい時代劇はゴミあり得ない言葉は「申された」申したに敬語って、この申した人は偉いのか偉くないのかサッパリ偉いのなら「仰った」があるやんちゃんとしろ!大河ドラマ
鉄漿・・おはぐろ 結婚した女性は歯を黒くぬる。
お毒見金魚
神棚は職場で見るね。
現代語で話すのは仕方ないのか?
BGMうるさい。
必殺仕事人のような勧善懲悪は困るのよ
とにかく時代劇の放送枠が……? (NHKのこれが時代劇なのかとの新作ばかり)、最後のBS向けの水戸黄門も人選が酷すぎる?武田鉄矢のヌンチャク場面を取り入れると言ったり……?とにかく時代劇じゃ無くなった一つの原因。
古き良き文化、伝統、歴史を否定する脚本家や監督の出現が出て来たせいであろうと思う。自国の国体を否定する輩が多くなった顛末と捉える。
通りゃんせやかごめかごめなどは、昭和の子供達までは受け継がれてて、よくみんなで遊んでましたよ。懐かしい。。
このチャンネルをご覧の方々には釈迦に説法だと思われますが、基本走らない江戸時代の侍達が一斉に走る事で主君や御家に関わる一大事であることを表現していますね。
あと走り方も現代風の手足交互では無く両手両足を揃えており一つ一つの所作の芝居の細やかに感心させられます。
ナンバ走りですね。
江戸時代は町中では走る事は禁止だったような。
飛脚と子どもとあと産婆はOKだったような気がする。
昭和の時代劇は本当にすばらしかった。最近の時代劇は、全く時代劇なんかじゃない!
日本古来の武士道の魂とか、‘情‘を感じさせるドラマがなくなってしまった。
大河ドラマにせよ、言葉遣いや口調が現代語に直され、役を演ずるというより
そもそもタレント出身やイケメンを採用しなければ視聴率が取れないこの悲しさ!
ますますテレビ離れが多くなるだろう🤧
『座頭市(’03 北野武)』や『清須〜(’13 三谷幸喜)』は或る意味、其処ば逆手に取った作品と言えましょう!
またジャニーズかよ(-_-;)
全くその通り。今年の大河ドラマ「どうする家康」など馬鹿馬鹿しくて一度も視ておりません。
意外と気がつかないところですが、時代劇に出てくる人の歩き方や走り方が、今と違って手足が同じ(右足を出すときは右手も前に出す)ということもちゃんとやっていますね。
今のように手足を交互に出す走り方や歩き方をすると、武士の場合、腰に差した刀が飛んでしまいます。
おじいちゃんが毎日のように時代劇チャンネル見てます。お侍の言葉や役職、市民の暮らしなどが面白いです。
監督、脚本、演出、役者、良いロケ地まで色々と失われたものは多いよ。
それな。役者に於いては時代劇の立ち居振る舞いがスタート時点で出来ないタレントばかりやし殺陣に至っては二ヶ月三ヶ月稽古しました!とか胸を張る阿呆なタレントばかりやしな。昭和の役者は何時時代劇の仕事が入っても即現場に入れたもんだ。又そうでなければ役者としてお呼びが掛からなくなるのが当たり前。
懐かしいですね、幼い頃に父に連れられて
町の映画館で見たモノクロの時代劇を思い出します。
当時は幼すぎてわかりませんでしたが
今になって感じることは役者さん達が今の
役者さんと違って、とても存在感がありましたね✨✨
あれだけ大量にいた虚無僧がいつの間にか絶滅したな、と思ったことがありました。
虚無僧の正体は浪人と聞いたことがあります。
とすれば、どこに行ったのでしょうか?
地方に流れて百姓に?
昔の人々は、短い寿命の中で一生懸命、全力で必死に生きていたのよね。。
時代劇が貧しく感じられるようになったのは 何も番組予算の削減や自然環境の都市化だけが原因ではありません
例えば時代考証一つを取っても 江戸時代の生き証人みたいな明治生まれの三田村鳶魚のような先人がいて 江戸風俗のニュアンスを細部まで伝えていたのです
哀しいかな現状の映画もテレビも真っ当な時代劇を作れないし出来る役者も居ない。タレントじゃあ無いですよ。役者さんです。
もっぱら昔の映画のDVDを見て拍手しております。日本終わったな。
男前ばかり……?それも色白のひ弱そうな役者起用(タレント)
@@kkkdd-yh4kp 阪東妻三郎、近衛十四郎、片岡千恵蔵、中村錦之助、市川雷蔵、若山富三郎、中村梅之助、そんな役者さん達です。
以前に武田鉄矢さんも言われてましたが、野太い侍の声を出せる役者さんがいないですよね。
昭和末期まではまだ銭形平次とかがあったからここに出てくるほとんどのものはカラーで見れてました
最近は時代劇自体ゴールデンタイムで放送されなくなりましたね
@@うひょい-o2h 各局が競い合って時代劇を作っていましたよね?
しかし悲しいかなあの国民的時代劇水戸黄門でさえ、末期には60代以上の方々からそっぽを向かれ、裏番組の「鶴瓶の家族に乾杯」に視聴者を奪われる始末・・
昔 私が育った田舎は虚無僧 修験者が玄関前で尺八や法螺貝を吹いていました。わだちの無い道や 電柱の無い道がありました。ススキが繁った河原もありましたね。昭和40年代までは存在していました。
渋谷生まれです。
20歳位までは虚無僧駅とかで見かけましたよ。
家の前にも来てました。😊
ロケシーンがやっぱり素晴らしいですね☺️ 某国営放送は俳優のストレス(暑さ寒さ)を考えてロケはしないと声明してましたが、衝撃的でした…😱
黒沢監督に聞かせてみたい。
「現代では絶対作れない時代劇」を見てKamibasamiさんの作品に興味を持ちました。今回、ようやくその続編を見ることができました。やはり、前回同様、道路での通りゃんせ、竹林、橋近くの土手など、屋外の撮影にデジャブを感じました。貴重な映像をアップしていただき有難うございました。
団塊の世代、それも田舎の豊かな家ならかろうじて子供の頃に実家で「お手伝いさん」「子守り」「ばあや」などが家にいた記憶があるかと思います。1970年代が分水嶺ですかね。それ以降は完全に現代に直結した社会のように感じます
昭和40年生まれの都内のどちらかと言えば下町エリアでしたが友達でお手伝いさんがいる家は何軒かありました。
経済的には豊かな家だったと思いますがそこまで凄いお金持ちの家というイメージはなかったですね。
当時は今よりは一般的だったと思います。
@@takaos7992 さま
この二十年あまりで日本の貧富の差が極端に大きく見えるようになりました、資本主義の国ならやむを得ない面は有りますが、昨今の日本はまるで全体主義国家
基本中の基本である
時代劇の事を知る
脚本家が居なくなったから
もう時代劇は残念ながら無理だと思う
歌舞伎や落語の中では江戸時代の言葉や粋な洒落が残ってますね!例えば落語で聴いた大晦日の川柳が大晦日首でも取って来る気なり、大晦日首で良ければやる気なり、その他傾城傾国に罪無し通う客人に罪あり
小さい時に観たチャンバラ映画を思いだしました。
今
今時代劇の風景を撮影しようとしても高層ビル、電柱、送電線の鉄塔、山道でも車の轍など撮影時に入り込むものが多いですよね。
マァ、CGで消すことはできますが・・。
瓦版の「読売」は実際こんな感じだったのではないか。それにしてもカットなしでこの台詞を覚え演じるこの役者も見事。
最近の時代劇は、撮影場所、予算の両方が少ないのか、コンクリの護岸などが背景に写っていることがありますね。
現代ではデジタルで消したり、描き直したりしてるんですが・・・
昔の方が、電柱や鉄塔が映り込まないように工夫してたんですが、偶に映るり込んじゃう事もありました。
音楽も良いね
最近新たに見た 江戸末期,明治10年位でしょうか,本物の侍達の写真見ましが 本当に時代劇ドラマ 映画そのままの格好シテ居て 感動しました 明治初期間では刀さしてチョンマゲ 刀差して歩く禁止条例出る間では あの格好シテ居たのにも 驚きました。
時代劇で、というより、時代劇を、見なくなった。
大河ドラマなんて、時代劇風のよくわかんない現代劇。いや、韓流ドラマか
しっとりとした日本的情緒なんて、今の日本じゃどこを探したってありはしない。日常が忙しすぎるのだ
昭和30〜40年代の日本と今の日本はどうにもこうにも繋がらない。まるで別の国になってしまった
同感!今の日本人はチキノンチキノンとかアフリカの狩猟ダンスが好きだもんな~❔
大河でヒロイン?が「申されましても…」って言ったのを片耳で聞いて「???」ってなった…
@@kaidan0ti それをおかしいと分かる人は多分視聴者の2割程度
@@kaidan0ti 実は江戸時代まではそのように使用されていて、誤りとなったのは明治時代以降の話みたいですよ
@@MLuv
あらまあ。
ライターがその知識を踏まえて書いた台詞ならいいのですが。
太平洋戦争中の南方戦線での無声映画。侍映画を娯楽として上映していたので、現地の人々は銃を向けても笑っていたが、刀を抜いた瞬間に散り散りに逃げたそうです。
高札や、巻紙の文書の仮名文字、読めないのですが、すごくきれいなことはわかります。いま、これだけの仮名が書ける方がどれだけいることか…。
習い事として確立されてるから、今も結構いると思う
当時だって上手いの次元までいくと、もう日常を離れて立派な芸事だったし
実際には難しいです。
書家と習字の先生のうち
習字の先生は女性が非常に多く
その手(字)は仮名を中心として
草書を主に使います。
女性で行書の真名をきっちり書ける人が
非常に少ないのです。
産経国際書会に
繊細さと豪快さを併せ持つ
方がおられますが、
目立つのがお好きではないので
まず無理でしょう。
逆に、男性の遅咲きの書家の場合、
趣味として書をたしなみつつ
エリート社員や公務員上級職などを定年し
お勤めで培った研究法を以て
書に取り組んで開花なさった方が多いです。
こうした方は
弟子を多くとりませんので
徒花として散ってしまい、
卓越した書を弟子に伝え
広めていくまでのことには
なかなかならないのです。
いらっしゃるには
いらっしゃるのですが。
映画とかで書く手元が出る場合に大概年齢のいった感じの手が映りますね。
「さらの紙に墨黒々と書く」
この意味を理解するには、まず、
どうでもいい書き付けは薄墨で書き、
次第に濃く墨を使っていき、
最後は焚き付けに使う、という
紙と墨の普段使いを
知っている必要があります。
いまの時代劇では、
そこに気を遣う作り方が
まったく為されていない。
だからこそ、
「さらの紙に墨黒々と
書かれているという事実」の
衝撃がないのです。
少しく心残りに思います。
補足します。
普通は、一枚の紙を
何度も再利用していた、
という意味です。
まっさらの紙にいきなり
濃い墨で書くということ
それ自体が、それだけ
重要だと合点して書いている、
ということなのです。
現代ドラマもそうですがNHKの時代劇でも外が少なく室内ばかりで風情が今はありません、外も綺麗過ぎて『撮影京都だな、』昔はまだ撮影できる場所沢山ありましたね、時代劇は金もセットもかかるのでアニメになってしまうかも?
時代劇はテレビシリーズも含めてやはりコントラストの高いフィルム撮影でなければしっくりこない。
BS放送を観れば50年前の作品でも着物の柄が明確なほど画質が素晴らしい。
撮影レンズやフィルムサイズという元々の撮影条件が良かったのだろう。
現在のデジタル撮影では生々しさがありすぎて何か違和感を感じる。
4Kとか8Kとか、綺麗すぎてセットだって分かって興覚め。
激しく同感!!あの末期のナショナル劇場・・ビデオ撮影の水戸黄門、大岡越前・・もはや手抜きとしか言いようのない体たらくでしたよね!
いや、何もこんな古い時代劇映画じゃなくても、TVの時代劇でも最近まで普通に表現されていたのでは?😉
問題は衣装や大・小道具等で金が掛かる事と、ロケ出来るような自然豊かな背景が無くなっちゃったって事でしょう。
昭和時代に普通にTVで放映されていた時代劇を、地上波はもうダメだけどネットでは特に東映が主体となって流してくれているのは実にありがたい!
新木枯らし紋次郎を制作するにあたり、紋次郎役の中村敦夫さん自身が中古車を購入して、ロケに相応しい場所を探して長時間運転されたらしいですから、1976年当時から時代劇のロケに相応しい場所がなくなっていったのは確かですね。
もう時代劇はリアルCGアニメで作るしかないですね・・・。
それも味気無いしなぁ。
それも論外
これ等(下を見よ)は、(遠山の金さん捕物帳(主演:中村梅之助までは、普通にTVで、放送されていたよくあるネタだったのに・・・((笑))。
何よりも、この河内山宗俊みたいな、時代劇の定番が見られなくなったのでは?
忠臣蔵さえも、、、。
「忠臣蔵」は今では多くの人に「赤穂浪士の逆恨み」「被害者を逆恨みで殺す加害者の関係者集団」と知れ渡ってしまいNG。
@@Odoroku-tomoya4n10 そうなん?
オールスターキャストの忠臣蔵が懐かしいし難しく考えずに最後にエイエイオー!って吉良上野介の首取って凱旋して拍手で良かったからな。
峠の群像辺り違う切り口でやりたかったのだろうけど好きでは無かった。
@@いちべぇ-s6c さん
そうです。だからあれは正当な仇討ちではありません。浅野内匠頭は幕府の法律によって裁かれたのであって、直接吉良に殺された訳ではありません。
だから幕府は全員に切腹を命じました。
何故なら幕府の裁きに不満を抱き、被害者である吉良を斬殺した、お上に楯突く反乱分子だからです。
本来ならただの罪人として打ち首獄門なんですが江戸庶民の幕府への不満が彼等赤穂浪士を英雄として祭り上げた為に、ただの犯罪者扱いしてしまうと庶民の暴動が起きかねないのでやむを得ず彼等を義士として扱い、切腹という武士として名誉の死を与えたのです。
@@Odoroku-tomoya4n10 それは現実として書いた通り難しく考えずにエイエイオー!って映画が楽しかった訳です。
主家の再興に努力したが受け入れられなくて仕方無い武士として格好付かない暮らしも立たないから吉良邸にでも討ち入って浪々の惨めな暮らしから皆でおさらばしたかったってのが実状じゃね。
大河内伝次郎の見事な殺陣は本物の居合をやっていないとできないものですね。
てか、時代劇そのものを見なくなりましたね、
おっと、東映時代劇チャンネルで影の軍団Ⅲ見なきゃ
近頃どころか時代劇やその他のドラまで見れなくなったものは(由美かおる)の入浴シーンだな
五倍子水あるいは鉄漿付け 孫と『椿三十郎』観てたのですか 「葉が黒い」って言ってました
近頃の時代劇では してませんね 格調が違います 役者が・・・・❔
武士道が合理的とは思わんけど日本人の情操教育に必要不可欠なものだとかは思う スシローのバカ子どもにしても恥の概念がないからあんなみっともないことをする 親の教育も大事だけど武士道に通じる日本人の感性は伝えるべきだわ
ごもっとも。
俺の知る日本は恥の文化だった。
今の日本は名前だけで日本じゃあ無いな。日本人でも無いな。
もっとも本当に日本人では無い奴等が通名で国会まで侵食しているけどな。
もはや、時代劇自体を見ないね。
そもそも、時代劇自体が最近作られないよね。撮影コストが掛かる割には需要がニッチ。昼間韓流時代劇っぽいの流してるの全部辞めて、20世紀に撮られたドラマ(時代劇含む)再放送したらいいのではと思うの俺だけか?地元の地方局は水戸黄門とか暴れん坊将軍とかの時代劇をよく再放送してる
そう!時代劇の風景に着物から小物にカツラ諸々とんでもないお金と人が必要!今は無理やろ。
60代ですが昔の時代劇映画は俳優のメイクが歌舞伎っぽくクドいのはフィルム映写機の品質のため仕方ないとして、それ以外は細かなとこまで考察して作っています。それからみると今の鯛我なんてファンタジードラマだべと感じてしまいます。もうK国のファンタジー時代ドラマと変わんないわーと思ってしまい見る気がしません。中高年はポツンとか家ついてってにチャンネル回してしまいますね(表現古!)昭和40年代前半までは全力で時代映画作ってましたけど平成からこっちはテキトーに作った感しか感じません。何かもう長生きしても「長生きしてこんなもん見れて嬉しいわー」って、この先思うことがない気がします。
最近の時代劇は台詞が現代的過ぎる。ある程度やむを得ぬとは言え聞くに耐えない。
古い(昭和30年代かな?)時代劇映画をYou Tubeでみたけど、お武家言葉での会合シーンは半分も判らなかった(現代語字幕入れて~状態w!)。
@@nipul1967 古いのはワシも判りにくいです。
逆に職場ではカタカナばかり使って悦にいるヤツが増えてどうにも、ね。そんな漢字が読めない、熟語を知らないヤツらを対象に時代劇(特に大河ドラマか)作れば、そういう事にもなりますわな、と。
勘定方の下級役人が上役に「そうなんですね?」正しくは「そうでござりまするな」ですよね?
若山富三郎や萬屋錦之介がやってる子連れ狼では、
浪人でも武士は武家言葉、
渡世人は、渡世言葉、
町人は町人言葉なんですね。
はっきりと別けてるのがポイントですね。
勝手なイメージだけど昔の時代劇は今よりもアクションシーンが迫力ある
昭和30年代生まれですが、小学校のころ、通りゃんせや花いちもんめをやりましたね。今の子はやらないでしょうね
昭和40年代前半生まれですが、幼稚園・小学校低学年くらいはやってましたねー。
小学校高学年くらいがインベーダーブームで中学でファミコンかな?
16歳の高一ですが、自分が保育園のときは友達と先生で花いちもんめや、かごめかごめなど普通に遊びましたよ。
地上波ではスッカリ時代劇は消滅して、見るに堪えない番組ばかりで、BSで昔の時代劇を見る事しか出来ない。NHKを始め民法を削減すればと思う此の頃。
見なくなったもの、風景や街並み、道路もそうだが、黒澤作品頃には見れたものに既婚女性をしめす「お歯黒」がその一つかな、あと玄関の錠というか「じょっぴん(つっかえ棒(錠))」があるかな。
こういうのもいいけど、80年代にあった、1カットに300頭くらい馬が出てくるような大作も観たい。
’70年代時代劇にはあった『民具』『生活道具』が明らかに欠如している。
往年のドラマ観ると「ああ、昔は観たよな。今の時代劇では観たことないよな」
となること多し。
お歯黒・引眉も見なくなったね。
旅をしてる女の人が、気分が悪くなって、シャクがどうのこうのとか言う場面が良くあった。それから、気を失っている人の背中を片膝で力を入れて押す?と気が付くとか、逆に、みぞおちにパンチを入れて、気を失わせるとか。ホントにできるの?
現在では先ず撮影の場所が無い昔ながらの民家も無くなり道は舗装道路手頃の山が有れば今風の家が建っていたり川の橋も木の橋が無くなりもうセットで演るしか無い
今や地上波で時代劇を作って居るのは、NHK位だからね!
町中での賑わう場面でエキストラの
人たちの数が少なさすぎる。
@@nashikane8847 実際の江戸の町中はあんなものではなかったはず。
時代劇によく登場する日本橋のセット・・主人公達が横並びに歩くシーンがありますが、日中だととてもあんな事は出来ないはずだし、町中の人通りもあんなに閑散とはしていない。何しろ牛や馬、町人に武士、僧侶に大名行列までありとあらゆるものが行き交い、人口密度も高かったはず。
時代劇じたい大河しかない。
今年の大河は暴れん坊将軍レベル
Jishinban, banya what is it ?? Means ?
K様
江戸市中の町は、町民が自衛のために「自身番小屋」を建て、それを「番屋」と呼びました。
映画の中の場面は、「番屋」ではなく、左官屋さんの家です。
お尋ね者(主人公)に気づいて、左官の親方が、娘さんに「自身番」に届けるように言いつけています。これは昭和27年の映画ですが、もっと後の時代のドラマでは「番屋」という言い方が一般的でした。
歌舞伎というか、劇の雰囲気があるのですね、ちょっとだけ。
もう少し現在に近いと、庶民の子が赤い着物を着ていたり、カラーではヒドい面がありますが、この頃はモノクロだからいいな。
今の時代劇は、もう現代をそのまま移したようで、なんだかなあ…です。
水戸黄門や大岡越前の末期はなんとなんとビデオ撮影のドラマだった。ビデオ撮影の時代劇など所詮はホームドラマの延長でしかない。
コスト削減の為に時代劇をビデオ撮影にしては絶対に絶対に駄目だ!16ミリフィルムで撮影→東洋現像所(現IMAGICA)で現像処理→現像処理したフィルムをビデオへ変換(テレシネ)編集は匠、故河合勝己さん→テレビ放映
私はこのビデオ撮影が日本のドラマ全体をダメダメダメにした元凶だと考えている。
近頃時代劇を見ません。テレビでない。
道端に生えている木は🍁🌴🏵️🌳🌼🌿🌺、草も🌵🍀🏵️🌻🌷🌷🌼、松の木は戦後🇺🇸シロヒトリによって大分減っている。😊
月代のないイケメン俳優…。
月代NGなら時代劇出るなよ…。
これ、大河の信玄で中井某が出家後も髪を伸ばしていた時に感じました。
月代をちゃんと“さかやき”と読める人も今では少数派。
今の大河、戦国時代が舞台なのに月代がない面々ばかり。なんで❓
神棚は実家に有ります。
最近の時代劇は月代剃って無くて役者さんの普段の髪型に髷をちょこんと乗っけただけのが多くてがっかりする
時代劇そのものが無くなった説ある。
ええっ😱イマドキの子供って通りゃんせしないんだ?!花いちもんめもか。
矢絣の腰元の、、「あーれー大回転」もしくは「ご無体な大回転」
私の実家の兄夫婦は若い時から時代劇は見なかった。多分元々嫌いだったのだろうとはおもうんですが、因みに兄69歳、義姉71歳・・義姉曰く「時代劇なんてお年寄りが見るもの」ゴールデンタイムに時代劇が各局にて競い合うようにリアルタイムで放送されていた頃から年輩者の中にも時代劇=年寄り番組と言うイメージを持つ方々は一定数いました。何故時代劇はいつの間にか昭和の、しかも早い時期から時代劇=年寄り番組と言う偏見を持つ年輩者がいたのでしょうか?
現在70代以上で元々時代劇が嫌いとおっしゃる方に是非その理由をお尋ねしたいです。
でも’80年代は千葉真一や真田広之、JACがあったので
高校生でもキャーx2でしたけどね。
言葉使いのおかしい時代劇はゴミ
あり得ない言葉は「申された」
申したに敬語って、この申した人は
偉いのか偉くないのかサッパリ
偉いのなら「仰った」があるやん
ちゃんとしろ!大河ドラマ
鉄漿・・おはぐろ 結婚した女性は歯を黒くぬる。
お毒見金魚
神棚は職場で見るね。
現代語で話すのは仕方ないのか?
BGMうるさい。
必殺仕事人のような勧善懲悪は困るのよ
とにかく時代劇の放送枠が……? (NHKのこれが時代劇なのかとの新作ばかり)、最後のBS向けの水戸黄門も人選が酷すぎる?武田鉄矢のヌンチャク場面を取り入れると言ったり……?とにかく時代劇じゃ無くなった一つの原因。
古き良き文化、伝統、歴史を否定する脚本家や監督の出現が出て来たせいであろうと思う。自国の国体を否定する輩が多くなった顛末と捉える。