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熱い動画でした。人の情熱が伝わってきました。こーゆーのっていいなぁ。
ありがとうございます。すごくうれしいです
私も先日ようやく見にいくことができました。実物の彩雲、そして誉エンジンの美しい空冷フィンの造形に痺れました。複列18気筒星形エンジンは、芸術品ですね(それだけに運用に苦労したようですが)
たしかにこれ どうやって鋳造したのか? 当時の技術はすごいですね
鋳込みという技術だそう。
@@miyazin-shoten そうそう、繊細なフィンは芸術もん。しかも、自動車エンジンのようにシリンダヘッドとシリンダーは分離しなくて一体です。さらに航空機や船舶のエンジンは8割ほどの負荷がデフォで燃費が良い設計です。バルブのステムは冷却の為にナトリュウムが封入されていた。ガソリンの規格が絵に描いた餅を体現している。航空ガソリンの規格が1〜6号までありそれぞれオクタン価が77〜95。四エチル鉛添加の配合燃料の規格は、1号95オクタン価に四エチル鉛添加で100オクタン価、2号90オクタン価に四エチル鉛添加で100オクタン価。
@@寺田弘司-b5w 空冷フィンは製造時期で手法が違うんですよね。見る人が見れば識別できるかも。
若輩者がご指摘するのは心苦しのですが、映像の誉は砂型鋳造で作られた1800馬力制限の一二型だと思われます。点火プラグ周辺の凹んだ部分の空冷フィンが8枚が砂型鋳造、10枚がブルノー式、13枚が鋳込み鋳造で、2000馬力をフルに発揮出来たのは鋳込み鋳造で制作された二一型のみで、ブルノー式はだましだまし使って2000馬力、砂型鋳造は2000馬力を発揮すると冷却能力不足ですぐにトラブルを起こすそうです。ブルノー式、鋳込み鋳造は生産が難しく少数生産で、彩雲などの高速機に優先的に割り当てられたそうですので、映像の誉は他機の流用かと思われます。
正にプロフェッショナルな技術者の中川良一さんだったのですね。誉エンジンとスカGエンジンが同じ方が関わっていらっしゃるなんて知りませんでした。宮甚さん、夏休みの大人の自由研究でした!とても勉強になりましたよ❣
ありがとうございます。今回はプリンス話題なので力入りました
強力なエンジンを搭載して高速飛行で偵察を行う方法は当時は斬新で実際に追跡してきた米軍の戦闘機を振り切れるだけの速度が出せる我が国では珍しいタイプの航空機でした。空冷式の信頼性の高いエンジンのお陰で戦時中開発で量産化が出来た数少ない機種でした。飛燕なども高速だったがエンジンはドイツの液冷式のコピーで故障が多かったが彩雲はほとんど故障もなく整備性能も良かったので現場でも評価が高かった。良いものを見せていただきました。これからのレストアが楽しみですね。
ただし 誉あたりは 物資難や動員された職工のレベルが低く メタルの配合などは ミスもあり焼きつきなど 意外とトラブルも多かったエンジンですね
素晴らしい状態の誉エンジンですね。交通博物館にあったのは残骸の一部といったものでした。誉は2000馬力を狙った野心的な設計でしたが、潤滑と冷却に苦労して、銅合金軸受の異常摩耗に悩まされました。良質なオイルや燃料の物資が不足して実力が発揮できませんでした。泣けてきます。
メタルについては鉛の混合率の誤りがあったというのが定説です
いいですね中島飛行機と誉エンジン。小学生のときにプリンスが日産に吸収されて高1の時に箱型スカイラインが出ました。その流れをくむRB20DETエンジンを積むR31スカイラインを手放さずに置いています。こういう動画を出して下さる宮甚さんも同じ憧憬を持っておられるようで嬉しくなりました。
ありがとうございます。 実は私はあまり戦闘機とか自動車レースとかくわしくないのですが これだけはプリンスの歴史なので ちょっと勉強しました
知りたかった事が網羅されていて大変に有り難い動画でした。ありがとうございます。栄を復活させたのが石居氏だったと思いますが、民間の「講演者登録サイト」に登録されていて、機会があれば話を伺いたいと思っていた方です。(人違いならすみません)
8/15日にふさわしい動画、有難うございます。
こちらこそありがとうございます
素晴らしい彩雲の動画ありがとうございました。随分と昔に小さなセカンドを連れて行って来たのを懐かしく思い出しました。
もう飛行館は20年くらいたちますね。ただ彩雲はまだ展示が最近ですので これからいろいろ変幻がみれると思います
私も昨日見に行きました。ご夫婦で来ておられた旦那さんが奥様にいろいろ説明していました。この機体が米軍の戦闘機を振り切って帰還したと思うとウルッときてしましました。レストアされてるのならまた来年も行きたいと思います。
最終日ですね 今年は大盛況だったみたいですわたしも来年また行きたいです
おおお〜、艦上偵察機の誉エンジン!!これは凄い。他にも自動車など素晴らしいですね。誉エンジンは、模型にて針金使って細工加工しましたけど、ここまで間近に見ますと迫力がありますね。プリンスのお話も身がありました。ありがとうございました。
初めて聞くことばかりで、大変勉強になりました。特に、三人の搭乗員の役割分担の話が興味深かったです。宮甚さのインタビューがプロみたいで感心しました。聞く内容も聞き方も、今時のプロより上手だと思いました。
ありがとうございます。なんかうれしいです。リハーサルなしだったのでちょっと心配でしたが・・・
当方も8月8日来館しました。誉18気筒なかなかの迫力、栄の倍の出力、、圧巻でした。車では露天に展示していた117クーペが久しぶりに見て感動でした。
入れ違いでしたね。残念117クーペわたしもみました 昭和50年頃の XCあたりでしょうか欲しいですね
私も早速、8月1日に行き、時間の制約があったため、今回は飛行機館だけ見て来ました。彩雲のレストア作業に従事した方へのインタビューは素晴らしいですね!
ありがとうございます。 さすが石居さん 答えが即答ですね
今来ています。例年にない盛況です。若い人が多いのはいいことですね。
8月1日に、早速見に行きました! エンジンの精巧な造りに感動しました❣ バルブ開閉は、OHVの形式でしたね。エンジン頭部の高さを押さえるには、この形式になるのか・・と納得しました❣
一番のりですか! わたしは9日に行きました
零戦、一式戦以降の日本の航空機を全て「幻の名機」としたエンジン。
ちらりと見えたカブレーシング(50ccDOHC)が素敵。誉エンジンの性能は現在のエンジンに匹敵するほど高性能。これをここまできれいに見れるのは超貴重です。
ほんと 今回は綺麗なエンジンになったみたいです
本日もたいへん貴重なお話をご紹介くださりありがとうございます。冒頭の写真、館長さんの左隣に高橋国光さんの姿が見えますね。
そうですね そして右もトヨタかどこかのワークスの人ですね
GT-RのS20の前段階としてプリンスR380に搭載されたGR8も素晴らしいエンジンですねあのポルシェ904に打ち勝つべく開発されたプリンスR380中島飛行機の流れをくむ当時のエンジニアに惚れてしまいます
そうですね オイルパンバッフルとか飛行機の技術が生きたんでしょうね
数年前に枻出版社から発売された 復刻版栄発動機二〇型取り扱い説明書(376頁)を入手したのですが丁寧な写真と図解、加えて整備説明の完成度の高さに驚きました。南方戦線でこの取説を見ながらゼロ戦を整備していた若者達がいたのだと思うと胸が熱くなります。驚いたのはスカGエンジンに誇らしく使われたナトリウム封入排気バルブが既に栄エンジンに採用されていたことでした。当然誉エンジンにも引き継がれていると思います。恐るべし日本の戦前の技術。
日本グランプリあたりのエンジンにはかなり誉あたりの技術は生かされていると思います
素人の私が聞いてみたい事は全部聞いて下さってて本当にあり難いです。石居さん凄いなぁ。聞いたら何でも返って来る。。8末に行きます。楽しみだー!!
行ったら 背の高い支配人の方にもよろしくおねがいします
宮甚さん、完全にインタビューアーになってますね!😅ポンポン質問が出てくるのがすごいです。艦上機だけど空母は早くに失っていたんですね・・。
そうなんです その頃はもう航空母艦すらなくなっていたんですね
はじめまして!!私は8月10日にここを初めて訪れましたがプリンス自動車のルーツである中島飛行機の艦上偵察機彩雲と搭載されていた空冷18気筒エンジン誉を生で見れてメカ好き飛行機と日産車好きな私としては感動しました!!東京三田にあったプリンス自工のビル(私は日産自動車と合併してからの日産プリンス自動車販売になってからしか分かりませんが1986年に一度訪れた事があります!!)貴重なお話や資料も見せて頂き良かったです!!ありがとうございました!!😊👃
1986年だと ビルは残っていても もう日産プリンス自動車販売は 日産自動車販売と合併していたかもしれません その後大崎へ移転しました
@@miyazin-shoten さんそうだったのですね!!建物の奥にプリンスコーナーというエリアが残っていたのを覚えています!!😊👍
外資系自動車会社にお勤めだったと勝手に決めつけておりましたが、プリンス自販東京が最初のお仕事だったんですね。ことあるごとにGT-Rよりはサニトラが好きとおっしゃっておられたので、まさかプリンスだとは思ってもおりませんでした。無線機といい自動車のカタログといい、宝物に囲まれて羨ましい限りです。
ありがとうございます。スカイラインはもう 見たくないくらい仕事させられました。(笑)
@@miyazin-shoten 仕事と趣味は一致しないものですよね。ご新卒の頃はケンメリ全盛期でしょうか。私が初めて買った車は、7年落ちの昭和51年式のケンメリハードトップGTX-Eでした。確か40万ぐらいだったと思います。悪名高きNAPSのおかげで吹き上がりが悪く、外観と中身のミスマッチでした。カタログ上のスペックは排ガス帰省前のツインキャブ仕様と殆ど変わらないのに、吹き上がりが悪く、まるで排気管が詰まっているかのような感触でした。
スカイラインは名車とよばれていますが 排ガス対策後の C110や C210 R30あたりは決して 名車とよべるエンジンではなかったと思います。私は 新卒で入社する前 日産陸送で陸送のバイトをしていましたが 運搬するクルマで人気があったのが サニーやチェリー、オースターとかでした。 サニートラック サニーバンも人気がありました。 スカイラインは 遅く 重く・・・で ほんと猫マタギでした。 おそらく宣伝の旨さで売れた車だと思います
@@miyazin-shoten 以前陸送のバイトで710バイオレットを褒めておられたように記憶しております。最初の車は父からのお下がりの50年式バイオレットでした。排ガス規制前のモデルだったので直後に乗り換えたケンメリよりも軽快だったように記憶しております。まさに宮甚さんの貢献により歴代で最も売れたスカイラインとなったのですね。
@@tmed-q4j そうですねバイオレット710は日産の最高傑作車両ですね まさに510の後継で わたしはブルUを買って後悔し すぐにランサーGS-Rに乗り換えました 笑 わたしが陸送で乗ったのは P10バイオレットでしたが これはサファリラリーの優勝車両で エンジンはかかったのですが ステアリングがガタガタで ハンドル半周くらい遊びがあって乗れたものではありませんでした。 よくこれでゴールしたものだと感心しました。 ということで日産の最高傑作は あとにも先にも 710です
私は戦後の生れですが、母の兄弟が戦〇したことが思い出され泣いてしまいました。素晴らしい内容の動画でした。プリンスのエンジンに中川さんの力があったと知り、昔日産自動車のファンだったものとしてうれしく思います。どうもありがとうございます。
河口湖飛行館で艦上偵察機彩雲と誉エンジンの見学レポート動画、ありがとうございます。とても興味深く拝聴しました。以前、広島県呉市の大和ミュージアムで1/10スケールの戦艦大和、復元した零式艦上戦闘機、及び星型空冷栄エンジンを見学しました。戦争という極限環境の中で、開発や製造に携わった方々や戦地に向かった先人に、とても敬意を感じたものでした。
ほんと 純粋なわかものが命をかけて国を守ったことだけはわすれてはいけませんね。戦闘機を単に嫌悪したり 反戦 反日の輩もおおくてこまりますね
プリンスの車、懐かしいですね。まさかの、宮甚さんが、プリンスに就職なさっていたとは驚きました。1967年頃、うちに来た最初の自家用車が「プリンスグロリア」でした。水平配置の四灯ヘッドライトで、ベンチシートの幅広の車でした。家は子供が4人だったので、大き目の車(6人乗り)でないと全員が乗れなかったので、プリンスグロリアにしたようです。同じプリンスでも、スカイラインが出ていましたが、父の言では「あれはスタンダードモデルだ」と言っていました。グロリアの直六エンジンは静かだったし、スムーズで、当時、毎週日曜日にどこかにドライブに連れて行ってもらっていました。彩雲は残っていたのですね。私も、小学校の頃、丸などの雑誌で見たことがあります。「我に追いつく敵機なし」でしたっけ。電文が有名な高速な偵察機ですね。石井さんという方、楽しそうですね。私も飛行機のレストアしてみたいです。米国では、現在でも何チームもがB17のレストアをしていますが、日本ではやっている方が少ないですよね。エンジンの整備は、ボーイング社が無料で整備(オーバーホール)をしてくれているようです。日本では、中島航空機が無いので、スバル(旧・富士重工業)の航空機部門がやってくれるのでしょうかね。エンジンがとてもきれいな状態なので驚きました。パーツの多くを新たに作らなければならないのではないかと思います。ぜひ、飛べる状態迄レストアが進むと良いですね。CIBIE: 1980年頃乗っていたセリカGTリフトバックのヘッドライトは、CIBIE(四灯用)を付けていました。当時は、バイクのヘッドライトもCIBIEに変えていました。今でも実家の倉庫には、バイク用の180φのCIBIEのヘッドライトが残っています。H4ハロゲンと組み合わせると、配光が良くて見やすいライトでしたね。宮甚さんの動画は、 日本に、技術があった古き良き時代の遺物が沢山紹介されていて、皆、懐かしいです。
おほめいただきありがとうございます、当時のグロリアといえば 日本の最高級ですね。お医者さんとか弁護士の乗る車というイメージでした。
今年も行かれましたね!あの誉エンジンが随分綺麗になっていますね!
去年と今年の違いけっこうありますね
紫電改の鷹懐かしい。彩雲と同じ誉エンジンを積んだ本土決戦機ですね。
滝上等兵とか? あるいは源田実司令なんてでてきましたね
スカイラインのS20エンジンは航空機エンジンの技術者さんと縁があったのですね。だからスカイラインという名前になったのかなと思ってしまいました。歴史の流れがロマンですね!Tシャツかっこええです(^^)
ありがとうございます。スカイラインはアルプスの山並みでインスピレーションされたので 直接飛行機関係ではないかもしれませんが 戦後の自動車屋は飛行機出身のエンジニアが多かったので スカイラインも山と空の接点で意識していたかもしれませんね。 プリンスのレーシングカーは左右独立のウイングとか オイルが宙返りで途切れないバッフルやオイルポンプの採用など 飛行機技術が惜しみなく投入されていました。
その当時で エンジン作れてたのがすごいよね アジアで
しかも 多くのメーカーでエンジンをつくれたのがすごいです
星型エンジンの美しさは格別ですね。下側に配置されたシリンダは駐機中のオイル上がり(下がり??)に苦労されたそうですが。
空冷で 18気筒でこのコンパクトさは驚きます
最小の重量で最大の出力を出すコンセプトの星型エンジンはかっこいいですね。機体へのマウントがこのようなマウントでされていたことは初めて知りました。
この華奢なマウント どうみても何千キロって飛行できるとおもいません 笑
中川良一さんはNHKのプロジェクトXでも取り上げられてましたね。仕事仲間に、中川良一さんの甥御さんがいまして、彼は車は立場的にスカイラインしか乗ってはいけないだ。と、言ってました。
あの動画は感動的でしたね。なんか桜井真一郎の子供の孫をみるような目つきで・・・
6年ぶりに行ってきましたよ 河口湖飛行館。写真でしか見た事のない彩雲の機体。未完成とは言えよくあそこまで復元したものと感激しました。宮甚さんの動画で解説されていた石居さんにも直接いろいろ質問させて頂きました。お盆は過ぎたのに大盛況。駐車場は満車でラインの外に駐車しました。
お疲れさまでした なんか今年は大盛況のようですね支配人の方も Tシャツは完売するし 駐車場整理大変と言っていました
いや、こういう詳しい方の生の声って貴重ですね、ありがとうございます。九州に住んでいた時、あちこちで大戦時の戦闘機のエンジンの残骸を見る機会がありました。シリンダー見て絶句しましたね。コンピューターもない時代に、極限まで薄く作られたシリンダーにバカみたいに目の細かい冷却フィン。いや、これ、大戦時の日本の工業力って実は思った以上にすごかったんじゃないかと初めて見た時に考えを改めさせられました。物資があれば、と当時の人たちが切望したのもわかる気がします。
たしかに技術力はたかかったんですね オクタン価の高いガソリンや物資があったら ほんと日本が勝っていた戦いだったのかもしれませんね
ただ、当時のアメリカの戦闘機のエンジンを見ると思っていた以上に日本は頑張ってたけどその一歩先を行ってたのがアメリカって事に気が付いてしまう…
@@sei-un まー当時の日本はまだ基礎研究分野がダメだったので、世界の最新技術のヒントを拾っては再現して組み合わせ短期間で実用化していくっていう技術に特化してた感じですね。新技術を開発しようにも、何が必要で何がダメなのかっていう蓄積がなかった。ただ、世界的にまだ技術が熟成されていたわけではないので、理論はわからないけど効果があるみたいな経験則や、ダメもとでやってみたらすごかった、みたいな技術がポコポコ見つかった時代でもあったので、資源に貧するまではいい勝負ができていたのではないでしょうか。
@@restoreyan エンジンの技術指導に来てた米国人技術者が真珠湾攻撃のその瞬間まで普通に技術指導してたって話がある位ですしね…トライアンドエラーで積み重ねる前段階だったんでしょうね戦中にそれでめっちゃ苦労したようですしあとJISの原型みたいのを企画してたけどその前に戦争始まっちゃったし…
これが「我ニ追イツクグラマン無シ」(我ニ追イツク敵戦闘機無シとも?)の彩雲ですか…貴重な資料ですね。
わたしはその話で そのあと 上官から 避けなことを打信するなと言われた逸話のほうが好きです 笑
@@miyazin-shoten (笑)
「我に追いつくグラマンなし」は名言ですよね! 電信員が作文して打ったのか、指揮官(偵察員)が電信員に指示したのか、電信員はどや顔で打ってたのか、ビクビクしながら打ってたのか・・・・動画中上方に宙吊り展示で映り込んでいる桜花が何気に悲しい・・・・8月は見に行けそうにないなぁ・・・・・会期をもう少し長く設定していただきたい気もするが大変なんだろうし、英霊たちのお盆でかつ終戦のメモリアルということで、敢えて8月に限ってるのかもしれないし。
ことしは5月もOPENしたみたいですが まだまだ広報が不足だったみたいです
近くだったら見に行きたいですが動画でも雰囲気は伝わりました。エンジンむき出しで取付いている状態はなかなか見られません。動画撮影お疲れ様でした。
ありがとうございます。
素晴らしい動画でした。こういう人たちが戦後の復興を支えていたのでしょうね。エンヤの09使っていました。環境的に厳しくなり、最終的にはOS60のヘリエンジンで趣味を終えました。
飛行機屋が戦後自動車産業に与えた功績大きいですね
宮甚さんの動画を見て、私も8月4日に博物館に行きました。昔の人々がCADところか電気計算機すらない時代にこのような物を作り出したのか?と唸りながら見ていました。
ずいぶんはやい時期ですね たしかにこれを図面だけでつくっていたのは凄いですね
シビエのイエローフォグ、スカイラインジャパンの特別仕様車に標準で付いていました。懐かしい、L6のゆったり伸びのあるフィーリングが好きでした。
当時 スカイラインのC210型だと シティーボーイが有名ですね まだ国産車でCIBIEがオプション設定されていなかったので 大好評でした。 実は部品開発で入社してすぐ担当したのが この自動車アクセサリーでした。 ただC210型は排ガス対策の真っただ中、L20はターボも付けましたが 圧縮比も低く とくに60km/hくらいまでは 悲しい加速でしたので 当時新発売のアルトに信号グランプリで負けていました。(実際私も乗っていて アルトに後塵をあびました)
排気量は約36リットル位と、聞いている、それで、約2000馬力、凄いの、一言に尽きる、日本が開発した、随一の2000馬力級のエンジンてある。素晴らしい
私は定年まで自動車屋だったので、F1で1600ccターボで1000馬力とか ファミリーカーでも 2000ccで 160馬力くらいは 普通なので(リッターあたり 100馬力近い) 逆に36リッターで2000馬力というと まあ気筒あたりの排気量が大きいのは不利にしても 馬力が一桁足りないように感じて・・・なんか船舶エンジンのように感じてしまいます。
綺麗にレストアされた、誉エンジンと彩雲の機体、広島のヤマト記念館に展示された、誉エンジン(写真だったかな?)エンジン単体で、どうしても寝かした状態でわかりづらいのが、機体に搭載されて、わかり易いです!ありがとうございます。
このマウントすごいですよね よくこんなんで飛べると思います
私も行きたかったです😂話し変わりますが上野の科学博物館にあった零戦も茨城に行ってしまいましたね。
ぜひ靖国神社にぞうぞ これも河口湖飛行館の館長原田さんの奉納です
前に見に行きましたが少しずつレストア進んでいるですね、お話が聞けて良かったです😊
こつこつやっているみたいですね
実働していた星型エンジンで私の身近だったのはDC−3の二重星形14気筒(1200HP)ですね。近くの仮設空港で全日本空輸(後のANA)のDC−3が待機しているのをエンジンの下まで行って見ることができました。その後、東亜国内航空?のCV−240も見られるようになりましたがこれも二重星形18気筒(2400HP)でした。米軍(進駐軍)の演習(朝鮮戦争時)で良く見たのはC−119の星形エンジンでした。DH.104も来ていましたが、これは星形エンジンでは無く、直6エンジンでした。その後は空港の完成となりターボプロップエンジンの高翼機のF27などに替わり、YS−11が最後のプロペラ機になりました。そう言えば、以前の車から取り外したシビエのフォグランプがまだ死蔵されています。
CIBIEのランプは貴重品ですから大事にとっておいたほうがいいです
つい先日、兄が見学に行ったと言っていました。自分も行こうかなーと思っていますが、宮甚先輩の素晴らしい取材動画を見ると何か十分な気がしていています(笑)
ありがとうございます。うれしいです これで十分行った気になってください 笑
こんど、是非とも行ってみたいですね。九州から車で。彩雲は「我ニ追イツクグラマン無シ」で有名ですね。非常にきれいな保存・レストア状態ですね。そう言えば、某社(隠すまでも無いけど)の会議室(応接室?)で室名が「ほまれ」だったり「さかえ」「むつら」だったりするビルがありましたね。ここは、隼があるので是非とも行きたい。夏だけというのがなかなか難しいけど。
九州からだとちょっと距離がありますね!
@@miyazin-shoten 数日かけてオープンカーで行こうかと。雨が降ったらその日は運休的な。
宮甚さんはこち亀作者の秋本治氏と絶対に友達になれるくらい趣味嗜好が似てるように思います。
ありがとうございます。漫画よくみていました。 けっこうマニアックな内容でしたよね
零戦とかサッパリわからないけど、星型エンジンはめちゃくちゃ魅力的なのよね〜🌟💖 5〜10Lくらいの排気量で今でも普通に手に入る物なら是非とも欲しいもの😍(私のバイクに積みたい!w そしてインテリアに焼玉エンジン欲しい!w)性能云々はもちろん今のエンジンのほうが圧倒的に高効率でハイパワーだけど、この感覚はなんとなく真空管のほうが好きなオーディオの人たちと似てるのかも❓ デジタル処理でわざわざ真空管っぽい音にチューニングしたり(笑)
空冷っていうのも真空管アンプみたいでいいですね
@@ja9svi クルマだと 三気筒いいですよねなかなか あと2ストの3気筒だともっといいですね
ここまで美しい誉エンジンがあったとは知りませんでした。このエンジンや機体を今後、どこまで仕上げて行く計画なのか、そこが知りたいですね。まだ海の底には不時着した何機もの当時の航空機があるように思います。
そうですねまだまだ残っているでしょうが 残骸はもう80年以上たちますから 海中ならアルミはほとんど原型がないと思います このエンジンも気が遠くなるレストアのたまものです
福岡県のTH-camr さんの口調によくにていらっしゃるわぁ~ってのが、中身よりも先の感想でした。。。
宮甚さんは、日産プリンス自販の社員でしたか。私は、そのディーラーで修理(サービス)員でした。中島飛行機の生き残りが素晴らしいエンジンを作っていてのを知っていました。S20型のメンテも手がけました。懐かしい。
そうでしたか 私は入社と同時にプリンス札幌に2年行ってました その後は部品部の開発課ということろで R30のエアロパーツADスリーとか担当していました。
プリンスお懐かしい、スカイラインではなくグロリアを一番に思い出します。飛行機にも興味お持ちだとは知りませんでした。宮甚さんが真空管に拘るのが何となく解ってきました。
実は飛行機はそれほど・・・・笑
宮甚さんこんばんは凄いカッコいいエンジンだね日産日産って皆さんは言うけどプリンスが存在しなかったらスカイラインは存在しなかったね、宮甚さん良いところ行ったね、自分も見に行きたいね
8月一杯みたいですやってるの
いつか行ってみたいですね
夏の1ケ月というのは 七夕の出会いみたいですね
冷却フィンは鋳型でなく、薄い金属板を打ち込んだと聞いています。米国のPW社も同じ方式を採用しており、技術者の考える事はどこも同じ何でしょうね。
薄板と鋳造のハイブリットは画期的方法ですが、生産の歩留まり効率が悪いので大量生産にはむかず 結局通常の鋳型で生産性を上げて量産になったようです
あのエンジンマウントで全ての出力に耐えられるという点がとても印象的でした。素人目にはエンジンだけ飛んで行ってしまう様に見えます。星型エンジンとても綺麗ですね。レストアした技術力もすごいと思います。
ほんと わたしもこのエンジンマウントで 本当に振動に耐えるのか?って何度も聞きました
やっぱりメカトロ系の人は心配になるポイントですよね 特に耐久性を考えると みただけで心配になる職業病・・・・
@@miyazin-shoten ダンパーとかもないんですよね。よくジュラルミンが耐えられる事。固いだけに金属疲労には弱い材質だと思うんですが。やはり設計者の腕と経験が全てなんでしょうか。
@@hal007 一応薄い防振ゴムが入っているといっていましたが・・・・ ほんと大丈夫?ってかんじですよね
@@miyazin-shoten やはり日本のお家芸の徹底した軽量化なのでしょうか。他国のはその辺が十分に柔軟に作られている様な気がします。
彩雲…美しい名前です
まさに名は体をあらわすですね
30年位前に仕事で知り合った方が中島飛行機でエンジンを開発していたとかで話を色々とした記憶がある。戦闘機に載せるエンジンの選考で自分達の方が結果が良かったのに何らかの力が働いて落とされたって話を聞いたなぁ。
中島飛行機から転身した方だと スバルかプリンス系の人でしょうかね。 わたしも新卒でプリンス入社のとき、まだ年配のエンジニアの方がいていろいろ話を聞かせてくれました
今にも動きそうな位に綺麗…そういえば誉エンジンは2000馬力級エンジンとしては直径を短くした分トルクが細いって欠点があったらしい
初めてコメントします。私の叔父さんが中島飛行機に勤務してたようで恩給?とか支給されてました。生前に色々と聞きましたがなぜが中島のこと多くを語りませんでした。進駐軍が来るので色々と埋めたようです。・・群馬県の大泉町に進駐軍が来てたようですね。城沼に米軍が爆弾をを落としたとお袋に聞きました。
私がプリンス入社の時は まだ戦争経験のある飛行機会社の先輩などもいていろいろお話聞きました。
まるで小枝のようなエンジンマウントに痺れますね。f1カーのような。
まさに小枝 わたしもてっきり展示器具かと思いました
@@miyazin-shoten お返事ありがとうございます。当方電話級ペーパー、20代では自動車部品会社でした…星形エンジンネタ楽しいですね。応援しております。
中島氏。ゼロ戦のエンジンをよく知る方と知ったのは、、ロシアの使ったドローン用単気筒エンジンに見ることが出来たからで、隠れエンジニアはまだ沢山おられるようです。私としてはそこに驚きがあります。Awesome !
戦闘機のエンジンがスカイラインに繋がっていたのは知りませんでした。高い技術力が自動車に受け継がれて、輸出車がアメリカを席巻して行くのは何か因縁が感じられて面白いですね。
そうですね これもなにか因縁を感じますね
隼1型の環状クーラー、カッコいい。
中継 生放送コメントありがとうございました 笑
フライトシュミレーターをしていて思ったのは、P51ムスタングが第2次大戦の最優秀機とかよく言われていますが日本軍の飛行機は世界最強と思いました。
まあ 防護を捨てた軽量化がすべての要因でしょうね
確かに捨て身の設計で性能アップしてるのは米国の批判をまたずとも設計者が充分承知かと思いますが、ただ安全を捨てれば性能アップした訳では無いと思うのです。速くなればいろいろな問題も克服しなければならずで、苦し紛れの米国コメントの意を壱歩は含むと解釈しています、根本的に家族も本人も生きて帰れるか分からない戦時の状況が高じて設計にまで及んでいたのでしょうか、と私はお国の違いと思っています。戦争って悲惨な状況が裏にあったのですね/ドローン飛ばして民間をも攻撃してしまうお国柄を信じられないのは私だけではないはずです。科学の進歩とは問題違いです。
浅はかにも、P51Dマスタング最高と思っていた馬鹿若い時があり、人の言うまま信じて損する事もあるのに気付くまでの30代は転機でした。不完全でも高性能を選ぶかどうか?今でも選択肢は何処にでもあるのが現世です、完璧なんて信仰に等しいと思ってた方がいいです
言いたい放題で済ませんでした歳が分かりそうなコメントです大変申し訳ありません
凄いなあ!実物見たい!川口湖記念館昔行ったが、一式陸攻の再生中だった。栄誉シリーズエンジンでは、日産のエンジン屋中川氏が若い技術時代に栄の気筒増加で誉開発を成した話は有名。このエンジン可動?動くの見たい。彩雲か、陸軍の疾風のエンジンも誉では?我に追いつく敵機無し、と打電して偵察した機体。基地司令から余計打電するなと叱られたとか。しかしパイロットからすれば気持的に、負け戦の中頑張ってるので当然だろう。
是非彩雲をみにいってください 本物に触れるのがやっぱりいいです
老骨に鞭打っても川口湖まで行きたい。二十数年ぶりかな?車を止めたので高速バスしかない今に涼しく成ったら行きます。ステキなサイトたと思います。三十年程前米国加州、ロス郊外のプライベート航空博物館へ行った。ゼロ戦闘機を飛行可能にした博物館で多くの米軍大戦中戦闘機があった。皆の飛行可能、日本陸軍の飛燕の復活再生中だったがエンジンがなかった。エンジンはドイツ製の大戦中のを探してる、との事だった。どうなったのだろう? スペインに中古が有るとかの話だった。七十年代?のバトルオブブリテンの撮影ではメッサー機がスペイン空軍に残されてたのを復活使用したとか。英空軍のスピトファイヤーや他の邀撃機は現物が有りそれを使ったと。
隼2型のアルミ地肌、しびれます。
戦時中の工業力低下により、実力を充分に発揮出来なかったと言われる当時、コンパクトサイズかつ高性能な2000馬力級エンジンは貴重ですネ‼️😊
まさに日本のお家芸ですね
素晴らしい動画ありがとうございました。私もエアクラフトファンです。遊就館・鹿屋のゼロ、知覧の疾風、四国の紫電改等々見て来ました。河口湖飛行館は、まだなんです。王立空軍博物館で見た、P51には圧倒されました。しかし、彼らの長い戦闘機製造の歴史を見るにつけ、我が国の開発能力の高さに誇りを禁じ得ませんでした。よくやったものだと、しみじみ思いました。(結果として、彼らの植民地支配も終焉を迎えました)これからも、エアクラフト、バイクネタ期待しております。
河口湖は8月の1ケ月だけですが 毎年進捗がみれておもしろいです
明後日行きます。 楽しみ。
いってらっしゃい 支配人に宮甚商店がよろしくと言っていたとお伝えください 笑
@@miyazin-shoten 了解しました。
曲がらないF1 タイレルフォード34ドンピシャ世代です戦闘機のエンジンから日産やBMWの自動車に引き継がれたのですね私も戦艦伊勢の瀕死の海軍の爺さんが漁船に助けられ現在があります
まあ 戦争の技術は極限まで性能を追求しますからね
お盆休みに飛行館 行ってきました 記念に新作グリーンのTシャツを買ってきました 特攻機「桜花」には熱いものを感じました自動車博物館は次回に取っておきます
よかったですね ちょうどお盆休みにTシャツ買えなかった問う人がいました!
無線も長距離に見合うモノだったのかなあ
戦記物にゼロ戦の無線機はまったく役にたたなかったという記事多いですが スペック的にはス――パー受信機に807あたりの終段ですから CWだったら十分だったと思います。
宮甚さんの真面目でリアリティなコメントに触れるたびに敬意と感謝で血がさわぎます。免許は持ってても専門知識がなくて半分わかった様な所ですが戦後の話、世代違いの従兄弟が15,6才で通信隊にいて焼夷弾を屋根の上で消して下でトンツーってやってたと教えてくれました。要約した内容を無線で飛ばす緊張感で、聴き逃さないこともあったでしょうか/余計なことは打つな、わかります
「我ニ追イツクグラマン無シ」。ですね。泣けるね。
そのあと 上官から余計なこと打電するなといわれた逸話も最高ですね
@@miyazin-shoten 搭乗員は余程嬉しかったんですね。この一文で全てが伝わります。
@@y秋-c6f 嬉々として打電したんでしょうね
2000馬力 米国のグラマンF6とか同じ馬力ですね~ 凄いエンジンですね!😂
コンパクト軽量というのもいいですね とにかく戦闘機に限らず 乗り物は軽量が命ですからね 特に車やバイクはつくづく感じます
やっぱり空冷4ストエンジンはプッシュロッドがカッコいい!
ちょっとハーレーっぽいですね
クラウザーも゙空冷2気筒OHVです!
星形エンジンだ!
はや! 早速ありがとうございます
単発機といえば星型ですね。えーっと。そのカメラをぐるりとこっちに回してくれませんか。(期待)
え、この機体、光作戦で伊号第14潜水艦がトラック諸島に運んだ2機の彩雲うちの1機で、米機動部隊を偵察したものなんですか?すごい武勲機ですね。
ぜひ 実際に見に行ってください
どこかで聞いた声だと思ったら、宮甚商店さんですか。。。無線機、アーディオじゃないのでびっくり。
ありがとうございます。こんどアナウンサーになりました
8月だけオープンですかこりゃ見に行くしかないですね。取引先の会長が学生時代に徴用されて加西市の鶉野飛行場で紫電改を組み立てていた話をよくうかがいました。(今年春『soraかさい』として博物館がオープンしました)すでに戦争末期だった当時は材料の確保に苦労し、なかなか所定の性能を発揮できず苦労したそうです。特に中島飛行機製の誉と比べると工廠製の誉は不良率が高く当時でもお役所仕事はうんぬん。私の父親はその平塚海軍工廠で技術中尉をやっておりましたがうーん?
当時はガソリンのオクタン価も低いし メタル部品なども苦労したんでしょうね 松から燃料つくっているようじゃ日本は負けますね
今と違って資源もコンピューター無い時代に作っちゃうんだから日本すげーよイケてるぜ
昔の人はほんと偉いです
熱田エンジンのバーチカルベベルギアのシャフトがエンジン外に出てるのはカワサキW800にも通じる。
ナビが故障して、スマホの地図とも照合できなくて、散々周辺をぐるぐる回った挙句、富士吉田ICまでたどり着いたら、「自動車館→」の案内看板が有って助かりましたこういうのが山で死ぬタイプなんだろうねー・・日本軍機は靖国で見た以来でしたので圧巻でした、ただ、隣の敵さんやらおしるこやらが草ヒロ状態だったのがチョット寂しかったお墓じゃ無いですが、お盆ぐらいは奇麗に洗ってあげてもと思いつつステッカー一枚買って帰りました
ここはちょっと場所的にわかりにくいかもですね
私も見に行ってみようと思います。
8月だけみたいです
もし行かれたら 背の高い支配人の方に宮甚商店の視聴者と言ってください 多分微笑んでくれると思います 笑
@@miyazin-shoten 分かりました!ありがとうございます。(零戦Tシャツまだあるかなー汗)
@@よーらるウェイ 新デザインのほうは多分売り切れかもしれません
この動画を観ながら「塗装済み完成」の姿を想像しています!(プラモじゃないぞっと)
ぜひ 翼と塗装まで完成してほしいですね
隼の第3風防の形がスズキハヤブサのシートカウルにそっくり。
プリンスのマーク、今の日産マークより段違いにカッコイイですよね。日産がプリンスブランド使わないのはもったいないなぁ
ほんとですよね でも吸収合併だったのでしかたないですね。
誉については、アマゾンでデジタル書籍で購入できる、マン・マシンの昭和伝説の上巻に詳しく開発経緯などが記載されていますよ
ネットで調べます そこまで(本を買う)までは興味ないです
スカイライン党で R 32まで 愛車にしていました 中島 誉を原点でしたか。
エンジン始動楽しみにしています。
本当は飛んでほしいけど まあそれば厳しそうですから せめてエンジンまわしてもらいたいですね
明日行きます。愛車クラウザーで!
背の高い支配人さんによろしくおつたえください
彩雲の胴体と誉エンジンだけでおなかいっぱい!
これだけで 一日見ていました
いつもはオーディオの動画を拝見していました。べらんめい調の中に、ポイントを押さえインチキ臭さを残しながら、エンジニアはこうだろう?こう感じるだろう?売りたいなら化粧は営業が考えればいいんじゃないの。もちろん協力するよ。と問われているような語り口を楽しみにしていました。今回、河口湖の博物館の動画を拝見し、理系の男はこうあるべきだよなと益々ファンになった次第。誉も栄もずっと昔、パソコンも電卓も無い時代に設計されたもの。当時の設計者の想像力には驚きます。今の人にもシミュレーションに頼らず(きっと駄作になるでしょうけど)作らせてあげたいです。
ありがとうございます
いつも思うのですが星形エンジンの下側のシリンダはオイルまみれなのかな?オイルの回収はどうしてるんだろう。9気筒(なぜか星形は奇数シリンダですね。)二段重ねですね。二段目の冷却はうまくいくのかな?
このあたりは ゼロ戦の本や星形のネットみると出ています
航空機のエンジンはドライサンプなので、潤滑が終わったオイルはスカベンジングポンプで強制的に回収してオイルクーラーへ送りタンクへ戻します
@@thelaughingman5052 そのくだり プロジェクトX(プリンススカイライン)でも良く出てくる話で有名です
4サイクルなのでクランクが2回転して点火は1回ですよね、いま点火のタイミングを1→2→3→みたいにすると、2週目に全くトルクが得られない。だから1週目1→3→5→、2週目2→4→6、、みたいにする。このとき6気筒エンジンの場合1週目から2週目が5→2とちょっと遠くなり、回転力にアンバランスを生じてしまう。なので星型発動機はほぼ全て奇数気筒なんです。たまに変態的なのもありますけどね…あと二列目のシリンダ冷却。エンジン後方に金属の3D曲面みたいなカバーが被せてますけどもこれで気流を誘導してます。今回このバッフルプレートの展示はなかなか良いですね。誉はコンパクトに作ったので冷却はかなり苦労したようです。
@@comete5d361 栄よりも前後の気筒のクリアランスはすこし大きくなったみたいですね
エンジン、機体の美しさ、まさに機能美。丁寧なレストアですね。(完全にレストアされるとこの美しいエンジンがカウルに覆われてしまうのが少々残念ではあります)B29迎撃のために改造された機体「屠龍」ですが、スミソニアン博物館別館に機体の一部が展示されていましたB29エノラゲイ(レストア展示はニュースにもなり騒然としましたが、別館に展示はそういう事でしょう)の脇に胴体だけ(斜めに搭載された砲がわかる)展示がありました。なんだか複雑な気持ちで観てきました。それにしても・・・電子工学の豊富な知識、でも大学は文系?機械にも強い?サーファー?どういう経歴なんだろう?という、宮甚商店様の謎が少しとけた回でもありました・・・残暑、ご自愛ください
ありがとうございます。 文系卒も事実なのですが 新卒でプリンスに入って部品開発の仕事だったので かなり理工系の勉強もさせられました。 整備士や電気の資格取得も会社から強制されましたが 取っておいてよかったといまでも思います
現在の彩雲に、今後は翼も付けられるといいですね。いつかは、日本の空を飛んで欲しいです。
いやーほんとですね わたしも楽しみにしています
熱い動画でした。人の情熱が伝わってきました。こーゆーのっていいなぁ。
ありがとうございます。すごくうれしいです
私も先日ようやく見にいくことができました。実物の彩雲、そして誉エンジンの美しい空冷フィンの造形に痺れました。複列18気筒星形エンジンは、芸術品ですね(それだけに運用に苦労したようですが)
たしかにこれ どうやって鋳造したのか? 当時の技術はすごいですね
鋳込みという技術だそう。
@@miyazin-shoten そうそう、繊細なフィンは芸術もん。しかも、自動車エンジンのようにシリンダヘッドとシリンダーは分離しなくて一体です。さらに航空機や船舶のエンジンは8割ほどの負荷がデフォで燃費が良い設計です。バルブのステムは冷却の為にナトリュウムが封入されていた。ガソリンの規格が絵に描いた餅を体現している。航空ガソリンの規格が1〜6号までありそれぞれオクタン価が77〜95。四エチル鉛添加の配合燃料の規格は、1号95オクタン価に四エチル鉛添加で100オクタン価、2号90オクタン価に四エチル鉛添加で100オクタン価。
@@寺田弘司-b5w 空冷フィンは製造時期で手法が違うんですよね。見る人が見れば識別できるかも。
若輩者がご指摘するのは心苦しのですが、映像の誉は砂型鋳造で作られた1800馬力制限の一二型だと思われます。
点火プラグ周辺の凹んだ部分の空冷フィンが8枚が砂型鋳造、10枚がブルノー式、13枚が鋳込み鋳造で、2000馬力をフルに発揮出来たのは鋳込み鋳造で制作された二一型のみで、ブルノー式はだましだまし使って2000馬力、砂型鋳造は2000馬力を発揮すると冷却能力不足ですぐにトラブルを起こすそうです。
ブルノー式、鋳込み鋳造は生産が難しく少数生産で、彩雲などの高速機に優先的に割り当てられたそうですので、映像の誉は他機の流用かと思われます。
正にプロフェッショナルな技術者の中川良一さんだったのですね。誉エンジンとスカGエンジンが同じ方が関わっていらっしゃる
なんて知りませんでした。
宮甚さん、夏休みの大人の自由研究でした!とても勉強になりましたよ❣
ありがとうございます。今回はプリンス話題なので力入りました
強力なエンジンを搭載して高速飛行で偵察を行う方法は当時は斬新で実際に追跡してきた米軍の戦闘機を振り切れるだけの速度が出せる我が国では珍しいタイプの航空機でした。空冷式の信頼性の高いエンジンのお陰で戦時中開発で量産化が出来た数少ない機種でした。飛燕なども高速だったがエンジンはドイツの液冷式のコピーで故障が多かったが彩雲はほとんど故障もなく整備性能も良かったので現場でも評価が高かった。良いものを見せていただきました。これからのレストアが楽しみですね。
ただし 誉あたりは 物資難や動員された職工のレベルが低く メタルの配合などは ミスもあり焼きつきなど 意外とトラブルも多かったエンジンですね
素晴らしい状態の誉エンジンですね。交通博物館にあったのは残骸の一部といったものでした。
誉は2000馬力を狙った野心的な設計でしたが、潤滑と冷却に苦労して、銅合金軸受の異常摩耗に悩まされました。
良質なオイルや燃料の物資が不足して実力が発揮できませんでした。
泣けてきます。
メタルについては鉛の混合率の誤りがあったというのが定説です
いいですね中島飛行機と誉エンジン。小学生のときにプリンスが日産に吸収されて
高1の時に箱型スカイラインが出ました。その流れをくむRB20DETエンジンを積む
R31スカイラインを手放さずに置いています。
こういう動画を出して下さる宮甚さんも同じ憧憬を持っておられるようで
嬉しくなりました。
ありがとうございます。 実は私はあまり戦闘機とか自動車レースとかくわしくないのですが これだけはプリンスの歴史なので ちょっと勉強しました
知りたかった事が網羅されていて大変に有り難い動画でした。ありがとうございます。
栄を復活させたのが石居氏だったと思いますが、民間の「講演者登録サイト」に登録されていて、機会があれば話を伺いたいと思っていた方です。(人違いならすみません)
8/15日にふさわしい動画、有難うございます。
こちらこそありがとうございます
素晴らしい彩雲の動画ありがとうございました。
随分と昔に小さなセカンドを連れて行って来たのを懐かしく思い出しました。
もう飛行館は20年くらいたちますね。ただ彩雲はまだ展示が最近ですので これからいろいろ変幻がみれると思います
私も昨日見に行きました。ご夫婦で来ておられた旦那さんが奥様にいろいろ説明していました。この機体が米軍の戦闘機を振り切って帰還したと思うとウルッときてしましました。レストアされてるのならまた来年も行きたいと思います。
最終日ですね 今年は大盛況だったみたいです
わたしも来年また行きたいです
おおお〜、艦上偵察機の誉エンジン!!これは凄い。他にも自動車など素晴らしいですね。誉エンジンは、模型にて針金使って細工加工しましたけど、ここまで間近に見ますと迫力がありますね。プリンスのお話も身がありました。ありがとうございました。
初めて聞くことばかりで、大変勉強になりました。特に、三人の搭乗員の役割分担の話が興味深かったです。宮甚さのインタビューがプロみたいで感心しました。聞く内容も聞き方も、今時のプロより上手だと思いました。
ありがとうございます。なんかうれしいです。リハーサルなしだったのでちょっと心配でしたが・・・
当方も8月8日来館しました。誉18気筒なかなかの迫力、栄の倍の出力、、圧巻でした。
車では露天に展示していた117クーペが久しぶりに見て感動でした。
入れ違いでしたね。残念
117クーペわたしもみました 昭和50年頃の XCあたりでしょうか
欲しいですね
私も早速、8月1日に行き、時間の制約があったため、今回は飛行機館だけ見て来ました。彩雲のレストア作業に従事した方へのインタビューは素晴らしいですね!
ありがとうございます。 さすが石居さん 答えが即答ですね
今来ています。例年にない盛況です。若い人が多いのはいいことですね。
8月1日に、早速見に行きました! エンジンの精巧な造りに感動しました❣ バルブ開閉は、OHVの形式でしたね。エンジン頭部の高さを押さえるには、この形式になるのか・・と納得しました❣
一番のりですか! わたしは9日に行きました
零戦、一式戦以降の日本の航空機を全て「幻の名機」としたエンジン。
ちらりと見えたカブレーシング(50ccDOHC)が素敵。
誉エンジンの性能は現在のエンジンに匹敵するほど高性能。
これをここまできれいに見れるのは超貴重です。
ほんと 今回は綺麗なエンジンになったみたいです
本日もたいへん貴重なお話をご紹介くださりありがとうございます。冒頭の写真、館長さんの左隣に高橋国光さんの姿が見えますね。
そうですね そして右もトヨタかどこかのワークスの人ですね
GT-RのS20の前段階としてプリンスR380に搭載されたGR8も素晴らしいエンジンですね
あのポルシェ904に打ち勝つべく開発されたプリンスR380
中島飛行機の流れをくむ当時のエンジニアに惚れてしまいます
そうですね オイルパンバッフルとか飛行機の技術が生きたんでしょうね
数年前に枻出版社から発売された 復刻版栄発動機二〇型取り扱い説明書(376頁)を入手したのですが丁寧な写真と図解、加えて整備説明の完成度の高さに驚きました。南方戦線でこの取説を見ながらゼロ戦を整備していた若者達がいたのだと思うと胸が熱くなります。驚いたのはスカGエンジンに誇らしく使われたナトリウム封入排気バルブが既に栄エンジンに採用されていたことでした。当然誉エンジンにも引き継がれていると思います。恐るべし日本の戦前の技術。
日本グランプリあたりのエンジンにはかなり誉あたりの技術は生かされていると思います
素人の私が聞いてみたい事は全部聞いて下さってて本当にあり難いです。
石居さん凄いなぁ。聞いたら何でも返って来る。。
8末に行きます。楽しみだー!!
行ったら 背の高い支配人の方にもよろしくおねがいします
宮甚さん、完全にインタビューアーになってますね!😅
ポンポン質問が出てくるのがすごいです。
艦上機だけど空母は早くに失っていたんですね・・。
そうなんです その頃はもう航空母艦すらなくなっていたんですね
はじめまして!!私は8月10日にここを初めて訪れましたがプリンス自動車のルーツである中島飛行機の艦上偵察機彩雲と搭載されていた空冷18気筒エンジン誉を生で見れてメカ好き飛行機と日産車好きな私としては感動しました!!東京三田にあったプリンス自工のビル(私は日産自動車と合併してからの日産プリンス自動車販売になってからしか分かりませんが1986年に一度訪れた事があります!!)貴重なお話や資料も見せて頂き良かったです!!ありがとうございました!!😊👃
1986年だと ビルは残っていても もう日産プリンス自動車販売は 日産自動車販売と合併していたかもしれません その後大崎へ移転しました
@@miyazin-shoten さんそうだったのですね!!建物の奥にプリンスコーナーというエリアが残っていたのを覚えています!!😊👍
外資系自動車会社にお勤めだったと勝手に決めつけておりましたが、プリンス自販東京が最初のお仕事だったんですね。ことあるごとにGT-Rよりはサニトラが好きとおっしゃっておられたので、まさかプリンスだとは思ってもおりませんでした。無線機といい自動車のカタログといい、宝物に囲まれて羨ましい限りです。
ありがとうございます。スカイラインはもう 見たくないくらい仕事させられました。(笑)
@@miyazin-shoten 仕事と趣味は一致しないものですよね。ご新卒の頃はケンメリ全盛期でしょうか。私が初めて買った車は、7年落ちの昭和51年式のケンメリハードトップGTX-Eでした。確か40万ぐらいだったと思います。悪名高きNAPSのおかげで吹き上がりが悪く、外観と中身のミスマッチでした。カタログ上のスペックは排ガス帰省前のツインキャブ仕様と殆ど変わらないのに、吹き上がりが悪く、まるで排気管が詰まっているかのような感触でした。
スカイラインは名車とよばれていますが 排ガス対策後の C110や C210 R30あたりは決して 名車とよべるエンジンではなかったと思います。
私は 新卒で入社する前 日産陸送で陸送のバイトをしていましたが 運搬するクルマで人気があったのが サニーやチェリー、オースターとかでした。 サニートラック サニーバンも人気がありました。 スカイラインは 遅く 重く・・・で ほんと猫マタギでした。
おそらく宣伝の旨さで売れた車だと思います
@@miyazin-shoten 以前陸送のバイトで710バイオレットを褒めておられたように記憶しております。最初の車は父からのお下がりの50年式バイオレットでした。排ガス規制前のモデルだったので直後に乗り換えたケンメリよりも軽快だったように記憶しております。まさに宮甚さんの貢献により歴代で最も売れたスカイラインとなったのですね。
@@tmed-q4j そうですねバイオレット710は日産の最高傑作車両ですね まさに510の後継で わたしはブルUを買って後悔し すぐにランサーGS-Rに乗り換えました 笑
わたしが陸送で乗ったのは P10バイオレットでしたが これはサファリラリーの優勝車両で エンジンはかかったのですが ステアリングがガタガタで ハンドル半周くらい遊びがあって乗れたものではありませんでした。 よくこれでゴールしたものだと感心しました。
ということで日産の最高傑作は あとにも先にも 710です
私は戦後の生れですが、母の兄弟が戦〇したことが思い出され泣いてしまいました。素晴らしい内容の動画でした。プリンスのエンジンに中川さんの力があったと知り、昔日産自動車のファンだったものとしてうれしく思います。どうもありがとうございます。
こちらこそありがとうございます
河口湖飛行館で艦上偵察機彩雲と誉エンジンの見学レポート動画、ありがとうございます。とても興味深く拝聴しました。
以前、広島県呉市の大和ミュージアムで1/10スケールの戦艦大和、復元した零式艦上戦闘機、及び星型空冷栄エンジンを見学しました。
戦争という極限環境の中で、開発や製造に携わった方々や戦地に向かった先人に、とても敬意を感じたものでした。
ほんと 純粋なわかものが命をかけて国を守ったことだけはわすれてはいけませんね。
戦闘機を単に嫌悪したり 反戦 反日の輩もおおくてこまりますね
プリンスの車、懐かしいですね。
まさかの、宮甚さんが、プリンスに就職なさっていたとは驚きました。
1967年頃、うちに来た最初の自家用車が「プリンスグロリア」でした。水平配置の四灯ヘッドライトで、ベンチシートの幅広の車でした。
家は子供が4人だったので、大き目の車(6人乗り)でないと全員が乗れなかったので、プリンスグロリアにしたようです。
同じプリンスでも、スカイラインが出ていましたが、父の言では「あれはスタンダードモデルだ」と言っていました。
グロリアの直六エンジンは静かだったし、スムーズで、当時、毎週日曜日にどこかにドライブに連れて行ってもらっていました。
彩雲は残っていたのですね。
私も、小学校の頃、丸などの雑誌で見たことがあります。
「我に追いつく敵機なし」でしたっけ。電文が有名な高速な偵察機ですね。
石井さんという方、楽しそうですね。
私も飛行機のレストアしてみたいです。
米国では、現在でも何チームもがB17のレストアをしていますが、日本ではやっている方が少ないですよね。
エンジンの整備は、ボーイング社が無料で整備(オーバーホール)をしてくれているようです。
日本では、中島航空機が無いので、スバル(旧・富士重工業)の航空機部門がやってくれるのでしょうかね。
エンジンがとてもきれいな状態なので驚きました。パーツの多くを新たに作らなければならないのではないかと思います。
ぜひ、飛べる状態迄レストアが進むと良いですね。
CIBIE:
1980年頃乗っていたセリカGTリフトバックのヘッドライトは、CIBIE(四灯用)を付けていました。
当時は、バイクのヘッドライトもCIBIEに変えていました。今でも実家の倉庫には、バイク用の180φのCIBIEのヘッドライトが残っています。
H4ハロゲンと組み合わせると、配光が良くて見やすいライトでしたね。
宮甚さんの動画は、
日本に、技術があった古き良き時代の遺物が沢山紹介されていて、皆、懐かしいです。
おほめいただきありがとうございます、
当時のグロリアといえば 日本の最高級ですね。お医者さんとか弁護士の乗る車というイメージでした。
今年も行かれましたね!
あの誉エンジンが随分綺麗になっていますね!
去年と今年の違いけっこうありますね
紫電改の鷹懐かしい。彩雲と同じ誉エンジンを積んだ本土決戦機ですね。
滝上等兵とか? あるいは源田実司令なんてでてきましたね
スカイラインのS20エンジンは航空機エンジンの技術者さんと縁があったのですね。だからスカイラインという名前になったのかなと思ってしまいました。歴史の流れがロマンですね!
Tシャツかっこええです(^^)
ありがとうございます。スカイラインはアルプスの山並みでインスピレーションされたので 直接飛行機関係ではないかもしれませんが 戦後の自動車屋は飛行機出身のエンジニアが多かったので スカイラインも山と空の接点で意識していたかもしれませんね。
プリンスのレーシングカーは左右独立のウイングとか オイルが宙返りで途切れないバッフルやオイルポンプの採用など 飛行機技術が惜しみなく投入されていました。
その当時で エンジン作れてたのがすごいよね アジアで
しかも 多くのメーカーでエンジンをつくれたのがすごいです
星型エンジンの美しさは格別ですね。
下側に配置されたシリンダは駐機中のオイル上がり(下がり??)に苦労されたそうですが。
空冷で 18気筒でこのコンパクトさは驚きます
最小の重量で最大の出力を出すコンセプトの星型エンジンはかっこいいですね。機体へのマウントがこのようなマウントでされていたことは初めて知りました。
この華奢なマウント どうみても何千キロって飛行できるとおもいません 笑
中川良一さんはNHKのプロジェクトXでも取り上げられてましたね。
仕事仲間に、中川良一さんの甥御さんがいまして、彼は車は立場的にスカイラインしか乗ってはいけないだ。と、言ってました。
あの動画は感動的でしたね。なんか桜井真一郎の子供の孫をみるような目つきで・・・
6年ぶりに行ってきましたよ 河口湖飛行館。写真でしか見た事のない彩雲の機体。未完成とは言えよくあそこまで復元したものと感激しました。宮甚さんの動画で解説されていた石居さんにも直接いろいろ質問させて頂きました。お盆は過ぎたのに大盛況。駐車場は満車でラインの外に駐車しました。
お疲れさまでした なんか今年は大盛況のようですね
支配人の方も Tシャツは完売するし 駐車場整理大変と言っていました
いや、こういう詳しい方の生の声って貴重ですね、ありがとうございます。
九州に住んでいた時、あちこちで大戦時の戦闘機のエンジンの残骸を見る機会がありました。
シリンダー見て絶句しましたね。
コンピューターもない時代に、極限まで薄く作られたシリンダーにバカみたいに目の細かい冷却フィン。
いや、これ、大戦時の日本の工業力って実は思った以上にすごかったんじゃないかと初めて見た時に考えを改めさせられました。
物資があれば、と当時の人たちが切望したのもわかる気がします。
たしかに技術力はたかかったんですね オクタン価の高いガソリンや物資があったら ほんと日本が勝っていた戦いだったのかもしれませんね
ただ、当時のアメリカの戦闘機のエンジンを見ると
思っていた以上に日本は頑張ってたけどその一歩先を行ってたのがアメリカって事に気が付いてしまう…
@@sei-un まー当時の日本はまだ基礎研究分野がダメだったので、世界の最新技術のヒントを拾っては再現して組み合わせ短期間で実用化していくっていう技術に特化してた感じですね。新技術を開発しようにも、何が必要で何がダメなのかっていう蓄積がなかった。ただ、世界的にまだ技術が熟成されていたわけではないので、理論はわからないけど効果があるみたいな経験則や、ダメもとでやってみたらすごかった、みたいな技術がポコポコ見つかった時代でもあったので、資源に貧するまではいい勝負ができていたのではないでしょうか。
@@restoreyan エンジンの技術指導に来てた米国人技術者が真珠湾攻撃のその瞬間まで普通に技術指導してたって話がある位ですしね…
トライアンドエラーで積み重ねる前段階だったんでしょうね
戦中にそれでめっちゃ苦労したようですし
あとJISの原型みたいのを企画してたけどその前に戦争始まっちゃったし…
これが「我ニ追イツクグラマン無シ」(我ニ追イツク敵戦闘機無シとも?)の彩雲ですか…
貴重な資料ですね。
わたしはその話で そのあと 上官から 避けなことを打信するなと言われた逸話のほうが好きです 笑
@@miyazin-shoten (笑)
「我に追いつくグラマンなし」は名言ですよね! 電信員が作文して打ったのか、指揮官(偵察員)が電信員に指示したのか、電信員はどや顔で打ってたのか、ビクビクしながら打ってたのか・・・・
動画中上方に宙吊り展示で映り込んでいる桜花が何気に悲しい・・・・
8月は見に行けそうにないなぁ・・・・・会期をもう少し長く設定していただきたい気もするが大変なんだろうし、英霊たちのお盆でかつ終戦のメモリアルということで、敢えて8月に限ってるのかもしれないし。
ことしは5月もOPENしたみたいですが まだまだ広報が不足だったみたいです
近くだったら見に行きたいですが動画でも雰囲気は伝わりました。エンジンむき出しで取付いている状態はなかなか見られません。
動画撮影お疲れ様でした。
ありがとうございます。
素晴らしい動画でした。こういう人たちが戦後の復興を支えていたのでしょうね。エンヤの09使っていました。環境的に厳しくなり、最終的にはOS60のヘリエンジンで趣味を終えました。
飛行機屋が戦後自動車産業に与えた功績大きいですね
宮甚さんの動画を見て、私も8月4日に博物館に行きました。昔の人々がCADところか電気計算機すらない時代にこのような物を作り出したのか?と唸りながら見ていました。
ずいぶんはやい時期ですね たしかにこれを図面だけでつくっていたのは凄いですね
シビエのイエローフォグ、スカイラインジャパンの特別仕様車に標準で付いていました。懐かしい、L6のゆったり伸びのあるフィーリングが好きでした。
当時 スカイラインのC210型だと シティーボーイが有名ですね まだ国産車でCIBIEがオプション設定されていなかったので 大好評でした。 実は部品開発で入社してすぐ担当したのが この自動車アクセサリーでした。
ただC210型は排ガス対策の真っただ中、L20はターボも付けましたが 圧縮比も低く とくに60km/hくらいまでは 悲しい加速でしたので 当時新発売のアルトに信号グランプリで負けていました。(実際私も乗っていて アルトに後塵をあびました)
排気量は約36リットル位と、聞いている、それで、約2000馬力、凄いの、一言に尽きる、日本が開発した、随一の2000馬力級のエンジンてある。素晴らしい
私は定年まで自動車屋だったので、F1で1600ccターボで1000馬力とか ファミリーカーでも 2000ccで 160馬力くらいは 普通なので(リッターあたり 100馬力近い) 逆に36リッターで2000馬力というと まあ気筒あたりの排気量が大きいのは不利にしても 馬力が一桁足りないように感じて・・・なんか船舶エンジンのように感じてしまいます。
綺麗にレストアされた、誉エンジンと彩雲の機体、広島のヤマト記念館に展示された、誉エンジン(写真だったかな?)エンジン単体で、どうしても寝かした状態でわかりづらいのが、機体に搭載されて、わかり易いです!ありがとうございます。
このマウントすごいですよね よくこんなんで飛べると思います
私も行きたかったです😂
話し変わりますが上野の科学博物館にあった零戦も茨城に行ってしまいましたね。
ぜひ靖国神社にぞうぞ これも河口湖飛行館の館長原田さんの奉納です
前に見に行きましたが少しずつレストア進んでいるですね、お話が聞けて良かったです😊
こつこつやっているみたいですね
実働していた星型エンジンで私の身近だったのはDC−3の二重星形14気筒(1200HP)ですね。
近くの仮設空港で全日本空輸(後のANA)のDC−3が待機しているのをエンジンの下まで行って見ることができました。
その後、東亜国内航空?のCV−240も見られるようになりましたがこれも二重星形18気筒(2400HP)でした。
米軍(進駐軍)の演習(朝鮮戦争時)で良く見たのはC−119の星形エンジンでした。
DH.104も来ていましたが、これは星形エンジンでは無く、直6エンジンでした。
その後は空港の完成となりターボプロップエンジンの高翼機のF27などに替わり、YS−11が最後のプロペラ機になりました。
そう言えば、以前の車から取り外したシビエのフォグランプがまだ死蔵されています。
CIBIEのランプは貴重品ですから大事にとっておいたほうがいいです
つい先日、兄が見学に行ったと言っていました。自分も行こうかなーと思っていますが、宮甚先輩の素晴らしい取材動画を見ると何か十分な気がしていています(笑)
ありがとうございます。うれしいです これで十分行った気になってください 笑
こんど、是非とも行ってみたいですね。九州から車で。
彩雲は「我ニ追イツクグラマン無シ」で有名ですね。
非常にきれいな保存・レストア状態ですね。
そう言えば、某社(隠すまでも無いけど)の会議室(応接室?)で室名が「ほまれ」だったり「さかえ」「むつら」だったりするビルがありましたね。
ここは、隼があるので是非とも行きたい。夏だけというのがなかなか難しいけど。
九州からだとちょっと距離がありますね!
@@miyazin-shoten 数日かけてオープンカーで行こうかと。
雨が降ったらその日は運休的な。
宮甚さんはこち亀作者の秋本治氏と絶対に友達になれるくらい趣味嗜好が似てるように思います。
ありがとうございます。漫画よくみていました。 けっこうマニアックな内容でしたよね
零戦とかサッパリわからないけど、星型エンジンはめちゃくちゃ魅力的なのよね〜🌟💖 5〜10Lくらいの排気量で今でも普通に手に入る物なら是非とも欲しいもの😍(私のバイクに積みたい!w そしてインテリアに焼玉エンジン欲しい!w)
性能云々はもちろん今のエンジンのほうが圧倒的に高効率でハイパワーだけど、この感覚はなんとなく真空管のほうが好きなオーディオの人たちと似てるのかも❓ デジタル処理でわざわざ真空管っぽい音にチューニングしたり(笑)
空冷っていうのも真空管アンプみたいでいいですね
@@ja9svi クルマだと 三気筒いいですよねなかなか あと2ストの3気筒だともっといいですね
ここまで美しい誉エンジンがあったとは知りませんでした。このエンジンや機体を今後、どこまで仕上げて行く計画なのか、そこが知りたいですね。まだ海の底には不時着した何機もの当時の航空機があるように思います。
そうですねまだまだ残っているでしょうが 残骸はもう80年以上たちますから 海中ならアルミはほとんど原型がないと思います
このエンジンも気が遠くなるレストアのたまものです
福岡県のTH-camr さんの口調によくにていらっしゃるわぁ~ってのが、中身よりも先の感想でした。。。
宮甚さんは、日産プリンス自販の社員でしたか。私は、そのディーラーで修理(サービス)員でした。中島飛行機の生き残りが素晴らしいエンジンを作っていてのを知っていました。S20型のメンテも手がけました。懐かしい。
そうでしたか 私は入社と同時にプリンス札幌に2年行ってました その後は部品部の開発課ということろで R30のエアロパーツADスリーとか担当していました。
プリンスお懐かしい、スカイラインではなくグロリアを一番に思い出します。
飛行機にも興味お持ちだとは知りませんでした。
宮甚さんが真空管に拘るのが何となく解ってきました。
実は飛行機はそれほど・・・・笑
宮甚さん
こんばんは
凄いカッコいいエンジンだね
日産日産って皆さんは言うけどプリンスが存在しなかったらスカイラインは存在しなかったね、宮甚さん良いところ行ったね、自分も見に行きたいね
8月一杯みたいですやってるの
いつか行ってみたいですね
夏の1ケ月というのは 七夕の出会いみたいですね
冷却フィンは鋳型でなく、薄い金属板を打ち込んだと聞いています。米国のPW社も同じ方式を採用しており、技術者の考える事はどこも同じ何でしょうね。
薄板と鋳造のハイブリットは画期的方法ですが、生産の歩留まり効率が悪いので大量生産にはむかず 結局通常の鋳型で生産性を上げて量産になったようです
あのエンジンマウントで全ての出力に耐えられるという点がとても印象的でした。素人目にはエンジンだけ飛んで行ってしまう様に見えます。
星型エンジンとても綺麗ですね。レストアした技術力もすごいと思います。
ほんと わたしもこのエンジンマウントで 本当に振動に耐えるのか?って何度も聞きました
やっぱりメカトロ系の人は心配になるポイントですよね 特に耐久性を考えると みただけで心配になる職業病・・・・
@@miyazin-shoten ダンパーとかもないんですよね。よくジュラルミンが耐えられる事。固いだけに金属疲労には弱い材質だと思うんですが。やはり設計者の腕と経験が全てなんでしょうか。
@@hal007 一応薄い防振ゴムが入っているといっていましたが・・・・ ほんと大丈夫?ってかんじですよね
@@miyazin-shoten やはり日本のお家芸の徹底した軽量化なのでしょうか。他国のはその辺が十分に柔軟に作られている様な気がします。
彩雲…美しい名前です
まさに名は体をあらわすですね
30年位前に仕事で知り合った方が中島飛行機でエンジンを開発していたとかで話を色々とした記憶がある。戦闘機に載せるエンジンの選考で自分達の方が結果が良かったのに何らかの力が働いて落とされたって話を聞いたなぁ。
中島飛行機から転身した方だと スバルかプリンス系の人でしょうかね。 わたしも新卒でプリンス入社のとき、まだ年配のエンジニアの方がいていろいろ話を聞かせてくれました
今にも動きそうな位に綺麗…
そういえば誉エンジンは2000馬力級エンジンとしては直径を短くした分トルクが細いって欠点があったらしい
初めてコメントします。私の叔父さんが中島飛行機に勤務してたようで恩給?とか支給されてました。生前に色々と聞きましたがなぜが中島のこと多くを語りませんでした。進駐軍が来るので色々と埋めたようです。・・群馬県の大泉町に進駐軍が来てたようですね。城沼に米軍が爆弾をを落としたとお袋に聞きました。
私がプリンス入社の時は まだ戦争経験のある飛行機会社の先輩などもいていろいろお話聞きました。
まるで小枝のようなエンジンマウントに痺れますね。f1カーのような。
まさに小枝 わたしもてっきり展示器具かと思いました
@@miyazin-shoten お返事ありがとうございます。当方電話級ペーパー、20代では自動車部品会社でした…星形エンジンネタ楽しいですね。応援しております。
ありがとうございます。
中島氏。ゼロ戦のエンジンをよく知る方と知ったのは、、ロシアの使ったドローン用単気筒エンジンに見ることが出来たからで、
隠れエンジニアはまだ沢山おられるようです。私としてはそこに驚きがあります。Awesome !
戦闘機のエンジンがスカイラインに繋がっていたのは知りませんでした。
高い技術力が自動車に受け継がれて、輸出車がアメリカを席巻して行くのは
何か因縁が感じられて面白いですね。
そうですね これもなにか因縁を感じますね
隼1型の環状クーラー、カッコいい。
中継 生放送コメントありがとうございました 笑
フライトシュミレーターをしていて思ったのは、P51ムスタングが第2次大戦の最優秀機とかよく言われていますが日本軍の飛行機は世界最強と思いました。
まあ 防護を捨てた軽量化がすべての要因でしょうね
確かに捨て身の設計で性能アップしてるのは米国の批判をまたずとも設計者が充分承知かと思いますが、ただ安全を捨てれば性能アップした訳では無いと思うのです。速くなればいろいろな問題も克服しなければならずで、苦し紛れの米国コメントの意を壱歩は含むと解釈しています、根本的に家族も本人も生きて帰れるか分からない戦時の状況が高じて設計にまで及んでいたのでしょうか、と私はお国の違いと思っています。戦争って悲惨な状況が裏にあったのですね/ドローン飛ばして民間をも攻撃してしまうお国柄を信じられないのは私だけではないはずです。科学の進歩とは問題違いです。
浅はかにも、P51Dマスタング最高と思っていた馬鹿若い時があり、人の言うまま信じて損する事もあるのに気付くまでの30代は転機でした。
不完全でも高性能を選ぶかどうか?今でも選択肢は何処にでもあるのが現世です、完璧なんて信仰に等しいと思ってた方がいいです
言いたい放題で済ませんでした
歳が分かりそうなコメントです
大変申し訳ありません
凄いなあ!実物見たい!
川口湖記念館昔行ったが、一式陸攻の再生中だった。
栄誉シリーズエンジンでは、日産のエンジン屋中川氏が若い技術時代に栄の気筒増加で誉開発を成した話は有名。
このエンジン可動?
動くの見たい。
彩雲か、陸軍の疾風のエンジンも誉では?
我に追いつく敵機無し、と打電して偵察した機体。
基地司令から余計打電するなと叱られたとか。
しかしパイロットからすれば気持的に、負け戦の中頑張ってるので当然だろう。
是非彩雲をみにいってください 本物に触れるのがやっぱりいいです
老骨に鞭打っても川口湖まで行きたい。二十数年ぶりかな?
車を止めたので高速バスしかない今に涼しく成ったら行きます。
ステキなサイトたと思います。三十年程前米国加州、ロス郊外のプライベート航空博物館へ行った。
ゼロ戦闘機を飛行可能にした博物館で多くの米軍大戦中戦闘機があった。
皆の飛行可能、日本陸軍の飛燕の復活再生中だったがエンジンがなかった。
エンジンはドイツ製の大戦中のを探してる、との事だった。どうなったのだろう? スペインに中古が有るとかの話だった。
七十年代?のバトルオブブリテンの撮影ではメッサー機がスペイン空軍に残されてたのを復活使用したとか。
英空軍のスピトファイヤーや他の邀撃機は現物が有りそれを使ったと。
隼2型のアルミ地肌、しびれます。
戦時中の工業力低下により、実力を充分に発揮出来なかったと言われる当時、コンパクトサイズかつ高性能な2000馬力級エンジンは貴重ですネ‼️😊
まさに日本のお家芸ですね
素晴らしい動画ありがとうございました。
私もエアクラフトファンです。
遊就館・鹿屋のゼロ、知覧の疾風、四国の紫電改等々見て来ました。
河口湖飛行館は、まだなんです。
王立空軍博物館で見た、P51には圧倒されました。しかし、彼らの長い戦闘機製造の歴史を見るにつけ、我が国の開発能力の高さに誇りを禁じ得ませんでした。よくやったものだと、しみじみ思いました。(結果として、彼らの植民地支配も終焉を迎えました)
これからも、エアクラフト、バイクネタ期待しております。
河口湖は8月の1ケ月だけですが 毎年進捗がみれておもしろいです
明後日行きます。 楽しみ。
いってらっしゃい 支配人に宮甚商店がよろしくと言っていたとお伝えください 笑
@@miyazin-shoten 了解しました。
曲がらないF1 タイレル
フォード34
ドンピシャ世代です
戦闘機のエンジンから
日産やBMWの自動車に
引き継がれたのですね
私も戦艦伊勢の瀕死の
海軍の爺さんが
漁船に助けられ
現在があります
まあ 戦争の技術は極限まで性能を追求しますからね
お盆休みに飛行館 行ってきました 記念に新作グリーンのTシャツを買ってきました 特攻機「桜花」には熱いものを感じました
自動車博物館は次回に取っておきます
よかったですね ちょうどお盆休みにTシャツ買えなかった問う人がいました!
無線も長距離に見合うモノだったのかなあ
戦記物にゼロ戦の無線機はまったく役にたたなかったという記事多いですが スペック的にはス――パー受信機に807あたりの終段ですから CWだったら十分だったと思います。
宮甚さんの真面目でリアリティなコメントに触れるたびに敬意と感謝で血がさわぎます。
免許は持ってても専門知識がなくて半分わかった様な所ですが戦後の話、世代違いの従兄弟が15,6才で通信隊にいて焼夷弾を屋根の上で消して下でトンツーってやってたと教えてくれました。要約した内容を無線で飛ばす緊張感で、聴き逃さないこともあったでしょうか/余計なことは打つな、わかります
「我ニ追イツクグラマン無シ」。ですね。泣けるね。
そのあと 上官から余計なこと打電するなといわれた逸話も最高ですね
@@miyazin-shoten 搭乗員は余程嬉しかったんですね。この一文で全てが伝わります。
@@y秋-c6f 嬉々として打電したんでしょうね
2000馬力 米国のグラマンF6とか同じ馬力ですね~ 凄いエンジンですね!😂
コンパクト軽量というのもいいですね とにかく戦闘機に限らず 乗り物は軽量が命ですからね 特に車やバイクはつくづく感じます
やっぱり空冷4ストエンジンはプッシュロッドがカッコいい!
ちょっとハーレーっぽいですね
クラウザーも゙空冷2気筒OHVです!
星形エンジンだ!
はや! 早速ありがとうございます
単発機といえば星型ですね。
えーっと。
そのカメラをぐるりとこっちに回してくれませんか。(期待)
え、この機体、光作戦で伊号第14潜水艦がトラック諸島に運んだ2機の彩雲うちの1機で、米機動部隊を偵察したものなんですか?すごい武勲機ですね。
ぜひ 実際に見に行ってください
どこかで聞いた声だと思ったら、宮甚商店さんですか。。。無線機、アーディオじゃないのでびっくり。
ありがとうございます。こんどアナウンサーになりました
8月だけオープンですかこりゃ見に行くしかないですね。取引先の会長が学生時代に徴用されて加西市の鶉野飛行場で紫電改を組み立てていた話をよくうかがいました。(今年春『soraかさい』として博物館がオープンしました)すでに戦争末期だった当時は材料の確保に苦労し、なかなか所定の性能を発揮できず苦労したそうです。特に中島飛行機製の誉と比べると工廠製の誉は不良率が高く当時でもお役所仕事はうんぬん。私の父親はその平塚海軍工廠で技術中尉をやっておりましたがうーん?
当時はガソリンのオクタン価も低いし メタル部品なども苦労したんでしょうね 松から燃料つくっているようじゃ日本は負けますね
今と違って
資源もコンピューター無い時代に
作っちゃうんだから
日本すげーよ
イケてるぜ
昔の人はほんと偉いです
熱田エンジンのバーチカルベベルギアのシャフトがエンジン外に出てるのはカワサキW800にも通じる。
ナビが故障して、スマホの地図とも照合できなくて、散々周辺をぐるぐる回った挙句、富士吉田ICまでたどり着いたら、「自動車館→」の案内看板が有って助かりました
こういうのが山で死ぬタイプなんだろうねー・・
日本軍機は靖国で見た以来でしたので圧巻でした、ただ、隣の敵さんやらおしるこやらが草ヒロ状態だったのがチョット寂しかった
お墓じゃ無いですが、お盆ぐらいは奇麗に洗ってあげてもと思いつつステッカー一枚買って帰りました
ここはちょっと場所的にわかりにくいかもですね
私も見に行ってみようと思います。
8月だけみたいです
もし行かれたら 背の高い支配人の方に宮甚商店の視聴者と言ってください 多分微笑んでくれると思います 笑
@@miyazin-shoten 分かりました!ありがとうございます。
(零戦Tシャツまだあるかなー汗)
@@よーらるウェイ 新デザインのほうは多分売り切れかもしれません
この動画を観ながら「塗装済み完成」の姿を想像しています!(プラモじゃないぞっと)
ぜひ 翼と塗装まで完成してほしいですね
隼の第3風防の形がスズキハヤブサのシートカウルにそっくり。
プリンスのマーク、今の日産マークより段違いにカッコイイですよね。日産がプリンスブランド使わないのはもったいないなぁ
ほんとですよね でも吸収合併だったのでしかたないですね。
誉については、アマゾンでデジタル書籍で購入できる、マン・マシンの昭和伝説の上巻に詳しく開発経緯などが記載されていますよ
ネットで調べます そこまで(本を買う)までは興味ないです
スカイライン党で R 32まで 愛車にしていました 中島 誉を原点でしたか。
エンジン始動楽しみにしています。
本当は飛んでほしいけど まあそれば厳しそうですから せめてエンジンまわしてもらいたいですね
明日行きます。愛車クラウザーで!
背の高い支配人さんによろしくおつたえください
彩雲の胴体と誉エンジンだけでおなかいっぱい!
これだけで 一日見ていました
いつもはオーディオの動画を拝見していました。べらんめい調の中に、ポイントを押さえインチキ臭さを残しながら、エンジニアはこうだろう?こう感じるだろう?売りたいなら化粧は営業が考えればいいんじゃないの。もちろん協力するよ。と問われているような語り口を楽しみにしていました。今回、河口湖の博物館の動画を拝見し、理系の男はこうあるべきだよなと益々ファンになった次第。誉も栄もずっと昔、パソコンも電卓も無い時代に設計されたもの。当時の設計者の想像力には驚きます。今の人にもシミュレーションに頼らず(きっと駄作になるでしょうけど)作らせてあげたいです。
ありがとうございます
いつも思うのですが星形エンジンの下側のシリンダはオイルまみれなのかな?オイルの回収はどうしてるんだろう。
9気筒(なぜか星形は奇数シリンダですね。)二段重ねですね。二段目の冷却はうまくいくのかな?
このあたりは ゼロ戦の本や星形のネットみると出ています
航空機のエンジンはドライサンプなので、潤滑が終わったオイルはスカベンジングポンプで強制的に回収して
オイルクーラーへ送りタンクへ戻します
@@thelaughingman5052 そのくだり プロジェクトX(プリンススカイライン)でも良く出てくる話で有名です
4サイクルなのでクランクが2回転して点火は1回ですよね、いま点火のタイミングを1→2→3→みたいにすると、2週目に全くトルクが得られない。だから1週目1→3→5→、2週目2→4→6、、みたいにする。このとき6気筒エンジンの場合1週目から2週目が5→2とちょっと遠くなり、回転力にアンバランスを生じてしまう。なので星型発動機はほぼ全て奇数気筒なんです。たまに変態的なのもありますけどね…
あと二列目のシリンダ冷却。エンジン後方に金属の3D曲面みたいなカバーが被せてますけどもこれで気流を誘導してます。今回このバッフルプレートの展示はなかなか良いですね。誉はコンパクトに作ったので冷却はかなり苦労したようです。
@@comete5d361 栄よりも前後の気筒のクリアランスはすこし大きくなったみたいですね
エンジン、機体の美しさ、まさに機能美。丁寧なレストアですね。
(完全にレストアされるとこの美しいエンジンがカウルに覆われてしまうのが少々残念ではあります)
B29迎撃のために改造された機体「屠龍」ですが、スミソニアン博物館別館に機体の一部が展示されていました
B29エノラゲイ(レストア展示はニュースにもなり騒然としましたが、別館に展示はそういう事でしょう)の
脇に胴体だけ(斜めに搭載された砲がわかる)展示がありました。なんだか複雑な気持ちで観てきました。
それにしても・・・
電子工学の豊富な知識、でも大学は文系?機械にも強い?サーファー?どういう経歴なんだろう?
という、宮甚商店様の謎が少しとけた回でもありました・・・残暑、ご自愛ください
ありがとうございます。 文系卒も事実なのですが 新卒でプリンスに入って部品開発の仕事だったので かなり理工系の勉強もさせられました。 整備士や電気の資格取得も会社から強制されましたが 取っておいてよかったといまでも思います
現在の彩雲に、今後は翼も付けられるといいですね。いつかは、日本の空を飛んで欲しいです。
いやーほんとですね わたしも楽しみにしています