厳島神社《辨天社》《捨篠池の蓮取》(大和高田市岡田470)奈良の爺々

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  • เผยแพร่เมื่อ 20 ต.ค. 2024
  • 7月7日、七夕の日、市内奥田で、1300年を超える歴史をもつ「蓮取り行事」がおこなわれます。室町時代から連綿とおこなわれてきた吉野山金峯山寺における「蓮華会(れんげえ)」の一連の行事であるとともに、
    役行者の母・刀良売にまつわる「ひとつ目蛙」の伝承に深い関わりをもつ行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されています。この日、捨篠池では、蓮取り舟に乗って、古式にのっとりおごそかに蓮切りがおこなわれ
    ます。その後、善教寺に集まった修験者たちが、勇ましいほら貝の音とともに、福田寺・行者堂から、役行者の母・刀良売(とらめ)の墓に蓮花を献じて供養し、続いて、捨篠池に隣接する弁天神社で、護摩法要が営まれます。こののち、修験者の一行は、吉野山金峯山寺・蔵王堂までの祠(ほこら)に、道中、蓮花を献じながら、蔵王堂での「蓮華会」「蛙飛び行事」に参加したのち、これらの蓮の花は修験者によって、大峰山頂上までの祠に供えられます。吉野山の蓮華会に欠くことのできない奥田の蓮は、今日まで地元の皆さんの努力によって大切に守られてきました。また、役行者没後1300年忌の平成12年には、蓮池公園に民話伝承碑が建立されるなど、捨篠池周辺の整備が進められています。₋市役所HPから-
    厳島神社(大和高田市奥田470)奥田の集落のほぼ北東隅にある神域は、安芸の宮島を模し、円小角の母刀良御前の伝説で名のある捨篠池の南岸に突出した森の中に鎮座する。創祀は明らかでないが奥田一円の氏神として市杵島姫命を祀る。奉安の神像は船型後背をもつ極彩色の木造坐像で、箱型台座のの裏に「弁財天女 延宝第八天カノエサル九月下旬作ス 阿弥陀之末 大仏師吉田民部親□」などの墨書銘がある拝殿左側揚げ間に馬をひく山伏の大絵馬が奉納されている。「奉納 文政十二年九月中之四日 願主当村氏子中」とあり、右側天井に船を浮かべて蓮を切り金峰山寺の蓮華講に供花する大絵馬で、明治十二年(1879)とある。
    安政七年(1860)三月十八日改の奥田村明細帳に「字蓮池続キ弁財天社・・・・・右者従 住古 吉野山権現様並大峰山上におゐて天下泰平五穀成就御祈禱之節献上之蓮華花ニ而毎年六月八日則従 吉野山 社人伐採に被越候先例由緒御座候」とある。吉野郡大淀町下渕前坊家文書の文政から明治初年(1818-72)までの記録に「奥田村蓮池」の記事が各所にある。「文政四巳年(1821)二月十七日満堂方心善院福井宮内同道高取江参書付左之通」として「当御預所高市郡奥田村蓮池之儀者 従 住古 当山蔵王権現之由緒有 之 毎歳六月九日彼池の蓮花を取蔵王権現井山内諸神江致 献備 則蓮花会与称法要相勤申候 依之右池を蔵王池与 申伝候 処近来彼池而近村之者共猥致 殺生 候 付自然与構不浄蓮花難 育 法要之差支 相成 申候 甚以敢敷奉 存候問 何卒右池 而不 致 殺生 様禁制之御立札被 成下様奉願候  
    二月十七日      吉野山満堂方役者進善院 
     高取御役所
    とあり、また蓮切取用船の修復について安政六年(1859)四月十九日付奥田村年寄と庄屋代より吉野山満堂方役人宛に、修復費として金二匁拠出されたことについての請書と令状も残されている。(前坊家文書)
    現在も蔵王堂蓮華講は七月七日に営まれるが当日奥田の人々によって連花を当社に供して祭典の後、吉野山に奉納している。かって使用した蓮切用の小船が当社近くの善教寺と吉野山蔵王道に各一艘宛保管されている、
    ―奈良県史第五巻神社ーより

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