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出会ったことのない私のおばさん、父の一番下の妹があの日 勤めに出たまま 戻らぬまま。原爆ドームそばの仕事場へむかっていた。祖母と母は、幾日も探し続けたが 何もみつからないまま。若いきれいな叔母さんは一枚の写真だけ。残された遺骨が一つでも 遺族のもとに戻りますように。
以前平和記念公園に行った時、ガイドの方が「今君たちが歩いている地面の下にもまだ埋まっている方がいるんです」と仰っていました。あれから80年近く経った今でも、供養されるどころか埋もれたままの人達がいるんだと知ってその場で涙が止まらなかったのを思い出しました。
名前、住所までは分かっているのに親族の元に帰れないのはもどかしいな…
お骨が帰れない理由①当時の混乱で取り違えによる別人だと言う思い込み②親戚一同全滅③『はだしのゲン』のように偏見からくる拒否による沈黙
戻らない人って骨すら遺らず逝かれた分とかもありそう
矢野さん、供養塔にいる方が本当の矢野さんかもしれないんだな…
遺骨が問題というより、どこで亡くなったのかを知りたい、はっきりさせたいと言うことが、遺族の本音でしょう。
人の手と目による書き取りではミスもあるだろうねえ名札も汚れたり焼けたりして読みきれなかったパターンも多そうだし…持っていった遺骨が別人ってのもあるんだろうなと思ってたらやっぱり多そうだなあ…
小学校の修学旅行で佐伯さんに講演して頂き一緒に写真を撮って頂いたのが思い出深いです。朗らかで周りを惹き付けるおばちゃんと言う印象の方でした。当時はDNA鑑定技術もなかったし当時の混乱の中で中には別人の遺骨が引き取られている可能性もなきにしもあらずですよね?
長崎で原爆を受けた美輪明宏さんは、亡くなった人を一度にまとめて、校庭で火葬していたと言ってたから、いちいち誰が誰とも把握することは不可能に近かったと思う。性別や年齢がつかないほど焼け焦げた遺体や、特に爆心地の近くにいた人は爆風で手足や体がもぎ取られ、名前や男女の判別がつかずに今も原爆死没者慰霊碑の中で御霊が帰れないのは気の毒としか言えない。
原爆の物言わぬ物、其が平和記念公園の施設に有る原爆供養塔、私の小学校時代の修学旅行でこの供養塔を見たことが有りました。
合掌(-人-)
遺伝子とか今の科学では分からないのかな?
一人一人棺に入れて火葬できたわけでは無いだろうから、骨壷の中の遺骨は面に書いてある名前の人では無い可能性がある。特定できればそれに越したことはないけれど、違ったら引き取る理由がまた一つなくなってしまう。字が一字違う状態で70年以上家族が見つかっていないなら、名前が近い人で引き取って供養してくれる人がいるなら引き取ってもらったらいいのに、とは思ってしまう。これだけの年月がたっても家族が見つからないってことは一家全滅だった可能性も…戦争って本当に虚しい。
遺骨が、帰ってきてない(亡くなったからが家に帰るという意味で、意図的にこの漢字を使用しています)のは、親戚が分かってるはずだからとりあえず名乗り出て、名前の近い骨壷の中の遺骨を一つ一つ確認すれば、分かりそうですよね遺骨が一刻も早く遺族の元へ戻る事を祈っています
DNA鑑定とか出来ないものなんですかね?
腐敗し白骨化した骨でさえ鑑定は難しいです。火葬されていたら余計出ないと思います…
🪷南無阿弥陀佛🪷
出会ったことのない私のおばさん、父の一番下の妹があの日 勤めに出たまま 戻らぬまま。原爆ドームそばの仕事場へむかっていた。祖母と母は、幾日も探し続けたが 何もみつからないまま。若いきれいな叔母さんは一枚の写真だけ。残された遺骨が一つでも 遺族のもとに戻りますように。
以前平和記念公園に行った時、ガイドの方が「今君たちが歩いている地面の下にもまだ埋まっている方がいるんです」と仰っていました。あれから80年近く経った今でも、供養されるどころか埋もれたままの人達がいるんだと知ってその場で涙が止まらなかったのを思い出しました。
名前、住所までは分かっているのに親族の元に帰れないのはもどかしいな…
お骨が帰れない理由
①当時の混乱で取り違えによる別人だと言う思い込み
②親戚一同全滅
③『はだしのゲン』のように偏見からくる拒否による沈黙
戻らない人って骨すら遺らず逝かれた分とかもありそう
矢野さん、供養塔にいる方が本当の矢野さんかもしれないんだな…
遺骨が問題というより、どこで亡くなったのかを知りたい、はっきりさせたいと言うことが、遺族の本音でしょう。
人の手と目による書き取りではミスもあるだろうねえ
名札も汚れたり焼けたりして読みきれなかったパターンも多そうだし…
持っていった遺骨が別人ってのもあるんだろうなと思ってたらやっぱり多そうだなあ…
小学校の修学旅行で佐伯さんに講演して頂き一緒に写真を撮って頂いたのが思い出深いです。
朗らかで周りを惹き付けるおばちゃんと言う印象の方でした。
当時はDNA鑑定技術もなかったし
当時の混乱の中で中には別人の遺骨が引き取られている可能性もなきにしもあらずですよね?
長崎で原爆を受けた美輪明宏さんは、亡くなった人を一度にまとめて、校庭で火葬していたと言ってたから、いちいち誰が誰とも把握することは不可能に近かったと思う。性別や年齢がつかないほど焼け焦げた遺体や、特に爆心地の近くにいた人は爆風で手足や体がもぎ取られ、名前や男女の判別がつかずに今も原爆死没者慰霊碑の中で御霊が帰れないのは気の毒としか言えない。
原爆の物言わぬ物、
其が平和記念公園の施設に有る
原爆供養塔、私の小学校時代の修学旅行でこの供養塔を見たことが有りました。
合掌(-人-)
遺伝子とか今の科学では分からないのかな?
一人一人棺に入れて火葬できたわけでは無いだろうから、骨壷の中の遺骨は面に書いてある名前の人では無い可能性がある。
特定できればそれに越したことはないけれど、違ったら引き取る理由がまた一つなくなってしまう。
字が一字違う状態で70年以上家族が見つかっていないなら、名前が近い人で引き取って供養してくれる人がいるなら引き取ってもらったらいいのに、とは思ってしまう。
これだけの年月がたっても家族が見つからないってことは一家全滅だった可能性も…戦争って本当に虚しい。
遺骨が、帰ってきてない(亡くなったからが家に帰るという意味で、意図的にこの漢字を使用しています)のは、親戚が分かってるはずだからとりあえず名乗り出て、名前の近い骨壷の中の遺骨を一つ一つ確認すれば、分かりそうですよね
遺骨が一刻も早く遺族の元へ戻る事を祈っています
DNA鑑定とか出来ないものなんですかね?
腐敗し白骨化した骨でさえ鑑定は難しいです。火葬されていたら余計出ないと思います…
🪷南無阿弥陀佛🪷